1. うちあわせCast
  2. 第百五十八回:Tak.さんと文章..
2024-09-12 1:39:44

第百五十八回:Tak.さんと文章エディタについて

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads

サマリー

今回のエピソードでは、ワークフローリーの値上げに伴う影響やHeyカレンダーの新機能について考察されています。特に、デジタルカレンダーに日記機能が追加されたことで、過去の出来事と未来の予定を一元管理できる利便性が強調されています。エピソードでは、Tak.さんと共に文章エディタについての様々な意見や使い方が探求されています。特に、階層構造とアウトラインの重要性、リンク機能の変化、タスクリストの作成方法について議論されています。文脈エディタと文章エディタの違いについても深く掘り下げられ、特に文章エディタの必要性とその機能、ワードやスクリブナーの定義についても議論されています。Tak.さんは文章エディタの役割や、さまざまな文書作成スタイルに応じた異なるニーズについて考察しています。さらに、UlyssesやScrivenerなどのツールがどのように利用されるべきかについても議論され、文章を書く過程におけるツールとの関係や機能の重要性が掘り下げられています。第百五十八回では、文章エディターの進化やアナログメタファーの再評価について語られ、特に知的生産の技術とデジタルツールの関係性、また生成AIが進む中での人間の文章作成の役割が考察されています。このエピソードでは、文章エディターの進化とその役割についても議論されており、パソコンの普及以降のツールの使用と文章エディターがどのように変わってきたかが深掘りされています。

00:04
スピーカー 2
うちあわせCast第百五十八回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
結構間が空いてしまいまして、引っ越しで大騒ぎしてるんですけども。
スピーカー 1
今、引っ越し先ですか?
スピーカー 2
まだですね。だから、これが最後の、この住居での最後の収録になって、もし次回収録したら、たぶん来週になる。
一応、向こうでもまだ収録、たぶんできる環境なんですけど、ちょっとインターネット環境が不安定なので、一応こちらでということで。
次回は、聞いてる人は全然変わらないと思うんですけど、次回は新拠点からということになりそうですね。
で、2日ニュースがあるんですが、実はたくさんあるんですけども、ちょっと全部拾いきれないんで、重要なことだけ言っておくと、
ワークフローリーの値上げ
スピーカー 2
まず我らがワークフローリーが値上げということで、倍ぐらいになったのかな?
スピーカー 1
結構いきましたね。
スピーカー 2
年間で、これね、そもそもあんまり、有料への動線が。
月払い、1ヶ月ごとの払いで8.99ドル。
1年間12ヶ月分を一気に払う場合、1ヶ月あたりが6.99で、トータルで83.88ドルということで、円安の絡みもあるんですが、まあまあお高いというところで。
なんですけど、あんまり不評の声はないですね。
辞めたという方も2、3いらっしゃいましたが、このサービスが継続することを願っているという声が多かったような気がします。
スピーカー 1
まあね、言うつもりですかね、残念ながら。
まあ今までが安かったとも言えますし。
スピーカー 2
まあ同じ値段で使い続けられるのがもちろんベストではあるんですが、当然人が関わって提供しているサービスですんで。
ほとんど開発が止まっているダイナリストと比較してしまうのはやっぱりちょっと土俵が違うと僕は思うんで。
だからそこはダイナリストと比べて高いとか安いとかっていうのは考えずに、ワークフォルダが使えるに値するかというところを見ていただければいいのかなと。
Macユーザーは幸いというか嬉しいことに、例えばバイクみたいなのがありまして、別にワンアウトラインという思想ではないんですけど、ファイル単位でもできますから。
これからバイクの回帰に行くとかいうことはできるんですけど、多分Windowsユーザーの方はそんなに選択肢がないんじゃないかなと思うんですけどね。どうなんですかね。
スピーカー 1
多分こういうプロセス型のアウトライナーの選択肢はあんまりないですよね。
バイテルとか、バイテルだったかな。多分バイテルって読むんだと思うんですけど。
スピーカー 2
いくつかあったんですけど、やっぱりちょっとこう、あることはあるんでしょうけど、あんまり広がってない感じがしますね。
こうやってブラウザで使えるワークフォルダとか、一応ログシークもWindows版があるはずなんで、あるまま一応アウトライナーとして使えますから、その選択肢なんですけども。
今後どんどん新しいアウトライナーツールがバシバシ出てくるという未来はあんまり考えにくいので、モワクロリーが新生となって頑張っていただければなと思いますね。
スピーカー 1
ちょっとあまりにモワクロリーの完成度が上がりすぎちゃって、こういうシンプルなアウトライナーで入る余地がなくなっちゃった感じもしますよね。
スピーカー 2
そうですね。もっと別の高機能負荷の形でないと、わざわざ乗り換えるってことは多分ないでしょうね。
そうですね。
Heyカレンダーの新機能
スピーカー 2
はい、というところでございまして。あと、Heyカレンダー。Heyというメーラーのサービスについてくるカレンダーサービス。これ以前から何回かこいつすげえやんということを言ってるわけですけど、とうとうジャーナル機能というかつきまして、簡単に言うと日記が書けると。
なぜ今までなかったのかと。
スピーカー 1
いや、そうなんですよね。
スピーカー 2
僕は、もともとほぼ日手帳みたいな手帳って、いわゆるそれまでのビジネス手帳はどちらかというとプランニングっていうことが役割で、先のスケジュールを書き留めておくというものだったんですけども、ほぼ日手帳みたいな1日1ページの文庫本ぐらいのサイズから日記として使われる手帳っていうのが結構増えてきて、最近の手帳ってそういうユースが結構多いと思うんですけど。
それは同じことがアナログじゃなくてデジタルのカレンダーでも使えるはずで、で、Googleカレンダーに日記を書いてた人もいたとは思うんですが、でもあんまり使いやすいというか、無理やりスケジュールとして何か白紙のものを作ってその中のメモとかノートとして日記を書くみたいなことだとは思うんですが、
ある種ハックといえばハックですけど、ツールがスマートなデザインにされていないがゆえに必要なハックみたいな感じなんですが、今回のカレンダーは日付を選んでその中に日記書くボタンみたいなのがあって、それを書いたら日記を書くと。
日記が書かれたカレンダーのマスは日記書きましたよってマスがあって、それをクリックしたら閲覧できるという普通の日記ツールと日記機能がカレンダー機能にも付いたということで、ようやくこの閉域カレンダーはアナログの感覚のカレンダーを何とかデジタルに持っていこうという姿勢が続けて見える感じがしますね。
そうですね。
だけどジャーナルはカレンダーに付いてるのが自然ですよね。
そこが統合された未来の予定を書きつつ、自分が起きたことについて書くっていう展望と振り返りみたいなのが一つのツールでシームレスにできるし、実際僕らが手帳をパラパラ読み返すときっていうのは過去の記録と未来の予定っていうのを同時に閲覧して一つの時間の軸っていうのを感じられるようになってるわけですから、ナチュラルにこうなってくれるのは嬉しいし、非常にいい機能方向性を持っているなという感じですね。
スピーカー 1
リビジョンでも確か書いたと思うんですけど、結局未来のことを書くのがタスクリストで、それが過去になると日記になるという自然な気がするんですよね。
同じもののような気がするんですけど。
なぜか今までなかったという。
スピーカー 2
それが自然な発想で出てきたというところで。
もっとヘイカレンダーは注目されてもいいと思うんですけど、日本のユーザーで言及してる人はほとんど見たことがないというね。
スピーカー 1
UK先生とかも?
