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2022-11-25 24:27

063:人のやり方が「良さげ」に見えるのはなぜか?

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00:00
こんにちは 小橋です
こんにちは 佐々木です
はい 今日はですね 人のやり方が良さげに見えるのはなぜかという話をしたいんですけども
このやり方っていうのはですね タスク管理とかがいいのかなと思ってるんですけども
誰しもですね 自分なりのタスク管理を実践してると思うんですけど
そうするとですね ほとんどの人は なんかこのやり方ちょっといまいちなんだよなと
このツールがもうちょっとこの辺がこうなるといいんだけどなというですね
何かこの俺的理想のツール論みたいなものを持っていてですね
中には作れる人は自分でも作っちゃうというのがあったり
あとは改造みたいな感じでいろんなツールを組み合わせて
こっからこのツールからこのツールに飛ばしてみたいなですね
マンダラみたいなものを作ってしまうわけですよね
それはでもなんかいまいちなんだよなっていうこの不満が原能力になってやっているわけなので
その不満がなければそういう行動にはならないわけだから
実はだからね 不満っていうのは非常に重要なファクターなんですけど
でね なんでこの話をしてるかというとですね
最近 I Feel Pretty というですね 2018年の映画を見まして
概要欄に予告編の動画とか貼っときますけども
この物語はですね 女性が出てくるんですけど主人公のね
この人がですね どうも自分に自信がないと
で なぜ自信がないかというと
自分は周りのねキラキラ輝いてる女性たちに比べるとイケてないと
実際ですね 彼女は化粧品会社かなに勤めているんだけれども
ニューヨークの五番街にあるキラキラしたねビルの
結構上層階にある化粧品会社なんだけど
でも彼女の職場はなぜかチャイナタウンの地下にあるというね
なんかあの多分通販部門ということで
なんかそこにはですね2人しか社員がいなくて
1人は小太りの多分ヒスパニック系かなんかのですね
男性とあとこの彼女と2人きりの通販部門と
でもうなんかあのね なんでそんなわざわざチャイナタウンの地下みたいなところに
なんかあのなんとか部屋っているじゃないですかそのリストラする人のね
なんかそんなところに追いやられてる感のあるところと
肩やね高層ビルのキラキラしたオフィスがあると
いう対比ででもそういうところからもですね私はイケてないと
いうふうに設定されてるんですけど
ある時をきっかけにですね いや私別にそんなイケてないわけじゃなくて
むしろ私美人だしみたいなねイケてるしと
いうふうな何かあの勘違いをする事件が起きまして
でもそれによってですね周りの人は
いや全然見た目変わってないけどみたいないうところで
結局だから変わってないんですよ本質は
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けど本人の認識だけが実際ねこれは映画なので
鏡を見てたらどうやら彼女の目にはねキラキラに見えるらしいんだよね
だけどその見えてるはずのビジュアルはね
我々には見えないからそこは不利が甘くてね
もしこれが本当にこの彼女の本人とは違う
ビジュアルになっているとしたら彼女が美しいという
ふうに認めているビジュアルを映画に出さなきゃいけなくなって
それに対していやいや別にこれ美しくないやろみたいな
そういう人々の批評が始まってしまうからね
あくまでもこれは彼女が美しいと思っているものになったんですよ
というふうに設定することによって
みんなそれぞれが頭の中に美しいものになったんだなというふうに
それぞれ描くからさ
なんか非常にそこはね巧みな作りだなと思ったんですけど
なるほどね
でそう思ったから彼女は何を持ったか
地下牢からね地下牢じゃないんだけど
地下のオフィスから受付ですね受付にアプライするわけですよ
アプライって日本語でなんていうんだ手を挙げるわけですね
で受ける側もねあなたがみたいな感じでちょっと怪言相になりながらもですね
そのアプライを受けて結果ですね
目節を通ってねちゃんと受付になるんですよ
そしたら受付になってみたらね割とこの彼女はいろいろと
細やかに気が利く人で
例えば来る人が好きな水の種類とか
そういうのをあらかじめ用意しておいてあなたの好きな水ですよとかね
