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2021-04-20 28:47

音声029:倉下忠憲さんと「有限性の活かし方」について対談(前編)

倉下忠憲さん(@rashita2)をお招きし、「有限性の活かし方」について対談しました。

▼こんなお話をしています

* タスク管理はPCではなくスマホで行うことで、有限性による後押しが得られやすいかも。

* ダンジョンたいまつ問題

* 同化と調節

* 「同化」=道具を自分に合わせる。道具をカスタマイズすることで自分の都合に沿わせる。

* 「調節」=自分を道具に合わせる。自分の使い方を道具の流儀に沿わせる(カスタマイズの余地がない)。

* ポモドーロは有限化装置

* GTDは有限性を迫ってこない

* ビュッフェと胃袋の有限性

* フィードバックが遅れることで対策が後手になる問題

* 習慣化による過剰最適のリスク

* 「正しい」やり方に自分を調節しようとしてしまうのはなぜか?

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今日はですね、ご覧者さんと有限性の生かし方 ということについてお話をしていこうと考えています。
ちょうど最近僕が、タスク管理はPCではなくて スマホで行うほうが有限性による後押しが得られていいと。
計画を立てるときは、PCで画面が広いところで 考えたほうが考えやすいんですけども、
実行に移すときはですね、 スマホの狭い画面のほうが集中しやすいんじゃないかと。
つまり、スマホの画面の有限性を生かすと。
たまたま僕は、今は日々のタスク管理は、 タスクマというiPhoneアプリでやっているので、
そういう意味では、この有限性の後押しを 実は得ていたということに気づいたということなんですよね。
たとえば、大橋さんがタスクマを使われたときに、 もっとこうあってほしいという感覚は出てくるんですかね。
それは、言おうと思えばいくらでもありますけれども、 この有限性があるという強みの前にはね、
割と妨すかなというかね。
だから、スマホのスクロールしないと 1日見渡せないんだけれども、
ちょうどあれですよ、ダンジョン松明問題で。
はい、わかりました。
今だけが見えていると。
それは不都合には感じないんですか。
逆に見えてしまうと嫌になるっていうのもあるので。
あとは、タスク集とはセクションでタスクを分けられるので、
今見えていなきゃいけないものはこれだけだというふうに、
今実行中のタスク、 実行中のセクションだけにこのタスクを集めて、
それ以外は上とか下のセクションに追い出すということをしていて、
実際それをやっても、結局逃げられないことは逃げられないんですけど、
でも、今に集中するっていう、
まさに有限性の高揚が得られるわけですよね。
ちなみにタスクマーって一応何個かわからないけど、
10個ぐらい1画面に表示されているとして、
終了時間っていうのは常にフィックスされてるんですかね。
はい、一番上に出てます。
それなら問題はないか。
だから終了予定が翌朝の8時とかになったりするわけですよ。
そうですよね。
そうなった時でも今のセクションにだけ集中できるんですよね。
だから終了予定8時とかっていうのを何とかしなきゃいけないっていう、
何だろうな、赤いサイレンが回ってることはあるんだけど、
そのサイレンは置いといて、今のこのセクションのタスクに取り組むと。
そういう操作性っていうのは逆にPC版では、
03:01
集中性よりも何とかしなきゃの方が先に立ちやすいんですかね。
見えてしまうからかな。
だからタスクシュートをExcel1とかクラウドで同じことをやるとしたら、
ウィンドウサイズをめっちゃちっちゃくするというね。
それを実際やってたことはあります。
ちなみにタスクシュートって今バージョン3でしたっけ、大きいバージョンでいうと。
2ですね。
2か。
段階的、レイヤー的というかの有限性っていうのが多分あって、
例えば、まずタスクシュートっていうツール自体が有限化のツールじゃないですか、まず。
普通、人間の物事っていろんなスパンで考えられますけど、
まず今日って1日に締めましょうっていう1日のクローズリストっていうのがあって、
