1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #231 そもそも「時間」って何..
2024-07-14 58:20

#231 そもそも「時間」って何だっけ?アウグスティヌスが捉えた時間の実像

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回から時間編ということで、まずはあれですね、時間っていうのにもいろいろあるんだよというところをまず見てきて、今回からその具体的ないろんな時間というところを見ていくという話でした。
そうですね、はい。今回時間編という中でもある種西洋哲学の伝統というか、現代のいろんな物理学とかそういうものでももちろん時間って扱われているんですけれども、
手前の哲学的に時間ってどんなふうに扱われたんだっていうところの源流みたいなところをちょっと見ていきたいなと思っております。
これはもちろんプラトンとかアリストレスとかもあるんですけど、今日取り入れたいのがですね、今から1600年前なんですけど、中世の初期に活躍したアウグスティヌスさんという人をちょっと見ていきますよと。
うーん、こいつは哲学者?
こいつはね、ヒルスト教の神父さんなんだよね。
へー、はいはいはい。
スパイデスラジオで中世進化の回だったと思うんですけど、覚えてる?多分もう1年半とか前ぐらいだと思うんだけど。
暗黒時代の話みたいなね。
暗黒時代は、そうそう、暗黒時代じゃなかったよって話。
うーん。
そうそう、その時その時。で、このアウグスティヌスさんも取り上げてはいるんですよね。
ああ、だっけか。そうだっけ。
一応。
なんかトマス・アキナスだけかのイメージしかない。
トマスさん、トマスさんは1000年ちょっとぐらいしたけど、本当に初期の方だね、そのヒルスト教の神父さんで、
まさにその神と女というか、それの関係性をどう哲学的に捉えるかみたいなことをやった人なんだけど。
ああ、そうなんだ。じゃあ、中世界、暗黒時代中世界を繰り返せば出てきてるんだ。
はい、出てきてますね、前としては。
ああ、そうか。聞いてみようとね。わかりました。
もしよかったら。
で、この人がですね、告白っていう結構有名な本を書いているんだけれども、
たくさんある、第1巻から第何巻まである中で、第11巻に時間論っていうのが書かれてるんですよ。
時間とは何かですね、まさに。
これが、いろいろ論文とかを読んだんだけれども、やっぱり時間を扱う、時間とは何かと考えている論文なり本なりを見ると、
だいたいこのアーグスティヌスのことって書かれてるぐらいに、結構有名というか、本当に源流みたいな考え方なんですよね。
ああ、なるほど。時間とはそもそもみたいな話をすると、必ずここにまずは行き着くだったりとか。
03:05
そうそう。基本的にはこの人ですみたいな感じなんだけど、言っても所詮さ、1600年前にそうじゃないですか。
果たしてどのくらい時間について考えられてるんですかって話なんですよね。
まだだって、地道説画とか言ってた頃の。
全然、もっと前、もっと前。
もっと前、その前?
もっと前だよ。
じゃあもう話にならないでしょ。
我々ね、もう20世紀に生きる人間ですから。
そうですよ。
やっぱりね。時間なんてね、そんな難しいことをどう考えてたんですかってことは、今日はね、ちゃんと話していきましょう。
そんな上から見てくんだね。
最終的にはすいませんでしたって言うから、結論ね。
もう絶対そうなるだろうね。
すごいなよ、アグシウスさん。ちょっと聞いてほしい。聞いてほしいというか、今から話すんですけど。
よくぞね、1600年前とかだから、400年、500年。それこそ時計なんかもない時代ですよね。
そういう時代に、ここまで考えることができるんだみたいな凄みなんだよね。
じゃあね、結論はもう分かりきっているので出来レースなんですけど。
なんでね、そんなふうにアグシウスさんの時間論をいろんな人に取り上げてるのっていう話なんですけど。
いわゆる西洋の歴史上、ある時間そのものについて、ある種深く考えましたっていうのが、アグシウスさんが本当初めてだったんだって言われてるんですよね。
そうか、資料が残ってるって意味だとは思うけど、ここなんだ。ここは源流なんだね。
ここは源流なんです、本当の意味で。何かっていうと、もちろん資料がって話もあるんだけれども。
さっき言った通り、プラトンとかアリス・ゼレスも当然時間ってどういうものとかって考えてるわけですよ。
ああ、そうなんだ。
もちろん。他の人も当然時間とはとかってことは言ってるんだけれども、それってあくまでも時間そのものっていうよりは、
時間とは例えばこれこれこういうことだよっていうふうに別のものとの関係、もっと言うといわゆる運動との関係っていうことで説明してるんだよね。
これどういうことかっていうと、
単純に日常的にも家からコンビニまで歩くとかってするじゃないですか。
いうときに、私はさっきは家にいたが今はコンビニにいるとかっていうふうに、
自分が移動したっていう結果を後から振り返って、つまりこれは時間が経っているんだとか、
つまり家にいたのは過去で今っていうのはコンビニにいるっていうことなんだみたいな感じで、
その運動の結果時間があるよねとか、運動したっていうことから時間っていうものを推測するよねみたいな、
06:06
結構そういうふうな捉え方をしてるんだよね。
ああ、まあだってそりゃあね、だって時計、時間で言うと時計とか1秒2秒みたいな概念もないわけだもんね。
ちゃんとはないはずだからね。
ないよね、当時1秒とか。
おそらくないと思う。
あるのかな。
秒っていう厳密な定義というか、そういうのはないと思うね。
