インドの古代哲学の始まり
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 前回からインドの古代哲学ということで、まずは宗教的なヴェーダというところから見てきたというところがあったんですけれども、
前回もヴェーダの説明が終わって、そこが衰退してきた中で、ヴァイン・シャットが生まれたみたいな話があったので、
今回ヴァイン・シャットかと思ったら、違かったっていうね。ちょっとめちゃくちゃ動揺してしまったんだけど、前回。
実験の最後ね。
甘く見てたね、それ哲ラジオを。
そうですね。前回はヴェーダがどんなものかは伝えたと思ってるんですけど、ヴェーダに何が書かれているのかとか、その中で解かれている世界観とはみたいな話は一切したいんですよ、実は。
そういえばしてなかったね。
せっかく深く知っていこうというところなので、今回はね、まさにそういった当時の人たちの世界観、ヴェーダから見る世界観とか人間観が哲学に伝わっていくし、
宗教的な例えばこんな儀式してましたかっていっぱい書いてるんですけど、そっちは逆に言うとちょっと省かせていただいて、その後の哲学とか思想につながりそうなところをご紹介していきたいと思っておりますよっていう感じですね。
はいはい、なるほど。
普通に雨漕いのお祈りとか1個紹介してほしいけどね。
あるよ、風の神のエルドラさんにこういう雨雲を呼んでくれみたいな、結構そういうわりとシンプルなお願いなんだよね。
そうなんだ。
別にすごい難しいものがあるとか、ハリーポッターみたいにこういう呪文があるとかってことじゃなくて、単純に神様お願いしますみたいな。
ただそれを正しく言いましょうっていうのがいっぱいあるって話だね。
そうそうそう、そういうことです。
今回も中の一つみたいな感じなの。いわゆるベイダーの1028ある中の神様にお願いするだけじゃなくて、哲学チックな話もあるよみたいな話なのかな。
ありがとうございます。そこに関して言うと、実はリグベイダーってどうしても宗教とか儀式とかの方が多いんで、別に哲学的なことがめちゃめちゃ書かれてるってわけじゃないんですよ。
はいはいはい。
ただその後の人が見たときに、このお祈りの中にはすごくこういった哲学的な要素が含まれているように感じるとか、これが後のウッパレインシャットのこういうところにつながっているというふうに読み解けるみたいな、そういうふうな研究がいろいろあるわけなんですよね。
ああ、あんなこと。あくまでリグベイダーはどっちかっていうとその呪文書みたいな、そういうイメージなんだね。
そういう呪文。詩がいっぱい並んでますって感じだね。
はあはあはあ。なるほどなるほど。
たとえばその、のりととか、いわゆる仏教の、なんだそれこそ。
お経?
お経、そうそうお経、お経。他に近いと思う。
はいはいはい。
今回参考にしてるのが、中村はじめ先生って、この人はインドとか東洋思想の大化みたいな人ですけど、
それこそブッダのときにご紹介したスッタニパータみたいなさ、ブッダの言葉がまとまってる本もあるんですけど、それも中村はじめ先生が訳してたりするんですよね。
そうなんだ。
っていうぐらいめちゃめちゃすごい先生はいるんだけど、その人のベイダーの思想っていう本がまさにありまして。
これがベイダーの思想だけ600ページぐらいあるんだけど。
なかなかね。
さらにウパニシャットの思想っていうのがまた800ページぐらいの本があって。
それ別なんだもんね。
別だての本です。
どっちも中村はじめ先生のやつ?