さらに実行っていうこと、実行することしか書かないじゃないですか。
そこも一種の有限性ですよね。
その1つのタスクシュートっていうExcel版とさらにそれのタスクマっていうので、
またさらに1段階有限性が上がっているというか、画面が小さくなることによって。
さらにタスクマはお前さんのツールじゃないんで、
この企業を変えたいと思っても変えられないじゃないですか。
そこにも有限性があるなと思ったんですよね。
開発者等にやったらここは気に食わへんなってことで、
目の前のタスク以外にタスクマをどうしようかっていうレイヤーも発生するじゃないですか。
なるほど、それは言われてみて、Excel使っている頃は割と、
この機能はみんなにマットはいいっていうものはオープンにしますけど、
自分専用のカスタマイズはいくらでもできるので、
やってしまうことはありましたかね。
対象に影響を与えられる度合いが小さければ小さいほど、
考える対象が減るので、
一つの対象に注意を向きやすい。
だから判断を殺していけっていうことなんですけど。
それはいわゆる同化と調節というやつですね。
実行の局面においては、
何かをするという場面においては、
そのような判断を殺していくということが一番良いのだとは思いますけど、
かといって判断をすべて消したらいいというものではないので、
実行するときはいらんけど、そうじゃないときは考えようという
切り分けがどう実装されるかですね。
ブログをやってるからわかると思うんですけど、
自分の記事を見返しててね、
これ間違ってると思ったら編集ボタン押したくなるじゃないですか。
その感じですね。
編集ボタン押せないんだったら、
そのままするしかないっていう。
書くしかないというね。
Twitterも一緒ですね。
今まさにそれを思った。
06:03
Twitterだから書き換えができるという前提がもしあったとしたら、
もっとカジュアルに書いてしまってね。
後で直すとかってやると、
逆に仕事が増える気がするね。
それは確かにそうですね。
昔と比べて文体変わったから、
過去のツイートも全部文体合わせようとかっていう、
いつかやるタスクが出ますよ、きっと。
長尻を合わせ、整合する要素があるとか、長尻を合わせるという、
ひとつ滅多な思考が生まれてしまう。
タスクが実行できないときも、
要するにズームできないんですよね。
ズームしている状態からどうしても飛行が1個上に回送に戻す力があって、
それで進みづらくなる。
だからそれを物理的に画面を狭くしてしまう。
だから本物道路のタイマーを扱うのも似てて、
今までのタイマーを扱うのも似てて、
本物道路のタイマーを扱うのも似てて、
今はこれだけをやりなさいということだけに集中させるという効果があって、
しかもタイマー切っているのがいいんですよね。
今あなたはこれをやればいいんですっていう、
ただ文字列が表示されているだけと、
この25分間だけはこれをやりなさいというのは多分違うと思うんですよ。
つまり時間も湧く有限化されている。
文字列が表示されているだけだと、
意識は有限化されていますけど、
結局にいつまでこれ続けたらいいやろう感が出てきてしまうわけですよね。
これもメタな階段を一回登ってしまっているわけですけど、
25分間だけっていうことになれば、
より階段を登らなくて進むという状況になるんで、
だから本物道路はその意味でもきちんと有限化の装置ですね。
逆にGTDは何を有限化しているのかっていうのは、
ちょっと今話しながら。
そうですね。GTDは繰り返し言われていますけど、
実行するときのモジュールがないよねっていう。
だから実行できることになってますからね。
ちゃんとしたリストを作れれば、
選べて実行できるっていう過程のもとで組み込まれているので、
できる人はできるんでしょうけど。
つまり最終的なNext Action Listができた瞬間に、
最終的に行動をアフォードするよねということですよね。
っていう話になってますよね、基本的には。
でもそれが難しい。そもそも選べないし、
選んだとしても給釣りが起こす可能性が排除しきれてないと思うんですけど。
だからGTDは人気があるというか、
ある種無限を受け入れてくれそうな雰囲気があるんですよね、あれは。
