1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-02-20 04:38

#8 夏目漱石『夢十夜第五夜』朗読 from Radiotalk

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こんな夢を見た。何でもよほど古いことで、神よに近い昔と思われるが、自分が戦をして運悪く負けたために、生け鳥になって敵の大将の前に引き据えられた。
その頃の人はみんな背が高かった。そうしてみんな長い髯を生やしていた。革の帯を締めて、それへ棒のような剣を吊るしていた。
弓は藤鶴の太いのをそのまま用いたように見えた。漆も塗ってなければ磨きもかけてない、極めて素朴なものであった。
敵の大将は弓の真ん中を右の手で握って、その弓を草の上へついて、坂亀を伏せたようなものの上に腰をかけていた。
その顔を見ると鼻の上で左右の眉が太くつながっている。その頃髪剃りというものは無論なかった。自分は虜だから腰をかけるわけにいかない。
草の上にあぐらをかいていた。足には大きな藁靴を履いていた。この時代の藁靴は深いものであった。
立つと膝頭まで来た。 その端のところは藁を少し編み残して、
草のように下げて、歩くとばらばら動くようにして飾りとしていた。 大将は鏡火で自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。
これはその頃の習慣で、虜は誰でも一応こう聞いたものである。 生きると答えると降参した意味で、死ぬと言うと屈服しないということになる。
自分は一言、死ぬと答えた。 大将は草の上についていた弓を向こうへ投げて、腰につるした棒のような剣をするりと抜きかけた。
それへ風になびいた鏡火が横から吹きつけた。 自分は右の手を楓のように開いて、棚心を大将の方へ向けて、
目の上へ差し上げた。待てという合図である。 大将は太い剣をかちゃぎと鞘に収めた。
その頃でも恋はあった。 自分は死ぬ前に一目を想う女に会いたいと言った。
大将は夜が明けて鳥が鳴くまでなら待つと言った。 鳥が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない。
鳥が鳴いても女が来なければ自分は会わずに殺されてしまう。 大将は腰をかけたまま鏡火を眺めている。
自分は大きな藁靴を組み合わせたまま草の上で女を待っている。 夜はだんだん更ける。
時々鏡火が崩れる音がする。 崩れるたびにうろたえたように炎が大将になだれかかる。
真っ黒の眉の下で大将の目がピカピカと光っている。 すると誰やら来て新しい枝をたくさん火の中へ投げ込んでいく。
しばらくすると火がパチパチとなる。 暗闇をはじき返すような勇ましい音であった。
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この時女は裏のならぬ木につないである白い馬を引き出した。 縦髪を三度撫でて高い精鋭にひらりと飛び乗った。
暗もないあぶみもない裸馬であった。 長く白い足で太腹を蹴ると馬は一山に駆け出した。
誰かが篝を継ぎ出したので遠くの空が薄明るく見える。 馬はこの明るいものをめがけて闇の中を飛んでくる。
鼻から火の柱のような息を二本出して飛んでくる。 それでも女は細足でしきりなしに馬の腹を蹴っている。
馬はひずめの音が中で鳴るほど早く飛んでくる。 女の髪は吹き流しのように闇の中に覆ひいた。
それでもまだ篝のあるところまで来られない。 すると真っ暗な道の旗でたちまちコケコッコーという鳥の声がした。
女は見恐らざまに両手に握った手綱をうんと控えた。 馬は前足のひずめを堅い岩の上に端と刻み込んだ。
コケコッコーと鶏がまた一声鳴いた。 女はあっと言って締めた手綱を一度に緩めた。
馬はもろ膝をおる。乗った人とともにまともへ前へのめった。 岩の下は深い淵であった。
ひずめの跡は未だに岩の上に残っている。 鶏の鳴く真似をした者は天の尺である。
このひずめの跡の岩に刻みつけられている間、 天の尺は自分の敵である。
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