ストローもつければねとかいう風にね
ホスピダリティを発揮したりして体操の評価を得るわけなんですよね
そんな感じで言ってみたら会社で活躍していくことになるんですよね
言ってみればサクセスストーリーではあるんですけど
それを見ていてこういう風になりたいなという風に
みんな多くの人が思うと思うんだけど
その瞬間にねそれと控え自分はダメだなと
いう風に思ってしまうという構造があるんだなと思ったんですよね
つまりこの活躍していくと見るとさ
自分はダメだということをこう当然感じてしまうんですよね
それが最初に言った人のやり方が良さげに見えると
対して自分のやり方はダメだと
いうこの対立構造を生んでしまうんだなと
なるほど
そうなった時にどうしたら彼女みたいになれるかということなんですよ
つまり自分はいけてないという認識をどうしたらこの絵はいけてるわと
なんなら地下から高層の受付にまでなれるんだぞと
受付って最初のステップだから本当はおかしいんだけどね
キャリア的にはね
そうした時にこの映画で当然出てくるのは鏡でね
鏡を見た時に客観的には自分のその人の姿が鏡に映ってるんだけど
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彼女の目にはそれがキラキラに見えてるわけじゃないですか
それを実際に実現するにはどうしたらいいかということなんですよね
なるほど
鏡を見た時にいけてないなと感じるのはなぜそう思うかというと
これは例えば自分にとっていいと思ってる人がいるとしたら
その人と比較してるわけですよね
鏡の中の自分といけてるその人を比較して
なんかあの人と顔の作りも違うしスタイルも違うし体型も違うしと
ダメだと思ってしまうんですけど
でもそれを比較せずに自分を相対的じゃなくて
絶対的に自分を見ることができれば
こういうところもいいしこんないいところもあるしっていう風に思えると思うんですけど
ここまでは試行実験なので
それはそうなんだけど実際やっぱりでも比較してしまうよねというところがあって
言ったら自分を絶対視するにはどうしたらいいかということなんですけど
安橋さん何かこの絶対視する方法みたいなものってありますか
今のお話を伺ってて思い出したのが
ナルシシストって言うじゃないですか
ありますねナルシシストね
今の話はそれを非常に連想させるところがあるんだけど
ナルシシスムっていうのの言語はですね
語源はナルキソスっていう人なんですよ
ギリシャ神話に出てくる人なんですけれどもね
鏡にじゃなくて鏡っていうので思い出したんだけれども
池の水面に水面に映った自分の姿を見て
あまりにも美しいのでそれに惚れ込んで
その中に入っていって死んじゃうという話なんですけどね
でエコーに恋されるんだけど
エコーは自分の声が戻ってくるばかりなので
っていうような話とちょっと絡みがあるんだけど
それはちょっと一旦飛ばしますが
僕このナルシシズムってでも世の中で
ひどく誤解されているところがあるなとよく思うんですよ
このナルキソスって美しいんですよ
多くの人はナルシシストって痛い人だと思ってるじゃないですか
そうまさにこの彼女は
アイフィリップ一家の彼女はそう痛い人になってましたよね
痛い人だという話になってるわけですよね
多くの人がねナルシシストって言われたくない
そのことにひどく恐れを抱いているのはね
痛い人になるのが怖いんですよ
そう言われたくないですね
あいつは調子によってるけど大したことがないとか
あいつは綺麗だと自分のこと思ってるようだけど
大してそんなに美しくはないとか
そういうことを言われるのが何よりも嫌なんですよねきっと
ところでナルキソスは美しいんですよ
だから彼の自己評価は決して課題ではないんですよ
でも彼は死んじゃったんですよね
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私この話を見ていて思うのは
問題なのは人にバカにされることでもなければ
自己評価が不適切なことでもないと思うんですよね
さっきの大橋さんがおっしゃってたような
要は比較でやられちゃったりするっていうのが
一つの問題ナルキソスの問題ちょっと違うんだけど
何かこのナルシシストだって言われて
バカにされたり笑われたりするのが怖いっていうのは
多分に人の目以外は何にも目に入ってきてない気がするんですよね
対のないことでもみんなこれにやられているじゃないですか