たぶん牛のコクみたいな、そういうもうちょっと素朴な感じだよね、たぶんね。
そこはもう日が沈んだらとかさ、やっぱりそういうことだと思うんだよね。
もちろん砂時計とか日時計とかはたぶんあったから、
だいたいその何時みたいなのとか、今はこのぐらいの時間だよねっていうものはあったとは思うんだけど、
そんなきっちり1秒でとか何分でとかっていうのはなかったんじゃないかな。
はいはいはい、なんとなく1時間ぐらいの雰囲気のスパンのイメージで動いてるみたいな。
そうです、そうです。
だからまさに日時計とかって言ったけど、日時計はやっぱり影の動きで時間を測るし、
僕らが使ってる時計も、デジタル時計はあれだけど、アナロイド時計はやっぱり針の動きで僕らは時間をあるし捉えてるわけだよね。
つまり時間について考えるって言いながら、実は運動について考えてますっていうのが、
このプラントとかアリストテレスがやってたことなんだよね。
まあそれの何が悪いのっていうことぐらいわかんないけどね。
でもこれって要は、おそらく人間のことを知るのに時計をまさに見てるみたいな話なんだよね。
要は人間ってものを知りたいっていう時に影を一生懸命調べて、影が動いたということは人間が動いてるはずだみたいな風に、要は間接的に言ってるわけよ。
おー、まあね、それ時間…うん。
そうじゃないでしょと。要は時間を考えたりだったら、やっぱり時間そのものにアプローチしなきゃいけないんじゃないっていうことに、ちゃんと向き合ったのがアグシンスなんだよね。
あ、それはヤバそうだね。
ヤバそうでしょ。どうするのって話じゃん。
人間ならまだしもね、まだしもっていうか。
人間ならさ、別に一応カンノハヤドっていう人間をよく観察してとか解剖してとかいろんなことができるわけじゃん。
時間をどうやって観察したり解剖したりしますかっていう話なんだよね。
いやー、そうね、その本体まずどこにいるのか教えてっていう。
そうそうそうそう。そうなんです、そうなんです。
で、まあそれをある種こう、やったんだぜっていう話なんですけど、なんでそんなことをまずしたのかっていうと、
彼は哲学者っていうよりはさっきもさし通りキリスト教の神父さんなんですね。
09:03
神父さんとか教父っていう人たちは何をするかっていうと、要は神の問題について当然考えていきますよと。
神様って、要は聖書自体はあるわけだよね。
だからそれある種解釈していったりとか、それある種多く伝えていくために、いわゆる異教徒でもたぶん理解できるような論理を作っていくとか、
説明を作っていくとか、そういうこともしていますと。
なるほど、ここってなんでこうなってるんですかとか、あとは異教徒だったりとか、逆にめちゃくちゃ意地悪な質問をしてくる人とかいたときも、
ちゃんと解きふさないといけないのかっていうね。
まさにまさに。
そういうニーズもあるわけだな、不協する側からするとね。
そうなんだよね。
まさにそういうふうな話があって、例えばなんだけれども、
聖書の創世記っていう書というか、中に最初に神の天地創造について書かれてるんですよ。
それが、はじめに神は天と地とを創造されたっていうふうな表現がある。
まあまあそれはそうかって思うんじゃん。
要は天と地ってこの世界を創るときに、いわゆる空というか宇宙と地球とか地面とみたいな話、今の概念でいうとね。
っていうふうなことを言いますよと。
そこに対してやっぱりアグレッシブさんは考えるわけですよ。
なるほどねと。
それはわかるんだけど、このはじめにってなんだろうねと。
なるほど。
はじめに神はって書いてるんだけど、このはじめにってどういうことっていうのを考えるんだよね。
これは単純に考えるっていうよりは、さっき言った一文みたいな話があって、
キリスト教以外の人から、神が天と地を創ったって言ってるけど、その前は神様何してたの?とかって言われるわけよ。
いや想像以上にイジワルだね。
だいぶイジワルだな。
だいぶイジワルでしょ。
小説買ってさ、1行目からさ、文句つけてるようなもんじゃん、それ。
雨が降っていたみたいなさ。
トンネルを抜けたら生き生きになったとかって言うときにさ、どこトンネルですか?みたいなさ。
何トンネル?それ誰が作ったんですか?みたいな。
いや勘弁してよね。
それはやっぱり小説と、いわゆるバイブル、聖書の違いだと思うんだよね。
やっぱりバイブルはこのある心理を説いてるわけだから。
フィクションじゃないんだもんね。
そうそうそうそう。
なるとそりゃ始めにって書いてるけど、始めの前って何なの?みたいな。
うわー。
そういう事があるんで、やっぱアグシンさんはそれに対して説得力がある回答を示さなきゃいけないわけですよ。
じゃないとやっぱり異教徒に、所詮キリスト教でなんぼのもんじゃいとかになっちゃうからね。
12:05
かわいそうだな、そんないっちゃもんにも答えなきゃいけないね、確かにね。
そうそうそうそう。
なので、この始めにってなんだってことをある種真剣にというか、
本当に必死に考えなきゃいけなかったわけなんだよね。
きついな。ビッグバンの場合何があったの?って答えろって話でしょ。
そう、まさにまさにそういう事。
これの回答というか詳細は省くんだけれども、
それから時間というか映る時に1個で間にキーワードが挟まるんですよ。
それが何かっていうと、ここに出てくるのが永遠っていうキーワードなんだよね。
永遠ですと。
永遠ってさ、これは色んな人の捉え方があるとは思うんだけれども、
すごい素朴に僕が考えると、要は時間が無限に続くこと?
永遠っていうのは時間が途切れなく続くみたいなことのイメージだなと思うんだけど、
そこってどうだろう?それってそんなに違わないかな?
