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こんにちは、出口です
こんにちは、本山です
リサイズMは、本山と出口が最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて
のんびり話すポッドキャストです。よろしくお願いします
お願いします
本山さん、M1見ました?
M1はなんか、ちょろっと見たかな
そうなんだ。僕は一応ほぼ全部見たんですけど、結果言っても大丈夫ですか?
決勝の一番最後のやつは見ましたよ、全部。
見たんだ。最終決戦。
そうそうそう。本当の決勝みたいなやつ。
評価する側の視点の多様さって大事なんだなって思ったんですよ。
どういうところですか?
いや、なんか、やっぱ、なんか、すげえ、なんか、正当派の漫才かどうかってところに、こう、重き置かれてんだなぁと思って評価するときに。
ほう。
なんて言ったらいいの?
まあ、そもそもなんか年齢が結構高いじゃないですか、みんな評価する側が、審査員が。
まあまあ、そうですね。
40代ぐらいの、若くても40代とかだもんね、多分。
そうそうそう、40、50代、50、60代の人がメインで。
なんかやっぱそういう人が受けるものが評価されやすい
まあ当たり前なんだけど
っていうのをなんかすごい感じてしまった見てて
なんかもっと評価してほしい人がいたってことですかそれは
いや僕どっちかっていうと
会員の人たちの方が好きだったんですよね
それは順番の問題もあると思うんですけど
なんか最初に出てきた人たちの方が
割と新しいなと感じたことが多かった。
例えば真空デシカっていうコンビとか。
なんだけど、一応評価されてたんだけど、
中あんま点数には反映されてなくて、
それは順番の都合上もあるんだけど、
なんかやっぱ報道を言ってる人たちの方が評価、
点数に反映されやすく評価されてたなっていうのは ちょっと感じて
いやなんかそれを見てて、自分と重ね合わせるところもあって
なんかやっぱ王道に言ってる人ってのは 評価され、その数字として評価されやすいなっていうのは
なんかちょっと感じてしまったんですよね
まあなんか難しいなって僕は思うのは まあまず
なんだろう結構曖昧じゃないですか評価が 曖昧そのガッツリこの点ですって評価できる数値で評価できるもの
じゃないと思うんですよねあの面白いかどうかみたいなことをところも含めで そうなってくると好みっていうのはもちろんあるかもしれないけどなんかこうやっぱりテクニック的な部分がどれ
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それぐらいできてるのかっていう部分が やっぱり評価のポイントになるところが
すごく大きいんじゃないかなって僕は思うんですよ
なんか今回 今回のメンバーみんなテクニックがすごい上手いし
みんな面白かったんですけど
だからなんか多分最終好みで決まった部分はあると思うんですよね
それは全然いいと思うんだけど
なんかその好みがもうちょい多様だったらいいのになって いうふうに思ったっていう感じですね
僕でも見ててね、やっぱりテクニックっていう意味では割とテクニックある人が残ったような気はしてましたよ、僕は
ああ、うん、それはそう
最終的には
うん
なので、なんだろう、まあ面白いかどうかっていう部分では普通に面白かった人もたくさんいたし、なんか新しいことやってて面白いっていうのもあったなって思うんですけど
やっぱりなんか、こう、本当に細かいテクニック的な部分で、
こう、まだもうちょっと積み上げられそうな部分がいっぱい見える人っていうのがいたような気がしていて、
その最終決戦に選ばれなかった人なんかには。
そういうところの差なんじゃないかなって僕はちょっと見てましたけどね。
そうそう、なんかもうちょっと新しさも評価したらいいんじゃないかなとかちょっと思っちゃったっていう感じですね。
結構そこ難しいよね、やっぱり。
そうそうそう。
じゃあ新しいことをガーッてやってたらいいのかってなっちゃうし。
そうそうそう。
だからやっぱその多様、もうちょっと多様な視点があっていいんじゃないかなと思ったっていう。
なるほどね。
そうそう、なんかやっぱ、正当であることとか、そのテクニックもひとつの軸だし、
なんかそっちに偏ってるなと思ったし、
なんか割と去年のM1が、あのMagical Lovelyって結構正当派じゃない候補、人たちが優勝して
なんかやっと正当派じゃないことが評価されるようになったのかなと思ったのに
なんかまた戻ったなみたいな感じがして
なんかちょっとそういう、まあ面白かったんだけど
なんだかなと思った
やっぱりなんかね、新しい中にもテクニックが必要な部分やっぱあるような気がしてて僕は
単純に新しいことをやってるってだけじゃなくて、本当に新しいことやってんだけど、新しいことの面白さで一点突破するっていうのはなかなか難しくて、
その一点突破の中にも細かい技術的な部分がいくつかあるような気はしてるんですよね。
そこが、感じないなって感じらさせてしまったら減点されていくっていうところがあるんじゃないかなって思ったりしてましたけどね。
必ずしもテクニックって軸が定まっているならそれはそれでいいんですけどね
なんか、まあやっぱその審査難しそうだなとは思いました
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いやー審査難しいよね 特に今年は
難しいと思うよ
なんか新しいことって、面白いっていう軸ですごく伸ばす可能性はあるけど
その多分やっぱりさっき言ったようにテクニックっていう一般的なテクニック漫才のテクニックっていう軸で伸ばすことは難しいじゃないか多分
新しいがゆえに だから特に今回その面白いで一点突破せざるを得なくて
そこが伸ばせないともうそこが好き嫌いで判断されちゃうとなんかもう無理無理ってなっちゃうから
そういう意味で難しいと思うんですよね。
特に今回なんか、ボラボラティリティがなかったっていうか、
なんか圧倒的にこの人みたいなのがあんまなかった。
それはね、僕も感じたような気がするね。
面白いんだ、どのグループ、コンビも面白いんだけど、
なんかみんな、こう、なんていうの、安定してるって感じがして。
うん
いやまあなんかねでもなんか 僕もなんかでも嫌だなぁと思ったのは正直
あの嫌だなっていうのは m 1自体がじゃなくて僕自身が嫌だなって思っ
僕自身に対して嫌だなって思ったことがあったんですけど なんかねそういう評価者の目線で見てしまってるの嫌だなと思ったんですよ
昔ってそんなことなかったんですよ。単純に面白いから笑うみたいな感じで笑ってたはずなのに、
それができなくなってる自分に気づいて、それが嫌だったんですよ、僕。
なるほどね。
もっと純粋に楽しみたかったなっていう気持ちの方が強くなってしまって、
なんかね、そういう、なんかさ、こういうテクニックがもうちょっと使えそうだなとかさ、
自分の中で勝手な評価者としての自分が見てるような感じになってしまって、
それがね、逆に僕嫌だったんですよね、なんか。
いやー、なんか、そうそう、そういうなんか、
まあやっぱ王道であることは評価され、されるのが、なんかな、なかなと思ったっていう話ですね。
それで言うと僕一番王道だったインディアンスが優勝してもおかしくなかったと思った
それは思いましたよ
思った思った
まあオズワルドも王道ですから
まあオズワルドもまあまあまあまあ良かったけど
どっちかっていうと西木後衣かーみたいな気持ちになっちゃいましたけどね
それはなんかストーリーも含めて最後評価されたのかなっていう感は受けましたけどね
芸人からしてみたら多分、感情移入しやすいじゃないですか。
好みの一つだからそれもいいと思うんだけど、
もうちょっとやっぱりそこに多様な好みがあるといいのになっていう。
インディアンスは技術的にはもう完璧に満点だなって思いながら見てましたけどね。
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あとオズワルドの1本目とかも完璧だなって思いましたけどね。
なるほどね。 日本目はちょっとあんま、だったけど。
いやいやいや、まああとなんか。 評価する側はいつでも難しいですよ。
最下位になってたランジャー隊は僕は結構好きだったんですけどね。
ちょっと僕は見てないからわかんないな。
まあそのランジャー隊が今回は一番漫才じゃないというか、
一番新しいというかなんだろうな、一番崩してるというか。
3匹分かれるコンビだったんですけど
あと、どっかの大喜利で見た真空ジェシカが面白かったっていうのは やっぱ面白いんだなっていうのを
ネタ今回初めて見たんですけど
コンテストの評価って難しいよね
難しいですね
評価ってさ、いろいろあるじゃん 採用の評価とかもあるしさ
採用の評価は まだ自分たちが経験があるからっていうのもあるかもしれないけど
まあ分かるかなっていうふうな気持ちもするし まだ挽回できるじゃないですか採用した後でも
だけどコンテストってもうその1回きりじゃないですか絶対に その後で挽回なんて絶対できないから
来年じゃあ甘くしますみたいなことないと思うし
そうそう、逆に敗者復活戦はインターネット投票で決めてたんですよね。
誰が上に行くのかって。で、ハライチが突破したんですけど、僕ハライチ好きだから、それ嬉しかったんだけど、
でもインターネット投票になると知名度って結構影響されるから、これはやっぱり有名な人が優位になるよな。
まあ面白かったんだけどねハライチは普通にとも思って
やっぱ評価って難しいよなと思いましたね
難しいですよね
だから審査員もなんかやりたくないみたいなこと言う人もいるじゃないですか
そうそうだからもうちょっとやっぱせめて世代をもうちょっとバラケさせるとか
キングオブコントとか 若い世代のシニアな人たちも入れたりするから
そういう感じになればいいのになぁとか思ってましたけどね
なるほどね ある意味これは別にそんなあれな意味じゃないけど
ある意味グッドデザインとか超楽勝だと思うよ
だってさ、グッドデザインかどうかっていうことしか判断しないから、
そのグッドデザインの中で一番を決めるっていうのも一番あるんだけど、
その、なんだろう、割となんかこう、ね、簡単だと思うんだよね。
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なんかこう、M1とかはさ、もう全部を否定していくわけじゃないですか、
それ一番いいチャンピオン以外を全部否定していくっていうような作業だからさ、
大変だよね。プレッシャーもでかいよね。評価者の。
いやー大変でしょうね。
っていう。
なるほどね。M1もやって、だいぶ年末っぽくなってきましたね。
まああと、収録してね。10日ですからね。
いやーもう年末感出てますけど。
じゃあそろそろ本題の話に行きましょうか。
なんか、そうだな、出口君はデザインって何だと思います?
