1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2023-04-12 49:56

#101 「あの人の頭はまっしろだ」の「意味」を正しく理解するには○○が必要!

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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言語学的アプローチ
(音楽)
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回は前回引き続き、100回記念ということで、特定の哲学者ではなく、
ハヤトのオリジナル、ハヤトが課題感として持っている意味って何?みたいな話をしていくというところでした。
そうですね。今回はですね、純粋に意味そのものみたいなのを考えるのは普通じゃないというか、いきなりとっつきにくいかなと思うのと、
あんまりそこやっても何言ってるんだってなりそうだなって思うので、前段階として言葉の意味っていうものを考えていきたいなと思います。
なるほど、なるほど。私、前回まではあれだよね、とりあえずハヤトは何でそもそも意味みたいなものに課題感だったりとか、
面白いと思ったのかみたいな話あったりとかしてもらったんだけど、あれだよね、前回の話を踏まえると思ったのが、
例えば哲学とかってさ、そもそも真偽とはとか、神とはとか、絶対的なものとはとか、一旦問いを行くと無とは、空とはみたいな話があるんだけど、
それをめちゃくちゃ何千でもやってきたんだけど、そのとはの方だよね、無とは何のとは何っていう方が、無の意味って何だったりとか、
神の意味って何とか、絶対的なものの意味とは何の、そっち側だよね、対象となっているものの意味とはってのが意外とそこ論じられてないじゃんみたいな、
どこに気づいてしまったんじゃないか俺はっていう話だよね。
(瀬尾)まあまあまあ、もちろん過去にも出ている人とか、それを指摘している人もいるんだけど、それは自分にとっての面白ポイントなんだなって気づいたっていう感じですかね。
(岡田)前回の話を取ってからね、そういえば確かにそうだなと思ってね、
なんとなくね、その何とかとは何かって言われると、その何とかの方に目線というか頭行っちゃって、とはの方って確かに意外と厳密に考えていないで、みんなでああだこうだ言っちゃうよなーみたいなね。
(瀬尾)そうそうそうそう。で、やっぱ考えるとか物事を問うみたいな話って、本当同じことなんでしたっけみたいな話も出てくるから、さあこの文脈からは。
(岡田)うんうんうん。で、まあそれを踏まえた今回が言葉の意味って話だよね。
(瀬尾)そうそうそう。本当は、本当に話したい意味とは何かみたいな話っていうのは、言葉とか言語を超えるんですよね。
(岡田)そういう意味とは言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、
あと普段はそういう風には考えるじゃないですか。どっちかっていうと、どういう意味で言ったの?みたいな意味。言葉としての意味とか、その意味って何?って聞くときの意味っていうものに僕らは指しんでると思うので。
(岡田)うんうんうん。そうね。はいはいはい。
(瀬尾)そう。でもただその意味ですら結構深く考えていくと混乱するぞとか、意外と言葉の意味って、何かこんな風に考えられるぞっていうところがまずそもそも面白かったりするので。
(岡田)はいはいはい。
(瀬尾)そう。ちょっとね今日は哲学っていうより言語学っぽい話なんですけど。
(岡田)うんうん。なるほど。その言葉を超える前の話はね、まずは言葉のところから考えていこうと。はいはいはい。
(瀬尾)そうそうそうそう。まずはね。それも結構意味があって、まず構造主義とかポスト構造主義って言葉が大事よ、言語が大事よってあるじゃないですか。
言葉と人間の関係
やっぱり言葉と意味とか言葉と人間っていう関係っていうのは結構学問としても発展してきてるんだよね。
やっぱりそれにもいろんな限界とか、そもそも言葉ってこんだけ広いものを含むから、やっぱり学術的に扱うの難しいよねみたいな話もあって。
そのあたりの、なんだろう、さらっと。それだけで本当に、それこそより言語学ラジオさんとかあるけれども、やっぱり一個のテーマになるくらいの膨大なものだから。
(岡田)ああ、確かになるほど。ラジオは一個できるくらいのね。
そうそう。あくまでもさらっと触れていきたいなというふうに思っています。
なので、細かく伝えるというよりは、言葉とか意味っていうふうなものを考えたときに、どんな広がりがあるんだろうっていうのをちょっと面白さとして感じていただきたいなというふうに思っております。
(岡田)わかりました。
大きな前提というか、源流みたいなものが言葉と意味とかに関してもあるんですけど、それが奥田さんという人とリチャードさんという人が書いた「意味の意味」っていう、まさにズバリみたいな本があります。
