1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #219【番外編】ミーニング「オ..
2024-06-02 1:02:13

#219【番外編】ミーニング「オブ」ライフ?それとも「イン」ライフ?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:11
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回でホワイトヘッド編終了ということで、今回はなんか番外編的な感じで、なんかハヤトが最近こう、いろいろ見て思ったことを話してくれるみたいな、そんな感じでしたよね。
そうですね。これまでバタイユとかケゴン教とかホワイトヘッドっていうのをちょっと続けてやってきて、
で、もともとホワイトヘッドはケゴン教っていうのがちょっと近いところがあるかもっていうところから話しましたっていうところをお伝えしたと思うんですけど、
とはいえ、たぶん兄貴も聞いてて思ったと思うんですけど、それぞれは確かに面白いかもしれないけど、結局それって何の意味があるというか、
なんでそんなことやってんのっていうことってあるんじゃないかと思うんですよね。
まあ、思ったかな。それぞれはね、それぞれ楽しんで、たぶんそれぞれ忘れてってるような気もするけど。
そうそうそう。なのでちょっとそういう意味では、僕自身の興味関心で選ばせていただいたっていうところもあるので、
結局その時々ね、ファンのハヤトっていう人間が結局何を思ってそんな人たちをやってんのっていうのをちょっと話したいなっていうのを、
逆にこれは僕はやりたいなと思ったんですよ。
はいはい。そりゃでも嬉しいから。毎回さ、特に最初の頃ってさ、お勉強みたいになるから、ハヤトがなんで選んだかとか、そういうのも聞きたいなって話してたもんね。
そうだと思います。
思いますよ。スコア合わせて。
いや、当時は逆に言うと、ちゃんとスクラテスから順をってやらなきゃみたいな感覚があったから、
やっぱじゃあプラトンやったらアリス・テリスでしょみたいな感じで順を、時代をなんとなく現代に近づくようにやってたんだけれども、
いきなりバター・ユイやって、これダメだって思ったからね。
そうそう、ダメだって思ったからね。やるなら、やっぱちょっと僕も真面目だからさ、やるならちゃんとやらなきゃみたいな感覚があって、
カントとか全然わからないし、興味もないけどとりあえずやるみたいな、最後やっぱあったわけなんですよね。
もう自分で真面目って言ってるけど、そうなんだね。
自分で真面目だと思います。よく言われながら。
ただ今年に入ってからテーマ切りとかさ、あるいは時代とか関係なくいろいろやってるっていう中で、
改めてなんでそれに興味あるのかっていう、内省をするようなタイミングでもあるんだよね。
その本を選んでる時とかテーマを選んでる時って。
なるほど、そっかそっか。前まではソクラテスから始めて、ある程度時代の流れだったりとか、
03:01
だいぶ本流みたいな人を、西洋・東洋の順番でタイトナリウムをやってくれてたのか、ちゃんと。
そうそうそうです。
ごめんなさい。次誰だろうなーとかって聞いてたんだけど。
そうですそうです。
画面さんがある程度位置順、位置順ってまだまだいるだろうけど、ある程度大きなところは位置順してる感じかな。
それなりにね。
なので、ある程度自分が好き勝手を選んでるって感じなんだけど、
好き勝手って何?っていうのが、もしかしたらあったほうが、
あ、だからこういう人たちを選んでるんだとか、こういう人たちのテーマになるんだなっていうところが、
共有できて、皆さんも受け取りやすくなるというか、
自分の中でも、自分の興味関心とかと接続しやすくなるんじゃないかっていうのをちょっと思ったんですよね。
へー、なるほど。そんなこと考えてくれてた。
そう、実は。
私にやったら、やっぱり基本教もホワイトヘッドは難しかったじゃないですか。
難しかった。
難しかったと思うんで、なのでやっぱり自分の中でもちょっと改めて整理して、
それをやったことが自分の何につながってるんだろうなとか、
どういう興味関心にちゃんと紐付いたんだろうなっていうところを整理したくて。
ああ、なるほど。確かに基本教もさ、ホワイトヘッドもさ、
結局最終的には身体的理解せよ、悟れみたいな感じに近いからさ。
難しいよね。
そうね。頭だけじゃなくてね。
腹落ち感が難しいっていう。
そうなんです。なので、そういう意味でもやっぱりお勉強みたいな感じよりも、
こういうちょっと生っぽい話もしながらやったほうが馴染むというか、
皆さん中にもじわじわ浸透していくんじゃないかっていうね。
そういうことを思って、直接基本教とかホワイトヘッドの話をするわけじゃないんだけど、
改めてカンナ・ハヤトっていう人が何でこれやってんのみたいな話を
ちょっとさせていただきたいなと思っている回を、
すいません、すごい英語の回なんですけど、やらせていただきたいという。
誰得的な話だね。
誰得的な話だけど、さんの得、自分得ですね。
ですよと。
なのでちょっとね、それはばーっとちょっと喋らせていただくんだけど、
もともとちょっと1年前くらいかなに、
何について話しますみたいな回をやったのかなんとなく覚えてますかね。
百回記念とかでやったんだっけ。
一年記念かな、一周年記念とかで多分。
それこそ当時は、自分のことなんかよりも、
手崎さんのことをちゃんと伝えるのが大事だった。
もちろん今でもそうなんだけど、
当時はより固くないと思っていて、
06:01
自分の話をするなんて恐れるごいっていう時あったんだけれども、
ちょっと1年経ったんで少しだけ自分の話をさせてくださいって言ってもたしか話したんですよね。
僕がこの哲学をずっとやってるとか、
この哲学、それでスラッジをやってるっていうのも、
結局は、自分が生きている意味ってなんだっけっていうところを常に持ってるというか、
それにとらわれ続けてるからこういうことをやってるんですよねって思ってるんだよね。
そうなんだ、ほうほうほう。
多分それは中学校ぐらいから思っていて、
なんで生きてるんだろうなみたいな。
思っていると、前もちょっと話したと思うんですけど、
中学生ぐらいの時は割と自分は生きてる価値はないみたいな、
死んだ方がマシだってずっと思ってて。
むしろそっち側なんだね。
むしろそっち側で、
生きてる価値がないなら死ぬしかない。
死んで当然だと思ってて、
いろいろ自殺の方法とか考えたんだけど、
実行できなかったから、生きるかって思って生きてたみたいな感じだったんで。
痛い子だよな。
痛い子、完全に痛い子はそうなんで。