これは別に答えがある話じゃないんで、何だと思うかっていう。
何だと思うかっていう、たぶん漠然とした、ちょっと聞いてみたかったなっていうだけなんですけど。
どの、どういう視点の話?
デザイン、本当にデザインっていう言葉とかキーワードを見たりとか聞いたりした時点で
デザインとは何だと思うかですよ。
考えたことあります?
設計、企画
それはただの翻訳でしかないと思うので、多分考えではないと思う
それぐらい、それぐらい設計って当たり前にあるじゃないですか。
それぐらい何か作るときにやって当然 やって当然というか
なんていうの誰しもがやることっていうか それぐらい普遍的なこと
なるほどね 僕は完全に僕の考えでしかないんですけど
僕はデザインっていうのはある何かと何かの間のコミュニケーションをスムーズにするようなものだと思ってるんですよね
だから、その何だろう、単純に、そうだな、何かを綺麗にするとか、美しくするとか、使いやすくするとか、体験よくするとかっていうことを、まあそれ自体もまあデザイン、一つのデザインではあるんだけど、まあそれだけではないと思うんですよね、やっぱり。
もうちょっとふわっとしたものっていう印象。 ただ必ず共通してるのは何かと何かがあって、その間のコミュニケーションをスムーズにするっていうことは、
大体どのデザインにも当てはまっていて、 デザインっていうのはやっぱりそういうものなのかなって僕は漠然といつも思っているっていうような感じなんですけど、
今回は、デザインの中でも「スペキュラティブデザイン」っていう、
なんだろうっていう感じのデザインについての話をしようかなって思うんですけど、
その「スペキュラティブデザイン 問題解決から問題提起へ」っていう本を読んだんですよ、最近。
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これが、なかなか、スペキュラティブデザインとはみたいなことが書いてないような本なんで、
非常に難しいわけですよ。
スペキュラティブって何ですか?
単純に翻訳すると、試作的なとか推論的なとか、陶器的な、思惑の不確かな、危険なみたいな、
結構ふわっとしてるニュアンスの言葉なので、あんまりこれっていう意味がないんですよね。
まあ、そうだな、こう、なんかこう、
陶器的とか、思策的、推論的とか、考えさせるみたいな、
こう、そういうような言葉なのかなっていうふうに僕は捉えてますけど。
で、なんか、この本の一番最初の方に書いてある言葉で、結構僕が、こう、衝撃というか、ハッとしたふうに思ったのは、
現代に希望はあっても夢はないっていうふうに書いていてこの人は書いたこの著者の方は
どういうことかというと希望っていうのは少なくともこう〇〇というふうにはなってほしくないみたいな
割と消極的な近未来への願望を希望っていうふうに指すことが多いんだっていうふうに言ってて
ってことは、こうありたいとか、こうなってほしいっていうことではない。
それは夢なんだって、いうふうなことを言ってるんですよね。
そういう意味で、今、現代っていうのは、希望はみんなあるんだけど、夢はないっていうふうに、この人は書いていて、
なんか割と、こう、ハッとさせられたというか、なんか、昔って、僕は昔を生きてたわけじゃないからわかんないけど、
たぶん昭和の時代の人たちって結構夢があってこういう未来が待ってるんだって思い続けてっていうか
想像して生きてたところがあったんじゃないかなって僕は思っているんだけど
割と現代っていうのは少なくともなんかこうね
なんかインフレになって欲しくないとか食料不足になりたくないとか
温暖化で寒くなったら嫌だなとかそういうことしか考えてないんじゃないかっていう言葉だと思うんですね
希望はあっても夢はないっていうのは
まあそう言われればそうなのかっていう感じですね
まあ別にね、みんな夢持ってないとは僕も思わないけど
でも割とそういう風潮にあるんじゃないかっていうのは確かにそうなんじゃないかなって僕もちょっと思ってその言葉を見て
で、このスケッティラルデザインの中では
まあ、簡単に言うと
スペキュラティブデザインっていうのは、こう、批評的な議論を呼び起こすことっていうのをやって、
で、それによってこう、どういうことが問題なのかっていうのを、こう、みんなに発見してもらって、
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こう、それについて考えてもらうっていうのが一番の目的のものなんですよ。
うん、うんうん。
これ、よくわかりますかね、これ。
うん、わかりますよ。
議論を呼び起こすためにあえて何かを作るっていう。
そうそうそう そういうこと だから 今までデザインっていうのは割と何かの役割を持ってたと思うんですけど
ここのスペキュラティブデザインにおけるデザインっていうものの役割っていうのは いわゆる社会サービスみたいなものにおけるメディアになる
メディアとして捉えて、それを通して、今の社会だとか、生活だとか、考え方っていうのを改めて見返すっていうようなものだっていうようなものですね。
スペキュラティブデザインっていうのは。だから、想像力っていうのを駆使して、問題に対する新しい見方っていうのを切り開くようなもの。
それって、アートの分野でもそういうことを考えてアートを作っている人っていると思うんですけど、それとは違うんですか?
