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みんなでサウナ!
はい、ということで第2回目は公衆サウナが廃れかけた2011年あたりからどうやって復活してきたかという話を聞きました。
その後、どういうふうにさらに公衆サウナが増えていっていくか。
前回の後半で、今、絶滅の危機に変していた既存の施設も復活を遂げていくみたいなちょっとお話もあったので、めちゃめちゃその辺もね。
復活域は知りたいですね。
よろしくお願いします。
お願いします。
よろしくお願いします。
ロールとくるっとりサウナみたいな、ウォーターフロントサウナが一つ救世主になったよっていう話だったんですけど。
実は私自身はこちらの大学院で研究や論文を書いてた時に、このまさにくるっとりサウナとロールができる、ギリギリ手前だったんですよ。
まさにその構想がどんどん続いている状態の時だったので、完成はしていなかったけれども、そのオーナーたちに、オーナーだったり建築家だったり都市計画の人たちっていうのにどういう目的でこれ作ってるんですか?
っていうことを彼らと一緒に会話をしたりとかインタビューをして、それをベースに論文を書いて、要は現代社会、現代の都市における公衆サウナの新しい意義というテーマで深掘りした論文を書かせてもらったんですけど。
その時に彼らにじゃあなんでこういうものを作ったの?って聞いて帰ってきた答えが、一つはさっき言ったように、やっぱり都市の人たち、都市部に住む人たちっていうのが自分たちの心の記憶にある田舎でとか自然の中でのサウナっていうのをもっと日常に再び取り入れたらいいよねっていう話もあったんですけど、やっぱりもう一つそこに加わるのがコミュニティの再生っていう話だったんですよ。
まさに我々にも興味を持っているところですね。
おそらくここに皆さんは興味があると思うんですけども、コミュニティというか人が集う場ですよね。公共とか公衆サウナ、公衆サウナいろいろ呼ぶ方って私個人的には、ちょっとごめんなさいいきなりまた脱線ですけど、公共サウナではなくて公衆サウナだと思い込んでいる派で。
公共っていう言葉って公共施設とか要は税金とか補助とかその賄われていて営利をあんまり目的としない感じっていうのがどうしても出ちゃうと思うんですよね。公共の場っていうのは、管理をされている場。だけどやっぱり公衆サウナって最後は営業の場なので、要はそれを運営している方々がちゃんと利益を得られないと存続できない事業じゃないですか。
やっぱりそこが私一番ポイントだと思っているので、公衆サウナっていうのはとにかく営業営利を目的としつつ、それからそれだけではなくて人々の文化的とか精神的に何か充実度が上がるような装置になっているっていうのが理想の公衆サウナとして私の中にあって、それはもうあとはそれさえ守れていたら私の中では全部公衆サウナなんですけど、だから日本の施設も基本公衆サウナかなと思っているのはそういうところもありますが。
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まあともかく彼らはその公共の人々不特定多数の人たちが集まってきてサウナに入るっていう環境っていうのが意外とやっぱり現代のフィンランド人にはもう不足してたわけですね。
貸切サウナというものもあるし、もちろんジムとかネプールのサウナっていうのは一つそうなんですけども、基本的にはやっぱりウチだったりとかウチワのグループで入るっていうのがもう主流になってたんだけども、でもやっぱり公衆サウナっていうのはそうではない。全く違うバックグラウンドの人たちが入ってくると。
フィンランドのこれはもう公衆サウナとかが盛り上がるずっと昔から言われている一つの格言がありまして、フィンランドのサウナの中では身分、国籍、性別、肩書きそういうものは一切フラットになって誰もが平等にベンチに座って同じ蒸気を浴びることができるっていうこの感覚っていうのは昔からすごく言われてきたんですね。
これは歴史的に言えば本当に戦争とかでずっとね、ロシアと戦ったりとかいろいろそういう時代もありましたけれども、サウナの中は求戦協定の場でいろんな国の兵士だろうが同じようにサウナは入るべきであるし、例えば大統領の隣に貧しいもうコームレスみたいな人がいたとしてもそれはサウナの中では許される話でとか。
