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どうもボブです。今日は介護の話をしたいんですけども、正論という名の傲慢さというお話をですね、今日はさせていただきたいんです。
ケアマネージャーをしていて、この正論を振りかざす、こういう経験、僕はあります。
言ったこともありますし、これは会社、社内でその正論を振りかざされたこともあります。
どっちもですね、したこともされたこともあるっていう。皆さんいかがですか? 例えば、利用者さんに
とか自分の親とかでもいいですけどね。もうそろそろね、デイサービス行った方がいいんじゃないの?
これこのまんまだったら足腰弱ってしまって、どんどんどんどん自分で歩けなくなっていったらどうする?
言っても言ってもですね、いいやもうそんなことはない。大丈夫。 行かない。もう俺は絶対に行かない。みたいな
もう堅くなに拒否する方がいるんですね。 今までもたくさんいました。今日もちょっとね細かくは言わないんですけども
そういうサービスを拒否する方いたんですね。 そのサービスを拒否する理由もですね
もうあの キツイから
いやキツイキツイと言っていてもそれはやっぱり体力とか筋力 弱ってきてるからこれからもっとキツくなる
だから今のうちからまだね体もしっかり動かせるうちに 何かねやっておかないと後で
もっとね後でもう後悔しても取り返しつかないんですよと話をしたりね 娘さんとかねあのこうやってもうこのまんま悪くなってもよか
悪くなってネタ切りになってもいいって本人は言うんですけど そんなね
娘さんとかねそれ聞いたら お父さんもうちょっとね今のうちにできることやろうよってこの間言ってたんですよ
だから今できることをちょっとでもやってみませんか 少しでも元気になって娘さんとちょっとでお出かけしたりとか
そんな状態作れたらいいじゃないですか って言ったりね色々してたんですけど
本人は いやもう自分が嫌って言ってんだからいいじゃないか
ってちょっとね怒ったんですよね その時にあ
また僕はいつもの傲慢さを出してしまったんじゃないか いくら
そのねこのまんまじゃあどんどん弱くなったの足腰弱ってしまう でもそれはね本人も知っわかってはいるんですよ
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わかっているけれども後で後悔するかもしれないけれども 嫌なものは嫌なんですよね
家族もやこうなってほしいという希望はある けれども本人は嫌なものはやっぱり嫌なんです
ねえ 今の時点で
こちら側が勝手に判断してこれからはこんなに悪くなるかもしれないああなるかも しれないこうなるかもしれないってよう予測をしてですね
本人にあたかも恐怖を植え付けるような そんなねあの
5件健康食品を売る営業マンみたいな このまんまじゃああなたは病気になりますよみたいなね
そういう 正論ばっかり叩き込んで本人にね説得しようとする
わーこんなことをやっぱ今日もやってたんだなーって後でですね自分で思ったんです そうなると
鏡写し家のように自分に降りかかってきたんです後で 事業所の
経営の 経営側がですね
今ちょうど入院とか入所施設に入った方とかがたくさんいるとですね やっぱり在宅で担当している件数が減ってくるわけです
そうなってくるとやっぱり 担当することで介護保険の収入を得るからですね
件数がやっぱ減っちゃいけないわけです事業所としては営業してこい件数とてこい って言われるわけですよね
その時に まあ一緒にねこう経営の人たちが
営業に回ってやるよって言ったりしたんですねなんなら その経営の人たちが代わりに営業に行ってアピールしてきてやるよ
って言うんですよね でもですね向こうは良かれと思って件数が減ってるわけだから
どうにかねしないといけないだろうということで 言ってくるんですけど僕はですね
もう 自分の事業所のアピールは自分でしたいって思ってるんですよね
こう他の人が ちゃんとわかんないわけですようちの良いところとかそういったのを
ちゃんと伝えられない人がいてですね 変に捉えられて
新規の依頼が来て 対応できないような人が来たりとかされてもですね困るわけですよねちゃんとうちは
こういうコンセプトでこういう事業所なんです こういうメンバーでやってますっていうことをちゃんと伝えないと気が済まないので