そこは結構重なってくる部分じゃないかなって思いますね。
だから、アートってわりと抽象的な部分があるから、自分がこれアートだって言えばアートになっちゃうところがあると思うんですよ。
ただ、それが何かのために表現したものだっていう可能性もあって、
それは割とスペキュラティブデザインとすごく重なってくる部分ってすごくあったりしますね
そうですよね なるほどね
結構ね だからそういう意味でもアートに限らず
すごくエンターテイメントだとかそういうものとかにすごく領域が近い部分でもあるんですよ
映画とかもそういうのありますもんね
そうそうそう SFA映画とかね まさにそうな感じですよね
で結構だから今までの今までのってことはないな
そのよくあるなんかサービスデザインだとか
なんかそういうデザインっていうのは
まあ課題解決型デザインみたいな感じに言われたりしますけど
そういうのっていうのはどっちかっていうと
この未来というかちょっとした
もうちょっと先の未来というか
そういうもののあるべき姿っていうのをもう提案してしまって
そこに行くといいよねっていう話を
基本的にはするデザインなんですよね
だけど、このスペキュラティブデザインっていうのは、
未来に対する予測っていうようなものじゃなくて、
未来の可能性みたいなものを示して、
それをツールとして使って、
さっきのメディアっていう話があったけど、
現在を変えりみて、本当にどっちの方向に進めばいいのかっていう方向性を考えてもらうっていうようなもの。
だから 課題解決型のデザインとは かなり真逆のものとも言えるかもしれないなっていう
ベクトルが違うんですね
うん
結構 課題解決型デザインっていうのは やっぱり起こりそうな未来っていうのを
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結構 徹底的に理解するっていうことで 評価するじゃないですか 大体
うんうんうん
それを試してみて 評価して 精度を高めていくっていう作業だと思うんですよね
うん
ただなんかこうスペキュラティブデザインっていうのは、まあ完全にこれ起こらないよねっていうことではないんだけど、もしかしたら起こり得る未来っていうのがあったとして、
まあ結構ね、そういうのが映画とか小説とかSFみたいなジャンルとかでよく描かれたりしますけど、
なんかそれにすごく近くてやっぱり、ただ一つというか一つ二つぐらい確か条件があって、
その完全に現実から駆け離れすぎた空想科学ではないっていう風に言ってるんですよね
そうなってしまうともうなんか完全に夢物語みたいになっちゃうんで
それはなんかもうそれと比較する意味がないじゃないですか現在を だけだからそこは必ず現在から
自続になっていなきゃいけなくて、やっぱり。
現在の、例えばクローン技術みたいなものがあったとして、
クローン技術っていうのが今も存在してるし、
その研究っていうのが、今後すごく進んでいったらっていう未来を描いたりするわけですよ。
そこがスペキュラティブデザインの領域だっていうところですね。
なるほど。
ここも結構面白かったのが、
シナリオを考える専門家っていると思うんですけど、だからそういう意味では、このシナリオを考える専門家っていうのは、
不可能を避けるっていうことではなくて、許容可能なものにするっていうことが仕事だっていうふうに書いてあって、
それ確かにそうだなと思ったんですよね。
どうしてもSFだとかフィクション的なものの小説でも映画でもいいんですけど
っていうのってありえない世界を描いてるっていうふうに見られがちだと思うんですけど
案外結構映画とか設定がちゃんとしっかりあったりとかさ
今の技術ですごく現実的なものに結びついていたりとかっていうのを
すごく考えられてたりするっていう意味では
突飛な世界観ではあるけれども、やっぱりどっかで現実と、なんか、こう、持続になっていて、許容可能なものにしているっていう、なんか、
ところがあるなっていうふうに思ったんですね。だからそういう意味で、そういうシナリオを考える専門家っていうのは、なんか、そういう役割なんだっていうのを改めて認識させられたというか。
何だっけなんかSFプロトタイピングみたいなのありますよね?
ありますありますあります
まああれもだから何だろうな
プロトタイピングでまあこうSFを基にしてやるっていうのは
何だろう単純に多分映画とか小説だけだと
感じられない部分っていうのを体験してみようっていうところですよね多分役割としては
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実際に現実のものとしてそれがあったとしたらどう感じるのかとかっていう部分
それを体験したらこの未来って本当にいいのかっていうふうに考えたりとか その先をもしかしたら考えられるかもしれないっていう意味での多分プロトタイプだと思うんですね
そのSFプロトタイピングっていうのは
そうですよね
ドラえもんのタケコプターが全世界に家庭にあったとしたら どんなことが起こるのかみたいなそういう話
ざっくり言えば
そうそうそう だからなんかよくさなんか昔ちょっと前のなんかのエピソードでも話してる気がするけどさ
コンセプトデザインとかさあるじゃないですか コンセプチュアルデザインとか
僕も正直、いまいちどういうものなのか、 どう考えたらいいのかって、
あんまりよくわかってなかった部分が あったんですけど、
このコンセプトデザインっていうのって、 スペキュラティブデザインとか、
問いのデザインとかもすごく近い分野で、 かなり近しい分野で、
コンセプトデザインっていうのは、 それ自体を評価するものではないんですよね。
そのなんかコンセプトデザインでもさなんか作るじゃないですかやっぱりなんかのプロトタイプとか
なんかコンセプトデザインの車ですとかって発表されたりしますけど
でもあれってそれ自体を僕結構それ自体を評価するような目線で見てたようなところもあったような気がするんですけど昔は
でもそれって実はそれ自体を評価するわけじゃなくてそれがある世界観とかそれがあったことによってどう感じるのかとかそういう部分が重要なのであって
あれもどっちかっていうとやっぱりスペキュラティブデザイン的な考え方にすごく近いものなんですよ
それを具現化したっていうもの
なるほどな
だなっていうふうになんかこれをこの本読んでて改めてなんかそういうことに気づいたというか
じゃあそのスペキュラティブデザインっていうのはなんていうか
問い、大きりの問いってこと?なんかこう
あ、そう、いやでもね、問いではなくて、問いを立てるための対象です。
対象というか、なんかこう、きっかけというか。
なるほどね、そのスケッペラティブデザインの中で作られた、まあ何か制作物があったとしたら、
まあそれが、ある未来を想像して、まあそれが問いとなるというか。
なるほど、それが問いを形成するってことだった
そうそうそう
だから、問い自体はデザインの中には含まれてなくて、
問いを立てるきっかけになるものがあるわけですね
なるほどね
で、それを問いを立てやすくするっていうのが、
そのデザインの部分になるっていうか
なるほどね
みんなに考えてもらうためのデザイン
なるほど
27:00
でもね、僕もね、これは大喜利っぽいなって思ったんですよね、やっぱり
うん、そうですよね
結構デザインとかって、特にプロダクトデザインとかって、どうしても商業的な部分というかさ、そういう制約があるじゃないですか。なんかやっぱり売れるかどうかとかさ。
で、ただそういう制約から離れることで、すごく自由にアイデアとか問題っていうのを考えることができて、それを表現することができるっていう部分がやっぱあると思うから、
すごくなんかこれってなんかこう そのなんていうの
考えを広げて考えてみるって意味ではすごく大喜利っぽいなーっていう部分もあるし そうですね単純にそれ自体を良し悪し評価するっていうものじゃなくて
なんかそれによって他の何かを生み出したりするきっかけを作るっていう意味でもすごく大喜利っぽいなと思ったんですね 確かに
確かにそうですね だから割と大喜利はあの
スペキュラティブデザインなんじゃないかなと僕は。
そういう意味で。
なんか今聞いてたらそう思った。
なんか、こう、なんだろうな。
なんか過去の日本グランプリーのお題の中で、
最新型洗濯機、この機能いる、どんな機能?っていうお題があったらしいんですけど。
うーん、はいはいはい。
なんかそれってスペキュラティブデザインなのかなって、
今聞いてたら思ったな。
でもね、その可能性ありますよね。
あの中ではエンターテインメントとして 面白いものとして紹介しているけれども
実際にこういうものがあったらどうなんだろう というふうに考えるという意味では
その問いっていうのはすごく近いですよね スペキュラティブな考え方に
実際にこの本の中では結構 いくつか事例というか
これの場合はこんなふうにっていうのが いろいろ紹介されてたりするんですけど
結構そういうダークファンタジーじゃないな、ダークなエンターテイメント、なんかこう風刺的なものっていうのもいくつか紹介されたりしてて
だからそういう意味ではなんだろう、面白おかしく、表面的には面白おかしく出しているんだけども
やっぱりどっか考えさせるものっていうのも表現として、表現の方法としてそういうのもあったりするっていうのがこのスペキュラティブデザインですね
なるほどね
コンセプトデザインについてもうちょっと言っておくと、なんかね、コンセプトとアイデアっていうのは別物なんだよっていうふうにも言っていて
コンセプトっていうのは全体の方向性を示すものなんだけど、アイデアっていうのはどっちかっていうとその方向性の中でそれを具体的にこう
作っていく構成要素でしかないっていう
ベクトルを示すものがコンセプトってこと?
コンセプト、そうそうそう
それを具現化まではいかないけど、ざっくり形にしていくものっていうのがアイデアで、
さらにその中にもちょっとプロトタイプだとかそういうものがあるみたいな感じになってると思うんですけど、
それも結構コンセプトとアイデアってわりとごっちゃになりがちなところがあるんだけど、
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その辺も割と整理されていて、あとさっき言ったアートっていうのは、それにそういうものなのかっていう話もあったと思うんですけど、
結構、やっぱりこれ近しい存在である場合もあると思うんですよね。
ただ、通常のアートとは目的とするところが若干違うところがあって、
基本的にアートっていうのは芸術家の思考を表現するものなんですよね。
ただそのコンセプチャルデザインっていうのは新しい可能性だとか問いを考えさせるための表現なので
だからその芸術家自身がその問いを考えさせるための表現を施行していたら同じものになるんだけど
そうじゃなかったら別物になるっていう
だからここがなんか微妙に重なる部分っていう話ですねさっきの
なるほどね
どこに軸があるかやっぱりデザインって基本的には自分そのデザイナー自身の中にはない話なんですよねやっぱり
その中にないっていうか、自分自身が軸になっている話じゃなくて、やっぱりどっか外にあって、それをどうやるかっていう。
他者に何かを起こさせるってこと?