でも思春期だとあるよね、そういうこともね。
でも別にいじめられてたとかさ、そういうのではないよね。
ないね、ない。
もう自分の性質として考えが違ったってことでしょ。
自分の人生として自分を追いやる人間だったっていうだけなんだよね。
ただただ自分で自分を追いやってる、そんな感じだったんですけど。
その中で仕事をしながらもちょっと考えたって話なんだけど、
最近その面白い、人生の意味の哲学みたいなことが結構哲学の領域として盛り上がってきていて、
そういう本もあるんですけど、
ここで面白い区別だなと思ったのが、
いわゆる人生の意味と生きている意味、
英語で言うとmeaning of life。
それが人生の意味で、
あとはそのmeaning in lifeっていう、
そのofとinの違いなんだけど、
これを分けて考えるといいよねっていう話があったんだよね。
そこから出てくる議論は僕はあんまり共感しないというか、
ちょっと微妙だと思ってるんだけど、
分けて考えてて面白くて、
要はそのmeaning of lifeとか人生の意味とかって言われると、
一生かけて成し遂げるとか、
これをやり切ったら偉いみたいな感じになるじゃないですか。
確かに。
ゼロ歳から死ぬまでの積み重ね積み重ね、
人生の意味みたいな思い出の中で。
人生が一冊の本だとかってあると思うんだけど、
09:02
それがすごくいい本になっていることが大事だみたいな。
そういった結果論だし、
外の目が入るじゃないですか。
外の軸とか外部の基準からして、
自分の人生に意味があったのかみたいな感じになるなっていうのがあったんですよね。
だってニーチェとかだって200年ぐらい経ってからすげえって言われてるんですよ。
そうそう。
だからそれを、
ニーチェが生きている間には人生意味がなかったと言えるのかとかって話になるし、
逆にmeaning in lifeっていうと、
これは僕の勝手な解釈なんだけど、
生きていることにおいての意味みたいな感じでいくと、
要はプロセス、結果じゃなくてプロセスで、
要は今生きていて充実しているとか豊かなとか、
そういうことがやっぱ大事になりますよね。
そうするとこれって外部の目ももちろんあるんだけど、
それよりも自分の目だよね。
要は他の人からしたらつまんない人生って言われるかもしれないけど、
自分はとても幸せである、だったらそれでOKみたいな。
っていう風に、
人生の意味とか生きている意味とかっていう言葉って、
ふわっと扱いがちなんだけど、
そのmeaning of lifeとmeaning in lifeって分けた時に、
そういう区別できるんだって思ったんだよね。
なるほど。確かにそこ混同してるかもしれないもんね。
そうそうそう。そうなんだよね。
だから、よくある人は、そんなブーツらしいのかとか、
今はいいかもしれないけど、
そんなんじゃおじいちゃんになったら後悔しようとかってやる時に、
そこってどっちが本当に大事なの?みたいな議論もあんまりなかったりするし、
逆によくあるおとぎ話じゃないけど言われがちなのが、
すごい厄介く働いてる人が何のために働いてるの?って言われて、
将来ビーチでゆっくりして何もせずに働くためですとか、
何もせずに過ごすためですとかって言って、
その問いかけた人が、私は今それやってますとかっていう話があるんだけど、
要は未来のために頑張るってもちろん大事なんだけど、
結局やりたいことがあるんだったら、今やらないってのは何でなの?
っていうのがやっぱり問いが出てきたりするわけだよね。
これもミーニング・オブ・ライフっていう、将来に先送りした話と、
ミーニング・イン・ライフって今ここみたいな話の違いだなって思っているんだけど、
それを考える前提の世界観とか価値観っていうのがあると思うので、
はい、なるほど。さらにね。
さらにね。ここが僕は結構仏教的とか東洋的なんですよ、やっぱり。
12:02
あと、早いと個人の感覚が。
早いと個人が、うん。
はいはいはい。
これは人によって様々だと思うんだけど、僕個人としては、
やっぱり仏教で言われる3つあるんですけど、
諸行無常、諸法無我、一切退屈っていうのがあるんですよね。
これもブッダの時とかにあったと思うんですけど、
諸行無常はまさに、いわゆるこの世は無常であると、いわゆる変化し続けてるんだって話ですよね。
うんうんうん。
で、諸法無我っていうのは、本体とかそれ自体がいわゆる全ては空だっていう話。
はいはいはい。
で、一切退屈っていうのは、
屈っていうと苦しみで、全てのものは苦しみだとかっていうふうに仮名自作されたりするんだけど、
うん。
これ実は違って、もともとの言葉で言うとドゥッカっていう言葉なんですよ。
屈っていうのはね。
ふんふんふんふん。
で、ドゥッカっていうのは思い通りにならないってことで、
へー、あ、そうなんだ。
そう。あらゆることは思い通りになりませんっていう話なんだよね。
へー、あ、そうなんだ。
それ苦しいと、原文があの方なんだ。
中国で訳すときに屈っていうふうに訳されちゃうんだよね。
それが日本に伝わって、苦しみっていう言葉になっちゃってるんだ。
なので、この世は変化し続けるし、本体とか変わらないものなんてないし、
全ては思い通りになりませんっていうのが、仏教の教えというか、大前提なんだよね。
ふんふんふんふん。
結構これを割とそらそうだよねっていうか、
確かに結構納得しちゃってる部分があって。
ほうほうほう。
確かに全て変化し続ける。
それは僕がこの世のポンポンってなんだろうっていうのを考えたときに、
そういうのを考えた時期があったんですけど、
結局、分子画とか原子画とかビッグバンガーとかって思ったんだけど、
何かが変化するってことがないと、この世界っていうのは生まれなかったよなって思った時があって。
はいはいはいはい。
つまりそれは、やっぱり変化っていうのがこの世界の根本で、
変化するっていうのはつまり、何かと何かが関係するってことなんだよね。
ふんふんふんふん。
つまり一個のものが不動のものとかそれ自体のものとしてあると、何も変わらないわけで。
ふんふんふんふん。
何かと何かがあってそれが関係するから変化があるっていうと、
これ前回の話でホワイトヘッドとかもそうなんだけど、
関係っていうものがすごいこの世界とかこの宇宙のあり方の根源的なものなんだっていうふうに思っていますよと。
はいはいはいはい。
っていうふうな話があるし、
あとは諸法無我っていう本体がないっていう話でいくと、
これって要は諸法無我の我って我じゃないですか。
15:01
だからよく仏教とかも言うんだけども、
私がないとか、私っていうものはそもそも存在しませんっていう話をするじゃない。
