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2024-07-04 11:43

トーク172 将棋界から学ぶ from Radiotalk

本題になる前に時間切れ

また、続きは後日
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おはようございます。今日は7月の4日です。
今日は、将棋界から学ぶという話をしてみたいと思いますが、その前にちょっとお小話です。
病院で、医者が、おー、スミスさん、あなた、妊娠しているみたいですね。
スミス夫人は、神様、なんて素晴らしい。私、妊娠したんですね。
妊娠しているように見えると言ったんです。減量しましょう。
海外の小話ですね。スミス夫人、妊娠しているみたいですね。
最初に、おー、スミスさん、あなた、妊娠しているみたいですね。
なんて素晴らしい。私、妊娠したんですね。
いやいや、妊娠しているように見えると言ったんです。減量しましょう。
はい、じゃんじゃん。
ちょっと微妙だな、ちょっと微妙だな。
でも、これはあまり言わない方がいいですね。
女の人がいてね。あ、妊娠されたんですか?
とか言われたらね、ムッとしますよね、きっとね。
はい、えーと、そうですね。
ここで言う、ちょっとね、小話、前話した話とかもね、どんどんしていこうと思ってですね、小話を紹介しているんですけど、
一つ二つね、三つ四つ小話を覚えてですね、皆様の生活の、どういう役に立つかわかんないけど、
なんとなくね、一つ二つ三つ四つ小話を覚えていただけたら何かいいことあるんじゃないかなと思っております。
今日はですね、本題はね、将棋界から学ぶという話をしてみたいと思います。
別に何回も話していると思うんですけどね。
僕のトークはね、基本ね、女で話をしてますよ。
とはいえ、そういうもんですからね。
将棋界から学ぶって。
今ね、将棋界って、将棋人気がありますよね。
まあまあ、一つは、スーパースター藤井聡太君がいるからというのが一番大きな原因だと思うんですけどね。
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でもね、将棋界っていうのはね、ずっとピンチだったわけですよ。
ずっとピンチ。
そういう職業が誕生したのは、この将棋界の方が頑張ったからなんですよ。
どう頑張ったかっていうと、
将棋というのは昔からあったんですよ。
昔からあって、どれくらい昔かというとわからないんだけど、
一応江戸時代くらいからあったそうで、江戸時代の、
江戸時代の、
昭和時代の、
昭和時代の将棋界の方が、
昭和時代の将棋界の方が、
昭和時代の将棋界の方が、
昭和時代からあったそうで、江戸時代の将棋の寄付っていうのは残ってまして、
江戸時代も名人っていうのがあって、
ただその頃の名人っていうのは、将棋、その頃の将棋っていうのは、
競技、競技じゃなかったみたいなね、競技じゃなくて、
競技は競技なんだけど、
お殿様に将棋を教えたりですね、
そういう感じで、
そういうお金持ち、主にお金持ちに雇われていたというような感じですね。
だから年に一回お殿様の前で将棋をさせたり、
とはいえそれ別に真剣勝負じゃなくて、
ちゃんと一応お約束ごとみたいなのがあったようですね。
とりあえず、江戸時代から将棋はあった。
将棋の原型はいろいろあるじゃないですか。
似たような世界各国にありますね、将棋っていうのは。
どこが発祥っていうのはちょっと弱かった。
チェスとかもね、中国将棋とか韓国将棋とか、
いろいろインド将棋とかいろいろあるにはあるんですけどね。
で、その中でも日本の将棋っていうのはなかなかいいんじゃないかということを、
世界、いいんじゃないか、何がいいのか。
ゲーム性が楽しいというね。
そういうことで世界から注目はされていると思いますが、
とはいえ、やっぱり日本の伝統的なものなのかなとは思います。
世界にはなかなか広まらん、あ、でも広まっているのか。
世界にも広まっているみたいですよ、やっぱり。
だから、なんか本で読んだんですけど、
例えばニューヨークとか都市で、
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都市でチェス、都市はチェスを持っていたら誰かしら声をかけられるよみたいな話を