そうです。
中村はじめ、ちょっとだけ脱線するんだけど、この中村はじめ先生集っていうのが春秋写っていうとこが出てまして、
全32巻あるんだよね。
ベイダーより多い。
全32巻ベイダーより多い。
ベイダーの限定より。
別巻10以下40巻あるわ。
これがインドの思想からブッダから原始仏教、空の論理、現代インド思想とかまでも幅広く全部網羅してますってみたいな。
すごいそれ。
エグい先生がいらっしゃるんですよ。
そうだね。
これ読むだけで一生遊べると思うんだけど本当に。
よく一生で書いたねそれね。
本当にすごいよね。
学者さんって本当にすごいと思う。
そんな感じの方のお話から引っ張ってお届けしていきますよっていう感じなんですけど。
さっきもおっしゃった通り、当時のバラモンの人たちがめちゃめちゃ深い思想があってそれを書き残してますっていうことじゃなくて、
いろんな詩とか呪文の中にも、これってすごい哲学的なことを言ってるよねとか、
こういう世界観って結構独特だよねっていうことを読み解いてるみたいな感じなんですよね。
世界観とか人間観って当時の人の考え方とか物の見方っていうものに影響を与えるんで、そこを知っていきましょうっていう話なんですけど、
まず世界観を採取するんだけど、基本的に当時のインドの人たちってすごい楽観的だったらしいんですよ。
じゃあインドの人がって、もしかしたらインド人の友達多いよっていう方もいらっしゃるかもしれないんですけど、
僕はあんまわかんないんだけど、
特に仏教とかって結構、この世は苦しみで輪廻を離れましょうとか、この世は地獄、穢れた世界だみたいな感覚ってやっぱり強いじゃないですか、仏教って。
うん、確かに。
でもそういう遠征的、この世から離れようみたいな感覚って、当時、紀元前1000年とかっていうところのインドの人たちはなかったんですよね。
なるほど、そのブッダの時代はともかくっていう話ね。
そうそう、さらに古い時代のインドの人たちはもっと楽観的で、さっき言った呪文って何っていう話でいくと、結構シンプルで、
自尊を反映させてくださいとか、家畜の動物たちが豊かになりますようにとか、結構そんな感じなんだよね。
なるほど。
しかも神様にお願いするっていう時も、かしこみかしこみも押すとかじゃなくて、すごい親しげによろしくみたいな。
結構そういう、ある種の友情とかをもって接するような間柄ですよっていうふうな、そんな感覚だったらしいですよと。
へー、そうなんだ。
だから結構ね、精神としては、神に伝えるとかっていうより、ギブアンドテイクの精神で、ちゃんと儀式をして神様にちゃんとしたものを届ければ、
逆に神様がちゃんと返してくれる、豊かさをもたらしてくれるっていうふうな、そういうギブアンドテイクの関係っていうふうに考えられてたんですよね。
なるほど、じゃあ前回召喚獣とかしきがねんみたいな、結構ちょっと重々しいさ、呼び出すみたいな感じだったけど、今の話からするともうちょっとポケモンみたいな、むしろ。
楽観的な世界観
確かにポケモンの方が近いかもな。
三人間の友情とかって言われるとね。
まあそうね、それも近いかも。
そういう付き合いもあるかなみたいなね。
召喚獣ではちゃんと生命エネルギーを活性化させるのをあげないと出てこないみたいな、一方通行っていうよりはちゃんと双方向のものがありますよっていう感じらしいんだよね。
その上、ある種楽観的というか、まあまあ結構今が楽しければいいじゃんっていうふうな人たちなので、やっぱりあんまり抽象的な思想とか、厳密にじゃあこの神はなんだろうな、どういうところから生まれてきたのかみたいな、そういう議論ってあんまりなかったらしいんですよ。
実際そのリグベイダーの中にも、やっぱりこの宇宙はどう生まれたかとかっていう話もなくはないんだけど、そういうものがまとまってあるっていうよりはバラバラとあちこちに、こんなことも言えそうだよねとか、こんなこと考え方もあるよっていうふうな、ある種アイディアがいろいろ散りばめられてますっていうぐらいな感じらしいんだよね。
その1028個かなっていうところの中にチラチラありますよと。
やっぱりその中に当時の人たちの世界観とか思想とかが含まれてるんで、それを見ていくと、3000年前に人たちはこんなことを考えたんだみたいな。
今日はぜひ皆さんにも香りとして感じていただきたいんですけれども。
早速ちょっとこの世界観って話をしていくんだけど、前回もお伝えした通り、リグベイダーの世界観って、要は神様ってめちゃめちゃいっぱいいるんですよ。
