アウシュビッツとアンネフランクの家
前回からの続き
これを思い出すと、ちょっとこみ上げてくるものがあるんですけど、
だから、よかったっていう感じがして、
すげえ泣いてしまって、
機会あったら見よう。
それで、何かあるかなみたいな、さっきの縁じゃないけど、
よくわかんないけど、そこまで自分に共鳴するものがあるということが、
それと関連するものはちょっと言った方がいいかなっていうのがあって。
白い虚筒、僕も原作確か読んだ記憶があるけど、
アウシュビッツにザイゼン教授がいたっていう記憶ないもんな。
ドラマオリジナルなんですかね。
オリジナルなんでしょうね。
ドラマオリジナルだと思うんですよ。
俺の勘違いかもしれないですけど。
いや、僕も忘れてる記憶もあるけど。
見買ったんですけど、
すごいですね、やっぱりネットって。
2004年の記録が残ってて、
フジテレビのページに。
見たら、アウシュビッツの学会に参加するのかな。
ワルシャワでやる学会に参加して、
行ったときに向こうのコーディネーターがアウシュビッツに案内されたみたいなシーンがあったみたいですよね。
ただ入ってたとこで、入れたんだろうなって疑問はありますよね。
原作に絶対ないかどうか、僕記憶自信ないんで、あったらごめんなさい。原作にも。
今、しゅらやさんがおっしゃった通り、第2部のスタートの回だったんですよ。
ちょうど終盤で。
なるほど。
そうなんですよ。
そういうのもあって、アウシュビッツには行きたいなと。
妻も行きたいって言ってるんですよね。
すごい。
そこで生きて応募するっていう不思議な夫婦なんですけど。
妻は収容所じゃないんですけど、アンネフランクの潜伏してた家、オランダだったかな。
アムステルドですね。
そこに行ったことがあって。
そこもあんまりちゃんと上がってないな、アンネフランクさんの。
結構やられたって言ってましたね、メンタル。
なるほど。
なんか嫌だな、自慢回しみたいなの言ったんですよ、僕も。
アンネの家も言ったんですけど。
こんなことじゃないんですけど、普通の家です。
普通の家なんですよ。
そりゃそうですよね、よく考えたらね。
当たり前ですよね。普通の家だけど、アンネフランクの日記はさすがに読んでた。
読んでない。
さすがに行くにあたって読んでおこうかなって感じで。
ああ、行くにあたってね、はいはい。
で、あの普通の家でこれが全部起こったのか、みたいな。
日記なんで、当然苦しい状況であるんですけど、
アーシュビッツとか収容所みたいに残虐なことがその中で起こられたってわけではないんですけど、
その日記に書かれたこととか、日記で感じたこと全部が最終的に捕まってすべて消えたんだなってことを、
ちょっと現地で考えちゃいました。
現地じゃないからちょっと後から考えて、
普通の家だからこそ、なんか残さないといけないんだなって。
お母さんとそこが一致するのが素晴らしい。
そうですね。
まあちょっと行ってみたいですね、だからね。
それが5番目でしたっけ?
それが5番目ですね。
瞑想フェスの構想
で、6番目は本を出版したいですね。
やっぱなんか出したいですね。
出したいですね。
出したいですね。
あとは、7個目がヨガ瞑想フェスを開催したい。
フェス?
瞑想でフェス?
フェス面白そうじゃないですか。
いろんな瞑想があるんで、
まず、
竹座が映って、
フェス。 瞑想でフェス? 瞑想でフェス面白そうじゃないですか。
そのいろんな瞑想があるんで、いろんな人が来て、なんか自分の期待なものに出会うみたいな場が作れればいいかなーみたいな。
何種類もやるってことですね、瞑想にもいろいろあるから。
自分もそこにね、そのなんか参加はしたいですけど、これ瞑想あるなーとか。
いろんな瞑想があるんで、何時から何時はこういう瞑想で、何時から何時はこういう瞑想で、みたいな。
多分もうやってる人はいると思うんですけど。
一日の中で、タイムラインの中でいろんな瞑想をやってるんですね。
これだけをやるっていう感じじゃなくて、
これに精通した人でもこれをやったことないだろうみたいなやつを体験してもらうみたいな。
そうそうそうそう。やってみたいなーって。
だいぶ具体的に。
だいぶ具体的ですよね。
だいぶ具体的に企画書が書きそうに。
そっかー。
確かに言われてみれば、一瞬もうフェスっていう言葉が飲み食いって思っちゃって。
瞑想でフェスとか思っちゃったけど。
でも飲み食いしながらね。
しながらやれるものなんですかね、瞑想。
飲み食いって僕らがイメージしてキッチンかと思うんですよね、多分。
確かに。
豆が数粒と。
豆が数粒と。
センスじゃないんだけど。
確かにそういう瞑想される方もいるかもしれない。
確かに。
音楽思っちゃう?
