1. 1年後の自分を楽にするラジオ
  2. イケハヤとの馴れ初めを語る
2020-12-18 29:12

イケハヤとの馴れ初めを語る

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00:00
みなさんこんにちは、瀬戸内海でマックブックカタカタしながら暮らしてるしゅうへいです。今日もカタカタやってますか?ということで、また朝の更新ができておりますね。
おかげさまでカフェイン立ちが続いておりまして、もう何日?10日ぐらい経ったのかな?昨日ツイートするの忘れてたな。
カフェイン立ちができてて、昨日は本当に小民家のゴミ出しもですね、軽トラを出してマニュアル運転でね、こう2回ぐらいエンストしましたけど。
ちょっとね、まだね慣れてない時があったの。ハンクラの感覚がね、なんかね、掴めてなくてね。まあ全然事故なくね、ゴミを出して日常をね、過ごしておりますわ。
まあね、あの年末ですがね、コツコツやっていくしかないなということで、今日もね、みなさんカタカタやっていきましょう。
で、今日はですね、まあ息抜きがてら、まあ金曜日だし、あのー、まあたまには息抜きということで、まあイケハヤさんとの馴れ初めっていうのをね、まあ改めて語ってみようかなと思います。
まあ、あのボイシーとか、ポッドキャスターとか、あとはね、YouTubeとかでも活躍している、まあTwitterのフォロワーで言うともうね、30万人近くですよね。
えー、まあ、ほんと各プラットフォームでインフルエンサーをね、やって、もうインフルエンサー歴で言うとほんと10年超えているイケハヤさんですが、あのー、結構ね、やっぱ、僕ももう、まあある意味この発信が3年ぐらいになってきたら、
イケハヤさんとどう出会ったかっていうのはあんま知らない人が多いんですよ。で、あのー、まあ、もしかしたらこれを聞いてる人でイケハヤさんと仲良くなりたいなとか、なんか僕もイケハヤさんに紹介されるようになってみたいとかってね、思ってる人もいるかもしれませんので、
ほんとに無名からどういう風にイケハヤさんと一緒に仕事をするようになって、まあよくね、ラジオとかで名前出してもらったりとかさ、まあ今ほんとにこう、まあなんだろうな、もう嬉しいことにたまに右腕と言われるようなね、
感じになってきましたね、たまに。まあもちろん僕も全然まだね、実力が追いついてないっていうか、あのー、やっぱ遠い存在だなと思いながら背中を見てる時もあるんですが、
まあなんかほんと、孔子ともにかな、うん、かな、結構仲良い方だとは思ってます。僕は、あのー、一方的に友達だと思ってますけど、まあ友達っていうかなんかお兄ちゃんみたいな感じですけどね、もうね、
あのー、コーチ市内とかに一緒に行った時に、僕はもう最近もう全然遠慮せずにですね、財布を一切出さないというね、もう全然気にしてない。もう1ミリも出す気がないと本人の前で言いましたからね。
そのイケハヤさんの娘さんとね、長女の娘さんとイケハヤさんと僕で3人でラーメン食ってる時に、うん、あのー、ああ、ここは僕が出しますからとか言ってて、いや、もう心の中で当たり前だろうと思いながら、僕1ミリも出す気ないですからとか言いながらね、面白いですねみたいなこと言ってたけど、
まあそんな感じで、まあね、仲良くやらせてもらってるんですけど、実は全然こんなことなかったんですよ。えーと、もうほんと遡れば2017年の7月に僕はね、初めて会いましたね。
7月1日だったと思うんですけどね。で、そこで初めて会うっていうことはどういうふうにあったかというと、イケハヤランドっていうのはコーチにあってですね、
そこにイケハヤさんがいるということで、僕は突撃したということです。そう、なのでそれまでは全く面識もないし、あのー、なんだろう、僕はTwitterもね、ちゃんとやってなかったんですよ。
03:07
だから、あのね、なんかイケハヤさんは結構ね、ツイートで、あのー、今日はこう、イケハヤランドで作業してます、なんかその時あの小屋を作ってたんですね、DIY、えー、やってますみたいなことやって、
