1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #61 中島敦『山月記』朗読 2/3..
2020-04-18 07:18

#61 中島敦『山月記』朗読 2/3 from Radiotalk

#落ち着きある #朗読 #小説
[1] https://radiotalk.jp/talk/262072
[3] https://radiotalk.jp/talk/262075
00:00
今から一年ほど前、自分が旅に出て助水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してからふと目を覚ますと、都会で誰かが我が名を呼んでいる。
声に応じて外へ出てみると、声は闇の中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を覆って走り出した。
無我夢中で駆けてゆくうちに、いつしか道は山林に入り、しかも知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。
何か体中に力が満ち満ちたような感じで、軽々と岩石を飛び越えていった。
気がつくと、手先や肘のあたりに毛を生じているらしい。
少し明るくなってから谷川に臨んで姿を映してみると、既に虎となっていた。
自分は初め目を信じなかった。次にこれは夢に違いないと考えた。
夢の中でこれは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。
どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は呆然とした。
そうして恐れた。全くどんなことでも起こり得るのだと思って、深く恐れた。
しかし、なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。全く何事も我々にはわからぬ。
理由もわからずに、押しつけられたものをおとなしく受け取って理由もわからずに生きていくのが我々生き物の定めだ。
自分はすぐに死を思った。しかしその時、目の前を一匹のうさぎが駆けすぎるのを見た途端に、自分の中の人間はたちまち姿を消した。
再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口はうさぎの血にまみれ、あたりにはうさぎの毛が散らばっていた。
これが虎としての最初の経験であった。それ以来、今までにどんな諸行をし続けてきたか、それは到底語るに忍びない。
ただ、一日のうちに必ず数時間は人間の心が帰ってくる。
そういう時には、かつての日と同じく人語も操れれば複雑な思考にも耐えうるし、軽所の証拠もそらんずることもできる。
その人間の心で虎としての己の残虐な行いの跡を見、己の運命を振り返る時が、最も情けなく恐ろしく生きどおろしい。
しかし、その人間に帰る数時間も日を減るに従って次第に短くなっていく。
今まではどうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気がついてみたら、俺はどうして以前人間だったのかと考えていた。
これは恐ろしいことだ。
03:00
今少し経てば、俺の中の人間の心は獣としての習慣のうちにすっかり埋もれて消えてしまうだろう。
ちょうど古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。
そうすれば、始まりに俺は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂いまわり、
今日のように道で君と出会っても友と認めることなく、君を先狂おうて何の悔いも感じないだろう。
一体獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。
はじめはそれを覚えているが次第に忘れてしまい、
はじめから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか。
いや、そんなことはどうでもいい。
俺の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらくその方が俺は幸せになれるだろう。
だのに俺の中の人間はそのことをこの上なく恐ろしく感じているのだ。
ああ、まったくどんなに恐ろしく悲しく切なく思っているだろう。
俺が人間だった記憶のなくなることを、この気持ちは誰にもわからない。
誰にもわからない。
俺と同じ身の上になったものでなければ。
ところで、そうだ。
俺がすっかり人間でなくなってしまう前に一つ頼んでおきたいことがある。
えんさんはじめ一行は息を呑んで草中の声の語る不思議に聞き入っていた。
声は続けて言う。
他でもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。
しかも行を未だならざるに、この運命に立ち至った。
かつて作るところの詩数百遍、もとよりまだ世に行われておらぬ。
以降の書材ももはやわからなくなっていよう。
ところでそのうち、今もなお起承せるものが数十ある。
これを我がために伝録していただきたいのだ。
何もこれによって一人前の詩人面をしたいのではない。
作の考説は知らず。
とにかく、惨を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、
一部なりとも広大に伝えないでは死んでも死にきれないのだ。
えんさんは部下に命じ、筆を取って草中の声に従って書き取らせた。
履帳の声は草むらの中からローローと響いた。
長短およそ三十篇。
各聴講が一種卓一。
一読して作者の才の秘本を思わせるものばかりである。
しかし、えんさんは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。
なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。
しかしこのままでは第一流の作品となるのには、
どこか非常に微妙な点において欠けるところがあるのではないか、と。
06:02
旧紙を履き終わった履帳の声は突然調子を変え、自らをあざけるが如くに言った。
恥ずかしいことだが、今でもこんな浅ましい身となり果てた今でも、
俺は俺の刺繍が長安風流人史の机の上に置かれている様を夢に見ることがあるのだ。
岩屑の中に横たわって見る夢にだよ。
笑ってくれ、詩人になり損なって虎になった哀れな男を。
えんさんは昔の青年李徴の辞帳壁を思い出しながら悲しく聞いていた。
そうだ、お笑い草ついでに今の思いを即席の詩に述べてみようか。
この虎の内にまだかつての李徴が生きている印に。
えんさんはまた仮に命じてこれを書き取らせた。
その詩に言う。
たまたま教室に寄りて種類となる。
再観相寄りて逃るべからず。
今日はそうが誰かあえててきせんや。
当時は成績ともに相高かりき。
07:18

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