そういう意味では有限性を迫ってこないんですよね。
09:03
そうそう。そこが気持ちはいいけど、進みづらいっていうところが、
デイリータスクリストを作るときの心の痛みみたいなのが避けて通れるというか。
その辺がだからね、やっぱりステールっていうのが組み込まれてないんですよね、あれは。
あれですよね。一日うるさいことは言わない代わりに、
何でも許してくれるんだけど張り合いがないっていう感じになりがちじゃないですか。
だから何かもう一個実行を促す装置と組み合わせ、
装置というかシステムと組み合わせないと、
膨れ上がるばかりのリストができがちですよね。
GTDやっててリストが減ることは多分ないと思うんで、項目が。
だから毎日デイリーリスト作ってるんじゃないですか、多分。
うんうん、そうですよね、きっと。
そうせいへんと回らないと思うんですよね、あの方式やと。
そんなことはないって言われるや、そんなことはないのかもしれない。
やってないから何とも言えないんですけど。
でもやってますよ。ドマなんてきっとそうだと思うんで。
だからそのGTD的なものが何もないかって言うと、
それはそんなことはあり得ないと思うんですけど。
アレンさんが目指してる方式システムには多分なってないんじゃないかな。
ああいうコンテキストに合わせたリストっていうのは、
僕の中では概念的に崩壊してるので。
うん、そうね。
だから記録しておいてそれについて判断するって、
後から判断するつもり、処理と実行、処理と実行というか、
っていうことはやってますけど、
それ以外のGTD的なものってほぼ何も残ってないと思いますね。
だからインボックスも、インボックスってGTDの概念も、
あれもあんまり有限性がないんですよね。
無限に膨らんできますからね。
だから困ったことになるんですよね。
有限性っていうのを持ち込むと、ある種の幻想性がなくなるんですよね。
このシステムで何でもできるってことは歌えなくなるんで。
でもやっぱりそれが必要なのではないかなと。
タスクシュートとかタスクポートとかにタスク並べて、
終了前時刻が深夜の4時とかになっている、
あの残念な感じを一度くぐり抜けないと、
その人のやることと時間の不一致っていうのは解消されないと思うんですよね。
一番似ているのはビッフェなんですよ。
ビッフェに行くと必ず無数に料理が並んでて、
これ全部食べ放題だって思うじゃないですか。
そうですね。
ビッフェに行くと必ず無数に料理が並んでて、
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これ全部食べ放題だって思うじゃないですか。
そうですね。
もう胃袋の有限性には勝てないので、
お皿に持ってくるしかないんですよね。
でも胃袋って有限性があるから僕たちは死なないわけじゃないですか。
逆に言うと。
例えば胃が満腹中枢が壊れている人って多分食べ過ぎて死ぬと思うんですよ。
だからそこはこういう場合、タスクシュートと並列化すると
だからタスクシュートと並列化すると
肉体的な存在の有限性っていうのを必ず人間が持ってて、
1日は24時間しかないとか、眠たくなったら寝なければいけないとか、
胃袋に必要以上のものを詰め込むことはできないっていうのが
ある種の最終有限装置として機能してくれるから
僕たちが無限に膨らんで無限に押しつぶされていることがないっていうのはあるんですよね。
だからタスクシュートは絶対に時間軸を外れることがないんで、
どこまで行っても無限になることはないんですよね。
その人がいくら無限にリストを並べたとしても
実行できることは24時間もしかないっていうことがはっきり見えてくるんで。
そのビュッフェで行くとですね、
対象はね、食べきれないぐらい盛るという失敗を必ずするんですよね。
その時にどれぐらい盛って失敗したかって記録がないとね、
なかなか学ばないというか定着しないので。
だから盛った後の写真を一旦写真撮っておいて、
食べきれなかったらどんだけ残ったのかっていうのを写真撮っておいて、
そうすると次回は写真のビフォーアフターですね。
盛った直後とそれから食べかけてギブアップした写真。
そうするともう食べられた分量っていうのはそこから差分で分かるので。
そしたら始めからこれだけ盛れば食べきれるというふうに
