Kimino Miyazaki
Koichi Iwasa
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Koichi Iwasa
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Kimino Miyazaki
Koichi Iwasa
DogsorCaravanのインタビュールームへようこそ。
このアスリートの方とのインタビュー、ちょっと久々にお送りするんですけれども、今回は宮﨑喜美乃さんです。
Hardrock 100ですね、7月に走られて、もう1週間ちょっと経ったところなんですけれども、
女子4位ということで、今年のHardrockを沸かせた一人のアスリートだったと思います。
おめでとうございました。よろしくお願いします。
Kimino Miyazaki
よろしくお願いします。
Koichi Iwasa
素晴らしい方だと思うんですけど、今は国内に帰国されてということで、ちょっと落ち着いた感じですかね。
どうですか、この10日余りですけれども、順調に体も戻ってきましたか?
Kimino Miyazaki
いや、驚くほど今までと違って疲労が残ってまして、やっぱり交渉レースっていうのは違うんだなというのを体感しています。
Koichi Iwasa
今シーズンは本当にもう、喜美乃さんにインタビューをお願いすることが多くて、僕の記憶では2月にタラウェラ、ニュージーランドのタラウェラのタムマイラーっていう100マイルのレース、これ2位でしたけれども、
その時にもレース終わったばかりの会場の中からお話を伺ったりとか、
4月にこのヨーロッパ、クロアチャのイストリア100マイルということで優勝されて、そこでもお話を聞きましたけれども、
このハードロックっていうのはまた特別なレースというか、コースも標高高いし、累積も大きいし、コード累積角度も大きいし、
なかなか厳しいコースだったと思うんですけれども、実際に研究はされていたと思うんですけれども、計算通りにいった感じですか、あるいはやはりなかなか思うようにいかなかったレースでしたか、その辺の振り返っていただければと思うんですけど。
Kimino Miyazaki
はい、今回のハードロックは150人しか出れないんですよね、毎年。その中で抽選で、エントリーの回数が多いほど出れるって言われているぐらい参加するのは難しいところを、
去年初めてエントリーして受かったんですね。それで、今年のスケジュールに入ってなかったんですけど、こんなにすぐ出れると思わなかったので、急遽、やっぱりこのレースは出たいと思って、いろいろスケジューリングした中でのレースだったんですけど。
実際に現地に行ってみて、平均標高が3500ぐらいで、日本ではない標高の中で戦うというものはどのようなものなのかっていうのは、丹羽薫さんにも聞いて、とにかく標高の対策と、
あとはやっぱりトレイルが全然違うから、現地に早く着いた方がいいよっていう話をされたアドバイスをもらったので、それで、いろいろな今の日本の事情だり、アメリカの物価の話だったりで、10日前に現地に入ったんですけども、
事前にいろいろトレーニングしたので、低酸素自体の影響はあんまり感じなかったんですけど、乾燥がすごくて、鼻血がすごい出るし、暑さがすごくて、スコールが毎日起こるって言われたのが、今全然まだ来てなくて、
時期が3週間ぐらい遅れてるっていう話で、それですごい暑い中だったので、現地に着いて速攻体調を崩してしまいまして。
はい。
Koichi Iwasa
風邪みたいな感じ?あるいは喉とかが痛みてもいい感じですか?
