1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #257 理性的じゃないものはNG..
2024-10-13 42:33

#257 理性的じゃないものはNG?ストイックの語源となったストア派とはどんな哲学なのか?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



▼「それ哲公園」サイトはこちら!

https://www.soretetsu.com/



▼おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回までディオゲネスに出てきたというところで、今回はまた別の人に移っていくという感じでしょうか?
そうですね、今回から人っていうよりはストアさですね。
前回、最後の5話でディオゲネスさんの弟子のクラテスさんという、スクラテスのほぼそっくりさんみたいな人がいたと思うんですけど、
その弟子のクラテスさんに教えてもらったゼノンさんがストア派の創始者だよみたいな、ストア派って実はディオゲネスからつながってるんだよっていう話をしたと思うんですよね。
はいはいはいはい。あ、そうだったね、最後ね。
そうですね。またそこからストア派の人を取り上げていくと、もうちょっと膨大な私になっちゃうんで、
一旦今回、向こうに3回分ぐらいでストア派っていうものを取り上げたいんですけれども、
実はというか、覚えていただいている方もいるかもしれないんですけど、ストア派って過去にも一回取り上げていて、実は。
ちょうど1年前ぐらいかな、136回とかだったんですよ、見てみたら。
あー、はいはいはい。
で、その時の話って覚えてます?おまけにでも。
いやー、あんま覚えてないんだよね。
そうよね。
この前のディオゲネスから聞いて、少し見直してみたというかだけれども、
結構ふわふわしてるというか、こうやって言うとディオゲネスっぽいというかさ、
結構生き方とかさ、自生力とかだよね、確かね。
あれもストア派だったよね。
自生力を書いた、あ、そうです、ストア派の人ですね。
もう名前もなんとか。
アルプス・アウレリウスさん。
アルプス・アウレリウス。
すごいね。
なんて偉い人だったっけか。
そういう偉い人、皇帝、皇帝。
そういうふわふわした人しか覚えてないという残念な状況ではあるんだけど。
でもね、本当にたくさんの人も取り上げてますし、言うても1年前なので、
改めてこの流れの中でお伝えできることもあるかなと思ったし、
逆に、当時って割とアルプス・アウレリウスさんってこんなこと言ってたよとか、
こんな生き方を提唱してたよっていう風な感じで話してたので、
もうちょっとストア派の全体像みたいなものをお伝えしていきたいなと思っていますよと。
なるほど、ありがたいです。
じゃあさ、前回の130何回のストア派シリーズ聞いてなくても、
03:05
今回初めての方も大丈夫ですか?
忘れてるんだけど、大丈夫ですか?
もちろん大丈夫です。
ついていけないってことないよね。
全くないです。
安心しました。
なのでそこはご安心くださいという感じなんですけれども、
その中でもっていうのは、
ストア派ぐらいになってくると、
そもそもこれ自体が400年と500年ぐらいの歴史がある一派みたいな感じなんですよ。
このストア派自体がってことね。
ストア派自体が。
その長いんだ。
前回からソクラテス以前ですよって言って、紀元前700年のところから、
ソクラテスとかプラトンが生きた、
紀元前400年ぐらいのことを話してるんですけど、
それでも300年ぐらいなんだよね。
なるほどね。
700、600、500、400年ぐらいか。
ヘシオドスぐらいから考えるとってことね。
ヘシオドスぐらいから考えても400年ぐらいなんだけど、
それと同じぐらいの期間、
ストア派っていうのはある影響力を持ち続けるというか。
影響力、かなりメジャーではあったの?
当時かなりメジャーで。
それこそ一般人から皇帝ぐらいまで、
知識人、哲学者だけじゃなくて、
いろんな知識人がストア派っていうものを学んでいたとか、
それこそアリストテレスみたいな感じで、
当時の有力者の家庭教師の人がストア派だったみたいな。
だからソクラテス・プラトン・アリストテレスの流れがあったとして、
アリストテレスは何派なの?