なんか、あのー、近くまで来た人がいれば、まあなんかあのメンションなんかしてくださいみたいな、今だったらわかるんですよ、メンション、DM、わかるわかる、わかる、メンションとDMの違いはわかるんだけど、当時はほんとによくわかってなくてですね、
これでどれを連絡したらいいんだろうなとかよくわからなかったんですよ、よくそれをよくわかってなかったのを覚えてますね。で、じゃあなんでそのイケハヤランドに突撃したのかというとですね、ちょっとまた戻るんですけど、
あのー、僕は2017年の5月に父親が亡くなってですね、それからなんかこう、自分の人生、まあある意味考えたというか、何しようかなってなったわけですね。で、僕ね、ブルームバーグっていう会社あるんですけど、結構こう経済ニュースというか、まあそう、まあ外資系のね、大きな会社でございますけども、元ニューヨーク市長のね、ガヤ創業者かな、で、その会社に実はね、僕ね、再就職しようとしてたんですね、そう、東京の会社に僕再就職しようとしていて、
ちょっとツテがあってですね、あのー、まあそのうまいことツテをね、手繰り寄せながらやろうとしてたんですけど、まあ多分撮ってなかったと思うんですけどね、面接ね、まあわかんないけど。で、そう、東京に戻ろうとしてたんですよ。僕愛媛の瀬戸内海にね、時計に帰ってきたにもかかわらず、こんな、ね、あのー、面白くないところを早く出て、東京に戻ろうとしてて。で、そんな時に、あのー、僕がね、東京行った時に出会った、あのー、親友の女の子がいて、まあ世界一周とかをしてる。まあ、あのー、あのー、なんだ、結婚して、
あ、結婚して、あ、一回、一回、あ、そうか、国際結婚して、で、子供ができて、で、国際離婚をした、あのー、ちょっと分け有りの子がいるんですけど、分け有りって言うとあれですけどね。で、まあ仲良いんですよ。で、その子がですね、なんかその、まあ僕がこう、まあね、父親が亡くなった後、こう、なんかどうしようかなと思ってる時に、まあたまたま、この本いいよっていうことで、まだ東京で消耗してるの?っていう本をね、紹介してくれたんですよ。で、そこに池田ハヤトってあって、僕、友達の名前がね、池田ハヤトなんですよ。
池田ハヤト。僕のね、島の後輩、池田ハヤトって言うんですよ。で、漢字は違うんですよね、池田ハヤトさんと。池田ハヤトさんの方のあの、勇ましいのね、あのー、方ですけども、あのー、僕の友達の方は、あのー、ハヤブサの方だよな。合ってるかな、ハヤブサの方だよね。まあそうそう、まあそれ置いといて。で、おー、おー、なんか、池田ハヤトという人がいて、本を出してると、まだ東京で消耗してるの?って、あ、僕、東京で確かに、あのー、うまくいかなかったなと読んだらですね、あのー、田舎×ブログっていうか、田舎こそ、ほんと資本主義のフロン
なんですけどね。池田さんの会社の名前は、そう。えー、日本の田舎は、えー、資本主義のフロンティアだったかな。ちょっと、ちょっと今、音忘れしちゃった。多分そんな感じだったと思いますけど、そうそうそう。
あのー、まあ要するに、本当にそう思ったわけですよ。あ、僕はすごい良いタイミングで愛媛の島に帰ってきていて、超面白い場所に住んどるやんと。
しかも、まあ、これからまだ、20、その時、6か7ですよね。まだまだ時間があって、まだまだ面白いことができる。要するに田舎でパソコン1つで、ね、月100万、200万、300万稼ぐことが可能かもしれない。
06:09
で、そうしたら会社も辞められる。ね、古民家、ね、家あるのも、なんかこう、改築できていい感じの場所にできる。島で面白いことができるかもしれないなっていうふうに思ったわけですよ。
で、そこから思い返してみるとですね、僕はやっぱ子供の頃、ほんと自然でね、もう一人ですから、僕、姉がいたんですよ。9歳離れてたし、離婚してたんで一緒に住んでなかったんで、
じいちゃんばあちゃんと親父と3人、まあ4人か、全員で4人でね、暮らしてて、で、お母もお姉、お姉は別のところに暮らしてたわけなんですけど、一人遊びがすごくて、で、自然のところでね、遊んでたんですよ。
まあ、親父とはよく潜ってましたけど、サザエ獲ったりとかタコ獲ったりとかね、まあ、親父はその漁協に入ってましたけど、漁協っていうかその船持っててね、そうそうそう、親父と潜ってタコと格闘したりしてましたよ。