ちょっと本で読んだことがあるんだけど。
同じような感じで、海外に将棋盤とか持っていくと楽しいかもしれないよね。
教えて、みたいな言われるかもしれないですね。
だから将棋の国際人、国際的にこれからなっていくかもしれないね、将棋ってね。
まあまあいいとして、将棋界はそもそも昔からあったということで、
ところが最初のピンチは戦後、戦後最大の最初のピンチがありましたね。
最初というか最大のピンチがありましたね。
何かというと将棋をなくそうとしていた人がいるわけですよ。
GHQという人ですね。
GHQという人かどうかわからないけど、GHQという団体がありまして、
日本文化をなくそうとした人がいるわけですよ。
で、将棋なんか消しからんと。
ところがですね、そこに歯向かった人がいて、
いや、将棋は日本の文化だ、消すことはできない。
GHQの人が最初に言ったのは、
マスダ構造というね、当時の将棋のすごい人がいて、
その人に対してGHQが取ったコマを使うって、それ裏切りじゃないか。
だからね、西洋のチェスというのは相手のコマを取るじゃないですか。
ところが日本の将棋というのは、例えば相手のコマを取ったら、
それが今度自分のコマになってしまうんですよね。
で、将棋というのは要は戦争の象徴みたいなゲームなんで、
だから相手のコマを取って、それを裏切りにして、
マスダ構造という人にGHQは言ったんですよ。
ところがマスダ構造というのは、既然として、
いやいやいや、そんな敵のコマを取って、
それを裏切りにして、それを使うというのが何事だ、
それは裏切りじゃないのか、みたいなことを、
マスダ構造という人にGHQは言ったんですよ。
いやいやいや、そんな敵も味方もないんだよって。
取ったらそれを今度は活用して、何が悪いみたいな、
逆に食ってかかったみたいな、GHQね。
GHQという団体は日本を変えようとした団体なんですけど、
ところが、すごくいろんな大きな反動をなるべくなくさないように、
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分からないように日本を変えようとしてたんだと思うんですよね。
強行的にやるのは日本人に対して無理じゃないかという方針があったみたいで、
分からないように、分からないように、
将棋というのも本当はなくせばいいけど、
ちょっとそういう面倒くさい人がいて、しょうがないか、将棋はそうなんだね、
みたいなことで残ったみたいなんですけどね。
戦後にいなくなったことを探してみるとちょっと面白いかもしれないので、
将棋というのは残ったことですよ。
ところがですね、でも増田幸三という人はそこからか偉い人で、
棋士全員に向かってですね、
私たち将棋というのは世の中からなくなっても一つも困らないでしょって言って、
で、現に困らないでしょ。
プロ将棋棋士がこの世からいなくなっても全然誰も困る人いないでしょ。
だから私たちは頑張らないといけないんだよみたいなことを言って、
将棋界というのを作っていった人なんですよね。
で、将棋界を作っていった人はもう一つ大山さんという人がいて、
大山康春さんだったかな、大山さんという人。
その人はずっと将棋界の会長をやってたような人なんですけど、
日本将棋連盟という、
そういうプロ将棋の集まる会を作ってですね、
そこをずっと支えてた大機認者の方なんです。
その人はね、いろんなとこに企業とかに回ってですね、
寄付を募ったりですね、ずっとしてたみたいな人で。
寄付しないって言ってくれた人いるじゃないですか。
その人に対しては、結構です、結構です、
でもちょっと一筆かいてもらえませんか、みたいな。
将棋界を応援します、みたいな。
それで十分です、みたいな感じで。
だから、転んでもタタでは起きないという感じで。
だから将棋界というのはそういう伝統があってですね、
自分たちの業界を守っていこうという、
そういう伝統がある。
なぜなら私たちのやってることは何の役にも立たないことだという、
前提があってですね。
ごめんなさい、なんかずっと話してたらもうこんな時間になってしまった。
じゃあまた続きは、また明日でも話してみたいと思います。
失礼します。
11:43

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