バタイユの人生
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の谷の弔助です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
今回からはバタイユということだったんですが、何者なんですかね?
そうですよね。前回までは正義とか偶然とかって手曲げりをしていて、
改めて今回は人っていうのを取り上げてみたんですけど、
実はこの2週間くらい次のテーマが本当に決まらなくて、
ああ、そうなんだ。
結構、自分の興味・関心がある方向性と、皆さんに伝えたいなって思うこととか、うまく噛み合わなかったんですよ。
そんな噛み合わなさあるんだね。
いろいろ本も読んでたんですけど、ちょっとなんか違うなって思ってた中で、
本当に決め手になったのが、200回の時に、
スパイデスラジオは結構バランスを取っていきますよみたいな話をしたと思うんですよ。
あっちに偏ったりこっちに偏ったりっていうんじゃなくて、その中でもバランスを取っていい感じにやっていくよみたいなことを話してて、
これ自体はもちろん何度も言っているし、実際そのスタンスでいきたいなとは思っているんですけど、
ちょっと待てよと、自分自身そんなバランスの良い人間かって思うときに、
そこにハッとしたのか。
バタイユの思想
自分で言ってて、すげえバランスバランスとか言ってるけど、
お前は別にバランス良い人間だったっけ?みたいな声が聞こえてきたんですよね。
そんなわけじゃないけど、ふと思ったときにね。
で、全然そんなことはないなと自分では思っているんですけど、
それこそ今でこそそれなりに仕事をして家庭も持って、それなりの生活を取っていると思うんですけど、
例えばさ、時々話す中二病でしたみたいな、すごいオタクでしたみたいな話を時々することがあると思うんですけど、
僕らっていわゆる岩手県の森岡市の田舎で暮らしてたじゃないですか、
15年前くらいかな、20年前かとかって、
まだオタク文化とかアニメ文化とかっていうのが、そんなに一般化してないというか。
そうね、こんなにオタクオタクっていうのがあんぐらいあったらないからね。
ちょっと隠すべきとか恥ずかしいものだったと思うね。
森岡には当時アニメイトが一個だけあって、
アニメイトって駅前にそういうお店があるんですけど、そこに行けばオタクだって馬鹿にされるみたいな。
ああ、はいはい、こそこそ入るみたいなね。
こそこそ入る、ちょっと恥ずかしいみたいな。今はそんなことないじゃないですか、多分アニメイトさんってね。
そうだね、もう老若男女というかね。
そうそう、いろんな方がね。
時代において僕は通販で同人誌を買ったレベルだったんですよ。
お店とかないから、通販のトラの穴とかメロンブックスみたいな、ちょっと一段ディープなそういうお店で、
同人誌っていう、要は正式に流通しないというか、個人の方々が作ったような、いわゆるコミケとかで売ってるような本とかを売ってる中学生みたいな。
そんな感じだったんですよね。
アニメイトに置いてなかったの?行くのが恥ずかしいとかじゃなくて。
アニメイトに置いてないから、行っても置いてないから取り寄せてたの。
あんまりそういうのが好きじゃないとか、当然今でも苦手な方もいらっしゃると思ってて。
そういう意味で言うと、全然自分の中にもバランスを取りたいなみたいな部分と、ちょっと突き抜けちゃうみたいな。
そういうハマったら、普通のお店に置いてないようなものを見たくなっちゃうとか。
そういう部分と両方あるなと思うんですね。
売ってる時に、片方を無視してバランスが大事ですよとか、いかにも私はバランスを取れた人間でございみたいな風に売ってるのはちょっと気持ち悪いし、フェアじゃないなと思って。
早口はそのバランスみたいなのをそういう意味で使ってたのか。
そういうわけではないんだけど、そういうふうにソイツダチョウが良局さんじゃなくて、中央というか、いい販売が大事ですよとか言ってるとさ、
それを言ってる自分も、そんな人間かのように自分で感じちゃったんだよ。
なるほど。そこはちょっと面白いな。まったく自分の場合はこういう感覚でこのバランスっていう言葉を使ってますね。
なるほどね。どんな感じ?