潜るとね、あのね、タコって保護色になってるかわかんないですね。磯とかにへばりついてて、わかんないんですけど、目だけ黄色いんですよ。目だけ黄色いからわかるの。
目だけって目が合うのね、もう、海に入ったら。まあ、そういうこう自然と戦ってたわけなんですけど、ああ、なんか子供の頃のような暮らしを大人になってからできるかもしれない、なんかもう無理だと思ってたんですよね。
なんかこう、やっぱ就職しないといけなかったりとか、で、就職以外だったら起業しないといけないみたいな、まあ、もちろん起業したに近いんですけどね、ほぼ。
ほぼ近いんですけど、いわゆる会社を作って、なんか、何だろうな、こう、まあ、何なんだ、ちゃんとした社会人にならないと成功っていうか、自分の自由みたいなものはないというような感覚になってたんですよ。
で、それがまだ東京で消耗してるのっていうのを本を読んだときに、ああ、なんか、もしかしたら田舎かけるブログでね、パソコンでMacBookカタカタしながら、面白いことがここでできるかもしれないなと思ったわけですね。
で、それで、池早さんのTwitterとか見てたら、ああ、高知におるんや今、ああ、でも本にも書いてある、どうだったっけ、ちょっと忘れたけど、まあ、高知におるってことは分かって、しかも高知のその、高知市というよりかはちょっと愛媛側なんですよね、ああ、近いやんと思って、で、Googleマップ入れたら大体の住所入れてみたら、1時間半とか2時間で着くわけですよ。
で、まあ、もちろん住所、家の住所は分からないから、どこにいるかはね、だから、まあ、そっか、その場所に行って聞き込みしたら、もしかしたら会えるかもしれないなっていうことで、僕の後輩の池田ハヤト、後輩の池田ハヤトの方ですね、を連れて運転させながら、僕が運転して行ってもよかったら2人で行ってみようってことになって、面白いやんってことでね、で、ハヤトもついてきてくれて、池田ハヤトに池田ハヤトを連れて会いに行くっていうことをやったんですよ。
で、いろいろ聞き込みしてたら、結局一番最初に奥さんに会ったんですね。なんと珍しい、珍しいというか、たまたま池田ハヤトさんの奥さんに会って、で、「いや、この辺にいます。」っていうことで、奥さんのざっくりとした説明を僕ら聞いてですね、でもそれをなんとかたどり着いてですね、池田ハヤトさんのいる場所に行って、
小屋があってね、リアがしてる小屋があって、たぶんいるんでしょうね。あれね、軽トラかなんかでいてて、たぶんいるなっていうのがあって、すいませんって言ったら、はいとか言って出てきて、で、実は島並街道から来てますとか言ったら、ああそうですか、島並の好きなんですよ、駅間っていう道のり面白いですよねみたいな話が入って、
09:11
あの話をし始めて1時間ぐらいかな、なんかこう僕のつまらない話を聞いてもらいましたね、いや本当当時何も、なんかね、ブログをなんだかんだ始めてたのかな、作ってたのかな、作ってなかったのかなまだ、ちょっとわかんないですけど、いやブログもやりますみたいな、ああじゃあそれもやった方がいいですよっていうことで、なんかこう民家お出会いしてとか、なんかカフェを作ってとかしたいんですよね、ああいいんじゃないですかみたいな、
まあでもよくある話だから、池谷さんも聞き慣れてるからさ、さあこの若者本当にやるんかなみたいな感じで、もしかしたら聞いてたかもしれませんね、はい次のチャプターに行きます、はいで、そこからほんと小1時間話して、池谷さんは草むしりながら聞いてくれてましたね、いやなんかでもあんな1時間もね時間をとってしまって申し訳ないなって今はちょっと思いますけどね、小1時間だったかな、で、まあなんかあのTwitterでもメンションくださいとかって言われたんだけど、結局当時は僕メンションをいまいちよくわかってなかったので、
