では早速いきましょう。まず最初に紹介するお父さん、それはですね、自動車の父です。
皆さんこれ言われてパッと誰だかわかりますか? 多分名前は聞いたことあるとは思います。
これね、自動車の父っていうのは、ヘンリーフォードです。 アメリカにね、フォードっていう自動車メーカーありますけど、その創設者がヘンリーフォードですね。
そして自動車の父と言われております。 ただ父とは言われてるんですけど、別にヘンリーフォードが世界で初めて自動車を生み出したっていうわけじゃなくて、
産みの親っていうのはね、別に言います。それはね、ドイツのカールベンツ。 それこそ今で言うメルセデスベンツの創設者ですね。
この人が初めてガソリンで動く自動車っていうのを作ったんです。 でも自動車の父はヘンリーフォードだと言われてるんですね。
じゃあこのフォードさんがなんで自動車の父なのかというと、この人はね、 自動車の民主化に貢献したんですよ。
それまでは自動車って言ったらめちゃくちゃ高級品。 まあごく一部の貴族の乗り物だったんですけど、それをひっくり返して全ての人が所有できる自動車ってものを
開発したのがこのヘンリーフォードです。 自動車を生み出したという人じゃなくて、育てた人なんですよね。
ヘンリーフォードの代表作といえばT型フォードと呼ばれる自動車です。 これはね本当に機械とかものづくり系の博物館なんて言ったら大体置いてありますからね。
ぜひともねそういう目線でちょっとT型フォードを探してみてください。 これはね本当にね歴史を変えた名車と言われています。
このT型フォードっていう車はね20世紀の最も影響力のある自動車と言われてまして、 現代の自動車産業の礎を築いたと言っても過言ではないです。
このT型フォードが市場に登場したのは1908年。 他の追随を許さない圧倒的な安い価格で登場したんですよ。
当時の自動車って富裕層でもなんとか買えるか買えないかっていうね結構というか超高級品の扱い。
当時の価格で言うと2000ドルとかあとそれ以上ぐらいする価格帯なんですよね。 ちなみに当時のアメリカ人の平均年収っていうのが600ドルほどだったんで
だから2000ドルって言うとまあそうですね今の我々の感覚で言ったら 車1台で1700万とか1800万とかまぁそのぐらいの感覚ですよね
しかも高級車じゃなくてね乗用車レベルの車がその価格帯なんで 一家に1台所有しようと思ったらね全然やっぱ手が届かないわけです
そんな中ねヘンリーフォードが作ったT型フォードっていうのが登場するんだけど このね価格が本当に平均的なその時の車の売価の半分以下の金額で売り出されたんです
販売当初の金額っていうのは850ドルという価格だったんで まあそれでもねまあ高いっちゃ高いんだけどその当時のアメリカ人にとっては
えっ850ドル?あれちょっと待って もしかして俺頑張れば車買えるんじゃない?というぐらいのね絶妙な価格帯だったんですよ
このT型フォードはですねもう本当に超大人気 発売してから翌年には1年で1万台以上売り上げたんですね
これ大ヒットです 当時アメリカ全体の自動車の生産台数が7万台だったんですよ
T型フォードっていうたった1車種だけで1万台売れたのね だから市場の7分の1を1車種が占めてるっていうね
驚異的な売り上げですよ 超大ヒットだよね
このT型フォードっていう車 技術的に何がすごかったかっていうとそれは生産方式なんですよ
とにかく作り方 車のね作り方が賢くて生産効率が非常に高くて製造コストが安いと
そういう頭のいい作り方をされていました 主にはね
ライン作業ってあるでしょ コンベアでさ部品が流れてきて作業者がそこで繰り返し同じ作業をして組み立ててくっていう
もういわゆるザ工場みたいな感じのね作業ですけど 今でこそ自動車の生産ってそういうね
移動式の組み立てラインっていうのは当たり前なんですけど フォードはこれを初めて自動車で導入して生産効率っていうね爆上げしたんですね
さらにはこの部品の標準化っていうのを行って T型フォードっていう一つの車の中だけでもなるべく同じ部品っていうのを使えるようにしたんですね