うーん、そう。まあ、他者に何かを起こさせるというか、やっぱりアートって、そうだな、こう、自分が軸に絶対あるんですよ。
その芸術家の中。
自分から出てくる何かがあるってこと?
そうそうそう。
だけどデザインっていうのは絶対僕そんなことないと思ってて
それが外側にあってそれに関与するのがデザイナーだと思ってるんですよ
なるほどね
もちろん自分の好みが反映されるとかそういうところはあるかもしれないけど
やっぱりそれはアートではないんですよね
他者が自分にもなり得るかもしれないけど
アートの場合は自分っていうところが絶対的にあるってことか
そうそうそうそう
だからそこが決定的にそのアートとデザインの違うところで
ただそのコンセプチャルデザインっていうのは割となんていうんだろうこう
問いを考えさせるための表現だったりするわけだから
それは芸術家自身がそのそれを自体を自分の中に持っていて
それを表現する可能性もあるっていう意味で
その場合は重なるっていうところですね
なるほどね表現の可能性として
スペキュラティブデザインがあるかもしれないっていうことか?
そうそうそう。その芸術家の中に。
だからこの本の中でもやっぱり、これはかなりアートっぽいなっていうか、
アートって言うんですよね、ほとんど芸術家って呼ばれてるような人たちの作品の事例とかっていうのも評価に載っていたりするので、
そういう意味では、全然これを重なる部分で、すごく曖昧な部分でもあるっていう感じなんですよね。
なるほどね。
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なんかでも結構面白かったのは、なんかね、 やっぱりデザインっていうのは、
昔、ちょっと前にさ、デザイン師概論ってやったじゃないですか。
色々書く時代の、時代のというか、ほぼほぼ近代だけど、
書く時代のデザインについて、色々軽く学んでいったわけだけど、
その割と過去のデザインっていうのは、コンセプチャルだとか、スペキュラティブ的なデザインの模索みたいなものがすごく行われていたんじゃないかなっていうふうに僕は思っていて、
この本の中でも若干そういうようなことが書いてあるんですけど、
例えば、ウィリアム・モリスとかっていうのは、本当に一番最初の頃ですよね。デザインが生まれる。
これっていうのは、結構、工業主義だとか、大量生産社会みたいなものからの脱却をどうしたらいいのかっていうのを、問題提起するために動いた人だったりするわけですよね。
自然人間性への回帰みたいなところを描いて。
とかなんかポストモダンとかも割とこうなんだろう なんか奇抜な人たちみたいな風に
デザイン師が異論でもちょっと話したりしてましたけど
あれもどっちかっていうとモダニズムみたいなすごく実用性合理性みたいなところ 商業主義的な部分無効性みたいなところとこう
真逆な世界線の発想なわけですよね。
あれも、そういう世界線だけじゃなくて、
もうちょっとこういう可能性もあるんじゃないのっていうところを
みんなに捉え直してもらうための運動だったりしたような気がしていて。
そういう意味で、結構今までの過去のデザイン師っていうのは
割とスピキュリティブデザイン的な模索っていうのが
すごく行われていたんじゃないかなっていうふうには思うんですよね。
うん まぁ確かになんかこう その時点からの
ビルドアップ的な延長線上にある話ではないですもんね
そうそうそう こうなったらこうなっちゃうんじゃない?みたいな
そうそうそうそう そうなんか違う文脈がいきなりこうガンってくるみたいな
そういうところがあるような気がするんですよね
あのソビエートのなんだっけ ロシアアバンゲルとか
ああそうそうそう
まあいうのもまあ他のちょっと文脈とかっていうのを組んでる部分はあるけど
でもあれも、単純に実用的なデザインをという話だけじゃなくて、
やっぱり社会だとか政治だとかっていうのをどうある風にしていくか、みたいなところが含まれていたりとかっていう意味でも、
単純に何かの課題を解決するためのデザインとかっていうのと違う文脈の話なところがあるような気がするんですよね。
うん、確かに。
ただ、この本に書いてあったのは、やっぱり1980年代ぐらいからデザインっていうのは完全に商業化されてしまったっていうふうに言っていて、
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デザインが持つ他の役割っていうのが全部非経済的なものとして軽視されるようになって、
どんどん薄れてしまったみたいなその辺が。
で、この作者の人は、だからそれをもうちょっと現代風に改めて確立していこうっていうので、スペキュラティブデザインっていうのを訴えているっていうような。
そんな感じらしいですね。
このスペキュラティブデザインの前に、クリティカルデザインっていう、これも似たような批評的なっていうような意味のデザインっていう本も書いてるんですけど、
割とずっとそういうことを訴えているような人みたいな感じでしたね、この人が。
なるほどね。なんとなくわかる気はします。
ちなみにクリティカルデザインも結構面白い話がちょっと書いてあって、
クリティカルデザイン、さっき言ったようにクリティカルデザインっていうのは、
その批評的だとか風刺的な手法っていうのを用いて未来を考える、
きっかけを与えるデザインって、割とスペキュラティブデザインとすごく近しいようなものなんですけど、
この人が言うに「クリティカルショッピング」っていう考え方があるって書いてあったんですけど。
「クリティカル」ってどういう意味合いの?
「批評的な」ってこの人は訳してたんですけど。
クリティカルショッピング?買い物ですよね。
批評的な買い物ってどういう意味なんだろうって思うかもしれないですけど、
これって、あるものを買うことでその未来を受け入れるっていうふうにこの人は言っていて。
なるほど。
どういうことかっていうと、なんかね、この人が言うに、
最近っていうのはやっぱり、労働者の力っていうのが昔に比べて弱くなってきたっていうふうに言っていて、
もちろんね、ストライキしたりとかっていうのも、いまだにあったりしますけど、
でもやっぱり昔のほうがもっと労働者の力っていうのはすごく強かったんだけど、
今はやっぱり企業側のほうが強くなってしまっているっていうふうに言っていて、
で、じゃあそんな世の中で、その一般市民たちが手にできる力っていうのは何かっていうと、消費者としての市民なんだっていうふうに言ってて、
まあ最近でも中国で不買運動とかあったりしますけど、その消費っていうのを、まあ何を消費するかとか、こう拒絶するだとか、
そういうことをすることによって抗議することができるんだっていうふうに言っていて、
つまり、あるものを買うっていうのは、そのあるもの自体、そのもの自体の考え方とか、それがある未来っていうのを受け入れる、現実のものにするっていう行為だっていうふうに言ってるんですよね。
これすごく面白い考え方だなと思ったんですよね。
普通にさ、欲しいから買うとか、そういうふうにぐらいにしか考えてなかった。
購入するっていうものっていうのは、ことっていうのは、
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なんかこう、そのもの自体がある未来っていうのを、
なんか受け入れているんだっていう考え方?
