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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。マーティー・マックフライです。
日本語はトルコ語やモンゴル語と似ていると言われることがあります。 非常に似ているので、親戚同士だっていうふうに考えられたこともあるくらいなんですが、
現在では、系統関係にあるとはちょっと言えないかなっていう感じです。 何が似ているかっていうと、まず語順が似ています。
似ているっていうか、同じようなとこもいっぱいあって、 まず、SOV語順なんですね。主語、目的語、動詞、
私が本を読む。 こういった語順がノーマルの語順ということになっています。
それと、 日本語の助詞みたいなものが
名詞にくっつくっていうのも非常に似ていて、 私が
って言えば主語を表して、 私をというと
目的語、私にというと間接目的語みたいに、 その文の中の役割をこういう助詞で表すんですよね。
こういうのを特に格助詞という言い方をします。 トルコ語もまあ似たようなシステムになっていて、
例えば男っていう単語はアダムって言うんですけど、 このアダムっていうのに
ゼロがついてるっていうかね、何もついてないと主語を表します。 で、アダムっていう風にウっていうのがつくと、
これは直接目的語。アダマっていう風にアっていうのがつくと、 まあ間接目的語っていう風にね。
まあ日本語の格助詞と非常によく似ていますよね。 まあ本当はね、もうちょっと音の面とか詳しく見ると面白いんですけど、ひとまず置いといて
名詞の後ろに何かしらくっつくことで 文の中の役割を表している。
格関係を表しているという点で、 日本語とトルコ語、あるいはモンゴル語っていうのは似てると言われるんですが、
日本語のがやおやにみたいなものは かなり専門的には節語と言われます。
一方、トルコ語のアダムのウとか アダマのアみたいなものは節字という言い方をするんですね。
今回はこの節語と節字の違いについて お話ししていこうと思います。
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この節語と節字っていうのは非常に専門的な言い方で、 特に節語の方はあんまりね世の中に浸透してないと思いますね。
節字の方がまだ通じるっていうか、 まあ特にトルコ語みたいに後ろにくっつくものは節微字という言い方をします。
日本語にも節微字っていうのは当然あって、 わかりやすいのは、動詞だと食べる
とか食べたといった場合のるーとかたーっていうのは 非過去を表す節微字、過去を表す節微字っていうふうに
よく言われます。 たださっき言ったように日本語のがーとかおーとかにーっていうのは節微字ではなく
節語という言い方をするんですね。 英語だとクリティックと言います。このクリティックと節語っていうのが
これがうまく対応しているかっていうとこれもまた微妙なとこはあるんですけど、 細かい話は置いといて
ものすごーく薄く言うと節語の方が
より自律性が高くって
節字の方がよりくっつき度合いが強いっていう感じですね。 日本語ではこの節語も節字も
どちらも助詞っていう言い方をされることが多くて、 区別されないんですが
ただこの2つはきっちり区別できるものです。 でどうやって区別するかっていうのを
日本で最も偉大な言語学者の一人である 服部志郎先生が3つの原則を立てています。
これ非常に有名なもので、とりあえず原文のまま読み上げますね。 原則1
職能や語形変化の異なるいろいろの自律形式につくものは自律形式、すなわち付属語である。
この付属語っていうのがここで言ってる節語です。 原則2、2つの形式の間に別の単語が自由に現れる場合にはその各々は自由形式単語である。
したがって問題の形式は付属語、つまり節語である。 原則3、結びついた2つの形式が互いに位置を取り替えて現れる場合には後者ともに自由形式である。
まったくわかんないと思うので、噛み砕いてお話ししていくと 原則1っていうのは
職能や語形変化の異なるっていうのはつまり いろんな品種と一緒に出るものは節語だっていうことなんですね。
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これは日本語のはっていうのがそうで まあはっていうとこれもよく助詞と言われるものですよね。
で名詞につくのが思いつきやすいと思います。 私はとか犬はとか
ただ動詞につく場合もあって 走ってはいけないとか
歩きはするとか こういうふうに品種を飛び越えて
くっつけるものは節語ということになっています。 一方節字の方は決まった
その品種にしかつくことができません。 さっきの食べるとか食べたのるとかたっていうのは
動詞としか一緒に出てこれないっていうことで節字扱いなんですね。 同じようにだけっていうのも節語です。
私だけ犬だけっていうふうに名詞につくこともできますけど やるだけやったみたいにやるみたいな動詞につくこともできます。
ということでこのだけっていうのも節語なんですね。 この節語のだけっていうのを
手がかりに日本語のがやおやにみたいな格助詞もまた 節語であるっていうことが言えるんですね。
どういうことかというとまあこれ原則3に関わることで 2つの形式を
1をとっかえても ok な場合は 節語っていうことになるんですね
でこのだけっていうのと 格助詞っていうのは
順番が入れ替わっていいこともあります。 私だけに教えてっていうのと私にだけ教えてっていうふうに
だけにっていうのとにだけっていう言い方両方可能です まあこういうふうに
名詞と格助詞の間にだけっていうのが入れたりあるいは にとだけっていうのを入れ替えたりできるっていうことで日本語の格助詞は節語
ということになるんですね
さっき言ったように日本語の研究において 助詞っていう一言で済まされていたものの中には
節語と節字と 両方混在しているような状況なんですね
日本語とよく似ていると言われている トルコ語やモンゴル語の
格っていうのは格節字と言われるもので 名詞との結びつきが非常に強いんですけど
日本語のまあいわゆる格助詞っていうのは 服部志郎先生のね原則に従えば節語ということになって
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ちょっとレベルが違うんですね でこの節語っていうのはあくまで語です
ワードで節字っていうのは英語で affix って言いますけどこれは単語の一部なんですね
ただ日本語の場合は さっき言ったように助詞っていう一言で済まされているっていうのもあるし
書き言葉で分かち書きっていうのをしないんですよね 単語ごとにきって書かれないので
もし日本語がスペースを空けるような 単語ごとにスペースを空けるような言語だとしたら
節字と節語の違いっていうのがはっきり意識されて がとかをとかにっていうのは話して書かれていたかもしれませんこれはちょっとなんとも言え
ないですけどね というわけで
ある単語にくっついて見えるようないわゆる助詞っていうものの中には 節語と節字っていう2つのレベルのものが混在してるっていうね
一応そういったお話でございました というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次回お会いいたしましょう お相手はシガ15でした