サウナの中でのその精神的な平等性っていうのはずっとフィンランドが誇りとしてた一つの考え方だったんですよ。
で、そう考えるとそのパブリックなサウナっていうのは同じような肩書きとか知った人だけが入るのではちょっともったいないわけで、全く知らない人たちが入ってきて普段だったら出会わないような人たちとかこんなところでもないと、会うこともなければ喋ることもないような人たちが同じ空間でしかも裸で入るわけじゃないですか。
身も心も裸で。
僕やっぱりサウナに入ってて映像を通じてサウナを扱わせてもらってドラマを通じてで、本も書いていろんなところでいろんなサウナの人が好きな人と会うとやっぱりいろんな本当に普段は出会えないような人とかとやっぱり出会える。
共通の話題ができてそこからいろんなところに発展していくっていうのが、俺がめちゃめちゃ興味深いっていうのはすごくあるんですよね。サウナが好きな理由の一つとして。
いや本当にそうですよね。これは私自身もそうで、まず私はこの国に来てサウナに救われたと思うのは自分は移民なわけですよ。
今はそれなりに現地語で普通に地元の人たちと当たり前に相手取りはしてるけど、やっぱり当時っていうのは言語も不自由でしたし、価値観も違うしで。
あとフィンランド人ってとにかくシャイなので、なかなか最初に打ち解けるの大変な民族に結構日本人近いと思います。
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あれが面白かったです。本の中で。要は人に干渉されないために自分のパーソナルスペースを確保することがすごく重要だから。
ある意味何かをすることで人に何か揶揄したりとか、足を引っ張ったりする、ディスったりするようなことをやると結局それ自分に返ってくるじゃん。回り回って。
でもそういうことしない、自分たちしないから、だからちょっと私もほっといてっていう。
サウナで生まれた考えじゃなくて、本当にフィンランド人の気質として、もうできるだけパーソナルスペースって自分の物理的にもそうだし、精神的にも人に踏み込んでほしくない領域ってあるじゃないですか。
この半径がめちゃめちゃ分厚いんですよ。
最初はものすごくなんだろう、この人は友達になって大丈夫かなみたいな感じですごく探られてるのがわかるんですよ。
で、少しずつでもこの人は一緒にいて居心地いいなって思ってもらえるようになると、どんどん今度はもうバリアが破れて、すごい逆にもうおせっかいなくらい自分のことを気にしてくれたりとか助けてくれたりとか、いい友達になれるっていう意味で、すごくだから私も友人関係を築くプロセスとしては結構好きなんですけど、フィンランド人とのやりとり。
ハイ、ヘイ、ハワイヨーみたいな、ああいう世界ではなくて、ちょっとずつじわじわと心の距離を縮めていくし、逆に言うとそれまではもう結構鉄壁のバリアがあるので、まさにサウナでもどこでもそうなんですけども、僕は君に極力触れないから君を僕のこと攻撃してくるのはやめてねっていう干渉の試合の文化っていうのが割と見え隠れするんですね、社会でも。
ともあれそんな社会だからやっぱり移民としての私もなかなか中には最初入っていきづらいわけですよ。
で、ですけどサウナっていうのはやっぱりその身も心も裸になるじゃないですけど、ちょっとやっぱオープンマインド、そんなフィンランド人が多少オープンマインドになるトリガーになる場所なんですよね。
で、これは多分日本人で例えると居酒屋の飲みにケーションに近いと思うんです。
飲めば話せる、腹割って話せるとかあるじゃないですか。
これがフィンランド人にとってはいつもよりもちょっと饒舌になれるとか、いろんな話ができるとか、心オープンにできる場所がやっぱサウナなんですよ。
やっぱりそれすごい聞いてて面白いなと思ったのが、やっぱり今若い人の間ですごい流行ってるじゃないですか。
で、それこそ今までのその役割を居酒屋とかが本当に果たしてたと思うんですよ。
それの代替要素ってめちゃめちゃあるなっていうのは日本でも思うというか、だから流行ってるんじゃないかっていうのはありますね。
お酒のコミュニケーションって若干めんどくさいしっていうのもあるし。
