1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #632 音素は離散単位である:..
2024-03-09 10:46

#632 音素は離散単位である:マルティネの『一般言語学要理』 from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/340209
https://radiotalk.jp/talk/505635
https://radiotalk.jp/talk/661641
https://radiotalk.jp/talk/1019003

主要参考文献
マルティネ, アンドレ (三宅徳嘉 (訳)) 1972. 『一般言語学要理』 東京: 岩波書店.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。ライオネル・リッチーです。お便り頂いております。ただのきゅーえさんから、
ラジオトーク宛にお便り頂きました。ありがとうございます。僕も古田の方程式見てます。野球を見るだけで経験はないんですが、それぞれのこだわりとか見てて楽しいですね。
しかも、昔のセオリーに何癖というか間違いだったとかをスパッと発言してて面白いです。
糸井さん、天然ぽく見えるけどかなり考えてて、繊細な感じで意外でしたね。ということで、ただのきゅーえさん、お便りどうもありがとうございます。
このきゅーえさんのお便りの内容は本当にその通りで、僕も野球の経験はないので、野球部とかではなかったので、
見るのは好きですけどね。そういう野球経験のないファンでも楽しむことのできる
youtube番組ですよね。古田の方程式について、この間この番組でエピソード配信したわけですけど、
糸井さんの話をして、 糸井さんのそのバットの使い分けっていうのがね、かなり
繊細だったっていうことですけど、逆にね、逆でもないですけど、古田さんは古田さんで、もちろん理論的なところもあるし、
感覚的なところも結構あるんですよね。その内角の打ち方とかは古田さんは結構、
天性のものみたいなのがね、あるようで、 そういう選手それぞれにね、特色みたいなのがあって、面白いですね。
その理論でしっかり説明できるものもあれば、 感覚でこうやってやってるっていうか、
実際、 その映像で見た時に違うように動いてたとしても、自分の感覚ではこういう感覚でやってますっていうのがね、
あったりするんですよね。 まあそういう意味では、前権、前田投手の
回とかはね、 やっぱり前権は天才だなぁっていう感じがしましたね。
まあ日本プロ野球はね、そろそろ開幕ですからね。 またプロ野球が盛り上がっていくことでしょう。
ということで木上さんどうもお便りありがとうございます。 最近アンドレ・マルティネの一般言語学用理という本を買いました。
岩波書店から出てるんですけど、これ全然新しい本ではないです。 てかむしろ古いです。
50年ぐらい前ですかね、1972年。 で、これ日本語訳が出たのが1972年ですので、
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まあ相当古いものなんですよね。 で、この番組でも、
その言語学の本を紹介するっていうのは時々やってるんですよね。 そのエピソードで参考にした書籍はもちろんですけど、
その書籍自体を紹介するみたいなエピソードも過去に何度か撮っております。 その中で一般言語学用理っていうのも
多分取り上げたことがあって、 もし僕が言語学の本を何か一冊
選べ、一冊選んで紹介しろと言われたら、 この一般言語学用理をお勧めするかもしれません。
僕にとって印象深い本だし、久しぶりに読み返したりとかして、 やっぱり面白いなぁと思いましたね。
このアンドレ・マルティネのやった仕事として、 言語の二重分節性というのを主張したというのがあります。
これも過去に多分エピソード撮っていると思うんですが、 言語っていうのは二重に分節、分けることができるということで、
発話っていうのは、 平たく言えば単語の集まりなんですよね。
形態層といった方がより正確ですけど、単語の 寄せ集めが文というか発話になっているわけですよね。
それぞれの単語っていうのはさらに音素という単位に分けることができます。
ローマ字で書けるような、真音と母音に分けられるというようなことです。
この二重分節性というのが言語の大きな特徴で、 最初に分けられた単語あるいは形態層っていうのは意味を持っている単位なんですよね。