(岡田)そうだよね。もうこれ読めばいいじゃんみたいな本だね。
そう、あくまでもこれは言葉についての話だから。もちろんね、意味とは何かとか哲学にとっての意味とは何かみたいな話も書いている。結構分厚い本なんですけど、そこですごい根本的な区別として言葉っていうのを2つの機能があるというふうに分けているのね。
(岡田)言葉の機能ね。
言葉の機能。言葉っていうのは、象徴的機能。シンボルとか象徴する機能と、あとは喚起、呼び起こす。喚起するとか。
(岡田)まあ注意喚起だね。
注意喚起、あ、そうそうそう。注意喚起の喚起。の2つに分けていますと。わかりやすく言うと表象的っていうのが、いわゆる客観的な言葉とか、またいわゆる科学的な言葉みたいな、要は一つの定義が定まるみたいな意味合い。
(岡田)シンボル、まあ象徴だからね。
そう、象徴だから。逆に喚起的に、注意喚起の喚起っていうのは、いわゆる主観的とかと、詩、作詞するとかのさ、ポエムだよね。
みたいな言葉ですと。
だからこっちは、いろんな意味がまさに豊かであるとか、膨らんでいくみたいな感じになっていくんだけど、やっぱり学問的な話としては、いわゆる客観的なものとかの方が扱いやすいわけですよ。
なので、やっぱり言語学って主に象徴的機能、もっと言うと合理的な領域で広まってきたんだけど、これはたぶん1930年とか40年くらいの本なんだけど、あってるかな。
意味を広がりを持たせる言葉の使用
ただやっぱりそこからも、本当に78年経ってきた中で、わりとそういう喚起的、要は意味を広がりを持たせるみたいな、そういうところにもどんどん言語学の領域自体が広がっているみたいなのがあったりしますと。
それはこの本の中で書かれてるっていうわけだけじゃなくて、この本以降をさらにその喚起的な方にも広まっているよみたいな話。
最初は象徴的な方からどんどん広まっていくとか深まっていくんだけど、それだけじゃないよねって言って広まっていくみたいな感じなんだよね。
例えば、いろんな例を出すんだけど、最初の例として、例えば「あそこに鳩がいる」みたいな文章があったりしますと。
これだけを聞いたときに、例えば「あそこ」っていうのがどこかわかんないし、「鳩が何匹か」とかわかんないんだけれども、なんとなく公園の中、屋根の中、そういうところに鳩がいるだろうみたいなことはわかりますよねと。
これは例えば日本語を話す人とか、あるいは日本語を勉強してる人だったら、誰でもある種理解できるっていう意味では客観的な言葉ですよねと。
あるいは、逆にちょっと理解が難しくなるのが、要は「鳩は平和の象徴である」みたいな言葉。文章をあったときに、これは鳩が平和をそのまま表すわけじゃないんだけど、ある種僕らのイメージにおいて、鳩が平和をまさに象徴するみたいなことってありますよねと。
これも、いわゆる日本文化全く知らない人からしたら理解できないかもしれないけど、そういう風な文化に住んでいるとか、そういうことを知った人だったら、ある程度客観的に理解できますよねと。
そうだよね。「そもそも鳩は平和の象徴だよ」って教えてもらうって時も、「あ、そうなんだ」みたいな意味では理解できるってことだよね。
そうそうそうそう。実はこれ面白いのは、つまり「鳩」っていう言葉は、鳩そのものを指していて、「鳩は平和を指すのはイメージや象徴だ」っていう風なことに僕は言ったんだけど、そもそも「鳩」っていう言葉は「鳩」じゃないんだよね。これ分かる?
「鳩」っていう言葉は実際に目の前を歩いて動物として存在している「鳩」そのものではないじゃないですか。
例えばこの「平和の象徴である」っていう場合の方は?
違う。違うんだ、実は。
例えば「赤」っていう言葉自体は「赤くない」みたいな話とちょっと似てるんですけど。
前回チラッとあったよね。
「鳩」っていう文字とかその言葉そのものは別に「鳩」らしくないんですよ。「鳩」っていうものと別に何にも似てないじゃないですか。
これはあれか?前言った「標音文字」と「標記文字」みたいな話に近いのかな?理解としては。
に近い、うん。
「鳩」っていう動物がいたときに、本来であれば色んな色があるけれども、例えば日本ではグレーで首を動かしながら歩く鳥みたいな風に言えばいいものを「鳩」っていう風に呼んでいるっていう意味で、
「鳩」を文字に近いような、全く本体と関係ないよねっていう意味で表してないよねっていう感じかな?
そういうこと、そういうこと。ごめん、解読してくれてありがとう。
うん、なら大丈夫。
そうそうそう。だから例えば子供と話してるときに「クルクだよ」って言ったら「クルク」っていうのは別に「鳩」と言葉ではないんだけど「鳩」っていうものを象徴できるとか、示すことができる。
「クルク」か「ポッポ」とかでいいんじゃない?
「ポッポ」か。
「クルク」って英語っぽいよ。娘に「クルクだよ」って教えてたのは、公園で。あれはね「クルクさんだよ」って言ってたかな?
