家族の構成と自己中心的な行動
こんな愛とパッションにあふれた家族、いいなって思っちゃいましたからね。ちょっとやり方悪くてしたけど。
そうか。結構でもね、面白いですね。評価が追われたのが面白かった。結構そんなに憧れるぐらいの感じだったんだ、あの家族像とかは。
なんだろう、家族構成は憧れじゃないですよ。なんか蒸発してとかあふれて。
けど、すごい愛と情熱を持ったお母さんに自分がなりたいって思っちゃいました。
ああ、なるほどね。僕はどういう視点で見たんだろうな。子供視点で見ちゃったからな。
分かんないと思った。
それあなたの都合でしょ、みたいなことをすごい思った。映画だからずっと通じて、確かに2ヶ月間の死ぬまでの間にね、お母さんがやっておきたいこととして、だからそんだけね、コントロール的にやったってのも方は分かるんですけど。
とはいえ、それはあなたの都合だからさ、とかって思っちゃうみたいな。
だったら最初から宣言して、僕の好みですよ。僕の好みだと2ヶ月しかないから、2ヶ月は自分がやり残したことをやるのを一緒に付き合ってほしいと。
それは私のわがままでしかないんだが、2ヶ月しかない命でそれをしたいから付き合ってほしいって言われたら、分かった、何でもやるよって言うけど。
なんか意図を言われずに、いきなり連れて行かれてあんたのお前だからとか言われて困るみたいなやつですね。
そこもやっぱりお母さん不器用なんですよ。
そうね、不器用なお母さんでしたね。
とても不器用なお母さん。
なるほどね。
あれはそうですね、映画としては何を伝えたかったのかとかいうメッセージとかも全然受け取れてなかったんですけど、
本当に登場人物一人一人に、なぜこのような行動になったんだろうとか、どういう感情なんだろうみたいなのが、いうところにフォーカスしてみたって感じでしたかね。
なんか結局、残されたがんを戦国されて、残された命があるから、残された期間どうやって生きるか、みたいな心を伝えたいっていうわけじゃないと思ったんですよ。
そこじゃないなと思ったんですよね。
自己中心的な行動と他者へのコントロール
僕はどちらかというと、映画のメッセージとして受け取ってはないんだけど、映画を見た自分なりの教訓として思ったこととしては、人生の最後に、最後とわかっていてね、一気に何かいろいろしようとするのは良くないなと思ったっていう。
それはまさにそうだと思いました。なんかそうやって、死ぬってのがわからない、死なないけれども、いつ死んでもいいように生きなさいっていう。
それはすごい思いましたね。やっぱり一気にやった時の、確かに一個一個消化できるとかしたんだけど、参加させられてる人の負荷が半端じゃないじゃないですか。
半端ないですよね。
日頃から段階的にやってたらとか、そんなにあそこまでの負荷はなかったのに、もう今は向き合えないと一生向き合えないんだよとかって、それはあなたがねって話だからさ。
あなたはそうで、私はいつも向き合えるけど。
まさにそう。
自分の都合を押し付けるような形にならざるを得ない最後にやろうとした。
そうですよね。まさにそう。だから日頃からやりたいことはやっときなさいってことですよね。
あとは2個目はあれですね。さっきもちらっと言いましたけど、他者をコントロールしようとしすぎるのは、あんまり僕の好みじゃないんだなって思いましたね。
だからお母さんの気持ちとかは考えるんだけど、とはいえこれをしちゃったら、その人のどう動かすかというか、コントロールしすぎだろうとかって気持ちの方が僕は強く感じたんで、
自分はやっぱり他人をコントロールするみたいなところに対してすごい慎重なんだろうなってことを気づいたって感じかな。
なるほど。
あと最後3つ目が、亡くなるちょっと前に外でピラミッド作るじゃないですか。
部屋に会いに行けよって思っちゃいました。
部屋に会いに行けよだし、外から叫んだら、みんな他の患者さんとか迷惑だからさとか、どうしてそうやって人のことを考えないんだろうとかと思っちゃった。
それは思いました。
え、バカなの?
