奉納講談と問題提起
はい、シェアする落語のしけです。
えー、本日12月28日、もう今撮ってない29日になっちゃってますけども、12月28日、夜玄堀不動院ですね、で、えー、針扇供養というのに行ってまいりました。
これは、あの、講談協会が、えー、今年1年、えー、使ってきた、えー、まあ、使ってきて、まあ、その使命を終えた針扇をですね、えー、お炊き上げするという、まあ、そういうイベントですね。
夜玄堀不動院では、まあ、講談会がちょくちょく行われてます。
で、ここが、まあ、講談発祥の地、らしいんですね。
うん。まあ、そんなこともありまして、講談協会の、えー、会が、まあ、よく行われている、えー、お寺でございます。
で、これ、あの、いろんなイベントがあるんですが、まずお話ししたいのは、えー、奉納講談ということで、
講談協会会長の、
えー、高良井錦兆先生。
まあ、つい先日、上野鈴本園芸場で取りを取られた錦兆小屋、えー、私へ行ってまいりましたが、
えー、今回は、この針扇供養の、えー、一貫として、えー、奉納の講談というのに、えー、行ってきたわけでございます。
こちらね、無料なんですね。うん。あのー、
投げ銭をするものすらないというですね、えー、完全に家現彫、えー、不動院様の、えー、ご厚意。
まあ、あの、錦兆先生のご厚意かもしれませんが、で、えー、私どもは何も払わずに講談が聞けるということで、
で、まずですね、あのー、正確に言うと2席あったんですが、ちょっと、1席に飛ばして2席だったんですが、で、えー、私も見たことがない。
で、えー、私も見たことがない。
ええー、ちょっと。えー。
席に飛ばして2席目の話を
富久寺占領大当たりという
演目でございまして
非常に高段らしい
話ですね
貧乏なお侍が
お金を落としちゃった
デッチに
お金をあげて
貧乏でしたねという話なんですけども
それが富久寺を買って
富久寺がなんと占領を当たってしまう
占領を当たってしまったんですが
占領を当たって浮かれていると
奥さんから
そんなことじゃいけませんと
その富久寺は
焼いちゃいましょうということでですね
占領をもらう権利
を焼き捨ててしまう
というですね
まあこの辺は
侍
武士らしいですね
実より名を取る
感じが
しますね
ところがこれが
人に知れ人に知れ人に知れ
このお侍
大変貧乏をしてたんですが
浪人なのかな
結局取り立てられて
どんどん出世していって
しまうという
ね
講談らしいでしょ
でやっぱこういうね
物語
単純といえば単純なんですけども
登場人物の
細かい心の動き
武士としての誇り
それも行き過ぎてる感じは
するよねっていうような
ちょっと客観視みたいなものを
入れてきたりするあたりに
金長先生の
大人の講談だな
っていうですね
まっすぐ一本でガーッとこう行かずに
こっちからも見える
あっちからも見える
こんな風にも見えるみたいなところをですね
ちょこちょこちょこちょここう提示していって
一つのその
大人の講談世界を作り上げる
っていうあたりが金長先生すごいな
という風に思いました
でね問題が一石目なんですよ
一石目がね
あのまあいろいろこう枕
をこう振って
クラウドファンディングで大変だった
みたいな話もですね
混ぜつつ
世の中が変わっていく
LBGTQの話もあります
みたいなところから
LBGTQ講談というです
よくわからないと言いながら
入ってくるんですね
でこのがね
この演目はね
まあ講談と言ってもね
どうやっていいのか
落語ですね
あのポジション的な落語に近いと思います
あの名前が
なんですかね
通った人が一人も出てこない
というあたりから考えた時に
そこら辺にいる誰かっていう
今そこら辺に
舞台は現代なんですね
今そこら辺にいる誰かっていうのが
出てきてる時点で
あまり講談っぽくはないですよね
でしかもテーマがLBGTQなんですよ
でしかもテーマがLBGTQなんですよ
しかもこれは
老夫婦と老夫婦の子供である
息子である
息子の夫婦と
次男かな
次男の夫婦という
その二組の夫婦が出てくる話なんですが
この若い方の夫婦
息子夫婦ですね
は明らかにモデルがいます
明らかです
ぶっとに明らかです
それはね
神田白山夫妻なんですよ
もうどう見ても
神田白山夫妻なんですね
でこれはもうラジオで
白山先生が喋ってることだと思うんですが
白山先生にお子様が生まれて
その性別は非公開です
で奥様がですね
あの名プロデューサーである奥様が
性別はいつか本人に決めさせると
だから非公開というような
お話をされてるんですね
どうでしょう皆さん
であの
いろいろジェンダーという考え方を
突き詰めていった中で
僕はこの判断に
においては
あのとても
ありだなと
なるほどそういうふうに
老夫婦と新しいジェンダーの考え方
時代は動いていくのだなっていうふうに
この話を聞いた時思ったんですよ
ただ
そこについていける人ばかりでは
その感覚についていける人ばかりではないよね
ということも
含めて
金鳥先生は新作講談にまとめたんですね
でこれがね
かなりの問題提起をしていながら
味わいがちゃんと深いんですよね
あの下げっていうか
講談だから下げって言っちゃいけないのかな
まあね
ラストシーンといいますか
ちょっとびっくりしましたね
何の解決もないんですけどもそこには
ただその新しいジェンダーについての
新しい考え方を
息子夫婦
まあ
息子の嫁っていう方がもうすでにジェンダー的にダメですけど
息子のパートナーである
方が
女性がですね
主張し
彼らの
彼ら彼女らの息子ですから
それはそのまま押し切られるんですが
そこに対して今一つ飲み込むことができない老夫婦というふうのを
老夫婦を出すことによって
あの問題考えなければいけないようなことがあるなっていうことと
それ以上に何とも言えない味わいが生まれるんですよね
でこういう攻めた話を
講談協会の冒険心
まあいつもの通りですよ
講談っていうのはもう9割方お年寄りですよ
私がね56歳でサイネーションに近いんじゃないかと思うぐらいのお客さん
ですよ
でそこにねポーンと投げるっていう
この金鳥先生のこの
なんというのかな
冒険心というか
そのクリエイティビティにはちょっとしびれましたね
講談ね
まだまだ奥が深い
だって
講談協会会長がこんなこんなネタを
老人たちの前にボンッとこう
出していくっていう
すごいことだなというふうに
率直に思いました
というわけで
やげんぼり不動院の
奉納講談について
でこの後辻公爵があるんですが
それについてはまた別の機会ということにさせていただき
シェアする落語のしけでしたの
今日の講談の
感想はここまで
ではまた