アリストテレスはピリパトス派っていう別の派閥があるんだよね。
それはそれであるんだ。
当時他にもメガラ派とか、
ピュロンの正義主義とかっていろんなやつが実はあって、
それぞれがメジャーではあるみたいな感じなのかな、
こうやって名前が残っていることが。
それぞれが当時話題になったりとか、
結構広がっていったんだけど、
その中でもストア派っていうものが、
かなり長く続いていったっていうふうな感じかな。
そうなんだ。
哲学者の知名度というか、
イメージからすると、
アリストテレスの後こそが正当みたいなイメージを持っちゃうんだけれども、
意外とそれだけでもないって感じなんだね、そうすると。
そう、それだけでもないし、
ちょっとその辺の歴史みたいなところも、
もうちょっとまた僕もやりたいなと思ってるんだけど、
この辺の哲学っていっぱい断絶するんだよね。
断絶っていうのは、キリスト教が広がってくると、
いわゆる暗黒時代の話?
そうね、暗黒時代前夜みたいな話。
06:03
そこから中世に入ってくるんだけど、
さらにアリストテレスが哲学って、
もう一回東洋というか、
イスラム圏から再輸入されるみたいな感じで入ってくるんだよね。
西洋の社会に。
そういう場所はちなとあってもね。
歴史の方であると思うんですけど、
物体影響力を持ち続けたっていうよりは、
いっぱい途絶えるけど、またそれが再発見されて、
ルネッサンスはなんだっていう中で、
また盛り上がっていくみたいな感じなんですよね。
あー、なるほど。
その時に再発見されたのが、
ストア派よりもアリストテレス的な方だったとも言えると。
そうそう、プラトン・アリストテレスだったっていう。
ストア派自体はやっぱり、
もう一回盛り上がるってわけじゃないんだけれども、
それはカント、前やったと思うんですけど、
大哲学者ですよね。
とかもストア派の影響を受けてるじゃないか。
そういうふうに、やっぱり連綿続いてきたりするものでもあるっていう感じなんですよね。
なるほど、一回断絶してるから、
しかもね、たぶん残ってた資料だったり、
人だったり、現象だったり、いろいろたぶんまとめて、
再発見しつつ、また再統合みたいな感じで、
必ずしもストア派だけとか、アリストテレスの何とか派だけとか、
そういう感じでつながってったわけでもないのかもしれないね、今の話聞くと。
カントの中にも何とか派と何とか派と、
あとプラトンと誰々の影響もありみたいな、
そういう感じなのかもしれないね、今の話だけだとね。
そうだね、私、やっぱこのストア派っていうものっていうか、
ゼンの話をしたと思うんですけれども、
ゼンのディオゲインスの流れだけにあるかっていったらそんなことはなくて、
それこそプラトンとかアリストテレスも学んでただろうっていうふうに言われているし、
当然同じ時代に話題になっていた他の派閥のこととかも意識しながら、
自分たちっていうのはこういうものだっていうふうに言ってるわけなんだよね。
なるほど、となるとちょっとずれるかもしれないけれども、
ある意味仏教のブッダがいて、
その後細かく何とか派、何とか派みたいな、ちょっとずつ違かったと思うけど、
大元の目的だったりとか、世界観は一緒だけれども、
到達点は一緒だけれども、ちょっとずつやり方だったりとか、
何かの概念の認識の違いとか、そんな若干あっただろうねみたいな、
そんぐらいの感じでも差し支えはないのかな。もうちょっと対立してたのかな。
結構対立してる。対立っていうか、やっぱりギリシャに関しては大元はソクラテスなんだよね。
09:03
やっぱりよく生きるとか、人生っていうものを知性とか理性っていうものを使ってより良くしていくっていうのは、
思想自体がやっぱりソクラテスに結構あるから、もちろんその前のタレスとかもそうなんだけれども。
なので、ソクラテスのやってたことを広げようと思うときに、
プラトンみたいな人もいるし、ディオゲネスから、なんだゼノンみたいな人もいるっていう感じなので、
その宗教的な繋がりよりはもうちょっと緩いから、独立性はどんどん出てくるんだよね。
なるほど。そこはそうなんだね。
やっぱりソクラテスって人がいてとか、ブッダみたいな人がいてっていうところは近いかもしれないね。
なるほど。その影響力がある人がまずいたっていう意味ではってことね。
なるほど。いいね。さっき言ったけど、確かにどこか良きタイミングで、