「鳥さんだよ」とか言ってたかもしれないけど。
まあ確かに確かに、そっかそっか。
だからね、車とかわかるっすよね。「ブーブーだよ」とかさ。
言ったときに、だから車は別に「ブーブー」ではないし、でも実は車でもないんだよね。
はいはいはいはい。
みたいなこととかっていう意味では、実は「鳩」っていう言葉が、生きている鳥としての「鳩」を示すのも、「平和」っていう意味を示すのも、実は根本としては同じような働きだって言えるんだよね。
なるほどね。はいはいはい。
詩人の言葉の機能
なるほど。そこに「平和」と「鳩」っていうものに、なんかこう「鳩」を使って平和を象徴させてるけれども、どっちも同じなんだ。レイヤーとしてはっていう話だね。
そう、機能としてはね。
ここは結構一個の最初の、なんだろう、ひっくりポイントというか、読み上げてみたらそうだよねっていうポイントだと思うんだよね。
うんうん、なるほど。まあ確かにね、その「平穏」文字とかさ、さっきのね「ブーブー」と「車」みたいな感じで、ちょっとこう「平穏チック」だねっていう表意じゃなくてね。
面白いかも、確かに。
なのでこういうふうに、ある物事を指し示しますとか、まさにその言葉が意味するものをイメージさせますみたいなものっていうのがこの一個目の象徴的機能ですと。
はいはいはい、象徴的な、はいはい。
そう、象徴的。でもう一個の感激的、呼び起こす言葉って何かっていうと、さっきまさにね、これ「詩人」とかの言葉がそれですよっていうのをお伝えしたんですけど、
例えばね、このアメリカにガートルード・サインっていう詩人がね、いるらしいんですよ。
だから僕もこの意味について色々調べてる中で知った人なんですけど、この人はね、1900年前後くらいにアメリカで活躍した詩人なんですけど、
その彼女の有名だって言われてる言葉にですね、バラはバラであり、バラであり、バラであるっていうのがあって、英語だとローズ・イズ・ア・ローズ・イズ・ア・ローズ・イズ・ア・ローズっていう、そのバラとかローズっていうのを4回繰り返すっていうのがありますと。
これはまさに客観的に理解しようとすると、意味不明っていうか、無意味な繰り返し、ただ繰り返しするだけっていう風に受け取れちゃいますよねと。
実際そういうチャチャ入れられたりとか、そんなローズって言わなくてもいいよみたいなこと言われたりとか、スタインさん自身も別に私も日常生活で私は私であり私であり私だとか言ってるわけじゃないですよみたいな、
そういう発言もしてるようなんですけど。
そんくらい突っ込まれちゃったんだね。
そうそう結構やっぱりまあ象徴なんだろう、まさに面白いじゃん、バラでありバラでありバラであるとかって言われた時になんかこう引っかかるっていうやっぱりものはあると思うんですけど、
これって結局その言葉の機能を混ぜちゃってるからだよねっていう風に、オグデンさんとかリチャードさんの考え方すると言えちゃいます。
おお、そうなんだ。うんうん。
言葉の機能の混乱
要は別にバラはバラでありバラでありバラであるみたいなのって別にバラっていうものを指し示したいわけじゃないんですよね。
うんうんうんうん。
ただそのバラのバラらしさとかバラとは何かとかまさにね、バラっていうのはまさにバラとしか言えないような、そういうある種目の前の一本のバラを表そうとした時の主人の苦悩とか工夫っていうのがこの表現には表れていますと。
なるほど。はいはいはい。
言われたらなるほどねって確かに思うじゃん。だからその感激的に呼び起こすとか、主観とか情緒が含まれるんだよね。
なるほどね。これが確かにバラは赤くてトゲがあって美しくてとかって言っちゃうとちょっと野望だよねっていうのを、
もうあのやっぱこの感動をどう表すかって時に、もうバラはバラであるし、ここから見てもバラだし、どう見てもバラだしみたいな感動を伝えてるんだよっていう風に、まあ批評できるよねって話か。
あとその言語学的な観点から言うとそういう風に、そう主観的、その感激的な言葉だよねみたいな話はできちゃうんだねこれで。
そうそうそうそう。だからバラは美しいっていうのは、ある種客観的に、逆に言われる感情とか情緒っていうのは実はこの象徴的な意味としては含まれてこないんですよね。
要は主観だから美しさっていうのは定義できないし客観的じゃないみたいなのがあるんだけど、
バラが咲いているっていうのは、まあ象徴的機能として言葉として言えるんだけど、やっぱりこのバラはバラでありとかっていうのは、
象徴的機能としては破綻してるんだけど、感激的機能としてはまさに言葉の意味だよね、意味という言葉の正しい使い方だよねみたいな。
わーすごい話だね、言語学っていうか、さっきのバラはバラでありみたいな話は全部象徴的な言葉で構成されているのに、
それが文章になった、詩になった瞬間にすごく感激的な意味を持つよねみたいな深みがあるみたいな話をしてるんだね。
そういうこと、本当に感激的機能として構成された文章っていうのが、僕らは詩だったりとか、ポエムって呼んでるっていう話かな。