3000人ぐらいいますみたいな、そういう話もあるしんだけど。
多いな。
そう、結構多いんだよね。
しかも多くの神様が、この人が世界を作った、いわゆる世界の創造者だって言われてるんですよ。
基本的に神様って一神教的に言うと、例えばゼウスとかキリスト、キリストではないか。
でもそういうキリスト教で言えば神様が世界を作ったって言われたりとか。
また日本みたいな多神教の世界でも、この日本を作ったのはイザナギとイザナミだみたいな。
特定の神様に言われたりするじゃないですか。
でもこの時のリグベイダーにおいては、そういう時々で伝える神様が最も力を持つから、
ある種なんだろうな、言い方悪いけどこびまくってんだよね。
そうなの。
だから今アグニーをたたえているけど、アグニーさんこそが優れた神様で世界を作ったんですよねみたいなことを言えば、
ルドラーさんこそが宇宙を作ったんですよねとかって言ってる人もいるみたいな人っていうか、そういう間違いもあるみたいな感じで。
はいはいはいはい。
結構ね、あちこちの人にあちこの神様をって言ってるんですけど、
逆に言うと神様に序列をつけるとか、ある神様が他の神様よりも先に生まれていて、
なんかより尊いんだとかっていう考え方自体が結構実は新しいんだぜっていう風な取り方もできるんですよね。
なるほどなるほど。
とはいえこのリグベーターの中にも、じゃあ世界ってどう生まれたのっていう話がいくつかあって、
大きく2つのタイプがあるっていう風に言われてるんですよ。
それがどういうことかっていうと、一つは世界の、宇宙の誕生っていうものを、まず人間とかの誕生、生まれるのになぞらえるものと、
もう一個がいわゆる建築。
建物とか建てるじゃないですか、家とかね。
っていう風な感じで宇宙を作ったんだっていう風な、そういう風になぞらえるっていう2つのパターンがあるらしいんですよね。
なのでやっぱりその抽象的に宇宙とは何かとかじゃなくて、やっぱり人間とか自然の出来事に関連して、
地球とか宇宙でもできてるんだよねみたいな、そういう風な発想が当時のリグベーターには結構残っておりますよという風な感じなんですよ。
だからすごく素朴な認識の延長線上でって感じだったことはね。
そうそうそう。そうなんです。
やっぱりその、ある種神話的な世界なんで、やっぱりこういろんな脚色というか、本当に発想があるんだけど、
例えばね、この1つ目の今生まれるタイプ、誕生タイプだと、なんかね、初めに言葉ありきならぬ、なんか初めになんか黄金の赤ちゃん、胎児が現れてたみたいな、
こういう風な文章から始まる詩があるんですよ。
ほうほうほうほう。
で、黄金の胎児って日本語で訳してるのが原文だと、ヒラニアガルバ?これベイダ語なのかな?
で、ヒラニアガルバの章とかって言われてるらしいんだけど、
それが何かとかって全く説明されずに、ただただその黄金の赤ちゃんっていうのが現れてて、
それが万物の主になって地と天を作ったみたいな、そういう風なことが書かれてるんですよね。
そういう言葉もちゃんと伝承されてるんだね。
そうそう伝承されてる。
だから、こんなの聞くと黄金の胎児なんだよとか、
なんで突然そんな黄金の赤ちゃんが出てたのとかって考えたくなるじゃない。
でもそういうのは一切なくって。
それをある種の覚えなさい、一言一句間違いないように暗記しなさいっていう風な世界観なんですよね。
へーそうなんだ、はいはい。
やっぱりこれは思想っていうよりは宗教とか神話なんだけど、
面白いのはですね、この黄金の赤ちゃんっていうのが、
世界の人間、両足ある生き物って言われてるんだけど、これが人間で、
動物が四足ある生き物とかって言われてるんだけど、
それを支配するんだっていう風に書いてるんですよ。
ほうほうほう。
なので前回と今回は結構人間と神様は対等だとか、
むしろバラモンの人たちがベイダーを通して神様を支配するんだとかって話もしたんですけど、
最初期のリグベイダーの世界観でいくと、
神様みたいなものって結構別格で、
人間とか獣っていうのが同じレイヤーに属してたんだっていう風な世界観であろうっていうのがわかるんですよね。
ああ、そっかそっかそっか。
この黄金の赤ちゃんがいて、
その黄金の赤ちゃんの下に人間と獣っていうのが同じレイヤーでいるよっていう話か。
だから人間が獣を支配するんじゃなくて。
じゃなくて、
なるほどね。
そうそう。
だからやっぱり僕らって黄身、人間、動物みたいな、
