AIと壁打ちの考察
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、ちょっと軽めなんですが、壁打ちで感じたことをですね、
仕事しながら感じたことを少し共有していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、壁打ち、アイデアのアイデア出しですかね、感じたことをですね、
まずですね、AIと壁打ちについてみたいな話が、まあよくされているかなと思ったりしています。
リスナーのあなたはどうですか? 壁打ちって言うとですね、今、もうチャットGPT、クロード、ジェミニ、何でもいいんですが、
せせえあいに投げかけて、どうかああだこうだと言えるということができてしまうし、できるわけですよね。
いくつか、たくさんではないんですけど、そのAIとは違う、つまりですね、僕、大橋としての観点が欲しいというのも結構ありまして、
そこで求められているのは何だろうなと、まあふと考えるとですね、いくつか考えたんですけど、やっぱりですね、そのAIって身体性がないわけじゃないですか。
で、当たり前ですけど、その日本社会に生きているわけなので、僕もそういうところでですね、感じるきびり、
細かい点ですね、小さなこと、ささやかなこと、
っていうその感覚っていうんですね、まあその娯楽とかエンタメで共有するのはもちろんないとはいえ、
やはりですね、同じ社会に生きているというところで、まあAIとはやはりですね、AIがそれを学んだとしても、
なかなかね厳しい部分があるし、あと変化がしていくので、捉え方がね、真逆とか、全く違うとか、
あるかなと。将棋とかもしされている方がいると、
ご存じの方もいるかもしれませんが、まあご存じない方にももちろん説明すると、将棋ってプロ棋士ですね、要はプロの将棋の指しの人がいらっしゃると、
200人とか300人とかいらっしゃるんですかね、ちょっと正確なところはわかりませんが、そういう方ですね、
将棋のその分析ですね、打った打ち方とか、将棋どういうふうにやるかっていうのをAIを入れているんですよね。
で、よくあるのがAIとしてはそれが最善手、最善手とか言われる、最善の打ち手なんだけど、人間からするとそれはまず無理っていうのが、
なんか結構出てくるみたいなんですよね。これ面白くないですか。要はAIではそういうふうに言うんだけど、
人間には無理っていうのはどういうことかというと、まあ要は人間って、将棋ってそもそもAIの方が強いみたいになってるわけですね、イゴとかね。
ありましたよね、ディープ、ディープ何でしたっけ、ディープマインでしたっけ、忘れましたけど、だからAIには敵わないから、将棋という語学が消えるとかイゴが消えるってことはなくて、
なぜならそれを元により人間が磨いて学んで、学習ですよね。学習とか分析においてAIを使うことでより強くなれるとかいうふうに今なっているのかなと思います。
なんで将棋自体が人間と人間のバトルなのと、あと彼にAIで強化したとしてもそのAIの差し手を瞬時にできるわけじゃないですし、覚えたとしても
その人間のなんていうんですか、その定石と言いますか、打ち方としてと明らかに反するわけなので、もしくは明らかに反してしまう場合は取り入れられなくないですか。
まあちょっと言い方がおかしいですけど、野球のバットを持つのって細い方だと思うんですけど、その太い方を持って打つのがいいんだよみたいな
世界が変わるぐらいのものがあるとして、 それを取り入れられますかって話なんですよね。僕はなんか結構難しいなというか
直感に反するってやつですね。でも直感に反するものが良い手っていうのもあったりするんで、直感って何だろうねってなってきますし
ここは一概に言えないのかなと思ったりします。話戻しますと結局そのAIの手が全てにおいて万能ということもないってことなんですよね。
つまりもしくは人間が使えるものでないと採用されないまであるという世界なんですよね。
話を戻すとそのAIのアイディアが適切かというと、あんまりそこまでじゃないよねっていうのはあると。
一方でそこそこ良いアイディアを出せたりするんですが、それも人が判断して使えるようなものに落とし込まないと
人間側ですよね。つまり僕が使ってたら、AI使ったらそれがいいよねっていうふうに
判断できないと。使えないよねっていうふうにはなるわけですよね。ここが面白いところで、考え方によりますがAIで良いものを出せなかったってことは
人間がそれを出せてないだけなんで、出せるようにしましょうよっていう流れがある一方を
人間の共感と感情の重要性
その想像とかアイディアっていうところにおいてはそのAIが出すものっていうのも
情報が不足してたり、こちらの提示の仕方が違うことでなかなか良いのが出てこないっていうのもありますから
ここは決着というか、こうすればいい、絶対うまく使えるなんてことはあんまりないんじゃないかなって思うんですよね。