Kimino Miyazaki
いや、そういうのはなかったんですけど、なんかずっとだるい状態だったので、熱中症だったんですけど。
Koichi Iwasa
なるほど。
Kimino Miyazaki
はい。それで脂肪もいくらか減らして、とにかく体調を万全にしてってところだったんですが、デート自体も、そうですね、いつもよりもちょっと体重い感じがスタートからしていて、
先頭グループから一歩下がったところで行ってたんですけど、なかなか体がうまくスイッチ入るタイミングがなくて、自分としてはダラダラ走ってしまったなっていうので、あんまりうまくはいかなかったレースでした。
Koichi Iwasa
素晴らしい。素晴らしいというか、100マイル走る中で最初に途中でダウンしてペース落ちて足が止まってしまった選手も多い中では、非常に安定したペースで進んでいらっしゃったように見えたんですけど、
意外にも本人としては、なかなかそういう思うようにダラダラ走ってしまったというような感想だったので、ちょっと意外に思いましたけれども。
天候とかということに関しては、今年はちょっとこうおっしゃったように、僕もちょっと以前、もうだいぶ前ですけれども、8年ぐらい前かな、9年ぐらい前か、2014年に鏑木毅さんが出られたときにお供したことがあって、なんとなくどんなところかというイメージがあるつもりなんですけれども、
Koichi Iwasa
そうですね、かなりダートのトレイルというか、シルバートの街自体も舗装されているところは1本しかなかったんですけど、今もそうなのかなと思いますけれども、かなりほこりっぽい街っていう感じだし、
だいたいコロナの7月の時期とかだと、夕方スコールというか、雷雨で氷が降ってとかっていうことで、それが雷も伴っていたりして、選手がそれで雷に打たれそうになるみたいな話とかもよくあったんですけど、
今年はそういう話は出なかったけれども、逆に雨がないから気温がなかなか下がらなくてつらかったという面もあったんですね、今の話だと。
Kimino Miyazaki
そうですね、暑さによってやられた選手はやっぱり多くて、しかも雪がまだ全然残っていたので、有名なKroger's Canteenですね。
Koichi Iwasa
Kroger's Canteen、高い、ジョー・グラントが今年キャプテンやってたって聞きましたけれども。
Kimino Miyazaki
はい、そこのゾーンはもう雪が下の方からついてて、私は夜そこを走ったので、危なかったのでアイゼンつけて、氷がもうカチコチに凍ってたんでアイゼンつけたんですけど、
コートニーとか速い選手たちは昼間のうちに、夕方のうちに行けたので、結構登りやすかったっていうので、やっぱり時間によってもそこが変わってたりだとかありましたね。
もう夜は本当に結構雪の中走って、結構足ザクザクやられてたりとか、そういった面ではいつもと違ったなと思います。
Koichi Iwasa
そうですね、いろいろあると思うんですけど、まずその標高のお話なんですけれども、おっしゃったように一番高いところで4200メートルぐらいでしたっけ?
Kimino Miyazaki
4300弱。
Koichi Iwasa
4300でしたっけ、そうですよね。
なかなか日本に住んでいる選手にとってはなかなか経験することが難しいし、シルバートンというか一番低いところでも3000メートルぐらい確かあったんですかね。
Kimino Miyazaki
幽霊が2400メートルぐらいですかね。
Koichi Iwasa
高地のレース、みなさんその高地トレーニング、低酸素トレーニングのプロというか、いろいろな研究をされているということだったんですけど、そういうものもだいぶ活かせたと思うんですけど、
どんなアプローチというか、いろいろ秘密もあるのかと思うんですけれども、エッセンスを教えてもらえたらと思うんですけど、どうでしたか。
Kimino Miyazaki
やっぱり氷庫をかける滞在時間というのはすごく大事に低酸素トレーニングがなるので、できるだけ実際の山でトレーニングした方がやっぱり時間を稼げるんですよね。
ただ、日本にはない氷庫だというところで低酸素質で氷庫を高いトレーニングをしたりだとか、
あとはやっぱりパフォーマンスを少しでも上げつつ、低酸素環境に慣らしたいというジレンマがあって、
放射性セシウムのためにはどうしてもペースがあまり上げられないんですよね。
Koichi Iwasa
上げない方がいいということですね。あまり上げた状態で順応していくのは結構難しいということですか。
Kimino Miyazaki
4000mで全力ダッシュで体の負荷が強すぎて心拍は上がるけど、足の回転速度は遅れたりだとか、スピード自体は絶対的に落ちるので、