飲めない人は入っていけない、テンションついていけないっていうのもあるけれども。
少し日本人の方々はもちろんその整うという感覚が気持ちよくてっていう人もいるけど、結局それを目的に生きながらもそれ以外の部分で癒されてるところって絶対日本人もあると思うんですね。
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そうなんですよね。
で、フィンランド人も結局サウナに、パブリックなサウナに行く理由ってそこが大きくて。
もちろんそのね、都会の人たちが普段のサウナで体験できないっていうのも一つだけれども、やっぱり普段ではちょっと腹回って話せないことを誰かと話したいとか、むしろ見知らぬ人だから話せることっていうのもあるじゃないですか。
いちご一重の行きずりの人だから、こんな話しちゃってもいいかなっていうので、ついなんかすごい自分の暴露話をそういうふうに。
ありますね。
それがね、結構サウナの中ではやっぱり行われやすいんですよね。
だから私もサウナの中では本当に自分が日本人であるとか外国人であるとか、どういう方が来てきてどうしてみたいなことっていうのは結構もうどうでもよく扱われるというか。
自分自身ももういちいちなんか自分のルーツ説明するのも面倒くさくなるんですよ。
でもそうじゃなくて、もう最近あったこととかどうでもいい話とかを、私の名前も知らないんだけども、でも私を常連さんと認識してくれているその辺のおっちゃんとかに、最近こんなことあってさ、とかさ、結婚したんだったらものすごい仕事してもらったりとか。
なんかそういうやっぱり国境とかを関係ない形で一対一の付き合いができるっていうのが私も本当にサウナに救われた理由でもありますし、結構そういうところを目的にしてこういう公衆サウナに通っている人っていうのが今も昔も多いんですよ。
昔ながらの常連さんっていうのはまさにそういうところでもう日本の銭湯みたいにいつも会う常連さんとだらだらお話をして、気持ちよくなってちょっと冷えてきたらまたサウナ入ってみたいな感じで。
主には外記憶の場所で結構喋ってたりとかしますけど、そういう機会って意外と現代人に付属してるよねっていう意味で公衆サウナが復活すればオープンマインドになれるところで、必ずしも友達だけじゃなくて知り合いじゃない人とも交流が生まれるかもしれないし、
それからサウナってね、いる人、祝わせた人とコミュニケーション取らないとダメなシーンっていうのがあって、それはロールしてもいいですかってやつなんですよ。ロールというのはいわゆる焼け石に水をかけて蒸気が出てくる。この蒸気のことがロールなんですけど、
近南の語で言うとロール投げていいっていう言い方するんですけど、投げるんですよ。バーってかけるから。でもこれって熱いの、まあかけたら当然熱くなるので、今もう十分熱いからいいですっていう人もいれば、もうちょっと熱くしたいなって思う人もいるわけじゃないですか。
だからその意思決定もみんなの中では感覚がバラバラの中で、でもいつ投げるとか投げていいっていうので、やっぱり一言声かけるのっていうのは、まあマナーというのかね、にはなるし、
ちょっと熱すぎるから私下段行くわとか、私はちょっとかける前に降りるわとか、あるいはロールの水なくなったら、じゃあ私汲んでくるわとか、あるいはもうこっちって結構サウナによっては、ロールとかは違うんですけど巻とかもお客さんに委ねられるっていうとこ多いんですよ。
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だから巻サウナで巻が減ってきたら、じゃあちょっと後ろから巻取ってくるねとか、そういうのみんなが自律的にやってたりするので、そうなるともうみんなの中でやっぱり最低限のそういう会話がないとまず場が成り立たないっていうのがある。
で、そうしたらやっぱり話したところでちょっと言葉が出たところで、ちなみにどこから来たの?とか、ここよく来るの?みたいな話になり、そっからどこのサウナが好きだとか、最近どうだとか、どんどん話がディープな方向に転がっていくわけですね。
やっぱりそのスイングランドでもどこのサウナが好きだみたいな話っていうのは出てくるんですか?
