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はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、鉄学院について楽しく学んでみようという番組です。
鉄学好きの弟と、鉄学院なじみのない兄の兄弟2人でお送りしていきたいと思います。
まとめまして、兄の観野 強介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
今回はね、さらにブッダの時代から、前回500年くらいと言ったんだけど、7、800年くらい後の話です。
ああ、また結構経ったね。
そうなのよ。だから結構ね、やっぱり僕らってなんだかんだ歴史の上に生きてるなって思うよね、こう考えると。
500年前のブッダがいて、そこから800年後のナーガール・ジュナがいて、そこからさらに1000年後くらいに日本にまた鎌倉仏教が起きてみたいな、多分そういうスケールだから。
歴史ってやっぱり面白いなって改めて思ってたんですけど、やっぱりブッダが亡くなって、実際にブッダ志望の世界になっていくと、仏教の中にもいろんな考え方とか、やっぱり宗派が出てくるんですよ。
どこの教えの力点を置くかとかが違ってきちゃうから。
そうなると、結構これもまさに歴史の繰り返しみたいな話で、それをやっぱり乗り越えようとする人が出てくるんだよね。
結構これも面白いのが、いわゆる偉大な思想って言われるもの、それこそ西洋でいうとデカルトとかもそうだし、元々ソクラテスとかもそうと思うんだけれども、やっぱり偉大な思想ってその前の偉大な思想を乗り越える形が出てくるんだよね。
これって他でもそうかもね。科学とかビジネスとかでも、やっぱりすごく優れた会社とかがあったときに、でもその会社ができなかったことをやっておけなくていく。それこそGoogleとかもそうじゃない?
会社もそうだし、今、経営学とかの分野で言っても、セオリージャングルとかって言われるぐらい、めちゃくちゃ経営学の分野もぐちゃぐちゃって、もう厳立してる。
なるほどね。
元々アメリカのテイラー、フレドリック・テイラーが継承したと言われているアメリカでは。そこからいろいろそれを批判的に継承したりとか、ぐちゃぐちゃぐちゃっていろんなとこに、それこそ心理学と重なったりとか、統計学と重なったりとか、いろんなことをしながらジャングルみたいになってるみたいな、そういう状況に現れた超ヒーローみたいな感じかな、ナーマルジナは。
そうそう、まさにそんな感じ。ヒーロー。それまで主流だった思想とか考え方っていうのを大きく乗り越えて、大乗仏教の基礎っていうのを作りますと。
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すごいのに、僕らは歴史の教科書とかで、小乗仏教と大乗仏教っていうのがあって、それぞれ大乗仏教が中国を通って日本に来ましたとかって、さらっとやっちゃうんだけど、そもそもブッダっていう人が言った教えが、そんな宗派に分かれて、田本を分かつぐらい大きな違いになる。
そういうのをまさに作ったみたいなことってやっぱりすごいことだと思っていて。かつナーマルジナっていう人の考えた中心の思想っていうのが、クー。もともとの言葉で言うと修にゃっていう言葉です。
代表作として『中論』っていう本があって、中論は真ん中の中に論術の論なんだけど、要は中要、間っていう意味と一緒で、極端に走りませんよっていうことだよね。逆に言うと、それまでの思想はやっぱり突き詰めれば突き詰めるほど、結構極端に走っちゃう。
そうなんだ。この中要っていうのもナーマルジナが考えたこと、強調したことっていう感じ。
中論、極端に走らないっていうことを強調したっていう感じかな。やっぱり批判するときって、もちろん片方の側に立つっていうのもあるけど、いやどっちもあるよねとか、それこそ弁償法じゃないけど、エロ法ってこうだみたいなのをお互いの矛盾を乗り越えるみたいなのがあるから。
そうだね。実はレイヤーが違かったりとか、同じ目的に向かって具体的な方法論でただ争ってただけみたいなのがあるだろうしね。
そうそうそう。なんでレイヤーを1個上げましょうみたいな感じで、まさにその空っていうのは、物事を根源まで考えたときのレイヤーの話なんだよね。
ああ、そっか。中央とかも同じレイヤーの中の真ん中の、こう妥協って悪い意味で妥協しましょうとかじゃなくて、そういうのに近いんだ。弁償法とかみたいなの。ごめん、弁償法とかってまだ聞いてないから、具体的なとこはフワーっとした。