そうだね、今時間の話の流れでいうと、確かにずっとずっと続いていくみたいなイメージもあるし、
あと不老不死みたいなイメージもある。変わらないみたいな。
そうだよね、まさにまさに。
なんか難しいよね。流れてるイメージもあるし止まってるイメージもあるというか、そんな感じ。
すごい面白い。まさに兄貴の話は実はアーグスティンさんにすごい近くて、
僕がさっき永遠っていうのは時間が無限に続くと言った時に、
永遠と時間っていうのは結構近いというか、要は無限に続く時間が永遠で、
続かない時間はいわゆる僕らが普段生きる時間ですよとかっていうふうに僕は捉えてたんだけど、
アーグスティンさんから言われると、これはもう全然別の概念だと。
要は永遠と時間っていうのは全く別の概念ですっていうふうに言うんだよね。
なぜならっていうのは実は兄貴がまさに言ってくれた通りで、
永遠であるっていうのは変わらないっていうことなんだよね、アーグスティンさんに言わせると。
自分で言いといてよく分かんないけど、そうなんだ。
つまり変わらないってことは常に等しいってことじゃないですか。
要はこれは神の永遠って話なんだけれども、
逆に言うと神様がその時々で何か増えたり減ったりとか、
要は成長したり衰退したりしたら困るわけですよ。
そうだよね。横々になってたりしたら困るよね。
もちろん神話的にはそういう神話もあるだろうけれども、
やっぱりキリスト教の神ってやっぱりある種完全無欠なわけだから、
まるで始まりとか終わりってものがないんだよね。
15:04
要は神は常に完全なものとしてあって、
それが完全なまま存在し続けるみたいな、そういう話なんですよ。
それって要は神様っていうのは変化しないってこととイコールなんだよね。
つまりこれが永遠っていう話なんだけれども、
逆に時間っていうのは、さっき兄貴も言ってくれたんだけど、
常に変化するじゃないですか。
変化するってことを捉えた僕らは多分時間っていう風に言っているとすると、
ある種何事も一切変わらないとしたら、
そこにはある種時間っていうものはないっていう風に言えるんですよね。
なのでさっき僕は永遠っていうのは時間が無限に続くという風に言ったんだけれども、
アーグスインスさんからするとこれはもう全くの間違いで、
永遠っていうのは変わらないことで、時間っていうのは変わることだから、
全然違うレイヤーの話をしてるんだぜっていう風に言ってるんだよね。
なるほど、混同しちゃダメだし、
全然混同するような話でもないんだよ、そもそもっていう話を。
そうそうそうそう、そもそも違うよっていう風な話なんだよね。
なのでちょっと繰り返しになるんだけれども、
永遠っていうのは不変性、変わらないっていうことを土台とするんだと。
これがいわゆる神の永遠なんだよね。
こういう風な概念から考えると、
さっきはじめに神は天と地を創造したっていう風に言ってるじゃない。
このはじめにっていうのは、いわゆる人間の語話から見た記述なんだよね。
だから、突然神様が現れて、
天と地っていうものをある種一生懸命縁やこら作ったみたいな、
そういう風に捉えられるんだけれども、そうじゃないんだと。
そうじゃなくて、神はある種何もしないっていうか、
ある種逆に言うと一瞬のうちに全てを成し遂げたみたいな、
それがイコールなんだよね。
おー、はいはいはい。
だから、はじめにとかって言ってるのは、
あくまでも僕ら人間というか、時間の中に生きる存在が言うとした話であって、
神からすると、全てを一瞬のうちに作ったんだけど、
それがまずは天と地っていう概念で、
僕らとしては理解してる、人間としては理解してるんだぜみたいな。
そんな風に解釈しますと。
はじめにっていうのはあれだよね。
そことさっきハエットが言ってた、
トンネルを抜けたらと同じくらいの感じで、
目を覚ましたら世界があったみたいな、
我々からするとみたいな。
そんな意味でしかないっていう。
神様からずっと会ったし、
神様はずっと、
うちらの捉えてる時間感みたいなものとは全く違う、
18:02
永遠っていう、
そこの感覚の中の存在だから、
そこがもうすぐ断絶していて、
その神が何か作ったっていうのが、
人間からすれば、
新しくできたとか、
時間の経過的に、
できていって、
これからできたものが朽ち果てていくようなイメージもあるけれども、
そうじゃないんだと。
そうじゃない、そうじゃない。
よく考えたな。
それとはなるほどって思う考えもあるし、
神がもし全てを作ったっていうことが正しいとするならば、
その中に神様が始めて終わりを作ったってことも含まれてるはずなんだよね。
なるほど、確かに。
あると、それが要は時間なんだと。
つまり、アーグシンスに言わせると、
ある種、永遠っていうところに置いてある神から、
神があらゆるものを作ったときに、
始めと終わりっていうものができて、
それを我々は時間として捉えてるんだっていうふうにアーグシンスは言ってるんだよね。
不変の神から変化という時間が生まれてきたとか、
不変の永遠の神から、
時間の中に生きる我々人間という存在が生まれてきたみたいな。
そんなふうに捉えると、
この始めに神が天と地を作ったっていうことも、
ある種わかるよねっていうふうな話になりますよ。
すごい、それは納得させられるわ。
納得というか、イチャモン付ける側からしたら、
これにちゃんと反論するってことがとても難しそうっていう意味で。
そうだね。
永遠と現在、時間っていうものを、
それをさらにひっくり返そうと思うと結構難しいじゃない。
なので、説得力ありますよっていう話なんだけど、
ある種宗教の話なんで、
キリスト教さんでは、
ちょっと京都っぽくなったけど。
だいぶ嫌味だな、言い方が。
嫌味イメージあるじゃない。
別に京都人はそんなんじゃないし、
ボロボロと住んでるからなんですけど。
実際あるのよ、そういうの。
おじいちゃん、おばあちゃんの世代とかいうと、
あのお子さんよく勉強しはるんですね、みたいな。
嫌味のイメージがあって、
そういうのがあって、
ああ、あのお子さんよく勉強しはるんですね、みたいな。
嫌味っぽい言い方とかあるんだよね。
それは言い方のニュアンスもあるだろうけど、
そういうふうに使われることもあるんだ。
実際、気持ちとしてそれを使うこともあるね。
別にそれはいいんだけれども、
キリスト教さんえらいですわ、みたいなことがありますよと。
それはもちろんそうだよね。
そもそもで言ったらね、
神様って何ですか?って言っちゃもう付けられるわけだからね。
そうそう、そうなんです。
そもそも神を前提と言ったらどうかみたいな話もあるから、
21:01