そういう風な三層構造や考えがちなんですけど、
それはピリスト教的な世界観というか宇宙観なんですよね。
当時のリグベイダーでいくと、
神様というかそういう絶対的な、
絶対的というかそういう存在がいて、
神と動物、獣、
あ、違うごめん。
古代インドの世界観
人間と動物と獣っていうのは同じ世界に属してます。
神様がそれを支配してますっていうのが、
いわゆる世界の構造ですよ。
へー。
でも面白いね。
わざわざさえ人間と動物、獣を分けてるのに、
それを同じとこにわざわざ並べてるってのも面白いね。
そうそう。
そこの違いがないんだな、私も。
そうなんだよね。
生き物を支配するんじゃなくて、
両足の生き物と四足の生き物って分けてるんだけどっていうのが結構あって、
だからやっぱり当時はあんまりそこっていうか、
あんまり生活としても分かれてなかったんだろうなとか、
やっぱり動物とかっていうものがすごく短かったんだろうなってことも思うんですけど、
これはさらに時代が下っていって、
いわゆるウパニシャットっていう、
紀元前800年とかそのくらいの時代がやってくると、
やっぱり人間の地位が上がってくるんですよね。
へー、上がるんだ。
上がっていって、相対的に神の地位が下がってくるんだけど、
なんでかっていうと、
要は人間っていうのは宇宙の真理を知ることができますと。
理性と間違いだったりね。
神様っていうのは実はその真理の一部に過ぎないんだみたいな、
そういうふうな発想ってどんどん変わってくるんですよ。
わー、なるほど。それも分かるね。なるほどね。
そうそうそうそう。
だからやっぱりそれも、いわゆるこうなんだろうな、
素朴にそういうことを考えたんじゃなくって、
やっぱりもともとはこういう、
人間プラス動物みたいな世界観があったところが、
頭頭に変わっていく。
時代時代によって変化していくってところがあったんだよね、
っていう話なんですよね。
わー、おー。
だから当時のバラモンの人たちでも、
紀元前1200年くらいの人からすると、
我々人間って所詮は獣と同じよ、みたいなね。
神様とか自然の前ではそのぐらい無力だぜとかって思ったところが、
いろいろ知恵をつけたりとかいろいろやっていく中で、
俺らもそろそろ神の領域来ちゃったぜみたいな、
ぐらいになってったのかなみたいな。
なるほどね。
宇宙の始まり
ちょっと今回世界観的にどうしてもこうなっちゃうんだけど、
政権伝説RPGとかでさ、
世界中のマナーが枯渇しているみたいなさ、
そういうのを想像しちゃうよね。
それで精霊とかの力が弱まっているみたいなね。
悪い人間どもがみたいなさ。
はいはい、そうですね。自然が汚れてみたいなね。
勝手にそういうイメージになっちゃった。
やっぱりゲームとかの意味は分かりやすいよね。
その世界があってもそうだし、
前回言ってくれたのはゲームマスターになっていくよ。
神が作っていた世界の中で、
自分たち人間と獣が暮らしていたんじゃなくて、
人間がむしろ宇宙とかっていうのを支配していくというか、
それを作れるようになっていくみたいな。
そういう転換っていうのが、
リグベイダーの中にもいろいろと表れているんですよ、
という感じなんですよね。
なるほどなるほど。
これが生まれた方のパターンなんですけど、
次の建築作るタイプですね。
これも結構素朴で、
宇宙っていうのは鍛冶屋、
それこそ道具を作る鍛冶屋さんって言うと思うんですけど、
みたいに神々の原始時代において、
無から言う、なかったところに、
宇宙っていうのがあるものとして生じたみたいな、
そういう風に言われてるんですよね。
無っていう概念がある。
一応あるんだけど、
これも無とは何かとか、
なぜ無から有が生じるのかとか、
そういうのは一切説明ないんですよ。
はいはいはい。
なのでこれはある種神話というか、
あくまでもまじないという感じなんだけど、
これないんだけど、
同じリグベイダーの中に、
有あるにあらず無ないにあらざるもの、
有にあらず無にあらざるものっていうのを
称える歌があるんですよ。
おお、なんかかっこいい。
そう、かっこいいじゃない。
これ要はあるものでもなくないものでもないみたいな、
結構これは高度な概念なんだけど、
なんか概念だし、
これは結構リグベイダーの中でも、
哲学的な思考策の最高峰だみたいな、
哲学的思考の展開
そんな風に言われてる詩があるんですけど、
どんな風に書かれてるかっていうと、
これがね、その時の始まりの時っていうのは、
