1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #699 弥生語の形成 from Radio..
2024-10-29 10:38

#699 弥生語の形成 from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/730676

主要参考文献
小泉保 (2021)『縄文語の発見 新版』東京: 青土社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

今回のエピソードでは、小泉多茂先生の考えをもとに、弥生時代における日本語の発展を探ります。特に、縄文語と弥生語の関係やアクセントの獲得について詳細に語られます。

縄文語と弥生語の基礎
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。バンチューダです。
今回は前回のエピソードの続きもんとなっていますので、続けて聞いていただけた方がいいんじゃないかなと思います。
まだ聞いていない方はぜひ聞いてください。
前回のエピソードは、縄文時代話されていた日本語、縄文語というのをテーマにお話ししました。
縄文語というのは、弥生時代にやってきた寅人の言語にとって変わられたわけではなくて、その痕跡というのがまだ現代にも残っているというような話をしたんですよね。
今回も引き続き、小泉多茂先生の縄文語の発見という本を元にお話ししていきます。
前回どんな話をしたかというと、方言集権論という考え方に基づいて、日本列島の端っこの方に古い日本語、もっと言うと縄文語ですね。
縄文時代話されていた日本語の痕跡があるのではないかということで、音声的に言うと、一つは中舌母音ですね。
イーとかウーという発音が区別がなくなるような、エーというような発音になるとか。
他にもいろいろあるんですが、前回取り上げたやつで言うと、最後ちょっと触れたのはゼンビ音ですね。
窓のことをマンドとか、壁のことをカンベっていう風に、ンっていう鼻に抜ける音が、縄文語の痕跡ではないかということで。
似たような音声的な特徴は、東北地方だけではなく、出雲地方、あるいは山陰地方にも見られるということで、こういうのを裏日本的な特徴ということもあります。
要は日本海側だということですが、それが後に弥生時代の日本語によって、近畿地方、中央の日本語によって分断されてしまって、
現代ではちょっと離れたところにね、そういった音声的特徴が見られると、そのようなお話をしました。
今回も方言集計論の話からしますと、アクセントの分布も方言集計論的になっているんですね。
いわゆる関西弁というかね、関西方言のアクセントっていうのは近畿地方で見られるわけですが、
近畿地方から岡山に入ると、今度は東京式のアクセントになります。
逆の方に行くと、東の方に行くと、愛知とかそれ以降になると、また東京式になるということで、東京式のアクセントが近畿地方のアクセントをサンドイッチしているようになっているんですよね。
大きくこの京阪式と東京式のアクセントがあるわけですが、日本各地には無アクセント地帯というところもあります。
無アクセント、つまりアクセントがない。音の高さが意味の区別の役に立っていない。そんな日本語の方言もあります。
この無アクセント地帯っていうのは九州の宮崎県とかね、それ以外の地域もありますが、九州、あとは南東北、福島県とか、あと北関東、茨城とか、こういったところで見られます。
言ってみればこれも方言集権論的に考えれば端っこの方にあるので、無アクセント地帯こそ古い日本語の特徴だ、縄文語の特徴だと小泉先生は考えてらっしゃるんですね。
これは考え方としては逆の考え方もあって、もともとアクセントを持っていたけど、その宮崎なり北関東南東北ではそれを失ってしまったと。
そういう考え方もあるんですが、そうではなくて、縄文時代の日本語はもともと無アクセントだったんですね。
アクセントの獲得
で、それが弥生時代に入るとアクセントを獲得した。雨と雨の区別ができるようになったということなんですね。
では弥生時代の日本語、弥生語がいかにアクセントを獲得したかというと、これが寅人の影響だと言うんですね。
寅人、これは大陸からやってきた人々なわけですけど、ご存知の方も多いと思いますが、中国語には成長というものがあります。
音の高さによって意味が変わってくるわけですが、その成長を持つ中国語の影響で日本語にも音の高さが機能するようになった。意味の区別に働くようになったと。
縄文時代までは無アクセントだったんですね。
で、その寅人がやってきたのは北九州とか山口県とかだったと考えられています。
その北九州や山口県で話されていた縄文語が寅人の言語、中国語の影響を受けてアクセントを持つようになり、それが近畿地方に移動して、それが方言集計論的に分布していった、拡散していったというのが小泉珠津先生の考えです。
つまり、縄文語が中国語の影響でアクセントを持つようになったのが弥生語ということですが、その元になった縄文語も2種類あったというのが小泉先生の考えなんですけど、これはね、僕はどうかなとちょっと思うところもあります。
九州の方は九州の方で縄文語っていうのがあって、山口県には山口県の縄文語があったわけですけど、その山口県の縄文語っていうのは裏日本的な特徴を持っていたと言うんですね。
この裏日本的な縄文語の話は前回のエピソードないし、今日のね冒頭でちょっとお話ししましたが、つまり中舌母音、いとうの中間みたいな音とか、あるいはえとかおっていうのが狭母音的で、
いに近いようなえ、えみたいな発音とかね、おがうに近くってうみたいな、ちょっとうまくできてるかは自信ないですが、いずれにせようとかおっていうのが狭母音に近い、そういった特徴を持つ裏日本方言の母音と、
九州の縄文語のもっとはっきりしたあ、い、う、え、おっていうような長舌寄りではない母音とが組み合わさって、それで母音の数が弥生語では増えたと考えられてるんですが、実際奈良時代以前の日本語の母音の数は8つあったと言われています。
これは上代特殊仮名遣いといって、奈良時代になると万葉集といって書き言葉ができたので、それである程度母音の質とかね、数とかっていうのが推測されるんですよね。
上代特殊仮名遣いについては関連エピソードがあるので聞いてほしいんですけど、これがどうですかね、2つの縄文語が混ざった結果、8つの母音ができたっていうのは、果たしてどうなんですかね、あり得るのかなと、僕はちょっとね、なんとなく納得できないところもあります。
それだったら縄文時代の日本語、縄文語の時点で既に母音は8つあったと考えた方がまだあり得るんじゃないかなという気がしますね。
古い日本語の名残
2つの縄文語が混ざって母音が増えるのは何回も言いますけどちょっと僕はピントをきていません。
それはそれとしてですね、弥生語っていうのは縄文語にはなかったアクセントを獲得して、それは寅人の言語の影響で、それが大和政権っていうんですかね、九州から近畿に移動して、
アクセントの分布が動詞円上にね、方言集計論的に分布しているということで、
無アクセント自体が偏見にあることを考えると、確かにアクセントは後から獲得したと考えるのがいいのかもしれません。
無アクセントだけではなくてね、中島文とか禅美音っていうのは古い、より古い日本語、縄文時代の日本語の名残だというのが今回とそして前回のお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。
10:38

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