そういう大きなくくりの哲学誌じゃないけどね、その繋がりみたいなものは一回聞いてみたい気もするね。
僕の力がそこに及ぶかどうか。
すごいこと言ってるからね。哲学誌を一回でまとめてくれみたいな。
ほら、哲学誌の本一冊読んでそれを紹介してくればいいから。
そんなさ、ちょっと目玉焼き作ってよみたいな。そんな簡単じゃないですよ。
違うのね。
でも違う。僕自身はそういう、何回も言ってますけど流れって面白いなって改めて思っているので、
もちろんそれぞれを一人一人取り上げるってこともあるし、全体像っていうところも今後のソクラテスラジオではお伝えする日だと思っているんですけれども、
改めてストア派の話ね。
ごめんごめん、ちょっとずれましたね。失礼しました。
ストア派のことを話していくにあたって、いろんなテーマがあるんだけれども、
今回はその認識論っていう話と倫理学っていうこの2つをメインで取り入れたいなというふうに思っておりますよ。
どういうことかっていうと、認識論って認識っていうぐらいなんで、
人間、個々人もそうだし、ある種人間という種族というか、そういった生き物が世界っていうものをどう認識している、あるいは理解しているかっていう話に関わるし、
倫理っていうのは1年前にストア派に入ったときは結構そっちの話がメインだと思うんですけど、
そういうふうな認識をした宇宙とか世界においてどう振る舞うのが良いのか。
さっき言ったようなスクラテスのよく生きる善っていう話を考えたときに、何が善なのっていう話が出てくるわけなんですよね。
12:02
なるほどね。はいはいはい。
そういう認識論みたいな抽象的なことと、倫理っていう現実的に生きるにはっていう話が2つ合わさって初めて、
ストア派ってどういう哲学の一派なのとか、どんなふうにこの世界とか宇宙を捉えてたのっていうことが理解できるであろうという、
むしろそれだけでは足りないんですけど、この2つを押さえてるとざっくり理解できるんじゃないかっていう話なんですよね。
はいはいはい。
なので今回はですね、もうちょっとその手前の全体像というのをお話しして、
次回認識論、その次倫理学みたいな感じで3回ぐらいやっていこうと思ってるんですけど、
さっきも言った通り、このゼノンのストア派っていうのは、ディオゲネス、ヒーター、スクラテスってところから受け継がれてるんですけれども、
根本にある発想としては、人間の自然というか本性みたいなものですよね。
本性っていうのは理性的な在り方のうちにあるんだっていうふうな発想なんですよと。
自然って言うと、いわゆるネイチャーって、いわゆる木々とかそういう自然っていう言葉もあるからちょっと難しいんだけど、
ここで言う自然っていうのは、いわゆる本来的な在り方とか、人間としての正しい姿みたいな感じで、
今日は自然っていう言葉を使っていくんですけど、
こういうとちょっと言い過ぎなんだけれども、あるいは理性こそが人間性だみたいな発想っていうのが、かなりストア派的な発想だっていう感じなんだよね。
なるほど。
ただそれだけで言うと、いわゆるプラトンとかアリスト・デレイスも似たようなことを言ってたらしいんですけれども、
ストア派が一つの派閥として徹底してるのは、その逆を排除するっていうか、理性こそが人間性だっていう逆。
理性的でないものは人間ではないっていう感じじゃないですか。逆っていうか裏か。
なので、それをストア派っていうのは結構排除してくるんですよね。
例えばデュオゲネスのときにもちょっとお話したと思うんですけど、
例えば財産だったりとか、外見的な美しさとか地位とか名誉みたいな話っていうのは、
全部真の幸福とは無関係だ。自分はそんなもんにはとられないぜっていうことをデュオゲネスは実践というか、
そういうふうに生きてたわけじゃないですか。もう家もないしみたいなね、昼の中で過ごしてて。
なんでかっていうと、財産とか地位とかって、結局は全部社会的な価値基準とか、
15:04
ポリス、アテネならアテネっていうところだけでしか通用しないような基準なわけなんで、
当然ところ変われば価値基準も変わる。痩せた人が美しいっていう世界もあれば、太った人こそ最高だみたいな世界もあったときに、
そういう基準で変わるものに、要は右往左往しているのって、いわゆる本性、要は人間の本来の姿じゃないっていうふうな話なんだよね。
うーん、理性的ではないっていうことなんだね、それは。
