1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #435 日ユ同祖論:日本語とヘ..
2022-04-19 09:11

#435 日ユ同祖論:日本語とヘブライ語 from Radiotalk

関連URL
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日ユ同祖論

関連エピソード
アラビア語のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/432733
言語の歴史のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/669661

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:04
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。小惑星糸川です。
みなさんは日ユ同祖論という説を聞いたことがあるでしょうか。これは、wikipediaの冒頭によると、日本人かっこ縄文人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放された
イスラエルの失われた十種種族の一つとする説ということなんですね。
僕はこの説を詳しく勉強したわけではないし、ネットでちょろちょろっと
読んだことがあるだけなんですけど、この日ユ同祖論というのは
言語学的に見てどうなのか、つまり言語学はこの日ユ同祖論を支持するかということを
今日はお話ししようと思います。 この日本人とユダヤ人が
もともと同じ民族だったっていうね、この説の証拠として いろいろ挙げられていて
その宗教的な類似性とかね、神道とユダヤ教が似ている道のコーノとかあるみたいなんですけど
まあその中に 言語の類似っていうのも挙げられています
カタカナとヘブライ文字が似ているとか まあこれから見ていくようにね
言語の、もっと言うと大和言葉と ヘブライ語が似てるとかね
その言語の類似性も証拠として挙げられているようです まあそもそも前提として
民族と言語っていうのは別個に考えないといけないもので 確かにその民族意識っていうのは
なんていうかな、言語が一つ要因となっていることはあると思うんですけど ある民族が言語をまるまる取っ替えるってことも平気であることなので
その支配的な民族がやってきたら そのマジョリティの言語にとって変わられるっていうことは
歴史上何度も起こっていることですので 民族と言語っていうのは
必ずしもイコールではないし、同一視するべきではないんですね まあこのことは英語っていう言語がアングロサクソン人以外の民族にも話されているって
ことからもわかりますよね なので
まあ民族というか人種の上で 日本人とユダヤ人がどうのこうのっていうのは
03:01
今日はあまり考えずにあくまで言語学的にどういうことが言えるかっていうことをお話し していこうと思いまーす
まあ一言で言えば全く関係ないと言っていいと思います 日本語とヘブライ語っていうのは全く関係なくて
現時点の言語学でわかっていることは日本語っていうのは系統不明の言語です 琉球諸語とは親戚関係にありますけど他の言語と何か系統関係があったと
まあそういうふうにはちょっと主張できないんですね お隣の韓国朝鮮語と日本語ってかなり似てるって言われてるんですけど
系統関係があるつまり親戚同士の言語だとは まあ言えないんですね
一方ヘブライ語の方はアフロアジア語族っていう語族に属する言語で特にセム語派 っていう
グループの言語なんですね でこのセム語派っていう言語に含まれるのはアラビア語っていうのが一番有名だと思うん
ですけど アラビア語と同様このヘブライ語っていうのもその三神五魂って言って
すごい面白い言語学的な特徴があるんですね ちょっと今日は深くお話しできないのでぜひ関連トークのアラビア語の話をね
聞いてみてもらえたらと思います まあひとまず少なくとも現時点では日本語とユダヤ人の用いている
ヘブライ語っていうのは 親戚関係とはとても言えないですね
でカタカナとヘブライ文字が似てるっていう説もあるんですけど あんだけ単純な記号だったら似ることもあるだろうとしかちょっと言えないですね
意味と音つまりまあ単語同士が似てるっていうのも あって
まあ wikipedia に何か表になってるんですけど まあこれは
言語学的に言うとナンセンスというしかないですね 例えば
日本語のありがとうっていうのは ヘブライ語で私にとって幸運ですみたいな意味と対応するらしいんですね
意味的にすごい似てるじゃないかってまあ思われるんでしょうけど そもそも現代の日本語とヘブライ語を比べたって仕方がないので
せめて 奈良時代のね
上代日本語と言われるものと比べなきゃいけないと思います でこの例のありがとうっていうのは
ありがたしから来ているわけで その語源というかな
まあ構成っていうのがかなりはっきり しているのにありがとうっていうその現代の形式と比べたっても仕方がないん
06:09
ですね まあなのではっきり言ってこじつけと言ってしまっていいと思います
言語が同系統であるって言うんだったら こういう似てる単語を
その持ってくるんじゃなくて 規則的な音対応っていうのを見つけ出さないといけないんですね
むしろこれだけ形が似てるっていうのは釈用か偶然かしかありえないと思います 例えばラテン語と英語を見比べて
ラテン語のにっていうのはドゥオ 英語のにっていうのはトゥ
で他の単語を見比べてみてもラテン語のドゥっていう音は英語のトゥっていう音で対応 しているので
そういう一つの単語のペアだけを見るんじゃなくて 例えばラテン語の d の音が
英語だと t に対応しているみたいに組織的に 規則的に対応してないと同系統であるとはとても言えないんですね
言語学において ある言語とある言語が親戚同士だって
言うために必要なのはまずはこの規則的な音対応なんですね 日有同素論で挙げられている単語のペアっていうのは
単なる語呂合わせに過ぎないと言っていいと思います
この日本語とヘブライ語に限らず 日本語とラテン語が同期限だっていうような
説もあるんですねしかもこれ本になってんだよな よく本にまでなったなと思うんですけど
まあそれも単なる言葉遊びというか語呂合わせに過ぎないですね あれをギャグでやってるんだったらあれだけど
ラテン語と日本語の語源的関係っていう本なんですけど 興味のある方調べるだけ調べたらいいと思います
別に読む必要はないと思います というわけで日有同素論っていうのは言語学的な観点から言うと
まず関係はないと 日本語とヘブライ語には全く
系統的な関係はないと言ってしまっていいと思います もし系統的な関係があるというんだったら
規則的で組織的な音対応っていうのを見つけないといけません まあそういう言語の歴史についてのトークも過去にやっているのでそちらも
併せて聞いていただけたらと思います というわけで今回のトークはここまでということで最後まで聞いてくださって
ありがとうございました 番組フォローも忘れずにお願いいたします
09:00
ではまたお会いいたしましょう お相手は滋賀十五でした
09:11

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