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2023-07-04 16:19

14 情熱について(前編)

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▼出演

永里 優季(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@yuki_ngst⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

上水 優輝(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@y_uemizu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

彼は情熱について話しています。情熱の表現や伝播について考えています。好奇心がくすぐられているときには、知りたいとか、経験したいという気持ちが高まっているのに、それと同時に情熱も湧いてくるような感じです。完全に好奇心に連動していて、好奇心を知った瞬間には情熱も失うかもしれません。

情熱の必要性
こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
さて、今日は、情熱についてお話ししたいと思います。
これは、永里さんからのテーマなんですけど、また面白いキーワードですね。
情熱についてどういうことでしょうか。
情熱。つい最近ですね、ある方から、相談というわけではないんですけど、話をちょっと伺って、
上司に、情熱が足りてないって言われたらしいんですよ。
でも、本人的には、情熱を出して取り組んでいるつもりだし、
情熱なかったらこの仕事をしてないし、みたいな感じで、すごく不満だったんですね、それを言われたことが。
じゃあ、情熱って、伝えなければ、意識的に伝えなければならないものなのか、
それとも、受け手が見方を、ちゃんとその人の見方を変えて、
その人が本当に情熱を持っているかどうか、チャンネルを切り替えて、情熱を受け取ろうとする方が大事なのか。
いろいろ考えてたんですよ。
結局、情熱って目に見えないものでもあるけれども、形として現れるものでもあるじゃないですか。
プラス、情熱って仕事上、確かに必要だと思うんですよ、私は。
自分の仕事にとっては、情熱がなければ、結構きつい仕事だなっていうのもあるので、そのピッチで情熱を表現できなかったら、
そこの部分について考えたいなっていう。
情熱…どこから考えていこうかな。
情熱が必要か必要じゃないかで言うと、受け取る受け取らないのを話の前に。
必要か必要じゃないかで言うと、必要なんじゃないの?って僕は思ってます。
情熱が持てないことをやっていると、きついじゃないですか。楽しくないというか。
楽しくないし、楽しくないのが相手にも伝わるし、なんかいいことあるっけって思っちゃう。
情熱なくてやってる人もいると思うけど、やっぱりそうやって伝わってると思うんですよ。
人には伝わっちゃいますよね。
自分自身もそう思ってるわけじゃないですか。まず情熱がないっていう前提だとすると。
誰がハッピーなんだろうっていう気はするんで。
なんか結構ね、満足感みたいなものにすごくつながってるものだと僕は思ってるんですよ。情熱が。
なのでそれを持ってないってことは満足してない。満足してないというか、ある種の向上心という意味では不満足が必要だと思うけど、
やってもやっても楽しくないみたいな意味での不満足感をずっと抱えることになるんじゃないかなって思う。
もしくはやりたくもないと思うみたいなことに寄り添うので。
情熱は持ってた方がいいだろうなって思います。
それが人に伝わるとなお良いって感じですよね。
あの人楽しそうに仕事してるなみたいなのから元気もらうとか。
サッカーを見るってまさにそういうことだと思うんですよ。
情熱を持った人たちのプレーを見て自分たちも元気になったりするわけじゃないですか。
日常に対する情熱を取り戻すとか、自分の仕事に対して情熱を取り戻すとかいうことだったりするから、
情熱の伝播だと思うんですよ。スポーツが提供している価値の一つというのは。
だからね、めっちゃ大事だと思ってますね。
見られるものじゃなかったとしても、仕事全般、活動全般、子育てにも情熱がいると思うし。
なんかすっげー、もうね。