なのでパフォーマンスを上げるトレーニングとしては氷庫2000m前後が一番良くて、
でも体を慣らすには氷庫を上げたいというところで、どうするかという、しかも滞在時間が欲しい。
ただ、高強度をやるとその分負荷が強くて回復が遅いので、あまり寝るのも全部公衆に行くというのは、私の戦略的にはちょっとそれはないかなと思って、
何回か交渉合宿もしたりしたんですけど、その組み合わせをどうするかっていうのは、
通常、睡眠中のデータを見て、氷庫4000mで寝た時にどのくらい負荷が強かったかっていうので、
ちょっとこれ強すぎるから、回復が遅くなったらレースに症状が当てられないなっていうので回数を減らしたりだとか、
ちょっと時間を置いてやったりとかっていうのをいろいろ工夫してやりました。
Koichi Iwasa
それは、例えば国内にいらっしゃる前、現地に行く前の国内で、低酸素の施設とか使ってということですよね。
Kimino Miyazaki
はい。
Koichi Iwasa
いろんな話あって、例えば低酸素テントって、家でベッドの上に被せてっていうような、そこで寝ることって、低酸素になれるという話とかも聞いたことあるんですけれども、
そうすると今のお話だと、彼氏もずっと低酸素のところにいるよりも、運動をする時にポイントを絞って最初は始めた方がいいとかっていうことなんですかね。
むやみに低酸素に通えばいいということではなくて、最初は短い時間、運動をする時、トレッドミルとかを使うんだろうと思うんですけど、
そういうところからちょっとずつ始めるというのがお勧めって感じなんですか。
Kimino Miyazaki
寝てる時に酸欠になりやすい人と、運動の時に酸欠になりやすい人とか、本当にバラバラなので、それは自分でチェックしてみて、
睡眠だけで強くなる選手ももちろんいますし、それでどんどん疲弊してしまう人もいて、私はそっち側だったので、
睡眠はやっぱり効率はいいんですけども、パフォーマンスを上げつつ睡眠トレーニングするのは疲弊する方がディスクが大きかったので、
そういうトレーニングは最低限にして、トレーニングでどういう負荷をかけるかを重視しました。
Koichi Iwasa
人によって違う、だから専門家のアドバイスをちゃんと見てもらいながらやっていかないと効果が逆に疲労というか、たまってしまってということになることもあるということなんですかね。
Kimino Miyazaki
そうですね、本当にそこがやっぱり実業団の選手とかでも交渉合宿、ボルダーとか行って練習して全く練習せずに帰ってきて意味がないとか、
そういうのもよく事例としてあって。
なので専門家っていうのも大事だし、自分で定期的に測れる指標をもとに、
この負荷がどのぐらい自分にとって強いのか弱いのかを定期的に判断していくのは低酸素は特に大事だと思います。
Koichi Iwasa
レースが近づくにつれて、低酸素化で運動する時間を増やしていくとか、そういうようなイメージなんですか。
Kimino Miyazaki
そうですね、大事になりますね。
なるほど。
Koichi Iwasa
ちょっと思いつきでいろいろ伺えちゃうんですけど、日本にいて低酸素の施設、低酸素ルームでトレーニングするのと、
実際にコロラド、サンファンに行って、同じ低酸素だけど気圧がちょっと違うとか、いろいろその差があるとかっていう話も聞くんですけれども、
その辺はトレーニングにも影響するんですかね。
国内の低酸素ルームと実際のボールダーだったり、もっと高いシルバートンだったり、だいぶ違うんですかね。
Kimino Miyazaki
そうですね、やっぱり気圧というのもあると思うんですけど、
Kimino Miyazaki
実際に山に入る方が圧倒的に低酸素施設でトレーニングするように時間が確保できるっていう面が一番の効果を発揮する点で、
日本でもやっぱり富士山は良い環境なので、富士山でトレーニングするのはすごくいいんですけども、
ただやっぱり富士山で土質がちょっと、今回だったらハードルと違うっていうのと、
あと寒さだったり、太陽の熱だったり、そういう低酸素と違う面で、低酸素とは違う環境下の中で高所になれるっていうものを考えると、
実際やっぱりコートニーもレッドビル出身者だし、今回3位のアニーっていう他の選手もレッドビルですかね、コーチ出身なので、
2人ともやっぱりコーチトレーニングなんて気にしたことがないって言ってたので。
Koichi Iwasa
なるほど、生まれながらにずっと。
そうですね。
Kimino Miyazaki
なので日本人がもし、次ハードル日本人代が出るときにアドバイスするとしたら、やっぱり現地に行くのは早い方がいいと思うんですけども、