あくまでもこれは宗教の話なんだけれども、
これでは終わらないっていうのが、
むしろここからより深く時間というのに切り込んでいくっていうのが、
アグスティヌさんのすごさなんですよね。
そう、明太子、明太子じゃないんだ。
これは前座です、今ここまでは。
ここからちゃんと時間について考察を深めていくんですよって話をするんだけれども、
さっきの話からすると、
時間っていうのは永遠である神から生み出されましたよっていうところがいいでしょうと。
それは別にある種僕も信じてるわけじゃないし、
それにある種完全合意するわけじゃないんだけれども、
そこからアグスティヌさんは、
じゃあこの時間って一体何なんだっていうことをちゃんと考えてくるんだよね。
神の方に考えてほしかったね。
神の方はまた別の議論で考えていて、
ちょっとこれ最後、戻って来たら戻ってくるんだけど、
ちょっと皆さんも聞き逃してるかもしれないんだけれども、
兄貴がまさに神の永遠と人間っていうのは断絶してるんだって断絶って言葉を使ってたんだよね。
使った使った。
ってことは逆に言うと、神と人はもう交わらないんですかっていう、
これキルゲゴールの時にもやったまさに問題がここでも出てくるんですよ。
神と人ってどうやって繋がるんですか。
要は永遠普遍の神と時間の中で生きる変化する人間って、
それと断絶するってことは交わらないってことじゃない。
そうだよね。
人間と神っていうのはどうやって関係を持つんですかって呼ぶのならば、
そこに要は出てきちゃうんだよね。
それを考えるたびにも実は時間っていうものを考えるのが必要だったんですよと。
なんか、やっぱ頭いい人ってすごいね。
すごいでしょ。
ちゃんと考えてくれてるんだもんね。
ちゃんと考えてるね。
そっちに行くと結構悩ましくて難しくなっちゃうんで、
もう少し素朴なある種時間っていう概念の方から進んでいきたいよって思ってるんですけど、
素朴に僕らの生活の実感から考えると、
ある種時間っていうものは過去、現在、未来っていうふうな3つの区別があって、
過去から現在になってそこから未来に至るよみたいな、
そういう変化で存在してるっていうふうに感じられるじゃないですか。
それをある種素朴な考え方をしたときに、
でも本当にそうやってどうですかってことを疑えるよねってことから考えていくんだけれども、
ちょっと考えるとこれもわかるんですけど、
要は過去っていう時間がさっきあるよって話はしたんですけど、
24:02
でもよく考えると過去っていう時間はすでに過ぎ去っちゃってるじゃないですか。
存在したとは言えるかもしれないけれども、今存在してるとやっぱり言えないし、
未来っていう方はもっとあれで、
要はまだ来てない時間なので、これはやっぱり存在してないっていうふうに言えると思うんですよね。
だって今、かつて存在したことがなかったから、
未来について存在するかもとは言えるけど、
これも存在してるとは言えないわけだよね。
わー、これ面白いね。
今普通に聞き流してるけどさ、
過去っていうものが存在するかって言われたらわからなくて、
存在したとしか言えないっていうのも、これまた面白いね。
嫌ではないっていう、ちゃんと厳密に定義していくとって話したんだね。
そもそも時間って存在してるって、
時間、存在とは何かっていう話を今年の第一回でしたと思うんですけど、
まさにそれと同じで、時間っていうものはそういう存在っていうカテゴリで、
そもそも話せるものなんですかっていう問いは実はあるんだよね。
そこに対してまさに切り込んでいくような話をこれからしていくんですけれども、
ある種日常的に言うと、過去の未来も存在してるよねっていうふうに言えるんだけれども、
今みたいに考えると、過去も未来も実は存在してないじゃないかとも言えますよと。
いやー、そうだね。
わー、面白い。だって、うちらはね、過去と現在と未来がありますって教わるからね。
そうそうそうそう。
過去っていうものはありました。現在っていうものはあります。
未来っていうものはあるでしょうとは教わらないじゃん。
教わらない、教わらない。
なので、過去と未来の存在が少し危うくなってきましたよと。
で、残る現在ね。
現在どうですかっていうと、やっぱり現在っていう時間がないとさ、
今こうやってポッドキャストで話すとか、兄貴とこうやってコミュニケーション取れることもできないわけだから、
当然現在っていう時間は存在するって言えますよねと。言えるように思えますよねと。
逆にね、一方で現在が存在するって言ってしまうと、
現在ってある種固定化されたものがあるっていうふうに思えちゃうじゃないですか。
例えばパソコンがあるとか、ある種何だろう、何でもいいんだけどそういうものがあるって言ったときに、
じゃあ現在があるっていうと、現在っていうものが固定的に存在するようになりますよね。
それっていうのは要は、じゃあ現在っていうものが固定化されるってことは、ある種変わらない現在っていうものがあるっていうふうになるじゃない。
なるほど。
27:01
変わらない現在っていうことを受け止めるとすると、
それは結局、普遍の時間っていうふうな感じになっちゃって、イコール永遠に近づいちゃうんだよね。
なるほどね。そういうふうに切り取っちゃうとね。
そう、切り取ってしまうと。もし現在っていうものをスパッと切り取れるとすると、
切り取った現在っていうものが、要は変わらないっていう属性を持ち始めますと。
でも現在っていうのは、要は過去になりゆく時間とするのが現在でしかないんだよね。
あるいは未来に向かっていく時間とするのが現在でしかありませんと。
ああ、そうとも表現できるのか。なるほど。一瞬後の過去とかじゃなくてね。
次の未来に行く今みたいな話もできるのか。
それは初めて聞いた。
そういうふうに、ここに対する現在とか、未来に向かう時の現在っていうふうに言わないと、
現在っていうものは、要は普遍的なものになってしまって、変わらないものになってしまって、
時間が変化するっていう属性と矛盾が生じちゃうんだよね。
面白い。そっかそっか。現在って個別具体的なものじゃなくて、すごく相対的なものでしかないのか。
そうそうそう。そうなんです。
僕らは例えば、いわゆる時間を輪切りにして、過去の時間、現在の時間、未来の時間っていうふうに輪切り、
要は太巻みたいに考えたりできるんだけど、
そうじゃなくて、あくまでも切断面の話でしかないんだよと。現在っていうのはね。
だから現在っていう時間を輪切りにすることはできませんよと。
で、なると、やっぱり現在っていうものも実は存在しないというか、
もしかしたら存在するかもしれないけども、それはまさに相対的なもの?