スピーカー 2
ヘイは使って、ヘイカレンダーについて言及されてる方はほとんど見たことがない。
これも43シグナルのアカウントで見ただけで、僕、直接日本人の人がこういうサービスに言及してるのは見たことがないんですけどね。
あんまりライフハック感がないというのか。
ヘイカレンダーそのものが、ヘイを使わないと使えないんで、無料ではないということが影響してるのかもしれない。
僕も使ってないですけど。
問題はグーグルカレンダーという超巨大ビッグブラザーということなんですけどね。
そうですね。
グーグルカレンダーないし、アップルの標準のカレンダーだけで、実は大抵のスケジューリング機能というのは満たせてしまうので、
わざわざ課金を使うのは、要するにビッグブラザー的支配が嫌いな人とか、
そういう妙な話ですけど、意識がちゃんとある人みたいな感じの人が言うケースで、
ライトライフハックユーザーはわざわざ使わないということはあるのかもしれないですね。
そうですね。
ツール利用の意義
スピーカー 2
この辺もさっきのワークフローリーの値上げの問題と絡んで、ツールにお金を払うことの意義とか価値みたいなことは改めて確認していかないと。
昔のライフハックは、僕もそうですけど、ちょっとでも無料で使えるのが勝ちみたいな価値観みたいなのがあったと思うんですけど、
もちろんそれは良いことかというか悪いことではないんですが、サービス提供する側からすると、
Googleは常に無料でサービスを提供するわけで、勝てるわけがないわけですから、ちょっと発想を変えていく。
例えば、巷の方に比べて個人が作る同人誌は高いですけど、値段が高いですけど、そこにしかないバリューがあるというのと同じようにソフトウェアにも、
ある種のローカルというかニッチな規模に応えてくれるものにある程度お金を払うという価値観が囲まれていかないと、
一極支配というか巨大資本支配になってしまう懸念が常にあるわけですから、ユーザーがある程度お金を払うという気持ちは持っていた方がいいでしょうね。
スピーカー 1
そうですね。ただ、さっきのワークフローイの話に戻りますけど、適正なお金を取ってくれることは全然当然だしいいと思うし、
それを当然自分も払いたいと思うんですけど、例えばワークフローイ一つならいいとして、いくつも積み重なるとやっぱり非常に厳しくなるじゃないですか。
スピーカー 2
そうですね。
っていうときに、出入りがもっと気軽にできるといいなと思うんですよね。
スピーカー 1
ワークフローイの月間プランが、それで1年使えば当然割高になるんですけど、
大きい塊を動かしたかったり、大量のデータを使いたいとか、有料でしかできないことをやりたいときに、
今月は課金しよう。でも来月はそんなにヘビーに使わないから、また無料プランに戻すよみたいな。
それを推奨するのもどうかと思うんですけど、双方の持続性のためにもう少しそういう方法があってもいいかなという感じがしますよね。
このレベルの値段のものが今の円高状況で7サービスも8サービスも課金するっていうと結構厳しいものがあるなとは正直思いますね。
スピーカー 2
そうですね。だからそこで言うと、たとえばNotionのような一つのツールで何でもできますよ型の場合、ある種1サブスクリプションだけでまかないでしまうというメリットは多分あるんでしょうね。
スピーカー 1
あると思います。
スピーカー 2
そこは否定しがたい。いろんな個々特化したツール、有料ツールを使うと多重課金になってしまうことを考えると、ワンストップなツールの価値っていうのはその観点があると確かに高いかなという気はしましたね。
スピーカー 1
しますけど、けどなんですよね。
ほか難しいところですね。ちなみに僕一応今年だけエバーノート課金したんですけど、来年はもう多分更新しないと思うんで。実を言うと僕ワークフォーリー無料ユーザーなんですよ、散々言ってますから。
スピーカー 2
8万ぐらい使えるんですよ、1ヶ月紹介したほうが。エバーノート課金が終わったら別に必要ないけどワークフォーリーに課金しようかなという感じで。
1個応援したい主要なサービスを持ちつつ、あとは無料とか細かい1ヶ月とかの出し入りをするみたいな、そういうサブスクリプションポートフォーリーみたいなものをデザインする必要があるんだろうなって感じますね。
スピーカー 1
そうですよね。いいサービスは続いてほしいし、でも自分の側の持続性も大事だしということで、結構考えないといけない。
そうですね、走行が考えないといけないですね、これはね。
納得いかない、ちょっとよくなくなったなと思ったら迷わずやめちゃうみたいなこともしてもいいのかもしれないし、
逆に、もうちょっと厳しいのかな、もうちょっと頑張ってほしいなっていう意味で応援する意味で課金するっていうのもあるだろうし。
それは人それぞれだと思いますが。
スピーカー 2
そうですね、だから、実用性の観点と、いわゆる最近の推し活動みたいな、推し、応援みたいな意味での出金っていう、その両方の側面がこの生産性ツールにはあって、なかなか簡単ではないですけど、
簡単ではないからって全部無料のツール使っときゃいいっていう発想はちょっとさすがに、何主義っていうかわからないけど、ちょっと思考的にタイタルだなという気がするんで、
やっぱり使えるお金の中で、いいツールとか応援したいツールにお金を払うっていう、逆に言うとそのために、いらないツールはあんまりお金なしで使わないというか、
周りがやってるからみたいな理由で、わざわざ使って課金するみたいなことは多分しないほうがいいかなという感じですね。
そうですね。
例えば、ネットフリックスみたいなんて、ある時期だけ加入して、見たいやつをシリーズ全部見て、終わったらもう登録やめて、また新しく見たいのが増えたら何ヶ月後かに再登録っていうことをよくするんですね。
多分、そういう使い方してる方結構いると思うんですけど。
スピーカー 1
いると思います。
スピーカー 2
ノートツールって、常用するというか、使い始めると基本的にずっと使うためのもので、しかもデータがそこに入っているから、
例えば、有料じゃないとアクセスできひんみたいなことになってしまうツールの場合、課金し続けるしかないということがあって、
ユーザーの意見とエディタの使い方
スピーカー 2
ワークローリーはその辺すごく良心的なんですよね、結局。新規項目の条件があるだけで、他はほとんど同じように使えますから。
エバーノートも完全にダメになったので、無料ユースターは複数の端末からアクセスできなくなったので、
例えばちょっと嫌になったから無料、有料機能使わへんから無料にっていう使い方ができなくなったので、課金オアノットになってしまったので。
もちろんそれはツール開発者としたらそうやって囲い込みたいなのは当然の発想なんですけども。
正直なところ、ユーザーがこういうお金の支払いの設計いいよねってちゃんと意見表明をしていくことが、割りかし大切なのかなという気はしますね。
そういうユーザーの声が最近ブログ界隈が伝えたおかげでなくなってしまって、どうも向こうが言ったことを受け入れるか完全拒絶みたいな感じになってしまうのがちょっと残念な感じではあります。
あと細かいところなんですけど、コセンスかっこスクラップボックスのリンク機能が少しだけ変わりまして、
画面見てない方は全く、たくさんの共有してないからわからないな。
コセンスはブラケット始まりを押すとブラケットと字が自動的に入力されて、ブラケットの中に文字を入れることになると。
例えばエバーノートとか入れたら、エバーノートを含むノートタイトルがサジェストされるという形になってたんですが、
以前までは例えばエバーノートという単語がもうすでに書かれていたと。
書かれていたところ、例えばその単語をマウスで選択すると。
ダブルクリックしてもいいですし、カーソルでなぞってもいいんですけど。
そしてその後にリンク先のブラケットの開きを押すと。
そうするとリンクに勝手にと字が保管されてリンクになるんですけど、これまではそれで終わってたんですね。
スピーカー 1
リンクになりましたって終わったんだけど、今はさっきのサジェストが一緒に出てくるようになりました。
スピーカー 2
これも言い方が難しいんですけど、最初に何も文字列がない状態でブラケットを入力し、
エバーノートって入れると、エバーノートのほにゃららっていうのがサジェストに出てきたから、
自分が探したいものとか、あるいは自分が探したいと思ってなかったけど、
そういえばこういうのがあったっていうものとの出会いがあったんですね。
文字入力、ブラケット先入力の場合は。
ブラケット後入力、既にある単語を選んでからリンクの場合、それが出てこなかったんですよ。
そうするとリンクにはなってるけど、さっき言った想定外の出会いみたいなのが起こりにくかったんですね。
それが起こりやすくなったということで、本当に地味なんですけど、
だからどっちでリンク作っても同じようにサジェストが出てくるってことですね。
細かい話ですけど、これも結構個人的には重要な技かなと思います。
階層構造の必要性
スピーカー 2
複数、ウチュラスキャストにいただいた感想がいろいろあったんですけど、
2つだけピックアップしたいんですけども、
仕事内容によってPTMに求めるものが変わってくるというツイートで、
これは僕が勝手に見つけたやつですけど、
デジタルの情報はツリーじゃなくてネットワークがいいよねという話をたんたんしますが、
階層構造が必要になってくる仕事もあると。
例えば本作りの場合、本がそもそも階層構造で構成されるわけですから、
どこかの段階でアウトライン、ツリーを作れないと困るわけですね。
それとは別に、例えば学校の講義を作るという作業をするときも、
結局ツリー構造がいると。
担当科目があって、何年度みたいなのがあるのかな。
それの第一回みたいな。これは絶対に階層構造になると。
階層構造で整理したほうがおそらく使い勝手が上と。
この階層構造は要するに動かない。
ハードな階層構造だわけですね。