金銭的な面とか、あとはやっぱり栄養が偏るっていうのもあるので、そういった面ではうまく富士山と低酸素質トレーニングを組み合わせてトレーニングするのが一番いいかなと思います。
Koichi Iwasa
なるほどね、その辺がうまく、自分の体調というか実際にそういう低酸素で試してみて、どういうふうに組んでいけばいいかというところが。
面白さですね。
その辺が君野さんの、宮崎君野さんの最も専門的な強みとしているところかと思うので、ぜひ聞いていらっしゃる方でアドバイスをやられたら素晴らしいなと思います。
高度もさることながら、トレイルの話に戻れば、コースの話に戻ればと思うんですけれども、やっぱりその4200メートルの高さのトレイルっていうのは、マウント富士だったりとか、あるいはイストリアともタラウェラともまただいぶ違うと思うんですね。
残説があるとか、雰囲気というのはやっぱりこれまで君野さんが経験してきたいろんな海外のレース、あらゆる国内のレースと比べてもだいぶ違う印象でしたが、どんなふうに感じられたかなと。
そうですね。
Kimino Miyazaki
やっぱり圧倒的に標高差が、いっぱいの山の標高差が大きいので、例えばアニマスフォークスってちょっと低いところから、アニマスフォークスじゃないや、シャーマンか。
Koichi Iwasa
最初の大きいエイドですよね。サポート、2回目のサポートエイド。
Kimino Miyazaki
2回目のサポートエイドで、そこがだいたい標高3000弱なんですけども、かなりすごく、3000弱でも暑いんですよね。ジープ道でかなり埃がすごくて、車が通ってる中走るので結構砂がひどくてっていうところを、もう暑さの中耐えて山を登っていって、
そこから4300mまで、ヘンディーズピークまで上がるんですけども、そこがだいたい1300m差、300mの差があるじゃないですか。もう下は灼熱地獄で、真上はもう涼しくてっていう、その寒暖差が大きいっていうのがまず他にはないところですし、
ブルガリアンも結構登り下り大きい山だったんですけど、ブルガリアンの山はどっちかというと岩場がもうゴロゴロ動いて、スピード出すような場所ではない山が多かったんですけど、今回のハードロックのコースはどちらかというと橋出る登り下りが多い中なので、かなりその標高差が一気に上がって降りてっていうところで、
みんなやられてるか、きついレースなんだろうなっていうのを、走りやすいのでどういうふうにきつさを感じるのかと思ったら、どこで走るかっていうのが作戦のうちの本当一つで、それをどう組み立てていくか。
私も先ほど言ったグレゴロスカウンティングの峠越えが、本当はできるだけ暖かい時期に行きたいっていうのは作戦としてあったんですけど。
Koichi Iwasa
グレゴロスカウンティング70マイル地点、僕ちょっと江戸の位置リストを見てるんですけど、後半に入るって言った直後のところで予例出てるところですよね。
はい。
Kimino Miyazaki
すみません、失礼しました。
そこが予定では12時越えの予定だったんですけども、2時間遅れで通過することによって、やっぱり私寒さに弱いので、
その分、より服を着たりとか、靴を、もうずっと雪の中だったり、そこの山入る前は顔を渡って足冷やしたりっていうのは大変なので、どういう靴を選ぶかとかっていうので、もうちょっと変更しないといけなかったんで。
そういう、他のレースだと自分の走力通りに行けばいいんだけど、今回は時間狙ってちょっとここは早く行った方がいいなっていうのも考えつつ行ってはいたんですけど、結局はもう昼間の暑さにやられてスピードダウンしたので、それがちょっと誤算でしたね。
Koichi Iwasa
なるほどね。なかなかそうか。今年は雪が特に例年よりも多かったという、閲覧施設すごく雪が多かったという風に聞くので、確かにその冬は、夜の間はカチッと締まってるけど、締まって登りづらいぐらいやけれども、昼間の方がもうちょっと緩いとか、あるいはまあ、年によってはその緩すぎると足元がね、また進みづらいとかっていうこともあるだろうから、なかなかその辺の運の部分もあるんだろうと思いますけれども、
Kimino Miyazaki
そういうところも左右するというのが、ハードロックの自然の厳しさというのか、そういうことなんでしょうね。
たぶん残雪量的には3倍か4倍か多かったんだと思います。他の映像とか見てると。
Koichi Iwasa
足が、僕もちょっと事前のいろんなハードロックの前のエピソードのポッドキャストとか他の人のとかも色々聞いたりもしたんですけど、結構雪が残ってるけども、ちょっとここのしばらくの間でだいぶ溶けてきてるから、足が濡れたりするからシューズの替えがだいぶ必要だよとかみたいなこととかもなんか言ってた人もいましたけれども、
実際、そうすると、結構シューズも替えたり、足を濡れて替えたりもしたんですか?