ふんふんふん。
でもこれもちょっとホワイトヘッドというか経験論的に言うと、
でも私ってあるようにしか思えないわけだよね。
ふんふんふんふん。
普通に生きていると。
ここで話しているカンノハイトっていう私と、
カンノキョウスケっていう私がそれぞれ2つの私があるとしか思えない。
ふん。
っていうときに、やっぱりそれが核心として私があるっていうことと、
でも本体はないんだってことのやっぱり矛盾というか、
これってどうやったら両立するのっていう感覚があります。
はいはい、まあそうだね。そこは確かにうまくわからない。
経験的に理解しづらそう。
そうそうそうそう。
これも実は私っていうものが独立してあるんじゃなくって、
他の人とか他のものとの関係において私というものが立ち現れてくるっていうふうに思うと、
そんなに違和感がなくなるというか。
うーん、そうなんだ。ほうほう。
要は自分というものが独立して存在しているんじゃなくって、
やっぱりいろんな人との関係においていろんな自分がいるでいいじゃないかと。
要は父親としての自分もいるし、会社員としての自分もいるし、
友人としての自分もいるしっていうのが当たり前で。
あー、はーはーはー。なるほど。
そうそうそう。だから唯一の感のハイドという純正の存在とかってものを想定する必要がない。
なるほどね。感のハイドの本質は何か、この世界は何でできているかと同じことになっちゃう。
そうそうそう。同じことになっちゃうから。
はいはいはいはい。
それがまさにホワイトヘッドが言うところの具体性を置き違える語尾みたいな感じで、
本当の私とかっていうのは想定すること自体が間違ってるというか。
なるほど。そう考えると確かに無我だね。
そうそう無我なんだよね。でも別に自分がいなくなるわけじゃない。
うんうん。その時々の関係性においていろんな自分が世の中に出てくるというか、
そういう関係性が出てくるって話で、なるほど、解釈すればね。
そうなんですそうなんです。で、いくとそういうふうな変化とかがある世の中で、
そういうふうにその時々の自分が生まれてくると、それは思い通りにならんよねと。
うんうん。
でも別に世界は自分が中心にあるわけでもないし、
やっぱり思い通りっていうことは要は自分の中に理想というか、あるべきってものがあって、
うんうんうん。
世界がそれに従うべきっていうふうな発想じゃないですか。思い通りになるっていうのは。
確かにね。関係で、関係したときに初めてパーって浮かび上がってくるもので、
そうそうそうそう。
それを後から認識するだけなのに、それが関係して出てくる前にこういうふうに出てくればいいなっていうのは、
18:02
この世の、わかんないよ。
うん。
ま、あの、ちょっと違いそうだぞって話だよね。
あ、そうそう。ある種、絶対君主とかさやは他の人間を従わせて思い通りになれっていうのと同じような感じになっちゃう。
うんうんうん。
関係っていうのを無視して全ては、チームは国家なりじゃないけど、そういう意味での言葉ではないとは思うんだけど、
うんうんうん。
やっぱり自分が世界だって思っちゃうと、やっぱり歪んじゃうよねっていうふうな話だと思うんだよね。
はいはいはい。
うん。なのでちょっと今バーっていろいろ喋っちゃったんだけれども、
そういうふうな全ては変化するし、自分の本体もないし、思い通りにならないんだけど、
それでも生きてる中には豊かさとか素早さとか意味を見出せるよねっていうふうな自然観というか価値観で今生きてるんだよね。
はいはい。
あー、そうなんだね。
うん。自分が生きてる時に、それをある種補足してくれるとか、そういうふうな価値観にフィットする哲学っていうのがあんまなかったのよ。
それまで出会えてなかったんだよね。
えー、あ、そうなんだ。
うん。これまで。
そこに実はホワイトヘッドの哲学とか、基本教全部結構スッと這い回ってくれたような感覚があって、
はいはいはいはい。
うん。つまり、世界とか人間っていうものが個々独立のものがあって、それは後から関係するんじゃなくって、
そもそも関係の場みたいなものがあって、その中に現れてくるのが僕ら人間であり世の中であり、世界なんですよっていうふうなのは、
すごい自分の価値観にフィットしたんだよね。
うーん、なるほど。
うん。フィットしたっていうか、そういうのを読んで、また自分の価値観がブラッシュアップされて、
っていうふうに多分、それもまさに相互作用したと思うんだけど、
うんうんうんうん。
そんな感じが、ここ半年ぐらいであったので、やっぱりそういうのを取り上げたいとか、そういうことをもうちょっと深くやりたいと思って、
今回テーマとして選ばせていただいたっていうのがありましたと。
なるほどなるほど。確かにそうだよね。
はいとか言ったらさ、例えば、諸行無常、諸法無我、あと、
一切皆喰だね。
一切皆喰。
うん。
ですよ、だけだと、宗教じゃん。
まあね、宗教。
まあ基本教も宗教ではあるけど、
うん。
多分、それである程度フワフワとさ、この漢字かもっていうのとさ、
基本教である程度宗教内ではあるけど、ロジックでガチっと説明してくれてるとか、
うん。
似たようなことを西洋の方の人が、また違った部分から話してるっていうのは、
多分その、昔はね、やっぱり理解しようとしてる側、
身体的に理解してるかしてないかを狭間にいるというか、
21:01
ああっていう、それにとってはやっぱ重要なことだもんね。
それをちゃんと言語化していくとか。
そうそうそうそう。
やっぱり相対化したくって言ってもさ、僕らも30何年間生きてて、
やっぱりこう、いわゆる自己実現をしましょうとかさ、
自分を大事にしましょうって、やっぱり自分中心の世界で生きるようになりきってるっていうか、
それしか知らないわけだよね。
だからそれを否定する必要はないけれど、
やっぱり相対化して、そうじゃない考え方とかでも、
これだけ世界のことを豊かに説明できるんだよとか、
これだけ考えた人がいて、その人の考えっていうのはこんなに素晴らしいんだよ、
分かったときに、それってすごく自分に心地いいなって思えたんだよね。
はいはいはい。
なので、仏教とかホワイトヘッドみたいなところが好きですって話になるんだけども、
福澤兄貴も言ってくれた3つがあったと思うんだけど、
実はここに一つ書いてないのが仏教でね、
書いてないのが涅槃寂静っていうことなんですよね。
そうなんだ。
涅槃寂静っていうのは、いわゆるそういうふうにすべては移り変わるし、
本体もないし、思い通りになんないんだけど、
それを全部乗り越えて穏やかな境地に生きれますよっていうのが涅槃寂静っていう話なんだよね。
悟ろうねっていう話?
