1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 心に聴く。喪があけて、感じた..
2019-10-03 11:45

心に聴く。喪があけて、感じたこと。 from Radiotalk

少し、感じたことや思ったことをまとめたかったので喋る。「喪があける」というのは、再び別れを感じる残酷さも、どうしようもない人のサガを理解して次に向かう営みでもある。

#ひとり語り #落ち着きある #コルクラボRadiotalk部
00:04
はい、そのです。 こんにちは。
えっと、今日は
午後休を取ってね。 ちょっとその休みに入ったところで
今、会社の近くから収録してるね。
っていうのは、なんだろう、まあそもそも午後休を取ったのが
あの、今日はちょうど僕の父親の命日で
ちょうど1年経ったんだよね。 で、まあ、もがあける?
っていう日なんだけど
なんかちょっとそのことについて話そうと思ったから
いつもの構成のはまた別に撮るとして、それについて
話そうかなーって思うんだよね。
まあ なんだろうねぇ
ちょうど1年前の まあ
なんかほぼほぼ実際には10月2日にもう
危ないってなって
呼吸は止まりつつ、まあそのね 死んだことを確認したのは医師が来て
っていうタイミングだから、まあそれで
10月3日の だいぶ早い時間
0時何分かで 死亡確認なんだよね。
ただまあ一度確定しちゃうと不思議なもんで10月2日が父の死んだ日っていうよりは
3日が死んだ日っていうふうに 思って
なんとなくそこが干渉的になる ところかなぁ
まあとはいえなんかこう なんていうのかね
まあ さっぱりしたもんで
昨日だって別に3日になった瞬間に 何かがあるっていうもんでもなかったんだけど
ただ なんかね
やっぱ1末の寂しさを 感じているかなぁ
ああ こう
やっぱ最初はさ、その父親が 死んだっていう瞬間っていうのは
ああ 確かに親しかった肉親が
ねえ まあ言ってみればこう唯一この世にいる
03:01
血の繋がりが 濃い
男性?
うちは一人っ子なんで 本当に血の繋がりが
強いっていう意味では 父と母しかいなかったからね
思うんだよね ただまあ
本当に死んだ瞬間っていうのはやっぱりまだ気が張ってるし その来るべきお葬式とかそういうイベント
の中で まあそれはそのなんていうのかな
死ぬまでの間のところでもそうだったんだけど 母親に対して
何ができるかと母親が まあよく父を見とってまあそれを引きずらないというか
うまく消化してほしいなっていうのだけを 自分の役割にして
たんだよね だからまあ父親が亡くなった寂しさみたいなを感じたのは実際には
まあ葬式とかも終わってしばらくして そのそれこそねちょっと落ち着いて49日とかも
見えようかって時にやっとこうなんかじゃあ次ちょっと 息子連れて
実家に遊びに行こうかなーって思った時にあそこには父親がもういないんだな っていうの
思い出して
初めて 悲しみとかを悲しみまでいかないよね寂しさを感じるみたいな
失ったことをやっとわかるみたいな感じなんだよね でまぁその後は
なんかそれこそ今話しててもそうだけど例えば話し方とか 考え方とか
そううちの家やで言えばどうし特徴としては 穏やかな人でね
でこう その
割とこ人混みとかが 好きではないし
なんかその まあ雑に扱われるっていうか
そういうことに対してはすごい 怒る人敏感な人だったんだよね
だから優しさ なのかまあそれは別に承認要求なのか
いろいろあると思うんだけどこう ただ
そうだねまあなんかうちの奥さん もうまあそうそううちの奥さんも経理で
父親はねずっと経理バターで就職してからは働いて最後もえっと プーマジャパンでなんか経理部長を一時期やってたりして
06:06
なんかこう まあそれもあって少し会社生活の話とかだとまあ僕自身も当然親子として話
したけど奥さんも通ずところあってなんかただそう まあそんなに経理の細かい話はしないんだけどその経理人
っていうのかなそういうバックオフィスの人間としての働き方みたいな 軽く話したりとかまあでも印象的だったのはなんかこう
まあさあ奥さんはこうすごい素直な人だからこう たまにねそのギリの
まあ父親とはいえなんかこう会社でこんなことがあったんですみたいななんかこと言うん だけども
なんかその怒りをねあらわに人にぶつけるとか見せるっていうのは損をするからやめ たほうがいいよねーみたいな話をする
こう人だったんだよねでまぁなんかそんな感じでまぁ当然僕も違った話したことで こうああこういう時だった父親はこうするだろうなぁとかまぁこういうことがあった
なぁみたいのをたまに思い出すであるいは何か特に自分の何か判断をしている時とか まあ歩き方とか声とか
そういうのにふと 視聴やの面影を見て
a そう なんかねまた少し思い出したことへの喜びとそれからいないことの寂しさを感じる
っていう のを過ごしてたんだよねただ今日なんかそのもが開けるとか
まあもに福祉とかっていうのを聞いて見ていた まああれそういえばどういう意味だっけと思ってみてて
まあその 個人の思い出と
まあ うーんとなんていうのかなまともにいる時間だみたいな話があって
こう もが開けるんだって思った時にまたねちょっとなんかこう悲しさみたいなものが
込み上げて うーん
なんかやっぱりこの1年でその父親を そのなくしたっていう悲しみは自分の中の面影とかそういう思い出と一緒に
こうある程度を まあ抑えるっていうかケアしてきたんだなーっていうふうに
思ったかなぁ
そうちょうどなんかが前にねコルクラボでもその 島園先生が来る時に
まあね課題簿みたいなものを決めてそのお題に従って版で版グループを組んでて その少しそれについて話したりみたいな事前にしてるんだけど
09:09
まあその時のお題がまあ先生がまあそもそもね 孤独とかグリーフケアの専門だったのもあってまぁ結構お題がシリアスで
えっと まあ親しい人との別れっていうのは
あのどうしますかみたいなのがグループの まあ問いだったんだよね
で まあその時にも思ったんだけどこう
今まではそういう意味だと思い出と一緒にやっぱり 生きていて
まあそこからまたもう一段の別れみたいのがあるのは 寂しいし
そう残酷なんだなぁって思うんだけどでも 一方でそのやっぱりね例えば今日の
10月3日になった時に すぐには何も思い出さないとかそうやってこう自分の中で忘れていってる部分みたいなものも
感じてそれはやっぱり 事実というかまあ迎えてしまうことなんだなっていうのを
感じて まあこう人は忘れるのが特徴の生き物だみたいな話もあるけど
こう忘れるっていう残酷さもあるんだなーっていうのを感じた ところかなぁ
そうだね
人さあまあ肉親の死とかだとそれはセレモニーもあるしわかんないけども 他にも大事な人の出会いとか
大事な人っていうのも まあどんどん忘れていくんだなーっていうのが
なんだろうね まあそこがなんか人の不完全さにも感じるし
まあそこがたくましさっていうかその次につながるっていう ところでもあるのかな
というところでなんかそのモニフクスとかもがわけるっていう のに絡めて
考えたことでした そしたらまたさようなら
11:45

コメント

スクロール