そうそうそう。そういう外部の基準にとらわれて、じゃあこっちでは痩せて、こっちでは太ってとかって、
あまりにも人間のありのものの姿じゃないじゃないですか。
うーん。
っていうと、それは理性をちゃんと働かせてないんだっていうふうな捉え方になってるんだよね。
ほうほうほう。
うん。それを突き詰めていくと、結局は必要最小限のもの以外は何も求めないというか、
うーん。
そう。あれもこれもじゃなくて、あれもこれも欲しいとかじゃなくて、あれもこれもいらないで、本当にそのものだけを大事に使えて生きていこうみたいな。
うーん。
そういう、まさにストア派のときにストイックっていう言葉がもともとストア派っていうのに由来するって話をしたと思うんですけど。
あー、そうだったね。はぁはぁはぁ。
そうそうそうそう。っていうストイックな生き方っていうのになっていきますっていう感じなんですよ。
なるほど、うんうんうん。
それは単純に何かをけちってるとかじゃなくて、それが理性的な生き方なんだ。そういう外部の基準じゃなくて、自分の基準に従って生きるっていうこと。
これが、これもちょっと前回言ったものだけど、自然に従って生きるって言葉がストア派にあるんだけど。
うーん。
自然っていうのは、いわゆる世の中の自然じゃなくて、いわゆる人間の本来のありのまもの姿で、それイコール理性を使った生き方に従って生きるっていうことが、この自然に従って生きるっていうストア派の信条に入ってくるんですよっていう感じなんだよね。
うーん、なるほど。ほうほうほう。
だから、これも言い過ぎかもしれないんだけれども、ある種理性でいいよねとか、やっぱり人間って知恵とか知識を使って生きていくもんだよねみたいな話は、もちろんそこですからそうなんだけど、すごくストア派的な考え方になっていくんですよというふうな感じなんだよね。
なるほどー。なかなか難しいというか、自然っていうもののレベルが高いよね。
はい。
ちゃんと勉強して理性身につけろよみたいな話でさ、結構理性ありだから、ある意味その教育がなされてない場合っていうのは、人間ではないと言われちゃうっていうね。
18:02
そうです。
難しいこと言ってるね。それが自然って表現してるっていうのも、なかなか厳しいね。アドル高いなっていう感じがする。
そうなんだよね。ストア派で言うと、まさにこえんきー言ってくれた通りで、生まれたばっかりの子供っていわゆるなんでもない存在というか、
まず魂についての話とかも、また今回次回でしてくるんだけど、魂っていわゆる白紙の状態で、要は何も理解できない状態なんだよね。
それが教育とかいろんな経験をしていくことで、いろんなものを理解できるようになる。しかもそれが正しく理解できるようになっていかなければならないみたいな感じになっていくんですよ。
だから結構やっぱり、まさにストイックというか、自分を鍛錬していく。
ディオゲネスも自分は今、修行をしているから鍛錬していて、正しい生き方に近づこうとしているなっていうふうな逸話をちょっと紹介したと思うんですけど、
そういうふうに常に自分を鍛え上げるとか、正しく理性的に生きられるように、日々これ修行みたいな生き方をしていくっていうのが、かなりストア派的な中なんですよっていうような感じなんだよね。
確かにそこを突き詰めるとストイックって言われてもしょうがないみたいな。
それこそアスリートとかもそうじゃない?アスリート全員がそうかわからないけど、やっぱり日々の生活も治癒の一瞬で力を吐きつけるために突き詰めていくとかさ、
つぶるものとか、睡眠時間とかも全部含めて設計していく。あるいはそれは自分の生活っていうものをスポーツとか勝負に対して理性的に制御していくって感じだと思うんだよね。
なるほど。確かに大谷がパスタに塩しかかけてないみたいなストイックというかどうかみたいなね。
でもそれ近いものがあるんじゃないかと思います。
なるほどなるほど。
しかもこれも厳しいのが、そういうふうに理性を働かせるのがいい、働かせないと悪いって話じゃないですか。
ストア派的に言うと、いわゆる善、良いことっていうのはある種正しい知識に基づくものなんだよね。
今の話でそうじゃないですか。正しく物事を捉えるとか知ってるからこそ良く生きられるって話なんだけど。
逆に言うと無知は悪なんですよ。
まあそうだよね。
知らないってこと自体は悪い生き方なので、我々は知らなきゃいけないんだっていうふうなことがストア派の根底に出てきます。