だから詩人が言葉を操るっていうのはまさにそういう言葉の機能を理解しているとか、明識的にそれをちゃんと操る力があるみたいな話なんだよね。
逆に言うとこういうのってめちゃめちゃ定義しづらかったりとか、議論しづらいじゃないですか。
まあそうだよね、だって受け取り方次第だよって言えちゃう部分も多いだろうし。
やっぱりオーソドックスだ、初期の言語学だとこういう主観的な文章とか、いわゆる詩とかって扱いにくいんだよね。
そのままで前者の、いわゆる象徴的な「あそこに鳩がいる」って言った時に、これは何を言おうとしてるのかみたいな。
言葉の意味論と語用論
あとはどういう風にこの文章は構成されているのかみたいな文脈っていうのが言語学ではまずは発達していきます。
一応それが例えば、これは言葉だけですけど、音韻論っていう、まずは発音とか単語の繋がり、音として言葉を分解していくような考え方とか。
あと統合論っていわゆる文法、英語で言うとSVとかSVOCとかだったと思うんですけど、
ああいう文法っていうのはちゃんと定まってないと意味って伝わないですよねみたいな話とか。
なるほど、そういう意味で言葉とは何かっていうのを考えてきたってことなんだね、最初は。
そうそう。あとは一応、その中に意味論っていうのもあって、まさにこの意味論っていうのが意味を扱ってると思って、
僕も意味論あるじゃんと思って勉強したんだけど、全然自分のやりたいことと違うってなったのは、
まさにこの象徴的な機能としての意味についての扱う学問なんですよね、これって。
ああ、そういう意味で限定的だったんだ。
そう、限定的。だから人の感情とか気持ちとか思いとかっていうのはこういうの扱ってこないので、
いわゆる言語学の意味論っていうのは、すごくある種限定されているように僕には感じたんだよね。
実はそれを超えてるのが語用論っていう、まさにこの学問領域があります。
あったんだ、語用論。
語用論、言語の語に用いるね、用途の用。
だから言語をどう用えるかっていうことがまさに学問領域としてあって。
それが感知的な意味での言葉っていうのを領域として相談みたいな感じだったのかな。
もう扱いかけているみたいな感じかな。
かけている。
かけている。やっぱりそれを学問で扱うってめちゃめちゃ多分大変なんだよね。
だってさ、まさに主観的だから共通の議論ができないとか客観的に分析ができない。
なるほどね。
本当に作者の気持ちを答えようみたいな話をマジでしなきゃいけないみたいな、その本当の正解を見つけるみたいな話だね。
そう。今まさに本当の正解って言ってくれたじゃん。
それはないんじゃないみたいな話になってくるんだよね。
言語学的な観点からその感知的言葉とかその語用論みたいな話をしていくと、結局ないんじゃないみたいな話にそっちからもなっちゃいそうな感じだ。
そうそう。
そうなんだ。
っていうのがまさにこの言葉の面白みなところで。
もっと言うとやっぱりその語用論っていうのは文脈?文脈から規範された言葉とか言葉そのものじゃなくて、やっぱり人間があるでしょ、会話をするとか何かを喋るってなった時には、当然何らかの状況とか意図を持って話すわけじゃない。
はいはいはい。
そこも含めてちゃんと言葉っていうのは理解しないとダメだよね。
もっと言うと理解というか推論とか予測みたいなものがそこには含まれるよねみたいな話を扱ってるんですよね。
はいはいはい。
おーなるほど。
ちょっと面白くなってきたでしょ。
だいぶなんかその哲学チックというか、すごくあれでもね、やっぱ言葉って前も多分あったけどさ、頭の中のイメージを伝える手段でしかないというかある意味ね。
うん。
その頭の中のイメージそのものだよね。言葉を超えたって早藤最初言ってたけど、その言葉を超えた部分へのアプローチみたいな雰囲気がしてきたね、なんかね。
あ、そうね、少しずつ少しずつ。
彼の頭は真っ白だ
そうそうそう。で、例えばまたちょっと次の例を出すんですけど、
例えば、彼の頭は真っ白だっていう言葉がありますと。
うんうんうん。
彼の頭は真っ白だ。
うん。
これをまあ象徴的に理解しようと思うと、まあなんとなくよくわかんないけど、ある彼というから男性だよねとか、で、頭っていうからまあいわゆる頭部がなんか白いってことはわかるけど、それ以上のことはまあわかりませんと。
で、ここについて言えば文脈として、例えばその雪が降っているとかと言われると、
あ、なるほど雪が積もって傘持ってなかったわけみたいな話とか、
なんとなの、例えばじゃあ過酷な労働を強いられてとか言われると、
なんか働きすぎて白髪が増えちゃったのかなとか、
そう、なんともあるいは、
突然の出来事でとかって言われると、いわゆる別に物理的な頭じゃなくって考えが浮かばないっていう、その頭の中がなんだ、空乱だみたいな意味として、
その言葉を理解できますと。
はいはい、まあそうだよね、確かに真っ白だって言われるとそういう感じの、うん、なんかあるよね、確かに確かに。