無もないし有もなかったと。
夜と昼の区別もなかったと。
で、哲学して計るべからざる水は存在したのかって、
ちょっとこれは意味が分かりづらいものなんだけど、
要はそういう水みたいな、
水みたいなひたひたしてるものだよね、多分。
ちょっとこれは僕の想像だけど、
水ってさ、ほんとに透き通っていると、
あるかないか分かんないみたいなのってあるじゃない。
多分そういう感じで、
あるともないとも言えないものを、
水って表現したじゃないかっていう風に想像するんだけど、
いわゆる原初、始まりっていうのは、
こういう風な状態だったんだと。
もうちょっと続くんだけど、
かの唯一あるもの、これがいわゆる無でも有でもないものね。
っていうのが、自力により風なく呼吸したと。
この自然とは運動すらないんだけど、何かは起きていると。
で、これにより他に何者も存在しなかったと。
空虚に覆われ、発現しつつあったかの唯一なるものは、
熱の威力によって生まれたと。
最初に意欲が生じて、それが思考となったと。
死の最後に、この展開はどこから起こったのか。
彼は想像したのか、あるいは想像しなかったのか。
最高点にあって、宇宙を監視する者のみが、実にこれを知っている。
あるいは、彼もまたこれを知らない。
っていう風な話があります。
これがベータに入ってるんだ。
リグベータに入ってます。
後から誰かつけたんじゃないの、これ。
すごそうだね。
すごそうなこと言ってるよね。
なんかさ、さっきの質問を離させてとかさ、
地球を委ねたかにとか、ちょっとレベル違うなって思うじゃん。
そういう感じでは出てこなさそうだよね。
そうそうそう。
やっぱりこれが哲学思想的に深いんじゃないかみたいな話になってたんだけど、
あえて積極的に解釈すると、いわゆる西洋哲学との比較ができるんですよ。
例えば、いわゆる水っていうものを原初にあったっていうのは、
タレスじゃないですか、万物の根源は水だみたいな。
いやー、なんか屈指蜘蛛というか、
万物ゲームを作ったタレスが想定した水と同じって話だよね。
そうそうそうそう。
これも偶然か必然かってあるんだけれども、
面白い、リグベータの方がある種面白いねっていう風に中村先生が言っているのが、
比較すると特徴的だって言ってるのが、
熱だよね。
熱の緩くによって生まれたんだっていう話をしてて、
これっていわゆる動きとかエネルギーみたいな話に近くなるんですよ。
これはどっちかっていうと、
万物はルテンスルーじゃないんだけれども、
やっぱりそういう、ただ物があるだけじゃなくて、
動きとか変化ってのが重要だよねっていう話に近づけるよねっていう。
っていう発想を、やっぱりこのリグベータからは感知されますよねっていう対策があるんだよね。
ただ、これも面白いのが、
熱っていう風に言ったじゃないですか、
その日本語で。
これがね、もともとタパスっていう言葉らしいんだけど、
これインドだと苦行っていう意味らしいんだよね。
へー、そうなんだ。
で、苦行ってさ、いわゆる悟るためにとか、
悟るためにとか、
宗教的な修行として苦しいことをやりますっていう、
まさに苦行なんだけど、
当時からバラモンの人たちはそういう苦行をやっていて、
語訳としては熱ってなってるんだけれども、
この解釈として、やっぱり当時から苦行っていうのがバラモンの中で行われていたときに、
やっぱりその苦行っていうものが、
神話的な世界を作るとか、神々との関わりを作るっていう風な発想があったんじゃなかろうかというところで、
この原始の存在もそういう苦行というか、
そういったアクションを行うことによってこの世が生まれた。
だから、自分たちバラモンが苦行をやってるっていうのは、
まさに宇宙とか世界を作るとかっていうのと、
ある種、重なるような行動なんだみたいな、
そういう発想もあったんじゃないかねっていうふうな解釈もあるんですよね。
そこまで来るとだいぶ抽象度が上がるっていうか、
なんとなく神様が世界を作ったとか、
黄金の赤ちゃんが生まれたとかとはさ、
全然違う根源的なものに目が向いてるなっていう感じがあるじゃないですか。
前回インダシア地方に来たアリア人が、
ある意味そういったバラモン教みたいなもので統治するみたいな、
技術的な部分が大きいのかなって感じてたんだけれども、
野割にはちゃんとしてるなっていう。
必ずしもそれだけじゃなかったのかなみたいな部分を感じるな。
面白いのが、もともとはまさに手段というか、