なんかあの池谷、なんかね池田ハヤトってタグ付けをしましたね、タグってハッシュタグね、だから池谷さんに通知がいかないというね、でそれからもなんかメンションとかを知って池谷さんに飛ばしても、もちろん僕はフォローしてたけど池谷さんがフォローバックはなくてですね、まあ池谷さんも多分僕のアカウントがわからなかったのもあるかもしれないし、まあわかっててもまあちょっとこいつよくわかんないなっていうかまだまだまだちょっとフォローするに値しないなみたいなね、なんかそういう感覚だったのかもしれませんね、でまあそれからなんだ、
8ヶ月ぐらい経った時に初めてフォローされて、でその時はまあ僕ブログを書きながらっていう感じでしたね、池谷さんのブログ運営の教科書という当時3000円ぐらいだったかな、を買ってですね、それを読んで僕も初めてこうある意味電子書籍というかデジタルコンテンツというのを買ってですね、
3000円かと思ったら、まあでも全然迷いはなかったですね、これでだってブログでね月1万でも3万でも5万でも10万でも稼げるようになれば3000円なんて安いもんじゃないかということで買いましたね、で買って読んだら中身がブログとはメディアアートだっていう言葉を今でもね本当に覚えてます、ブログとはメディアアートだって言葉が書いてあったのと、
あとブログは自分を癒すっていうねフレーズがあって、ああなんかこう僕が思ってたブログとちょっと違うかもしれないな、ブログというものは何なのか、なんかこうアーメンブログ芸能人がやるようなものというしかイメージがなかったですけど、ブログってもしかしたら自分の人生にとってすごく重要な一つの要素なのかもしれないなというふうに思ったわけですよ、それをこうバチコントでそのブログ運営の教科書読んでね、
ハマって、バチコントハメてくれてですね、それからこうやっぱ全然稼げないし読まれないんだけどなんかブログを書こうかなってね、情報発信をしようかなっていうふうになってましたね、もちろんツイッターもそうですよ、140字のメディアアートですから、そうでツイッターを埋め込めばいいっていうね、そこに追記してまあ画像1枚とタイトルと画像1枚でも別にぶっちゃけいいんだよっていうことを書いてあって、
12:02
ブログって意外とそんなちゃんとした論文を書かないといけないってわけじゃないんだなっていうので、そこでマインドセットというか前提の擦り合わせみたいなのをしてもらいましたね、それから全然書いても稼げなくて、行き屋さんにフォローされなくてっていうのが続いたんだけど、8ヶ月ぐらい経って行き屋さんにフォローされて、
僕もね、行き屋さんに会った後すぐ会社辞めようとして退職届出しますみたいな感じになったんですけど、まあそれ一回取り下げてですね、ダサいけどね、戻って、そうそうそう、なんも準備できなかったしなーとか思いながら戻ったんですよ、一回ね、戻ってでもやっぱそれから8ヶ月ぐらいして行き屋さんにフォローされて、なんかやっぱもっとこう全力をこっちに注いだら面白いことになるかもしれないなと思ったわけですよ、
そう、会社とブログ、SNSの発信、バランスをとるのがやるってちょっと面白くないなと思っちゃって、行き屋さんフォローしてくれたし、なんかこれもしかしたらなんか辞めたら応援してくれかもしれないなってちょっと甘い考えですけど、思ったんですね、そうそうそう思ったわけですよ、それで実際に2018年かな、だから行き屋さんと会って10ヶ月ぐらい経った後に会社辞めて、
で、辞めたものの、まあ全然やっぱそれですよ、辞めただけではなかなか稼げないんですけど、行き屋さんにDMでなんかそのポルカ支援してくださいとか言ったら、行き屋さん5000円ポルカ支援してくれてすごい嬉しかったですね、で、あの仕事、生活きつくなったら仕事発注しますよってね、DMで言ってくれて、今でも覚えてますよ、ああよかった、辞めてとか思いながらね、うん、でもとはいえ自分ができる仕事ってあんまねえよなと思いながらどうしようかなと思ってこうまあやってたんですけど、
で、それからなんかあの池早コンサルをね、あの受けに行ったんですよ、ブログの方向性のすり合わせで、で、僕はタイとイカをね、またその友達の池田ハヤトにさばかせてですね、僕は全く何もしない、そしてまた池田ハヤトに運転させながら池早さんのところにブログコンサル受けに行くというね、本当にいい後輩を持ったなと思いますけど、で、池早さんにイカとタイを渡したら、まあじゃあブログコンサルしますかってことで1時間ぐらい見てくれて、