何をみたいな話とか言ってくるんですけど、もうちょっとゼノンの話を少しするんだけど。
21:04
そうしてたゼノンっていうのは、あの人が生まれたのが大体320、330年くらい。起源前320、330年くらいで、ちょうどディオゲネスとかアリステレスとかが亡くなったくらいなのかな。
はいはいはいはい。
亡くなる前後くらいで生まれていて、20歳くらいの時にアテネに来てるらしいんですよね。
また別のとこに生まれたんですけど、アテネに来て、30代くらいで自分のこのストア派っていう学派を卒業して、これが一大勢力になってくるんだけども、70歳くらいまで復興活動、教育活動をして生きていきますよ。
さっきも言った通り、ただただ自分の説を言ってるだけじゃなくて、当然その時のアテネにはいろんな人たちが、哲学の派閥も含めていらっしゃったんで、そういう人たちとも議論もしたりとか、最先端の学問とかにも触れて、自分の説は発展していったんじゃないかっていうふうな感じの人なんですよね。
なるほどなるほど。それこそ柱のストアだっけか。柱のとこにいっていろんな人と議論を重ねてと。
そう。とか、いろんな弟子というか生徒たちに教えてみたいな感じなんですけど。
はいはいはい。
だからこそさっきに兄貴も言ってくれたと思うんだけど、デュアルギニストは結構ある種奔放な生き方で、生き方イコール哲学みたいな感じの人だったと思うんだけど、それを受け継ぎながらも、ちゃんと補強していくとか体系化していくとか、他の一派に負けないようにちゃんと理論を構築していくみたいな。
そういうことをやったのが、この創始者伝の偉業だっていうふうな感じなんですよね。
はいはいはい。もともと、20代くらいまで自分でいろいろ考えて考えて考えて、後にソクラテス探しに行ったんだよね、確かね。
いや、違う。もともとはこいつも哲学者というよりは創人みたいな感じで流れ着いてきたらしいんだよね。
そうなの?
そうそう。で、前回の一話でもお話しした通りで、本屋でソクラテスかな、そういう本を読んで、こういう人たちにデュアルギニストはどうしたらって聞いたら、
フラテスとかがいるよって言われて、その人に声をかけましたみたいな、そういうふうなストーリーなんですよ。
そうなんだ。じゃあ、なるべく小さい頃から云々じゃなくて、たまたまその本屋で読んでた本がめっちゃいいわって紹介されたのがクラテスだったみたいな、そういう感じなのか?
ちょっとそれもね、本当かどうかもちろんあるし。
24:01
まあまあ、逸話としてはね。
そうなんですよね。だからまあ、いわゆるこうね、まあもちろんね、資料として残ってないからわかんないんだけど、なんかちっちゃい頃からね、そういうたとえばめちゃめちゃ本読んでてとか、
哲学的な興味があってとかっていうことは残ってないみたい。
はいはいはい。なるほどなるほど。
で、なんでそういう持論っていうところから始めたものが、いろいろ100年500年続いていきますよっていう話なんだけど、
もうちょっとね、さっき言った理性が大事だとか、その知識っていうのが善だみたいな話っていうところはわーっと話したんですけど、
もうちょっと踏み込んでストア派的な発想っていうところをお伝えしていくと、
その特徴っていうのは、この理性っていわゆるロゴスっていう言葉で表されるんだけど、
これはね、ちょっとロゴスってことがめちゃめちゃ厄介で、まあいろんな意味のロゴスがあるんでちょっとあれなんですけど、
そのストア派においては、いわゆる考えるとか、計画するとか話すみたいな、
そういう人間の能力をひっくるめてロゴスっていう風に言ってらしいんですよね。
うーん、そうなんだ。ほうほうほう。
うん。だからまあ、いわゆる理性といってよかろうという感じで理性って言ってるんだけど、
そういうロゴスに基づく宇宙っていうものが、その宇宙観の根幹にあるんですよ。
へー、そうなんだ。
ロゴスに基づく宇宙。
そういうことだ。
ちょっとわかんないでしょ。
わかんない、うん。
うん。で、これ何かっていう。
あ、なのでちょっとその、今から全然、皆さん、僕も兄貴も含めて皆さんが全然、
普段想像しないであろう宇宙の話をするんですよっていう風にちょっと聞いてほしいんですけど。
ストア派的な世界観でってことね。
ストア派的な世界観として。
はいはい。
どういうことかっていうと、この理性っていうのが大事だって話はずっとしてると思うんですけど、