アウトラインを自由にクルクル動かすようなものではない。
少なくとも上の構造はそうですね、絶対に。
コンテンツの中身は変わるかもしれないけど。
そういう固定的なものが、やっぱり併用して必要なので、
ネットワークでフリーでリンクだっていうことだけでは収まらない何かを、
PKM、過去知的生産の技術では必要だというのを一つ見かけたということと、
次はちゃんと感想なんですけど、156回で僕がだいぶ関心してた、
読書メモをどんどん下に階層化していくと、検索したときに文脈広げて嬉しいというような話。
気になる方は156回を聞いてください、だったんですけど。
これが仕事のタスクについても言えるんじゃないかというツイートで、
これは非常に納得したんですけど、
僕らが、僕らがっていうのはちょっと主語で言うか、
例えば僕がタスクリストを作る場合、
それが例えばアウトライナーとかバイクとかでもいいんですけど、
基本的にある階層、しかも上の方の階層にコードを並べるということをすると。
例えば9月12日っていう項目があったら、その直下に具体的に取れるコードっていうのを並べる。
それがタスクリストを作るという方法だと。
ツイートで言うと、例えばほにゃららがあると、こうしなければならない、
これをするみたいな、こういう発生の文脈をその順番で階層にすると。
具体的なコードは下になると。
場合によってはこの掘り下げ方が2段階で終わる場合もあれば4段階になることもありますよね。
するとタスクの列がバラバラになってしまう。
先ほどのタスクリストの直線性とは違って、ボコボコ性になってしまう。
でもその一番下の行に例えばToDo、例えばチェックボックスみたいなのが付いていたら、
それをToDoでワークフローリーを抽出検索したときには、きりえにストレートに並ぶ上に、
それがどんな文脈で発生したのかっていうのがちゃんとついてくる。
これがタスクが一番上になっていると、タスクを書いて、
それがなぜそうなっているのかっていう階層をタスクの下に文脈を書いていくと、
さっきの抽出ができなくなって、言ったらタスクリストがもう一回出てくる。
だからそもそも抽出する意味がない、その場合はね。
これを思ったんですけど、やっぱりタスクは、
タスクリストの新たな可能性
スピーカー 2
タクさんがおっしゃられていることと重ねて思いから出てくるんですね、基本的には。
何々しようとしたいと思いがあって、それに準じて、じゃあこうしようっていう文脈で発生すると。
紙の場合は抽出ができないから、必然的に一番上に書かざるを得ない。
一列に並んでいるのがタスクリストなんで、一列に並べるために一番上に最初から書くっていう。
でも抽出っていうことができたら、最初の元々の構造は全然バラバラでもよくて、
検索した結果、抽出したものが一列に並んでいるという形でもいいし、
そうするとタスクの文脈が覆えるようになるというのは、
これとか、前回のタクさんの話を聞いて、
やっぱり全然アウトラインとかデジタルのリストって自分も分かってなかったんだなというのを、
ちょっと痛感しましたね、これは。
スピーカー 1
だからこれ、要は昔からあるアウトラインと抽出型の検索機能が組み合わさることによって、
これに気づかされたっていう感じなんですよね。
だからアウトラインは一般じゃなくて、ワークフローイの機能が気づかせてくれたってことだと思いますね。
だからタスクだけ一覧になって抽出することもしたいし、文脈ごと上位階層も含めて抽出したいこともあるし。
だからその両方選べると一番いいんですけど。
いずれにしても、アウトライナーっていうよりもアウトラインの使い方の可能性がすごい広がった感じがしますね。
スピーカー 2
やっぱりタスクリストっていうと一列に並べるもので、ということは最上位に来る。
その説明よっていう感じになるんですけど、
例えばナチュラルに、ナチュラルにっておかしいな。
さっき説明したようなことができるぞと意識すると、やっぱり思いから書くようになるんですね、これ。
スピーカー 1
なるほど、はい。
スピーカー 2
で、例えばそのデイリーノートとかでそういうことをしようとすると、
例えば一番最初の行は、今日は打ち合わせキャストの収録があるってまず書くんですね。
その下にネタページ、ネタ帳のページを整理しとかないと、が一つ下に来る。
さらにその一つ下にワークフローリングの値上げとコセンスのリンクの話をしようみたいな、こういう階層になるんですよ。
これがナチュラルな、つまり思いついた順に階層化している。
そのブロックが一つの文脈を成していると。
でもタスクリストを作るときは、さっき言ったことを頭の中で済ませた上で、
違う、済ませた上で、しかも真ん中をネタリストを更新するっていうのを書くんか。
スピーカー 1
そう、可能性としてはそれが一番高いですね。
スピーカー 2
だから発生する文脈も省くし、そのタスクで具体的に作業内容も書かず、真ん中の構造だけを書くみたいなことをするわけですけど。
慣れてるから全然できるんですけど。
ちょっとだから人工的というか、ある脳内でプロセスを済ましたものを出力しているなという感じですね。
どっちがやりやすいとか能力がいいかわからないですけど、
スピーカー 1
思った通りに書いていって階層化して深さが違っててもいいっていう、こういうのは新発見とか新境地な感じがしますね。
だからこれどっち側からやってもいいわけですよね。
スピーカー 2
そうですね、確かに。
スピーカー 1
どっち側からやってもちゃんと使えるっていうところが結構いいと思いますよね。
スピーカー 2
だからちょっともう、あんまりワークロニクス抽出機能を使ってなかったんですけど、
抽出機能が使ってなかったとか、使わなくて済むように自分が項目を整えてたんだなという感じですよね、要素的に。
だからもっと抽出したらいいんやという形で階層構造を作っていければ、
なんか新しい展望が開けるんじゃないかなという気がしますね。
スピーカー 1
そうですね。
よく言えばこれ、抽出して抽出されたものを一気にミラーコピーするとか。
ああ、はっはっは。
今のまんまでもできるのかな。
スピーカー 2
やったことないですね。
スピーカー 1
やったことない。
ちょっと今そういう実験をしていて、まだ具体的にどう役に立つのは言えないんですけど、
スピーカー 2
結構いろいろ可能性があるんだと思いますね。
当たり前かどうかはわからないんですけど、検索結果の画面も普通のアウトラインなので、
スピーカー 1
普通に移動できるんですよね。
スピーカー 2
あれ結構よく考えたら違和感あるんですけど、めっちゃ便利なんですけどね。
スピーカー 1
そうなんですね。だから抽出画面で移動した後で抽出を解除するとどうなっているのかというのが
いまいち想像がつかないというのがちょっと怖いんですけど。
スピーカー 2
あれ例えば100行ぐらいアウトラインがあるとするじゃないですか。
その中から例えば5行抜き出す検索をしたとするじゃないですか。
その5行は全部離れているとしますよね。
検索5個の抽出結果の一番下にあったやつを、例えば2と3個の間に入れたとしますよね。
2の下に来るんですよ。検索解除した後。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
1の上に移動したとしますよね。そうすると1の上じゃなくて最上位に行くんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
ちょっとその辺ギャイ起こしいんですけど。
スピーカー 1
やってみたんですね。
スピーカー 2
やってみました。
例えばアイディアを書き留めたたくさんある項目を抽出した後に並べ替えたらどうなるかなというのをやってみたんですけど、
そういう感じになったので。
一番上に行ったときだけイメージとしているのとは違うんですけど、それ以外は結構ナチュラルな結果で返ってきましたね。
その辺だから奥深いというかね。
ここまでシンプルなのに全然やっぱり使ってない。自分が想像する使い方しか使ってなかったかっていうことはあるんでしょうけど。
スピーカー 1
そうですね。
文脈とアウトラインの重要性
スピーカー 2
この辺やっぱり文脈を保存するという観点からもやっぱりこのアウトラインっていうのが非常に強いなというのはちょっと思わされましたね。
スピーカー 1
そうですね。だからこの文脈っていう話はクロイの回想ごと抽出するっていう機能と、
スピーカー 2
たぶん以前、名前が出てこなくなった。
何さんだっけ。文脈エディターって言ってたのは。
野良鉄さんかな。
スピーカー 1
野良鉄さん。
そうですね。文脈の話が。
野良鉄さんが言ってた文脈の話がちょうど上手い具合に自分の中でもリンクして、いいですね。
間接的に可能性が加速するようなつながり方というのがいいなと思いますね。
スピーカー 2
今回のコードについても、ミュウノウジさんっていうのかな。
ミュウノウジさんですね。
スピーカー 1
ミュウノウジさんって読みするんですかね。
スピーカー 2
こういう感想をいただけるのはすごいですね。
埋もれてるとか、僕らが見つけられてない様々なテクニック工夫の呼び方なんですけど、
それが民芸ならぬ民ライフハックみたいなのがいっぱいあるんやろうなって思いますけど。
スピーカー 1
そうですよね。でも全然知らないすごいことやってる人とかいっぱいいるんでしょうね、こういうのを見ると。
スピーカー 2
そう思いますわ、やっぱり。
著名人のノウハウしか語られないことのもったいなさは当然あって、だんだん話されてますけど。
ブログっていうのがそれをひとつ変えた契機ではあったんですけど、若干最近は死亡も5つあり、
YouTubeっていうのが、ノウハウ公開で言うとYouTubeはすごくて、編集は大変なはずなんですけど、
ノウハウっていうのは行動に関することなので、だから行動を紹介する上で動画の力強さと、
やっぱり文章力がいらないっていう、文章力って派手なものじゃなくていいんですけど、