しか過ぎないんじゃないかっていうふうに言えるんだよね。
ここまでのこの5分10分の話だけでも、要は過去と未来と現在が存在しますっていう話と、
いやいや過去と未来と現在は存在しませんっていう話と両方言えそうな気がするじゃないですか。
じゃあどっちが正しいんだっけって話になってくるんだよね。
アグシンス的にはこういうことなんじゃないかってことを考えてるんだけど、
それはね、実は時間の捉え方が問題なんだと。
要は僕らが時間っていうものをある種すごいぼんやりとしか捉えてないから、
こういう問題が起きるんじゃないかっていうのが、ある種アグシンスさんの発想なんだよね。
で、これは大きく2つに分けるんだけれども、
1つはね、ちょっと言葉としてややこしいんだけど、
それ自体としての時間っていうものと、
私たち自身において成立する時間っていうのは2つをアグシンスさんも考えますと。
30:00
おお、なんか長いね。
長い。ある種時間そのものっていう話と、
僕らにとっての時間みたいな、そんなふうに言ってもいいとは思うんだけど。
これ何を示そうとしてるのかって話なんだよね。
まず1個目の、それ自体としての時間、いわゆる時間そのものなんだけど、
これはある種、人間とは切り離された時間とか、
ある種、人間がいようがいまいがあるとしたらあることの時間っていうふうな考え方なんだよね。
これがある種、プラトンもアグシンスも考えられなかったんだよ。
あくまで主観的なみたいな、経験的にしか考えてなかったって話なのね。
ある種、運動とか何かが動く、星でもいいんだけど天体が動くとか、人間が動くとか、
そういうものと関係する時間っていうことしか読み込めなかったから、
人間もそうだけど、あらゆる存在と切り離された時間そのものっていうことを、
初めてここでアグシンスをちゃんと定義というか捉えて考えていくんだよね。
なるほど、なるほど。その後ちょっともう分かんなくなるな。
主観とかじゃなくて、例えばあそこにある草が枯れていくとか、
そういうのからも切り離しちゃうって話ね。
からも切り離す。
もう分かんなくなってきた。
分かんなくなってきた。
だいぶ切り離すね。
ある種、超抽象的な時間なんだよね。
そこは確かにもう想像つかなくなるもんね、だってね。
やっぱりイメージできないじゃん。
じゃあ時間を想像してくださいって言われたらさ、せいぜいが時計を想像するか、
いわゆる四季、春夏秋冬みたいな自然の巡り合わせを想像するかっていう感じで、
時間そのものを想像するってやっぱり人間にとっては無理というか、
やっぱり訓練を積まないと無理なんだよね。
ある種、アグレッシブにそもそもやろうとしたとかやりましたと。
この場合、ある種時間そのものとかを考えた場合、過去と未来は存在しませんと。
かつ現在というものも過ぎ去りつつある現在という形しか存在しませんという風に言うんだよね。
これ何でかっていうと、要は時間そのものって考えたときに、
さっきと同じ話で要は、過去とか未来っていうのはやっぱりどう考えても、
過去の時間が存在するという風には言えないんだよね。
だってやっぱり過去になった瞬間にその時間っていうのは消え去っているわけだから。
もう無いからね。無くなってるからね。
やっぱり無いという風にしか言えないし、未来もまだ来てない時間だから、
33:02
未来という時間があるという風にはやっぱり言えない。
概念上言えるかもしれないけれども、時間そのものとしてはあるとは言えないという風に考えるんだよね。
はいはいはいはい。
で、逆に言うと現在というものも一瞬一瞬はあるかもしれないけれども、
それはやっぱり無になり続けていく。
要は過去という無になり続けていくものとして、
ある種、定義しようと思ったら定義せざるを得ない。
うんうんうんうん。
で、そう言うとやっぱり時間は消え去ってしまうんだけれども、
ここで面白いのが、僕らはやっぱりさ、時間の流れっていうものを考えるときに、
過去、現在、未来って考えるじゃない。
そうじゃなくて、やっぱり現在の時間が過去になって消え続けていくから、
このアーグセンスの考えからすると、
時間っていうのは未来から現在にある種流れていって過去に消えていくっていう風な、
未来、現在、過去っていう風な繋がりになっていくんだよね。
うんうんうんうん。
やっぱり存在しない時間が、現在という瞬間で一瞬存在をして、
それがまた過去っていうものに消えていくっていう風な、
そういう風なものとして時間というものを捉えていきますと。
はいはいはいはいはい。
これって結構ね、仏教的な、刹那みたいな考え方に近い気がするんだけれども、
一瞬一瞬に、現在というか世界というものがある種生まれて消えていくっていう、
それが繰り返されているのが、ある種僕らが捉えている時間?
うんうん。確かに近いよね。
近いかなと思う。
永遠っていうのは、ある種生まれることも消え去ることもないから、
常に普遍なんだけど、
時間っていうのは常に生まれて消えていっても繰り返されているんだ。
ある種時間そのものの姿なんだっていう風にアーグセンスさんが捉えます。
という風な感じなんだよね。
はいはい。なんとなくわかるかなーみたいなね、言葉通りにはね。
そうねそうね。
これがある種時間がないっていう話なんだけれども、
逆に時間があるっていう話?これどうするのってことなんだけど、
これがさっき言った、僕らにとっての時間、
私たち自身において生み出せる時間っていうふうに説明するんだよね。
うんうんうん。
これがどういうことかっていうと、
さっきさ、時間そのものっていう中で、
過去も未来もないんだけど、現在の一瞬っていうものはある種あるんだって話をしたじゃないですか。
うんうんうん。
っていうときに、この現在っていうものを何とか基盤にして、
人間として自分なりに過去とか未来を構成する。
その結果捉えた時間っていうのが、
僕らにとっての時間なんだっていうふうにあれば考えるんだよね。
うんうんうん。
どういうことかっていうと、
例えば10年前は東京に住んでいたとか、
36:03
20年前は海外旅行をしてるだろうとかっていうふうな言葉を、
僕らは日常使ったりするじゃん。
うんうんうん。
っていうときに、当然10年前に東京にいた自分、いる自分か、
っていうのは今もちろん存在してないし、
うんうんうん。
20年後に海外旅行をしてる自分ももちろん存在してないよね。
うんうんうん。
ある種それを捉えているというか、
これは前回の話を踏まえて心とか脳とか言ってもいいんだけれども、
うんうんうん。
ある種、過去東京に住んでいた自分っていうものが捉えている自分っていうのは今存在しているし、
うんうんうん。
未来、将来海外旅行をしてるだろうっていうふうに考えている自分も今存在してるわけだよね。
うんうんうん。
つまり、結局その存在は現在というところにおいて、
過去を思い描いたり、未来を思い描いたりすることができるので、
うん。
もっと言うと、この過去とか未来っていう時間は、
実は全部結局現在に紐づいてるんだっていうふうに考えられますと。
うんうんうんうん。
だから、最近の時間相応って話で言うと、過去とか未来っていうのは時間相応としてはないんだけど、
うん。
僕らにとっての時間っていうものを考えると、
現在っていうところと接続する形で過去っていうものはあるし、
うんうんうんうん。
未来っていうものについてもあるんだっていうふうに言うことができると。
はいはいはいはい。
うん。
っていうふうに、時間の取り方を変えることで、
過去とか未来があるとかないとかっていうふうなことが切り替えられるっていうことを
アーグリス・インスさんは言うんだよね。
うんうんうんうんうん。
どうだろう、ここって違いってわかる?伝わるかな?