悟ったらそういう感覚になるよってことかな。
はいはいはい。
そういうふうに生きていけるよっていうのが、いわゆる穏やかに物事に囚われずに生きていけるよっていう話。
そういった煩悩みたいなものに惑わされそうね。
惑わされそう。
面白いのはっていうか、僕もちょっと勘違いしたのが、
そこからスーパー人間になって、あらゆる欲求を全部手放せるみたいなふうに思ってたんだよね。
前回、けごん教の後に仏陀の話とかしたと思うんですけど、
やっぱり別に悟ったらといって、食欲がなくなりますかってなくなるわけじゃないんだよね。
要は別に食べるし、眠るし。
性欲はちょっとダメだよっていう感じで、それは追いやられるんだけど、
やっぱり別に悟ったかといって、不眠不休で動ける超人になりますってわけではないですと。
はいはいはい。
これといわゆる仙人みたいな発想があって、仙人って霞を送って生きるみたいな感覚ってあるじゃん、イメージとして。
聞いたことあるよね。
そうそうそう。そういうイメージと合わさって、何となく凌反とか悟ったら超人みたいになって、人間を超えるみたいな発想になっちゃってたんだけど、
やっぱり全然そうじゃないと。
24:01
はいはいはい。
要は、食べるんだけどそれに執着しないとか、食べるってことに囚われてないっていうふうなことなんですよねって思ったんだよね。
で、これがいわゆる手放すとかさ、最近そういう言い訳ってあると思うんだけど、いわゆる囚われずに手放して今ここに生きるみたいな話だったときに、
じゃあここまできてやっと僕の中で、最初に言うとさ、私が生きてる意味とかって言ったじゃないですか。
うんうんうん。
そう。それがもう一段深まって。
ほうほう。あ、そうなんだ。
そう。そう深まって。
そういう物事に囚われないけど、ちゃんと欲求はあるというか、別にそれはもう人間としてもしょうがない性質だから、
っていう中で生きていくって、どうやっていくんだとか、そうやって生きる意味はどこにあるんだっけっていうふうなことを最近は思ってるんだよね。
おお、なんかすごい難しい感じだな。
そう、ちょっと難しいかもしれないですけど、要は目標とか欲求っていうのはやっぱり一定あった方がいいと思ってる。現実を生きる上でね。
うんうんうん。
で、まあ逆にさっきの仏教的な考え方で言うと、その欲求に囚われちゃうとやっぱりいろんなことが思い通りにならなくて苦しいとか。
ああ、はいはいはい。
そう、例えばご飯食べたいっていうのは別にいいんだけど、例えばこんな豪華なディナーを食べたいとか、それもいいんだけどそれに囚われて、
じゃあ今日のご飯は貧相だから今日の1日は最悪の日だとか、
うんうんうんうん。
うん、なんか本当はあのご飯を食べたかったのに、今日は違うご飯しか食べれないから自分は惨めだとかって思うと、もうなんだろうな、狂っちゃうというか間違っちゃうみたいな。
うんうんうん。
でもやっぱりめちゃめちゃ君一人なんだよね。
なるほど、はいはいはい。
執着とかちょっとそうだな。
うん。
確かにそこに振り回されてる感あるもんね。
そう、振り回されちゃう。
で、いう風になるんで、やっぱりその、なんだろうね、人として当たり前の欲求とかを持ちつつとか、
やっぱりこう、それこそね、やっぱあるじゃん、ちやほやされたいとか、じゃあ認められたいとかっていう欲求があるときに、それにも例えば囚われない。
うんうんうん。
とかっていうことって、できるんだっけとか、やろうとしたらどんな風になるんだっけっていうことは結構今自分が、割と実践的に今試してることなんだよね。
ああ、そうなんだ。確かにそうだよね。仏教にしろ何にしろ、やっぱりそういうのと極めるとちょっと製品とかさ、無意欲とか、
ああ、そうね。
なんかほんと手放しすぎるような感覚になるもんね。
そうそうそうなんだよね。全部与えなさいみたいな。
難しいけどさ、やっぱり豪華なものを食べちゃダメだとかさ、ちやほやされちゃダメだとかさ、ちょっと二言論っぽいじゃん、でもそれ。
27:05
二言論っぽい。
そういうものでもないよねっていう話だね、ハエとしてはね。
そうだね、そうですそうです。
一言論チックな場所あるんじゃないのっていう話だよね。
あ、そうそうそうそう。で、実はね、古代インドの方はむしろそっちなんだよね。
あ、そうなの?
そう。仏教の前のインドの方は全然贅沢も別にしていいですと。やりすぎはダメとか。
ほうほうほうほう。
うん。それにとらわれちゃダメって話があったりとか。
あともう一個言わせたんだけど、実はウパリンシャトウとかインドの方だと、
実は諸行は無常じゃなくて、やっぱり一個普遍の神のようなものがいるっていうのがインドの考え方なんだよね。
はいはいはい。
それがまさにブラフマンとかって言われるものなんだけど、結構ここは面白くって、
ブラフマンだけは普遍で、他のものは全部ブラフマンが展示した姿だっていう風なインドの考え方と、
いや、そんなブラフマンみたいなものすらなくて、全部は無常だ、変化し続けるんだっていう風に考える仏教とで、
やっぱり似てるんだけど全然違うとかなんだろうな。やっぱりそこから出てる置きどころが変わってくるんだけど。
その比較も面白そう。古代屋だけはだいぶ忘れてるからな。
そうそうそう。僕は今その両方を見てて、どっちがより自分に合うんだろうなって話してるっていうのがあるんだけど、
やっぱり唯一の神みたいな、神じゃなきゃいいんだけど、そういう普遍のものがあるっていう方が安心するのか、
やっぱり安心じゃ何もありません。空ですべては本体がありませんとかって言われちゃうと、
それはそれで置きどころがなくなって不安になる気持ちがあるんだよね。
でも今、どっちが自分に馴染むかっていうことを試してるんですけど、
こんなことをしてる中で、さっき変化っていう話をしたじゃないですか。変化は関係だっていう話もしたと思うんですけど、
僕らが普段生きてる中で、人と人との関係ってすごい大事じゃないですか、前提っぽく言っちゃったんだけど。
でも大事っていうか避けられないよね、そもそもね。
避けられない、避けられない。僕、昔避けられると思ったんだよね。
ああ、そうなんだ。
避けたほうがいい。それこそ悟りもそう思うんだけど、修行して山奥に入って、人との関係を立つことが修行だみたいな、そういうイメージってあるじゃないですか。
あるある。
僕も人と関わると揺らぎが生じるし、自分っていうものが確固たるものじゃなくなるから、人との関わりを立ったほうがいいんじゃないかって思ってたのが、まさに中古時代なんですよね。
30:12
なるほど。
痛い少年時代なわけですよ。
でも逆にそうやって閉ざされてるし、世界が限定的だからこそできる施行なんだろうな、実験ではあるよね。