だからまあ、どっちもいいとこあるよねっていう、要はいいとこ取りとか中途半端じゃなくて、その極端と極端の間の真理っていうのはこれだみたいなのを見ていったみたいな感じがあるんで。
それをね、今回は、これまで通りナーガール・ジュナーの話をして、ナーガール・ジュナーが乗り越えようとしたそれまでの仏教みたいな話でもちょこっと触れて、ちょこっとって言うと1回分くらいになっちゃうんだけど。
700、800年分くらいあるでしょうね。乗り越えようとしたものがね。
そう、別に僕も全部詳しくわかってるわけじゃないから、僕が知り得てることをお伝えして、そこからナーガール・ジュナーの空の話っていうのをきっちりやっていきたいなっていうのが今作ってる台本なんですけど、ちょっとその通り行くかどうかはやってみながらっていう感じですね。
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でね、今日はナーガール・ジュナーの話っていうのを残りの時間していこうと思うんだけど、やっぱり仏教というか、東洋の人たちってそうなのかもなんだけど、いつの時代に生きた人かあんまり発見してないですね、ナーガール・ジュナーも。
だいたいその西暦、だから紀元後150年から250年くらいかなって言われてるんで、ブッダがだいたい紀元前600から500年くらいっていうと、400、800年くらいかなみたいな計算ですと。
南インドで生まれたっていうことは一般的に信じられてるんだけれども、なんせ資料が少なくってそれぞれちょっと曖昧らしいのね。
そうなんだ、やっぱりこのくらいの時代、紀元後200年くらいだとしても、やっぱりその資料っていうのはだいぶないんだね。
そうだね、そうそう。一応その残ってる資料として、ナーガール・ジュナーが生きた時代の100年後くらいに、クマラジュっていう人が中国にナーガール・ジュナーのことを伝えるんだけども、そういう伝記がありますと。
でも結構それもフィクションに満ちていて、ブッダの時にも言ったけど、どんどん進化化されちゃうんですよね。
一応フィクションじゃないであろうって言われたところで言うと、インドなんでバラモン、宗教とかの階級だよね。
バラモンとして生まれて、バラモン教をまず学びますと。そこから出家して、少女、さっき少女仏教、大女仏教って急に使ってしまったんだけど、いわゆるその当時主流だった仏教っていうのを学びますと。
それで満足しなくて、いわゆる大女仏教と言われる、その次の仏教っていうのを学んだって言われているんだけれども、
学者さん、僕が読んだその本の人が言うには、ブッダが死んでからもうすでに600、700年くらい経ってるっていうことは、
ブッダがこう言ったとかは、もはや結構わからなくなってきてるわけよね。後の時代の人からすると。
そもそも誰がブッダが言ったんだか、その後の人が言ったんだか、もうちょっとわかんなくなっちゃってるみたいなね。
明らかに大女仏教っていうのは、やっぱり死んだ後から出てきた教えだから、本当にブッダが言ってると主張するためには、結構な論理づけとか正当性っていうのが必要になってくるんだよね。
はいはい。
自分たちが推している大女仏教という説を、これが正しいんだとか、これこそが正当な仏教だなっていうためには、
やっぱり過去のものと比較して、ほらこのブッダが言ってることと同じでしょとか、ほらこっちの方が教えとしていいでしょっていうのは言わなきゃいけないっていう、
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そういうこともあって、ナーガールジャーっていう人が、ただ学ぶだけじゃなくて、自分なりにきちんと人に教えられるとか、あるいは少女仏教の人たちを、ある種論破できるような形に考えをまとめていったんじゃないかっていうふうに言われてます。
800年たつ中で、そこは少女仏教と、当時はまだ仏教の中ではマイノリティだった大女仏教、そこは対立じゃないけど、
俺たちの方が正当な仏陀の教えを引き継いでいるって、ちょっと喧嘩しちゃってたのかな。
そうだね、もう対立だね、たぶんそれは本当に。あいつら何言ってんだみたいな。こっちの教えの方が正しいぞって言って、いやいやそんなわけねみたいなのが、結構お互いに熱くやりあってたっていうふうな記録も残ってるみたいですと。
なるほど、じゃあこれをどう中央に持っていくのかって話だね、ナーガルジュナが。