そこはちゃんとしといた方がいいと思う。
ソイツダチョウにおけるバランスとかフラップっていうのは、ちゃんと良局さんだったりとか、良局さん&グラデーションっていうものを全て知ることはできないんだけれども、
ある程度良局さんみたいなものだったりとか、間のものを知る。ちゃんと知る。目をつぶるんじゃなくて知るっていうことで、
その知った上で、社会的にはどこにバランスがあるんだろうなっていうことも同じく分かってくるし、
その中で自分のバランスってどこなんだろうっていったんっていうことが多様性ですよって。
なるほどね。
それぞれが良局さんを知らないままに自分の好き勝手なことを思うってことは多様性ではなくて、
もちろん限界はあるんだけれども、できる限り他人の知識のもとに、もしくはそういうものがあるんだろう、全てに。
良局さんっていうものがあるんだろうなって。その中で自分は、今現役で行った情報内の中で、
持ってきてるけれども、その情報が手伝えたら自分の考え方も変わるんだろうな、みたいな。
そういうクラットさみたいなものを、ソウル鉄ラジオはとっていくバランスだと思っている。
なるほどね。
だから、そこは重要ではない、なくないと思ってる。
すごい。ありがとうございます。ソウル鉄ラジオをそんなに考えていただいて。ありがとうございます。
でも難しいよね。一言で確かにバランス、そこまで意味もしないから普通。
まあそうね。確かにおっしゃる通りで、いわゆる右とか左じゃないけれども、
お前はあっちだとか、俺はこっちだみたいな線引きをするんじゃなくて、
両方というか、こっちもしていくことで、より自分の幅を広げていこうとか。
その結果どっちに行くとかはいいんだけど、でも両方やっぱりしていくのが大事だねっていうのが確かにおっしゃる通りだなと。
さっきちょっと気寄せて話したんだけど、重要なのはすべて知ってるかどうかではないんだよね、情報として。
何かがあるはずってことは知ってるだけで、自分が全く情報として知らない分野にもリスペクトが持てるという感じがすごくあって。
こういう話をすると、こうするとやっぱり情報とか勉強が大事だと知識を詰め込む方向に行っちゃうのも怖くてそれはそれで。
そういう意味でのバランスもあるかなと思った。
すごいかもしれないけど。
いやいやでもありがとうございます。
そこは大事なところなので。
再び出会ったバタイユ
なるほどね。いやでもありがたい。
そうですね、その意味で言うと、今回取り上げたいと思っているタイユさんも一つの独端な人なんですよね。
ほうほうほうほう。
それは哲学的にとか思想的にっていう話もあるし、この人が突き詰めたところも向かった方向性もちょっと普通じゃないところに結構行ってるような人で。
だからこそ今回改めて取り上げたときに、今言ってるバランスみたいな話とか、いろんな価値観とかを知るっていう意味でも、すごくちょうどいい人かなって思いました。
ほうほうほうほう。
なので今回あえてテーマじゃなくて、ひと軸でやってみたいなと思ってますよっていう感じなんだけど。
この人ね、名前聞いたことあるよっていう方もいらっしゃるかなと思ってて。
それはですね、プレゼンスラジオでも何回か名前だけは出してて、兄貴からせず、懐かしいかもしれないんですけれども、幻の第0回のお蔵入りした。
ソクラペスよりも前に一回やってみるよって試し取りしたのが、このバタイグさんだったんですよね。
そうね、一回ね、やったんだよね。
ほんとにちょうど2年前ぐらいかな。
今ぐらいから。
そうですそうです。
台本が残ってたので見てみたんですけど、台本って本当はメモみたいな感じで、
いきなり最初に僕が兄貴に対して、なんか最近無駄遣いした?って問いかけるとこから始まってる、
すごい雑なメモになっちゃうんですよね。
笑っていいと思わせないんだからみたいな。
最初はね、身近な哲学っていうのに引っ張られすぎてて、全然よくわからん話をしてた名残がその子に残ってたんですけど、
なんか覚えてる?その時の話。
うん、なんとなく覚えてるっていうか、一回だけではね、一回分収録して、
あ、これ違うかもっていう。
そうそうそう、これじゃなかったっていう。
ちょっと身近な、やっぱ哲学と身近なっていう、カジュアルにっていうところは多分ね、タイトルにも一応中であって、
あとはあれだよね、よくあるソクラテススラという順番が面白くないからもうちょっと雑な感じでいきたいっていうのが多分早いところだったんだよね。