公衆サウナではあるあるですね。結構みんな。好きな人、いろいろ巡っている人たちは結構そういう話をよくするし、どこの街にこんなんできたらしいよみたいな話をよくしますし。
それもやっぱりあれですか、その公衆サウナっていうのは復活してきたっていうことが大きいんですかね。そういう話ができるようになったっていうのは。
そうだと思います。結局その、いわゆる新参者と子さんがいるわけですよね。こっちでも。で、そうなると。
常に論争を巻き起こす。
でもフィンランドはね、本当に一元さんとそういう溝がないんですよ。主の溝がなくて。
常にロールの近くにいてバシャバシャかける人っていうのはやっぱりいるんですけど。またかけてるよあのおっさんみたいなのはいますけど。
でも基本的にね、フィンランド人のこれ私すごい好きなところなんですけど、本当一元さん来てくれてありがとうムードがすごいんです。大歓迎ムードがすごいんですよ。
それは面白いですね。
日本だったらけっこう煙たがられたりするじゃないですか。勝手がよくわかんない人来たら。
ところが本当にフィンランドのサウナって、あとその外国人の観光客とかも今やっぱりサウナに入れる場所っていうのを求めて公衆サウナどんどん来るようになってるんで。
ロールなんか本当に常に半分以上もはや外国人じゃないかぐらいなんですけども。
でもまあやっぱり必ず地元の人がいて、もちろん初めて来た人たちっていうのは勝手がわかんないじゃないですか。
そしたらこここうやったらいいんだよとか、ここ開けてこれぐらいかけたらいいとか、これの白樺の葉っぱでこうやって体叩いたらいいんだとか、
もうすんごい得意気に語る常連さんたちの声がすごく多くから聞こえてくるんですよね。
だからもううざいでしょって思っちゃうんです。私もこんだけ外人ばっかりが来て。
本当に今なんてフィンランドの公衆サウナどこ行っても日本人がいない日ないぐらい来てる。
らしいですね。そういう話聞きましてすごいなと思って。
そうなんですよ。ですけどその一人一人がみんな良い思い出持って帰ってんですよ。
なんでか聞いたら常連さんがいろいろ教えてくれてとかこんな話できてって言って、
結局その観光客にとっても何が旅の良い思い出になるってもちろん写真とか映える写真もそうなんですけど、
地元の人たちとの心の交流ってすごく旅の良いエッセンスになるじゃないですか。
そうですね。
だった時にこういう日本かどうか海外からサウナを入りに来てくれてる人たちがもちろん蒸気も良かった。
その水に飛び込むっていうエクストリームな体験も良かった。
だけどやっぱりいろんな地元の人たちとの交流が一番記憶に残ってるんですよねっていう話で締めくくることがすごく多いので、
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それは本当に別に頼まれてやってるわけでもないこの地元の人たちのホスピタリティーに支えられてるなと思って。
でもピンダドジンって本当に嬉しいんですよ。
みんながこんな自分たちのちっぽけな文化とか国にわざわざ来てくれて、
自分たちの文化をこんだけ楽しんでくれてるっていうのが、なんかすごい嬉しいみたいで本当に優しいんですよね。
確かに。
我々もやっぱりね、外国の人が日本のアニメ好きって言われると、漫画好きって言われると嬉しいじゃないですか。
嬉しいです。
そう、鼻高々ですよね。
おしのこ見てるなみたいな。
ありますね、今だったら。
そういうのに近い感覚はあるかもしれないですね、確かに。
フィンランド人同士の中でも若者とおじいちゃんとかいろんな人たちがその中にいますけれども、
結構わけへでとなく普通に喋ってますね、みんな。
だからやっぱりそういうコミュニティー、要はコミュニケーションを取る場所としてローリューとかができたことにより、
新たに体を温めるという文脈以外に人と人が会って何かコミュニケーションを交わしていくっていう文脈もできてきた。
それがそこからさらに公衆サウナが復活したり増えていくっていうことのすごく大きな要因を占めているっていうことですかね。
そうですね。だからもちろん新しいサウナができたらそこに昔ながらの常連っていうのはいないけれども、