だんだん慣れてくるというかね。
あとは多分GTD的に言うと野菜を食べなきゃいけないっていうコンテクストと
肉を食べたいというコンテクストでいろんなコンテクストが複合してやってくるので、
どういうふうに。
これは解決できないですね、あれGTDの概念だけだと。
バランスを失する気がするんですよ、GTDだと。
だから一旦野菜と肉と果物の配分はこんな感じっていうね。
やっぱりそれも一旦バランスに応じた配分で持ってみてその写真を撮ってとか
そういうのを繰り返すのかなって思うんですよね。
そのメタファーを続けると胃の満腹度合いっていうのは短期のフィードバックが得られますけど、
野菜と肉のバランスって短期のフィードバックがないじゃないですか。
確かに。
ここが難しいと思うんですよね。
さっき言った肉ばっかり食べた嬉しいが1週間続いて2ヶ月後に体重偉いことになってたってことになるじゃないですか。
こういうフィードバックの遅いものって人間ってめっちゃ学習しないんですよね、基本的には。
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年に1回の健康診断でメタファー使われるわけですよね。
だからその休憩ベタっていうことも似てて、働きすぎた後のフィードバックってだいぶ後に来るんですよね。
なるほど、なるほど。
だから難しいんです。
今日こんだけ休みました、働きましたって記録を1日残したとしても、次の日にそれが反映できるかっていうと、何が良かったかがわからないじゃないですか。
だからここが難しいんですよね。
進着がはっきり当日とかにフィードバックが発生するものの上でその管理はいいんですけど、もう少し長いスパンの時にどうしたらいいのかっていう別種の問題がありますよね。
金田さん、そういう長期的なレビューって何かやってますか。
今、今年から始めようかなと思ったぐらいで、去年ぐらいまでは全く無視してましたね。
休んだことがなかったので、休んだらどうなるかっていうフィードバックもなかったんで。
変化が起きようがないんですよね、それだと。
今は休んでる感覚があって、例えば月曜日すごく元気やってると、元気と元気じゃないの差があるんで、1日作業を進めすぎたっていうのはわかりますね。
そこから始めるぐらいしか今はないですね。だから短いフィードバックから行くしかないですね。
体重とか、体重は毎日測ってるし、あと睡眠も2つか3つぐらいアプリ使って記録とっているので、一応毎日フィードバックは受けてるんだけど、
昨日早く寝たから今日気分がいいっていうのは当然あるんですけど、昨日早く寝るっていうのを1ヶ月続けたから、
こうなったっていうのはわからないですね。
そのあたりがね、本当にいろいろアプローチとかつけてるし、いろいろ数値は測ってるはずなんだけど、総合的にどうやっていうこの何か診断がよく見えないのはありますよね。
肉と野菜の量というか、肉と野菜のバランスっていうことで考えると、
睡眠と仕事と娯楽の時間が何対何対何であれば、事業の成長率と自分の体調をいい感じにキープできるかっていうのは非常に難しい変数を持った方程式に多分なりますし、
さっき言ったエンディングノートとかを書くっていうのは、1回しか起こらないイベントじゃないですか。
つまりこれはもう永遠にフェードワークが一生で得られないものなんですよね。
だからこれを最適化するのは多分不可能なんですね。最適化がどうかが確認できないという意味で。
だからあんまり気にしてもしゃーないっていうのが結論なんですけど。
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なるほど。
この諦めも有限化ですよね。
結局限られた時間をどう使うかっていうゲームですからね。
基本的にはね。そのゲームにおいて一番重要なのは勝利を、何が勝利であるかを決めるのが自分だってことなんですよね。
ここがポイントで。
こういう方法があればうまくいきますよっていうのは、言ってる人が決めた勝利条件に最適化された戦略なんですよね。
その戦略をそのまま使うってことは、勝利条件を言った人に合わせるってことなんですよね。
人生の成功をそのままコピーしてくるってことなんですよ。
それはね、あんまりよろしくないと思うんで。