ちょっと前に大橋さんと多分この番組じゃないかもしれないけど
話題になったセミナーとかで質問をしてね
バカだと思われたくないと
全く同じ構図ですよね
別に自分の姿を鏡で見るとかいうことをしなくたって
もう他人の目に私がどう映ってるかっていうのは
人は分かってると思っちゃってるんですよね
そしてその他人の目の中では
自分はよっぽどのことをしないと
必ずあざ笑われるっていうことに
これもなっちゃってるんですよね
この観点がある限り多分僕が思うにですね
どういうふうに自分をいじったり
鏡でどういう見方をしようともですね
決してこの事態は改善されない気がしますね
最大の問題はこの場合の多分ね
感じ方っていうのは自分のことも人のことも嫌いなんですよ
自分のことはもちろん嫌いで
つまり自分のこの姿というものは嫌いで
これを笑う可能性のある他人の目線も嫌いなんですよ
この両方が好きになれば
自分がの顔をいじったり
物の見方を変えたりする必要は私はなくなると思いますね
だから好きになるというのの一択しかないかなと
自分とそれを見る人たちっていうことね
この両方を好きになるの一択しかないような気がします
この両方が嫌いであるうちは多分何をやっても
心には平安が訪れない気がしますね
なんで自分が好きになれないかというと
比較してるからって話があるんですけど
それは結局その意味では比較してる限りは
自分を真っ直ぐに見られてないというかね
その比較するということは
自分の嫌なところを見つけているんですよ恐らくね
そして他の人に愛されている他人というものを意識して
これを並べて違っているやつは全部嫌いということになっているわけですよね
そうだから他の人が愛されているその部分があったとしたら
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その部分を自分にも取り入れようとして頑張ってしまうわけですよね
そうですねそれしか考えられないやってることとしてはね
でもねむしろそうやって他の人が褒められているところを
自分に同じように入れたらそれは痛いことになるんですよね
恐らくはそういうことにやっぱりなるでしょうね
だからこの痛いことになるというのはいつもそうなんだけど
それをやる人が嫌いだという意味なんですよ
やる人が嫌い?
うん痛いというふうに人のことを言うってことは
人のことを決して好きではないんですよ少なくともその人の
やってることっていうのが好きではないんですよ
だからいいところを取り入れようと人の真似をしている人の姿っていうのを
私たちは好かないということになりますよね
よく真似ようとしていると
というのを見るのが嫌なんですよね
それでも自分がやらないようにしているからですかね
もちろん自分もやらないようにしちゃいますよねだってそれをやると
人に嫌われると思っているわけだから問題なのは好きになれないことと
嫌われることなんですよね
そういうことに多分全部つながっている感じがしますね
この話をですね
極めて強引にタスク管理の話に持っていくとですね
結局自分のやり方がイマイチだなと思っているのは
自分のやり方を他のやり方と比べているからなんですけど
例えばこの1日朝起きてから寝るまで
自分がどういうふうに時間を使っているかと
その過程でどんなアプリを使ってどういうふうにそれを操作して活用しているかと
ということを最初は大変なんですけど記録に残すと
記録に残した上でそれを改めて自分で見てみると
そうすると当然自分の目で客観的に見ることができますよね
ちょうどだから自分をカメラで撮ってみると
自分をカメラで撮影してそのビデオを見るみたいな感じなんですけど
そうすると意外とこれ思っている時間がかかってなかったなとかね
意外と今日何もできなかったと思ったけど色々やってんじゃんと
いうことに気づけたり
あとはこの操作今のすごいよねと
短い遺産ですけど今の操作めちゃくちゃ早いじゃんとかね
そういうことにむしろ日常化しているがゆえに
埋もれてしまっているところが見えるようになるんじゃないかなと思っていてね
だからありのままの記憶を残すことによって
初めて気づけることがあると思うと
そういうふうなところが最初の一歩なんじゃないかなと思うんですよね
鏡と同じでですね今の話はタスクシュートだと思うんだけど
その記録が気に入らないという話は
しょっちゅう出てくるんだけれども鏡の話と同じで
これを人のと比べてあるいは何かこう
人がこうやってると勝手に決めつけた何かと比べてですね