キッチンのやつでこう。
馬鹿に出すことだからずっと。
ごめんなさい、これ馬鹿にしてた、すいません。
不思議だ。
でもよくよく考えたらあれですね、フェスっていうあれには合わないかもしれないですね。
フェス?
静かですか。
苗場をフジロック終わった後、一つステージに残しておいてもらって、そこで。
確かにみんなでね。
そのスピーカーとか利用して。
なんか瞑想で、集団でみんなでやるとよりいいよっていう人もいるんですよ。
効果的に高いよみたいな人もいるんですよ。
なるほど。
集団でやること一人だけじゃなくて、何人かと繋がってやるのもいいよっていう人もいるんで。
だからフェスとかだといっぱい集まるし、そういうのもいいのかなとか思った。
多分やってる人いると思うんですよ。
でもその中にマダラさん入れないほうがいいと思いますよ。
マダラさん話しかけてきちゃうんで、途中で。
メインのイベントの印象づけることになってしまう。
なんだこいつって。
なんだこいつですよ。何て言うんだよ。
なんかカブトムシ取りに来ましたら、取りに見つけましたねとか言う。
ミューティネーターやりましょう。
ごめんなさいごめんなさい。
マダラさんにもごめんなさい。
フェスですね。
8個目がリトリートセンターを開業したい。
リトリートセンターの開業
リトリートセンター。
説明が必要です。
すみません。
リトリートって言うと、
非日常の場所を作るって感じですかね。
シェルターとは違うんですか。
リトリートって僕最初思ったのが、戦争の撤退とかをリトリートっていうんで。
そういう意味ではないんですね。
リトリートってヨガ演奏界隈で使われる言葉なんですけど、
自分を扱い直すっていうか捉え直すっていうのはわからないけど。
リトリートか。
リトリート。
捉え直す。
リトリートって結構広いんで、その意味が。
藤井さんに登るのもリトリートっていう人もいるし、
藤井さん見に行って、
気分が入れ替えっていうか、
ほっこりっていうか、はーって落ち着いた気持ちになろうっていうのもリトリートっていう人もいるし、
それこそサウナとか、そういうのもリトリートっていう人もいるし、
整ったってやつですね。
整ったってやつ。そういうのもあるんですけど、
俺が考えてるのは、実家が結構田舎にあるんで、
都会では流れないような時間を味わってもらうための施設みたいなのを、
施設っていうか、ゲストハウス兼リトリート、ヨガとか、
ヨガは瞑想が入ってくるんですけど、
ヨガは瞑想だったり、そういうのをやる場として、
自分の実家とかそういうところを活用できたらなーみたいなのを思ったりはしたんですよね。
自分の実家、畑も持ってるんで、
畑、週末畑作業をして、
平日は仕事に帰るみたいな。
いいですねー、なるほど。
そう、いいなーと思って。
リトリートセンターでしたっけ?
そう、リトリートセンター。
おー、はいはいはい。
作ってほしい。
そっち方面に行くときに寄らせてほしい。
そうですよね、そういうのがあればいいかなーって思ったんですよね。
しゅうさんの家が渋になるわけですね、今まで。
渋?うちが渋?
そうですね。
リトリート、あーそうそう。
宮崎渋。
僕のとこも結構いいんですけどね。
まあまあ賃貸だけど。
最近あんま誰も来てくれないんですよねー。
そうだね。
川でヨータスみたいなのがデコになってるからちょっと。
そこがあれなのか、ネックなのか。
そこは僕の中で最大のメリットなんだけどなー。
え、8番目でしたっけ今のが?