そうだね、それで言うと少女仏教に対しては、批判してるから、乗り越えていくんだけど、そのためにどういう、クーってものを使ってどういうふうなことを言っていたかって話なんだけど、その前にもうちょっとナーガルジュナの話をさせていただくと、これは多分フィクションであろうっていう話なんだけどね。
出家したかというか、その仏教を極めようとしたかみたいな、それこそブッダでいうところの、元々は王族として豪華な暮らしをしてた中で、病気の人とか老人とかに出会っていったみたいな話だったと思うんだけど、そんな感じでナーガルジュナも元々すごい才能に恵まれていましたと。
そのバラモンの教えとかもめっちゃ早く学んじゃってとか、でも若くして「すげえ賢いよ」みたいなので有名になるのね。で、ちょっといい気になっちゃって、もう3人の親友がいたんだけど、「学問は俺らは極めたよね」みたいな。
だから、あとはもうここからは快楽を尽くしていきようって決めて。 へえ、そうかバラモンだからめちゃくちゃ上流快晴に生まれて、しかもめちゃくちゃ頭も良くて、よしここから楽しんだるでという風になった。
隠れ身の術を得得するのね。姿を消す術を。 怪しいなあ。 で、そういう師匠のとこに行って隠れ身の術を習って、応急に忍び込んで、ラジオで言っていいのかわからないけど100日くらいで全員宮殿の女の人が侵されちゃって、子供を払う者さえ出てきましたと。
エピソードに書いてあるんだ、熊原寺の。 書いてあるの。で、王様の進化がちょっとこれはまずいわとなって、対策をね。 そうだそうだな。
砂を撒くのね。そしたら足跡が見えるじゃない。見えるの本当かってわからないんだけど。一応それで足跡を頼りにその英兵が刀を振るって、見えないんだけど刀を振ったら、3人の友人が斬り殺されちゃうの。で、ナーガール・ジナだけが生き残りますと。
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要はナーガール・ジナを隠れている間、その友人、透明になっている友人が斬り殺される姿とかを見てるわけですよ。ってなると、まさにこの欲望とか欲情とかが、快楽とかが苦しみとか不幸の原因なんだって気づいて出家をしますと。
ちょっとあれだね、ブッダと比べるとすごくいいとこに生まれた。不良だね。不良。 ちょっとね、勘違いしちゃった。ちょっとダメなやつみたいな。
まあまあまあお話なので、多分そういうものもあって、出家をまずしますと。で、その象徴仏教というのを学ぶ、当時の主流の仏教を学ぶんだけど、これを90日で習得しちゃったんだって。
まあまあまあ満身するよね。俺やっぱすげーわみたいな。俺なんかもう楽勝だわ。人生エージーモードだわってなっちゃうんだけど、ちょっとそれをね、哀れんだ菩薩、いわゆる仏様だよね。
っていうのが、いやもうお前ちょっと、そんなんじゃダメだからこれを学べって言って、当時新しかった大象仏教の教典、教えっていうのを与えますと。
ここはあれなのかな、お告げに近い感じなのかな。
そうだね、まあもっと言うと多分これは後の人たちが大象仏教のとかナガール寺那の格を上げるというか、正当性を高めるみたいな意味のエピソードだと思うんだけど。
そこそこ、わかんないけどね、菩薩と大象仏教どっちが先?みたいな、ニワトリと卵みたいな話になりかねなそうだよね、これって。
そうだね、話の流れで言うと、要はバラモンです。だから元々のインドの正当な宗教というか教えだよね。
人たちが、人がバラモンというところを離れて、その象徴という当時主流のものを学びます。
でもそれも離れて大象仏教っていうのに出会って、そこで真理を得ますっていう、要はそのステップ。
大象仏教っていうのが一番良い教えなんだよとか、それっていうのは仏が与えるくらいの正当性があるものですよっていうようなストーリー仕立てにはなってるんだよね。
はいはい、にしてあると。
もちろんね、快楽の追求と後悔が出家の動機みたいな、その根本だけで言うと、結構仏陀と近いところもあるかなとは思うんだけど、
ナークアルジアの方はちょっと激しいよね。やってることもすごい悪いことだし、仲間もみんな死んじゃって、自分だけが残っていくみたいな。
そういうストーリーだけで追うと、こいつ何やってんだよなんだけど、そこは読み取ろうと思えば、いわゆる当時の王様がそもそもそういう女性を囲って、
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働いたりもしてるだろうから、別にただ囲ってるわけじゃないだろうけど、王族っていうものがいて、それ以外の人もしかしたらひもじい生活をしてるかもしれない。
それまでの既成の倫理とか、今ある制度とか常識っていうものに反抗していくみたいな。
