個人的なクリスマスの過ごし方
もうすぐ、クリスマスイブなんらしいっすよ。
あー、明日だっけ?
明日らしい、明日らしい。
何するんすか?
ビーモンスターかな?
違う違う違う違う違う違う。
それは、もうあれでしょ?
もう、毎週やってることでしょ?
うん、そうそうそう。この時にはもう毎週行ってますね。
もうバキバキなってる予定でしょ?
もうバキバキになってますね。
予定でしょ?
うん。
それでいいの?それでいいの?
いや、いいでしょ。いや、3月に、フルマラソン走るんですよ。
はいはいはいはい。
で、6時間半以内にね、ゴールしなきゃ足切りされちゃうの。
で、ゴールには、イケメンがね、タキシードでね、ティファニーを持って待ってるの。
ほうほうほう。
だから、どうしてもゴールしたい。
だから、そう、クリスマスはビーモンスター。
クリスマスよりもそっち、イケメンのティファニーの方が優先ってことね。
そう。
ストイックな。
うん。
じゃあ、今年のクリスマスはストイックなマーチンさんということで。
アート教育の重要性
あ、そうです。
はい。
はい。どうですか?こんな、こんな過ごし方どうですか?ヨシエさん。
日本作家としてこんな過ごし方どうでしょうか?
どうですか?どうですか?
人それぞれでいいと思います。
はい、ありがとうございます。
というわけで、今回、安全感に引き続きヨシエさんとお送りしていきます。
よろしくお願いします。
お願いします。
せーの。
ぽんやすきラジオ。
こんにちは、マーチンです。
ティッシーです。
ぽんやすきラジオ始まりました。
この配信は東京公園寺にある銭湯、小杉井を拠点に本と本屋の魅力をゆるりと話していくトーク番組です。
というわけで、今回ヨシエさんと一緒にお送りしていくのはこの企画。
アート教育についてゆるーく話したい。
はい、今回はですね、本作家のヨシエさんとともに、
子どものためのアート教育についてゆるーくお話ししていきたいと思います。
よろしくお願いします。
そして今回ですね、どうしても話がしたいということで、
進行をゆうすけさんにしていただきたいと思います。
はい、どうしても話がしたくて来ました。
よろしくお願いします。
これ皆さんって、子どもの頃習い事とかしてたことってありますか?
私は運動系が多かったですね。
運動?
睡眠とか、あと習字。
習字ね。
やってましたね。
キッシーさんはありますか?
僕ね、ソロバン。
あ、ソロバンね。
ちょっと世代がバレそうだけどソロバン。
最近の子多分もうあんまやってないんですかね。
確かに聞かないっちゃ聞かないですよね。
だけかな。野球やってたんですけど、1週間で辞めちゃったんで。
俺もですよ。
朝起きれなくて野球はね、行けなかったんですよね。
監督厳しくて辞めちゃった。
いや、わかります。
よしえさんはありますか?
私はピアノと、あと水泳やってました。
水泳多いんですね。
僕結構、自分やってたことが珍しがられるんですけど、
リトミックってわかりますか?
ああ、音楽の。
リトミックをやってて、リズム感だけいいんですよ実は僕。
おらやましい。
今の世代わかんないな。
ビートマニアって言ってもわかんないですね。
ビートマニアですね、ビートマニア。
ポップミュージックとか。
太鼓の達人は違います。
太鼓の達人、マジで初見でめちゃめちゃ上手いですよね。
リズム感だけすごいよくて、何でこんなにリズム感いいんだろうと思ったら、
リトミックやってたからだなってずっと思ってるんですよ。
よしえさんが今ちょっとアート教育っていうことに携わってると言っていいんですかね?
っていうのがあって、僕にもメイとか老いがいるんですけど、
子供の頃にこういうことをさせておいた方がいいっていうのはちょっと大げさかもしれないんですけど、
どういう影響があるんだろうとか、これがどういう風に繋がっていくんだろうっていうのは結構ずっと考えていて、
それに関してちょっとお話ししてみたいなっていうのがちょっとあったんですけど、
いわゆるよしえさんが今やってるアート教育っていうのは普段どういったことをされてたりするんですか?