ある種、田舎の中学校とかで人も少なかったからあるんだけど。
昔はそれがいいと思ったし、それはできると思ってたんだけれども、前もちょっと似たと思うんだけど、
やっぱりひまわりや山奥で悟った人が、本当に町に来ても悟ったものを言えるかどうかって違うねみたいな話とか。
ほうほうほう。
本当だ。一個面白い研究があって、ご存知の方もいるかもしれないですけど、ハーバード大学ってあるじゃないですか。
ハーバード大学はご存知です。
ハーバード大学、ご存知ですか。
そこじゃないね。
ハーバード大学はご存知だと思うんですけど、そこの研究で、
84年とか5年ぐらい、いわゆる人を追跡調査して、
2世代、3世代とかで、
経験的に、幸せについて計測し続けるみたいな、そういう研究があるんですよ。
80年ぐらい、その人の幸福度、子供とか孫の幸福度を測るみたいな調査があるんだけど。
研究者側も2世代とかで。
そうそう、そんな感じ。プログラマがどんどん浮いててね。
受け継がれてやってるんだけど、それでやっぱり出てきたのが、幸せな人生のために必要な要素っていうのは、
良い人間関係だみたいな。
ふーん。
これだけが唯一、ちゃんと優位で出てきたみたいな感じだったんだよね。
へー、そうなんだ。それは面白いね。
そう、だったと思う。一応僕も本読んだんだけど、ごめん、これだけだって言い切って、
よかったらあれなんですけど。
でもやっぱり良い人間関係だって話があって、ただその良いっていうのは結構ミソで、
良さっていうのはやっぱり人によるんだよね。
わー、確かに。
例えば、よく人間も外交型、内交型みたいなのがあって、
パーティーに行ってテンション上がる人もいれば、家でじっくり、
少人数の人とは語る方が好きっていうのってあると思うんだけど、
その人の態度とかによって、良い人間関係っていうのは変わります。
はいはいはい。
変わるんだけど、いずれにしてはやっぱり、自分にとって良い人間関係とか、
自分を豊かにする関係っていうのがある人の方が、やっぱり幸せになってるっていうふうな実験結果らしいんだよね。
なるほど。そこは主観ではあるなっていう話だね。
33:00
そうそうそう。主観であるが。
これって全部繋がってて、関係において自分が生まれてくるとかってもそうだし、
やっぱり変化するじゃないですか、物事って。
変化するから、やっぱり自分一人で何か岩にしがみついて、自分の幸福だってやってても、
結局世界とかが、世の中が変われるわけで、自分の幸福が変わっちゃうとかって絶対起きちゃうと思うんだよね。
うんうんうん。
それから変化の中でも、やっぱり良い人間関係というか、良い人間だけじゃないよね。
もしかしたら産業とか家とかも含めたと思うんだけど、産業を築いていくってことが、
やっぱり長期的に見たときに自分を幸せにするとか豊かにする。
自分の生きてる意味っていうものを、より広げてくれるんじゃないかってことだと思うんだよね。
はいはいはい。
結構僕は今、関係主義みたいな感じの生き方になってるんだけど、
だからこそそういう関係性とか、そういう個々独立のものじゃなくて、それが繋がってるっていう世界観にめちゃめちゃ今共感をします。
なるほど。それを人間関係もその一つだよねと理解するってことだね。
そうそうそう。そうなんですそうなんです。
やっぱり、逆に言うと、良い人間関係が悪くなることもあるし、
良い人間関係だと思ってるところは、例えば会社で良い人間関係を築いていたんだけど、
会社が倒産したらその関係性がなくなっちゃったってことも当然あるわけだよね。
どうやって考えると、この生き方ってすごく実は難しいというか、
要はプロセスを常にチューニングし続けなきゃいけないから、一個のものを作ったらはいおしまいじゃないんだよね。
そうだね。うんうんうん。
あと、常に生き続けなきゃいけない。常に幸せに生き続けなきゃいけないって言うとちょっと言い方が強いんだけど、
そういう風に生き続けられる人にならなきゃいけないっていうことが出てきて。
あー怖いね。怖いっていうのは、そういうのってさ、目標をめちゃくちゃ持ってる人からすると、
プロセス重視ってすごいダサいかったりとか、流されてるみたいに見えるんだけど、
実は逆にものすごい主体性を発揮しないといけないんだね。
そうなんだよね。うん。
さえこれはまた仏教に戻るんだけど、多分修行者たちはそうで、日々同じことを繰り返してるねとか、
あいつらそれで楽しいのかなっていう風に見えるんだけど、
それは常に自分を立志して豊かに生きるというか、
36:03
自分の生きてる意味っていうものを満たし続けるっていう行為としては多分いいんだよねって思うんだけど、
一方でやっぱり世の中で生きてると、やっぱりすごい目標を達成するとか、
いわゆる億万長者とかになって、福づけランキングとかに入っている市長とかを見ると、
あの人すげーって思うとか、そういう気持ちってやっぱりどうしてもある。
これは多分僕だけじゃなくてはみなさんもあると思うんだけど、
そうか、まあいいや。油断だからいいや。
そう、そういうときに、やっぱりじゃあどっちを選びますかとかっていうことも、
これ結構選びますかっていうか、どっちを選ぶかによって、
結構人生のパターンとか歩み方ってバラッと変わっちゃうんだなってことを最近よくわかったんだよね。
うんうんうん。
なので、いわゆる目標を立てて、
そうやっていわゆる哲学も一緒で、いわゆる真理っていうものがあって、
その真理に向かって人間というものの理性が高まっていけば、
いつかゴールにたどり着くっていう考え方がまさにいわゆる伝統的な西洋哲学のやり方だったと思うんだけど、
そうじゃなくてホワイトヘッドみたいに、いやもうそもそもゴールなんてないんだと。
いわゆるいろんな過程の中で、プロセスとしての世の中というものがあるだけで、
そういうふうに一個一個のことを経験を通して意味付けていくんだっていうふうな話とで、
やっぱり出てくる哲学とかスタンスが全く変わってくるっていうのは一緒で、
人の人生もある目標があってそこにたどり着いて、
そこから振り返って人生の意味っていうものが初めてわかるっていう生き方と、
今生きてるこの一瞬一瞬で自分の意味を豊かにし続けるんだっていう生き方って全然違うじゃない?
いやー、それめちゃくちゃ面白いな。
面白いと思ってくれる?
面白い。だって今の途中だと思うんだけど、
かもしれないけど、
だってさ、それでいうと今さ、どっちかというと今のハヤトの流れだと、
お金持ちになりたいと思ってめちゃくちゃ頑張ってる人がいたとすると、
今のハヤトの話の流れだとちょっとダメそうじゃん。
まあ僕からしたら、頑張ってるのはすごいな、でも自分はそうじゃないなって思ってるんですよね。
でしょ?