まあこれによってね部品のコストっていうのも劇的に下がるわけ まあさらにはね波及効果として座って部品標準化したことですごいねメンテナンス性っていうのが
高くなって修理がしやすい車になったんです だからねアメリカの地方なんかにもすごい売れるようになってアメリカ全土にね
t 型フォードという車が普及していきました この t 型フォードは1927年まで生産をしてたんですけど
累計で1500万台が販売されたんですよ これとんでもない台数ですよだってさ
t 型フォードが出始めたばっかの頃はアメリカの自動車市場っていうのが年間7万台 だったんですよ
それが t 型フォードが 生産終了になる1927年販売されてから20年ぐらい経ってますけど
もう累計で1500万台桁数が全然違う それだけ t 型フォードっていう車が売れて世界そのものを変えたんですね
誰もが車を保有するっていうのが当たり前の世界になったんで もうほんと人の働き方生活スタイルそういったねカルチャーの部分まで自動車一台で変えてしまったんです
これは本当にもうね惑うことなく自動車の知事ですね ヘンリーフォードそんなね
ヘンリーフォードの名言を一つ紹介しますと よくねマーケティング分野で使われる言葉なんだけど
もし顧客に彼らの望むものを聞いていたら 彼らはもっと早い馬が欲しいと答えていただろう
という言葉です 皆さんこれ意味わかります
自動車が普及する前は主な交通手段てね馬車だったわけですよ そんな時代に
皆さん馬での移動大変ですよね何が欲しいですかって顧客に聞いたら いやーもっと早い馬欲しいねと言うんですよ
だってそれしか知らないから早い馬がいればもっと早く移動できるのにってみんな思ってる わけ
その中で私自動車が欲しいんですよっていう人なんて一人もいないわけです つまりねものづくりっていうのは顧客の希望通りに欲しいと言われたものを作るという
ことではないんです ヘンリーフォードの名言にはねそういう意味が含まれてるんですよ
みんなが馬車に乗ってね誰もが自動車を持てるようなんてことが全く想像できなかった 時代に誰もが自動車を持つべきだと信じて
技術をもってしてみんなが買える自動車を作った これが自動車の父ヘンリーフォードの功績です
もう自動車の父否ものづくりの父と言ってもいいですね そのおかげで我々は今自動車に乗れていると言っても過言ではない
だからありがとうヘンリーフォードありがとう お父さんということです
じゃあ続いてのお父さんは続いてのお父さんというのもよくわからないけど まあ自動車の父の次なんでね飛行機の父っていうのを見ていきましょう
皆さん飛行機の父そう言われてパッと思いつく人いますか 飛行機といえばねもう有名ですよねあの兄弟
そうもう誰もが知っている有名な兄弟ライト兄弟 ではなくって
アルベルトサントスディモンさんですね もちろんねライト兄弟は世界で初めて友人飛行を成功させた兄弟ですけど
飛行機の父っていう呼ばれ方はねされてなくて この飛行機の父っていう異名を持ってるのはさっきも言ったですね
アルベルトサントスディモンという発明家なんですね このディモンさんはブラジル出身の偉大な発明家で
1906年10月3日に自身が発明した飛行機で飛行実験を行って 高度3メートルの高さを60メートル飛行したというね
記録が残っています その次の月には
さらに長い220メートルの長さを飛行するという偉業を成し遂げて まあこれがヨーロッパで初めて
友人飛行が成功したという事例になりました でねライト兄弟はこのディモンさんが飛行を成功させる3年前にはアメリカで友人飛行をね
実現してるんですけどなんせアメリカなんで その情報ってねヨーロッパまで伝わってなかったんですよ
だからねこのディモンさんの功績はヨーロッパで人類初の飛行を成し遂げたよって いうことで大々的に報じられました
まあ3年違えどねだいたい同じ時期にライト兄弟と アルベルトサントスディモンがね友人飛行っていうのを成功させてるんですけど
この2人の技術者正確に言えばライト兄弟2人なんで3人なんですけど 3人の技術者って全く正反対だったんですよね
このね対比がなかなか面白いんだけど ライト兄弟って