そうですね。私は今空想絵本屋の活動とは別に、都内で認可外保育園でアート教育の編成をしてるんですけど、
毎日それをするっていうよりは、プロのアーティストさんと組んでやってるような感じなので、
月に2回やってるんですけど、例えば一面の保育園の壁にいつも真っ白だけど、そこにもうペンキで塗っちゃうとか、
本屋とアート教育の接点
あとは、卒園の時に花を送るっていうので、みんなお祝いの時とかありがとうの気持ちを伝えるために花を送ったりするじゃないですか、人類は。
なので、花を送るっていうことを突き詰めて、何百年の前の人間も花を送ってたんだよって洞窟の絵とかを見せながら、
そんな話をして、なんで花を送るんだろうねってところから、例えば花言葉っていうのがあってねって話をしたりとか、
花には咲く季節があるよねって話をしたりとか、花についてとか、花を送るっていうことについてちょっとミニワークショップをしてから、
今度は保護者の方に、お母さんお父さんに送る花を子どもたちが自分で考えて作るっていうことをやったりします。
それが一例だけなんですけど、そういったことをしています。
なんかあれですよね、僕とか、せなくてもここにいる世代って、ある意味教育っていうと、一個の正解はこれですっていうのを、
これが正解だからっていうようなことを教え込まれたっていう言い方をすると、角を立っちゃうかもしれないんですけど、
アート教育自体って、僕もちょっと演劇とかそういうのやってるから分かるんですけど、いわゆる正解がないじゃないですか。
たとえば、太宰治の人間失格とか、そういうのを読んだときに、よく国語の回答で、この登場人物はどういうことを思いましたかみたいな感じで、
×つけられたときに、いやなんでそれが×なんだよって思ってたときだって。
思ってた。
そうでしょ。
めっちゃ思ってた。
なんでそれが分かるんだろうっていう感じがしたし、そういういわゆる読解ってたくさんできると思うんですけど、
読解のいわゆる一つの正解をすごく押し込まれたみたいな記憶があるんですけど、
アート教育自体ってそんなに正解がなくて、自分で選んでることが結構大切なのかなっていう風に。
そうですね。それで自分で出した答えに誇っていいんだよというか、自信を持ってもらうようにやってる感じですかね。
そうすると、今昨今流行っている自己肯定感と付き合いそうな感じが増加してるんで、
アート教育ってそんなに携わってる人いないなっていうのもあるので、
身近なところで言うと、僕の周りで子供が生まれたから急いで絵本をこしらえましたっていう人がいらっしゃって、
要はお家に絵本が全然ないから、子供が生まれて、なんかこれ何か絵本与えなきゃいけないんじゃないのって急いで本屋さんに行きましたっていうことがいらっしゃってですね、
なんかそういう大人側というか僕らぐらいのレンジの人たちもある一定の多分知識というか知見というかなんかないと、
この正解のない不安定な世の中を生き抜いていけないんですよね。
相談になったらWECMしたみたいな。
マーチンさんとかそう思わないですか?
めっちゃ思いますね。
本当に最近身近にアシスタントラッシュで贈り物として絵本を考えたりとか、
アート教育ってほど私発想なかったんですけど、
そういうのなんか遊べたり刺激になったらいいなとは思ったりするんで、知っておきたいところではありますね。
絵本ほどやっぱり何度も繰り返し読めて、かつこう説明が少ないじゃないですか。
いや変なちょっとこれあれかもしれないけど、なんでこうなったんだみたいなやつがあるじゃないですか。
でも多分そこにこういろんな解釈が自分の中に入るから、子供がどこにもその文章書いてないよっていうことを言ったりするじゃないですか。
なんかそういうのがちょっと怖い一面もあるんですけど、うちの子大丈夫かしらと思う瞬間もあるかもしれないんですけど、
でもなんかそういうことが大事なのかなっていうふうに思ったりしてて、
そういうのとちょっとさっき言ったその絵本を越しられるじゃないですけど、
なんか本屋さんに行くこととそれは僕は似てるような気がしてて、
なんか本屋さんとそういうアート教育っていうとちょっと大げさかもしれないんですけど、
なんかそういう接点をちょっと探ってみたいなと思うんではいるんですけれども、
なんかあります?