そう、8番目でした。
あー、残り2つ。
インドネシアの世界遺産と自己肯定感
で、9番目がまた旅行先なんですけど、
インドネシアに行きたいなーって。
インドネシア?今度は国なんですか?
インドネシアの、そうそう国なんですけど、
インドネシア、それこそまた世界遺産なんですけど、
世界遺産でインドネシアの棚田の水利システムみたいなのがあるんですよね。
それが、その回が行きたいなーと思った回だったんですよ。
番組でやってたんですけど、DBSの世界遺産で。
ちょうど深津恵里さんがナレーションしてる時代だったんですけど、
あーいいなーと思って、
深津恵里さんが好きってこと?
深津恵里さん好きです、俺。
いやいや、僕も好きだけど。
だから行きたくなったってこと?
合わせ技です。合わせ技一本みたいな。
じゃあ、深津恵里会いたいもん?
深津恵里会いたいっすね。
会いたいは会いたいです。
か10番目か10番目ってことですね。
1個増えましたね。
10番目は、10番目なんでこれを書いてるかわからないんですけど、
学校を作っちゃうみたいな。
学校って広いな、でも。
なんか普通のじゃなさそうって勝手に思った。
私塾みたいな感じ?
私塾みたいな感じです。
もうちょっと欲しいな。
どんな、どんなんだろう。
どんなって言うと、
難しいんですけど、
一つは、今マザースエデュケーションっていう、
マザースエデュケーション?
マザースエデュケーション、
カウンセリングとかを学んでる、
松木忠さんっていう方が主催されてる団体が、
マザースエデュケーションっていう団体なんですけど、
そこで、わりと自己肯定感を高めるための教育っていうのを、
松木さんが、
それは、学校ではないんですけど、
キャンプっていう形で夏休みとかでやってたりとか、
あとは松木さん自身も学校現場に入って、
学級崩壊のクラスを立て直したりとかしてるんですけど、
そういうことにたまに手伝ったり関わったりしてるんで、
ベースはそういう自己肯定感を育めるような、
学びは押し付けられるんじゃなくて、
自分が学びたいと思うものを学べるみたいなところがあればいいなっていうのが一つと、
あと、結構友達に教員になったやつが多いんですけど、
今、アクティブラーニングっていうのが流行り。
アクティブラーニング。
アクティブラーニングとか、あとディスカッションみたいな、
ディベートとか、そういうのが教育の現場で流行っていると。
アクティブラーニングってのはどういうやつなんですか?
ディベートと似てるんですか?
アクティブラーニングは、やっぱり生徒とか学生自身が学びたいと思うものを学んで、
教員はサポートをする。
学ぶためのサポートをする。
自主的に的な。
自主的に。確かそうだと思うんですけど。
ディベートとかも基本的に自分の主体的な意見を持って、
自分の意見を表明したりとか、
あと相手の意見を尊重したりしながら、
問題の解決をするための力を養っていくみたいなのが、
学校の教育現場で主流になってきていると。
方向性としては、さっき言ったマザーアースで、
松木さんが言っているような方向ではあるんですね。
松木さんも何十年も前からそれをやってきているんですけど、
ただ、学校現場ってなると、
どうしてもやっぱり国の学習指導要領っていうのがあって、
アクティブラーニングとは言いつつ、
ある程度の範囲というか的というか、
的は用意されているんですよ。
その的に入っていたらOKだけど、
的が外れたらダメみたいな感じになっちゃうんで。
さっきちょっと戦争とか、
政治経済とかの話をしたじゃないですか。
日本でそういう議論をするとなると、
タブーとか、これはダメっていう意見がよくありますよね。
それを取っ払って議論できるような場があればいいなと思ったりはして、
どっちが良い悪いではなく。
どっちが良い悪いもちょっと語弊があるんですけどね。
自己肯定感を高める教育とアクティブラーニング
その範囲がいっぱいあるんで。
そうそう。
答えは出ないんですけど。
的があって、
入っていたらOKだけど入っていなきゃダメっていうのを、
大人が決めちゃうっていうと、
もうつまんないじゃないですか、その時点で。
割とまず学習指導要領の改定があるんで、
何年かに1回改定していくんで、
改定される前に国立の付属の小中学校とかは、
試験的にやるんですよ、そういう新しい要素の。
試験をするんですね。
ただまあいいんですけど、
そういう国立の実験をやるような小学校とかって、
頭の良い子が行くんですよ、基本的に。
例えば、筑波大付属小間場とか、地区小間とか、
地方でも結構地方の国立大学の付属の小中学校とかってあると思うんですけど、
受験があるんですか?