やっぱね飛行機といえばライト兄弟っていうほどすごく有名なんですけど 飛行機のね友人飛行を世界で初めて成功させたっていうのはすごいんですけど
その後の素行っていうのはねあんまり良くなかったんですよ この人たちはとにかく裁判ばっかりしてたんですね
飛行機っていうね技術そのものをこれは自分たちだけの技術だっていうふうに主張して 特許をねガチガチに固めていったんですね
まあそれは技術者の権利ですからいいんですけど その後に他の技術者によってね新しい飛行機とかいろいろと開発されていくわけなんですけど
まあそういうものに対して片っ端からね 特許の侵害だって言って訴訟を起こしまくっていくんですよ
でもさ当然ね裁判ってお金も時間もすごくかかるわけ ライト兄弟っていうのは飛行機の開発とか技術の研究じゃなくて
裁判ばっかりにその後お金をかけ続けてしまって 結局ね飛行機の分野でも技術的にだいぶ遅れてしまって
だんだんとね結果を残せなくなっていきます そしてね最後には飛行機の開発から完全に身を引いてしまいました
飛行機って言ったらやっぱライト兄弟って印象が残るんですけど 実はその最後ってね結構あっけなくて尻すぼみなんですよ
一方で飛行機の父と呼ばれる アルベルトサントス・デュモンはこのライト兄弟とは全く真逆なんです
この人はねやってきたことを見ると技術者としてすごくね 純粋で優しい心の持ち主なんですね
まずさっきも言ったようにヨーロッパで初めて 有人飛行っていうのをこのデュモンさんがね達成するわけなんですけど
その功績によって得たお金ってね全て寄付してるんですね 事前活動に充ててます
そして技術的な飛行機の情報に関しても特許とかをね取得しないだけに留まらず
この飛行機の技術とか原理が誰にでも理解できるようにと設計図を公開してるんですよ
面白いぐらいライト兄弟とね真逆なんですよ 本当パテントで争わずに技術情報をオープンにして
飛行機っていう技術の分野を世界としてね 進歩させようと促したわけです
なんかねこれだけ聞いてもさなんでこの人が飛行機の父と呼ばれるかっていうのがなんとなく分かりますよね
やっぱこう生み出した人よりも技術を育てたって人の方が 父と呼ばれがちなのかもしれないですよね
生み出した人ってねどっちかって言えば母ですもんね だからこのねリモンさんっていうのはまさにね飛行機の父にふさわしい人なんですが
ただねリモンさんというのは技術者として純粋すぎたというかね 優しすぎたというか
ハッピーエンドでは終わらなくてですね かわいそうなんですけどこの人最後に自殺してしまうんですね
その理由は飛行機が戦争に使われ出したからです 彼はね自分が育てた飛行機っていう技術が戦争で使われないようにしようとね
いろいろと署名を集めたりして国に提言をしていたんです しかしこの提言っていうのはね
黙殺されてしまうんですよね 飛行機っていうのは戦争にとってね必須の道具になってしまっていくんですけど
そのことに絶望して飛行機の父 アルベルト・サントシ・リモンは自宅で自殺をしてしまいます
事前活動にも積極的で平和主義者 技術の発展に純粋に貢献してきた彼にとっては
自分の発明が人を殺すっていうのはね 耐えがたい苦痛だったんですね
最後はちょっとしんびりしちゃいましたけど それが飛行機の父 アルベルト・サントシ・リモンという人間です
我々が今ね飛行機に安心して乗れているのも そんな悲しくも優しい父がいたからなんですね
ありがとうアルベルト・サントシ・リモン さてさて次なるお父さんは我々が普段生活で目にすることがない
産業機械の分野の父です 工作機械の父と呼ばれる技術者がいます
工作機械 皆さんどんな機械かわかりますか
このラジオをね毎回聞いてくださっている方はもう耳タコですよ 耳からタコが出てきます
それぐらいこんな話してますけども ぜひともね聞いてください 何回でも説明します
今回このポッドキャストの音楽で言ったらね サビみたいなもんですからここからがメインですよ
私はですね工作機械っていう産業機械の技術者でございます この工作機械というものに惚れ込んで
