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はい、そのです。おはようございます。
朝の散歩からはんせい会です。
というわけで、今日はね、風がちょっと強めで、
気温もそこまで高くはないんだけども、
晴れてて、雲がなくてね、
えっと、こういう気持ちかな。
なんなんだろうね。
なんか学生が集まってるから何か、
学校の行事でもある感じなのかな。
そんな風にも見えますね。
というわけで、えっと、今日はね、
そう、なんか、昨日から考えて、
今朝思ったのは、
あの、なんだろう、まあ、
喜怒哀楽を示すっていうことが、
あの、個性を示すっていうことに近いのかなっていうのを、
ちょっと思って、
なんていうのかな。
まあ、反対にあるのは、感情的な表現と、
論理的な表現、
まあ、例えば何か説明するとか、
何かについて意見を述べるみたいなのがあるんだけど、
で、こうね、
最近思うのが、
自分がこう、記号として振る舞うというか、
記号として受け入れられているときと、
その、個人として、
例えばその、そのっていう、
まあ、あだ名を持った人として、
受け入れられているときと、
違うけど、
まあ、個性を認めてもらうっていう意味では、
その、できるだけ、
そのっていう名前の方で、
まあ、何か立場ね、
まあ、その、僕で言えばデータ分析の会社の人とか、
コンサルタントとか、
別にその他いろいろあると思うんだけど、
まあ、コミュニティで会った人とか、
あの、
まあ、なんだろうな、
僕で言うと、
例えばこれクラボの運営の人とか、
なんかそういう記号で扱われることと、
まあ、その個人で扱われること、
間にあるものっていうのが気になっていて、
ただ、なんかね、
その人個人っていうのを感じるときっていうのは、
その、ロジカルな説明をしているときとか、
まあ、そういうユニークな考えをしているときとか、
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でもなくて、
あの、
感情を表しているときが、
まあ、喜怒哀楽表して、
それについて、
例えばこれについて怒ってるんですとか、
高校の高校のこういうところがすごい嫌だから、
悲しいのか、
そういうことを表しているときのほうが、
まあ、その人らしさっていうのがいたかな。
まあね、
あの、っていうのは、
昨日からの出来事もあって考えてはいたんだけど、
昨日は仕事の日なんだけど、
車は仕事をしていて、
夜はね、
昨日フォルクラボの定例会があって、
で、
そうそう、
クルー会だからね、
クルー会っていうのは、
ゲストとかは呼ばずに、
いろいろメンバーの活動の話とか、
昨日のテーマは文化祭、
ちょうどツイートもしたけども、
11月22日に今回はオンライン開催で文化祭をやるので、
そこにね、
できるだけメンバーがみんなスムーズに参加できるようにっていうので、
少しテーマをフォーカスした会になってて、
司会とかね、
少しやることが多かった会なのかなって思う。
で、それをやって終わって、
昨日はその後、
それが7時から9時半まであって、
その間奥さんと子供はね、
粛々と夕飯を食べたりとかして、
そろそろ寝る時間になるので、
寝るのを見送って、
僕は残してもらってた夕飯を食べつつ、
10時からは前田デザイン室の、
デザイン講座的な、
デザイン講座まで行くのかな、
そういうイベントがあったので、
参加して、
それはそれで、
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何だろうね、
まあなんというか、
そうそう、ごめんごめん、
ちょっとなんか車両移動の声が、
気を取られすぎて、
その前田デザイン室のセミナーみたいな、
聞いて、なんか久しぶりにデザインのことを、
ちゃんと聞いたなとか思いつつ、
っていう日だったかな。
テレ会の後に、
メンバーから意見をもらって、
少し話し方的に、
文化祭をメインで扱いますとか、
というところが雑に話したせいで、
他はないがしろにしているような印象を受けて、
少し悲しかったとか、
もらって確かに心はあって、
結構コミュニケーションはね、
すごいコロクラボ自体は、
緩く何でも受け入れるっていう前提であるけど、
そこで少し荒くやりすぎたのに、
今とかは特に、
入ってきた時期によって、
許容度とかにも差があるし、
そもそも、
普通の物差しだと雑な話し方とかにはなってたから、
そこは反省だなと思ってたんだけど、
でもそのご意見っていうのは、
すごい丁寧に書いてくれたし、
ロジカルな説明なんだけども、
やっぱりその元になっているのが、
ある意味怒りとか悲しみなんだよね。
で、その時に初めて、
実際には僕が連絡してくれたメンバーを個人として認識して、
それまでは最近、
最近って言うとちょっと語弊があるのかもしれないけども、
自分よりも最近入ってきたメンバーの人なんだなっていうのとか、
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その中でも自分とまた別なプロジェクトに入っている人なんだなとか、
よく出てくるから頑張っているのかなぐらいの人ではあったんだけど、
連絡をもらうと、ここに怒りがあると。
そういう意味だと仲間と一緒にやったものについて、
下に扱われるみたいなところがすごく気にするポイントなんだなとか、
それでも理性的に、そういう意味だと、
多分それもまた仲間に対して不利益にならないようにみたいなところとか、
いろいろあると思うんだけど、
その感じで、初めてその人、個人を感じたんだよね。
思うに自分自身は今40代で、
手配り世代とか、結構怒りの世代みたいなことを昔は言われていて、
ちょっと年代が実際には違うんだけども、
僕らの頃のエンタメというかカルチャーというか、
松本ひとしさんとかの笑いが、
世間の中で怒っていることを見たのにフォーカスして、
笑いにしていくみたいな、
そういうのが受けていた世代、時代なんだけども、
怒りを表現にしているみたいなところって確かにあったなと。
怒ることで自分の価値観というのを提示して、
自分個人というのを認めてもらうというのがあったのかな、
みたいなことを考えて、
そこから個性を表すとか多様化していく時代といったときに、
喜怒哀楽というのをちゃんと発信すること、話すことというのが、
その個性を表すということなのかなというふうなことを考えていました。
途中でいろいろ中断したりとかあったけど、こんな感じです、今日は。