淡々とやってても、なんか子供は多分へへってなりますよね。
自分の親大丈夫かなみたいな。
そこそこ情熱を持ってほしいですよね。最低限の。
情熱と熱意の違い
今なんかちょっと思ったのが、情熱と熱意って違いますか。
情熱と熱意。ちょっと確かにニュアンスは違う気がしますね。
情熱ってもうやっぱり高まってる感じするじゃないですか。表面的にも。
でも熱意はなんかもうちょっと、どうなんだろうなわかんない。どうなんですか。
あんまり使わない言葉だからわかんない。
なんかその、今親の話、教育の話をしたじゃないですか。
はいはい。
私が子供、私3兄弟なんですけど、全員サッカー選手なんですね。
で、親母親が結構私たち3人とものサッカーのクラブに対する送り迎えとか、毎日やってくれてたんですね。
毎日おにぎり作って弁当を渡せたりだとか、
自分の時間を削ってまでも子供に対し、子供が成功するために、そうやってサポートをしていた。
サポートしてくれてたんですね。これって情熱じゃなくて熱意だなって思ったんですよ。
確かに。なんかその一つのこととか、そのテーマのことに対してしっかりと打ち込んでる感じはありますよね。
情熱はもうちょっと激しさみたいなものがある感じはしますかね。
そうなんですよ。
熱意にも感情はありますかね。
熱意にも感情、静かに燃えてるイメージなんですよね。
瞬間的なものじゃない感じがするというか。
情熱はもうちょっと瞬間的爆発力もあるイメージ。
なんかその感情がすごく左右するなっていうところがありますよね。
情熱は。
熱意はじっくりことこと煮込んでる感じです。
情熱の表現と受け取り方
どういうところに人の情熱って感じますか。
情熱はやっぱり感情ともなっているものを見たときですかね。
感情がそこに感じられないと、情熱っていうふうにやっぱ思わないかもしれない。
どんだけ真剣にやってるふうに見えても。
見えても、はいはいはい。
そうだな、情熱そうだな、そういう熱意と情熱って言われると急になんか情熱じゃなくてもいい気がしてきた。
うん、ですよね。
熱意を持ってればいい気がした。
でも多分ビジネスにおいてはそっちでいいと思うんですよ。
サッカーって感情をエネルギーに変えないといけないスポーツなんで。
まあまあまあ、両方の側面か、そうですよね。
戦うって意味でもそうだし、見てる側からしてもそうだから、どっちの意味でもそうですね。
なのでそこはちょっと違うかなと思うんですけど、
なんだろう、その、感情を表現するのがやっぱ上手い人下手な人っているじゃないですか。
いますね。
で、それが、なんだろう、
自分では情熱を持って感情を表現してるつもりでもそれが伝わらないってなった時って、
結局その熱量が足りてないのか、受け手の感受性が低いのかって思う時があるんですよ。
どうなんだろうな、もちろんどっちもあると思うけど、どっちの場合もあると思うんですけど、
その、情熱があるにもかかわらず表現しきれてないってことですね。
情熱がないわけじゃないってことですね。
それはでも自己認知です。
自分にはあるんですって言ってる人がいると思うんですね。
自己認知そうだな、難しいよね。
情熱を証明するってことですもんね、だって。
難しいなあ。
あれに限りなく近いですよね。
自分が相手を愛しているみたいなことを伝えるのに、
いや愛してるんだよ、みたいなことを思ってても伝わってないとそれは愛してるにならないみたいな感じに、
限りなく近いですね、情熱もまた。
だからやっぱ気持ちみたいなものってのはやっぱ、
思ってるかどうかってそんな重要じゃないかもしれないですね、実は。
相手から見たときにどう見えているかってことが結局全てになっちゃう?
もちろん美しいのは両方がそうであるってことだけど、
この社会を動かしているというか、その状況を動かしているのは相手が受け取った情報になっちゃうから、
情熱があると見えたか見えなかったかみたいなことが大事な気がするなあ。
残酷ですけど。
残酷ですよね。
残酷だわ。
残酷だわって、そうですね。
でも実際そうじゃないですか。
でも実際そうですよ。
実際そうだと思います。
その情熱ってどこから湧き上がってきますかね。
自分の情熱ですか?
自分自身が抱く自己認知としての情熱がどこから湧き上がってくるか。
今、私情熱持ってやれてるな、みたいな。
僕は好奇心から来てるかもしれないです。
好奇心と情熱の関係
好奇心がくすぐられているときに、それを知りたいとか、もうちょっと経験したいという気持ちが高まっていくのに合わせて、