なるほど。
逆に言うと、買わないっていうことは、そのものが存在していることを拒絶しているわけですよね。
一人一人の力は弱いんだけど、それが積み重なることによって、世界的にそれが受け入れられるか受け入れられないかっていうのが決まっていくっていう。
そういう意味では、今は消費者っていうのがすごく力を持っている時代だって書いていましたね。
なるほどね。
この市場経済的な世界だと。
なんとなくわかりますよ。
このクリティカルショッピングっていう考え方 マジで面白いなと思ったな
確かに 近いのかわかんないけど
たまにネット記事とかで ネットメディアとかで あんま好きじゃないなって思うものは
なんかなんていうの PVすら与えたくないから 開かなかった
わかります でもそれも近いよね
僕らもその運営者の立場として ページビューとかユーザー数とかが
そのサービスの寿命を決めるってことは 知ってるから
だからPVは与えたくないっていう風に 思うんですよ
個人的にね なんか別にそれがすぐに なんかダイレクトに響くとは何も思ってないけど
いやでもそれ確かに正しいよね
なんか消費って別に何かを購入することだけを 指す言葉じゃないじゃないですか
何かの動画を見るとか、そういうのも消費って言われたりするわけだし
そういう意味では、何かの動画を見るかどうかっていうのによって
それが再生数なのか、PVなのかもしれないですけど
何かを受け入れるか受け入れないかっていうのを判断していくっていうようなことをやってるわけですよね
そうそうそう、それはあるよなって思うし
もしかしたらPVとかじゃなくて何かに対してツイートするっていうことも
なんか炎上マーケティングとかあるじゃないですか
それと言えば炎上させてツイートさせて、それがまあ何らかの形でお金になってると思うんですけど、
それをしないっていう、なんか。
はいはい、わかりますわかります。
むしろなんかこう、ちょうどね今日、誰かがつぶやいててあるなと思った、Twitter見ててね、思ったんですけど、
なんかこうサービス運営してると
あのご意見来るじゃないですか
そのクレームとかここ使いづらいとか
そういうのはよく来るけど
逆に使いやすいとか
そういうのって
あの開発者にフィードバックとして来ない
来づらいじゃないですか
まあまあそうだよね
使いやすいのは当たり前だからね
基本的に
なんだけど開発者もなんかやっぱ
そういういいフィードバックが来たら
モチベーション上がるし
もっと頑張ろうってなるじゃないですか
要は、その生肥の寿命が上がるけど、やっぱこう、使いづらいとか、それが特に纏えてない場合のクレームみたいなのがたくさんくるとやる気なくなるし、
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そこで生肥の寿命が短くなることもあると思うんですよね。
なんかそれと近いなって今聞いてて思いましたね。
ああ、でも、そうだな。
僕はあんまりこう、なんか負のフィードバックが返ってきたとして、
それによってなんかこう寿命が縮まるっていうことはないんじゃないかなっていうふうにはやっぱり思いますね。
いやまあ、的を得てたらね。
なんかこう…
いやまあ、なるほどね。的を得てたらね。
まあなんかでも、なんかこう、それに対するなんか反応があるとか、
それに対して何かをしようっていう力が働くっていうのは、
やっぱりそれだけその人にとって何かを影響を与えたものだと思うんですね。
そのもの自体は
そういう意味で
さっき言っていた
クリティガルショッピングの考え方では
多分その人はもうそれを消費しているわけじゃないか
って思っていて
そうですね
だから何か
その開発というか
製品を生み出した人のスタンスによると思うんですけど
スタンスによっては
ポジティブなフィードバックが
プラスになることもあれば
ネガティブなフィードバックがプラスになることもあると思ってて
だから一番ニュートラルな状態って反応しないことだと思うんですよ
そうそうそう
それがクリティカルショッピングと近いなと思って
インターネットの場合は購入しないってことが反応しないってことなのかなっていう
だからよくあるじゃないですか
違うかなちょっと
いやまああるか
炎上マーケティングとかっていうのもあるからさ
ユーチューバーとかインフルエンサーとかさ、何もこう、話題にされなくなった時が一番寿命が使う時なんていう話がよくあるじゃないですか。
そうそうそう。
それと同じですよね。
そうそうそう。
そういう人たちの場合はネガティブなフィードバックを受け入れてたくさん欲しいっていうスタンスの場合もあるから。
だからやっぱ、ニュートラルな状態が何も反応しないっていうのが一番ニュートラルなんだろうなと思う。
いや、なんかね、だから僕、その、なんかある意味職業病のところはありますけど、
その、昔、そのHatenaっていう会社に勤めていて、
その一番この、一番ってことないかもしれないですけど、
割とこう、なんていうの、文化的なHatenaの、使ってるユーザーさんの文化的な、そのなんか、こう、なんていうんだろうね、
文化的な特徴がすごくあるサービスとして
「はてなブックマーク」っていうのがあって
それのデザインとかっていうのを担当してた時期があったんですけど
やっぱり「はてなブックマーク」って
特にコメントが主の軸にある機能としてあるから
45:00
僕が例えば「はてなブックマーク」のデザインを
いろいろ変更したりとか、いろいろ付け加えたりしていくことによって、すごくダイレクトにいろんな反応がもらえるわけですよ。
で、結構、Hatenaの場合はディスコミュニケーションっていう、わりとネガティブっぽく見えるコミュニケーションっていうのをするような文化がすごく特徴的でよくあったから、
まあ一見するとすごく辛いコメントばっかりいっぱい来たり、反応が来たりばっかりする時があるんですよ
だから僕それをずっとさ、受け続けてきたからもう麻痺ししまったんですよね、逆に
まあまあでも、なんていうの? 2000年代からインターネットやってる人はそういうのは多いんじゃないですか
ああまあそうかもしれない
でも逆にそういうのを感じてしまう
もうそれになれると
逆に何ももらえないっていうのが恐怖になるっていうのが
すごくよく分かるんですよね
そうですね
何も反応されないっていうのは
もう使われているのかどうかも分からないし
なんか使われても何も思っていないのかなって
いうふうに思ったりし
いや分かる分かる
そういう意味では手応えが何もなくなってしまって
すごく怖くなるっていう
分かる分かる
僕もそれがわかるから、自分がちょっと嫌いなものというか、 違うなと思ったものには反応しないという選択をすることが一番効くということを知っているっていう。
僕もそうしてるから非常によくわかりますね。同じことしてますね。
逆に、良いものはにはちゃんと良いっていう風に言わないと続かないと思うんです。
そうだね それも確かに なんか ある意味 こういうサービス作っていたりとか
そういうことを経験してるからこそ いいものに対して ちゃんといいっていうふうに
ヒードバックするっていうな マインドがあったりしますよね
普通の人ってあんまりないと思うんですけど そういうふうに
で 逆になんか 好きなサービスなんだけど もっと心よくしてほしいって時は
ちゃんとご意見をフォームに書くとか やっぱアンケートに答えるとか
それもさ、やっぱりなんか
職業病ですけどね、これも
そうそうそう
なんだろう、頑張ってほしいから書くっていうところすごくあるよね
あるある、嫌いだったら書かないですよ
フレームっていうよりも
そうそうそう
嫌いだったら書きもせず、何も黙っていなくなるんだけど
そうそうそう、もう黙ってスッとアプリを削除するみたいな
そういう感じになったりするから
S 用によくわかりますよね、その辺は
うん
それはまあ職業用ですよね
(笑)
まあまあさっきのはそういうクルティカルショッピングっていう話ですね
うん
まあなんかでもそうだな
結構いろんな事例がこの本の中にはこういうスペキュラティブデザインの形としてこういうのがあるよねっていうのがあったりしたんですけど
48:00
うん
例えば、出口くん見てないかな?
『ブラックミラー』っていうドラマ、見ました?
存在はしてます
僕もそんなたくさん見てるわけじゃないから
ちょいちょいしか見てないんですけど
『ブラックミラー』って、今だったら今でもNetflixで見えるのかな?
ちょっとわかんないですけど
もしかしたらNetflixで見えるかもしれない
なんかイギリスの方かどっかのドラマで
なんかこの『ブラックミラー』っていうのは
今、企業が開発してるテクノロジーっていうのを 割と早送りして、その未来を描いて
それぞれのテクノロジーが背負う夢とかが 悪夢に変わって、若干風刺的に、そういう意味では
人間に不愉快な結末をもたらすっていう そういう未来の、そういうブラックファンタジーっぽい
ブラックSFっぽい時代の世界を描いた風刺ドラマなんですけど
これもさっき言ったように、別の世界線
普通だったらこういう世界線があるよねっていうものとは全く違う世界線のものを描くことによって
その見る人にどんな世界を暮らしたいのかっていうのをある意味問いかけている作品だっていうふうに
この本では書いてましたね
なるほどね
だからそのテクノロジーそのものの良し悪しとかっていうものだけじゃなくて
単純にその背景にある、それが現実のものになった時の背景にある社会的な側面だとか
文化的な側面だとか 倫理的な側面って 多分 その世界観が描かれると
一緒に描かれていったりとか 考えさせられる部分が多分あると思うんですよね
そこを考えてもらうっていう意味では すごく映像作品ではありますけど
非常に優れたものだっていうふうには 書いてありましたね
ただ 結構他にも面白かったのが
映像、さっきも言ったようにSF映画とか映像みたいなもの、アニメーションも含めて
とか、もちろん小説みたいなフィクションの本とかっていうのもあったりすると思うんですけど
映像っていうのはどうしても受け身になりがちだっていう話がこの人はしていて
映像の場合さ、特にその中にストーリーとかあったりすると思うから
その世界観を純粋に楽しんで終わってしまうというか、受け身になってパーッと浴びるように見て、はーって終わってしまうみたいなところがあるんじゃないかって言ってて
確かに
一方で本っていうのは非常に読者に対して想像する余地を与えるんですよね
その文字っていう情報しかないから
だからその風景だとか、どういう風な情景があるのかっていうのを、たぶんすごく想像しながら読んでいくっていうような感じになっていくと思うんですよね。
で、この両者の間にあるのが、このスペキュラティブデザインっていう考え方だっていうふうにこの人が言っていて。
なるほどね。
映像だとどうしても受け身になりがちがっと。
で、ただ本だとすごく読者の想像に、 想像力とかそういうものになんか委ねすぎてしまうので、
51:07
その間で、すごく映像的には、まあすごく直接的にわかりやすい手段にしていくんだけど、
なんかよりこうそこから、さらにそう想像を含ませるとか議論を発展させるっていう部分を、
こうなんかスペキュラティブデザインには持たせる必要性があるんだっていうふうに言ってましたね。
スペキュラティブを受け手にさせる余韻があるかどうかというところが
そうそうそう そういうことですね
でもブラックミラーとかは割と
でもどっかエンターテイメントと昇華している部分がやっぱり自分の中にあるような気がするから
そういうのを見てると
そういう意味では なかなか考える余地を与えるっていうところが
うまくいってない部分も ありそうなところはあると思うんですよね やっぱり映像っていうのは
まあ1個のストーリーがちゃんとあって 1個のエンターテイメントとして楽しめるってことですもんね
うん そうそうそう
まあそれはそれで正しいと思うんだけど エンターテイメントとしては
だからSpeculative Designみたいに 何かをこう…
きっかけというか、引っかかるものを作るという部分は、やっぱりデザインの部分に入ってくるんじゃないかなというふうに思うんですよね。
なるほどね。風刺画とかはスペクラティブデザインってことですか?