やってることを言葉にして表す能力がなくてもコンテンツっていうのを作れるという意味で、
やっぱりYouTubeの貢献はでかいとは思うんですけど、
妙な言い方ですけど、映えないノウハウが出にくくなってるっていう、
逆ではないけど、バイアスがかかってる状態での発表が増えてるということは、
一つ懸念材料だなとはちょっと思ってますね。
確かに。
こういうのはツイートぐらいの簡単な感じがいいんですよね。
スピーカー 1
そうでしょうね。
スピーカー 2
だから文脈って言うと文章で書くっていうことをイメージしがちで、
さっきのタスクの3つの回想も言ったら文章で書くことで文脈が保存できるわけですと、
文章で書くとやっぱりタスク的使い勝手が非常に悪くなるわけですよね。
これはタスク行だけ抽出みたいなことはできないわけですから。
だから基本的に文章を書いて、文章から自分でタスクを抽出して添えておくっていう、
その文芸的タスク管理っていう方法が僕の中ではイメージとしてあったんですけど、
文章エディタの機能
スピーカー 2
このアウトライン的回想を作って抽出っていうのも一つ、
文脈プラスタスクっていう形で保存できる方法なのかなという感じですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
言うとこかな。
コメント、直接関係なくても大歓迎しておりますので、
ピラッと閃いたことがあればぜひつぶやいていただければと思います。
というわけで本編なんですけど、文章エディターについてということで、
タスクさんが文章エディターについてノートでちょこちょこ、ちょこちょこって1回ぐらい書かれていて、
文章エディターってそもそも何だろうっていうようなことが気になるわけですけども、
文章を書くエディターということで、エディターは編集する機械という意味ですから、
基本的に文章エディターという言い方をするっていうことは、そうじゃないエディター、
おそらくコードエディターではないエディターというようなニファンスだと思うんですけど、
文章エディターってタスクさんの中では簡単に言うと何なんでしょうね。
スピーカー 1
文章を書くためのエディターですね。
スピーカー 2
それはまあ、はい。
スピーカー 1
ただ、さっきコードエディターでないって言われましたけど、
コードエディターっていうかテキストエディターではない。
この間の記事にも確か書いた気がしますけど、
要はテキストをエディットするテキストエディターは文章を書くにもすごく便利なんですけれども、
実際VSコードで文章を書いてる人はいっぱいいるんですけど、
本当はテキストをエディットするための機能と文章をエディットするための機能というのはちょっと違うはずだという問題意識としては、
それが始まりですよね。
スピーカー 2
ということは、テキストと文章がまず違うってことですね。
スピーカー 1
そうですね。テキストのほうが上位外。
スピーカー 2
包括的な概念がテキストがあって。
スピーカー 1
違うな、そう言っていいのかな。
そうですね。エディターの機能としてテキストエディターと文章エディターはちょっと違う。
当然重なる部分は大きいですけど。
テキストエディターさえあれば文章をエディットできるよ。
エディットするのに十分だよとはちょっと思わないんですよね。
スピーカー 2
じゃあ文章エディターが仮にあった場合にテキストエディターでやりたいことは大体できるという感じですか?
スピーカー 1
いや、そんなことないですね。
すごい分かりやすく言えば、例えばコードエディターのシンタックスハイライトみたいなことは直接的には文章エディターにはいらないけれども、
逆に藤井太夫さんが作られた、VS Codeの上で作っている、あれはノベルライターでしたっけ。
スピーカー 2
確かそうですね。
スピーカー 1
あれで品種をハイライト。
あれは発想としてはシンタックスハイライトから来てると思うんですけど、あれは文章エディター的な機能ですよね。
そういう違いですよね。すごく具体的に言っちゃえば。
スピーカー 2
それは確かにイメージはしやすい。
一応、ツールの概念でいうと、テキストエディターというのが仮にあったとして、コードに特化したテキストエディターとしてのコードエディターと、文章に特化したテキストエディターとしての文章エディターみたいな、そういう図を引いといても大丈夫ですかね。
スピーカー 1
そうですね。そう言ってもいいと思います。
スピーカー 2
そうか、テキストをつけるがよくない。エディターっていう概念があって、コードエディターと文章エディターっていうのがあるっていう感じでいいかな。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
はい、すみません。はい、わかりました。
スピーカー 1
ただ、なんでさっきテキストエディターが必ずしも上位概念じゃないと思ったかというと、例えば文章エディターといってもいろんな文章がある中で、
例えば縦書きをしたいよとか、細かい金属処理を、すごく細かい印刷物で使われるようなレベルの金属処理をしたいよとか、
ちゃんとした調体で表示したいよとか、あともうちょっとDTP寄りになっていって最終的な紙面通りのレイアウトで見たいよとか、そういうところもおそらく文章エディターの範疇に入ってくると思うんで、
そうすると、さっきの品詞のハイライトみたいなものはテキストエディターの機能の拡張として作れるかもしれないですけど、
そういう縦書きとか、見た目通り、いわゆるウィジーウィグ的な表示みたいなところは、テキストエディターの範疇からちょっと抜けちゃうかもしれないですよね。
スピーカー 2
たしかに。
スピーカー 1
だから本当はワードプロセッサーというものが文章エディターのはずなんですけど、
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
はずなんですけど、なんかちょっと違うよなというか。
スピーカー 2
そこの違いを今聞こうと思ったんですけど、例えばワードないしスクリブナーは文章エディターと言えるのか、あるいは言えないとしたら何かが足りないのか、あるいは何かが多いのか、そこら辺が気になりますね。
スピーカー 1
ワードにしてもスクリブナーにしても文章エディターを嗜好してるんですよね。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 1
特にスクリブナーはそうですよね。だから文章エディターと言えると思うんですけど。
スピーカー 2
うん、なるほど。
スピーカー 1
うん。ただ、何というか、文章エディターとは何かということが、何というかこう、詰め切れてないまま作っている。
なるほど。
例えばスクリブナーであれば、おそらく要望されるありとあらゆる機能をつけているように見える。
スピーカー 2
はい、確かに。
スピーカー 1
し、ワードに関しては、おそらく初期の80年代はかなり明白に、英語のドキュメント的な文章エディターを嗜好してたと思うんですけど。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
それが、MSさんがWindows環境における標準のプロトシップになるようにしてしまったことによって、そうでない、あれよりものをワードで作るような形になっていって、
どうでもいい機能がつける、あの変なワードアートみたいなものがついちゃうかと思えば、逆にオフィスでライトな断水のお知らせみたいなものを作る用途にもワードを使うようなことになっちゃったんで、
過剰性能であり、どうでもいい性能でみたいな、よくわけのわからないものになってしまったという。
ただ、もとは非常に文章エディター的なものですよね、ワードっていうのは。
スピーカー 2
だから、例えばですけど、純粋概念としての文章エディターっていうのがあったときに、そのツールを作ることをサポートするのは、例えばワードアートとかを使った商品のPOPとか、そういうのではないということですよね。
スピーカー 1
ないということですね。
スピーカー 2
そうか。僕がやっぱりワードのイメージで一番最初に思うのはそのPOPなんですよね。コンビニ自体非常にお世話になったんですけど、よく考えたらあれは、パワーポイントで作る。
スピーカー 1
そうなんですよ。
スピーカー 2
そうなんですよね。何考えれば。
スピーカー 1
パワーポイントもしくは初期のオフィスにあったパブリッシャーとかね。
なんていうか、お手軽DTP的なものが昔あったと思うんですけど。
そういうもので作るべきものですよね。デザイン自主の1枚もの2枚ものみたいな。
ワードは長文エディターなんですよね、本来は。
そこをマイクロソフト自身がきちんと定義せず、ユーザーも意識せず、長年使うことによって、誰にとっても幸せでないことになってしまったという。
ワードとスクリブナーの比較
スピーカー 2
そうですね。そこまで広がったからこそ、今の市場があるっていうことかも。
スピーカー 1
それはそうだと思うんですけどね。
スピーカー 2
書店に行ったら、まずコンピューターコーナーにワードの説明書が棚1個ぐらいあるみたいなことは、その多機能性によっているところはあるでしょうから。
言い変わるかわかりませんけど。
スピーカー 1
ただ実際ね、ポップ作りに役に立ちはしているわけなので、別にそれが無駄ではないんですけど。
スピーカー 2
そうやな。だからそう、ワードとエクセルは標準で入っていることが多かったんですよね。
パワーポイントはないことがあるんですよ。Windows機器を買ったときに。
だからビジネスユースでそういうことをしようと思ったら、ワードになるということだったと思いますけどね。
スピーカー 1
そうですね。その通りだと。
スピーカー 2
先ほど長文を施行するエディターという言葉が出ましたが、文章エディターはイコール長文エディターではない?