ただ、このお金持ちになろうと思ってめっちゃ頑張ってるっていう状態と、
あと今回ハヤトが言っている、今一瞬一瞬目を向けて、
39:01
いわゆる自分の人生をちゃんと作っていくというか、
プロセス在心するみたいなので、
擁立し得ると思う。
できる、できる。
だからそこは別次元の話で、
ただ周りに流されて執着とか煩悩レベルで、
何かの成功、お金持ちになりたいと思い描いてる人と、
あと本当に自分の人生の意味を考えた時に、
どう考えてもそこに向かうことが楽しくでしょうがないとか、
そこにめっちゃ熱意が湧く、それを楽しめるという人もいるわけで、
そうすると表面上は一緒だけど、
その思いとか、その出どころが全然違いよねってことは、
今のハヤトの話からすると、それが説明できたりとか、
周りから判断できるみたいなところが面白いなと思う。
そうね。やっぱり今すごい人が多分いて、
前、記事読んだんですけど、キングヌーってあるじゃないですか、アーティスト。
過ごした。
ノートを見たんだよ。キングヌーすごいみたいなノートがあって、
プロデューサーみたいな人が中にいて、圧倒的に自分がやりたい、
音楽性を追求するバンドと、売れるっていうことを目的にしてるバンドがあって、
売れるっていう方がキングヌーだみたいな話があったんだよね。
そうそうそう。杖田さんっていうね。
っていう人なのかな?
ギター弾いてる。歌も歌うんだけど、ギターがいて。
白立出したでしょ、何年か前に。
杖田さん自体もめちゃくちゃフラッシック音楽のチェロやってて、
小澤さんと指揮者いるんだけど、
そういう人が全国ユースみたいな。
そういう全国トップレベルのアーティストを集めて楽団作りますみたいな、
そこに入ってるような人を集めた大きさ。
そういう人なんだ。はいはいはい。
そういう人がバンドを集めて音楽を生み出すっていう。
もう白立ってあれは、当時でも1億回再生、大ヒット見てたんだよね。
靴の紅白も出たりもしたんだけど、
ごめんね、話してもらって。
全世界にはいろいろ壊しそうだから。
いやいいよ、壊しそうだから。
ちょっとフワフワしてたからさ、バンド名とか。
聞いてないから、白立も聞いてないから。
嘘だろ。
嘘だろ。ちゃんと聞こうよ、そういう記事見た時に聞きなよ。
失礼しました、失礼しました。
42:01
ごめんごめん。自分もね、人のことは言わないから。
ハエとかやった時に哲学誌読んでるかって言われたら読んでないから。
はいはいはい。
ごめんごめん。
そうなんだよ、だから白立って、
多分知ってる人は多いと思うんだけど、
ヒットさせるために作った曲なのがある。
そうだよね、そういうの書いてた。
自分だったら作りたい曲じゃなくて、
今だったらこんな感じでこんな感じで、
こんな風に作ればヒットするよねって言って、
すごい人たちが集まって、
ディレクションは白立さんかもしれないけど、
作ってガッとヒットさせてる。
やっぱそうだよね、そうそう。
もう一個のバンドはミレニアムパレード。
はいはいはい。
そんな名前だった気がする。
ミレパって見慣れんよね。
そうなんだ、なるほど。
そっちは今のミュージックシーンだとちょっと違う。
はいはいはいはい。
なんで知ってるかっていうと、
光学機動隊の192045で主題歌になってるんだよね。
あ、なるほどね。
に採用されてるの。
そういうので知ってる人もいると思うんだけど、
全然音楽性も違うし、
そうなんだ。
ベースとかはキングと被ってるメンバーもいるんだけど、
基本違うんだよ。
ミュージックビデオとかも当時、
全部自前でやってたりとかね。
とにかくDIYなんだよ。
ミレニアムパレードはしかも、
この前、世界的に有名なレーベルと契約して、
これからどんどん売って出ますみたいなね。
いやいやいや、すご。
ごめんごめん、好きなとこだから長くなっちゃった。
あんまり好きだからね。
いやーすごい。だから僕はね、記事読んだだけなんで、
そういう実感がないまま喋ったの、兄貴がね。
そういう癖ってよかったなって思うんですけど。
ごめんごめん、ちょっと長かったかも。
大丈夫。
ごめんごめん、それがすごいって話だよね。
僕から見るとそれは、
いわゆる自分の意味を追求するって話と、
世の中の成功を追求するって話を、
別に両方やりゃいいじゃんってやってる人の例に見えたのね。
あー、うんうんうん。
それはトップレベルの人とか、
出来ちゃう人が世の中にはいて、
たまーんいるんだろうね。
そうそう。
だから僕なんかからすると、
今ここでとかって偉そうに言ってるけど、
それって結局世の中と接続できない、
力のない人間がいるってことじゃないとかって言われたら、
偶能でも出ませんみたいな。
そんな感覚もあるんだよね。
そういう人と比べちゃいけないね。
そうそうそう。だから、
比べるとさっき言ったみたいに、
思い通りにならない。自分には能力がないとか、
野心がないとか、
いわゆる環境外力というふうに、
45:00
裏見節になっちゃうから、
結局それがやっぱり揃われないってことだと、
今思ってるんだよね。
逆にね、そういう人と比べることって思いやがりでもあるしね。
そうそうそう。
こういうふうに生まれたお前が、
そこを目指していいと思ってんの。
これは諦めじゃなくてね。
まあね。
純粋にそういう人たちの努力とかさ、
そういうものを何らしろにして、
全部言ってるじゃん。
そうそうそう。
努力環境ね、いろんなものをね。
そうそうそう。だから、
やっぱりそれで、
そういう人のすごいなと思うことは、
いいと思うんだけど、
自分には自分のできることがあるよねとか、
自分には自分の守る関係性があるよね、
っていうことでいいんじゃないかと思ってて。
そうね。
でもそうすると、
やっぱりちょっと上昇志向は減るわけよ。
ああ、まあ減る。
そうだね。
あの、廃棄で月島志向になっちゃうかもね。
高いのは部活でしょっていう。
そうですね。
すいません、何度も廃棄を話してるんですけど、
やっぱり改善、
上昇志向はなくてもいいんだけど、
改善志向だよね。
よくできるよねとか、
もっとこんなふうにやったら、
なんだろうな、
よくなるよねっていうところに対して、
やっぱりこう、
熱意が向きにくくなっちゃう瞬間はやっぱりあったりはする。
自分の感覚としてね。
わかるわかる。
そう。
っていうときに、
でもそれでいいじゃんっていう自分と、
本当にそれでいいんだっけっていう自分は、
やっぱりまだ葛藤があって。
うんうんうん。
で、ただやっぱそこに何とか葛藤できるぐらいの土台を使って、
このホワイトヘッドとか、
ピゴンキョウとか、
バタイアもさ、
バタイアもほんと突き抜けてるからさ。
うんうんうん。