で、まあそれまでは僕はブログでね、あの内容がこう、島で暮らしてお金はどうするの?みたいな内容だったんですけど、あのまあちょっとエッジ立ってないですよね、エッジ効いてないですよねっていうことで、まあ僕マルチ情報にハマった話とか、借金してる話は全然言ってたので、ブログにも書いてたので、こっちをメインでやった方がいいですよってことを言われて、あ、こっちなんだと思って、うん、で、なんか借金男みたいなね、マルチにハマって借金背負って島流しっていうブログタイトル作ってくれてですね、池早さんが、うん、まあストーリーもバッチリですね、
展開が面白いし、で、それでまあブログも全部のアドバイス通りにすぐその日に変えましたね、その日に変えてブログとかもリライトし始めたり、新規の記事もマルチ情報の記事を書いたりとか、そうしたら池早さんがリツイートしてくれたりとかして、リツイートでね、まあ何だろう、100人とかフォロワーが増えたりとか、で、池早さん次の日あった、そのコンサルの次の日にボイシーを作ってくれてですね、僕の借金は明るく語れる人は強いみたいな、
なんか瀬戸内海に住む、瀬戸内に住む周平さんというね、っていう感じでね、ボイシーが残ってますよね、2年前の、気になる方は見てみてください。で、紹介してくれて、ああ、嬉しいなと思ったわけですよね。で、それからこう、まあ池早さんもリツイートしてくれたりとか、あと池早さんがこう何か始める、なんかブロギルっていうね、あのブログのやってる人のコミュニティを始めるということで、僕もお手伝いさせてもらって、あのちょっと、あの、
15:27
なんかそうか、ブログのミニスポンサーになってくれてたのかな、ああ、そうそう、当時はなんかブログのね、スポンサーを得る、なんかゲットするのがちょっと流行ってて、僕も池早さんに依頼したらね、なんか、ああ、あの、1ヶ月2万円のなんか半年、だから12万円であればいいですよということで、もうね、すぐ12万円振り込んでくれましたね。いやあ、優しいですよね、もう当時のね、その月2万円×12万円でポンって12万円入ってね、た、すごい助かったんですよ。
なーって、もうあの時はほんとカツカツでしたから、お金が全くない状態で辞めてますからね、もうバカだなと思いますけどね、うん、で、それでこう、ありがたいなと思って、そっからまたね、なんかそのブロギルの仕事をやるんで、ということで、えっと、ブログスポンサー月5万円してくださいとかDMしたらほんとああ、いいですよということで、あの差額とか計算して、で、またそんなら振り込んでくれたら、それが差額が確か15万円ぐらいだったのかな、で、だから12万×15万で振り込まれてね、まあ半年分一気にもらったわけですけど。
で、それからなんかこう、僕も動いて、えーなんかハーチューさんとかと繋がったりとかして、で、池谷さんハーチューさんとね、あの多分話題だろうなと思ったらね、対談をこう組んでね、えー僕が住んでる愛媛の島で、えー対談を組んでハーチュー池谷っていうのやったら、こう周辺市が仕事できるやつだみたいな感じになって、そうそうそう、いやー嬉しかったですね、で、それからなんだかんだこう僕もお金も全然まだね、なかなかまあアフィリエットが発生し始めたぐらいだったかな、でも全然こう運転資金が回らないんで、あー池谷さんちょっとサポートしてくださいということで月15万もらったりとかして、
えーそれがほんとね、数ヶ月半年ぐらいもらってたのかな、まあ今でももちろんねその仕事を発注してもらったりとか全然してるし、あのーありがたいなと思うんですけどね、まあだからほんと累計で言うと仕事も含めてほんと500万以上ね、多分池谷さんが振り込んでもらってるんじゃないかなと思います。
そう、でまあ本当に今はなんだろうなーこう、割とこう当時よりかはフラットにあの付き合えてきてるかな、まあもちろん全然あのやっぱ背中が遠いなと思うし、メルマガのことだってさ全然僕もまだまだね、まあ10何通しかまだ書いてない、10通ぐらいしかまだ書けてないんですが、まあでもまだまあ今週中にはね、もうメルマガローンチできますけど、まあやっぱ池谷さんがやってることをこうすぐシェアしてもらって僕もやったりとか、