でもやっぱりサウナのフィンランド人って言ったら全部サウナプロですから、プロのサウナのフィンランド人と外国人っていう、
そこでもやっぱり経験値の違いの中ででもその交わりが起こるし、
逆にフィンランド人っていうのはその新しいところに目覚めた若者たちも、
どうやら古いものもまだ探しはあるんだねっていうのでこのレトロさとそこの主たくさんいる古いところにも興味を持って、
じゃあたまにはそういう古いところも行ってみるかっていうので、
そういうちょっとカイコ主義的な感じでそっち側を行ってみたら意外とハマっちゃうとかいう感じで、
結局新しいものが流行ると古い方にも目が向くようになったんですよね。
これは基本日本の今サウナでもそうで、結局サウナのおかげで古き良き銭湯にも通う人が増えたわけじゃないですか。
そうですね。うちの近くのホウセン湯っていうところあるんですけど、
俺たちよく行く、もうほぼ貸切だったんですよ昔は。
もうサウナでほぼ僕しかいないっていうのが、ここ1年ぐらいで絶対に人がいるようになったりとか、
あと最近銭湯でよくある、あるある日本の銭湯あるあるだと外記憶のところに休憩する椅子が今は1個もなかったのが、
導入される問題っていう、導入されてすごいありがたいんですけど、
やっぱりその人が若い人とか人が増えることによって施設もちょっとずつ変わっていったりとか。
そうなんです。意識改革になるんですよね。
来てくれるんだったらもう一応頑張るかで、なんか経営が急に引き締まった昔ながらのところもあるし、
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まあ単純にもちろんね、新しいものが増えるということはそこに負けてられないというかね、
日本もそうですし、自分たちも頑張らなきゃっていうふうにはなりますから、
なんかやっぱりこの業界全体がそれによって活性されていくシーンっていうのがこの10年で見て取れたなというふうに思うわけですね。
どのぐらいのその、3、4件だったところがその10年ぐらいかけてどのぐらい増えたみたいなのってあるんですか?
ただそこに関してはもう日本人が聞いたら、なんだそれだけっていうレベルですよ。
ヘルシンキーとかでも新しいの、そういう復活しただとか、1回閉めてたのが開いたとか、新しいのできたっていうので、
今私がさっき定義したような不特定の人たちが営業時間内にお金払って入るサウナという意味での公衆サウナは、
そうは言ってもせいぜい20とかサウナ中とかそんな間なので、
人口も違うっていうのもあるし、前提として私たちそうは言っても普段サウナありますから。
でもそんな中でそういう場所が3だったのが20になっただけで。
それは相当すごいですけどね。
あるいは中間存在も出てきたんです。
その貸切サウナが多いっていう話を紹介しましたけれども、
貸切サウナが時間的にはパブリックとして開けて、この時間だったらいつでも来ていいっていうのをサービスやり始めたことによって、
要は貸切サウナって人が集まらないといけなかったから敷居が高いっちゃ高かったんです。
やっぱり値段高いので、みんなだったら割り勘できるけど、
一人だったら集まらないとっていう。
でもそういう事情があって今まで行けてなかったサウナが、
パブリック時間を作ったことによって行けるようになったっていう喜びも私的には大きいですし。
そうかそうか。
使い方はいろいろというか、コロナがそれに影響を与えたのもありますね。
コロナだったら逆に公衆サウナが知らない人同士に入るのは嫌だけど、
知ってる人だったらいいわっていうので、公衆サウナもお金を取るために時間的に貸切時間を作るようになりました。
そうですね。日本のセントサウナでもそういうことをやられてたセントサウナはありましたよね。
時間予約制にして。
だからそういうので垣根がだいぶ取れきてるとは思うんですけど、
いずれにしてもそういう知らない人とサウナに入るチャンスっていうのは、
本当にこの10年で爆増したんじゃないかなというふうに思ってますね。
知らない人とサウナに入ることによって、何か変化みたいなこと?