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これを嫌ったら多分ダメなんだと思うんですよね
ダメってことはないんだけれどもやっぱりこれをですね好きになる
というのが難しいかもしれないんだけれども
どっかこれにはやっぱりこうなんて言うんですかね
手放しで嫌えないよなっていうふうにぐらいには思えないと
今言ったようなその第一歩にもなかなかならないんじゃないかな
という感じがするんですよ改善することは多少できるにしても
基本的にはやっぱり愛せないと厳しいだろうなという感じがしますね
その辺はまさにナルキスソスじゃないですか
ナルキスソスというか結局ね
自分がやってることが素晴らしいということなのか
ダメダメだということではないってことなんですよね
これはね少なくとも好きになれるっていうのが大事であって
これを人に見せるってことの目的のものではそもそもないんだけれども
これを見せると人はきっと笑うだろうなと思ってるようでは
どうにもこうにも動かしようがないと思います
僕がなんでこの記録が大事かというと
もしね見せる記録だとしたら
よく見せようとするんですよ
ここからここまで仕事してここからここまでは5分だけ休憩してまた仕事しましたとかね
なんて言うんだろうな人から見て
望ましい仕事の仕方とか時間の使い方をしているという風に思われたいじゃないですか
だからね改ざんしちゃうんですよ
けど自分しか見ないんだったら
改ざんする意味がないというか
むしろどうやって自分が時間を使っているか
っていうのを知りたいもっと知りたいし
それを知れば知るほど改善のヒントが得られるので
改ざんどころかもそれこそ
ここは人の性格にもよるんだけども正確に記録すればするほど
より厳密な改善ができるとなったら
改善とは真逆の正確に記録をつけようとするし
そうすると当然時間の使い方も必然的に記録を振り返るまでもなく
記録しようとすれば自らずっと改善されてしまうというかね
だから記録するだけでもう実は改善が始まってしまうという
もう改善が避けられないぐらいの感じだと思うので
それが記録のいいところなんじゃないかなと思っているんですよね
私は今の大橋さんのと結論が同じになるんだけれども
自分の声が好きになれないというのが僕長らく問題として
あるんですよね
自分の課題としてポッドキャスト撮ったりするのを聞き直すということを考えても
これを聞くのが嫌だっていうのは非常にやりにくいなと思ってたので
好きになろうと決めたんですよ
この好きになるためにまずどうしなければいけないかというと
さっきのタスクシュートの話と同じで声作っちゃダメなんですよ
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声を作ってしまったらこの声はつかない
声を作ってしまったらこの声はつかない
この声を作ってしまったらこの声は作った声になるので
自分の声が好きなんだか嫌いなんだか分からなくなってしまうじゃないですか
自分の声を好きになるには
自のままの声を記録しておくしかないんですよねまず
次にそれを頑張って一生懸命
とことん聞かないとダメなんですよね
これが僕がタスクシュートでも同じことをやっていたっていう
ヒントが得られた大きなポイントだったんですよね
自分の声が好きになれないという場合好きになるためには
自分の声ってそもそもどういう声なんだろうというのを
とことん理解する以外方法がなくて
これが大きなヒントになったのは僕の声が好きだって言ってくれる人が
何人かいることを僕知っててこの人たちに会って
どう聞こえてんだろうっていうのがすっごい気になったんですよね
僕はどう聞いても好きになれないと思ってたんだけどこの自分の声を
好きになれるという人には僕とは違って聞こえてるわけですよ
ここが鏡とか記録というだけでは十分じゃないところで
僕ら結局鏡を見ようと記録を読もうと
写真を見ようと動画を見ようと必ず自分の主観を
そこに当てはめちゃうから客観がどこにあっても
客観は見えないんですよね必ず意味付けしちゃうから
これはあの嫌な声だっていうことに決めてから聞くから嫌なんですよ
でも好きな声だって思って聞いてる人には
違って聞こえてるはずなんですよね僕はそれを理解するために
一生懸命自分の声をですね延々聞いてたんですよそれで
わかるようになったんですよね今までこういう点は全然
聞いてなかったっていうところが色々聞こえてきて自分の声の聞こえ方が