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どうしてもねそれは納得できないんですけどでもまぁ 件数が落ちてるともう物も言えないわけですよね
でいやもう 今まで
こだわりはあなたはあるでしょうけれどもボブさんはあるでしょうがでも 件数が減ってるからには今までと違う対策を講じなければならないですよね
ということで言われてまあまさに正論をですね ガシッと言われたんですけれども利用者さんでこういう気分だったかもしれないなーって思ったんです
よね あの
反論正論を言われると反論できないんですよねそれに対して直で答えることができない でも感覚的に嫌なものは嫌っていうのはあるんですよね
で こういう感覚って今とってもやっぱり大事じゃないかなーって思うんですよね
けど 一見誰が見ても
正しいって思うようなことだとしても本人はまた全然別なんですよね 本人は
感覚的にいやなんか違う しっくりこないそういうふうに思うんだったらその人にとってはそれが正しいのかも
って思うんですよね で周りはずっとねいやーこうなるやろうもうこうなったらこうなっても知らないよ
みたいなね 言い方をするかもしれないですけどそして事実そうなったら惚れ見たことか
で 言われちゃうかもしれないんですでも
それも含めて 本人は自分で決めた責任を負う
こと これが本人にとってもしかしたら
大事なことなのかもしれないそういうの経験そのものが大事なことなのかもしれない と思えば
あんまりねこっちの正論で押しつけていや絶対こうでしょう っていうのもどうなのかなぁって思ったりはします
ただ 思いは伝えていいと思うんですよね
例えばそのまあ僕としては 何々さんを今まで見てきて
自分でね自分でできることは自分でやりたいって言ってたじゃないですか だから今ここでもういいもう疲れたからもうきついからやめもうやめたい
全部それをなしにしてしまうと 今まで
こんなに頑張ってきたのに一気にそれがもう 体が崩してしまったりどちらかというとその気持ちの部分を落としてしまう
のが僕としては心配なんです 今までを見てきたからということで
僕としては デイサービスとかまあその運動
デイサービスに限らない何か運動したりリハビリしたり そういったのを完全にやめてしまうっていうのは僕は
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お勧めはできないなぁと思うんです でも決めるのはあなたと家族
なのでしっかり考えて決めてくださいよっていう話はしたんですけどね なので自分の思いは伝えたとしてもあくまで決めるのは本人
なのでこう傲慢さを出し全面に出してですね
いやーもう絶対こうだからこうこうしないとって言うのはやっぱり違うんだろうな 言われてみると
反論できないようなことを 決めつけられて決めつけてこういろいろとね
言われるとねやっぱりね不愉快な気持ちになるんですよね その時点で
相手に寄り添ってないということになるなるなぁって 思いました自分の意見は伝えつつもでも
相手の気持ちや状況や思いここらへんは ちゃーんと聞いていく必要があるんだろうなぁと思いましたその中で折り合いがつく
点だったりとかこれだったらうまくいくねっていう点を一緒に考えていくように しないといけないなって思いました僕もあの会社からの方針があったとしても
全部や感覚的に嫌じゃなくて 自分も歩み寄って向こうの状況もよくはあの
いうことは正論なわけだから そこにねちゃんと自分もじゃあできることは他に何かないかなっていうのを考えて案を
出していく これが必要だなだろうなぁと思いました
ということでまあ正論でも正論てですね結局誰でも 正しい論て
誰でも言えるんですよね 正論なんてそんなに大したことない
ねえ それよりも
正論とそうじゃない意見の折り合いをつける中間地点を見つける これの方がすごくね価値があることなんだろうなと
正論を押し付けるんじゃなくて正論 正論をこうきっかけにですねもっといいアイディアを考えていく
それが今大事なんじゃないかなーって思いました ということで
今回は正論という傲慢さについてお話をさせていただきました また何かちょっとねこれについてまだ何か引っかかっていることがある
なんか今話終わったんですけどなんかあるなーって今思ったのでまたちょっと ふと出てきたらお話しようと思いますご視聴ありがとうございます