うーん、どう?いや、たぶん、ちゃんとはピンときてないかな。
はいはいはい。
たぶん後半だよね、言ってくれた。
うちらが捉える過去のことも考えられるし、
未来のことも想像できるっていう意味では、
うちら視点、人からすると、
それぞれ存在するって言えるよね。
はいはい。
たぶん一番素朴な感じだから理解できると思うんだけど、
前半のほうだよね。
うん。
そこがこう、いまいちというか、
はいはいはい。
わかんないかな。だから、
ピンとこない。
ないとか、だからあるとかっていうのが、
ちょっと、なるほどとはなってないから。
なるほどね。
おっけおっけ。
えっとね、
これいくとたぶん、
たぶんというかちょっとわかんないながら話すんだけど、
うん。
いまもう時間っていうものを2つに区切ってるじゃないですか。
うんうんうんうん。
だから、そもそも時間っていうものが、
別の種類の時間がある。
要は、いわゆるカテゴリーの話なんだけど、
うん。
例えばその果物があったときに、
これはリンゴで、こっちはパイナップルでみたいな話があったりするじゃない。
39:03
うんうんうん。
すると、
あ、果物っていう中にリンゴとパイナップルって別のものがあるなっていう風になると思うんだけど、
うん。
これ同じでいわば時間っていうものの中に、
時間そのものと僕らの時間っていう別のものがあるよねっていう風な話をいましてるんですよね。
あー、あ、そうなんだ。
完全に別のもの。
さっき人間が捉える時間と、
あと永遠っていうものが全然違うんですよと。
見ると同じくらい2つの時間が違うっていう話。
そうです。
うーん。
もっと言うと、
永遠と時間っていうのは全然違うって話をしたじゃないですか。
うん。
それでわけだと思うんだけど、
で、その時間って分けた時間の中に、
それ自体とその時間と、
私たち自身において成立する時間とって2つの時間があるよっていうことを言ってるんだよね。
うんうんうんうん。
どっちも時間なんだけど、
ある性質が違う、それはどっちも果物なんだけど、
リンゴとパイナップルって違うじゃんって言うのと同じくらい違うっていう風なことを言おうとしてますと。
うんうんうんうん。
だからどうしても僕らは時間って言われると、
僕らが素朴に思ってる時間の感覚が理解しちゃうんだけど、
そうじゃなくて、
ある種時間初心者になってほしいね、ここでもやっぱり。
うんうんうんうん。
時間初心者になって考えたときに、
時間そのものっていうものを考えると、
過去とか未来ってやっぱりあるとは言えませんと。
うんうんうんうん。
なぜかっていうと、要は、
時間っていうものが、
例えば変化し続けることだとしたときに、
やっぱりその変化し終わったものとか、
変化する前のものっていうのは、
そもそも存在してない、
要は消え去ってしまったものだし、
まだ現れてないものだから、
存在するとは言えないわけだよね。
うんうんうんうん。
だから過去っていうものはもう消え去ってしまったからな、
要はそれは、
リンゴは食べちゃったからありませんって言うのと同じだし、
うんうんうんうん。
要は未来に関して言うと、
リンゴはまだなってないからまだありません。
要は例えば買ってないからありませんって同じような感じで、
未来っていうものがここにはありませんっていう話なんだよね。
うんうんうんうん。
この捉え方って伝わるかな?
あー、なる。
えっとね、
ちょっとじゃあイメージは、
大丈夫大丈夫。
よくゲームとかクイズであるんだけどさ、
はい。
あの、
こう、
二つのついた手の間にさ、
なんか物がピョーンって飛んで、
ちょっと狭いところをさ、
ピョーンって飛んでって、
これなんだ?みたいになって。
あるね、あるある。
見えないやつね。
そうそうそう。
あのイメージで、
あーはいはいはいはい。
狭いついた手の間を、
常に何かが動いてるわけ。
はい、面白いね。
そっちの、そもそも動いてるものが時間そのもので、
はい。
42:00
でその、
私たち自身においての時間みたいな、
うちらの時間は、
そのついた手から覗いてるところだけしか、
時間そのものを捉えていなくて、
その一瞬シュッと通ったものを、
うちらは認識して、
あ、今通った。
でも、
その通ったってことは、
うちらのこの記憶を中には蓄積されるから、
あ、さっきもずっとあれ通ったし、
昨日もあれ通ったしっていうもので、
過去にああいうものは通ったはずだっていうのは構築されていて、
で現在もそれ見えてるから、
それがこう、
何だろうな、
それで思ったとおり現在は構築されて続けていて、
そのついた手の間からね、
時間そのものは何回かバーって流れてて、
はい。
だから時間そのものはもう、
過ぎた後のものはなくなっちゃうし、
次、前のものは、
これからついた手の間を通るために準備してるっていう、
流れて消えていくっていうものは、
存在してるわけで、
うちらはついた手からしか見えないから、
で、そうすると、
あ、未来も、
ということはこの先、
あれが流れてくるかもなとは確かに想像できるみたいな、
そういう元々の時間とそれを捉えるめっちゃ狭いものみたいな、
イメージが湧いた。
そうねそうね。
それはね、本当にたぶん近しいイメージだと思う。
今兄貴が言ってくれたついた手の例、
めちゃめちゃ面白いなと思ってて、
ちょっとそれを借りて喋るんだけれども、
例えば、ある種、ついた手が、
1、2がありますよと。
で、ついた手、
例えば1の方が右側にあって、
そっちからある種ベルトコンベアみたいなもので、
リンゴが流れてくる。
まあそうね、だったりとか、
シュッてなんかポイッて投げられるみたいなイメージ。
投げられるみたいなね、そうそうそう。
で、そうすると、
それで2の方にリンゴ、
リンゴでいい、
ん?なんだ?