Kimino Miyazaki
もともとシューズは2回交換する予定で、それは変わらずだったんですけど、もうそうですね。
乾燥したよりもだいぶ溶けたので、走りやすいかと思えば、全部ドロドロになっちゃってたので、全部シューズに泥がついて、それがしかも乾燥して暑いのですぐ乾いて足が重くなってみたいな。
Koichi Iwasa
なかなか快適とは言い難い状況ですよね。
Kimino Miyazaki
革も増量してたので、最後ゴールデン前の革渡りとかは結構勢い強い多くですね。
Koichi Iwasa
結構水も冷たいですよね、雪の毛の水ですよね。
Kimino Miyazaki
冷たかったですね。
夜1回水つけてから雪上がるんですけど、それはもうどうしようもないんですよね。
Koichi Iwasa
もう足が、シューズが凍りそうなぐらい冷たいってことですね。
Kimino Miyazaki
そうなんです。
Koichi Iwasa
そういう中で、やっぱりこう、いろいろ美しい自然のところとか、あるいは個人的に眠くてしょうがないとか、いろいろいろんなことが今回長い時間のレースであったんじゃないかと思いますけれども、
Koichi Iwasa
なんかこう印象に残る場所とか、人で会った話とか、なんかあったりしますか?
Kimino Miyazaki
そうですね、やっぱり噂通り、エイドのボランティアの方々ですかね、もう着いた瞬間に君のポールは僕が持つよって持ってくれて、
その次に全部メニューを読んでくれて、何が必要かと。
あ、その前にあれか、ボトルを勝手に取ってくれて、何が必要かと。
もういたせりつくせりの状態で、ひとつのエイドでは、今から暑くなるから、日焼け止め塗ってあげるって言われて、日焼け止めくれるんだと思ったら塗ってくれて。
Koichi Iwasa
自分の手で直接、あなたも何か食べるなり飲むなりしてればいいということですよね。
Kimino Miyazaki
私が塗っといてあげるって言って塗ってくれたりとか、最後も暑いところで、水があんまりぬるくなっちゃってるから氷入れてくれたりだとか、すぐ首とか冷やしてくれたり、
本当にすごかったんですよね。
一人ひとり役目があるし、スポーツがいる区間でも自分にできることはないかって言って、
大丈夫だよって言ってもずっとその選手が再スタートするまでずっと見てくれて、全員で応援してくれてっていうのが、
やっぱり選手をたたえてるし、それをすることが自分たちの面白さであり、一緒にもらいあげようっていうのがすごく伝わるレースだったので、
この感覚を日本でももっとできたらいいなっていうのはすごく思いましたし、
あと応援の人たちが、私が一番最初、多分緊張して走ってたと思うんですけど、この自然の美しさはあなたのためにあるんだっていう応援をされて、
もっとリラックスして走りなさいって言われて、
このレースに出ることさえ、すごいスペシャルなことなんだから、そんな苦しい顔して走るなよ、みたいな。
Koichi Iwasa
スタートするだけで、すごいラッキーなんだよっていうことなんですかね。
Kimino Miyazaki
本当にもうみんなが言ってましたね。参加する選手も8年越しだとか、26回目の出走だとか、いろいろいろんな選手いましたけど、
Koichi Iwasa
とにかく、なんでこのコミュニティができたんだって言ったら、見たらわかるだろうって言われて、
Kimino Miyazaki
言葉にしなくてもわかるだろう、これは面白いんだぜって。
みんな移住行ってきたり、ちょっと遠くから来てボランティアしたりっていうのを、みんな楽しそうに話すので、
しかも開会式の時には、このシルバートンの村で集めたお金で、奨学金で子どもたちが大学に行けて、
子たちが、自分はこの大学で今どういう勉強をしています、ありがとうございますって述べたりとか、
街の子どもたちの成長にも携わっているし、何より子どもたちのキッズレースが前日にあったんですけど、
Koichi Iwasa
フューチャーハードロッカーっていうTシャツで、
Kimino Miyazaki
すごく良かったですね。
Koichi Iwasa
僕も耳がくもとか、他のいろんなものを読んでの知識ぐらいしかないんですけれども、
もともとは、西部の開拓時代に、鉱山の町として、一攫千金を狙って集まった人たちが、
最初に町を作って、そして鉱山が発見されて、そこで働く人たちが、
西部とか東風とかからやってきてという町の起こりですけど、
鉱山町のとおり、今はね、そういう元の産業は廃れて、
観光とかスポーツとかということで盛り上がってきているんだけれども、
そういう町を盛り立てていこうというか、地元に対して何か貢献っていうようなこととかも、
今おっしゃったチュエル雑貨、チュエル雑貨メモリアル、スカラシップとかね、