特に形態層っていうのは意味を持つ言語の最小単位とか何とかね、よく言われたりします。
例えば食べるっていう単語と食べたという単語があるわけですけど、 これはさらに細かくね、食べとる食べとたーとそれぞれ分けることができます。
でるーとたーっていうのは、これが形態層と言われるもので、
食べの部分が具体的な動作を表す語彙的な要素とか言われたりしますけど、
その食べに現在のるーとかね、過去のたーみたいなものがついているということです。
で、このるーとかたーっていうのは今言ったように現在とか過去っていう意味を担っているわけなんですよね。
で、そのるーとかたーっていうのをさらに細かく分けたのが音素と言われる単位で、
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アルファベットで書いたときに r と u とかね、t と a みたいに、このシンとボインの組み合わせになっているわけです。
で、この音素と言われる音の単位は意味を持ってないんですね。 形態層の場合は
るーとかたーっていうのは現在なり過去なり意味というものがあったわけですけど、
r のような音、あるいはうーみたいなボイン、t のようなシンとかアーみたいなボインとか、
どんな音素であれ意味というものは持っておりません。 その意味のない単位を、つまり音素ですね、を組み合わせることで
意味のある形態層という単位を 作り上げているっていうのが言語の大きな特徴なんですね。
なかなか逆説的ですよね。音素という意味のない単位を使うことによって 人間というのは
ある意味どんなことでも表現できるんですよね。 もしそれぞれの音素に意味があったとしたら、
例えば食べるーのるーの、さらに r の音、るーのしーんに、例えば現在っていう意味があったとしたら、
言語の音っていうのはいくらあっても足りないというか、とてもじゃないけど現実世界、 まあ仮想の世界でもいいですけど、何か表現するために
一つの音に一つの意味みたいになってたとしたら 複雑なコミュニケーションというのは、まあとてもじゃないけどね、
無理ということなんですよね。
で、この一般言語学要理を読み返しているとですね、 音素とは理算的な単位であるっていうことが書いております。
まあこの辺の話も 過去にエピソードを多分撮ったことあると思うんですけど、例えば
行きっていう単語と駅っていう単語があって、 行きっていうのは吸ったり吐いたりする空気ですけど、駅はステーションですよね。
で、我々はこの行きと駅っていうのは別個の単語ということがわかっております。
まあこれは日本語だからというのもありますけど、 ただ物理的に言うと
行と駅っていうのは連続してますので、 その行と駅の中間みたいな音っていうのも出そうと思えば出せるんですよね。
行き、駅、駅、駅、駅とかね、 何回も言ってるとね、どっちなんだっていう感じがしてくると思うんですけど、
この行と駅の中間で行きみたいな言い方をしたとしても、 行きと駅の中間的な意味っていうことにはならないんですよね、言語の世界では。
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絶対どっちかに解釈されるはずです。 行きが見えると駅が見えるっていうのがあったとして、
それで中間的に行きが見えるみたいに言ったとしたら、 まあどっちかですね。行きと駅が同時に見えてるみたいな意味には絶対ならないですよね。
まあそういった意味で音素っていうのは理算的です。 行と駅っていうのは日本語においてきっちり区別されるべきもので、
そこに連続性っていうのはありません。 物理的世界ではイからエっていうのは下の位置でこう連続的になってるんですけど、
言語の世界ではスパッと切れるものなんですね。 別にこれはイとエに限った話ではなくて、
例えばタとダ。 これも声帯のフレーがあるかどうかの違いなわけですけど、
まあやろうと思えばもしかしたら中間的な音も出せるかもしれませんが、 日本語においてタ行とダ行っていうのが
同時に表されるというかね、中間的っていうことはなくって、 必ずスパッと切れる、理算的なものなんですよね。
興味のある方は、よりディープにね、 言語学を学んでみたいという方いらっしゃったら、
僕はこの一般言語学用理をお勧めするかなと思います。 それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。 お相手はシガ15でした。
またねー!
10:46

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