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いやー、今日はね、これ2回目の録音なんですよ。
いやー、参った。さっきまでですね、さんざんぱら15分くらいかな。
一生懸命喋ってたんですよ。録音してると思って喋ってたらですね。
えー、録音されてなかったですね。
今はですね、これスマホに録音してるんですけど、普段からスマホに向かって喋ってたんですね。
で、この間ですね、久しぶりに思い出したものがあって、ボイスレコーダーを僕持ってたんですよ。
だいぶ前に買ったやつなんですけどね。
で、これがあったなと思って、それを使おうかなと思って、さっきまでそれで録音したんですね。
で、そのボイスレコーダーは単4電池で動くんですよ。
で、単4電池はうちは、エネループって言ってわかりますかね。充電して使う電池ですね。
で、それでメインは電池をだいたい回してるもんで、
で、ただ、それもだいぶ前から使ってて、結構下手ってるんですね。
だから満タンに充電しても、そんなに元気にならない、電池が元気にならないみたいな状態で、
でもそれで使ってたんですね。全く使えないわけじゃないから。
だからボイスレコーダーに入れた時から、ちょっともうなくなりそうな感じはしないでもなかったんですけど、
まあ、喋ってる途中で見事に電池が切れてたんでしょうね。
さあ、録音終了と思って停止ボタンを押そうと思ったら、もう液晶画面真っ白みたいな感じで、
一生懸命ボタンを押したらもう一回立ち上がってきましたけど、録音されたファイルはもうゼロみたいな表紙でした。
だから、まあこういうことはよくあります。
いちいち、さっきシャーって言ったみたいに、いちいちへこむはへこむんですけど、まあよくあります。
なんでよくあるかって、要するになるべくお金を使わない生活をしてるからですね。
まあ、だからこういうことも含めて、だから絶対やめようっていうふうにはでもならないんですね。
なんでそういうふうにしてるのかなって、やっぱ思われるだろうなーっていうのは思うんですけど、
なんでしょうね、一言で言うとですね、一番しっくりくるのは、
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あの、ムヒカ大統領って、なんとか会議っていう国際会議かな、有名な演説をされた大統領がいますよね、今。
スマホを録音に使ってるもんで、調べた画面とかを見ながら喋れないから、ムヒカ大統領の情報もアバウトですけど、
スマホの画面を見ながら喋れたらいいなと思って、さっきボイスレコーダーで録音し始めたってとこもあったんですけど、
ダメだったから、やっぱりこの記憶を辿りながら喋るっていうのをしばらくまだ続けるしかないですね。
そんなムヒカ大統領がスピーチの中でおっしゃってた言葉のフレーズで僕が印象に残ってるのが、
これも記憶談で正確じゃないかもしれないですけど、
全ての家庭で自動車を持つことができますか?っていうような問いかけをするんですね。
全世界の人が一人一台自動車を持つことができますか?って。
前後の文脈がないから何なんだって思えるかもしれないですけど、僕もその文章で十分だと思ってて、
それは難しいだろうなっていう感覚があるんですね。
本当にできないかどうかわからないですよ。
わからないけどなんとなくそれは難しいだろうなっていう感覚を僕は持ってます。
だからちょっと不便があって、それができない時には、
じゃあやっぱり使わなきゃダメじゃんっていう風にはやっぱりすぐにはならないんですね、僕の場合は。
なかなか一筋縄じゃいかないひねくれた性格だなって自分でも思いますけど、
だからって言って全部手放せるかっていうとまたそんなことはないんですけどね。
ある部分ではものすごく手放していて、
ある部分ではまだまだ日本の便利な生活スタイルでそれを享受してるっていうところはいっぱい残ってるんですけど、
考えることをやめないっていうのが大事かなって思うんですよね。
そんなことで録音が全く15分くらい喋ってた、15分間の僕の時間が無駄になりましたけど、
でも無駄になったら全部ダメかって言うとそんなこともないだろうし、
逆に無駄になったことで得られるものもあったかもしれない。今はわかんないけど。
もっと言うとやっぱり無駄なことってないと思うんですよね、世の中に。