そういうものとかも新たに取り組んでいて、一つのコミュニティとして、
単なる大会というよりも、このコミュニティとして人を引きつけているということなんでしょうね。
Kimino Miyazaki
はい。初めて今回のペーサーを私もお願いをして、
はい。ペーサー制度の、
現地でもペーサーを引き受けるっていう制度もすごいなと思ったり、
今回はアメリカのボルダーの方にいる選手にペーサーをお願いしたんですけど、
すごいマインドフルネスな選手で、私が心拍数を元にペースを決めてるって言ったら、
そんなのは気にせずに自分の感覚で走れって言った選手で。
Koichi Iwasa
あの彼です、アンソニー・リー。
Kimino Miyazaki
アンソニー、はい。
この前日本にも来てくれた。
Koichi Iwasa
マウントフジにも出られて、
僕もちょっと彼、少し顔合わせたときに話聞きましたけれども、
すごく若いけどすごく感じのいいっていうか、良い人ですよね。
マウントフジのエイドでも瞑想とかしてて、
何をしてるのかなって後で聞いたら、
これは呼吸を整えて、レースの疲労を回復してるんだよとかっていうことを言っていて、
今おっしゃったマインドフルネスというか、
話と重なってなるほどと思いましたけれども。
Kimino Miyazaki
そうなんですよ。
私もそういうのも勉強して取り入れたりはしてるんですけども、
もう100%そっち系って言ったら変ですけど、
そういう方でやってる。
でもそういう心拍だったりなんだったりで、
情報は全部入れてるみたいなんですけど、
そういう自分をどうやって交付するかっていうのはすごく得意で、
もう私が英語分からないからシンプルな英語でとにかくずっとプッシュしてくれて、
スマイルフェイスとか言って、
ちゃんと笑ってるかなとか言って、
岩場があって私が苦手そうだったら、
イージーだ、イージーって考えろって言って、
でも気をつけないとコウホータボーとか言いながら、
そういうのを14時間ずっと声かけてくれてて、
私が途中で吐いたりしてても大丈夫だ、スマイルだって言ってくれました。
Koichi Iwasa
今回スペーサーをつけて走るのは初めてだったということですかね。
それは貴重というか素敵な経験でしたね。
一方でレースの展開っていうことをどれくらい意識されてたかわからないんですけれども、
僕は今回初めてのライブ配信があって、
僕も割と最初からついついずっといろんなことしながら見てしまったりしてたんですけれども、
女子のレースということで見ると、
最後の最後の方でテレユライド出たあたりかなと思うんですけれども、
4番手に皆さんが上がったということがあったと思うんですけれども、
このあたりはもう一つ頑張り、最後まで最後に一つでも上げてみようというふうに考えたという感じだったんですか。
このあたりはどんなふうに考えたのか理解していただければ。
Kimino Miyazaki
テレユライドに入る幽霊からクレゴロスカウンティーンを上がったところで、
今回5位だったクレアっていう選手と鉢合わせ。
追いついたわけですね。
追いついて、私見た瞬間にサーッと行かれたんで。
Koichi Iwasa
前に出ていったってことですか。
Kimino Miyazaki
また自分のペースで降りつつ行ってたんですけど、
テレユライドからチャンプマガチンのところまでの133キロ地点に行くまでは、
私とクレア選手ともう後ろ1人2人いたんですかね。
なので結構女性の選手が、ちょっとペース差もあるので、
誰が誰だか分かってないですけど。
でも前後抜きつつ抜かれつつをしつつ、
チャンプマガチンが来たのは朝9時ぐらいでしたかね。
そのぐらいの時間に来たときに、
全員集合ぐらいになったんですよね。
Koichi Iwasa
チャンプマガチンで82マイル地点。
そうですね。
じゃあここから。
前の3人とは少し差があったのかな。
Kimino Miyazaki
そうなんですよね。
ちょっとそこからも3位の兄がちょっとバテてるから、
前を狙えってサポーターにも言われてプッシュはしつつも、
そこから急な傾斜を登るんですよね。
4つん這いになって、
今ゴロゴロ間違ったら落ちちゃうところを登っていくので、
私も前の選手、3位の選手と同じようにペースダウンしちゃって、
前と追いつくことはできなかったんですけど、
そのチャンプマガチンの最後のサポートエイド出るときに、
もうとにかく急ぎたいって言って。
次の選手と目が合ったら向こうがやる気出ちゃうから、
急いで出たいって言って。
そしたらアイランファンのミーガンですね。
Koichi Iwasa
スマイルくれって言うから、スマイルして。
Kimino Miyazaki
写真撮って。
写真撮って、行ってきますって言うような状態で。
そこはガタガタ、みんな最後までプッシュしつつ。