まさに統治のためとか、議事権のためとかっていうものだとは思うんだけど、
やっぱりそれをやればやるほど、なんで神様はそんな力を持っているのかとか、
そういうことを考えちゃう人が生まれちゃうんだろうね、どうしても人間って。
あとはあれなのかな、もともとアリア人が持っていた宗教観みたいなものが、
たぶん侵略してきたアリア人が全員持っただけじゃなくて、
その中でもいわゆるバラモン的な、たぶんその立ち位置にいた家柄というか、
その人たちがより深めていったみたいな感じだと、
より理解はできるというか、自然な感じはするかなって思ったね。
そんなまさかアリア人が来て、
よし、じゃあこのインド統治するために何か作るぞっていう感じではないよね、たぶんね。
そんな簡単なもんではないよね、たぶんね。
もともとあった世界観とか宗教観っていうものがやっぱり広まっていく中で、
どんどんこういうふうに土着のというか、インドのものと混ざり合いの中でたぶん生まれていったって感じなんだろうね。
やっぱりこういうふうな世界観とか神々の話ってたくさんあるんだけれども、
こういうものがさっきタレスの話を出したけど、そこではもう500年とか前なわけですよ。
ああ、そっか。
うん、時代的にはね。
というところから語られて、無伝で伝わってきたと思うと、やっぱり結構恐ろしくない?この世界。
すごいね。さっきその熱っていう話もあったんだけれども、
その前にさ、やっぱり水みたいなもの、もう限りなく透明であるんだかないんだかみたいな区別もないみたいなものがあったときに、
最初さ、ハヤトは自力により風なく呼吸したみたいな話をしてた。そこもさ、やっぱり熱と同じでさ。
そうなんだよね。
だからそれがどういった物理、原理で変化するかとか動くかみたいなところを、やっぱりちゃんと想定してるよね。
無から有はさすがに何もないとして、ただその無から、無と有の違いみたいなもの、多分その水みたいなものみたいな存在で埋めてて、
それを想定した上で、それをこうやって風なく呼吸して、熱が加えてみたいなさ。
そうやってちゃんと考えないと出てこないもんね。物事の順序としてね。
だからこういうのがあったときに、さすがに外から力を加えないと変わんないよなみたいなさ。
めっちゃやっぱり苦行中なのか知らんけどさ、考えた人がいたみたいな、その証拠ではありそうだよね。
後から誰かが付け加えたんじゃなければね。
やっぱりそういう、ある種論理的に考えるとか、やっぱり追求するっていう風なことはね、まさにこういう言葉からも見えるし、
ちょっとこれマニアックなんだけど、それが本に書かれていて、やっぱりその自力に、
カニキがやってくれた自力により風なく呼吸したみたいな話って、
アリストテレスの中にも実は不動のゾウジャっていう考えがあって、
要はこれがアリストテレスの神みたいな話なんだけど、そんなもの自身は動かないんだけど、
あらゆるものを動かす力があるみたいな、こういう存在をある種考えてるんですよね。
へー、そうなんだ。
で、この自力に風なく呼吸するみたいな話も、ある種その自分は動いてないとか、
自分の周囲には影響はさせないんだけど、事故と動きはあるみたいな感じでいくと、
リグ・ヴェーダの世界観
その動と不動みたいなところの関係性があるじゃないですか。
ほうほうほう。
だから赤村先生の本の中でもこれって結構アリストテレスのところにも紐付けられるよねみたいな、
だからそのぐらいの発想をアリストテレスって言っても紀元前300年だと、
それこそもっとアリストテレス200年後だとすると700年前とかか。
今から考えたらもう小枕時代、もうちょっと後かな。
1300年ぐらい。
もうやっぱり人がそういうことを考えてたみたいな、そういう感覚だよね、我々からすると。
わー、はいはいはい。
で、やっぱすげーなって。
恐ろしい。当時の人が最先端のマーケティングの話をしてるみたいな話だよね。
そんな感じか。
AIの使い方みたいなものをすでに語っていましたみたいな。
そうそうそう。データがたくさんあれば答えが出るはずみたいなことを言ってて、マジかーみたいな。
そのぐらいのやっぱり驚きが、リグベイダーの中にもありますねっていうふうな感じなんだよね。
相外の深みがありそうだった話だね。
そうなんです。
というような感じで、今回このザ・クリスの世界観という中で、もちろん思想とかはまだ深まってないんだけれども、
芽生えというか、走りというものを感じられますよね、というようなところをお伝えしてきたんですけど、