風刺画?
昔からあるような。
まあ、その何を風刺しているかによると思いますけど。
そうだね。
でも政治の風刺画とかはさ、よく昔からなんか新聞にあったりしますけど、あれはどっちかっていうと、現状を面白おかしく描いているっていうのものだったりするから、ちょっとまた違うような気がするんですよね。
まああくまでなんかスペキュラティブデザインっていうのは、こう未来を描くというか、体験できるようにした上で、なんか現状を変えり見る、なんかこう、鏡写しにして、こう、今どうあるべきかとか、なんかこれからどう進んでいくかべきかっていうのを考えさせるっていうところだと思うから。
手段は似てるんだけど、時間軸が現状なのかどうなのかってところなのかな。
そうかな。
うん。
ベクトルの長さの違いなのかな。
うん、なるほど。
いやー、そういう割と難しいことがいっぱい書いてある本なんですよ。
それは本の内容的にはどういう感じなんですか? 事例の紹介的な感じなんですか?
あのね、そうですね。この本の、多分翻訳した方かな、日本語に。
人も一番最初の方に前書きみたいな感じで書いてるんですけど、
54:02
この人も言ってて、やっぱりスペキュラティブデザインとは何かっていうのを一つ一つ積み重ねて
こうですっていうふうに言うものではなくて
これもスペキュラティブデザインだよねみたいなのを
周りにあるようなものを全部並べていって
これもスペキュラティブデザイン これもスペキュラティブデザインみたいな感じで
ふわっとこの辺はスペキュラティブデザインだよねっていうのを
差し示すための本だっていうふうに書いていて
だからそういう意味でも割とこれだっていうのがあんまりないんだけど
これもっていうのがいっぱいあるみたいな感じで
いろんな事例が紹介してあるっていう感じですね
なるほどね
結構ね、この考え方って僕、非常になんか面白いなーって思うことがあって
これもハテナの時の話なんですけど実は
なんか、あのね、コンドーさん、ハテナの創業者のコンドーさんが
なんかいろんな人に会ってる時期があって
で、なんか、なんかで知り合った数学者のモリタさんっていう方がいるんですけど
結構若い方で、で、その人と知り合って、その人を呼んできて、
話してもらったことがあって、僕それを聞いてたことがあったんですよ。
その時に話したのが、「県論」の話っていうのをしたんですけど、
県論って知ってます?
県論?
県論って数学的なやつなんで。
県ってあの県ね。
国辺とか、そうそうそう、の「権」に論、論、論術の論
いや、中身は全然わかんないですけど、存在はわかります
僕もね、正直ね、中身全然わかんないんですよ、権論について
これ多分数学にかなり詳しい方じゃないとわかんないんですけど
で、この権論とは何かっていう話を、その森田さんがしてくれていて
解くべき対象となる、権となるもの。
なんか、ざっくりこの辺っていう言葉だと思うんですよね、この権っていうのは。
で、そのものを解きたいわけだ。どういうものなのかっていうふうに解きたいわけだけど、その権っていうのが。
ただ、それを直接的に解こうとすると、それが難しいわけですよ。
その時に、その「権論」的な考え方では、その対象となるものと、その周りにあるものとの関係性を見つめることで、
その対象となるもの「権」について理解しようとするっていう考え方で、この「権論」っていう考え方は学問を。
そういう意味で、このスペキュリティブデザインも同じような感じだと思うんですよね。
そのスペキュラティブデザインとは何かっていうのは直接的に何かっていうのは
見ることはできなくて
その周りにある事情を見ていくことによってその関係性を見ることで
57:00
スペキュラティブデザインってだいたいこういうような感じの
なるほどね
なんかモヤっとしたものなんだっていうのがわかってくるみたいな
これはこうこれはそうこれは違うっていうのを繰り返していくことによって輪郭が
そうそうそう輪郭が見えてくるっていう
そういうタイプのものなんだなっていう
結構ね、この検論の考え方僕すごく好きで
なんか結構これ多いと思うんですよね
ユーザーインタビューとかもすごく近いと思っていて
なんか直接的にそれを見ることって難しいんだけど
他の周りを固めていくことによって
なんとなくこの人の輪郭っていうのが見えてきて
ざっくりわかっていくっていう、そういう作業をしていくっていうのが、ユーザーインタビューにはすごく近いような気がするんですよね。
なんか、マインスーパーみたいですね。
そうそう。すごくいいですね。マインスーパーっていう例え。
あの、Windowsのね、ゲームね。
そうそうそう。あれ、確かにそうだね。あれに似てる考え方なのかもしれない、確かに。
なるほど。
この時の数学の話もすごく面白かったんだよな
数学って、さっきの検論の話で言うと 数字が一切出てこないじゃないですか
いや、それもわかんないけど そうなんですね
さっきの考え方でいくと、そうなんだろう 考え方だけの部分でいくと、数字が出てこないじゃないですか
単純に周りにあるものを見ながら 対象を考えますっていう話だから
概念的にはね
そうそう、でもそれが数学の一部なんですよね、その検論っていう考え方は。
で、この森田さんがその時言ってたのが、
なんか数学っていうのはそもそも数っていうのを扱おうとした学問ではなくて、
人間だとか世界だとか自然っていうのを理解しようとした学問で、
なんかそれを一部数式的なツールを用いて解き明かそうとしてるだけなんだっていうふうに確か言ってて。
だから何かを考えようとした時の学問が数学なんですよね。
何かを学問として学ぼうと思ったら、それは数学だっていう話を確かしてたような気がしてて。
へぇ〜、なるほどね。
確かにガリレオとかって、数学者でもあり、天文学もありみたいな、ありますよね、そういうのって。
なんか数学ってさ、あれじゃん。証明とかもあるじゃん。そういう意味で、そのなんだろう、単純に数字的なものではなくて、
どう考えるかっていう部分も数学の一部に入ってるんですよね。
結構その、それはなんか目から鱗だったなぁって思って、その話を聞いた時は。
哲学的な部分も入ってるってことですね。
いやでもね、この哲学的な部分の話、結構僕実は好きで。
1:00:01
なんかね、この本の中にもちょっと面白い話があったんだけど、
この世界っていうのは複数の現実があるんじゃないかっていう話をしてて、どういうことかわかりますかね、この複数の現実がある。
世界線が2つあるってこと?
まあ普通に考えるとそうかもしれないですね。
ただ、なんか、そうだな、
なんかね ちょっと前に僕 何かで見たんですけど これも面白いなと思って似たような話で
数式 まあさっき言ったように 数式だとか 方程式だとか 物理原則っていうのがあるじゃないですか
これはそうだよねっていう
で これの こういった類のものっていうのは 不変なのかどうかっていう話があって
どっちだと思います 不変なのかどうか
はいもう書いてください
どういうこと?
数式の方程式だとか、物理原則っていうものがあるじゃないですか
もうこれはこうだよねっていうのが
それって言えば不変だと思います
不変ってなんですか?
未来ずっと変わんないってこと?
そうそうそう、変わらずあるっていう風に
そんなことはないんじゃないですか?