受験があるし、
地方で言えば割と国立の学校ってことで人気だし、
頭の良い子が行くんですよ。
そこで自由にやっていいよって言われても、
的があると、答えがあるというか正解があると、
頭の良い子は絶対そこにしか行かないじゃないですか。
だって外れたら評価が下がる。
そこで実験をやって、これはいいってなって、
また末端に下ろしていくと、
失敗しますよね。
よかったら理解、頭の良い子が外れないためにやったことを下に下ろしたらできないし、
そもそも的を用意するのおかしいし、アクティブラーニング。
答えのない問いに対して答えを用意してるってことなんで、
本当は答えは出ないから、
出ない中でどう折り合いをつけていくかっていう。
もしかしたらどっちかが勝ってどっちかが負けてしまうようなことになってしまうんだけど、
お互いが欲しいものを会話の中に定めて、
例えば交渉学で出てくる、
交渉の学問ってことですか?
交渉学の例えて出てくるのは、子供がみかんを取り合いしてると。
お姉ちゃんと弟がみかん欲しいって1個しかないみかんを取り合いしてて、
お姉ちゃんはみかんを食べたい。
弟は実はみかんの皮で遊びたい。
だけどそれはお互い言ってなくて、みかんが欲しいって取り合ってる。
だけどよくよく聞いてみたら、弟は皮なのね。
お姉ちゃんはみかんの実なのね。
じゃあどっちもウィンウィンっていうか、
どっちも勝ち負けなくできるよねみたいなのがあるんですけど。
そういうのをやっていかなきゃいけない。
国際社会というか、一般社会の中でも、
一見争ってるようでも、
実は他のものが欲しくて話し合ったら折り合えるじゃんみたいなことを、
やっていかなきゃいけない中で、
倫理的な企業活動とESG
正解を作り出すしかないじゃないですか、ある意味。
答えのないところに向かっていかなきゃいけない学習を導入しようって言ってるのに、
答えが定められてたら、そこでもうバグってるじゃんみたいな。
そういうタブーではないけど、
そういうのが考えられるようなバグがあったらいいなと思ってはいるんですけどね。
今のみかんの皮と実の事例ってビジネス界では結構出る例え話で、
これはオレンジのことがあるかな。
要は2つの企業があって、両方ともオレンジが欲しいと。
片方だけに下ろしちゃうと、
実はこっちはみかんの実でジュースを作るんだ。皮は捨てるんだ。
もう片方の企業はママリエで作るから皮だけ欲しいんだ。
売る側の農家はそれが分かってれば、分けて売ることができるんですけど、
ズル賢い企業だと、みかんの実が欲しいと、
ビジネス界でよく言うのは、みかんの実をまるごと買って皮を売る企業は賢いんだと言うんですけど、
これがたぶん一昔前の考え方で、僕も突っ込んだんですけど、
でもそれと農家が本来得られずの収入を、
みかんの実を買って皮を売る企業は賢いんだと言うんですけど、
みかんの実を買って皮を売る企業は賢いんだと言うんですけど、
これがたぶん一昔前の考え方で、
僕も突っ込んだんですけど、
でもそれと農家が本来得られずの収入を失ってるんだから、
それを農家にとっては損してるんだから、
農家の利益を最大化させたほうがいいんじゃないですか、
みたいなことが、たぶん今のESGの文脈でできてるような考え方なんですね。
一時生産者に、ESGって言うんですけど、倫理的な企業活動ってことで。
倫理的な企業活動ですね。
一時生産者である農家にできるだけ多くの利益を渡すような工夫をしないと、
農家が立ち行かなくなるから、それを目指したほうがいいんじゃないか。
最後の学校を作りたいと思う理由
ちょっと話が逸れちゃいましたけど。
とにかく、しらさんが最終的な社会でやっていくために、
みたいなところにつながっていったと思うんですけど、
とにかく自分がどうあるものかっていうのを見つめ直すのに、
学校の問題には生徒とか枠組みの中に当てはめるようなものはないはずなのに、
それを求められちゃうというような構造があるから、
それを補完するものとして何か場所を作りたいというのが、
最後の学校を作りたいという言葉に込まれているのかなと思うんですよね。
そうですね。
それこそ使い崩されていくとメタ認知ができるようになるとか。
あとは、しらさんのお話聞いてと思い出したの。
これもポッドキャストなんですけど、
ときましさん聞いていらっしゃいます?