何か物が行くわけじゃないですか。
そうね、ポイッてね、
一瞬見えたと。
1と2の間だけ、
僕らは見えるっていう話だよね。
そうそうそう、
その隙間はね、
一瞬パッて、
なんだこれ?っていう。
そうそうそうそう。
で、行くと、
僕ら、
見てる人の期待値からすると、
要は全然1の方から、
何かが飛んでって2の方に行くよね、
っていう風に期待するじゃないですか。
うん、そのつもりで、
テレビ画面をじっと見てるよね。
遊びてるよね、そう。
なので、1の方に、
ある種とか未来があって、
運ばれてきた2の方に、
過去に行くみたいな、
そういう風な考えだと思うんですよ、
兄貴からすると。
まさにそうだね。
だって、
うちらが認識できるのは、
何が飛んでくるか、
1の方だよね、
右側のツイートだったら、
全く分かんなくて、
その隙間を頑張って見てて、
シュッて何かが通った、
っていうところが現在、
みたいなイメージで。
そうね、そうだね。
で、その後見えなくなっちゃうけど、
そっちは過去のイメージじゃない、
見えなくなっちゃった、
45:01
だからリンゴが今通ってる、
シュッて通った、
通った、
っていう過去の積み重ね、
過去と現在の積み重ね、
みたいなのができて、
ってことは次もリンゴか、
何かみたいなのが、
全く分かんない未来、
っていう風に捉えてる。
そうだよね、そうだよね。
うん、うん、OK。
これは実は兄貴が言ってくれたのは、
まさにさっき2つ目でお伝えした、
私たち自身において成立する時間、
の話をかなりイメージしやすくしてくれてるんですよ。
ほうほうほう。
これをアーグセンスは、
期待とか記憶とかって言葉で
実は言ったりするんだけれども、
まさに1回でリンゴが飛んできたら、
次もリンゴかとか、
いや次はナシかとか、
っていう風に期待するわけじゃない。
そうね、勝手に想像しちゃうね、
いろいろね。
そうそう。
で、そこにある種、
人間の未来に対する、
未来があるっていう風な感覚が
生まれてきます。
うんうんうん。
で、逆にリンゴがポイって
2の方に行ってしまったとすると、
そっちはリンゴが飛んでいったって
記憶が生まれるわけだよね。
これが要は、過去の子がある。
要はリンゴが飛んでいったから、
ついたって2の方に今は見えないけど、
きっとリンゴがあるだろうみたいな、
そういう風な推測にも
つながってるわけなんだよね。
うんうんうんうん。
なんでつまり、
僕らの心とか脳みたいなものがあるからこそ、
未来と過去っていうのは接続されて、
それが現在になるんだけど、
うんうんうん。
ここで、
要は僕らは、
未来にきっと果物が飛んでくるだろう、
だから未来があるとか、
うんうんうん。
さっきリンゴが飛んでいったっていうことは、
ここに過去というか、
リンゴが飛んでいったという事実が
あっただろうっていうことで、
過去があるっていう風に捉えているのが、
見る人の視点なんだよね。
はいはい。
それを基づいて、
例えば、やったまたリンゴだーって
思う人もいれば、
その現在でね、
過去とか未来の期待と、
今の軸先があって、
で、今現在リンゴが飛んできた時に、
やったーって思う人もいれば、
ちくしょうまたリンゴかよーと思う人もいるっていう、
その現在が生まれてるってことだよね。
まあまあそうですそうです。
その現在の接続っていう。
そう、現在に関してはね。
そうそうそう。
そういう意味で、
その現在と過去と未来がつながっているっていうのは、
その話なんだけど、
うん。
これはあくまでも、
その、
いわゆる着いた手を外から見てる人の目線なんだよね。
まあそうだよね。
うん。
今その話をしてるからね。
まあそれ以外何かあるのかって話だと思うんだけど、
ここで、
ここで、
ある種その、
リンゴの方にちょっとね、
気持ちを、
乗せてほしいのよ。
ほうほうほう。
あなたは、
あのー、
今からまさに投げられようとしているリンゴですと、
着いた手1からね。
うんうんうんうん。
そうすると、
そうするとだよ。
うん。
要は、
そのリンゴからしたら、
着いた手1にいるっていうのは今だよね。
うん。
それが、
着いた手2に、
ポーンって投げられたとすると、
うんうんうん。
着いた手1にいたっていうのは過去になって、
48:01
うん。
着いた手2に行ったっていうのが未来になるじゃない。
そうね。
うんうんうんうん。
つまり、
リンゴから見た過去と未来と、
見てる人からする未来と過去が逆転するんだよなここで。
うわあ。
ちょっと待ってそれ。
うん。
ああ、
すごい、
面白いねそれ。
そっか。
ね。
うん。
リンゴの視点、
裏側ではない、
着いた手裏側からすると、
裏側の、
うんうん。
そっか。
ちょっと、
頭今変な感じになってるけど。
着いた手1が、
たぶんアハ体験になると思うんだけど、
さっきまでは、
着いた手1が未来で、
着いた手2が過去だったじゃん。
うんうんうんうん。
でも、
リンゴ裏側からすると、
着いた手1が過去で、
着いた手2の方が未来になるんだよな。
うわあ、
はいはいはいはい。
うん。
っていう風なことがねじれが起きるっていうのが、
まさにその、
時間そのものっていうところから考える中によって、
変わってきますと。
おおー。
うんうんうんうん。
うん。
まさにこの、
今リンゴって言ってるのが、
要は時間っていう風な話なんだけど、
うん。
比喩としてね。
そうだね、
時間側の話だもんね。
うん。
そのものの方の話だもんね。
そうそうそう。
で、
そうすると、
今、
着いた手1の裏に、
リンゴ、
まあ、
時間があるときに、
リンゴ裏側に、
リンゴ裏側に、
リンゴ裏側に、
リンゴ裏側に、
リンゴ裏側に、
リンゴ裏側に、
リンゴ、
まあ、
時間があるとは言えますよね、
と例えば。
うん。
それが、
投げられた瞬間で、
例えば、
僕らが現在としての隙間で、
そのリンゴを見たっていう瞬間があったときに、
うん。
その瞬間だけを捉えると、
リンゴからしたら、
その、
全然1の裏にも、
全然2の裏にも、
ないわけよ、
リンゴは。
うん。
その瞬間ね。
うんうんうんうん。
つまり、
今も未来もないのよ。
これが、
言ったそれ自体としての時間というところから捉えたときに 今も未来もないんです現在もどんどん経緯よくもうあの消滅するものとしてあるだけ
なんですっていうふうに言った話にかなり近くなると思うんだよね うんうんうんうんうんうんうん
これなんかどうだろうイメージはかな うーんなんか面白いしただそうねその時間って面白い
その仮にそうやってあのあらかじめ うちらからするともう舞台裏だから完全わかんないんだけど
あそうそうそう もう流れるものとして準備されているとしたときにですら