分かんないけど
そんなことはない
なんか発見があったら変わったりするんじゃないですか?
ああそういう意味でね
例えば、1+1=2だとして、それは不変だと思います。
一応、今は不変なんじゃないですか。
まあ、でもそうだよね。今は不変だよね。
結構その時の話題になってたのは、こういう原則っていうのが、例えばこの世から人間が一切いなくなったとしても不変なのか、変わらず存在するものなのかっていう議論をしてたのを見かけて、
それはどう思います?
1+1が2であることが?
1+1は2であることが、人間がいなくなったとしても変わらないのか。
うーん
なんですかね そもそも1+1=2って何なんだって思っちゃいますから
(笑)
なるほどね
まあでもね 結構この問いかけって僕 哲学的な問いかけだと思っているんですよね
なんか数学的な証明っていう側面と 哲学的な証明っていう側面が多分あって
この議論をしている人たちも、その量極端に分かれて話していたような気がしていて、数学的には1+1=2っていうのは、もう絶対変わらないわけですよね。
それは変わらない。
栄光、未来、栄光。
それは分かります。
ただ、哲学的に言うと、これはそんなことはなくて、何でかっていうと、果たして人間、それを1+1=2だっていうことを考えることができる人間がこの世からいなくなったら、
なったらそれ自体を考えることもできなくなるから
存在しなくなるんじゃないかっていうふうになるんですよね
そう今言われて思ったのは何か例えばリンゴが1個もう1個リンゴがあったとして
1:03:03
それが2であるっていうのは人間が考えたことだから
じゃあ1+1=2って何なんだって思ったんです
まあもっと簡単に言うと何だろう哲学的な話でそこにリンゴがあるっていうのは
そのリンゴがあるっていうことを 確認することができる人間がいなかったら
そこにリンゴがあるとは言えないんじゃないかっていう話とか
リンゴがあるって何なんだっていうね
そうそうそう それも哲学的なそれが証明できるかどうかっていう話に近い
だからさっきのやつもそれに近いなと思っていて
で、そこが複数の現実にどうつながるかっていう話なんですけど
この人が書いてるには この著者の人が書いてるには
人間っていうのは一人一人 違った思考とか 違った見方とか 違った世界があって
それぞれの現実の中をやっぱり 生きてるんじゃないかっていうふうに言ってるんですね
だから 漠然とした絶対的な現実っていうものっていうのも 確かにあるのかもしれないけど
世界っていう意味では 一人一人別の世界を生きてるわけだから
そういう意味で、現実っていうのは複数あるんじゃないかっていうふうに言っていて
確かに
で結構ね、割とそれが僕、この本にも何か書いてあったんですけど
なんかこう、最近というか現代になるにつれて、どんどんなんか
まあ最近で言うとさ、人々がすごく自由っていうかさ、自由主義的なさ
みんなこう 自由に生きるとか自由に考えたりすることが
なんかこう いいっていう発想になっていってるじゃないですか やっぱり
で それってある種 人間同士の関係性っていうのを すごく薄めていってる可能性もあるような気がしていて
それ多様性とかって呼んだりするんだけど
でも多様性っていうのは ある意味で
他の人たちがいることを許容はするけど、受け入れはしないというか、認めるわけじゃないっていうか。
許容はするんだけど、認める世界ではないんだよね。多様性の世界って。
認めるって…
認めるっていうのは、たぶん自分の中で、ある種それがいる…難しいな。
認めるっていう、なんか二つ意味があるなと思って、存在しているということを認めるっていう話なのか、
その人が良い、なんていうの?
認めるって日本語二つあるじゃないですか。
そうだね。要は。
無視しない?
はいはいはいはい。
無視しないだとどうなるんだろう?
無視しないだと認めるになるのかな?
その人がいるという存在自体の近くは、してるって話したのかなと思ったんですけど
1:06:05
ああ、そうだね
だけどその人が正しいとか確かに、何だろうな、拒諾を与えるというか、そういう意味での認めるっていうのは確かにしてないのかなと思った
そうそうそう、結構ね多様性の話でよくそういう話がよくあったりしますけど
必ずしも全部が自分が納得して存在している世界ではないと思うんですよね
それはわかりますよ
で結構その方向性にやっぱり今の世界って向かっている感じはあるじゃないですか
その多様性がどうのって言ってたりとか
インクルーシブデザインだとかって言ってる部分もある
確かにね
なんかこうなんか判断がある人がいたとして
それがいるっていうこと自体は知覚してんだけど
それをこう、自分がどうにかしようとか、そういうことは別にしてない。
そういう意味では結構バラバラになっていってるんじゃないかなって思うんですよね。
一人一人が。
なるほど。
どんどんどんどん。
で、それがどんどん進んでいくっていうのは、
もう より複数の現実が存在していくというか 世界観という意味での現実が
複数ちっちゃいものがどんどんできていくっていうのが 世界観になっていって
なんか その世界観になっていくとどうなんだろうなっていうふうに 改めて考えさせられたというか
でも 逆にこれまでがなんか 一つの世界観過ぎたっていうのもあるかもしれないですけどね
この ここ数百年が
いや、なんかでもそれが良かった側面もあるんだろうと思うんですよね、やっぱり。
で、なんかそれ今のその反動なのか、その逆に言ってるわけだけど、
本当にその世界がいいのかっていうのを、
あんまりこう考えていない部分っていうのはやっぱりあるんじゃないかなと思っていて。
それが本当に進んでいったらどうなのかっていう部分っていうのは。
確かに そういう意味でもなんかね まあちょっとそれはなんか複数の現実の話で
スペキュラティブデザインの話と若干こう… 離れてきちゃうけど
離れてきちゃうけど でもなんかそういうのを考えるっていうのも
なんか一つのスキルデザインのなんかこうテーマなのかなっていうふうにちょっと思ったりしましたけどね
なるほどね 僕ともてやまさんがこうしてポッドキャストを撮ってるけど
現実 顔も見てないわけで 別に2人が見てる現実が違うかもしれないですからね
たまたまこの瞬間一致してる 交差してるだけであって
普段は別の現実を見てるかもしれないですからね
でもそれが加速してるなって 最近ちょっと思ったんですよね
なんかメタバース的な世界観が広がると
1:09:01
さらに広がる それがいろんな対応になっていくってのは分かる
メタバースなんてね、もうだってメタに、なんか体験できるものとしてさ、パラレルワールドを作っちゃうわけじゃないですか。
うんうん。
それが無数に作れるようになるわけじゃないですか。メタ、メタバースなんて。
ある意味、その違う人それぞれ見てる違う現実を可視化したものがメタバースなのかもしれないですよ。
うん、いやまあそうそうそうそう。
で、それって、まあより加速してる世界ような気がするんですよね。その、子、子になっていく世界感っていうのが。
ああ、なるほどね。
僕はどっちかと言うと楽観的なんで、それはそれでいいんじゃないかなとか思っちゃう。
っていうか、そういう世界ってむしろどうなんだろうっていう興味の方が強いですね。
はいはいはい。
今は僕も全然楽観的なふうに思っていると思うんですけど、
このSpeculative Designの場合は、100年後それが進んでいったらこういう世界があり得るよねっていうのを可視化して、
本当にそれに進んでいいのかっていうのを 考えさせるっていうようなものなんですよね。
だからそういうのを考えさせるための、 例えば今の話だったメタバースを何かするようなデザインみたいなのを
提示するっていうのがスペキュラティブデザインっていうことか。
いやなんか、昔僕、サノさん、クックパッドの創業者のサノさんと、
イギリスにいたときに、なんか、
なんかまあいくつかお題があったんですけどその中の一つとしてなんかこう 当時なんかイギリスの死者を立ち上げた直後ぐらいででなんか
ML系のサノさん的にはMLに注力してきたみたいな意思があってその中でMLの人材を結構採用したんだけど
したはいいが、具体的に何をやったらいいかってのを、まだ提示できてないみたいな、サノさんの中で新しくて。
だから出口ちょっとなんか、彼らがやる気になるような、なんか考えてよみたいなことを言われたんですよ。
それは求められたこととしては、別にプロダクトこれっての決めるわけじゃなくて、
なんかクックパッドが未来こういう世界観になるっていうのを
そのMLのエンジニアたちがやる気が出るような何かを
こう可視化してくれみたいなことを言われたんですけど
まあめっちゃ難しかったですね
それって要はスペキュラティブデザイン的なことをやってほしかった
まさのさんも多分それわかってないと思うから
やってほしかったのかなとか思いましたけど
まあ難しかったなぁ