本屋さんとの接点か。
なんか僕はさっき吉井さんが教えてくれた花を選んだり送ったりするっていうことを自分で選んでいくことじゃないですか。
僕ちょうど昨日文局ねずにあるオーライド書店にちょっと行ってきたんですけど、
本屋での気づき
親子連れの子連れのお父さんがいて、子供が自動書というよりも付録が入ってる、おもちゃが入ってそうな仲良しじゃないですけど、
なんかそういうのを選んでて自分の欲しい本を持っていくんですけど、
お父さんがその本はいらないよっていうシーンを見たときに、
子供が一つ選択しているっていう意味ではすごいさっきのお話と近いなっていう感じがしていて、
なんかそういう意味で本屋さんを子供に連れて行くの楽しいなって思うことがあるんですけど、
さっき前の回で本を送るっていうのが難しいと思ったんですけど、
一緒に行くっていうのはそういう観点では?
でもやってみたいなぁと思いますね。
絵本のコーナーもそうだし、
大阪とかで絵本だけの本屋さんってあるので、
カヨーハウスさんとかね。
あとポテトさんとかがあって、
あそこだとパッて入ったら全部好きなもの。
どれも絵本なんで、どういうのを選ぶのかなぁみたいなのは、
名義でも思うので、
自分の子供だったらすごい楽しいなっていうのは思ったりするんですけどね。
連れてってこれに興味ひくんだっていう発見も面白いですよね。
そうなんですよね。
ふむふむ社のこの間の記事であった本屋デートの話に近いのかもしれないですね。
そうですね。
アート教育の可能性
りしえさんの中ではアート教育に携わっているって中で、
可能性に気づくみたいなこととかって、
あんま気にしない方がいいんですかね?
へぇー。
というよりも、私誰でも誰しもが可能性しかないと思っているので。
へぇー。
そうです。誰しもがです。
どういうことですか?
誰でも可能性があるし才能があると思っていて、
それに制限をかけるのはいつも大人だなって思うんですよね。
さっきの対象年齢の高い低いの絵本だったりとかもそうだし、
それをハードルを勝手に作ってしまうのは大人側だなってすごく思っていて、
そのハードルがなければどれだけも上に行けるような子供たくさんいて、
この子はここの部分がバカ的に上手くいくとか、
この子はこの部分は上手くいかないかもしれないけど、
この部分はすごく興味があって集中ができるとか、
それぞれに持っているもので、
誰しも可能性しかないって思っている感じですね。
なんかその中ですごい僕は、
どうリアクションしてあげたらいいのかがちょっと困るんですよ。
リアクション?
要は感情教育じゃないですけど、
子供とか小さい子たちが想像物とかあるじゃないですか、
それをどう反応してあげていいのかがすごい困るというか、
この悩みが俺特有なものだったら大変申し訳ないんですけど。
でもわかりますわかります。
子供が作るものじゃなくても何かやってほしいとか、
一緒に絵を描こうとかってやってるとか、
ああいうのにどう乗っていったらいいかみたいなのは結構迷うときはあるよね。
そうなんですよね。
ユシエさんは上手そうな感じですか?
そんなことないと思いますけど、
どう乗っていったらいいか。
なんか難しいな。
自分の感性があるじゃないですか。
そのフィルターを通すと、
子供とたぶん1個線引いてるじゃないですけど、
っていうのもあるし、
この子は自由な発想で描いてるけど、
なんか要は自分の持ってるフレームの中に落とし目ちゃうんじゃないかっていうことも考えたり。
多分その中で大きいのはさっき雑談で話した、
僕が絵描くのすごい下手だって話したじゃないですか。
でも子供の頃ってめちゃめちゃ楽しそうに絵描いてたじゃないですか。
でもいつから俺はこんなに絵を描くことが苦痛になったんだろうって思っちゃいますよね。
だからこそ多分僕は結構アート教育って、
そういう思いはさせたくないなって思いもありつつ、
たぶんどこかで何かがあれしたんでしょうね。
どこかで何かがあれしたんでしょうね。
でもそんなことないですか?絵描くの大好きですか?
