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志賀十五です。お便り頂きました。こちら、レイレイから頂きました。ギフトと一緒に頂きました。
Cへ。ご無沙汰しております。
シャープ355 正しく美しい日本語を使おうツッテネの回を聞きました。
CVCVVだなぁとニヤニヤ聞いておりました。
さて、この収録会のタイトルにあるツッテネは、いわゆる正しく美しい日本語ではないと思います。
だから、Cはあえてわざと付けたのだろうと思うのですが、その通りですね。
では、なぜツッテネが正しく美しい日本語ではないのだろうと考えたのですが、答えが出てきませんでした。
仮説は、なんてネが崩れた形だからと響き的に小さいツが攻撃的に聞こえるからなのか、
そもそもなぜ私はツッテネが正しく美しい日本語ではないと思ってしまったのだろう。
私自身結構ツッテネはよく使いますが、あまり好きじゃない人がいるのも知っています。
Cの解説をお聞かせ願いませんでしょうか。よろしくお願いします。ということで、
はい、レイレイどうもありがとうございます。
こういう風にね、どのトークの感想かっていうのを書いていただけるのは非常にありがたいですね。
正しく美しい日本語を使おう、ツッテネっていうトークを配信したので、それについてのご感想ですけど、
まだ聞いてない方は詳細欄にリンク貼っておくので、リンク飛ばなくてもね、シャープ355聞いていただけたらと思うんですけど、
おっしゃる通りです。ツッテネっていうのは、いわゆる正しい形ではなくて、レイレイが言ってるように崩れた形と言っていいと思います。
ただ、ツッテネはね、多分トイッテネじゃないかな。トイッテネっていうのが、
音いいで、ここがね、母音が連続するので、 日本語は割と母音が連続するときに
一つの母音にまとめたがあるんですよね。ヤバイがヤベェみたいに。 だからトイッテネがツッテネになっているんだと思います。
簡単に言えば短縮形というか縮約形とか言われるものですね。
そこはその通りだと思うんですけど、響き的に小さいツが攻撃的に聞こえるから、これはどうかな、あんまり関係ないんじゃないかなと思いますね。
っていうのが、小さいツっていうのは、割と出てくるので、
例えば、取ったとか、行ったみたいに、 動詞の変化形ですよね。こういったものにも速音と言われる小さいツは出てくるので、
これを正しくない、美しくないっていう人はいないので、小さいツそのものが原因ではないんじゃないかなと思います。
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ただ崩れた形だからっていうのは、大いに関係あると思いますね。
こういう縮約形が正しくないというかね、 いわゆる砕けた表現だっていうのは、
みなさん感じるとこはあると思うんですよね。
と言ってがつってになったりとか、何々しなければっていうのがしなきゃになったりとか、
食べてしまうが食べちゃうになったりとか、 信じてはいけないが信じちゃいけないとか、
話しているが話しているみたいに、 外視でね、縮約形ってそういう印象を与えると思うんですよね。
砕けている、カジュアルな、みたいなね。
なので、つってねっていうのも、そういった類ではないかなと思います。
こういう砕けた表現、カジュアルな表現っていうのは、話し言葉的っていう風に言い換えることもできると思います。
話し言葉の対極にあるっていうか、対になっているのは書き言葉ですよね。
この書き言葉っていうのは、逆にカッチリした固いとかね、それこそ正しい美しい言葉っていうような意識が、どんな言語の話者でもあると思うんですよね。
書き言葉を持っているような言語の話者だったら、そういった意識があると思います。
まあ、往々にして書き言葉っていうのは、昔の言語の形を保持するものなんですね。
つってねとか、〇〇しちゃう、みたいなものを書き言葉で書くっていうのは、それこそカジュアルなものじゃないと難しいですよね。
公式な文書なんかで、そんなの出せないので、書き言葉としては、つってねとかしちゃう、みたいな話し言葉ではなくて、
そういう縮役が起こる前の、〇〇と言って、とか、〇〇してしまうっていうものを使わなければいけないと 思います。
なので、このつってねみたいなものが、正しくない、美しくないと感じるのは、一つは書き言葉的ではないからと言えると思いますね。
まあ、なんだろうな、公のスピーチなんかでも、そういう崩れた表現は使えないですよね。
つってとか、〇〇しちゃうとか、〇〇しなきゃっていうのは、台本を作る時とかは、といてとか、てしまうとか、〇〇しなければっていう風に書くと思うんですよね。
なので、書き言葉か話し言葉かっていう、その意識の差が、そのまま正しい、美しい、うんぬんにつながっているっていうのはあると思います。
この書き言葉が、昔の言語の形を保持するっていうのは、日本語に限った話じゃなくて、特に〇〇はフランス語がわかるから、よくわかると思うんですけど、
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フランス語っていうのは、つづりと発音がもう全然一致してないっていうか、あれはどういうことかというと、話し言葉の方はどんどんどんどん音の変化が起こっているのに、
書き言葉の方は、堅くなに変化を拒んでですね、昔のままの形が使われているということです。
英語もそういった面はありますよね。
なんでこういうつづりでこういう発音になっているのか、そういうものがたくさんあるわけなんですけど、
言ってみれば、フランス語とか英語みたいな言語のつづりっていうのは、歴史的金遣いを使っているようなものですね。
日本だって、現代金遣いが確立される以前は、歴史的金遣いっていうのをずっと使ってて、
で、あれも話し言葉と書き言葉の乖離がどんどんどんどん進んでたんですよね。
テフと書いてチョウと読むとか、アハレと書いてアワレと読むとか、ああいった類のものですけど、
ただ日本語の場合は、結構思い切った改革をして、現代金遣いっていうものを確立させて、
話し言葉と書き言葉の差っていうのを、かなり小さいものにしたわけなんですよね。
それでも今言ったように、話し言葉はどんどんどんどん変化して、
つって、しなきゃ、みたいなのは出てきてるんですけど、書き言葉の方にはなかなかそれが反映しづらいということなんですね。
なので今までの話をまとめるとですね、
つってね、みたいな表現が正しくない、美しくないと感じる原因として、話し言葉的であるっていうね、まあそれが原因じゃないかなと思います。
ただ僕はすべての言語で書き言葉と話し言葉の差をなくせと言ってるわけではないんですね。
特に書き言葉の伝統が長い言語だと、フランス語みたいにつづりと発音の乖離が起こっちゃってるわけですけど、
学習者にとってはそりゃやめてほしいと思うと思うんですよね。
もっと簡単なつづりにしてくれよと思うわけなんですけど、
ただまあ、書き言葉は昔の言語の形を保持しているっていう面で言えば、
確かに現代我々が使っているものではあるんですけど、
それ自体が歴史的産物っていうかな、そういった側面もあるので、
まああんまりね、安易にそういう書き言葉と話し言葉を近づけましょうみたいな主張を強くはできないかなと思います。
事実として書き言葉はカッチリしてて、正しいみたいな規範的な言語としていろんなところで認識されてるんではないかなと思います。
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日本に限らずね。
というわけで、例々の質問にお答えしたんですけど、割と壮大な話になってしまいましたね。
時間がちょっとあるので宣伝しとくとですね、番組ステッカーを作ったんですね。
もしステッカー欲しいぞっていう方がいたらお便りで教えていただくか、
あるいはLINEのオープンチャットにやり方載せてるのでそちら参加していただくかでお願いします。
なんかね、コンビニのコピー機でご自分で印刷していただくっていう形になるんですけど、
もし興味のある方いらっしゃったらお便りで教えていただけたらと思います。
というわけで今回のトークはここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。