スピーカー 1
そこが微妙ですよね。長文じゃなきゃ文章じゃないのかっていうと、そんなことはないわけで。
結局その文章エディターとはどうあるべきかという話をするときに、そこを意識せずに話すので、みんな話がすれ違っちゃって。
それで、またワードの話になりますけど、ワードなんてクソだと。使えないあんなものはと言っている人はたくさんいるんですけど、
何がどう使えないのかをきちんと意識してそう言っている人はほとんどいなくて、みんな自分の印象で使えないと言ってるわけですよね。
実際にはワードにしかできないことっていうのはたくさんあって、
逆に、本来これができるわけはいけないのにできないっていう批判の場合もあるし、
本来そんなことはワードがしなくていいということをやらせようとしているために批判しちゃってる場合もあるし。
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
それが全然、ただみんなワードがダメというだけであって、文章エディターにしても何にしても、
文章エディタの定義
スピーカー 1
それがどういうものを自分がイメージして、それと比較してダメだと言っているのかがわからないんですよね。
確かに。
そんな容量のない言い方でわかりませんけど。
スピーカー 2
日本語の話で文章エディターとは言ったときに、文エディターとは違うわけですよね。
違いますね。
まとまりのある、一行でも文章になってるときはありますけど、
大抵文章は文から構成されてるもので、
一つの何か、複数の文によって何かを表そうと試みているものだと仮に言ったとしたときに、
やっぱり文エディターと文章エディターは違うとは言えると思うんですけど、
たくさんがイメージされる文章エディターはどっちかというと、文章っていうものは飛鳥大という趣向性があるということですかね。
スピーカー 1
そうですね。
ただあそこも切り離せない面があって、
それこそワードも80年代の初期のマーケティングではあれ、
自分はドキュメントプロセッサーって習ったんですよね。
スピーカー 2
はいはいはい、そうでしょうね。
スピーカー 1
80年代に。
それは単なるワードプロセッサーじゃないよと言いたかった。
うん、なるほどなるほど。
だからそこを明確に自分をドキュメント、ドキュメントというのは要するに、
英語の文脈でのドキュメントっていうのは構成を持った長文のことですよね。
だから文章じゃなくて文章エディター、文章エディターですよね。
スピーカー 2
ああ、そうですね。
スピーカー 1
ただ別にワードで一枚もののペラ一のメモを作ることももちろんできるんですけれども、
それは別にワードじゃなくてもできる。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
ただワードでもできる。
ただそれは別に単なる普通のごく普通の真っ当な入力とカットコピーペースト機能ぐらいがあれば十分、
何を使ってもできるわけですよね、短いものは。
あんまりなんとかエディターである必要性は、ものすごい複雑なデザインをするのでない限り必要ないと思うんですけども、
やっぱり数センチを超えた長さになるに従って、エディターのサポートが欲しくなってくる。
というときに、何をどうサポートしてくれるかっていうのが文章エディター。
スピーカー 2
そこから先が文章エディターというか。
スピーカー 1
僕のイメージですけどね、それは。
別に文章エディターという定義されたものがあるわけではないので。
文章エディタの機能
スピーカー 2
そうです。だから文エディターと文章エディターと文章エディター。
これもしょうもない言葉じりですけど。
だから文章イコールドキュメントと受け取ると文章エディターってことになってしまって、
さっき言ったワードがほとんど似合ってるとしたらワードでいいはずで。
でも違うとしたら、文章と文章が違うとしたら、語感では違いますけども。
そこは何が違うかな。
ある程度長さがある文章があったとしても構造の有無っていうところはまず言えると思いますが、
でも文章やからって構造がないっていうことの確定にもならないし。
難しいな。
スピーカー 1
そこは別に決まりがあるわけではなくて、
そこがエディター側というかツール側の哲学になるんじゃないですかね。
その長い文章を書くことをサポートするというのはどういうことだと、
スピーカー 2
開発する側が捉えるかによって、そこの軌道が変わってくるわけですよね。
スピーカー 1
だからそのワードに関して言えば、長文ドキュメントの作成をサポートするというのは、
言ってしまえばアウトライン、アウトライナーの機能と書式を連動させること。
アウトラインとスタイル機能を連動させること。
それによってアウトラインを操作するだけで書式の整った長文が中々自動的にレイアウトされて出てくる。
プラス、これは主に英文の論文なり法律文書なりの必要性から客注だったり、
文末注だったり、点挙一覧だったり、目次だったりっていうものが自動的に生成できるということで、
そういう煩雑な繰り返しとか番号付けとかそういうことから書き手を開放してくれると。
そういうことをやるのが、文章エディターとしてのワードの思想だったと思うんですね。
だけど例えば、日本語で文学作品を書く人にそういう機能がどれだけ役に立つかって、ちょっとわからないところがありますよね。
特にワードの場合、見出しがないとアウトラインにならないので、
そうすると文学作品で細かい構造的な見出し、構造は持っていたとしても構造的な第一章、第一節みたいな構造になってない文学作品は、
アウトラインとして操作できなくなっちゃう。
ということは逆に、それができるような文章エディターは他の形があり得るのかもしれないと。
スピーカー 2
そういうことか。だから一応、ワードは文章エディターであるが、
ワードが体現したような形ではない文章エディターの形もあるのではないかという、そういう考察なわけですね。
スピーカー 1
まあそういう面もある。
そこはちょっといまいち自分の中でもクリアになっていない面があるんですけど、
文章エディターとは何であるというイメージを持っているかを、
スピーカー 2
自分で意識しないと文章エディターの話はできないなと思うんですね。
スピーカー 1
それを意識しないまま、僕の考えた最強の文章エディターの機能はこうですよといったところで、
多分あんまり意味がないということだと思います。
スピーカー 2
文章の定義が分かるのに難しいとして、イメージとしてやっぱりメモ帳みたいな、
つまりアプリケーションのメモ帳みたいな単純な文章入力装置では足りない部分を補ってくれる機能を
持っているツールであるというのが受けた印象で、
短い文章であればそういうアシストは多分ほとんどなくていけるんで、
必然的に文章エディターはある程度の長さを持ったものを対象としやすいというのは言えそうだなという気がしますね。
ある程度長くならないと文章エディターの必要性は増してこないという感じがしますね。
2桁の足し算は暗算でできるけど、3桁の掛け算は電卓内で無理みたいな感じで、
ある構造的、内容的複雑さを人間の認知資源を超えるものを扱う場合に、
必要となってくる機能を備えているものと。
そういう感じか。
スピーカー 1
コンピューターアシストライティングですね。CAW、COWですね。
でも例えば詩を書く人にとっては、もしかしたら紙の上に、詩のジャンルにもよるでしょうけど、
レイアウトする機能が一番大事かもしれない。
スピーカー 2
間違いなくそうですね。間違いなくそうです。
スピーカー 1
どう文字を配置するか。
ということは逆に、ワードみたいな段落と書式の設定っていう話ではなく、
いかに自由に精度高く配置できるかということが、
単なるレイアウト上のことだけじゃなく、詩を作るということに直接的に関わるかもしれないわけじゃないですか。
スピーカー 2
おそらくだから、詩を書く人はワードの普通の文章じゃなくて、
スピーカー 1
ワードブロックみたいな、もう名前忘れましたけど、テキスト挿入ブロックみたいなのを置いてやるでしょうね、きっと。
もしくはテキストボックスみたいなものを。
それこそ千葉さんじゃないですけど、DTPのソフトで直接やったほうがいいのかもしれないし。
詩人にとってはそういうことができるものが文章エディターなのかもしれないし。
スピーカー 2
詩人にとっての文章エディターというジャンルもあり得ると。
スピーカー 1
そうですね。
それ当然詩人はワードなんかダメだって言うんじゃないかと思うんですよね。
スピーカー 2
そもそもワードって縦書きできましたっけ。
できますできます。
基本的に縦書きでしょ、詩はね。
まずスタートが縦書きじゃないとたぶん話が始まらないと思うんですね。