あーもちろん僕もやっぱこの1年ぐらいそうだな、僕が調べたこと池谷さんがね、勉強になったって言ってくれる機会がね少しずつ増え始めたりとか、うん、まあそれはすごくあのーまだまだこう遠いけど、あの少しずつなんだろうなー池谷さんが31の時とか、なんか池谷さんは僕より3個上だから、今年だから34とかなのかな、うん3個上だったよね、そう86年生まれですから、だから僕がだから34とかなった時にじゃあ池谷さんと同じぐらい稼げてるかなとか、
18:03
やっぱ思うわけですよ、うん、だからすごいそれはねやっぱ刺激もらってるしね、その何だろうこう独立した時のねきつい時を支えてくれてくれたしね、なんかやっぱ何だろうなでもそれは本当口はあんま出さないんですよね、まあコンサルとかいろいろ教えてくれるんですけど、やっぱ行動で示してくれて、でお金を出してくれるっていうような感じです、だから僕もまだまだ全然あの当時って今もそうですけど、まあずれてたことを多分言ってたことあるけど、まあ全くそれをこう訂正されることは全くないですよね、
全くなかったんで、なんか自分自身もなんかそういうふうに行動で示すのとお金を出せる人でありたいな、僕はやっぱ口をねやっぱ出しちゃうんで、それはでもねもちろんそのコンサルとか方向性の意味での口を出すっていうのもあるんだけど、まあちょっとこうおせっかいなことまでね僕は言っちゃう結構タイプだったりもするので、なんかやっぱその辺を見習いたいなと思うし、まあとはいえそれはまあ個性だったりもするのかなっていうふうに思ったりとかね、だからなんだこう自分というこうアイデンティティと、まあね、池谷というアイデンティティと、
まあ池谷というキャラがあってですね、で僕はこうね、じゃあ全部一緒になるかというとそうじゃなくて、僕は僕の良さもあってっていうね、でもこう僕の足りないところをこう池谷からどうインストールしてくるかみたいなことをずっとこのね、やっぱ3年間ぐらいやってましたね、はいえーということで次のチャプターに行きます
はいえーということでまあなんだろう、池谷との慣れ止めを語るということで、うんまあでも本当同じ四国だし車でね1時間半ちょいぐらいなんですよ
なんで本当になんだろうな、あのまあすぐ会おうと思ったら会えるし、やっぱこうなんかありますよね、あの同じ四国っていうのはね、地方暮らし田舎暮らしっていうのもあるかもしれないけどね
うんだからなんだろうな、人生で本当メンターとかロールモデルって誰ですかとかって言われるとやっぱ一番出てくるのは池谷さんかなと思います、で僕なんかでも池谷さんの一番最初憧れたところってやっぱライフスタイルだったんですよね
家族とさ、田舎でのんびりとっていうやっぱそのライフスタイルがすごく僕はいいなと思ったんですよ、自分の好きな仕事をしてね、あの人との距離を適切に保って
で田舎でこんなことができるんだと思ったわけですよね、だから僕もやっぱそうありたいなと思うわけですよ
愛媛の島だから愛媛に住んでいる高校生とか大学生とか中学生とか、であとはまあ愛媛で今新卒でなんか東京行った方がいいんじゃないかなとか都会行った方がいいんじゃないかなとかこうもやもやしてる人とかね
あとはなんか都会から帰ってきた、なんで愛媛なんか帰ってきちゃったとかね、思ってる人がいた時になんかこう、あ、こんな面白いことやってる人がいるんだっていうふうに思ってもらえるような存在でありたいなと思うわけですよ
選択肢としていたいなと、まあもちろん自分を見習えとかそういう話じゃなくて、そうだからそういう意味でこうコワーキングのスペースとかもやっぱ作っていくし
なんかこう、若い人の支援とか頑張る人の支援ができるような、そういうお金の面での余裕とか精神的な面での余裕をね、いつも持っておきたいなと思うし
21:03
で、プラスやっぱ自分のライフスタイルをねしっかりと確立して、幸福に毎日を送る努力をしながらコツコツ努力をしながらね、楽しく毎日を送る幸せな過程を築くってこともね、やっていきたいなと思うわけですよ