その時間側はよし今だ今だ 見てもらうぞってあったときにしても 今見てもらうぞって言ったんだけど
観測者みたいなものがいないと そもそもその存在し得ないその儚さみたいなものを感じるし時間にね
なんかその時間そのものって何なんだろうって ちょっとよりわかんなくなってきた感じが
はいはいはい いいですねいいと思いますね やっぱりさ普段僕らは時間なんて当たり前にあるぜとかさ
そんなのわかりきってるぜって思ってるわけじゃない いや私そうねあの時間側の気持ちなんて考えたことなんてなかったんですよ
51:00
そうだよねいや僕もこれ別に台本でそう思ったわけじゃないから 兄貴の例のおかげだなと思って今話してるんだけど
そうなのよだからそういうふうになんだろうな 時間の気持ちあって考えてみろって言われた瞬間に見えてくる時間がありますよと
ちなみに青木先生が言ったことじゃないんだけれども 多分そんなに間違ったことを言ってないと思っていて
で今みたいな話をするとある種時間そのもの 時間の立場に立ってた時の時間と僕ら
要はその時間というものを捉える存在として捉えた時の時間というのがやっぱ違うっていうのが ちょっとわかるような気がすると思うんだよね
わー見事に逆転してるもんね そうそうなのでやっぱりアーグセンスってこういう2つを区別するんだけれども
それがやっぱり時間があるんだとかないんだっていうことを解決する人の次第になるんだっていうことをちゃんと言ってるんだよね
一つ時間というものがあくまでも現在に対して精神を集中させることで存在するんだと
まさに一緒にの隙間に集中してるからこそものが見えるってことと同じような話で
現在というその瞬間に集中してるからこそ やっぱりそのねいわゆる存在を記憶するとか予測するとか
そういうことができるようになってそれを心に留めるからこそ ある種次もリンゴかなぁとか
やっぱりリンゴだったとかっていうふうに未来と過去っていうのを接続していくことで現在を拡張させていく
それアーグスティニスが言ってるのそれ 言ってるうん
すごいね まあすごいというかまあねまあ逆にねアーグスティニスは考えてるから今こっちがねそういうふうに理解させてもらってるっていう順番だろうから
それは本当にそれはあると思うね
すげーなっていうのは他どっちがいいなんだけどそれにしてもだな
でもあれだけだったらやっぱり秀逸なのと思ったのがやっぱり現在って僕らからしたらその1と2の瞬間その隙間でしかないんだけど
それを繰り返してことで実は1と2も含めて現在だとか
それを僕らは時間だと捉えられるようになりましたよねっていう話なんだと思うんだよね本当に
ただ時間の方がちょっと愛おしすぎて今ちょっと混乱してる
ちょっとそれ後で時間になりきってちょっとまた考えてみて欲しいんですけど
まさに時間を取ってね上手いこと言ったね今ね
下手だな
時間そのもってもちろん考えることはできるんだけれどもやっぱり時間と人間が切り離されて
なんかこう勝手に過去現在未来ってものがそれこそふと巻き起きるみたいにあるんじゃなくて
あくまでも人間と関連付けられた時間ってものにおいて初めて
過去とか未来とか現在ってものが区別がある種存在するというか
54:03
そういうものが区別できるっていうふうに言えるよねっていうことが
彼が1600年前に考えたことなんだよね時間について
すごい
どうでしょうか
当たり前だけど想像以上にすごかった
想像もしてなかったからね
とにかくすごかった
もちろんこれが正解だとか今の科学技術の観点から考えてもこう言えるとかってことではないんだけれども
やっぱりかなりふくまで時間について切り込んでると思うと思うし
ただしこの時間そのものと我々にとっての時間みたいな切り口っていうのが
現在に繋がってるような考え方なんだよね
そうなんだそこは
それと次に言う永遠主義とか現在主義とかって実はその形を変えて今でも続いてるんだけれども
やっぱりそれはそんなふうに考えられないし
歴史に名前が残る人ってすごいよねって思うんですよね
これはだいぶ面白いね
色々説明できるというかさ
さっきの一問つけるような人にもある程度これで説明できそうだもんね
時間ってあるんですかないんですかって言われた時も結構説明できそうだし
そもそも時間は2つに分かれて
あなたは今感知してないというかあなたはあなたの時間を多分見てるんでしょうけど
まず神様がこの舞台としての場所と
あと時間っていうものもちゃんと始まりと終わりっていうものは既に作ってあって
既に今この瞬間にも我々が分かってないだけで流れてるんですと
時間ってものがいるんですと
それを今あなたが例えば生きてるこの瞬間この場所この瞬間私といる
目の前のあなたがこうやって私の話を聞いてとか
目の前のスケッチを見てるっていうのがまさにあなたが今時間を感じてる瞬間なんですよとか
バーって言われたらさあ確かにそうかもとかってもう反論できないじゃん
そんだけ考えた人にさそんなこと言われちゃったらさ
議論というかそのいわゆる計測を広めていくという中でもやっぱりこれをちゃんと考え切った
アグレッシブさんが考えたっていうのがすごい土台になったんだろうなって思うんですけれども
なのでやっぱりアグレッシブさんすごいねというか
哲学っていうものもここまで考えられるのかという話なんですけれども
まあまあ言ってもこれはあくまでも思想上の話というか考えたことの話なんですよね
次はより科学的な話として現代物理学の話をするんですけれども
今度は神とかそういうものを一切もちろん使わずに現在ってないよって話をしますと
57:07
それはもう物理的に科学的に考えたとどう考えても現在とは存在しませんという話を
次回お届けしたいと思ってます
じゃあもう最先端の科学というか物理学的なそういう話に移っていくのも
最先端というとちょっとおこがましいかもしれないけれども
いわゆる20世紀21世紀で考えていることの時間というものについてお話していきますよって感じだね
時間のすごさをぜひ皆さんも時間の気持ちなんて考えていただくと思うので
引き続き時間に愛着を持ちながらですね
ぜひ次回も聞いていただけるといいのかなと思います
分かりました
では次回ですね
今回のこのアイムスティーヌスの話は面白かったんですけれども
またちょっと時代が一気に現代に近づくというところですね
そのあたりのところを踏まえて楽しんでいきたいと思いますので
次回も引き続きよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました
58:20

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