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声を、思いを、世界中に届ける。こえラボ。
経営者の志。こんにちは。フリーアナウンサーの山口智子です。
人生100年時代と言われる中、これからの働き方についてどのようにしていこうかと考えている方も多いのではないでしょうか。
今日は、長年勤めた会社を退職され、1年前にご自身の会社を起業されたRユニコーンインターナショナル株式会社、代表取締役社長の高見広行さんがゲストです。
それでは、どうぞお聞きください。
それでは、本日のゲストは、Rユニコーンインターナショナルの代表取締役社長、高見広行さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
高見さん、まずいろいろなことを手がけていらっしゃるので、どういった会社なのか、まず最初、自己紹介も含めてお願いできますか。
今、都内で設立1周年をたちましたRユニコーンインターナショナル株式会社の代表取締役を務めています。高見広行です。
主に事業内容3つ大きなものがありまして、1つは全職の総合商社勤務時代に培ったリスクマネジメントのノウハウを活かしながらのリスク管理コンサルタントということで、経営コンサルの1つと思っていただければいいんですけども、
今、半澤直樹のドラマで取り扱った審査部という部署があったんですが、貸し倒れとか債権回収ということで、お客様が倒産した時に出てくる部署なんですが、そういったところで30年、そういう仕事を海外と国内でやってまいりまして、
日本の中小企業の経営者の方にそういったノウハウを伝授し、困った経営者の方々にサポートをし、いかにうまく債権を回収したり、お客さんはどういう会社が良くてどういう会社が悪いかの目的をするためのツールがいろいろあるんですけども、そういった判断ツールをご提供したりというコンサルをやっているのが1つでございます。
もう1つは趣味に近い話なんですが、私もともとアルコール大好き人間で、日本酒はやっぱり日本人としての誇りと思っています。海外に駐在30年のうち14年くらいしていて、海外でも日本酒をたくさん飲んだんですけども、まだまだ知っているけど出てきていない日本酒が日本には埋もれているなというのがありまして、なんで出てこないんだろうとか、どうして来ないんだろうとか、ふと思ったことがあるんですが、
これ起業してですね、そういった日本酒をもし自分の手で海外に宣伝広めて販売まで携われたら、これは日本酒の酒蔵さんにとっても経営改善の1つになったり、あと日本国内は人口減とか右肩下がりでどんどん日本酒の消費量が落ちてきている中で、良い酒蔵さんが潰れてほしくないということで、そういった酒蔵さんの経営改善のサポートにも1つなるのかな、
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日本酒の世界に少し貢献できるのかなということで、酒販免許を昨年取りまして、いよいよ来年以降、特にアメリカのニューヨーク、マンハッターに向けての日本酒の輸出ビジネスを自らが高げていくということをやるためにいろいろと準備中でございます。
当然、日本酒に絡んでは日本酒の会、イベントを開催したり、それから個人でツクツクというところの通販サイトを立ち上げて、今地道に日本酒の販売を始めているというところです。
3つ目は、バヌシさん向けのワンストップトータルサポートサービスということを提供する。似たようなことをやろうとしている方が多分世の中には何人かというか、何グループかいるのは知っているんですけれども、特色は海外のバヌシさん、特に富裕層でバヌシさん、そういった方々が日本の競馬界にお金を落としていただいて、インバウンドで。
そして、日本の競馬ってこんなにいいんだよということをセールスアピールすることによって、特にJRAという非常に経営母体として安定した日本の政府が、農林水産省が後ろにいるような組織であり、1レースの平均賞金総額が日本一番高いと言われてまして、非常に安定した競馬ビジネスがあるんですが、
比較的閉鎖的な世界だったので、外国人のバヌシ受け入れてこなかったんですけど、数年前とか10年くらい前に外国人のバヌシも受け入れ始めまして、ただ手続き面で一応煩雑だったり、あと日本語っぽい英語になっていたり、申請書が光って分かりづらいとかいうことで、お手伝いが必要かなというところ。申請からですね。
それから当然なったら馬を調達しなきゃいけない。セリで買いに行かなきゃいけない時にお手伝いをして、目利きをするビジネスパートナーと一緒にまず馬を購入して、今度は子供と一緒で養育をしなきゃいけない。そのトレーニング上を紹介して、最後はデビューする時には聴教師をあてがわなきゃいけない。ということで、一貫してですね、全部お世話をするということのワンストップトータルサポートサービスです。
ビジネスとしてまだスタートはコロナの影響でできてはいませんが、ただこれも2年後3年後、夢のあるという部分では、自分たちの日本競馬の繁栄にもつながるかなということと、あと日本にもっともっと来ていただきたいということも含めた、そういったニーズによってこのバヌシンケサービスのビジネスを始めました。
本当にいろいろ今3つお話いただきましたけれども、面白いなと思ったんですけれども、そもそもはさっきもおっしゃっていました大手総合商社に勤めていらっしゃって、そこから1年前ですね、2020年の3月8日に会社を設立されたということで、これは何でまた起用されたんですか?