さっき言った話で、別に不健康でもいいと。肉が毎日食べられたらそれはそれで幸せだっていうゲームもあり得るわけじゃないですか。
ここは踏み込めない領域ですよね。それぞれの人のサンクチュアリーですよね。
そういう意味ではあれですね。みんな同じワールドにいるように見えて、みんなそれぞれ別個のゲームをやってる。
そうですね。レイヤーが異なってて行ってるプレイが違うけど、同じ地球上にいるからゲーム同士で相互作用が発生するっていう、またこれややこしいことになってるわけですけどね。
変数がめちゃくちゃ多いということですね。
その代わり、それぞれ勝利条件が異なるように設定することで、極端なことを言えば全員が勝者になれるっていう可能性があるわけですね。ここが多分重要なことで。
現実的な有限化っていう話で、タスクシュートってさっき言ったバイキング方式のビュッフェで言うと、取った分と残った分の差分じゃなくて、食べた分がそのまま残るわけじゃないですか。食べきれた分が。
だから一番いい量ですよね。いいデータですね。
引き算もしなくていいし、はっきり自分がこの日できた量が残るっていう。
適切に有限化されたものが次の日提示されるっていうのは、今までのシステムではなかったんですよね。
一方で、これは最近の記事にも書いたけど、そうやってたまたまやったことが記録に残ったら、それがバイアスになるので。
だから追い取ると新しい食べ物に手を出すということに対して、抵抗がかかるんですよね。
そこはね、僕はこの手の話では欠かしてはいけない話だと思うんですけど。
だからその習慣化とか最適化とかっていうのは、ある種ライファックの基礎のキーではあるんですけど、
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それはだからある種の異型というか高速区にもなってしまうんですよね。
結局最大の効率っていうのは、前と全く同じことをするっていうことなので、それは非イノベーションということなので。
だから効率を上げるためには、新しいことをある程度目をつぶんなきゃいけないけど、
でもそうすることによって、もっといい方法がある可能性をつぶしてしまうと。
そうですね。だから過剰最適になってしまう可能性がありますよね。
結局その間は揺れ動いてるだけなんですよね。
揺れ動くのがいいんじゃないですかね、と僕は思うんですけど。
真ん中の歩き方っていうタイトルを変えたんですけど、真ん中を歩くっていうのは真っ直ぐ歩くことじゃなくて、
右に行ったら左に戻るし、左に行ったら右に戻るってことができるっていうバランス装置だと思うんで。
ある時は効率方面に振るけど、その効率性を自分で拡覧させていくっていうことをするっていう。
アリの軍隊社会でも基本的にエサバを見つけたらアリがみんな同じところに行くんですよね。
すごい協調行動が言語なしで行われてるんですけど、でもその中で何割かはそこに行かない奴らがおるんですよね。
あるいはちょっと遠回りする奴らがおるんですよ。最短道じゃなくてちょっと遠回りする奴が出てきて、
それが新たなエサバを発見するんですよね。
となるとここでの問題は比率なんですね、きっと。
最適化するのと拡覧するのを、例えば5対5にすりゃいいのか、8対2ぐらいにすりゃいいのかっていう、
その程度の問題をどこに定めるかっていうのが多分この効率化の鍵、問題のコアかな。
10にしたら最大効率じゃないですかって言ったらその程度の問題を無くして、
ある種の問題をシンプルにしすぎてるんですよね。
まさにポートフォリオの…
そうです、そういう感じですね、まさに。
結局それをね、ゼンフリする人もいれば、キャッシュで持っておきたいっていう人もいるので。
じゃあそこをいいバランスで安全な株式に8で、ちょっとリターンが高い金融商品を2ぐらいにして、
それで全体のリスクとリターンをいい感じにするっていうのと、
効率性を高めるのとちょっと遊びを入れてみるっていうのをバランスするっていうのは多分同じ考え方ですね、きっと。
そもそもからしてね、そういうことをすることができるのは世の中の人がいろんな考えを持ってるからですよね。
うん、確かに。そりゃそうです。
だからテスラを買ったほうがいいと思ってる人もいれば、テスラなんか買わないほうがいいと思ってる人もいるので、