僕はちょいちょいですけど。
ちょいちょい。
結構最近だと思うんですけど、今探したけど何か引っかからなくて。
最近あんまり聞けてないかもな。
月曜トッキンマッシュのほうですか?
え、じゃなくて、墓場のラジオのほうなんですけど。
墓場のほう、はいはい。
どこだったかな。
ちょっとごめんなさい。どの回かちょっと忘れない。
あれだったら後でシェアしておこうと思うんですけど、
才能に関する話をしてる回があって、
才能、はい。
パーソナリティの渋ちゃんが昔から、
絵を描くのがすごい上手い人というのがあるんですけど、
でも喧騒半分、本気半分だとは思うんですけど、
自分の絵はそこまでめちゃくちゃ上手いもんじゃないと。
ただ、描き続けることをやってこれたからここまで描けるようになったんだと、
常々言ってるんですよね。
で、その中で子供の頃のエピソードですごい面白いこと言ってるのは、
子供のときに絵を描くの好きだったんですけど、
どういう絵を描いてたかっていうと、
家の中、円画家どっかに座ってて、
絵を覗いて空を見てたらしいんですね。
窓を通して空を見てたと。
窓を通して空を見てた。
その窓の絵ばっかり描いてた。
当然、空が描かれてるんで、雲の形が描くことに違うんですよね。
で、これ多分大人が一般的に見ると、
この子がすごい絵を描くのが好きなんだなっていうような解釈をすると思うんですけど、
もしかしたらこれ見方によっては、絵を描くのも当然好きだけど、
同じ場所から見た空気がどんどん移り変わっていくのっていうことを、
変化することを観察して落とし込むのが好きなんじゃないかみたいな見方もできるわけですよね。
実際にそこに才能があるんだったら、絵を描く才能じゃなくて全然違う文章でもいいし、
例えば、これ番組では言ってなかったと思うんですけど、
サイエンス系でデータを常に取り続けるような仕事とか向いてるかもしれないしみたいなことで、
いろいろ才能の方向っていうのは発展できるものかもしれない。
絵が好きなんだっていうような、平面的な捉え方されてデッサン教室に変えなさいとか、
海外教室に変えなさいってことだったら成功しないかもしれないしみたいな。
当然だけど子どもって自分が何を好きかとか、
自分がどういうことが自分の能力を活かせるかとかっていうのを、
そんな上手く言語化できないし、でも大人もやっぱりある程度枠組みの中で、
理解してこういうもんだっていうふうに決めつけちゃうんですけど、
しらさんが言ってたのは、個人ごとの枠組みっていうものを見出すような、
自己問答とか自分への問いかけみたいな場所を作る場所、
そういうことをできる場所が必要だと思ってるから、
子どもたちも含めて提供したいなという思いがあるんじゃないかなと思ったんですけど、
つまり自己実現をどうやってやるかっていう。
子どもたちへの提供
そうですね。自己実現をどうやってやるかっていうのと、
あとは自分の幸せは自分で決めるしかないので、
やっぱり自分で決めるしかないので。
だから、なんだろうな。
今、自分の息子が6歳でいるんですけど、
やっぱり自分の親にも大学に 貸してもらったりとかしてるんで、
自分の息子もやっぱりそういう、 学びたいって言うんだったら、
学べるような、良い金額的なところも含めて しなきゃいけないなとは思ってるんですけど、
ただ一方で、なんだろう。
木こりっていうか、林業。
木を切る仕事、山で。
なんで木こりが出てきたか、あれなんですけど。
急に出てきたなって思って。
象徴的な意味で木こりって言う。
次回へ続く。