1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-04-09 08:38

#292 「お葬式のコントは面白い」 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #忘れられない親からの言葉
00:01
今週のお題トークが、「忘れられない親からの言葉」とこういうことになっているんですね。
というわけで、今回のトークは、この忘れられない親からの言葉というテーマに沿って話していこうと思います。
志賀十五です。今日も志賀十五の壺をやっていこうと思います。
まあ、皆さんね、それぞれ忘れられない親からの言葉っていうのはあると思うんですけど、
僕自身、すぐに思い出されるのは、母から言われた、「ミートソーススパゲティはソースのかかってるところから食べなさい。」
っていうね、この言葉。これが印象深いですね。
どうしてもね、あれ、パスタだけ先終わってソースだけ残っちゃうんですよね。
だから最初から躊躇せずにソースのかかってるところから食べれば、結局きれいに食べ終わることができる。
まあ、そういった言葉になっていますね。
これは当然スパゲティ全般に当てはまるし、
もっと大げさに言うと、全体を考えて行動しろみたいなことだと思うんですよね。
バランスをよく考えて行動しろというかね。
まあ、母自身にそういった思惑っていうかね、意図はなかったと思うんですよ。
息子がいつもなんかミートソーススパゲティソースだけ残してるなぁと思ってそういったことを言ったと思うんですけど、
まあ人間そういうものですね、そういうものっていうのはどんな些細なことでも意味を与えずにはいられないというか、
何か普遍的な解釈を与えがちっていうかね、そういうことが好きなので、僕自身はそういうふうに解釈しています。
なので今でもね、ミートソーススパゲティを食べるときはソースのかかっているところからしっかりっていうかね、食べ始めるようにしています。
あと印象に残っている親からの言葉で言うと、父から言われたので言うと、
お葬式のコントは確実に面白いっていう言葉ですね。
これもしかしたらコントじゃなくて漫才だったか漫談だったかまあわからないんですけど、
そのお葬式を題材にしたお笑いっていうのは確実に面白いというね、まあそういった言葉が時々思い出されますね。
これもなかなか深くて、タブーを題材にするっていうのは一つお笑いの鉄則みたいなのがあると思うんですよね。
お葬式という笑いが起こり得ないような題材というかタブーを扱うことでも一方確実な笑いに近づいているっていうかな、まあそういうのがあるんですよね。
03:11
でこのタブーっていうのは何もお葬式みたいな詩に関することだけではなくて、政治的なタブーも当然あるし、
でそういうの扱ったりするとブラックジョークとかになるわけですよね。
あるいは性的なタブーを扱うと下ネタになるわけですね。
でこの番組では下ネタというものはほとんど扱っていません。
まあ番組の性質上言語学の番組なんで、そうやたらめったら下ネタを扱う機会がねそもそもないんですけど、
まあ他にも理由はあって一つはそれを不快に思う人がいるからっていうことですね。
僕自身は別に下ネタは嫌いではないし、どっちかというと好きだと思います。
他の方が例えばラジオトークなんかでね下ネタを言ってるのも聞いたりするし、まあそれで笑っちゃうようなこともあります。
ただまあみんながみんなそういう方ばっかりではないので、それをね不快に思う方がいたら申し訳ないっていうかね、
まあそういう気持ちもあってこの番組では下ネタをそんなに扱っていません。
というのは建前で、もっと本質的なことを言うと、まあどっちが本質かわかんないけど、さっき言ったようにタブーっていうのはそれを扱うだけで面白いんですよね。
下ネタというだけで面白おかしくなっちゃうので、できるだけそういうものに頼らずに番組を作りたいなというのもあるんですよね。
これはラジオトークに限ったことではなくて、普段の会話でも僕は全然下ネタは言わないですね。
人が話しているのはまあ面白いと思って話に乗ったりはするんですけど、自分で下ネタを話すっていうことはまずありません。
まあここに父の教えっていうのが生きているっていうか、つまりお葬式のコントは面白いというか、タブーを扱ったお笑いは面白いということですね。
これはなんでなんだろうな、死とか生とか政治的社会的タブー、こういったものを扱うとなぜ面白くなるのかっていうのは僕自身わかりませんけど、割と普遍的なお笑いの原理なんじゃないかなとなんとなく感じています。
タブーと言語学っていうのは実は深い関係にあって、つまりタブーに関わる言葉っていうのはよく遠曲表現で表されるんですよね。
これは考えてみるとすぐ思いつくと思うんですけど、死ぬっていうのはなかなか使わないで、亡くなるとか、永眠するとか、息を引き取るとかね、こういった言い回しになりますよね。
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あるいは性に関することでも、性行為とか性器を表すような遠曲表現っていうのは山ほどあって、わざわざここでは言わないですけど、それだけで一つの辞典ができるぐらいの語彙の豊富さっていうのがあると思います。
というか、たぶん実際にそういった辞典は世に出てるんじゃないかなと思いますね。
あるいは排泄に関わるものとかだと、トイレの言い方もいっぱいありますよね。お手洗いとか洗面所とか化粧室とか。
今言ったような死とか性に関わるような言葉っていうのは、どんな言語というかどんな社会でもおそらくタブーとなっていると思うんですが、
一方でどんな言葉がタブーになるかっていうのは、言語や社会によっているところもあると思いますね。
例えば言語によってはですね、ある人が亡くなるとその名前を口にすることができなくなるんですね。つまりタブーとなるということなんですが、
こういうふうに死者の名前がタブーになるような社会もあったりします。
あるいは英語で熊のことをベアーって言いますよね。あのベアーも実はタブーから来ているもので、もともとの語源としてはブラウンと一緒なんですよね。
だからベアーって茶色いやつみたいな意味なんですが、これはその熊を刺す言葉を口にしてしまうと実際に熊がやってきてしまうということで、
一種の言霊思想みたいなものですよね。そういった理由から遠極表現、茶色いやつと呼ぶようになって、今ではそれが定着しているということです。
こういうパターンは探せばいっぱいありそうですね。実際は遠極表現だったものが今では普通に使われていると、そういったことはどんな言語でもありそうです。
というわけで今回のトークは忘れられない親からの言葉からのタブーと言語学についての話ということになりました。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。また次回お会いしましょう。それではごきげんよう。
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