この理性っていうのは、人間っていうものの特徴というだけなんじゃなくって、
宇宙っていう構造物、宇宙がものだっていう風にストア派は捉えるんだけど、
そのものを成り立たせているのも、この理性なんだっていう風に言ってるんですよね。
で、これはどうしてとかどうやってっていうのはちょっと一旦横に置いといて、
これ逆に言うと、宇宙ってのは理性で成り立っているから、
宇宙っていうものは理性というもので完全に説明することができて、
しかもその人間もやっぱり理性を持つので、
この宇宙の法則を理解して、その法則にのっとって生きるっていうことが、
すなわち人間の理性を最大限発揮している状態だっていう風なところに行き着くんですよね。
うーん、わからないけどそうなんだね。
ここは本当に論理的な話、要は宇宙がもし理性的なものだとしたら、
27:01
理性を使ったら理解できるじゃないですか。
あー、なるほど、その前提の上ではね。
そう、その前提の上では。
それが実際どういう状態かとかは一旦置いといて、
そうしたら、人間ってのは理性に基づく生き物なんだから、
その理性に基づくっていうのは、つまり宇宙の法則を理解することだっていう風に繋がりますっていう風な発想なんだよね。
そうね、言ってることはわかる、前提はわからないけど。
そうそうそうそう。
この前提とかはまた次回次回増えて伝えてくるんですけど、
この宇宙って何っていうと、これはストア派的にはイコール神みたいな話なんだよね。
へー、あーそうなんだ。
この世界っていうものはイコール神であり自然なんだ。
自然ってありのままにあるっていう話なんだけれども、
こういう自然とか神とか宇宙っていうものは理性でも作られてる、理性的なものだとしたら、
その法則を理解していきましょうとか、
その法則に従って調和して生きていくっていうことが、
ある種人間の最大限知性を発揮した姿だって、
さっき言ったときの繰り返しなんだけど、
それができる人こそがストア派的な賢者というか知者であって、
それを収めていくものが哲学っていう学問だっていう風な発想で、
我々ストア派っていうものは哲学っていうものをやっていきますよっていう風なビジョンというか、
そういうコンセプトを立てちゃうわけなんですよ。
ほうほうほうほう。
これまでってどっちかっていうと、
宇宙の原理を理解していこうとか、
よく生きるっていう風に、
ある種無知の知を超えて、
自分の知識を磨いていこうっていうところぐらいだったんだけど、
ストア派っていう人たちはそれを全部ひっくるめて、
宇宙っていうものも、神っていうものも理性だから、
それを理解していい生き方していこうぜっていう風に、
すると人間っていうものも、
同じものというか、
同じ構造を入れ込んじゃったんだよね。
なるほど。
ある意味、だから人間も自然である、宇宙である、
みたいな、どこまでいってるんだこれは。
いってる。
だから、人間が宇宙の外に立って、
万物が水だとか火だとかっていうのは無理で、
人間も宇宙の一部だし、
宇宙も人間とイコールになっていくから、
30:00
そういう風に、
お互いの関係性が変わった時に、
どんなことが言えますかっていう風な話に変わっていくんだよね。
なるほど。だから万物ゲームではないんだね。
そうそう、もう万物ゲームは一旦終わっちゃってるんですよ。
今から始まるゲームは、
宇宙の在り方と人間、自分の理性っていうものをどう調和させるかっていう、
調和ゲームになっていくんですよね。
調和だし、その前提として理解も必要だってことだよね。
理性的な。
自分、人間にしろ、あらゆる万物にしろ、
それを理性的に理解していくってことは必要だよねっていう話になるんだ。
そうそうそう。そうですそうです。
なんとなく今ゲームの具材はちょっと見えてきたかな。
うん、見えてきた。
だから完全に一つの、
完全密接のものを見つけるとかじゃなくて、
あ、面白いね。
ストイックな姿勢みたいな話をしてたけれども、
姿勢そのものの方にが規定されてる感じがするよね。
ゴールじゃなくて、
この在り方が規定されてる感じがした。
そうそうそう。まさにまさにそういう感じ。
だからこれが本源だとかじゃなくて、
こういうまさに在り方、生き方とか、
自分、魂の磨き込みをしていくと、
そういう智慧ある生き方ができますよっていう風な、
そういう風にやっぱり変わっちゃってるんだよね。
はいはいはい。
いわゆる今、