いや僕もさ、まあこれの得意な人ってやっぱり結構なんだろう大学の研究室だとか
だから結構学生とかはなんかこういうなんか実験的な考え方のプロトタイプかっていうのをよくやってるって言ってるんですけどこの人も
1:12:00
結構そういう学校の研究室とかそういうとこでしかあんまりこう行われてないことが多いですよねやっぱりこのスペキュラティブデザイン的なものって
もしくは芸術家がやってるとか
なかなか商業の世界では生まれづらいですね
そうそう、生まれづらい
構造的に
そうそうそう
評価されないってのがあるからね
会社の中だとされづらいっていうのが
まあやっぱり創業者とかそういう評価とは駆け離れ
切り離された人がやっていくものだと思うんですけど
そうだね
いやだから僕も全然やり方わかんないけど
なんか一部ね、この本にもやり方じゃないけど
こういうふうによくやっているっていうのが書き方が書いてあって
へぇ~ あるんだそういうの
なんかやっぱ ペルスナを作るらしいです
架空のペルスナ
その行き過ぎた未来に存在している架空のペルスナを作って
で その人を対象にして何かを作るとかっていうことをする
っていうふうに書いてありましたね
まあ一部のやり方で 例えばのやり方ですけど
確かにそうやって聞けばなんか
自分たちのこれまでやってきたスキルで
そうそうそう できそうな気がするじゃないですか
気がしてきます
そういうような気がするんですよね 未来はこういう世界だったらこういう人がいるだろうっていうのを仮想して立てて
その人のために何かを作るっていう風にできるから なんかできそうな気がするんですよね
よくあるプロダクトのコンセプトデザインとかっていうのはおそらくそういう風に作ってるんだろうなっていう風に思ったりしますけどね
なんか実際そういうスペペラティブデザインで生まれた発想の中で生まれた課題解決型のデザインで成功したものってあるんですかね
いやーどうなんだろう どうなんだろう
まあでもなんかコンセプトデザインが商品化されてすごく売れたとかっていう事例はあったっぽいですけどね やっぱり
まあでもどっちかっていうとアートとかそっちの文脈っぽい感じもしますよね なんかアートもさ
最初はアート的に作ったんだけど、すごく気に入られて売れるみたいなのがあったりするじゃないですか。
そういうのがあったりするんだけどな。
スペキュラティブ的なデザインと課題解決型のデザインの繋ぐ部分が、それぞれは分かるんだけど、
その繋ぐ部分がどういうものがあるのかなってのが気になるところですね。
まあでもスペキ…やっぱりそこって結構真逆のものだから
つなぐというか…
つなぐというかなっていうの?
要はスペキュラティブも別にそれはそれであっていいんだけど
それがちゃんと現実に実装されないとダメじゃないですか
と思うんですけど
現実に実装されるっていうのはどういうこと?
要はスペキュラティブで考えさせるわけですよね
で、なんかデザイナーがそれを見て考えて
こういうものが必要かもしれないみたいなものがあったとして、それを現実に具現化するっていう。
多分それだと、デザイナーに対して考えさせるっていう時点で、スペキュラティブデザインの役割は終わってるんですよね。
1:15:09
そのスペキュラティブデザインの役割はね。
で、多分それに対して役割が終わって デザイナーが考えて何かをやるっていう部分
まあでもそれはやっぱり結局デザイナーの力になっちゃうな デザイナー次第になってしまいそうな気がする
そうそうそれでもいいんですけど なんていうかスケベティブデザインと課題解決型デザインがこう相互に影響するものなのかなって今聞いてた思ったんですよ
その結果、何か出てきたものってあったりするのかな?って聞いてて気になった。
ああ、でもあったりするのかな? 事例としては探せばあるのかもしれないですね。
あってもおかしくないですよね。
いや、そう、ありそうだなと思って。 知らないだけで。
まあでも結構なんだろう 具体的な何かっていうものを差し示すものじゃやっぱりないからスペキュラティブデザイン自体が
なんとなくのこういう世界観とか考え方とかなんか倫理観だとか なんかそういうものを示唆するだけのものだから
それに影響を受けたプロラクトっていうのは生まれ得るとは思うんですけど そのなんだろう
でもある意味でデザイン師がそうなのかもしれないなって今私の思いでした
とかなんだろうな
なんかよくさロボットアニメとかロボット映画とかもさ
なんかロボットがどうあるべきなのかみたいなのを考えさせられる文明ってやっぱあるじゃないですか
AIが暴走したらどうかとかさ
でそれに影響を受けたプロダクトっていうのもある意味そうだとも言えるよね
確かに。結構日本のロボットって、手足が生えてるロボットを作ろうみたいな動きが、
海外に比べると強かったりするじゃないですか。
それとやっぱり日本のアニメとか、そういうドラえもんとか、テストアートとか、
影響されてるみたいな話を聞いたことあるんだけど、
ある意味、そのドラえもんとかがスペキュラティブデザインで、
そこに影響を受けて想像を働かせた人たち ロボットの研究者たちが
そういう相棒とか そういう手足のついたロボットを
踏み出しているとも言えるのかもしれないですね
だからそういう意味では 本当に影響を与えているかどうか
っていう感じになるから 多分いっぱいあるんだろうね
世の中にはきっと
そうそう それは多分観測なかなかしづらいから
だってそんなVRとかって 僕も一緒だと思うんだよね
SF映画とかの影響とかあったりして
確かにね
そういうものを具現化していこうっていう人たちがいてやってるわけだから
確かにね
1:18:00
だから何にでも当てはまってしまいそうな気もするし
結構そういう意味では事例はいっぱいあるのかもしれないね
その影響を受けたものっていうのは
確かに
まあその人が影響を受けましたって言わない限り分かんないから
何とも言えないけど
何とも言えないけど
多分それもさ
これだけに影響を受けたってことないと思うんですよ
なんかいろんなものの
そうそう時代的な
影響を受けて自分の中に考えがあって作ってたりすると思うから
でも、そうね、スペキュラティブデザインっていう意味では問題提起とか考えるきっかけを与えている時点でその役割っていうのをすごく果たせているわけだから
でもそれをもっともっとやっていこうよ、デザイナーもそういうのを考えさせられるような人になっていこうよっていうような話ですね、このスペキュラティブデザインっていうのは
なるほどね。
ってことは、スケペラティブデザインの吉足っていうのは、
どれぐらい考えさせたかっていう深さと広さってことなのかな?
まあそうだね。評価するとしたらそういうポイントになるんじゃないですかね。
一人の人間にめっちゃ深く考えさせたっていうのか、
まあ浅くでもいいからたくさんの世界の人が考えたとか、そういうことなのかな。
評価するとしたらそういうポイントになるんでしょうね きっと
なるほどね そう考えるとこう
まあなんだろう身近というか身近ではないけどなんていうのか 役割が違うデザインだなっていう感じがしますね
いや身近だとは思うけどね さっきもさなんか若干違う軸であるけど大喜利っぽいよねっていう話もしてたしさ
非常に 身近でもあると思う まあ ただ 未来の世界を考えるとか そこにあるプロダクトを 現実のものとして 感じさせるというか
体験してもらうように やるっていう意味では そのプロのデザイナーが もっとやれることはあるんじゃないのっていう話をしてるって感じですかね
まあ あとなんか 地球のあり方とか 日本のあり方とか 考え出すと壮大だけど 結構なんか 会社がどうあるべきかとか
そういうことを考えるじゃないですか。特に経営者、社長とかって。
そういう人たちがやってることなのかなっていう気もする。
影響を与えようと思ってやってるわけじゃないけど。
そういう人たちの考えを助けるためのデザイナーとしての役割として、
そういう会社っていう中でのスペキュラティブデザインとかっていうのもあるのかなって思いました。
そうだね。
まあなかなか ふわっとした難しい話ですよ
いや、うん、面白かった
いや、もっとわかりづらい話かと思ってましたけど
そうだね、僕もね、もっとわかりづらい話かなと思ってたけど
まあまあまあまあ、なんとなく
コンビビアリティよりはわかりやすかった
確かにコンビビアリティよりはわかりやすいかもしれないですね
1:21:04
コンビビアリティの方が難しいな、確かに。
うん、わかりやすかった。
ちょっとね、コンビビアリティについても話してるので、よかったら昔のでエピソード聞いてみてください。
そうですね。
はい。
じゃあ、今回はそんな感じですかね。
はい。
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さようなら~
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