そういうふうな天才とか見たときにも、
やっぱり変に自分ヒゲしなくていい、
みたいな感覚もあって。
うん、はいはいはい。
うん。
っていうふうなところも含めて、
なんだろうな、
葛藤のための土台をちゃんと与えてくれたのが、
ピゴンキョウとかホワイトヘッドでしたよ、
っていうふうな話をちょっとしたかったんだよね。
あー、わー面白い。
確かにそうだよね。
うん。
さっきみたいな話があると、
やっぱその結果とか、
影響力みたいな、
あとスキルとかで言うと、
絶対神奈川なんだろうな、
トップオブトップみたいな人にさ、
要するにまあ背景も突き抜けてしまうじゃないけど、
じゃあその、
例えばこの学校で一番になったとして、
この県で一番になったとして、
日本で一番になったとして、
じゃあ世界は?っていうふうになっていくと、
絶対どっかで一番なれないじゃん、
みたいな話じゃん、今のまさにあの、
ツネタさんとかそういう人と比べるっていうのはね。
でじゃあ、
自分が仮にさっき音楽の話が出たから、
じゃあ自分は音楽やっちゃダメなのかって言ったときに、
もしかするとその音楽をやってる自分っていうのが、
本当に外から、
自分の内から湧き上がるものじゃなくて、
48:01
音楽やるとモテるよとか、
売れたら儲かるよとか、
そういうことだったら絶対やめたほうがいいと思うけど、
その人のためにね。
そういう人は絶対不幸になるから、
不幸っていうか幸せを感じづらくなるからね。
だから、ただもし本当に心の底からやっぱり音楽が好きで、
で、やっぱり上手くなりたくて、
で、それだけ上手くもなってきてみたいなことが、
その都度都度楽しめるとか、
そこに没頭できる、
ある程度そこに自分の当心具合が若干でもあるのであれば、
それをプロセスするっていうか、
やっていく意味みたいなものは自分にはあるっていう自信を持っていいんだよって話だよね。
本当それはそうだね。
やっぱり音楽も、
それこそ家で夜弾いて自分で歌歌になるでもいいし、
友達に聞いてもらって、
友達と全然下手だけどコーラスしてめちゃめちゃ楽しい休日を過ごせるとか、
それってなんて素敵なんだって思うし、
アルバム何万枚よりとか1億回再生されるってことに比べたら、
外部の基準からしたらもちろん低いかもしれないけど、
その基準なんて別にいらないじゃんっていうふうには思うんだよね。
生きている豊かさっていうふうな観点で言えば。
結構でも難しい話になってるよね。
ここ深掘りしたいと結構難しいからなんだけど、
これ難しいのがさ、
これ自分もそうだったんだけど、
例えば音楽で人気者になりたいっていう時にさ、
例えばロックミュージック、やっぱポップスじゃん、J-POPとかロックじゃん、売れるのはね。
キンググロウもそうだけどさ、ミレニアンパレードではロックやってないよ。
キンググロウはロックもやって、キャッチだけでもこういう曲いろいろやってる。
で、売れてるってあった時に、そっちでうまくいかない時に、
耳の回りだけでもいいから、あと分かってくれる人だけでいいからみたいなのが、
場合によっては承認要求の逃げみたいなこともあるじゃん。
あるある、全然ある。
ロックでダメだから、例えばもっとマイナーな音楽に。
そうだね。
例えだしたらジャンル好きな人に申し訳ないから、例え出さないけど、
マイナーな音楽に行って、例えばもう30人からめっちゃ褒められて、
おーすげー、みたいな。
あるよね。
のと、あとその、ハヤトが言ってる、今回言ってる、
ちゃんとプロセスを楽しむってとこが、実は違うっていうのもすごい難しいと思うんだよね。
51:01
難しいそうだね、本当にそう。
今の僕の文脈で言うと、やっぱりその承認要求というものに囚われてやることは全部一緒なんだよね。
要はそれがメジャーなシーンであろうが、マイナーなシーンであろうが、
やっぱ承認という要求に囚われて行動するのはどっちも一緒なんだよ、結局。
それで成功しようが失敗しようが結果あるんで、
それは大元の承認要求に囚われて、自分を今度はできないってことにおいては同じ行動なんだよね。
別に純粋に本当にこの音楽が好きでやりたいとか、
純粋に喜んでもらいたいっていうのも欲なんだけど、
それをやることで自分が豊かになるっていうことまで理解した上で、
あえてマイナーなシーンに飛び込んで、
そのマイナーな中でも関係をちゃんと作っていくとかっていうことができるんだったら、
多分それはいいことなんだけど、
でもそれと同じため一枚だし、
人から見たら分かんないし、
人から言わせれば負け犬って言われるかもしれない。
そう、分かんそう。何を言う人が見れば分かるんだけど分かりづらいよね。
そうそうそうそう。
そういうのがあるから、すごく評価しにくいんだよね。
だからやっぱ主観だし、自分のことでしかないんだよね、よくもあると。
そのマイナーな方に行って、
例えばロックだったら1000人規模でできる。
けどお客さんが来なかった。
マイナーな方に行って、
50人来たら大成功みたいなところに行って、
30人呼んだ。
ワーワーっと30人からめっちゃ褒められる。
それに本気に褒められた時に、
例えばロックの方で300人しか呼べない人。
300人すごいけどね。
300人しか呼べない人にマウント取るみたいな、そっちから。
そういう満たし方ってあるじゃん。
あるね、あるある。
それがね、ちょっと後悔する。
そこに突っ込んじゃう。
後悔っていうか反省もあるのなんだけど。
アニキもそういう時代があったのね。
全然。もともとそっち側ですから。
そうです。
今回雑談的にわーっと喋ってしまったんだけれども、
本当に最終的に言いたいのは、
自分の中の軸で生きられるかどうかってことがやっぱり大事。
本当に多分そうだと思っていて、
それは冒頭言ったmeaning of lifeとmeaning in lifeの違いで、
外の目とか外の軸でやっぱり生き続けてる限りは、
ちゃんと日々豊かに生きるっていうのはすごく難しくなってしまうなって思うんだよね。
54:03
それを人によっては意欲がないとか熱意がないとかって言われるかもしれないし、
でも今の自分としては、
そっちの生き方を追求してみたいなって思っている。
今の状況ですよとか、そういうことを手伝うっていうものを考えてますよっていうのをお伝えすることが、
なんか意味があったら嬉しいなって思ったって感じですね。
はいはいはい。
ちょっと個人的にちょっとね、
終盤めちゃくちゃ食いついちゃって、
申し訳なかったんだけど。
音楽の話だったからね。
音楽とか、やっぱりそこの承認というか云々みたいな話って、
めちゃくちゃあるし、
余計ね、やっぱりSNSで数打ち化されちゃってるから、