だから、いわゆる象徴的な意味だと、なんか頭が白いよねっていうものしか出てこなかった情報が、こういう文脈が備わることで全然違う意味。
頭が白いっていうことにも、雪が積もっているとか、白髪になったとか、頭の中考えが浮かばないとかっていう、いろんな意味が出てくるっていうのが、その言葉の特徴ですと。
はいはいはい。
で、かつこれは言った人の意図もそうだし、あとは聞き手とか読み手がどういう風に受け取るかっていう話もあって、
そこにはやっぱりすごいコミュニケーションにおける、なんだろうな、積極的な意味付けとか無意識なんだけど、そこにめちゃめちゃ意味を見出している勝手に。
とか、間違った意味で受け取らないように、人っていうのは調整されているっていうことが見えてきますと。
はいはいはい、なるほどね。
確かに、本来的な言語の機能を考えると、確かにそうだみたいな話だよね。
しかし、まあ、違うな、ちょっと違うな。結構日常でありそうな話だもんね、なんかそういうコミュニケーションミスというかね、すれ違いみたいな。
なんか、やっぱり何かを伝える時にも、背景を教えてとかさ、どういう状況で起きたのとかって、例えば仕事だから聞いたりするじゃない。
例えば、やっぱりそれが分からないと、その人が言っている意味とか、なぜそれを言わんとしているのかっていう意図が、分からないってすごく日常的な話だと思うんですよね。
そうね、うんうんうん。
で、例えば、今言った3つみたいにさ、状況とか文明から一発で分かる意味っていうのがあって、これを実は明意、明るい意味っていう風な言葉で言われるらしいんですけど。
おー、はいはいはい。
真っ白だって言われて、雪が降ったら白い、雪だみたいなのが、まあ明確に分かるから明意、明るい意味って呼ばれていて。
例えばさっきの3番目で、何も浮かばないで、あいつの頭が真っ白だとかって言った時に、
例えばね、僕が言った時に兄貴がさ、ちょっと悪い人にしたけど、いや本当いい君だよねって返しますと、例えば。
はいはいはいはい。
したとすると、これはもう前提として、なんとなく鼻を持ちならないちょっと嫌味な奴がいた時に、その人が何も言えない状況になっちゃって、ちょっとテンパっているみたいな。
はい、なるほどなるほど。
そう、例えば青木の時に、何だろうな、本当いい君だよねとかって言ったっていうのは、僕、すいません、あいつの頭真っ白だよって言った相手もそういういい君だって思っているってことを推測してるんだよね。
うんうんうんうんうん。
なるほどなるほど。
でもこの推測っていうのは、言葉だけからは絶対出てこないんですよ。
うん、確かにね、そのやりとりの2つだけ見せられた時に、分かんないよねってなっちゃうってことはね。
そうそうそうそう。だから、彼の頭真っ白だって言われて、本当いい君だよねっていう会話は、言葉だけだと理解不能とか意味不明なんだよね。
うんうんうんうん。
でも、今みたいな状況とか、あるいは僕らその状況を推測するから、きっとなんか嫌なやつがいて、その人が失敗したっていうのをこの2人は、ちょっと皮肉ってるんだろうみたいな、そういうことを自然と推測しますと。
なるほどね、それが1つのパターンかもしれないし、5個のパターンかもしれないし、それは人によるけど受けては、そうやって想像するよねって話だね。
そうですそうですそうです。
それだけを見せられたとしてもっていうね。
うん。
はいはいはい。
相手はやっぱ埋めちゃうんだよね。だからそれがいわゆる皮肉とか、あと皮肉とかに繋がってくるんだよね。
うんうんうんうん。
例えばさ、頭が真っ白だっていうのも皮肉表現チックなんだけど、例えばさ、彼は天使だみたいな、あの人は天使だとかって言ったときに、別に僕が天使と友達になったわけじゃないですよね、それは。
伝えたいのは、あの人っていうのは天使のように清らかでとか、愛情に満ちているとか、そういうような属性を持った人だよっていうのを伝えたくて、あの人は天使だっていうふうに言ってるんだけど、それも象徴的な言葉の使い方を超えてるんですよね。
うん、まあそうだね、なるほどなるほど。
うん。なので、まあその意味で言うと、言葉っていうのはすごく限定的に考えると、例えば鳩っていうのは動物としての鳩を指し示しますとか、平和っていうものを一対一で対応させますみたいな感じなんだけど、
そうじゃなくて、いろんなイメージだったりとか、あるいは推測を呼び起こすとか、あるいはいろんな文脈に影響されてるとか、そういうふうにして初めて意味っていうのが特定できたりとか理解できたりする。
あー、なるほどね。これがそうだよね、多分人間の場合、もう言葉で生きてるから、自然とやっちゃってるから、こういうふうな、それこそ人間が言葉を操ったりとか認識したりとか、文脈を勝手に想像するとか勝手に埋めちゃうみたいな。
物を無意識にやってるよねっていう意味で、これは確かにいいって感じだね。
動物と言葉の使用
そうそうそう。やっぱり例えば動物は言葉を使うのかみたいな話があった時に、実際に使うこともあるらしいんですよね。