すごく何だろうな、出会いが人を変えるっていうことを言うことがありますけども、ある意味本当に一つの出会い、もちろんIKEAさんだけじゃないんだけど、その周りの人も全て含めて、ハーチさんとかもいるしね、あるんだけども
すごくやっぱこう良かったな、この3年、でも3年なんですよ、でも3年なの、僕3年前、今頃まだIKEAさんにフォローされてないし、ブログでも稼げてないし、ツイッターのフォロワーカー200人ぐらいですよ
3年経ったらIKEAさんと一緒に仕事をしながら楽しく、フォロワーで言うと8万人を超えていて、サブスク、収入でも20万とか30万弱あって、そんなことができてきてるわけですよ
今年おかげさまで年間で言うと多分1千何百万とかだと思います、ちゃんと計算してないですけどね、またマネーフォワードで確定申告するので計算しておきたいと思いますけども
だから人生って変わるんですよ、変わるんだなって思います、変わった、変わった、変わった、そこにいるのはやっぱり情報ですよね
でその情報をくれる友達でもあるし、じゃあ僕じゃあその一番最初の、まだ東京で消耗しているのって女の子、なっちゃんって言うんですけど、じゃあなっちゃんと出会うのは、じゃあそれを思って出会ったかというと全くそんなことないし
可愛い子だなっていうね、下心でしか出会ってないし、本当綺麗な子なんですけどね、でも本当そういうところからね、まさかこう
趣味があってね、いろいろ二人の人生で困ったこととか、たまに連絡取り合う仲だったんですけど、それから縁が途切れず、たまたま励ましの意味も込めて本を紹介してくれたのかなと思うんですけど、やっぱあの本を紹介されなかったらどうだったかなと思うわけですよ
でじゃあそのなっちゃんと出会う時、なんでどうやって出会ったかというと、僕うつ病だったんですね、欲打つ状態で東京にでいて、欲打つのくせに友達とかの誘いには乗って、なんかその出会いの場所とか飲み会とかに行ってウェイウェイしてたわけですよ、うつ病のくせにね、会社行ってないくせに
そうだから、じゃあそのうつ病になるにはなんでなったかというとネットワークビジネスをやりながらお金がどんどん出ていて借金が膨れ上がってなんか会社の仕事をまともにできないトイレで2時間シエスタするみたいな
そういうものがあってね、なんかやっぱりこうどういう選択をある意味とってもやっぱ自分の行きたいところにはなんだかんだアンテナ張っといたら行き着くんだなって思うわけですよ
過去の選択、こんなことしたから自分はこうなんだと僕もめちゃくちゃ悩みました、だってネットワークビジネス手出さなかったらホワイト企業でボーナスも年間100万以上もらってた会社ですから普通に貯金できただろうし、まあかなり浪費してたかもしれないけど
24:14
いい暮らしができてたと思いますよ、ある程度は、でもどこかで行き詰まると思いますけどね、しんどいな、行きたくないなと思いながら仕事してたと思うし
そういう意味ではこう、もっとちゃんとできたのかもしれないのにって思いながら生きてました
でもその中での出会いだったりその中での意図もしないなんかそういう選択の中からやっぱ何かあるんですよね
そういうふうに思うと本当に人生での面白くて、どんな選択しようが自分の欲しい方向とか行きたい方向に行き着くんだなというふうに思いましたね
網田口になってるんですよ、もう網田口で答えは一つ、自分の行きたいところに一つになってて、でも何個か選択があるんですよね
選択があってライフカードをどうする俺みたいになってるんだけど、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃこの網田口が嫌ってなってるんだけど結局行き着くところはそこなんですよ
これもう無理でしょとか思ってるようなところからびょーって変わるんですよね人生って、でもそれはやっぱり網田口で選択し続ける
網田口で要するに前に進み続けるってことですよね、これどっち行くのみたいなね
でもそれでも行き続ける前に進み続けることによってその自分の行きたいところにたどり着くということです
人生はね答えが決まってる網田口ね、もうお花から一つしかない選択肢がない網田口かもしれません