そうです、そうです。
で、いきなりバタイン。
やってみた結果、もう会話が成立しない。
聞き手が素人すぎて、多分何が面白いか何がつまらないかもわからないっていう。
何の反応もしようもないっていう。
ね、どう?そもそも知らんし、バタイユーさんのことみたいなね。
それをやってはやっぱりちゃんとソクラテススラやった方がいいっていうのでね、始まったのがこのソレッドラジオだったんですけれども。
だから一周回って基本からみたいなね。
そうです、そうです。
でも本当にそれでやってよかったなって思うし、この第0回の試しがあったからね、それに気づけてよかったなって本当に思ってるんですけど。
だから逆に言うと2年経って、僕と兄貴だけでは話が恐縮なんですけれども、からするとまた改めて出てきたねみたいな。
ちょっとまた戻ってというか、また再び出会いましたねみたいな人だったりしますと。
急に出てきていいタイミングになったんだなっていうバタイユーって、バタユーよかったなって思う。
愛深いものがあるんですけど。
なのでちょっと今回はですね、去年までやったようなその人テーマのものとして、
今日はバタイユーさんってどんな人とかどういう風な人生を歩んだ方なのっていうところから入っていけつつ、
バタイユの思考とは
次回以降のテーマというところからも少しお伝えしていきたいなと思っているんですけれども。
なんでこうしたの?ちなみに。
なんでかっていうと本当は、前回偶然ってやったじゃないですか。
その偶然の反対が要は必然だって話をしたと思うんですけど、
必然っていうものから始まって、必然がなくなった時に今度は不条理っていう言葉が出てくるんですよ。
出てくるんですよっていうか、これはカミューとかっていう作家であり手作者がいると思うんですけど、
カミューとかっていう人がよく言ってた言葉で、
いわゆる人生とかってよく言うじゃん、人生は不条理だとかさ、
こんなことが起きるなんてありえないというか、おかしいみたいな。
悲劇的なみたいなね。
悲劇的なみたいな、そうそうそう。
まさに悲劇とかもそうなんだけど、普通に来てたらありえないことが起きる。
もし本当にこの世が神様とかそういうふうな存在に見られていて、
その中で人間が来ているんだったらこんな辛いことが起きていいだろうかみたいなことってあるじゃないですか。
なるほどね。
そう。
そういうようなことをテーマにしたいなって思ったんだよね。
そうなんだ。
本当としては。
その時に、でもなんかあんまり偶然不条理って続くのもなっていう時に、
このバサイユさんっていう人がそういうものを軸にしながらも、
哲学はもちろんなんだけど、芸術とか社会学とか人類学とか、
前回お伝えいただいたような精神分析とか、
あとはもちろん政治、宗教、歴史みたいな、経済みたいな、
いろんなテーマに関して思想を展開している人なんですよ。
そうなんだ。
この人自身は1897年にフランスで生まれた方なので、
今から100年ちょっと前くらいの、いわゆる現代化に属するような方なんですけど、
そういうふうなところがあるので、
テーマで切るよりも、このバサイユさんという人の考え方とか、
物事の捉え方を通じて、
ちょっと偶然から続くような、
なんでこの世の中はこんな風になっているんだとか、
そんなきれいなものとか、まとまってるものじゃないよねみたいな、
そういうふうな感覚をお話しすると面白いんじゃないかなと思って、
ずれ上げてみたみたいな感じですね。
なんかめっちゃ広そうだね。
捉え所がない。
捉え所がないので、
テーマとしては、その中でもいくつかに絞りたいなとは思っているんですけれども、
その話はバサイユさんの話もしながら、
ちょっとお伝えしていこうというふうに思っております。
さっきお伝えした通り、
そのバサイユさんはフランスに1897年に生まれておりまして、
大体ギリニーチェが亡くなる直前に生まれたみたいな感じですね。
亡くなったのは1962年ですと。
結構最近の人だね。
結構最近の人。
戦後まで生きた方という感じなんですけど、
バタイユの多角的な活動
さっき言った通り、
哲学者としていろんな領域でいろいろ発信してますよというのもそうだし、
詩とか小説とかも書いてて、
いわゆる文学の領域でもすごい活躍している方なんですよ。
そんなにいろいろ広いことをやっておきながら、
思想家とかそういうふわっとしているわけではないけれども、
哲学者でもある?