次回ね、そういった世界観とか神様がいっぱい存在する、あるいは最初は神様の下に自分がいる、
自分と動物たちがいるっていうふうな構造だったところが、時代を経て変わっていくという話もしたと思うんですけど、
だいたいは世界観の流れの中で、人間ってどういう扱いだったのとか、人間に関してはどんなふうに語られているのみたいな、
そういうところを次回では見ていこうと思っておりますっていう感じですね。
人間の立ち位置
了解しました。
はい。
レーダー続くね。
レーダー続くよ。
まだ近い前ですけどね。
やっぱ面白いなと思うのは、やっぱり神話とお話自体を楽しむとかもあるんだけどさ、
やっぱりそれを考えている人たちは結局どんな人たちだったのとか、
なんでそのことを考えたのっていうところまで見ていくと、すごい共感できる部分もあるし、
やっぱり全然違うねって。
子孫を反映させてくださいとかって、今でも思う人は思うわけじゃん。
そういう意味でいくと変わんねえなとかって思ったりするし、
さっきも言ったような、人間と動物が一緒とかって、一周回って現代に確かに近いかもねっていう話もあってさ、
やっぱりそういう人としての在り方とかってすごく面白い。
そういうことを知るなんて面白いなって思うんですよね。
はいはい。だからね、当時の人がそれをどう考えてたか。
しかもこのレーダーは一人の人が作ったわけじゃないよね。
多分当時いろんなバラモン的な人たちが、
多分最初から1028あったわけじゃなくて、
結果的にそこは多分改ざんとかはダメだけど、
正式にこれ追加しましょうみたいなのが多分あったわけなんだもんね、きっとね。
ないですね。
え、ないの?
歴史上ないと言われております。
わー、そうなの?
はい。
それは面白いな。そうなんだ。
前回おっしゃった通り、このレーダーっていうものは、
いわゆるイニシエの聖人が天から授かったものっていう手付けなので、
原理的には一部付け加えるとかあったかもしれないけれども、
歴史的にはいわゆる人が作ったものじゃないんですよ、このレーダーって。
あー、そうなったか。はいはいはい。
そう。だからそういうことは仏典とかみたいに後から付け加えるとか、
みんなで議論して作るとかじゃなくて、
生まれた時、原初からこの形で伝わってますっていう風な一応立て付けではあるんだよね。
なるほど。じゃあさっきの雨降らせてくださいみたいな話から、
今のようなその、この世は無というとみたいな全部も、
それがセットでもう神からもらっちゃいましたみたいな。
そうですそうです。
はー。面白いね。はいはいはい。
もちろんね、現実動画とかもちろんわかりようがないし、
あとちょっとこれも脱足なんだけど、
いわゆるインドの人たちというかこういったレーダーとかの人たちって、
そういうのに興味がないって言われてるんですよね。
要は誰がこう言ったとか、歴史的にどうだみたいな、
いわゆるこう歴史的な学問って、
あんまり発展しなかったって言われてるんですよ。
へー、そうなんだ。
うん。だから、キリスト教とか仏教とかでもさ、
第何回仏典結集みたいな感じでさ、
誰々がどこどこに集まってとかって話あるじゃない。
そうね。実際どうなったみたいな。
そうそう。そういうのが一切残ってないんですよね。
あー、そうなんだ。
バロマ会議みたいなのが残ってない。
残ってない。
あー、面白いね。
そうか。となると信憑性は増すよね。
Z1028だった。それがちゃんとただただ検証されてきたみたいなね。
うん。
あとでの感じは、それももしかしたらこのアーリア人、インド人、
当時のインド人の性格とか特徴、
最初は楽観的というか、
厳正利益的で、今が楽しけりゃいいじゃんみたいな感覚と、
やっぱり過去あるし、帰り見ないしないけど、
これもあったのかね、みたいな。
そんな話でもあるみたいですね。
なるほど。
いやー、ちょっともうちょっとそうだね。
次回もあると思うけどね、
もうちょっと過去のベイダーって何なんだろうみたいなものを見ていきたくなるね。
そう言っていただけると。
なので次回ですね、ベイダーから見る人間感というか、
当時の人たちは人間というものをどう捉えていたのというところを
ぜひお伝えしていきたいというふうに思っておりますというところですね。
はい、分かりました。
では次回ですね、より深くイグベイダーですね、
ここのところを見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。