会社でね工作機械の開発を続けてきておるわけです そんな工作機械って何なのかというとですね
工作機械というのは工作を行う機械のことで まあまんまですけどね
具体的には材料を加工して製品や部品を作り出す機械です その材料っていうのはね金属に限らず樹脂とか木の加工も行えます
加工方法っていうのはね削るだけではなくて溶かす曲げるとかね様々なんですけど 一般的には金属の材料を切削加工といってこうガリガリ削って加工する機械の
ことを工作機械と呼びます 自動車とかね飛行機とは違ってなかなかこう表舞台に出ていかない
工場の中で働いているような機械です 産業に使われる機械の一つが工作機械なわけですけどそんなね数ある産業機械の
中でも特にこの工作機械というのは重要な役割を担ってます 工作機械はね機械を作る機械という意味でマザーマシンと言われてるんですよ
工作機械はありとあらゆる部品を加工して作り出す機械ですから この世に存在するすべての機械の部品を作るんです
だから原理をたどればねどんなものでも原理をたどれば必ずこの工作機械から 生み出されていると言えます
工作機械が部品を作ってその部品が組み合わさってまた別の機械になるとそんな感じです だからこの工作機械っていうのはね母なる機械ということでマザーマシンなんて呼ばれています
ちょっとね父の日の話してて母の話出てくるのちょっとややこしいんだけど とにかく身の回りにあるすべてのものこれ原理をたどっていけば必ずどこかで工作機械に
たどり着くというわけすべての機械の生みの親なんですね そういう非常に広い影響力を持ったものが工作機械で
で工作機械というものはなかなかこう表には出ないながらもそれだけ私たちの生活を 支えている重要な機械なんですね
という話がしたくてこのポッドキャストをやってるっていう節もありますからね ぜひともね工作機械という名前心に刻んでいただければなと思います
でも今日の主題はそこじゃなくてそんな工作機械にも 工作機械の父と呼ばれる技術者がいるよというお話です
それが誰かというとイギリスの技術者ヘンリーモーズリーです モーズリーはねここまで紹介してきた
自動車の父飛行機の父とそういうお父さんたちとはまたちょっとね年代が違って さらに100年ぐらい昔の人なんですよ
1771年にモーズリーはねロンドンで生まれています ヘンリーモーズリーはもう幼い頃から機械技術者としての才能を発揮してね
10代の頃にすでに腕利きの技術者として名を轟かせているんです その時ね同じくロンドンで非常に有名な発明家であった
ジョセフブラマーというね人がいるんですけどその人から引き抜きっていうのを受ける わけです
ブラマーっていうのはねブラマージョーっていうね鍵を発明した人なんですけど このねブラマージョーっていうのがもうピッキングとかね一切できないようなめちゃくちゃ優秀な
鍵なんですけど まあそれだけね作りが複雑でなかなか作るのが大変だったんですね
そこでブラマーはヘンリーモーズリーの猫のものづくりの力に目をつけて この複雑なブラマージョーを作るための工作機械とかを作らせるんですよ
モーズリーはもう才能をめきめき発揮して そのね複雑な鍵ブラマージョーを作るための専用の工具とかね
工作機械を設計して その鍵をねすごく安価に製造できるように実現していきます
そしてそのモーズリーはねその才能を生かして工場にある工作機械っていうのをどんどん 改造していくわけです
その代表っていうのが旋盤という機械でこれはね 材料を回転させてそこにね刃物を当ててこう削っていくみたいな機械なんだけど
もともとね材料回転させるのは機械で刃を当てるのは人間の手で当てたんですね 人間の手で刃物を持って回っている材料にこう
エイヤーって刺すみたいな そうすると材料回ってるからさガリガリ削れていくみたいなねそんな感じで加工をしてたんです
ただこれちょっと非効率だし部品のねこの形状の精度とかも出ないよねっていうことで この刃物を機械に保持させるためのスライドレストっていうね機構を作り出しました
これがね現在の旋盤という機械の元の形となっていると言われています ただですねまあヘンリーモーズリーも丸々の父