哲学者でもある、うん。
でもある?
でもあるし、作家でもある。
辞書じゃなくて、
もう哲学者でもあるし、
いわゆる作家でもあるしみたいなことそのくらいの、
そこまで行っている人なんだ。
辞書とかじゃなくて。
辞書とかじゃなくて、そう。
ただその、
専門的に大学で哲学をやってましたとかっていうよりは、
いろんなことを学ぶ中で、
哲学的な発表とか、
そういうことをやっていただいた人はあるんだけれども、
逆に作家で言うとさ、
眼球探査っていう本って聞いたことある?
ないっすね。
ないか。
ちょっとタイトルが面白い、眼球って目のことですけど、
インパクトがあるからね、それで聞いたことあるとかっていう方も
もしかしたらいるかもしれないですけど、
それがまさに馬太由さんが書いた本ですね。
ちょっとね、僕昔読んで内容忘れちゃったんだけど、
まあそれぞれ面白い本があります。
読んだことあるんだ。
読んだことある。
あります。
そういったパケットにさ、
そういうこと芸術から、歴史から、宗教からとかって言うと、
さぞ優れた哲学者なんでしょうというふうに思われるかもしれないんですけれども、
実はですね、それともちょっと違っていて、
もちろんね、いろいろ構成の影響っては強くて、
前ちょっと取り上げたデリダとか、
デリダって名前はネットだと思うんですけど、
あとは、まだやってなくて今後やりたいんですけど、
風光とか、
そういうかなり現代に近い著名の哲学者が
馬太弓について書いていたりとか、
そういうこともあるし、
バタイユの広範なテーマ
あとね、サッカーの例もあるじゃん。
日本で言うと、西間由紀夫っているじゃないですか。
彼がね、そういう馬太弓を絶賛してるというか、
馬太弓すげーみたいなことを言ったりするんだよね。
へー、そうなんだ。
なので、哲学とかサッカー、文学的なところでもそうだし、
あとはね、結構この5、6年くらいで、
結構日本の若手研究者の方々が、
馬太弓の本を出してますみたいな流れとかもあるらしくて、
そういう意味ではもちろん、
いろんな人に影響を与えている人ではあるんだけれども、
いわゆるハイデッカーとか、
ウィトゲンシュタインみたいな感じで、
20世紀、そういった有名な代表という哲学者といえば、
この人!みたいな感じになかなかならないんですよね。
それは多分、話の厳密さとか、
哲学的なアカデミックな中で、
活躍したかどうかということによると思うんだけれども、
やっぱり普段は考えないようなことを見させてくれたりとか、
あとやっぱり普通とは違う、
前回、人を殺すのはいいかどうかみたいなことを雑談でしたと思うんですけど、
まさにそういう死とか、
戦争とか、
エロティシズム、いわゆるエロね、
そういうことも哲学として、
まとめて本にしたりしてる人なんだよね。
まさに今手元にあるんだけど、
エロティシズムの歴史っていう本があって、
これだけ読むとエロいこと書いてるのかなと思うじゃん。
でも第一部、その中でタイトルがあるんだけど、
第一部はね、
エロティシズムと精神界への宇宙の反映っていうタイトルなんだよね。
よくわかんないじゃん。
怖くて開きたくないね。
怖くてね。
バタイユの本、これが。
バタイユの本。
第2部、第1部はそれで、
第2部には当然、リリース・トロースが出てくる。
当然って何?