バカなのって思わなかったけど、迷惑だろうなって思いましたね。全体的に迷惑だろうなって。
しかも、それでさ、おだけり嬢がこうやって支えるからとかって結構ね、俺頑張るからみたいな感じでメッセージ。
死に向かう最後の行動
感動するシーンの一つなんだと思うんですけど、たぶんね。
僕からすると、それもちょっと弾いてみちゃってて、それを見た宮沢リエさんが、もっと生きたくなっちゃうじゃないですか。死にたくないって。
あー確かに。
もうもっと生きたいって泣くじゃないですか。そうなんだよって。そういうことをやるとそうなるからさ。
死ぬ前に、もう死ぬってわかってる人に、生きたくなるような刺激を与えるなよって思った。
今さらかよって。最初からそうだったらいいけど、最後の最後でいきなり自分の思いを伝えたいという、自分の都合で死を受容して死に向かってる人に向かって、もう一回生きたいって思わせるみたいなこととかは、もうやめろよって思っちゃった。
しかも小田切城、一回も面会に行ってませんしね。
そうそうそうそう。そうなんですよ。
いや行けよっていう。いつも娘に状態を聞いてたじゃないですか。気になるんだったら行けばいいじゃんっていう。
うん。
っていうところもちょっとイラっとしましたし。
なるほどね。
小田切城に関しては。
まあもう典型的なね、ちょっとダメよじゃないけどね。
ダメよじゃない、はい。そんな感じでしたよね。
パチンコに行けるなとか、そんな感じだったですもんね。
基本的にそういうもうとことんダメみたいな設定の、彼が彼なりにダメなりに伝えたメッセージみたいなシーンなんだと思うんですけど。
そのシーンがどうかっていうよりは、死ぬ前にそんな刺激したら、もうなんかもう気持ち的にまたちょっと変な気持ちで死んじゃうんだろうって思うから。
よくないな、死ぬ前に人は刺激しない方がいいなという学びを得ました。
だって。
死ぬ前っていうのは別にその直接的なこの死だけじゃなくて、人との関係の終わりとか、物事の終わりとかっていう意味も広く含めてね。
終わりに今さら刺激するなって思う。
うん、確かにそうっすね。
で最後やっぱ娘がちゃんと、お母さんも行っても大丈夫だよみたいな感じで。
また娘に負担がかかってますからね。
そう、そこ娘なんだって。
そう、お母さんが結構苦しそうなというかすごい状態だったけど、娘が見とったわけじゃないですか。
だから結局娘に負担がかかっとるやんみたいな。
そうなんですよ。
おたけり城何もしないやんつって。
そう、だから周りの人に負担がかかっていくみたいな。
だからね、それは意図して描かれたのかわかんないけど、
そのここで言われてる愛みたいな、愛情みたいなものが、パッションが、
結局人に負担をかけているみたいなこととかも結構面白いなと思いましたね。
なんだろう、その人に、人に、なんだろう、どういうふうに死にたいですか?
僕ですか?
それはどっちですか?
嫁2ヶ月だったらどう過ごすかっていう意味なのか、
それとも広い意味で、死ぬときどう死にたいかってこと?