工作機械の父と呼ばれている男ですから 当然ですねただ生み出すだけじゃなくて育てているわけなんですよ
ここまで紹介した様々な父と同じでモーズリーも例に漏れずですね この旋盤をさらに改良して世間に役立てていきます
具体的に作ったも同じかって言ったらねねじ切り旋盤っていう ネジあるでしょ
あれを作ることができる機械っていうのを開発します これがねネジ業界にね新しい展開をもたらしまして
同じ形のネジっていうのをめちゃくちゃ大量に精度よく作れるようになるんですよ まあそうすることでネジの互換性とか企画化ですね
だから世界的に同じネジ使いましょうねっていう部分で非常に大きく貢献することになります 世界中でねバラバラだったネジの形っていうのが一気にね
統一できるわけです この話はねシャープ90ネジの形は誰が決めたのというエピソードの中でも
ネジの企画の話してますけどそことつながる話なんですよね もしねまだそのエピソード聞いてないよっていう人いたら聞いてくださると非常に嬉しい
です ヘンリーモーズリーはね工作機械の父機械加工の父
旋盤の父といろいろな呼び名があるんですけどまあとにかくめちゃくちゃ父と呼ばれてる 人です
産業機械の分野においてまあすごい影響を与えた人なんですね 私もね今現に工作機械の開発やってますから
機械設計もね10年ぐらいしてきて今ちょっと違う分野ですけど まあ工作機械にずーっとね携わってます
だからもうねヘンリーモーズリーとは 血がつながってるって言っても過言じゃないんじゃないかなと思ってます
もう私のお父さんですねということでねありがとう ヘンリーモーズリー
というわけでね3人ほどお父さん紹介しましたけど 調べれば調べるほどに本当にねいろんなお父さんがいるわけですよ
まあ工作機械の父ヘンリーモーズリーに関してはね 私さ
ロンドンにある科学博物館まで行って実際にモーズリーが作った工作機械っていうのね 実物見てきましたからね
ロンドンの博物館って言ったらやっぱ大英博物館っていうのはすごい有名なんです けど
ロンドン科学博物館っていうのもあるんですよ やっぱりねイギリスってさ産業革命の地ですから
科学博物館の中にねこうものづくり的な展示が非常に多いわけです まあそれこそ世界的に有名なのはやっぱね
ワットの蒸気機関とかですよね 中学校の理科とかで習いますけど蒸気機関というのは蒸気で動くエンジンみたいなもんです
でその蒸気機関で有名なのがジェームスワット 電力の単位とかにも使われてますよね
1ワット2ワットとかその元になっている人ですね ロンドン科学博物館にはねこのジェームスワットコーナーっていうのもねかなりデカデカと
あってさ 超でかいね蒸気機関も展示してあって本当に大迫力なんですね
でまぁこのジェームスワットもね例によって蒸気機関の父と呼ばれております やっぱりね父なのよ母ではないわけ
で世間ではね蒸気機関を開発したのがジェームスワットだよってね言われている場合も あるんですけどこれ厳密に言うと間違いで
ジェームスワットの功績っていうのは 蒸気機関を実用できるように改良したことなんですよ
このね蒸気機関自体を開発したのはニューコメンっていうね別の技術者なんです だからねやっぱりねこう
○○の父っていうのは技術を育てた人によく与えられる称号なんだなぁって今回に改めて思いました だからね今日紹介した歴史に名を残したものづくりのお父さんたちね
これみんなイクメンだということですよ イクメンが歴史を作ってきたんですね
こうものづくりをねしているとさ 0からなんか新しいものを生み出そうってね思っちゃいがちというか
私もね技術者ながらねやっぱそれが一番かっこいいなって思っちゃったりはするんです けど
やっぱね世間でも生み出したって人にスポットが当たりがちなんですよ でもこうやってさあ歴史を振り返ってみると
既存の技術をブラッシュアップした人とか育ててきた人っていうのが実際にこう歴史を 作ってきたんじゃないかなと思う節もありますよね
母がいて父がいてそうやって技術とかものづくりは育ってきたということです まあ父の日というものをテーマにね喋ってきましたけれども