リリース・トロースは前だと思うんですけど、
いわゆる婚姻関係とか、
女性っていうものが、
当時の漢化からすると、
家族からすると交換されて、
その部族が関わりを持っていくみたいな、
そういう話を以前もしたと思うんですけど、
行動的な流れの中で。
そういう、
エロとかっていう話じゃなくて、
結婚とは何かっていうときに、
リリース・トロースって言ってねみたいな話から、
書いてるような本なんですよね。
そういう意味では、
さっき中二心があったとかって言ったじゃないですか。
そういう思春期、
いつぐらいだったかな、
大学生くらいの時だったと思うんだけど、
それちょっとアナーキーな感じとか、
エロスみたいなものを、
哲学でやるってどういうことなんだろうって、
読んで挫折するみたいな。
全然何言ってるか分かんなくて、
無理っすみたいな。
興味本位で開いてすみませんでしたみたいな。
その本の文字は知ってたんだ。
読んでた。
そうなんですけど、
普通に買って家にあるんですよ。
買ったら買ってくれる。
みたいな感じで、
いわゆるそんなことをテーマにする哲学者ってのは、
基本的には、
多くないというか、
同時代でいないわけなんですよね。
なるほど。
それこそ時間画とか空間画とかさ、
人間存在はとか社会はとかっていうことを、
テーマにしている中で、
あえて場体はそういうことをやっている。
いいね、なるほど。
そういう意味での、
まさに突き抜け感というか、
そういう感じがあるので、
結構ね、
逆にここまでいろんな哲学者は見てきたからこそ、
面白く感じるんじゃないかなっていうふうに思った。
確かになんか、
アカデミックに動向じゃなくて、
死とか、
そういう話にも触れてたって感じがする。
多分自分が自分に思ったことを
本当に考えてみたみたいな感じがする。
そうね、本当にそう。
もちろん全部やり切るのはできないので、
ちょっとつまみがいになっちゃうかもしれないんですけれども、
メインのテーマとしては、
今回経済というのを取り上げてみたくて、
経済、エコノミです。
これなんていうかっていうと、
僕めっちゃ面白いなと思っているのが、
これもまた詳細は次回以降お伝えするんですけれども、
いわゆるさ、
僕らが今生きている普通の資本主義経済、
要はお金を払って物をもらうとか、
あるいは会社とかでいうと、
いわゆる投資をして、
その投資から利益を生み出して回収するみたいなさ、
基本的にはそういう価値観じゃないですか。
それを実は、
私は限定経済学みたいな言葉で言って、
実は限られたものなんだよと。
それよりももっと広い、
普遍経済学というものがあって、
バタイユの生い立ち
そこでは人の消費行動とかって、
一変するんだぜみたいなこととかを言ってたりするのね。
面白そう。
めっちゃ面白いのよ。
それが当人とか商人とかっていう言葉があったりするんだけど、
その言葉がまさにさっき言った、
いわゆる極端突き抜けるみたいな話にかなり近いので、
それを次回以降ちゃんとお伝えするっていうのを、
まずはメインテーマにしたいなと思っているっていうのが、
今回思っていることですよというふうな話なんですね。
なるほど。
すごいね。
本当に幅広いんだね。
広い、すごい。
もちろん何回もおっしゃってる通り、
人生イコール思想ではないんだけれども、
どんな人生とかどんな人だったから、
そんなふうなことを考えたんだろうねっていうところが、
一定関係があろうとしたときに、
鞘師さんはどんな人だったのかというのをお伝えしていきたいんですけど、