老若男女一緒に入るようになったことによる変化みたいなものっていうのはあったりするんですかね。
そうですね。国としてっていうのは、そうは言っても公衆サウナに通っているのがみんながみんなではないので、
やっぱり今まですら全く行ったことないっていう人もいるし、
家のサウナで一人でとか家族でゆっくり入るのがいいわっていう人ももちろんいるので、
全然そこはもうそれぞれだと思うんですけれども、
たぶん一番インパクトがあったのはやっぱりバウンドだと思います。これに関しては。
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結局、サウナっていうものがフィンランドのものだっていう価値観は昔から外国人みんな持ってたんですけど、
じゃあどこに行けばいいサウナ入れるの?っていうのが考えたんですよ。これまで。
ホテルにはさっき言ったような大浴場っていうのもあるんですけど、
ホテルのサウナってせいぜいなんてことない電気サウナだし、
結局外国人が多いから勝手分からないもん同士が、あれかけるのかな?違うかな?とか
水着で入るのかな?とか戸惑いながらみんな入ってるから、
たぶん本来のサウナの楽しみ方できないんですけど、
結局その交渉サウナってものがあるよっていうのがロンリープラネットとか、
日本でもこれだけ紹介されたことによって、
観光の一コンテンツとして知らない外国人の人たちっていうのが一番ディープな部分で文化を楽しめる。
要は地元の人たちがいるとさっき話したように話も弾むし、
そしてやり方も教えてもらえるじゃないですか。
もちろんこういうふうに観光家が進んでくると、
まあ多分想定される問題ってあるじゃないですか。
そのマナーが乱れるとか雰囲気が乱れるとかわからない人が。
日本のハロウィンではね、
わりとニュースでインバウンドで来られる方に対しての注意みたいな。
路上で飲まないでくださいみたいな。
これじゃあどうなんですかっていうことはすごくよく聞かれるんですけど、
これ私が見てる限りですけど、
観光客は確実に増えてはいるんですけど、
みんなちゃんとね、ムードを壊さないように楽しんでらっしゃるので、
結果そういうトラブル起きてるのは見たことないんですよ、こっちでも。
で、例えばね、こういう観光客が増えたら、
英語での張り紙とかこうはこうするんですよ、まずこうしてくださいとか、
なんか増えそうなもんなんですけど、
相変わらずというのか、今も昔もフィンランドのサウナとか、
サウナに限らずフィンランドの一つの特色なんですけど、
そういうルールとかを決めるってことはあんましない人たちなんですよね。
だからなんかここではこういう入り方をしなさいとか、
まずこうしてください、こうしてください、こういうことはしちゃダメですって書くと、
サウナの中でのやっていいこと悪いことっていうのを外部が規定することになっちゃうじゃないですか。
だけどサウナの楽しみ方っていうのは基本的にはその人たちの自由に委ねられてるし、
もちろんそこでの慣例とか仕切りはありますよ。
暗黙のルールっていうのはあるんですけども、
それは来てる常連さんなりフィンランド人から学べばいいことであって、
それが手ほどきすればいいのであって、
お店側が最初からあれがダメ、これがダメって言ったらやっぱり怖ばっちゃうじゃないですか。
心身が。
だからそのこうがダメってことはもちろん本当にダメなことは書いてありますけども、
それ以外のことっていうのはあんまり張り紙にはせずに、
その場の中で学んでくださいねっていうスタンスを取ってるわけですね。
結構これがこうそうしてるというか、
ダメなこととかいいことっていうのがわからない状態で行った人たちっていうのは、
なんだかんだでまず周りを一生懸命観察して、
どうするのがここでは正しいんだろうっていうのをみんな一生懸命探るんですよ。
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とりわけサウナっていうこのやっぱり見慣れない文化というか、
馴染みのないところだから危険も伴いそうじゃないですか。
だからこそ周りに習えっていうのが自然にみんな働くので海外だから。
それに加えて一元さんに対してのそのホスピタリティーをみんなが発揮してくれるおかげで、
ほんのね、こうしたらいいんだっていうのをみんなが身を見真似で分かっていくから、
何かこれがダメとかあれがダメこうしてくださいっていう文言がなくても、
みんなの行動っていうのは自然と調律されていっている。
これがフィンランドサウナのすごい好きなところですね。
第4回目にお聞きしたいのがですね、
日本の電灯とかサウナ施設って結構張り紙多いなって思っていて。
いっぱい貼ってありますね。
いっぱい貼ってあってこれ知ったらダメ、書き消しなさいとか、
絶対それはその方がいいですけど、
お店側の自己防衛策だったりするんだろうけど、
やっぱりそれって書かなきゃダメなのかなとかいうことを思っていたのと、
その辺のフラットの意見を考察みたいなのを聞きたいのと、
あとやっぱりそのソンパサウナっていう、
そこもある意味公共で市民たちが自分たちで廃材とかを出して、
それを自分たちの手でどんかんどんかん作っていって、
クールもなく管理者もいないというか、
市民たちに任されているという施設が本にも出てくるんですけど、
その辺りに関してファブリックサウナ、日本でもしやるとしたらね、
どういうものが目指せるかなみたいなところを一緒に考えていけたら、
そういう話をお伺いしながらできたらいいなと思っております。
はい、楽しみにしています。