でもそのプロセスが大事なんですよね、プロセスにすごく人生の価値みたいなものが詰まっているのかなーなんてことをね
しみじみと思います、はい、というわけで今日は秋葉原とのなれそめということでこれはね
秋葉原本人が聞いているのか、いやこのなれそめみたいなものは聞きたくないと思ってね
褒められるのあの人苦手だから、あの聞いてないかもしれないし聞いてるかもしれないし
まあでもそんな別にベタ褒めしてるわけじゃないですけどね、普通事実をね淡々と話してるだけですけども
いやーなんか本当になんだろうな、いやーちょっとこうやってねあのまあ息抜きがったら話してみましたけど面白いですね
いろいろこう忘れてたことが出てきて、はい、ということで
あのまあ今日のねあわせて聞きたいをね紹介したいと思います
はい、ということであわせて聞きたい紹介します、今日のあわせて聞きたいボイシーの放送はさっき言った
池早さんが僕に会った後ですね、池早コンサルで僕が会った後に
語ったボイシーの放送、2018年5月の放送ですね、2年前ですね
借金を、借金があることを語れる、明るく語られる人は強いという放送かな
池早さんの放送のリンクを入れてます、2年前の話ですね、ぜひ聞いてみたい人は聞いてみてください
で、これがあわせて聞きたいのチャプターのリンクなんですけども
途中で話したブログ運営の教科書っていうものもまだ発売しております
これ本当にブログを頑張っていきたいとかアフィリエット頑張っていきたいとか
メディアアートだとかブログは人生を癒す、興味あるなって思った方は
ブログで稼ぐって全然まだ間に合うし、稼げなくても僕はブログを書いた方がいいと思うんですよね
27:03
僕もメルマガを書いてるんで、文章を書くということは人生を癒してくれるし、人生を作ってくれると思うんですよ
すごく僕の人生アップデートされました、本当に書くということを頑張ってきて
今ももちろん、わーっと思いながらメルマガを書いてますけど、やっぱり楽しいんですよ、書いてると
思考がすごく整理されるというか、話も上手くなりますからね
ライティング力ってものすごく人生の土台となるスキルなんですけど、それを鍛える意味でも全然おすすめの教材です
ただ、当時僕が買ったのは3000円くらいだったんですが、今は9000円くらいになってます
ただ、僕の専用のリンクから買ってもらうと、これが割引に今なってるのかな
ブログ運営の教科書なのですが、あ、ごめんなさい、定価12800円が今9800円で買える特別なリンクになっております
僕専用のリンクになってますので、これを一つ目のリンクに入れておきましょうかね
今日の一つ目のリンク、上から順に、まずはブログ運営の教科書、これ12800円ですが、9800円で買えるリンクになっております
で、二つ目のリンクは生き早メルマガですね
こちらは全く登録無料です、完全無料のメルマガなので
今日聞いて、池谷さんって結構優しい人なんだとか、イメージ変わったとか、池谷さんが学んでみたいなという方は
9800円のブログ運営の教科書高いなと思う方は無料のメルマガも付いてますので
そちらメルマガ登録リンクを二つ目に入れておきます
で、最後のこの合わせて聞きたいところのチャプターは
その2年前の僕が会った後の池谷さんの借金を明るく語られる人は強いという放送となっておりますので
放送のリンクとなっておりますので、今日は30分くらいで語ってきましたけども
まず一つ目のリンクがブログ運営の教科書、9800円3000円引きで買えるリンクでございます
続いてメルマガの無料登録のリンクで、三つ目が合わせて聞きたいのボイシーのリンクになっておりますので
よかったら見てみてください
ということで今日はちょっと息抜き語りに語ろうと思ったら30分もなってしまいましたね
長々と最後まで聞いていただいてありがとうございました
そんな感じなんでこれからもどうぞ池谷と僕をよろしくお願いします
皆さん体調等気をつけてお過ごしください
また次回お会いしましょう
バイバイ
29:12

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