そういう考え方っていうのは、強烈な否定の動機みたいなものがあって、結構それはその本でいうところのニヒリストっていわゆる虚無主義というか、
今ある価値観とかを否定しつくすみたいなところに近いよねっていうふうな書き方もされていて、
なので、空の世界って、なんとなく外から見ると静かな気持ち、空って何もないとか、兄貴とかもゼロじゃないかって言ってくれてるんだけど、
というのはあるから、静かでちょっと大阪な感じのイメージもあるかもしれないんだけれども、結構ナガール・ジュナをはじめとした、
中間派、そのチューロンっていう本を書いてて、その中間派っていう一派があるんだけど、人たちの人生は結構波乱に満ちてますと。
なので結構そういう、人間の世の中っていうのに満足してたら、それを乗り越えようとか、それを超えた世界を知ろうって当然思わないわけだから、
人の世を悪夢と見たというか、この世が地獄だみたいな人ほど、そういう空の思想とか世界っていうものを追求したくなるのかなみたいな。
なるほどね、ここに至った現体験、この前の雑談会とエンジンみたいなのは何かっていう時に、結構強力なものを積んでる人が多いんだろうなというところで、この表に関して。
やっぱりそういうエンジンというか、負の感情とかでマイナスの感情を乗り越えたくて頑張るみたいなのってもちろんあると思うので、
それがナージャガールジナのフィクションのお話でいうと、そういう快楽を追求したことによって親友を失ってしまったとか、えらいこっちゃみたいな。
なるほど、面白いね。確かにこの前のブッダと比べるとまたちょっと違くて、そこも面白いね。
ブッダは苦しみと出会った時にそれを地球外生命体ぐらいの、めちゃくちゃ自分、今まで全然知らなかった超怖いものみたいな感じで、
苦しみってあるんだぐらいの話で、そういうぐらいの破壊的な、多分価値観の崩壊みたいな展開みたいな感じだったと思うんだけど、
ナージャガールジナはめちゃくちゃバラモン階級で超優秀で、多分お金にもいろんなものに困らない生活はしていた上で、
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その中でぶつかる、また庶民とは違ったレベルでの苦しみ、それを自分で体感したことによる儚さみたいなものを、
ナージャガールジナはちょっとまたブッダとは違う、ちゃんと苦しみを感じて、これって無駄だよなって思った。そこはブッダがかなり特殊すぎて、
ナージャガールジナはもうちょっとそういう恵まれたところでの挫折みたいな、そういう感じが比較して勝手に思った感じがする。
そうだね、だからやっぱりブッダは創始者というか、やっぱりゼロから1を作った人だと思うし、逆にナージャガールジナは1を10とか100にしたみたいな、
そういったところの違いもあるかもしれないね。どうだろうナージャガールジナにちょっと興味を持ってくれたかしら。
そうだね、どんな人かっていうのが全く知らなかったけど、見えてきた。金持ちのボンボンってことだなって、アフリオンの方がすごくセンスと才能があって、
ちゃんと真面目に、ニヒリストだからちょっとわかるよね、ロックミュージシャンとしてめちゃくちゃ大成して、熱狂的なファンをめちゃくちゃ獲得して大成功しましたよみたいな。
そう、仏教界のロックスターみたいな感じかもしれない。
雑でしかも的を得ていない例えかもしれないけどね。でもなんか面白いね。
そうそうそう。
真面目というか、どうしても仏教とか宗教とか、お坊さんってすごく高尚で、物質家でみたいなイメージがあるけど、すごくロックな感じなんだなって。
そうだね、それはあるかも。そういう意味ではそれまで、次また話すんだけれども、主流だった仏教っていうのは割と真面目なというか、ちょっとお堅い感じの。
ところにまさにロックスターのナーガール・ジュナーが現れて、もっとこんな風にやろうぜって言って広がっていったりとか、結構近いかもしれない。
はいはい、へー、そうだ。その辺りまた次回行こう。何を考えてどう広めていったかみたいなところもある感じかな。
そうだね。次回はまさにナーガール・ジュナーが批判して、こう言おうと思った、当時の主流の仏教ってなんだったのっていうところをまたお話しして、それがわかるとナーガール・ジュナーのロック性っていうのが伝わると思うので、ぜひそれでやっていきましょう。
わかりました。じゃあ次回もよろしくお願いします。
はい、お願いします。
よろしくお願いします。
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