スピーカー 1
日本語の詩は縦書きか、どうなんでしょう。記集はそんなに…。
スピーカー 2
まあ僕が見かけた記集はほぼ縦書きでしたけどね。
もちろんあるでしょうけど、詩は自由によくあるでしょうけど縦書きが多いですね、なんとなく。
スピーカー 1
縦書き自体はね、結構ワードちゃんとできますよ。
それはえらいですね。
ただ普通の文章の形ですよね。
スピーカー 2
なるほど。
でも長文・しっぴつを助けてくれるコンピューターツールっていうのを物書きは常に追い求めてて、
一つ屈服というか到達点がスクリブナーなわけですけど、
でもあれが最終回だって言われてる。
それはそれで困る。
何が困るのかを口頭で説明するのは難しいんですが。
スピーカー 1
スクリブナーね。ただスクリブナーのおかげで、
私の人生は救われたと言っている書き物書きもいるわけですよね、世界から。
だからわからないんですけど。
多様な文書作成のニーズ
スピーカー 1
ただスクリブナーは一つワードと違って、
見出しがなくても文章を切り刻んで入れ替えることができるという特徴を持っていて、
だから確かに違うタイプの文章エディターなんですよね。
スピーカー 2
確かに言われないと気づかなかったけど、ワードを使わないから気づきませんでしたが、
確かに場所で切れますもんね、スクリブナーは。
スピーカー 1
場所で切って、しかも切った断片にタイトルはつけられるから、
タイトルでアウトラインとして見ることもできるけれども、
そのタイトルをコンパイルしたときに表示したいこともできるっていう。
スピーカー 2
はい、そうですね。
スピーカー 1
僕一回それすごい感動したんですけど、
使いこなすのは結構それ難しかったんですけど、
でもそれができるっていうのはすごいことですよね。
それ本当に文章を書いてる人じゃないと気がつかないポイントだと思うんですよね。
論文とかオフィスで作る文章とか法律文章とか、
そういうもののことをだけ念頭に置いていたら絶対に出てこないというところだと思うんですよね。
だからやっぱり小説を書く人が作ったソフトなのかね。
そういう意味ではまさに文章エディターですよね。
うーん、そうかそうか。
スピーカー 2
だから初めからフォーマッティングなことが決まってる場合は、
むしろワードのようなカチッとしたほうが使いやすい場合もあって、
ストーリーとか小説のようなある程度フリーの場合は、
作りブラのほうが多少手間を増えるにしろ扱いやすさが上がるということがあるわけですね。
スピーカー 1
そうですね。そのコンセプトとしては素晴らしいものだと思うんです。
ただ、UIにどうしても自分はうまく透明な存在として扱えないんですよね。
それは自分の癖の問題なのか、ちょっとわからないんですけど。
それをできてる人もいるんで、スクライブ感が悪いという話ではないんですよね。
スピーカー 2
まあ相性の問題というのはあるでしょうね。
そうか。
だから例えば、スタッフさんのイメージする中で、
この機能を備えていたら文章エディターだと言える。
ないし、この機能があったら文章エディターとは言えないというようなものはないということですね。
スピーカー 1
ないですね。
自分が望む文章エディターがありますね。
スピーカー 2
それはそうでしょうけど、はい。
スピーカー 1
だから、自分が望む文章エディターと、
他のいろんな人が語っていた文章エディターのことを一旦踏まえた上で、
自分が望む文章エディターはこうなんですよといった上で、
スピーカー 2
僕の考えが最強なので、そこで初めてそんな話をしてもいいのかなという気がしますね。
そうですね。だから、根本的な定義と言えるのは、
ある程度ツールの助けがないと書けない文章を書くことをサポートしてくれるものが一通り文章エディターと言えるとしたら、
その人がどんなスタイルで何を書こうとしているのかによって、
必要とされる機能そのものの実装は変わってくるという話になって、
自分が何をどう書こうとしているのかという自覚なしにはそれは語れないということですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
うーん、なるほど。
うーん、そうやなー。
そうするとやっぱり難しい。
自分は文章をどうやって書いているのかという沼のような問いにはまらない。
あかんということですね。
スピーカー 1
でもだから、どんな機能があったらいいなと夢見ているかということだと思うんですよね。
ツールと文章作成の関係
スピーカー 1
そうですね。たしかに。
自分がどう書くかは多分、それこそツールの機能によって規定されちゃう場合もある。
スピーカー 2
たしかにありますね。
スピーカー 1
ツールとの関係を抜きにしては、
スピーカー 2
語れない。
スピーカー 1
語れないんですよね、自分がどう書くかっていうのは。
スピーカー 2
うーん、そうやな。
だから複数のツールを渡り歩いたときに、あるツールを使ったときに、
ああ、これができたらいいのになと思うことは当然あるわけで、
スピーカー 1
ありません。
スピーカー 2
そういうところからその希望とか欲望みたいなのが知覚できるのはありますね。
スピーカー 1
そうですね。
例えば僕が今のところ、漠然とイメージしている文章は、
ベースがワード。やっぱりワードなんですよ、ベースが。
スピーカー 2
はい、はい。
スピーカー 1
ワードとカカオを足してリで割って。
なるほど。
で、なんとなくイメージできるようになる。
スピーカー 2
分かりました、分かりました。
僕はどっちかというと、Ulyssesにアウトライン技能がつくみたいなのをイメージしますね、なんとなく。
スピーカー 1
まあ、そうだっすね。
スピーカー 2
僕はあまりテキスト装飾を重きを置いてないってことだよな、きっとな。
スピーカー 1
僕は重きを置いてるんですよね。
スピーカー 2
ブロック単位の入れ替えこそが重要という感じかしら。
もう一個、文章を書くパートナーとなってくるツールっていうことを考えたときに、
単発の執筆っていうこと、書くっていうことと、例えば長期的な書くっていうこと。
はい。
まあ、例えば長期的っていうのは連載とか、長い本を書くっていうこともありますし、
例えばブログをある一定期間更新し続けるみたいな、
これは複数の文章を扱うという機能も欲しいわけですよね。
はい。
それを込めるかどうかも僕次第っていうことか。
スピーカー 1
そういうことですね。
そういうことか。なるほど。
だからUlyssesなんじゃないですか、でもやっぱり。
スピーカー 2
そうだと思います、そうそう。
だから複数のプロジェクトを一つのツール内で走らせてっていうことがしたいということなんですね、基本的には。
スピーカー 1
そうですよね。だからUlyssesも文章エディターですよね。
それはそうですね。
初期Ulyssesとはまた全然違うタイプの文章エディターでしたけど、今のUlyssesはまた。
スピーカー 2
今の時代にあった感じに仕上がってますね。
だからやっぱりScrivenerはワンパイルワンプロジェクト公式がどうしても僕のプロセッシングに合ってないというところが常にあるのが引っかかってるんですね、きっと。
スピーカー 1
そうですね。
だからよりシーズンに真っ当なアウトライン機能がもしついていたらかなり強く惹かれるかもしれないですよね。
スピーカー 2
書く文章の中のアウトライン機能と書いた文章のアウトライン機能がもっと高性能やったらサブスクリプションする価値はあるかなとはずっと思いますね、あれは。
スピーカー 1
そうですね。あと僕ちょっとマークダウンとあまり自分が相性が良くないというのもちょっと一つUlyssesに馴染めない理由の一つですけど。
スピーカー 2
こうやって考えてみるといくつかの観点がありますね、エディターを見る視線の観点というか、どんな機能にチェックを入れるかっていうマークダウンとかワンパイルワンプロジェクト公式とかそういうチェックリストじゃないですけど、
ツールを見るときの観点をリストアップするのはちょっと面白いかもしれませんね。
スピーカー 1
僕、書くときのマークダウンは嫌なんですよ。マークダウンで書くってのは嫌なんですよ。だけど例えばワードを使うじゃないですか。
ワードはせっかくアウトラインで構造化されてるわけなので、これをプレーンなマークダウンには変換してほしいんですよね。
書式は全部飛んじゃっていいんで、要するに簡単に言えば、ワードのレベル1見出し、レベル2見出し、レベル3見出しっていうのがあったときに、それを極プレーンなマークダウンのあれをつけた形のテキストファイルに変換してほしいとは思うんですよね。
スピーカー 2
それは何か別の用途があるからですか?