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大きな理由は2つあります。まず私ははっきりした性格なので、サラリーマン自体も会社のために随分尽くしてきて、30年間会社のため、自分のためということの本当の日本人のサラリーマンの象徴的な古い人間の昭和の人間の匂いを持ったサラリーマンで頑張ってきました。
ただやはり人生100年時代とか、あとは娘をですね少し年齢がいってからアメリカで授かったものなので、娘が20歳になった時の年齢を自分で計算した時にですね、67歳で20歳っていうことになると、日本のビジネス世界でいくとだいたい60歳で一線を引かれて、あとは65歳ぐらいまでは少し給料減るけどお世話して、その後は自分で寄せようねっていう時代のスケジュールには全く合わないということで、
やっぱり娘にはきちっとした教育をしてあげたいということで、そうするためには自分自身がもうちょっとモチベーションを維持して100年とは言わないまでも、せめて80年ぐらいまでは現役で働いていたいっていうそういう思いが出てきました。
それでとにかく総合商社にいた時の会社には、マルベリーという会社なんですけど、そこには大変感謝はしてたんですが、やっぱり60で放り出されてその後何か起業するよりは、53でまだ7年ぐらい若い方が体力が残っているということは、まずパワーがまだ残っているということで、それで決意をしました。
あとはやはり会社の中でのもう一つモチベーションという申し上げましたけど、やっぱり娘のこと以外にも自分自身の将来像ってだんだんさらに見えてきます。皆さんが絶対に出会う場面なんですけど、私も出世意欲が当然ありましたし、ある程度行きたいなと思いましたけど、だいたい見切りがつく年齢になってきます。
そういう中で、こんな状態でもし会社にいても全然会社にとっては逆には迷惑になるかな。後ろ向きの人間がいてある程度のサラリーもらってもあんまり僕自身は正直何か納得した人生にならないかなと思ってですね。そういった部分をやるんだったら徹底的に新しいフィールドでやってみようかなということで、去年の3月4日、もう1年経つんですけど、決意しました。
一大決心ですよね。おそらく番組聴いてくださっている方も、そして世の中にも、今人生100年時代と言われていて、自分の働き方をどうしようって、これからさらに模索する人が増えてくると思うんですけど、そういった方に向けても、高見さんの中でどのような原動力とか、どのようなところをモチベーションにして一歩前に踏み出すとき、どんな感じだったのか教えてもらえますか?