私小学生の時絵描くの好きだった方だったんですけど、
小学校って単人の先生が全教科見るじゃないですか。
なので単人の先生が美術も見てたんですね。
その先生の好みじゃなかったんですよ、私の描く絵が。
だからその先生が上手いと思う絵、
その先生が上手いと思わない絵があって、
私は上手いと思われない絵だったんですね。
その先生がお休みで別の先生がクラスに来て、
美術の授業があった時にめっちゃ褒められて、
どういうこと?ってなるのがあって、
それから絵を描くことに対して結構うってなるようになりましたね。
先生もそうですし、学校の中に、さっき言った箱だから、
その中でどうしても子供たちで誰が上手い下手みたいな話をしがちで、
子供たちの表現
僕なんかもやっぱり上手くないって、
その中の上手くない方だなっていうのにずっと来てたので、
どうしてもやっぱり苦手なんだな僕ってみたいなところで、
それで実際苦手だし、さっき椅子が入ってたのと同じで、
絵描こうよって言われて、去年も描こうとしたんですけど、
めっちゃ目は描いてるけど、描けねえってなったんですよね。
自由に描いてよってことで、え?みたいな感じでなっちゃって、
それって多分そこでもうストッパーみたいなのができちゃったりしてるんだろうなっていうのは思いましたね。
なんか俺不思議だなってずっと思ってるんですけどね。
ユシエさんそんなことないですか?あんまり絵描くの昔から大好き。
うん、好きでした。
今の話って絵を上手く描くっていう話になってたかなと思うんですけど、
多分アート教育って少しちょっと違くて、
どちらかというとそれぞれの考えとか気持ちとか答えがあるっていうような導き方の教育で、
なんか上手く絵を描くようになるっていう教育がコンセプトじゃない気がします。
そもそもが違うんだ。
でも私、絵を描ける人いいなって思うことの理由の一個が、
表現する術を持っているっていうところに羨ましさを持ってるんですよ。
感情だったり、何かを表現するときって言葉とか文章とかの他に、
絵で見せれるというか、外に出せるっていうのにすごい羨ましさを感じてて、
それは私はちょっとできないと思っちゃってるんで。
多分それは小さい時の体験が結構大きい気もするんですけど。
なんか私、絵本屋に勤める前に子供向けのワークショップを開発しているNPO法人にいたんですけど、
そこは結構未就学人も対象ではあるんですけど、
メインは小学生、中学生くらいで、その子たち向けに年間何百人ってあって一期一会なんですけど、ワークショップをしたんですね。
その時に感じたのが、最初のアイスブレイクの時とかにちょっとしたアイディアを出してもらったりとかするんですけど、
すらすらポストイットを何枚も描ける子もいれば、
もう1ミリも描けなくて、全然違う質問をしてみたり、
今日何食べた?っていうことだけでも全然何答えたらいいかわからない、正解がわからないっていうような子どもいて、
そのパターンがすごいきっぱり分かれるなって思ったんですよね。
その段階が小学生だったから、きっとここに分かれるまでにはその前の段階で何かあるんだろうなって思って、
未就学時の教育にちょっと興味を持ち始めたんですけど。
もちろん学校の教育が影響してるかもしれないんですけど、
今の保育園の子どもたちを見ると、やっぱりみんなちゃんと自分の考えとかに誇りを持っていて、
間違えてもすごい堂々としてたりとか、
アートプログラムの中での発表とかもすごく自信を持って話したりしてるのを見ると、
この辺りに答えというかヒントがありそうだなと思って、
まだ私自身もこれが答えだとか、これがエビデンスだとかは思ってなくて、日々探り探りなんですけど、
日々のやりとりだったりとか、子どもが答えを得た時に、
それ違うよとか、それはありえないよとか言うじゃなくて、
それを受け止めてあげる。それもいいねとか、いいアイディアだよねって言ってあげたりとか、
あなたの考えはこうだけど、私はこう思うとかでもいいと思うんですけど、
受け止めてあげることのやりとりを日々重ねることによって、また違ってくるのかなとか、
今私も勉強中だなって思ってるんですけど、何かそこにヒントがあるんじゃないかなって思っています。
確かに今話でハッとしたのは、いつから上手く書こうって思っちゃったんですかね。
確かにね。それは。
そうなんですよね。
不思議だな。
人から評価されるのを覚えた時に、恥ずかしさを覚えてやらなくなったなって思います。
私はそれが大体小学校の4年生とかでした。