そういうところでそのアイディアの壁打ちっていうものの価値を考えていったときに、やはり共感というところでいくと
人間の方が共感ってやっぱり強いんじゃないかなって思うわけですよね。
AIだから共感してくれないんだねっていうのはちょっと違うんですけど、ここで病気と言いますか
病的になるのと良くないパターンが要はAIに依存しすぎてしまって、そのAIに恋愛感情を抱くとか、AIがもう本当に人格を持っているというふうに思ってしまうと
これは結構問題になるんじゃないかなって僕は思っています。
実際に事件が起きてたりするみたいですが、そこで使い方っていうのはかなりリテラシーと言いますか
古い言い尽くされた言葉ですがリテラシーがいるので、なかなか誰にとってもすぐにハイパフォーマンスを出せるっていうふうになっているのかなっていうと
なかなか難しいんじゃないかなっていうふうに考えています。
少なくともご相談いただいた方とか、ところでサンプル数はそんな多くないんですけど考えると
AIにどういうものを出すと良いアイディアが出てくるかということで、そこそこのアイディアを出せる方はもはやアイディアに困らないというか
アイディアがあるので、プラスAIのアイディアも楽しんで使おうかなぐらいの感覚っていうんですかね。
そういう形じゃないのかなと思ったりしています。
そしてやっぱり共感の部分で、気持ちが動くっていうのは感動するっていうのもあれば、プラスにあればネガティブの本もあるわけじゃないですか、うまくいかない。
それに対して、AIであれば頑張っていきましょうとか、いろいろそういうこと言ってくれるんだけど、やっぱりどこまで言ってもAIであり、人じゃないんですよね。
これって究極的なところで、人とAIの違いなんですかって今後なっていくと思うんですけど、
それでもなお人と行きたいとか、手続き的なところでもね、人と行きたかったり、人と何かやりたい。
AIと一緒にやるっていうのは全然悪くないんだけど、AIとチーム組んで何かやれた時に、それは人と一緒にやったことになるかって話になるんですよね。
つまりここで何を言いたいかというと、人と何かやらないと得られない成分っていうのは多分あると思ってまして、
例えば無人島で一人で生きるとした時に、一人で生きられないから誰かの手助けがいるっていうのはあると思いますが、AIがいて、ロボットみたいなのもいて、そこで成り立ったら、
AIに多分人間感情みたいなのを覚えるんでしょうけど、多分人間っぽく振る舞うことはできたとしても究極的に、人間ではないじゃないですか。
例えば僕であれば、新しいことに興味があるので、なるべく試したいと。
一方で同じことをずっと続けるの苦手ですよねみたいな、単純作業苦手ですよねっていうのが明確に弱みとしてあるわけですよ、この場合。
そういう時に、AIで弱みないの?ってなりません?弱みがある方が人間らしかったりするし、失敗するのも人間っぽくないですか。失敗しない人ってつまらないじゃないですか、みたいな。
僕は思っちゃうんで、人が嫌いとかロボでいいよねみたいな人ももちろんいらっしゃるかもしれないですけど、僕は嫌だなと思ってまして、人いいなと思うので、壁打ちなくなるみたいな人ももしかしたらいらっしゃるかも、思った方いらっしゃるかもしれませんが、もっと泥臭いところで、人いいよねみたいなところで価値が出てくるんじゃないか。
これは前にそんな話をしたかもしれませんが、再度同じようなことになりますが、気づいたことなんで話してみました。
やっぱり人とのやりとりにおいて、AIでももちろん特定のテーマとか基本的なことを学んでいくっていう意味では、学びとしてのAIは全然プラスですけど、それを学ぶ側のモチベーションといいますか、学ぼうとする気持ちがなければ学べないんで、その気持ちをAI側が出せるわけでももちろんないんで、そこは人じゃないから、いわゆるモチベーションをあげるみたいな話は、
人になっていくし、学ぼうと思うような空気作りとか、それこそ今年ずっと言ってるんですけど場作りは、人じゃないと無理かなって思ってるんで、AIに対して人が優位とかそういう部分を言いたいというよりも、
人とAIの関係性の再考
おのずと違いが出てきてて、その部分は競争する、一緒にやるとしたら、人間がその気持ちの部分とかモチベートするというようなやり気をやっていこうよみたいな雰囲気を作るとか、そういうのってAIではなかなかまだまだ懐かしいし、人がやる価値があるんじゃないかなって思っています。
なので、AIと仕事バトルするわけではないんですけども、人といる価値とか、人と触れ合う価値っていうのは、やはり考えて面白いところだなと改めて思いました。
そしてですね、壁打ち一つ取ってもね、まだまだできることがあるんだよなってことを思ったっていうところが、今回お話ししたかったところです。
今回は以上となります。 市おくりラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。