そうそう、広い意味で。
広い意味でか。
えっとね、2つですね。浪水か即死かどっちか。
うん、確かに。それは即死か浪水かですね、確かに。
苦しんで死にたくはないですね、長い間。
そうそう、それだけ。
そのときに何かを持っていたりとか、誰かに見取られたりとか、
あんまなんかそういう要望はなくて、
苦しみたくないから、即死か浪水でお願いしますと。
あります?長谷さんは。
一人で生きたいですね。
見取られたくないと。
うん。
見取られたくないと。
うん。
うん、なんかそれは、
死に方への考え
何だろう。
何だろうな、見取られるのが恥ずかしい。
自分が弱っていくところがどうと。
とこもありますね。
恥ずかしいって感覚なのか。
恥ずかしいって感覚ですね。
リラックスできなさそうですね。
ちゃんとしなきゃいけないスイッチみたいなのは。
そう、入っちゃうと思うんですよね。
ゆっくり死にたいんだかみたいな感じには。
そうそう、人がいるとやっぱり気使っちゃうし、迷惑かけたくないっていうのを思っちゃうから。
一人で浪水したいって感じですね。
その時どうするんですか、お家族とかは、その時はもう来ないでっていう。
鶴の恩返しみたいな感じなんですか、開けないでくださいみたいなやつ。
死んだら見つけて処理してくださいっていう感じですね。
見つけて処理してくださいってことは、猫みたいになるってことか。
もう死に、隙を感じたらどっか飛び出していなくなるみたいな感じか。
お墓にはいれなくていいです。
お墓にはいれなくていいから、とりあえず海とか森とか山とかにお骨沢巻いてねって。
多分、海とかに参るとか、どこに行ってもお参りできるじゃないですか。
確かに、それはそうだと思う。
そういう思ってもらえればいいですよね。
はい、という感じですね。
嫁二ヶ月だと何します、もし。
嫁二ヶ月、想像できないんですけど。
嫁二ヶ月って言われても、それを信じないで、それを治す道をまず探します。
治す方向で行くんですね。
はい。
この映画の中でもそういうシーンがありましたよね。
他の病院に行けば治療の術があるかもしれないって言ったけど、
もう延命することに時間を使いたくない。
その活動に時間を使いたくない。
そういうのはない?可能性を探っていく?
可能性探りますね、限りなく。
なるほど。
仮に可能性探ったけど、可能性なかったとしても後悔しないですか?
しないです。
探ったということが良かったみたいな。
納得するために探ってるみたいなところもあるんですか?
そうです。
自分が納得しないと受け入れられないんで、誰かにただ言われただけじゃん。
確かにね。
そこまででも変わらない気がするな。
多分今やりたいことがやれてればそこまで変わらない気がするんですよね。
ですよね。なんか配分とか、時間配分とかが変わるぐらい。
が変わると思います、はい。
根本的に、やっぱり二ヶ月しかないから、ラスベガスに行かないといけないし、
日常の延長線上行きそうな気がするな。
うん。
リアリティがないだけっていうのもあるかもしれないけど。
そう、そこなんですよね。
急にスパニックするなって思うんだけどね。
やっぱり実際になってみるとわかんないですよ、そこ。
わかんないですよね。
だから即死がいいんですよ。
そんなことと、
そういう感じですよね。
そういう感じですね。
だから即死がいいんですよ。
向き合いたくないって。
わかんないからね。
わかんないと思うんですよ、結局は。
向き合ったところで。
だから自分なりにこうって決める。
もう決めの問題なんだけど、
その決めの問題とはいえ、生きていく中で考え方って変わるから、
それがやっぱ、
変わります。
確かに。
死に対する考え方も変わっていくっていう答えは出ないと思う。
絶対的に答えたら出ないと思うから、
あんまり向き合いすぎてもよくないなと思う。
人生の向き合い方
趣味ならいいですよ、それが楽しければ。
それで怖くなってそれになったらやらないほうがいいのかなとか思ったりする。
人生とどう向き合うかっていうのを考えさせられましたけどね。
そうね。
それはだから本当考えされました。
僕もさっき言った三つですよね、本当に。
一気に何かしようとしてもよくないなと思うから、
今ね、元気なうちにというか、
今のうちからやっぱりやりたいことというか、
やっていかないと、
残り2ヶ月で全部リスト潰していくみたいなやり方だと、
結局血吐いてましたからね、無理して。
本当そうですよ。
けど、だから今自分が本当にやりたいことやれてるのかっていうのもなんかちょっと分かんなかったりします。
あー、確かに。
100%難しい。
そう、難しい。
これが本当に自分のやりたいことなのかっていうのが常にやっぱりクエスチョンマークですね。
それは、なんか多分私の今のサッカー選手としての人生のフェーズが、
多分もう終わりの方に近づいてるから、そういうのを思ってるんだと思うんですけど。