長和とか山崎兄貴が、
何が正しいかを見極めるって話をしてくれたんだけれども、
つまりそれって何が正しいこと、いわゆる真実なのかっていうことを、
ちゃんと見極めましょうって話になってくるんだけど、
これって、これまでの別の哲学者がやってきた、
真理そのものを発見するっていうことと全然違うんだよね。
でも真理、ただ一つの隠された真理を見るんじゃなくて、
いろんな出来事の中から、これは正しい、
これは正しくないとかっていうことを見極めていくっていう、
まさにそういう在り方とかスタンスとかに力点が移っていきますと。
そうだね。そこ、何か正解みたいなものを見つけるのがゴールじゃなくて、
手段みたいな感じだね、なんかね。
そうそうそうそう。
いわゆる正しいものとか真なるものっていうのが複数出てくるわけなんだよね、そうなると。
そうなると、正しいもの同士ってどう関係してるんですかとか、
正しいものと正しくないものっていうのってどうやって決まっていくんですかとか、
そっちがどんどん大事になっていくんですよ。
おー、確かに。
例えば、自分は調和してるとか、すごい宇宙の理性わかったって思っても、
33:05
他の人から見たら全然違うとかさ、
昨日は調和したけど今日は調和しないとかっていうことが起きうるわけなんだよね。
なので、誰から見ても調和してるとか、いつ前去っても調和し続けているって、
どうやったらできるのっていう、まさにそういう実践的な話っていうのが、
このスター派でいうとめちゃめちゃ大事になってきて、
それで、やっぱり正しいとは何かっていうのを認識する認識論と、
その正しいことを認識した上でよく生きるための倫理か、
この2つがめちゃめちゃ大事になってきますっていう話なんだよね。
確かにその二段構えっていうのもすごい納得はね。
確かにまず周りがどうなっているかというか、
世界がどうなっているかっていうのをまず把握しましょうっていうのは認識の話で。
世界がどうなっているかを認識する人間の能力とは何かっていうことまで目が向くんだけど。
そこで理性っていう話が出てきて、
その上で人間はどうすればいいんだろうねっていう意味での倫理の話。
まさにそういうことです。
すごい話をしてるし。
どうぞどうぞ。
そういう話だけど、これ難しいよね。
今回の話だけ聞くと、
例えばその世の中の自分じゃない、誰が作ったか知らない価値観に流されるな、
みたいな話ではあると思うんだけども、
そのカウンターに過ぎないのか、
本当にフラットな世界を見ているのかっていうのがまだわかんないよね。
ちょっとカウンターっぽい感じもするよね、若干。
あるし、両方あって、
ディオゲイズ自体がカウンターっぽかったじゃないですか、前回の話を聞くと。
そうだよね、金もいらない、名誉もいらない、家もいらないってさ、
ちょっと極端な逆バニーな感じもするもんね。
一方で、これもちょっと逸話として話したと思うんですけど、
いわゆるディオゲイズどこ出身ですかって聞かれて、
いや私はコスモポリタンだって言ってさ、国際人だとかって言ったって話があったときに、
ディオゲイズの観点からすると、そっちの方がむしろより広い価値観というか、
いわゆるアテのカウンターじゃなくて、むしろ我々の方が主流だっていう感じではあるんだよね。
なるほどね。
スタッフも何かのカウンターとしてあるんじゃなくて、
人間の理性に基づいて宇宙を捉えていくとか、生き方を定めていくと、
36:02
こうならざるを得ないじゃないかっていうことを考えてるつもりではあるんだけど。
となると、さっき自分の認識か、認識とは何かっていう部分まで、
それを認識するっていう作用も多分働くっていう意味で、
だからストア派のちゃんとスタンス、在り方みたいなものを徹底していると、
ものすごく事情作用みたいなものもあるってことだよね。
自分たちは単なるカウンターじゃないのか、これはとか、
ただ単に権威というか、メジャーへの反対だけじゃないのか、みたいな、
っていうようなこともちゃんと考えさせて、
じゃあ本当はどうなのか、そこを抜きにしたときに、
自然とは何かっていうとこを考えるような営みがちゃんと組み込まれてるって感じなのかな、スタンスが。
そうです、そうです。
やっぱりいわゆる内部批判というか、ストア派の中でもやっぱりこれは違うんじゃないかとか、
特定のやつは間違ってる、だからもっと乗り越えていこうっていう話も出てくるし、