例えば、これもその本に書いてたんだけど、なんかの猿かな、何か敵が来た時に「来たぞ」ってだけじゃなくて、「虎が来たぞ」とか、「狼が来たぞ」みたいな、そういうのを分けてるんじゃないかみたいな研究があるんですよね。
なるほど。
だから、いわゆる象徴的機能としての言葉っていうのは、多分動物も使っている可能性がある。
なるほどね。そっか。面白い。そこを開けると動物はって話ができるんだ。
そうそうそう。言葉っていう広くなっちゃうと、言葉を使うのは人間だけだとなっちゃうんだけど、何かが来たとか逃げろみたいな、そういうことを指し示す言葉っていうのは、もしかしたら使ってるかもしれない。
ただ、さっきの比喩とか皮肉みたいなものは、少なくともまだ観測されてない。もしかしたら使ってるかもしれないけど、人間が理解できないだけで。
そうすると確かに動物も言葉使ってるよねっていうのにも、説得力が出てくるというか、確かにと思うかもね。
そうそう。やっぱりさっきの人間の面白いところというか、これもちょっと昨日台本作るとき考えてて、この例とか面白いねって思ったんですけど、
例えば朝の慌ただしい生活で夫婦でバタバタ準備してましたと。
っていう時に、例えば僕が「あ、ゴミ」って言ったりしますと。
それは別にゴミの存在を何か知らしめたいんじゃなくて、ゴミの日だったのにバタバタして出すの忘れた、まだ間に合うかなみたいな、そういうことを伝えるわけだよね。
そうだね。
なんとったら出してくれみたいな。でも「あ、ゴミ」っていう言葉からは、絶対その意味は本来出てこないのよ。
まあそうだよね。確かに本書いてあってさ、それ「あ、ゴミ」だけ見せられたときに、そこまで想像しろっていう方が無理だよね。
そうそう。そのシチュエーションとして、今朝も気ざたましくなる目覚まし時計とか、今日は朝早くから大事な会議があるとかっていう状況で目が当たった中で、
「あ、ゴミ」っていう言葉があったら、余裕の差が伝わるみたいな、そういうのがある文章的な表現なわけなんだけど。
あそこの言葉としての豊かさとか、意味の、よく言えば豊かさだし、悪く言うと曖昧さ?
はいはいはい、そうだね。話し手にも受け手にもどっちにも揺らぎがあるじゃんみたいな話だね。
だから「あうん」の呼吸みたいな話も出てくると思うんだけど、状況を共有していったら、言葉がある種少なくても済むよねみたいな。
そんな話があって、ただここまで行くと「あ、ゴミ」っていうのは、どういうふうに学術的に研究できるかってなったら、めちゃめちゃ難しいわけですよね。
そう、だからそれによると、言葉の問題というよりは人と人のコミュニケーションの関係性の問題とか、社会の問題とか。
そうだね、それこそ限定できないもんね。シチュエーションが多すぎてみたいな話だもんね。
例えば「あ、ゴミ」っていうのも、道路にゴミが落ちて車が走ってきて、このままぶつかったらスリップしちゃうっていう時に言った言葉かもしれないとかさ。
全然そこの状況っていうのは変え得るし、そこによって置かれた言葉の意味って変わってくるんだよね。
そうか、研究しようという時にどういうふうに持っていくかって難しいんだね。
なので実際の語用論っていうのは、もうちょっと範囲を限定したりとか、状況を切り分けて、こういうシチュエーションの言葉について、例えばシチュエーションというか、こういう範囲における言葉の機能について考えますよとかっていうのはもちろん、定めながらアプローチをしてるんだけど。
もうちょっと係数スタディ感があるみたいな感じかな。この場合はこういうふうなことが起こってるよね、みたいな説明をしていくみたいなのに近いって感じなのかな。
具体的に係数スタディやっていくっていうよりは、もうちょっと抽象的に、言葉のこういうケースってなんだろうな。
もうちょっと言葉の機能ってちゃんと切り分けていって、この機能における活用においてはここまでの意味を含みうるみたいな、上からいく感じ。
言葉の使い方とコミュニケーション
係数スタディだと本当に無限にやっぱり出ちゃうじゃん。
あれだ、それもあるかも。例えばそういう「あ、ゴミ」ってフースが言ったっていう状況から、これは言葉のどういう機能から出た、使われ方なのかみたいな風にいくとかあると思うんだけど。
なるほど、まあそうか確かにね。 係数スタディばっかりやってたら、本当それこそ広すぎるからって話があったと。
なので、やっぱりこのぐらい僕ら日常的に言葉をもちろん使って生活してるし、会話もしているんだけれども、やっぱりその言葉の意味っていうのをある程度間違えずにやりとりしている。
これは間違えちゃうと、いわゆるちょっと精神疾患的になっちゃうというか。
間違いまくるというか、そこはあまりにも伝わらないとって話だね。
あまりにも使わないとか理解できないとかってなっちゃうと、そういうちょっと発達障害的なことに今の社会ではなっちゃうんだけど。
それぐらい意味を推測するとか言葉によってお互いの意図を理解するっていうのが、人間の根本にある働きだなぁと思うんですよね。