特に幼少期というか、
バタイユの苦難
二十歳くらいまでかなり壮絶な人生なんですよね。
どんな感じだったかというと、
そもそも馬太夫さんが生まれたときに、
お兄さんがいて、お父さんとお母さんがいてという家庭だったらしいんですけれども、
生まれたときからお父さんが梅毒、
いわゆる性感染症にかかってて、
全く目が見えなかったらしいんですよ。
梅毒って僕もちょっと知らなかったんですけど、
進むといわゆる麻痺というか、
手足が動かなくなるようでして、
いわゆる痛みとかで梅吐くとか、
あとはいわゆる下半身が麻痺しちゃうから、
湿菌、いわゆる排泄とかがコントロールできないんだって。
だから、そういうふうに生まれたときから目が見えなくて、
湿菌を繰り返すような父親でその世話をしているみたいな自分と、
さらにそういった現実に悲観して、
母親はたべたべ自殺を試めるみたいな、
そういうふうな環境で暮らしていたようなんですよね。
大変だな。
結構壮絶じゃないですか。
結構どころか、
ここで自分たちがしっかりしないと、
慣れるかどうかみたいな。
言ってもまだ5歳とか6歳とかそんな頃だと思う。
しかもまた悪いことに、
世の中的に当時のフランスは、
ベルエポックといわれるような、
安定成長期みたいな感じなんですよね。
世の中は工業製品が行き渡っていって、
豊かだとか清潔だとか、
化学も発展して、
ちゃんと薬を飲めば病気も治るしとか、
逆に売金とか債金やるところはダメだみたいな、
そういうふうな社会の通念ができている中で、
なぜかバタよりの家族だけは、
そんな状況であるみたいな、
もちろんだけじゃないんだけどね。
崩壊していってますみたいな話とか。
本人からしたら、
なんでうちらだけっていうね。
そんな感じだし、
しかもそういう時代ではあったんだけれども、
18歳の頃に、
大戦が起きるんですよ。
なので、戦争にも同意をされていて、
家政はやばいし、
世の中もいいと思っていたら、
バタイユの活動
戦争が起きて悲惨だし、
自分ももちろん戦争に同意されるし。
しかも、
一年後に戦争から帰ってくるんですけど、
その理由も欠陥?
で、除退みたいな感じだったらしいんですよね。
だから、なんせ病気だし、
当時もちょっとわからないんですけど、
除退って、もしかしたら不名誉なこととか、
お首のために戦えないなんていう時代だとしたら、
すごくつらいことだとした時に、
踏んだり蹴ったり殴られたりみたいな、
すごくつらい感じだったんじゃないかなと。
ただ、そういう状況で過ごしたバタエルだからこそ、
世の中の王道というか、
真正面から行くというよりも、
ちょっと違う目線でね、
物事を見る癖がついていったんじゃないかな、
みたいな話もあって、
実際バタエル自身が過去を振り返った時に、
16歳どおりの時点で、
要は戦争に行く前ぐらいから、
この世界で自分がやるべきことっていうのは、
書くこととか、
それに分けその逆説的な哲学を練り上げることなんだ、
っていうふうな思いを抱いてたんだよ、
っていうふうな言葉も残ったりするんだよね。
なるほどね。
もうすでに王道から外れる宣言が起きてると。
そうそうそうそう。
だからもちろんね、
それがどこまで影響したかとか、
昔に振り返ったことだから、
どこまでかあるんだけれども、
そのぐらい当たり前じゃないというか、
それとは違う物事を捉え方をするような人ではあったと思うんだよね。
せざるを得ないというほうが正しいのかもしれないけれども。
そうだね。
学校とか行ってるの?
