1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-09-23 09:25

#180 森鷗外『高瀬舟』朗読 3/3 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #朗読
00:00
商兵衛は喜助の顔を守りつつ、また、「喜助さん?」と呼びかけた。
今度は、「さん?」と言ったが、これは十分の意識をもって証拠を改めたわけではない。
その声が我が口から出て、我が耳にいるや否や、商兵衛はこの証拠の不穏当なのに気がついたが、今さらすでに出た言葉を取り返すこともできなかった。
「はい。」と答えた喜助も、「さん?」と呼ばれたのを不審に思うらしく、恐る恐る商兵衛の景色を伺った。
商兵衛は少し間の悪いのをこらえていった。
いろいろなことを聞くようだが、お前が今度姉妹やられるのは、人を殺めたからだということだ。
俺についでにその訳を話して聞かせてくれぬか。
喜助はひどく恐れ入った様子で、「かしこまりました。」と言って、小声で話し出した。
どうもとんだ心へ違いで恐ろしいことを致しまして、何とも申し上げようがございません。
後で思ってみますと、どうしてあんなことができたかと、自分ながら不思議でなりません。
全く夢中で致しましたのでございます。
私は小さい時に二親が自益で亡くなりまして、弟と二人、後に残りました。
はじめはちょうど軒下に生まれた犬の子に不便をかけるように町内の人たちがお恵み下さいますので、
近所中の走り使いなどを致して、うえ小声もせずに育ちました。
次第に大きくなりまして、職を探しますにもなるだけ二人が離れないように致して、一緒にいて助け合って働きました。
去年の秋のことでございます。
私は弟と一緒に西陣の織場に入りまして、空引きということを致すことになりました。
そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます。
その頃私どもは北山の掘ったて小屋同様のところに寝起きを致しまして、神谷川の橋を渡って織場へ通っておりましたが、
私が暮れてから食べ物などを買って帰ると弟は待ち受けていて、私を一人で稼がせては済まない済まないと申しておりました。
ある日、いつものように何心なく帰ってみますと、弟は布団の上につっぷしていまして、周りは血だらけなのでございます。
私はびっくり致して、手に持っていた竹の皮包みや何かをそこへおっぽり出して、そばへ行ってどうしたどうしたと申しました。
すると弟は真っ青な顔の両方の方から顎へかけて血の染まったのをあげて、私を見ましたが物を言うことができません。
息を致すたびに、傷口でヒューヒューという声が致すだけでございます。
私にはどうも様子がわかりませんので、どうしたのだい血を吐いたのかいと言ってそばへ寄ろうと致すと弟は右の手を底について少し体を起こしました。
03:06
左の手はしっかり顎の下のところを押さえていますが、その指の間から骨血の塊がはみ出しています。
弟は目で私のそばへ寄るのをとどめるようにして口を聞きました。
ようよう物が言えるようになったのでございます。
すまない、どうぞ勘弁してくれ。
どうせ治りそうにもない病気だから早く死んで少しでも兄貴に楽がさせたいと思ったのだ。
笛を切ったらすぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。
深く深くと思って力いっぱい押し込むと横へ滑ってしまった。
歯はこぼれはしなかったようだ。
これをうまく抜いてくれたら俺は死ねるだろうと思っている。
物を言うのが切なくっていけない。
どうぞ手を貸して抜いてくれ。
というのでございます。
弟が左の手をゆるめるとそこからまた息が漏れます。
私は何と言おうにも声が出ませんので黙って弟の喉の傷を覗いてみますと、
何でも右の手に紙反りを持って横に笛を切ったが、
それでは死にきれなかったので、
そのまま紙反りをえぐるように深く突っ込んだものと見えます。
笛がやっと二寸ばかり傷口から出ています。
私はそれだけのことを見てどうしようという心安もつかずに弟の顔を見ました。
弟はじっと私を見つめています。
私はやっとのことで、
待っていてくれお医者を呼んでくるからと申しました。
弟は恨めしそうな目つきをいたしましたが、
また左の手で喉をしっかり押さえて、
医者が何になる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む、というのでございます。
私は途方にくれたような心持ちになって、ただ弟の顔ばかり見ております。
こんな時は不思議なもので目が物を言います。
弟の目は早くしろ早くしろと言って、さもうらめしそうに私を見ています。
私の頭の中では何だかこう車の輪のようなものがぐるぐる回っているようでございましたが、
弟の目は恐ろしい最速をやめません。
それにその目の恨めしそうなのがだんだん険しくなってきて、
とうとう仇の顔をでもにらむような、にくにくしい目になってしまいます。
それを見ていて私はとうとうこれは弟の言った通りにしてやらなくてはならないと思いました。
私は仕方がない抜いてやるぞと申しました。
すると弟の目の色がからりと変わって晴れやかにさもうれしそうになりました。
私は何でもひと思いにしなくてはと思って膝をつくようにして体を前へ乗り出しました。
弟はついていた右の手を離して今までのどをおさえていた手のひじを床について横になりました。
私はかみそりの絵をしっかり握ってずっと引きました。
06:01
このとき私の家から閉めておいた表口の扉をあけて、近所の婆さんが入ってきました。
留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように私の頼んでおいた婆さんなどでございます。
もうだいぶ家の中が暗くなっていましたから私には婆さんがどれだけのことを見たのだかわかりませんでしたが、
婆さんはあっといったきり表口をあけはなしにしておいて駆け出してしまいました。
私はかみそりを抜くとき手早く抜こうまっすぐに抜こうというだけの用心はいたしましたが、
どうも抜いたときの手応えは今まで切れていなかったところを切ったように思われました。
歯が外のほうへ向いていましたから外のほうが切れたのでございましょう。
私はかみそりを握ったまま婆さんの入ってきてまた駆け出していったのをぼんやりして見ておりました。
婆さんが行ってしまってから気がついて弟を見ますと弟はもう息が切れておりました。
傷口からはたいそうな血が出ておりました。
それから年寄り臭がおいでになって薬場へ連れて行かれますまで私はかみそりをそばにおいて
目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見つめていたのでございます。
少しうつむき加減になって照明の顔を下から見上げて話していた木助はこう言ってしまって視線を膝の上に落とした。
木助の話はよく常理が立っている。ほとんど常理が立ちすぎていると言ってもいいくらいである。
これは半年ほどの間当時のことをいくたびも思い浮かべてみたのと、
薬場で問われ、和地部業所で調べられるその度ごとに注意に注意を加えてさらってみさせられたのとのためである。
生兵衛はその場の様子を目の当たりに見るような思いをして聞いていたが、
これが果たして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが話を半分聞いたときから起こってきて、
聞いてしまってもその疑いを解くことができなかった。
弟はカミソリを抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと言った。
それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは言われる。
しかしそのままにしておいてもどうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。
それが早く死にたいと言ったのはクリスタに耐えなかったからである。
気付けはその苦を見ているに忍びなかった。
苦から救ってあろうと思って命を絶った。
それが罪であろうか。
殺したのは罪に相違ない。
しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうにも解けぬのである。
生兵衛の心の中にはいろいろに考えてみた末に、自分よりも上の者の判断に任すほかないという念、大鳥邸に従うほかないという念が生じた。
生兵衛はオブ行様の判断をそのまま自分の判断にしようと思ったのである。
09:04
そうは思っても生兵衛はまだどこやら負に落ちぬものが残っているので、なんだかオブ行様に聞いてみたくてならなかった。
次第に更けてゆく朧夜に沈黙の日と二人を乗せた高瀬船は黒い水の表を滑って行った。
09:25

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