全く変わってったんですよこれと同じことがタスクシュートでも
僕には起きたんですよねいろんな記録が残っていて
これを一生懸命読むことでだんだん好きになってくるんですよ
完璧だというふうに思うことはないけれど
十分こう愛せるものだっていう愛し得る感じのこれは
過ごし方だなっていう観点が見つかるようになってそっからは
早いんですよねタスクシュートというものを使って自分の
時間の使い方を左右していくっていうのが非常に容易にできるようになっていく
多分ここから始めるしかないんじゃないかなっていう
ふうに思いますけどね
はいはいじゃあまとめると
今やってることをよく見ましょうねということですね
先ほど橋さんがおっしゃったように誰か素晴らしい人の記録を
脳内に思い描いて自分の記録を見た気になってると
多分見てないんですよ僕が自分の声が嫌だと思いながら
聞いてた時のすごい嫌々聞いてるから
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とっても表面的にしか聞いてないんですよ聞いてるようでいて
嫌だなという気持ちをずっと抱えながらただこう
漫然と聞き流してしまうんですよだから自分の声がどういう声だか
実はよくわかってないんですよね同じことをタスクシュートで
改善にこう改善というものにこだわってる方は
やっちゃってると思うんですよねこんな時間の使い方してすっげー無駄だ
っていう気持ちをずっと抱きながら1日の記録を
こうざらっと眺めるようにしてもですね改善できないんですよ
なぜなら自分がどういう使い方をしてるか実はわかってないから
なんですよダメだと決めつけてみちゃってるわけですね
そうでダメだと思ってるから見たくないからあんま見てないんですよ
ここが大事なポイントだと思う
多分大橋さんとかは自分の記録見るのが好きなんだと思うんですよね
多分ねそれ以前に日記をねずーっと書いているので
それ読み返すのが好きなんですよ
そうなんですよね好きで読んでるのと嫌々読んでるのは
かなりの開きがあるはずなんですよ
そうだよねだから気付いたらたまたまなんかこの日何やってたっけっていうね
過去の記録を読み返して例えばこの映画を見た時に
その頃何してたのかなって思う時にその頃の日記を読み返すんですけど
それ読み始めるとねいもずれしきにずーっと読み続けてしまうんで
それやっぱり好きだからでしょうね
そうそういう時に相対的な見方っていうのはもう無理なんですよね
それ自体を読んで楽しんでるから他の誰かの記録と比べて
この記録はダメだとかそういうことをいちいち思う余裕はなくなってると思うんですよね
それが絶対的ってことじゃないですかね
でもね時々ねいやここでこんな無駄なことをしてる暇があって
あれやっとけばよかったなって思う時はありますけどね
だからそこまで読み込んだ上でならばですね
小さなそのミクロなミスっていうのが見つかってそこを改善するっていうのがやっぱり
リアリティがあるやり方なんじゃないですかね
全面的に改善しようとしたらどうにもならなくなってしまいますよね
はい
ということでちょっと長くなってしまいましたけども
今日はですね人のやり方が安らげに見えるのはなぜかというところで
いやむしろね自分のやり方がよく見えるような
魔法みたいな話をしましたので
ぜひですね自分のやり方がよく見えるような風に変えていってもらえればなというふうに思います
はい
11月26日直前になってしまいましたけれどもタスクシュートとそれに加えて
組み合わせて使っている使い方っていうのはですね僕のやり方ですけども
これをご紹介するセミナーがありますのでこれは僕のやり方はですね
僕自身は良いと思ってやってますんで
これはですねこれが良いからこれの通りにしましょうっていうのではなくて
それを見てですねどうやったらこの自分の中で良い方法を
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作れるのかなというこのメタな
ヒントとしてですねこのセミナーを役立てていただけるといいのかなというふうに思っています
当日参加は難しいという方はですね
申し込みだけしていただければ動画は後ほどお送りしますので
ご検討いただければと思いますはいじゃあということで
以上で終わりますありがとうございましたありがとうございました
24:27

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