一応行ってる。
一応行ってて、
最初はいわゆる普通の子だったんだけど、
優秀な、
勉強頑張って優秀になった子だったんだけど、
あとは一時期、
修道院とかにも行って、
キリスト教的なところにも触れてるよとかってなったりはするんですけど、
やっぱりキリスト教もちょっと違うってなって、
いわゆるキリスト教をするみたいな経験もあったりとか、
結構ね、やっぱり激しいんですよね。
一応ね、学校は通りゃ普通に通っていて、
その戦争から戻ってきた後ですね、
そこからはまさに改めて学問の道に進むんですけど、
哲学じゃなくてね、
国立図書館の師匠になるような、
いわゆるそういう学芸員というか日本でいうところの、
そういう資格が取れる優秀な学校に行って勉強をしてたりとか、
あとはその実際に師匠になるんですけど、
その師匠時代にニーチェとか、
そういう哲学書、
ニーチェはね、まだそんなに哲学書として人気というか、
評価が安定しなかったらしいから、
そうだよね、言ってたよね、
100年、200年経ってからぐらいのものが。
評価され始めた時もあるので、
当時よりは、
新しい師匠としてはニーチェというものを、
その時代に結構読んでたらしいんですよね。
ニーチェだけか、妹が排山して、
そういうのを集めているのがお父さんみたいな。
ニーチェですね。
そうです、ニーチェです。
ドイツのいわゆる師匠的な、
そういうのを集めているのがお父さんみたいな。
そうです、ニーチェです。
そういう思想的な、
ベースになるように妹が
控えて献上したみたいな、
そんな話が残っているやつね。
ちなみにこのバタユイさんは、
ニーチェに関して、
それは局界だと、ナシスのようなところに
言われるのは、
ニーチェの本当の思想としては間違いだとか、
ということも言ってたらしくて。
まさにそのぐらいの時なんだ。
時代としてはそうそうそう。
という感じなんですよね。
そういった図書館の師匠の仕事をしながらも、
いろいろ自分で雑誌を作ることをやっていて、
当時だと知識人の人たちとかが、
いわゆる自分たちの意見を発表するような、
雑誌を自分たちで作って、
売るというか、
配られたことをしていたらしいんですけれども、
そういうところで自分自身の文章を発表したりとか、
政治的なサークルを作ったりとか、
言わないまでも、
いろんな活動をする生活をしていたらしいんですよね。
なんだかんだ、ちゃんと仕事をしてみたいな、
そうですそうです。
本当に良かったねというか、
雑誌はなかなか上手くいかないんだよね、
そのやっていることが。
上手くいかなかったように見えるというのは正しいんだけれども、
雑誌とかも2年ぐらいで廃棄になっちゃったりとか、
政治サークルも成果が出たけど、
1年ぐらいで解散しちゃったりとか、
もちろん原因が何かとかは分からないんですけど、
やっぱりバザエが考え、
バタイユが考え、
バタイユが考える理想と、
やっぱり実際に社会を変えていくとか、
行動にしていくってやっぱり現実みたいなものが、
なかなか折り寄らなかったんじゃないかみたいな、
ある理想が強すぎたみたいな、
そういうところもあるよねっていう話が書いてあったんですよね。
そういうところもあるよねっていう話が書いてあったんですよね。
で、
いろいろな文章というか論文的なものが発表していくんですけれども、
そういうテーマとしては、
死とか戦争とかエロティシズムとか、
普通の哲学者には出てこないようなものが、
たくさん出てくるんですよと。
そういったときに、
理解できる人もたぶんそんなにいないとか、
哲学的な話というよりは、
文学的なとか芸術的な文脈で、
受け入れる人も結構多かったみたいな。
そうなんだ、本人は真面目に書いてるんだけど、
受け取る側は芸術性を感じちゃうみたいな。
そういうこともあるし、
芸術的な話として課題が入ってくることもあるから、
いわゆる芸術論とかね。
だから日本人で言うと、
岡本太郎さんっているじゃないですか、
太陽の塔とかを作ったね。
彼とかもまさにフランスで、
太陽と一緒に会話をしたりとか、