逆に言うと、こんだけのことを意識するに使っているってこと自体が、言葉の不思議さというか驚きだなぁって思ったりするんですけど。
今日ここまで言われて、こんなことをしてたんだっていう文脈とかって、それはそうだよね。
確かに相手に正しく伝えるにはとか、正しく理解するにはってことは、確かに考えるとは考えるけれども、こういう営みだったんだなぁみたいな思って、改めてこうやって言われると。
そうそう。
面白いね。
だからやっぱりコミュニケーション、ここからコミュニケーション論とかさ、そっちにも結構行ったりはするんだけど、
意図をちゃんと正しく伝えるとか、相手のことを理解するとはどういうことかみたいな。
やっぱりそういう意味では、言葉の意味とか、それによってどういうふうに伝えるかっていうところも、それはそれで僕としてもすごい面白い話だなぁとは思ったりしているんですけど、
それでもやっぱりこれはあくまでも言葉の意味なので、言葉に限定されちゃってるんだよね。
そうだよね。哲学的な。
言葉の機能と象徴性
ハヤトがやる話でいうとまだまだ導入部分って話だね、これはね。
前提部分って感じだね。
なので、前回と今回の話を踏まえて、意味について考えるって、なるほどこういう感じかとか、確かに意味って言われても意外とわかってないけど、日常的にこんだけ浸透してるんだなっていう感覚も、なんとなく伝わったんじゃないかなと思ってまして。
そうなんだ、この意味っていう意味の象徴的な意味と、感的な意味っていうのを考えましょうっていう、そこもあるんだよみたいな。
そういうことじゃない?それもある?やっぱり意味っていう言葉自体は象徴的な言葉だよねとかじゃなくて、結構やっぱりあらゆる言葉にはどっちの側面もあるみたいな感じにはなるのかな?使い方によって。さっきのバラモだけど。
そう、今で言うと兄貴は意味と機能を同じ言葉として使っちゃったんだけど、象徴的なあくまで機能があるっていう話で、しかもそれは言葉に対してなんだよね。言葉には象徴的な機能があるんだけど、そこが意味が象徴的とか感規的であるってことではないんだよね。
あー、なるほど。すごいね、そこはやっぱり。あれとか言葉を厳密に使う理由もわかった気がする。
いや意味って便利だな、確かにそうすると今もね、ついついほら、言葉を厳密に使う意味もわかった気がするとかって言っちゃいそうだけど、かなり使い勝手がいい言葉だね、意味ってそう考えると。
めちゃめちゃね、なんでも使っちゃうんですよ。だからちょっと僕も今日何回か、多分4回くらい、無意識にというか自然に意味って言葉を使っちゃって、使っちゃったなって思ってるんで、もしめちゃめちゃ時間があり余ってしょうがないって人がいたら、
カンのハヤトが無意識に使った意味って言葉をぜひ探してほしいんですけど、それって意味があるよねとか。
多分気をつけてるんでしょう。この意味っていう言葉の回だから、意味っていう言葉は適当に使わないようにって気をつけてても出ちゃう、その無意識さみたいな話なんだね、そこは。
結構ね、気をつけているつもりではあるんですけど、そのくらい、まさに意味っていう言葉がそういう意味を持っているし、広く使われてしまうんだけど、だからこそ限りなくシャープにしていかないと意味っても考えづらいし、
ちょっとまた次回ちゃんと冒頭でお伝えするんですけど、意味っていうのは言葉をそもそも伝えている、存在を超えているので、今皆さんが持っている意味っていう言葉のイメージを一回全部ゼロにしてもらいます。
次回から。
今回のも一旦リセットって話だね。
今回のもリセット。
象徴的とか機能、換気的とかも全部リセット。次回は。
そこからゼロポイントから始めて、意味ってなんだっけっていうところを考えていくのが、まさにドゥルーズとかがやっているような意味の論理学とか、意味の形状学って話なんですよね。
なるほどなるほど。
そうか、ドレができて、一旦そこをもう一回崩そうかっていう話。
そうそう。
いや、本当のスタートラインだよって感じだね。
スタートライン。僕らが今思っている、なんだか意味っていうことが理解できてきたっていうその理解を、じゃあ一回全部捨てましょうかっていうところが、次のスタートラインですと。
ちょっと久しぶりだよね。ちょっとカントとかその辺り思い出すね。
言葉の文脈とコミュニケーション
そうそう。
はいはいはい。
一回ゼロになるっていうね。
うん。
やっぱりそうすることによって、普段はそうは考えないけど、確かに言われてみたら意味ってそういうふうに言えるかもしれないとか、そういうふうに言っていることもわかるみたいな。
はいはいはいはい。
ところがね、ちょっとあるかどうか。
うんうん。なるほど。そこまでハエトがちゃんと説明できるかどうかって、語れるかどうかって。
できるかどうかだし、正直僕も同意ちょっとしかねるみたいなところはあるんだよね。そう言われてもみたいな。あまりにも抽象的すぎてわからんみたいな。
はいはい。そのドゥルーズって方が話していることの内容に対してって話?