スピーカー 1
別のワード形式で受け付けてくれないところに、受け付けてくれない人に、もうその構造を保ったまま渡したいわけじゃないですか。
スピーカー 2
そういう出力はないのか。
スピーカー 1
ないんですよね。
HTML出力ができるんですけど、あれ要するに、ワードの書類の書式を完璧に再現したいHTMLが出力されるんですよね。
そうでしょうね。
そうじゃないんですよ。それがあってもいいけれども、見出しの構造とかリンクとか、そういうごく基本的なところだけをHTMLなりマークダウンなりでマークした状態にしてくれるといいなとかっていうのは昔から思いますね。
まあ方法はあると思いますけど。
スピーカー 2
パンドックを通せば全然変換はできると思います。
スピーカー 1
パンドックを使うしか今のところ方法はないとか。
そうか。
スピーカー 2
ワークポロリは普通にマークダウン。最近かな、見出しの対応がついたマークダウンのエクスポートがついたのはワークポロリ最近ですね、確か。
他は割りかし、オブシリアンはそもそも元々マークダウンで書くか。
スピーカー 1
オブシリアンはマークダウン。ログシークもそうです。
大抵あの手のツールが全部、当然か。テキストで書いてHTMLの表示を使う機能は全部マークダウンですね、だいたい。
スピーカー 2
僕はKindle本を作るときに、ワードの書類に点々マークダウンを書き込むというアホみたいなことをするわけですよ。
見出しの行は、見出しの3のスタイルになってるけど、文字列がシャープシャープシャープする。
スピーカー 1
そうそう、手作業で。
で、脚注とか図を入れるところも手動で書き込むんですよ、最終段階で。
なるほど。
で、それをテキストに落として、点々コンバーターに通すという。
なんでかっていうと、修正があったときに、修正をまだワードの上で最後まで、ワードの上でしたいから。
わかりますわかります。
変換しちゃうとそれができなくなるんで。
そのワードの機能を最終段階まで使うために、何をやってるんだ俺はと思いながら、そういうことをするんですけど。
そうですね、はい。
スピーカー 2
それがしなくて済むようになったらいいなと思いますけど。
そうですね。だから、やっぱりある程度プログラマバルな人やったら、それを何とかツールの力で自動化しようという発想になって。
文章エディターを作ろうという発想にはなかなかならないんですよね。
スピーカー 1
そうですね。
だから。
あれだって、ワードがVBAで組んじゃう人ってもちろんいるでしょうよね。
スピーカー 2
そうでしょうね、おそらくは。
だから既存のツールのアレンジで、機能そのものをやり過ごすというような感じが多いかな。だからそうだな。
だからやっぱりコードエディターはプログラマーが使うための道具で、プログラマーはエディターを作れるから、コードエディターは山ほどあるけども。
スピーカー 1
そうそうそう。そうなんですよ。
スピーカー 2
それぐらいの行動力を持ったもの書きがたくさん現れない限り、そういう文章エディター、独自の文章エディターっていうのはなかなか乱立はしづらいでしょうね。
スピーカー 1
そうですね。
まあそうなんだよな。拡張機能ぐらいなら僕でも作れますけど、エディター1からって言われたら、やっぱスクリーナーで頑張るわみたいな感じになりますね。
スピーカー 1
まあとはいえ、時代が変わって、VSコードの拡張機能でもの書きが自らっていうパターンはもう多分無数に今はあるでしょうから、その辺が昔とは違うとは思いますけども。
スピーカー 2
そうですね。だからオブシリアンみたいな感じで、基本となるプレーンとなるエディターがあって、そこに文章的な機能をみなさんが開発してっていうところが増えていったら多分いろんな姿勢の知恵が集まるかもしれないですけども。
スピーカー 1
そうですね。僕はたぶん年齢的な、今までの歴史的な経緯もあって、やっぱりワーププロなんですよね。エディターじゃなくてワーププロなんですよ、たぶん。
なんでかっていうと、例えばマークダウンで書いてPDFでプレビューしてっていうのだとなんかでダメなんですよね。プレビューできても、例えば紙で出力して、あるいはPDFの上にでもいいんですけど、赤を入れるじゃないですか。
で、それをファイルに反映するよっていうときに、見た目が違うじゃないですか、そのエディターの画面が。PDFはちゃんとなってるけれども、プレビュー上ではちゃんとなってるけれども、実際に修正する画面は違うんですよね。それがダメというか、つかれちゃうとか。
だけど、法則でエディットしたいときには、紙に出力する通りの表示になっていると、紙の境目とか見たくないわけですよね。
だから、印刷する通りの表示も表示して、その上で修正もしたいけれども、そうじゃない、もっとエディターっぽい画面にもなってほしいし、アウトラインの表示にもなってほしいしって考えると、それワードじゃんっていう話になるんですよね。
スピーカー 1
だから、かなりワード自体が自分が求めているものに近いことは近いですね。
スピーカー 2
Macのワード、Windowsでもいいんですけど、全集中モードっていうのかな。エディター部分以外が表示が消えるみたいなモードってないですよね、たぶん。
スピーカー 1
ありますね。
あるんや。
全画面モード。
全画面モード。
ありますね。ありますけど、あんまり美しくない。
それは問題な。スクリブナーとかダークルームとか、ユリシーズもできるのかな。
文章エディタの進化
スピーカー 2
ユリシーズはもともとボタン類が少ないから、あってもなくてもという感じですけども。
あれがあるから唯一執筆できるんですよね。常時普通のあの画面では僕は、ワードであろうがスクリブナーであろうが非常に書きづらいですね。
スピーカー 1
商店街みたいな。
スピーカー 2
あの辺のスイッチ。どっちかっていうと、プレビューよりはライティングに集中してるときのモードとそうじゃないモードを開けられたら僕は嬉しいですね。
そうですね。それも多分文章エディタイムの技術の観点ですね。
スピーカー 1
一つだし、あと同じワードが非常に気に入らない点の一つはやっぱりツールバーというかリボンですよね。
あれはやめてほしい。やめてほしいっていうか、まっさらな四角いだけのウィンドウを表示してほしい。
好みの問題ですけども、好みというか執筆という知的作業をしているときに画面がどうあるべきかという観点からいらないものが多いっていうことですね。
そういうことを考えるベースは明らかにワードの機能なんですけど、決してワードが好きなわけではないという非常に歪んだ。
スピーカー 2
人間の愛情というのはそういう意味だと思うんですけど。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
奥深いし、あんまり論じられてこなかった領域ではありそうですね、これは。
スピーカー 1
論じられてこなかったと思いますよ。
そんなに文章エディターの機能自体が90年代以降進歩してないと思いますし、
他のことが進歩したから、もちろんできることは劇的に増えてるし楽にもなってるんですけど、
ワープロと現代のツール
スピーカー 1
文章エディターの機能自体の進化はたぶん90年代ぐらいに止まっちゃってるような気がしますね、一部の例外を除いて。
そうですね、劇的なイノベーティブな何かが生まれたということはなくて、正直使い勝手で言うと僕が思ってた持ち運びのワープロの時代がちょっとリッチにあったというくらいで。
スピーカー 2
たぶんワープロとかでアウトライナーを使って感動する人は、そういう認識から一気に可変型の文章デザインが可能になったっていうことに驚かれるんでしょうね、きっと。
スピーカー 1
そうですね。それが可能になったのって80年代ですからって思うわけですよ。
スピーカー 2
だから進歩してない。進化が止まっちゃってるっていうのはそういうことですね。
スピーカー 1
ただワープロが切り開いた、要するに現代のアウトライナーのあるべき姿を見せたっていうのはもちろんありますけど、でもその発想自体はもう80年代のものですよね。
スピーカー 2
そうですね。それ以上、モダンなアウトライナーという以上のものではないというのは確かで、それ以外の可能性は切り開かれてないし。
難しいな。だから、例えば文章を書くっていう作業をする上で、例えば自分のナレッジベースみたいなものを参照したいという要望があったときに、
じゃあもうナレッジベースの通常で文章を書けばいいじゃんっていう発想も当然出てきて。
例えばヘプタベースみたいなのは、カード上で文章の構成を考えて、もう文章を書いてしまえるみたいなこともあって、
スピーカー 1
これも文章エディターだという人がいれば、そりゃそうっていうことになるでしょうね、きっと。
ただやっぱりカードメタファーを使うということも、80年代からのことですし。
ただ、その洗練度というか、コンピューティングパワー自体が全く当時と桁が違うので、
当時できなかった、コンセプトはあったけど、できなかったことが本当に今できるようになったっていうことは当然あります。
スピーカー 2
そうですね。2020年代に盛り上がってたのがルーマンのカード法ですもんね。
スピーカー 1
再発見ですよね。
ルーマンのカード法が再発見とか再着目されるとか、