たぶんよりさ、うちらの頃よりも結構シビアだと思うんだよね、今って。
そう、シビアシビア。
一切気にしない方がいいよ、あんなん。あんなんって言っちゃうけど。
いや、だから難しいよね。
それをさ、
俺一切気にしないっすっていうのが、
ただの人間論の逆だと間違ってるっていうかさ、
無理してるじゃん。
本当は気にしてるからね。
多いのもすごいですし、少ないのも少ないので、
意味があることもあるのです、
多くても意味ないこともあるのですっていう、
そういったさ、どこに行くのか。
でもまあ、言うて難しいというかさ、
人間のたぶん自然な感覚とはちょっとずれるんだよね。
その感覚を自然に持って生まれる人って、
たぶんすごい少ないと思うんだよ、むしろ。
生きてる間にそうじゃない感覚でやっぱりなっちゃうからね。
ルーチ化されたりやっぱりね、
他と比較されたりしちゃってね。
ああ、そっか、肯定的にね。
赤ちゃんはないかもしれないけどね。
赤ちゃんはないかもしれない。
確かに肯定的にそうなりやすい環境ではあるのか。
そうしてもね、今の特に日本、
日本というか先進国に生まれたらたぶんそうだと思う。
西洋的に価値観が強いからね。
でも、こういう話したのは確かに久しぶりかもね。
区切りじゃないけれども、ちょっと重たい話が続いたので、
それもいいかなと思って。
確かにね。前も似てるような話はあったかもしれないけど、
やっぱりこういう話、天文教とかさ、
こういう人とかそういう話が入ってくることで、
またイメージにしても言語化にしても、
またたぶん違った感覚になるだろうからね。
それが面白いなと思う。
嬉しいですね。
やっぱりそういうのがなくて、
この世は変化であるとか、
関係が大事だとか言われても、
57:01
なんとなく言葉としてはわかるけど、
なんでそんなことを言っているのかって、
やっぱりわかんないじゃないですか。
そうなんだよね。プロセスが大事とか言われてもさ、
まあそうだよね、みたいな。
そうなんだけど、
違う場合もあるだろうしっていうね。
そうそうそうそう。
でもね、やっぱりホワイトネットとかって話をすることによって、
プロセスってそのぐらいのことを言ってるのねとか、
全然理想哲学とプロセスに注目されている哲学って、
そもそもの価値観とか根本から違うのねみたいなことが、
なんとなくでもあると、
やっぱりそのぐらい違うことを言っているのが入りやすくなるみたいな、
まあそんなまどろっこしい会話させてもらえないから、
今こうやってPodcastでわざわざ、
わざわざというか本当にすみません、
勝手にさせていただいているんですけど。
だってね、プロセスって言葉の定義からさ、
なんとこの基本教育、ホワイトネットって言っているとさ、
ずれるからさ。
話しできないもんね。
できない。
話してわかられたら、
本当にわかってるってやっぱりなっちゃうような話じゃん。
なっちゃう。だって世界観が違うの。
そう。
みたいなところもあるので、
今ちょっと話したい。
あと僕も逆にそれを整理したいと思って
話させていただきましたっていう感じですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。聞いていただいてありがとうございます。
のっからせいられました。
面白くて。
嬉しい嬉しい。
でもやっぱりそうやってね、
嬉しいよね。
そうやってね、自分もそういえばこんなこと思うとか、
こんなことがあったって、
なるとそれがすごい僕にも気づきになるし、
やっぱり広がっていくと思うから。
そうだね。
僕は聞いてる人の年齢とかさ、
その人の性質とかもよるんだろうけど、
たぶんあなたが年取るっていうのはこういうこともあるだろうし、
逆にもしね、
たぶん聞いてる人は30、40代の方が多そうなんだけど、
ちょっとね、上で50代とかの方も多い。
多い多い。
だから例えば10代の方とかこれ聞いたときに、
意味不明って思うかもしれないしね。
そうだね。
意味不明って言葉が古い。
たぶん意味不明だと思ってるかもしれないし。
もしくは若手もね、
今自分の子供が4歳とか、
早藤君5歳かな。
5歳だね。
だとさ、
中二病なりがちな子の今の可能性って
リアルにはわかんないじゃん。
まあね、まあね。
あんま振る機会もないからね。
だからもしかするとうちらよりもさ、
わかってるかもしれないしね。
全然それはあると思う。
ちょっとこれも長くなっちゃったからさらっとだけど、
やっぱりデジタルネイティブとかって言葉がある中で、
1:00:00
むしろそういうツイッターとかで可視化されるのが
当たり前の世界で生きてると、
逆にそこって何の意味があるんだっけっていうふうに
一周回る。
僕らからしたら一周回る。
でも彼ら彼女からしたら当たり前に
それを思うってこともあるだろうから。
この偉そうにね、早藤が。
大発見だって早藤が言って。
何を当たり前のことを話してるのかもしれない。
全然そうだと思うよ、むしろ。
だって20年単位で回っていくって言われてるんで、
それでいいんじゃないですかね。
面白かったな。
個人的にはそうは全然、
万愛編で20回に1回とかじゃなくて、
思いついたやつでやってほしいぐらいだけどね。
それはもしよかったら聞いてる方も
感想というかよかったらいただければ。
求められてるんだとか。
僕はやっぱりいっぱいやるとちょっとね、
あんまり自分のエゴ出しすぎかなとか、
そういうの思っちゃう。
確かに石中さんとの仲。
最近この人の考えばっかりでつまんないって言ってたじゃん。
そうそうそうそう。
っていうのはあり得るからね。
それ知りたくないんだよなって思う。
元一般的な哲学の話しろやってね。
そうそうそう。
って思ってるんで、僕は。
そんな話を。
兄貴がこうやって面白いって言ってくれたのは嬉しかったですし。
そういうふうに感じていただいてる方が
一人でもまたいらっしゃったら嬉しいなと思っております。
というふうな感じですね。
いいっすね。
それぞれのね、
そこそこミーニング・オブ・ライフと
ミーニング・オブ・ライフ。
それぞれが考えるっていうのが本当に
この通りだなって思ったからね。
面白いお話でした。
よかったです。
じゃあ一旦今回はこんな感じで。
次回はですね、
ホワイトヘッド会の雑談を挟みつつまた。
次回はほんとちょっと雑談をしたいなと思ってます。
わかりました。
引き続き次回もよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。
01:02:13

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