結構仲良くしてたらしくて。
岡本太郎さん自身の本にも書いてたんだけど、
そういうふうに芸術家とか、
そういう人の交流も結構多かったらしいんだよね。
そういった意味でさっき言った通り、
いわゆる哲学の教授になって、
哲学界で名を広げましたとかっていうよりは、
自分のような活動の中で、
哲学的な発想っていうのが、
どんどん発表されていったみたいな。
そんなふうな哲学者なんだけどね。
結構今の話だけでも、
バタイユの思考
普通の枠に埋まらないという人はあれだけど、
でも結構特徴的な人なんじゃないかな、
っていうのは伝わったんだよね。
そうね。
哲学者っていう意味ではないよね。
そうね。
いわゆる大学当時としては哲学者ではない。
かなりノラな感じですよね。
確かに。
そういうのもあって、なかなか哲学的な解釈が
されにくいというか、
THE哲学者みたいな感じじゃないっていうのはあるんだけど、
すごく深い、
独自の観点で世の中を捉えているし、
それがちゃんと言われた意味では正しいよね、みたいな。
たださっき言った、
エロテシズムの歴史っていう本を読んでも、
いまいち分かんないというか、
難しいなってなってたんだよ、僕自身は。
いつかまたちゃんと読みたいなと思ってるんだけど、
そういった中でもね、今回さっき言った通り、
普遍経済学って言われるような経済の話をちょっとしたいんですよ。
聞いている方にも経済の話は
よく分かんないっすとか、
興味分かんないっすみたいな人もいるかもしれないんですけど、
いわゆる普通の
お金の流れがどうこうとかってことじゃない話で、
さっき言った当人っていうことがあったときに、
当党息子とかの党だね、
人は少数ですね。
いわゆる
お金とかを使うときに、
基本的には僕らは100円使ったら100円のものがもらえる
っていう風な考え方をしてるじゃないですか。
そういう風に、
見返りを期待してとか、
そもそもどのくらいの経済的な功用、
お金の価値があるかっていうのを
予期しながらお金を使うわけだよね。
この当人とかっていうのは
ちょっと次回以降もちゃんと話すんですけど、
そういうのがなく、
とにかく使い尽くすとか、
ある種どんな見返りとか
功用があるかっていうのを
予測せずに使うみたいな、
お金だけじゃないんだけど、
そういうリソースを消費するみたいな考え方なんだよね。
これざっくり言うと。
普遍経済学のテーマ
意味不明だけどね。
次回ちゃんと話しますっていう話はあるんだけれども、
こういうことを考えたときに、
僕らの社会とか経済とかでどうなるんだろうね
っていうのがめちゃくちゃ面白くて。
そういうのを聞くと、
僕らがこんなに狭い世界で生きてたんだね
っていう感じがするんですよね。
そういうのを聞くと。
僕自身とかは。
そういった人生を送ったタイルさんが
どんなことを考えていたかっていうのが
一つの普遍経済学というものをテーマにして
今回はいわゆる突き抜けるとか
ちょっと極端まで行くみたいなね。
そんなことをサブテーマというか
身近なテーマとしては置きながらですね。
このバタエルさんの話をしていきたいと思っています。
というような感じですね。
分かりました。今回はまずバタエルはどういう方だったかっていう話と
オイたちの話を目に見てきたということで、
次回からですね、具体的な話をより見ていくというところで
ちょっと今日聞いただけだと
経済の話は面白そうだけど
経済学を反省したときは
面白そうと思ったけど
高銀の話で
100円の価値を
お金と物の投下交換のイメージがあるんだけど
そうじゃない。ただただ使うのだって
イメージ見えすぎて面白くないから
50円の物にも100円使わないといけないのを見てもらった
今の普通の観察からすると
どうなるんだって
不安になったよね。
そこは期待してもいいのかな
大丈夫です
次回は
こんなバタエルがどんな普通に経済を作られたのか
楽しみにしていきたいと思いますので
次回もよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました