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2020-12-07 14:59

太宰治「人間失格」朗読読書会

人間失格の朗読をします。太宰治の名作。暗い。とにかく暗い。そして美しい。青空文庫で読ませていただきました。
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こんにちは、パリのバルトマンからお届けします、フリーランスのSAKIです。
このラジオは、私SAKIがパリ生活やビジネス、特集で学んだことを配信しています。
皆さん、お元気でしょうか。
フランスはすっかり冬で、冬なんで、焚火をしてきました。
寒い中ね、暗い中、焚火の日をずっと見てるっていうのが、結構メディテーションにもなって、
結構いい時間を過ごしたなと思ったんですけど、
私はそんな週末でした。皆さんはどんな週末でしたでしょうか。
今日はですね、ちょっと朗読を久しぶりにやろうかなと思うんですけど、
最近ね、あの本を読んだんですよ。
あの本っていうのは、太宰治の人間失格で、
いわゆる純文学で、私的にはついに読んだっていう感じなんですね。
っていうのが、この本の存在は、小学校の時から有名なんで知ってたんですけど、
そのタイトルに結構ビビって読んでなかったんですよ。
小5ぐらいから読もうとしてて、気にはなってたんですけど、
なんかめっちゃ怖いんじゃないかみたいな、
人間失格って何を言われるんだろうみたいな気持ちが幼心にあって、
ずっと後回しにしてたんですけど、
もうそろそろあの30代にもなったし、読めるだろうということで、
ちょっとあの無駄にビビりすぎてたので、はいちょっと読むことにしました。
で、まあの結論としてはすごい面白かったです。
面白かったし、あのやっぱりと言いますか、暗い。
暗って感じで、
ここまで人間とか社会の闇を救い取って真正面から向き合ってたら、
そりゃしんどいなっていう。
ちょっとそりゃ死にたくなるだろうなっていうぐらいの陰鬱さがあって、
だからこそ名作になったなっていうのもすごいわかるような名言だったりとか、
この言葉なんかすごい気になるみたいな言葉が随所に散りばめられていたんですけども、
まあ面白かったです。
で、読もうと思ったきっかけの一つが、
友達に聞いてみたんですよ。
これ人間失格って読もうと思ってるけど、結構ビビってるんやけどどうかなみたいなのを聞いたら、
その友達は読んだことがあって、
暗すぎて逆におもろいでみたいなことを言われたんですよ。
だからそういうこうなんかちょっと客観視した目線で、
まあもう見れるだろうみたいな感じで読んでみたんですけど、
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これをねちょっとこうどんな雰囲気かっていうのは、
朗読することで伝わるかなと思ったので、
久しぶりにちょっと朗読をしようと思います。
で、まあ暗いんですけど、
なんかこう人間の部分として分かるなとか、
確かにすごい向き合って、
なんか隠うつに考えたらそうだなっていうことがたくさんあって、
まあでも結構面白いんですよ。
言語化されて。
だからその言葉の美しさだったりとか、
あとまあその表現のこうなんて言うんでしょうね、
深さって言ったら深くなくなるんですけど、
まあそういうところを聞いてもらったら面白いかなと思います。
はい、じゃあちょっと読みますけども、
これねあの青空文庫にあるんですよ。
だから検索したら普通に読めるものなんですけど、
構成としては端書きがあって、
第1主旗、第2主旗、第3主旗で後書きっていう感じ。
で、主人公の男、その男、
ダダヤオ様の辞伝とも言われてますけど、
小説、一応小説なんですね。
その男を客観的に見た人が書いた端書きと後書きがあって、
で、中に1、2、3の主旗があるっていう感じです。
はい、ちょっと端書きから読もうかなと思います。
じゃあ読みます。
私はその男の写真をサインを見たことがある。
一応はその男の幼年時代とでも言うべきであろうか、
10歳前後かと推定される頃の写真であって、
その子供が大勢の女の人に取り囲まれ、
それはその子供の姉たち、妹たち、
それからいとこたちかと想像される。
庭園の池のほとりに洗い霜の袴を履いて立ち、
首を30度ほど左に傾け、
醜く笑っている写真である。
醜く?