それを情熱がくっついてくるみたいな感じになって、
完全に好奇心に連動していて、
好奇心を知った瞬間、情熱も失うタイプかもしれない。
どうですか、長里さんは。
あ、好奇心じゃない。
情熱のどこから湧いてきてるんですか。
なんかその、
理不尽な状況に追っかれるほど、
怒りが情熱になるみたいなところがあるかもしれないです。
めっちゃストイックじゃん。
本当は嫌なんですよ、自分イライラしちゃうし、怒ってるし常に。
けどなんかそれが結果的に試合でのエネルギーになってるなって最近思うんですよ。
なるほど。
うん。
怒りからじゃあ、怒りっていうか、やり場のない怒り。
すごいな。
でもそういうのあるかもしれない。
負のパワーって強いって言いますもんね、そういう怒りとか悲しみとか、
そういうのをエネルギーに変えた時強いって言いますもんね。
そうなんだよな、好奇心、
好奇心のどこから湧いてきてるんですか。
うん。
でもそっちの方が、
そういうもう不じゃなくて、
確かに初動はいいけど持続力がないというか 強さが踏ん張りが効かない
強さが足りない
初動が早いだけみたいになっちゃう
でもそっちのほうが
不じゃなくて性のエネルギーが働くから
なんか感覚的にはそっちのほうがいいのかな
なんか感覚的にはそっちのほうがいいなって思うんですよね
不のエネルギーを感じなくて済むから
精神衛生上はね
そうなんですよ
社会的にちゃんとやり遂げてる系の人は
やっぱりその不のエネルギーな気がするな
やっぱり持続する強いエネルギーって
やっぱその不のほうにある気がする
性って持続しなくないですかプラスのエネルギーは
しないですね
だってもう満ち足りてますもんね
それじゃやっぱり足りないんですよね
それでも全然いけるんですよ
その性のエネルギーで全然プレイもできるし
通用もするしけど
不のエネルギーと性のエネルギー
結構単調になるって言ったらあれですけど
激しさとかは生み出しにくいですね
限界を超えていくモチベーションみたいなのないですよね
好奇心だけだと
でもどうなんだろう
困難な局面でグッと瞬間的に踏ん張るみたいなのは
好奇心だけだと
なんだろうな
じゃあちょっと休もうかなってなっちゃうんですよね
確かに別にここ踏ん張らなくていいしなみたいな
またやりたくなったらやろうかなみたいな
ちょっと休もうかなってなるけど
不だと休んでる場合じゃないなみたいな
ここで折れたらもう終わりだろみたいな
確かにそこでよりエネルギーが出るみたいなのがわかる気がする
そっちな気がしますね
どっちでもいけるんですけど
結局それは環境によって左右されるところがあるなっていう
結構大きめのことをインパクトのあることをやろうとする企業家の方とかも
性のエネルギーよりは不の気がするんですよね
結構その不満があってこれを変えたいみたいな
怒りとかそういう不満をベースにやってる人とかの方が
パワーがエネルギーあるなーって感じはしますもんね
確かにその方が出ますねそんな感じします
今シーズンずっと不満と怒りばっかなんですけど
プレーにそれがやっぱ出るんですよ
激しくタックルに行ったりだとか
そういう場面が今年多くて本当に怒りのぶつけどころがないんで
そこにぶつけてる
そこに出るなってすごい感じます
個人のプレーはむしろ高まっていくみたいな話する?
高まっていくみたいな
不のエネルギーの弱点というか
難しい部分があるとすると
自分はそれほどの負荷をかけれるじゃないですか自分に
周りとの温度差が出そうだなと思うんですよね
出ますね感じます
エネルギーが出るが故にエネルギー出すぎてるというか
周りと釣り合いが取れないみたいなことが起こりそうだなっていう
若干気もたがれますもんね
練習中とかでも
そうなんだよなみんなが怒ってたらいいんだけど
サッカーだから共通の敵いるからね
もうちょっとそこの
モチベーションというか
意識の向け方っていうのはあると思うけどな
敵として見なされてるかもしれないです私
何があった?
わかんない
敵と思われてるのかなって思うことがちょっと多々あったりして
それは一部の人かなってことですか?
そうですね
一部の人からとあとは空気感みたいなところがありますよね
空気がそうやって伝えてくるみたいな
調和ってむずいですね
難しいですよ本当に
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