だからそれで価格が決まるわけですからね。
だからその意味で一つのシステム、集団が全員が同じ考えであるっていうのはやっぱりちょっと怖いっていう。
24:07
共生主義とか原理主義主義がどっかで行き詰まるのっていうのは遊びがなくなるからなんですね、きっと。
だから変化をしない生物は環境が変わった時に全滅するっていうのと同じで、
統計的にどっかで必ず変化が起こり得るとして、その変化に対応できないものはそこで途絶えてしまうんで。
それは自分っていう一人の中の人間のシステムとして見た場合でも、どっかずっと変わっていく人たちもいる。
定柔道が1とか2で変化が8みたいな人たちもいるんですけど、
でもやっぱりその変化がゼロの人たちよりは多分生き残りやすいのかなという、
予想を超えませんけど、見た感じで言ってますけど、そんな感じはしますね。
でも今、昔の人に比べると変化しやすいというかね、
住まいをなかなか変えられない人とかね、変えられなかった人ですね、職業も変えられなかったと。
そういうのが今は非常に流動的になっているので、それがもたらしたことでまたゲームが変わってきてると思うんですよね。
それは間違いない。だって僕が例えば物書きにやってるっていうのは、
僕がなった時の20年前では多分考えられなかったことだと思いますよ。確かに。
そう、だからそうやってこうなんだろうな、始めたタイミングが違う人が同じことをしてるっていうのはね、
なかなか面白いというか。
なるほどね。
これは多分野球とかサッカーでも言えるのかもしれないけど、
だってみんなね、違う年齢からそれを始めて同じグラウンドでプレイしてるわけじゃないですか。
なるほど。それでそれぞれの戦略が異なってきて、ゲームが面白くなっていくと。
そう、あれがみんな隔離的に、じゃあ15歳になったからサッカー始めますとかってやったら、多分すげーつまんない。
そうですよね。サッカープレイの効率的な方法、だから結局ブログ、アピリエートブログがみんな同じみたいなことになってしまうわけですね、要するに。
そういう意味では、自分の質地とかね、どういう風にオリジンで今があるかっていうのをむしろそっちを出したほうが面白くなると。
まあ、そうであってほしいというか、そうですよね。そんな話が出てこないのかわからないですけど。
どうやってブログを書いていくかわかんないから、ブログの正しいやり方を学ぶっていうのはね、非常にこの、正しいのかもしれないけど、
なんかもったいないというか、自分の何か持ったものをそこで損ねてしまうというかね。
そうですね。本当に話が逆だと思うんですよね。だからこの社会でこの持って行き場のない思いとか情報を受け止めてくれる場所がブログだったはずだったんですよね。
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僕の中ではですけど。でもなんか、そこに出すために何かを整えるっていうのはね、ものすごく不自然な気がするんですけど。
だから、話を有限化に引き戻すと、先ほど言われたように個人が選択する、選択できる自由っていうのがめちゃくちゃ上がってるじゃないですか。
それが単に幸せかというと、結局そうじゃなくなってて、先ほど言われたように、個人が会社員辞めてブログできますよっていう。
そのブログって何書いてもいいですよっていう自由じゃないですか。でも何書いてもいいかわからないわけですね、結局。
そこで定型に逃げてしまうことがあって。それは有限化がないからなんですよね。
ここで有限化は何かというと、さっきおはさんが言われた、自分の歴史というか経験というか経路と言ってもいいんですけど、
自分が自分であることっていう以上の有限化は多分ないんですよね。
そこから始める以外にないし、そこから始めると、迷いというか迷いはあっていいんですけど、
迷いなく一歩道進めるというと嘘があるんですが、迷いすぎないかな。ある一定の中での迷いで収まるっていうか。
なるほど。
いう感じが僕はしてますね。
じゃあですね、ちょっと一旦ここでブログの話に移りたいので、一旦ここでまたチャプターを分けます。
わかりました。
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