小学校4年生くらいまでは結構おてんばで、今もおてんばかもしれないけど、戻ったかな。
その時に、そんな感じだったんですけど、5年生になる時に、
アート教育の重要性
足が速くて頭のいい友達が周りにいて、比較するようになったんですよ。
なるほど。
比較すると自分が劣ってるって思うから恥ずかしいって思うようになって、やらないって選択をするようになったんですね、私の場合は。
もう勝負しないってことですね。
やらないって。
みたいな感じになったんで、そこら辺で絵とかのやつもその辺でしたね。
私が先生からの上手い下手って言われてても気にしてなかった時に、気になるようになったりとかしてたのはそのくらいでしたね。
2歳だったら10歳とかかな。
それで言うと、今のアート教育では隣の子の絵を見ないとか、誰かと比べないってことを大事にしていて、
最後に発表の時間とかを作れるときも作ってるんですけど、
その時もダイダちゃん、こういうとこがいいよねとかっていう、いいとこ探したりとか、そういう方向に持って行ったりはしてますかね。
互いを認め合うような感じで。
描いてる時は隣のダイダちゃんの絵を見たりとかはしないで、自分のところに集中するような環境作りですね。
描く場所が狭いと見たりとかしちゃうから、ちょっと話したりとか、あと時間を分けたりとか工夫をして、
その子が絵とか作るものに没頭ができるような環境を作ってやってるのはあります。
すごい配慮されてるというか。
確かに描いてる最中に他の人見ちゃうな。
探っちゃうみたいなのがあるよね。
なるべく隣の子を見ないように、自分の中で比べちゃわないようにっていうことは大事にしてるんですけど、
このまま育ってくれたらいいなって思ってますけどね。
いずれは多分きっと来るじゃないですか、そういう段階がきっとね。
なんかあれですよね、大学生ぐらいになってエントリーシートの模範回答を参考書から移しちゃうのとすっごい似てるなって思って。
多分そこに行き着かないようなのが、ちょっとこの源流が自分だけの回答とか、
自分が選んでるようなことをちゃんと言えるような、多分環境って言っちゃえば簡単なのかもしれないですけど、
そういう土壌が育ってるのかっていうのは、なんか20年後ぐらいに真っ白になっちゃうかもしれない。
そうなんですよね。
そうそうそう、ってのは勝手に思ったりしてましたね。
というわけでヨシエさんとお話ししてきましたが、いかがでしたでしょうか。
自由な表現を促す
以上、アート教育についてゆるーく話したい!のコーナーでした。
本屋スキーラジオ。
はい、というわけでエンディングになりますが、
ヨシエさん、2週続けていかがでしたですか。
すごい緊張したんですけど、話してて、今回の最初に言った、みんな人それぞれでいいっていうふうに思いました。
おー、認めてもらえた感があって。
嬉しいですね。
まあでもこの話については多分ね、僕はもっと学んでいきたいなと思う。
それというか、本当にいつ間違えたんだろうっていうか、間違えてはないかもしれないんだけど、
すっごいね、これだけ気になってるんですよね。
なので今日ヨシエさんとお話できて、僕はすごい楽しかったです。
チシさんどうでしたか。
そうですね、僕もアート教育とか、絵描くの苦手なんですけど、描くのは嫌いじゃないみたいな自分もあったりして、
アートも好きなので、その辺の嫌いを取り除きたいなと思ったりしてたので、
そういうののヒントにさせてもらえるかなという感じで楽しかったですね。
アチさんどうでした。
はい、私は、そうですね、どこでこうなったんだろうって。
謎をためる会になっちゃいましたね。
ちびっこ見てると伸び伸びしてるんですよ、やっぱり。小さければ小さいほど。
うらやましいですよね。
そう、うらやましい。純粋っていう感じ。
小すぎるの前でさ。
そうそう、けんけんぱしたりさ。
嘘とか、チョークでね。
爆死。
描いたりとか、うらやましいもんね。
うらやましい。あんな伸び伸び、いろんなことを表現できるのいいなってやっぱり思うんで、
そういうのの、自分もそうになりたいし、
そういう人が増えたらもっと楽しいだろうなって思うので、
アート教育もちょっと知っていきたい分野ですね。今回初めて知ったけど。
子供から教わることも多いだろうなとはすごく思う感じですよね。
はい、ありがとうございます。
それでは本屋スキーラジオ、お相手はマーチンと、
キッシーと、
ゆうすけと、
ヨシエでした。
あー、アート教育知りたーい。