このゼノンの次に中高の層みたいな人が出てきて、
これはプリュシッポスっていう人なんだけど、
この人は期限前200年ぐらいなので、ゼノンから低年ぐらいだったのかな、生まれでいうと。
この人がストア派でもより発展させた、みたいなことも言われてるぐらいなので、
単純にゼノンの教えがそのまま単純に受け継がれましたってだけじゃなくて、
ちゃんと変化して改善していって、体系化されていったっていうのがやっぱりストア派であるっていうのは、
本当に兄貴が言ってくれた通りなんだよね。
じゃあないと400年とか持たないのか、その事情作用とか、
ちゃんと発展していくみたいな。
変化していかないと。
なるほど。
だから固定化しない、やっぱり万物は水だとかって言われたら、やっぱり照明期限が短いわけをどうしても。
もちろんすごい発想なんだけど。
面白いけどね。
面白いし、着眼点はいいんだけどね。
やっぱり自然に従って生きよう、理性を正しく使おうという時に、
理性とは何か、正しいとは何か、生きるとは何かっていうのがやっぱり変わっていくから、
それをちゃんと踏まえてアップデートしていくっていうのがあったんだろうなと。
確かに今兄貴が言ってくれてる僕も思ったんだよね。
なるほど。でも面白いね、確かに。
変わらないために変わり続ける姿勢みたいなものがちゃんと内載されてるみたいな、僕はちょっと分かった気がして。
39:02
その凄みみたいなものは感じてきた。
確かに、そうなんです。
やっぱりより哲学っぽくなるというか、認識論がとかって言うと、いわゆるアカデミックっぽくなるんだけど、
あくまでも彼らをよく生きるっていうことをやりたくって、
そのために、いわゆるデジタルゲインスというのは天才的な、何でもできる人だけじゃない、
いろんな人にちゃんとそれをやってもらうと思った時に、
我々をこう認識するのがいいんだとか、
こっちが正しいからそれを修練していくと身に付けられるんだっていうようなことを、
ちゃんと実践的に教えてあげるようにしたっていうのが大事なところなんですよね。
なるほど。
なので、次回ですね、まさにこのいわゆる認識の部分。
これもやっぱり今から見るとちょっと、もちろん古いなとか、そのまま受け入れられないっていうのはもちろんそうなんだけど。
そうなの?
だってそもそもの、やっぱり宇宙は理性的な構築物だっていうのも、やっぱりちょっと受け入れにくいじゃない?普通に考えれば。
受け入れにくいというか、意味がわからないって感じかな。
どういうことってなるよね。
そうね。説明してもらえば何となくわかる気もするかもしれないという話だけど。
逆に言うと何も言ってないかもしれないもんね、その言葉でしたら。
なるほどね。確かに確かに。
その奥に何があるのっていう話も含めて、次回ですね、認識論っていうところをまさに扱っていくことで、
あり方調和ゲームみたいなところと、次の話っていうのはもう少し詳しく皆さんで一緒に深めていけたら嬉しいなと思ってますっていう感じですね。
分かりました。
ソクラテスとか、特にディオディネスが与えた影響がうまく結晶化したというかね、そういう嬉しさもあるね。
ディオディネスがただ生きて、ただ死にました。以上だと確かに可哀想すぎるしね。
すごい面白い人がいたり終わっちゃうから。
そうそう、ちょっと奇抜な天才がいましたら終わっちゃうけど、それは受け継いで、天才さん、人がいるからこうやって残っていくって、歴史ってやっぱ面白いですよね。
ディオディネスをどう解釈するのかっていうのをちゃんとやった人がいたからこうなったんだなっていうね、ちょっと喜びがあるね。
危なかった。このままバッツエンドというか、哀愁たわうという感じで終わらなくてよかったね。
ディオディネスに感情を引き寄せるとね。
そうそうそうそう。
それがね、本当に四五百年続いて、今でもやっぱりストア派っていうものが生き残っているっていうのは本当そういうことですね。
42:01
では次回ですね、またぜひ、また固い話は出てくるかなとは思うんですけれども、ちょっとそこをね、気味ごたえ的なところも含めてまた改めて一緒に楽しんでいければと思っております。
はい、分かりました。では次回、ストア派ですね、より深く楽しんでいきたいというところで、次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
42:33

コメント

スクロール