けれども、鈍い人たち、
つまり美臭などに関心を持たぬ人たちは、
面白くもなんともないような顔をして、
かわいいぼっちゃんですね、といい加減なお世辞を言っても、
まんざらからお世辞に聞こえないくらいの、
いわば通俗のかわいらしさみたいな影も
その子供の笑顔にないわけではないのだが、
しかし、いささかでも美臭についての訓練を得てきた人なら、
一目見てすぐ、なんて嫌な子供だ、とすこぶる不快そうにつぶやき、
毛虫でも払い抜けるときのような手つきで、
その写真を放り投げるかもしれない。
まったく、その子供の笑顔は、
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よく見れば見るほど、なんとも言えず、
嫌な薄気味悪いものが感じられてくる。
うだい、それは笑顔ではない。
この子は少しも笑っていないのだ。
その証拠には、この子は両方の拳を固く握って立っている。
人間は、拳を固く握りながら笑えものではないのである。
猿だ、猿の笑顔だ。
ただ、顔に醜い視野を寄せているだけなのである。
しわくちゃぼっちゃん、とでも言いたくなるくらいの、
まことに奇妙な、そうして、どこか穢らわしく、
変に人をムカムカさせる表情の写真であった。
私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見たことが一度もなかった。
3、4、第2様の写真の顔は、これはまたびっくりするくらいひどく変貌していた。
学生の姿である。
高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、
とにかく恐ろしく美貌の学生である。
しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。
大制服を着て、胸のポケットから白いハンカチを覗かせ、
トウイスに腰かけて足を組み、そうして、やはり笑っている。
今度の笑顔は、しわくちゃの猿の笑いではなく、かなり巧みな美少になってはいるが、
しかし、人間の笑いと、どこやら違う。
血の重さ、とでも言おうか、
命の渋さ、とでも言おうか、
そのような充実感は少しもなく、
それこそ鳥のようではなく、
羽毛のように軽く、
ただ、白髪一枚、そうして笑っている。
つまり、1から10まで作り物の感じなのである。
キザと言っても足りない。
軽白と言っても足りない。
ニヤケと言っても足りない。
オシャレと言っても、もちろん足りない。
しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、
どこか怪談じみた、気味悪いものが、感じられてくるのである。
私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見たことが一度もなかった。
もう一様の写真は、最も奇怪なものである。
まるでもう、年の頃がわからない。
頭はいく分白髪のようである。
それが、ひどく汚い部屋の片隅で、
小さい火鉢に両手をかざし、
今度は笑っていない。
どんな表情もない。
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いわば、座って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、
誠に忌まわしい、不潔な匂いのする写真であった。
奇怪なのは、それだけではない。
その写真には、割に顔が大きく映っていたので、
私は、つくづくその顔の構造を調べることができたのであるが、
額は平凡。
額のシワも平凡。
眉も平凡。
目も平凡。
鼻も口も顎も。
ああ、この顔には表情がないばかりか、印象さえない。
特徴がないのだ。
例えば私がこの写真を見て、目をつぶる。
すでに私はこの顔を忘れている。
部屋の壁や、小さい火鉢は思い出すことができるけれども、
その部屋の主人公の顔の印象は、
スッと切り消して、どうしても何とも思い出せない。
絵にならない顔である。
漫画にもならない顔である。
目を開く。
ああ、こんな顔だったのか、思い出した、というような喜びさえない。
極端な言い方をすれば、
目を開いてその写真を再び見ても思い出せない。
そして、ただもう不愉快。
イライラして、つい目を背けたくなる。
いわゆる思想というものにだって、
もっと何か表情なり、印象なりがあるものだろうに。
人間の体に玉の首でもくっつけたら、こんな感じのものになるのであろうか。
とにかく、どこということなく、
見るものをしてゾッとさせ、嫌な気持ちにさせるのだ。
私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見たことが、やはり一度もなかった。
第一の手記。恥の多い生涯を送ってきました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
自分は、東北の田舎に生まれましたので、
汽車を初めて見たのは、よど大きくなってからでした。
自分は、停車場のブリッジを登って降りて、
そうしてそれが線路をまたぎ越えるために作られたものだということには全然気づかず、
ただそれは、停車場の校内を外国の遊戯場みたいに複雑に楽しく、
ハイカラにするためにのみ設備されているものだとばかり思っていました。
しかも、かなり長い間そう思っていたのです。
自分は、空腹ということを知りませんでした。
いや、それは、自分が衣食中に困らない家に育ったという意味ではなく、
そんな馬鹿な意味ではなく、
自分には、空腹という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。
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変な言い方ですが、お腹が空いていても自分でそれに気づかないのです。
小学校、中学校、自分が学校から帰ってくると、周囲の人たちが、
それ、お腹が空いたろう。自分たちにも覚えがある。
学校から帰ってきたときの空腹は全くひどいからな。
アマナッドはどう?カステラもパンもあるよ。
などと騒ぎ出すので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、
お腹が空いた!と呟いて、アマナッドを糖粒ばかり口に放り込むのですが、
空腹感とはどんなものだか、ちっともわかってやしなかったのです。
自分だって、それはもちろん、大いに物を食べますが、
しかし、空腹感から物を食べた記憶はほとんどありません。
珍しいと思われた物を食べます。豪華と思われた物を食べます。
また、よそういって出された物も、無理をしてまで大抵食べます。
そうして子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に自分の家の食事の時間でした。
はい、はしがきと第一の四季の最初あたりまでちょっと読んでみました。
第一の四季の第一文目は、すごい有名な文章だと思うので、
そこはちょっと含んで読みたいなと思ったので、
恥の多い生涯を送ってきましたっていうね。
名文はちょっと入れたいと思ったので、そこまで込みで読んでみましたけども、
こんな感じの内容で、もっと先に行くにつれて、さらに暗くなっていきます。
とにかく、暗い。
こんな文章が書けるなんて、よっぽど陰鬱だったんだろうなって思うんですけど、
でもこういう言葉がね、ちょっと落ち込んでる時だったりとか、
暗い時のなんかもやもやした気持ちを言語化してくれるという役割を果たして、
なんか救いになったりとか、
あとこの文章自体はね、すごい美しい文章なんで、
読みごたえがあるな、面白いなっていう感じで読みました。
最後まで読みました。そんなに長くないので、
もしよかったら、青空文庫でもね、自由に読めますし、
読んでみていただけたら、面白いんじゃないかなと思います。
それでは今日はこの辺でそろそろお開きということで、また次回のラジオでお会いしましょう。
それでは皆さん素敵な一日をお過ごしください。
それでは。
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