見方を変えれば。だからその時のどっちからその行為を見るかっていうだけだとは思うんですよ。
生きていく中で自分を中心に見なくて生きていけるのかって言うとそんなこともないんですけど、
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そんな瞬間もいっぱいあってもいいかな、そういう心の持ち方の方が余裕のある生き方かなって感じもするもんで、
僕はしばらくまだこういうスタンスで続けていこうと思ってます。
ポッドキャストとしての前回喋ってた内容の続き的な流れっていうのも話し始めようかなーって思ってますけども、
前回は米作りで手作業でどんな風に進めていったかっていう話をざーっと喋ったところで終わってたと思います。
それを一個一個もうちょっと細かく喋るかもしれないし、気が向かなかったら喋らないかもしれないっていう風に前回言ってたと思うんですけども、
細かく喋るのはちょっとやめようかなと思ってます。
さっきの話の続き的にですね、そのお米作りにしてもひょんなことからご縁があって成り行き的に始めましたけれども、
その時に機械を使わずに始めた。もちろんもともと持ってなかったっていうのが流れとしてあるんですけれども、
そこから機械を借りるなりするっていう手もなくはないですよね。でも僕はそれをあえてしなかったんですね。
それはですね、やっぱり自分のやってることがさっき言ったみたいに矛盾もいっぱい抱えてるし、
極端だったりするし、バランスが取れてない、一貫性がないように見えるっていうのも重々承知してるんですけども、
ある程度どこまでやれるかっていうのを試した上で、どうしてもダメだっていう時にやめるかもしれないっていうスタンスなんですよ。
生きていく上でどうしてもないといけないことっていうのが、今なかなか見えづらい状態っていうふうにも言えるかと思うんですよね。
便利な世の中になって少なくとも日本とか先進国では便利になりすぎたことで、
生きていく上で本当に大事なことを再提言したようなことは何で、だからこういうふうに動かないとダメなんだっていうことが、
もはや直接的には分からない、分かりづらい状況にある意味では逆に追い込まれてるって思うんですよね。
今流れてる世の中の流れがあるんだから、それに沿うってことそのものが生きることに繋がってるんだから、
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それに沿ってればいいんだよっていう言い方もあると思うんですけども、
その時に僕が問題になってくるって思うのが不足の事態ですよね。
震災にしてもそうですし、今回のコロナ禍にしてもそうだと思うんですよ。不足の事態ですよね。
不足の事態になったらそれを解消するように頑張ればいいんだっていう論理も成り立つかもしれないですけど、
でもそれって元の状態が絶対的に正しいっていう前提があったらそれでいいと思うんですけどね。
でもそれはないと思うんですよ。
何でかっていうと、今までが人類が生き延びてきた流れがあって、
その時代その時代に正しいと思われてたことはそれぞれあって、
でも必ずそれが滅びたり形を変えて今に来てる。
だから絶対正しかったことって今まで逆に言うと一個もないんですよね。
だから正しい正しくないっていう論点すらおかしいって言われたらそれまでですけども、
そういう絶対正しいものはない、さっき喋った観点みたいな見方をした時に
絶対正しいと言えないってなった時に、
じゃあどんな状態が一番自然なのかな、いいのかな、いい悪いじゃないんだけども、
どんな状態が好ましいかな、少なくとも今の自分にとってって僕が考えた時に、
このポッドキャストのタイトルであるように、まずは一回手放してみよう。
手放すの話す音って話すラジオっていう風にしたっていうところなんですよね。
何回か前にも話して、毎回同じ話してんなこいつっていう風に感じるかもしれないですけども、
これからも多分こういうことばっかり手を返しなおかえ言っていくんだと思うんですよ。
でもそれが多分僕が生きる意味、もしあるんだとしたらそれが僕の生きる意味だと思うんで、
これからもしばらくはこのポッドキャストを続ける限りは何らかの形で喋り続けていこうかなという風に今は思っています。
というところで今回はこのぐらいの感じにしておきます。
それではまた。