そうですね。マルベリン時代の最後の上司、結構役員の上の方だったんですけども、最後お世話になった方が、こういう言葉を言いました。高見くんねと。サラリーマンももちろんいいし、やりたいことがあったらやるのもよし。だから君の選択は、合ってるか間違ってるか僕が言える立場じゃないけど、思えばなすっていうからですね。
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まず思わなければ、何かを達成したい、自分はこうしたい、これからこういうビジネスをやってみたいということをまず思って、それに向けての情熱がどのぐらいかをちゃんと確認してやるということであれば、いくらでも応援するよということだったんですね。
要はやっぱり心がこもっていなければ、何事も中途半端に終わるということで、ふとそういう言葉を受けたまわって、もう一回自問自答したんですけども、やっぱり今しかないかな。全然成功する確率、何も保証されていませんし、転職とは違ってサラリーも大きく落ちるわけですから、家族にも迷惑をかける。
当然娘の教育資金とか言ってても、それも逆に迷惑をかけるかもしれないけども、長い間現役を続けるという目標はもちろん、それは二次的にはあるんですけど、まず自分が生き生きとした人生を歩むためには、やっぱりもう一度自分が営業的な動きで何か作り上げていくビジネス、貢献という部分もあるんですけども、そういったビジネスに一線で携わりたいということで。
会社自体、バックオフィスの立場のリスクマネジメントの仕事だったんで、営業のお助けということに献成とサポートをやってたんですけど、今度はもう第一線で自分がですね、やっぱりこう営業のようにやってみたいという気持ちもありまして、やっぱりこう思った。本当に思って、後はもう走りながらしかできないよと言われたんですね、その方に。
したがってその成功することが確実に決まったもので、みんな飛び出してって成功してる人なんて人にもいないと。みんな今成功してる人たちは、その時の思いと気持ちでそれを成し遂げた人が、諦めずに成し遂げた人は今世の中で個人起用して成功した人だと言われたんで、あ、なるほどと。改めてそういうこともいただいたんで、もう迷いなく辞表を出してですね、早期退職させていただいたと。
いやーでも素敵な上司でしたね。
そうですね。本当に男ボレする素晴らしい上司でしたね。
いやーでも本当におっしゃるように一歩踏み出す時の怖さって言ったらないと思うんですけれども、そこを踏み出されて、会社を設立されて、こういうことをやっていきたいというのもご自身の中である程度固まっていらっしゃった?
えーと実はですね、びっくりされるかもしれませんけど、何も固まってないです。リスク管理コンサル的なことはやらざるを得ないというか、これはご飯を食べていかなきゃいけないということからすると、得意な30年やってきたことは当然やることは決まってたんですが、それだけではちょっと面白くないなというところで、ふと辞めようかなと思った時から日本酒と馬っていうのがよぎり始めた。どちらも好きだったものですけど。なぜかそれがよぎってきたんですね。
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なぜか、これは何も理由はないんです。根拠はなくて。
じゃあ自分の中の直感という部分もあったんですか?
かなり直感です。日本酒のビジネスは実はもう私がこんな大人な仕事を言うまでもなく、もう先人の先輩の方々がですね、既に日本酒の海外販売、海外宣伝ってもうやられてます。ものすごい努力をされてやられてます。
そういった方々のやってきたことっていうのは当然あった上での私の判断ですけど、残念ながらまだまだ海外の市場でワインに対して言うと日本酒っていうのはまだまだマイナーなお酒になってしまっている。完全にはまだ受け入れられてない。
やっぱり宣伝の仕方、説明の仕方、もっと丁寧にですね、日本酒ってこういうものだってことをきちっと英語で、あるいはその現地の言葉で説明を心をこもってやってないんじゃないかな。そういう意味でいくと日本酒ってまあ日本人が飲んでるお酒でしょっていう感じで思われていることがすごく残念だったので、そこはですね私でもやりようがあるかな。
ジャパニーズイングリッシュですけど、長い間海外駐在したことによって度胸だけは座っているのと人脈が海外にいっぱいあるので、そういった方々の支えで宣伝はしていける。お金も投資家から多少集められる可能性もあって、そういった部分で何かできるかなっていうことですけど、でも最初は思いつきです。
何も何かビジョンがあって正確な事業計画があって、それが達成できるから会社を辞めたっていうことでは決してないので、たぶんびっくりされる方が多いと思います。バヌシの話もあったかもしれません。
いやー、一度もう辞めて次に進むって決めたから、その直感で降ってきたんじゃないかなと思ったりもしましたが、前半会社のこと、事業のことなどを趣旨に伺ってまいりました。引き続き後半もよろしくお願いいたします。
高見さんのお話、いかがでしたか。背中を押してくださったという上司の言葉、思えばなす。まさにその思ったことが形になっていらっしゃる、そしてこれからさらに形にしていく高見さん。
自分が生き生きとした人生を歩みたい、自分の納得した人生を選択したいとおっしゃっていました。その思い一つ一つの積み重ねが今につながっていらっしゃると思うんですが、とってもエネルギッシュで、話をしているととてもとても引きつけられる、その魅力あふれる方でした。
高見さんの会社のホームページや日本酒の通販サイトのURL、こちら番組の説明欄のところに掲載しておきますので、ぜひご覧ください。そして後半のお話もどうぞお楽しみに。
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