そうそうそうそう。でもなんか、確かにそうとしか言えないっていうのもわかるっていうのは、ちょっと次またちゃんとお話ししていくので。
うんうんうん。
そういった意味で、まさに意味って使っちゃったでしょ?
うんうん。使ってる。
そういった意味でとかって言っちゃうんだけど、そういう文脈から是非ですね、この意味っていう言葉についてもっともっと皆さんに伝えていけないというふうに思っておりますと。
はいはいはい。
ややこしいなよ。
そうだね。でもまぁ、そんだけね、無意識に操ってるというか使ってる。言葉でもあるし、技術でもあるしというか、話なんだね。すごい面白い。
そう。
はいはい。ただそれを一回ね、もう一回次ゼロからっていうところなんで。
はい。ゼロから探索していって、一緒に意味とは何かっていうところを是非次回2回分くらいかな。でやって、最後ちょっと、これ前回言ってなかったんですけど、やっぱり前をね、ちょっとやっぱり挟むというか入れ込みたくて。
はいはい。繋がるみたいな話してたもんね。
うん。意味を超えるっていう感じかな。
はいはいはい。
次回2回分はまさに西洋哲学的な流れの中で意味とは何かっていうのを考えていくんだけど、東洋というかやっぱり仏教とか禅においては意味をそもそも超えるとか、意味っていうものから離れて言葉を扱うみたいな話が出てくるので、そこまで行ってちょっと意味について話すみたいな感じにしようと思ってまして。
僕は今からもうめちゃめちゃ楽しみなんだけど、皆さんにそれを話すのが。
そうだね。それを2回するための土台がさらに土台というかね、たぶん今その次の話もあるってね、踏まえてってことはね、その文脈を踏まえてってことか。
踏まえてお伝えしていきたいなというふうに思っておりますと。
わかりました。じゃあちょっと楽しみだね。ちょっとどんな感じになっていくのか。
そうだね。
うん。わかりました。
でも今日の言葉の意味とかも結構どうですか?面白かったんじゃないかなって思ってもらえたら嬉しいんですけど。
いや本当に面白い。だから言ったけどさ、やっぱ本当にやっぱ無意識で使ってることなんだなと思ったね。
実際こういう営みだったんだってのは、すごい発見な感じがするし、改めて自分が喋ることもだしは、正しく表現しなきゃいけないなと思うし、
やっぱり人が話したことは自然などに受け取らないって大事だと思うんだけど、そこもちゃんとこういうふうに気をつけるんだっていう、ちょっと具体的な、
あんまり具体的に使っていいのかどうかは別だとは思うんだけど、なんかすごい指標になるようなとは思ったね。
はいはいはい。
やっぱ難しいじゃん。自分の価値観の中で理解しちゃったりとか、価値観の中で表現しちゃったりすることって多いと思うんだけど、
改めてこうやって、それこそ客観的に言ってもらうと、確かに文脈って大事だなと相手がこう言ったけど、自分はこの文脈を確かに理解してないかもしれないとか、
自分の中の存在する文脈が理解するとこうだけど、相手はそう言ってないかもしれないという可能性があるんだっていうところだけ、せめてそこだけに気づくだけでも、
なんかコミュニケーションとか、人との付き合いづらさだったりとか、なんか話噛み合わねえなとかって思った時に、とかあいつ嫌いとかね、
あの上司の話よくわからんとかって言った時の、なんかこう処方箋になるなあっていうね、そういう意味での具体的な面白さもあるなと思った。
そうね、そうね。本当にそれは、改造とか言葉の改造があるっていう意味ではすごく大事だと思うし、
言葉の意味についての話
よく言われるさ、思いやりを持ちましょうとか、相手の立場に立ちましょうとか、傾聴とかさ、ちゃんと聞きましょうみたいな話、全部これだと思うんだよね。
相手の言ってることを、言葉を聞くんじゃなくって、やっぱ状況とか、どんなふうに観点から見てるかとか、そういうのをせめて聞いてあげるとか。
はいはい、そうだね。確かに程多いね、思いやりを持ってくださいとかね、優しくとかっていうのの本当の意味はこの辺なのかもなあっていうね、その共感とかね。
なんだよね、そう。やっぱり技術的に言うとこうなっていくっていう話でも、やっぱりこれはこれですごく深い話だし、
1回でやるにはもったいないぐらいなので、もしかしたらこういうことを触れることは今後もあるかなと思うんですけど。
まあそうだね、今度は200回ぐらいの時かな。
普通に言語論の中だよ、そしたら。
はいはい。
そんな感じでね、今日はちょっとその意味っていうものに対して、まずは言葉の意味っていうところ、言葉っていうものがどんな意味を持つかとか、そういうところからちょっとお話をしましたよという感じでございました。
はいはい、了解です。じゃあ次回以降はちょっともっとその言葉をね、超えるというか、一旦ゼロに戻るというところで引き続き楽しんでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。
お願いいたします。今回もありがとうございました。
はいはい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
[音楽]
49:56

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