知的生産の技術だって梅沢忠夫のカードもそうかもしれないし、それはそれですごく意義があることなんですけど。
一方で文章エディターの機能はむしろ、ユリシーズを見ても分かるようにむしろ退化してるかもしれない。
確かに。
そう思うんでしょうね。2010年代、10年以降ぐらいに。
スピーカー 2
そうだな、やっぱり。僕もさっきから言ってるように、ある程度シンプルなほうが使いやすいみたいな。
見た目も機能もシンプルなほうが使いやすいみたいなのがあって、
それが誤った信念なのかどうかわかりませんが。
だからツール開発者も、まあ別にエイアローみたいな感じになってるやもしれませんね。
スピーカー 1
だから一つの方向として、アナログのメタファーをもう一度考え直してみるっていう方向性はあるのは確かなんですけど、
ただアナログのメタファーで考えすぎるがゆえにコンピューターの可能性を限定しちゃうっていうこともあり得るし、
それが実際80年代までかなり起こったと思うんですね。いろいろ見てると。
だからアナログメタファー、ただ一方でそれこそ野良鉄さんの手帳の絵みたいなやつみたいに。
それと昔のロータスオーガナイザーみたいに。
実はそのアナログメタファーに意味があるっていう場合もある。
改めてデジタルの上でもアナログメタファーに意味があるっていうこともあり得るし。
でも一方では、あまりにもアナログメタファーによりすぎると、むしろデジタルの良さを殺しちゃう場合もあり得るし。
スピーカー 2
あり得ますね。だからロータス表示とか横に並べてみたらうんぬんかんぬんっていうことの良さって、
逆に言うとデジタルツールが進化していく上で切り落としてきた機能たちが再度拾われたという形だと思うんですね。
逆に例えばカードのメタファーにこだわりするとどうなるかというと、
画面サイズが現実世界より広いことはないということで、広さの問題が必ずぶち当たるわけですね。
もう劣化にしかならない。絶対にその場合、カードに書いて並べた方が発想とか使いやすいって言う人が多いし、実際それはソフトなんですよね。
だからカードっていう情報をある単位で保存しておくっていうそこのコンセプトは活かしたとしても、
カードだから並べなければならないとなってくると、ちょっとやっぱり介護感になってしまうんで。
だからどこのメタファーを活かすにしても、どこを拾ってどこを拾わないのかっていう選択を検討する必要がありますね、これは。
そうですね。
スピーカー 1
だからそこまで意識してアナログメタファーを使っているのか。
あとアナログメタファーでデジタルツールを作ろうとして、散々80年代にいろいろ失敗した試みがあるんですけど、多分そういうのも忘れられちゃって。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
また大発明をしてるんですよね。
ただコンピューターの環境自体が劇的に進化してるんで、
同じことをやっても昔うまくいかなかったけど今はうまくいくことももちろんあるかもしれない。
ただそうなると今度、
スピーカー 2
でもそれは30何年前にそういうのがあったんだよっていうことを、もうちょっと言いたくなっちゃったりすることもあるし。
かつてあったことを踏まえた上で自分でもう一回発明するっていうのはアリだと思うんですよ。
それは違う観点が絶対入ってくるんで。
そこの歴史をないままで再現される歴史っていうのは多分無駄が多いので、そこを語る意義は大いにあるでしょうね。
ヘプタベースの話かな。文章を書く前にカード型で向かいしておくとすごいやりやすいっていうようなツイートを見たんですけど、それKJ4やんで。
A型、B型の使いからB型文章化っていう。
その年代に開発された知的生産のすごく根本的な話が、やっぱりデジタルツールの界隈になるとすっかり抜けてるんですよね。
世代的な断絶があるのか、話題的な断絶があるのか、知的生産の技術とコンピューターアーティングの界隈がそもそもつながってないからそういうことが起こるのかちょっとわからないんですけど。
やっぱりちょっと無駄を感じますね。やっぱりそこは無駄というか、なんかもったいない感じがしますね。
スピーカー 1
そうですね。それを、何ていうか、30年前のナモさんも、こんなもん昔からあるんだよっていう意味じゃないんですよね。
逆に今それを再発見したり再発明したりする機会があるならば、
本当は昔のそれを、昔あった似たようなものの上に乗っかれば、もっと先にいけるのになっていう。
スピーカー 2
そういう感じですね。
スピーカー 1
そういう残念さは感じますけど、ただそれを、僕はたまたまリアルタイムでそれを見てきたから知ってるだけで。
見てこなかったら知らないですよね。知る機会もないし。
スピーカー 2
そこがね、やっぱりこのバリアが発展しにくいところ、議論が積み上がらないというか、毎回リセットされてしまっている状況。
デジタルツールの進化
スピーカー 2
だからこういうノウハウの話って、個人的営みのことなので、あんまり体制を巻き込む議論になりにくいし、常に再発見されていて。
個人の営みで再発見できる量は限られているので、ある程度いったらみんな同じところのレベルで終わってしまうっていう感じが、
それはツールの開発にも影響を与えているような気もしますけどね。
スピーカー 1
そうだね、そうだと思いますね。
スピーカー 2
例えば、ある2004年ぐらい、5、6年よりもちょっと前ぐらいからデジタルツールを使って知的生産技術的なことをやろうとした場合、ほとんどテキストベースなんですね、基本的には。
テキストベースっていうのはこの場合言うと、リニアに書くしかないツール。
ヘプタのようなものがなかったから、ヘプタがないと図解してから文章を書くっていうステップそのものがもう念頭にない。
上がりようがない。
だからそうなってしまうというのはもちろんあるんですけど、
でもやっぱり、僕的にはそういう知識のライブラリーがちゃんと整備されてないことが大きく問題じゃない。
スピーカー 1
知的生産を学ぼうってときに、そのサイトに行ったら必要なものが全部揃ってるぐらいの夢のライブラリーがあったらいいなって思いますけど。
あったらいいですよね。
かつてこういう試みがあったとか、こういう製品があったと。
その製品はよかったんだけども、ビジネス上のいろんな要因でなくなっちゃったけれども、
こんなものがあったんだよっていうのがもっと簡単にわかる何かがあればいいんですけれども。
実際ワークフローインが出てくる前のアウトライナーってそういう感じだったんですよね。
もうなんか絶滅禁止みたいな感じで。
昔あったね、そういうのっていうか。ほんとそういう位置づけだったんですよね。
アウトライナー以外にも結構そういうものがあるし、
いつも、うちはゼキャストで同じことばっかりいつも言ってる気がしますけど、
発想だけであれば90年前後、80年代の終わりから90年代初めぐらいに、
発想というかコンセプトで言うと、今でもちょっと驚くようなものがたくさんあったんですよ、ほんとに。
だからあれが今の技術で復活したらって思うものってほんとたくさんありますね。
スピーカー 2
まあそれが断絶して、大抵のものは断絶するんですけど、
インターネットの場合、誰かが意識的に残そうと思わないものって残らないことでどんどん消えていってしまう。
ある時期以降そういう活動って非常に減衰したというか、
誰もやらなくなったっていうふうに近い状況なんで。
だからやっぱり昔の個人ブロガーとか個人ウェブサイトにして、
人間の役割の変化
スピーカー 2
その情熱どこにあったのっていうぐらいマニアックな情報が残ってるわけですよね。
それは僕も含めて全体的に弱まってきて、
歴史力の弱さに繋がってくるところがあって、
最新のツールは詳しいけどてんてんてっていうことになりがちですね、昨今のインターネットは。
スピーカー 1
あともう一つは、倉下さんにしても僕にしても、
こういう話が好きだからこういう話をするけれども、
別にそんなことは好きじゃなくて、単に仕事で文章を書く必要があって文章を書いてる人、
全然興味ないわけですよね、ツールに。
スピーカー 2
そうでしょうね、間違いなく。
スピーカー 1
そうするととんでもなく原始的なツールを使って、
すごいものを作ってたりするわけですよね。
なるほど。
スピーカー 2
最終的に道具は道具でしかないというところは、
超えられないのに苦戦っていうのがあって、
原始的に力技でやってなせたらそれでいいということはもちろんあるわけですからね。
スピーカー 1
そうですよ、だから僕は昔他職場は、
これも何回も繰り返しますけど、
百何十問あるアンケート調査の原稿をExcel法案紙で作るわけですよ。
発狂しますよ、本当。
スピーカー 2
だけどそういうワークフローが出来上がっちゃってるんで、
スピーカー 1
自分だけ違うやり方しますというわけにはいかないんですよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
これ多分4時間かけてやってることが、
多分40分で後使ったらできるんじゃないかって思いながら、
終電の音がタクシーだみたいな、
そういうことを考えながらやるのって結構辛いものがあって、
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
そういうことも世の中にはたくさんあると思うし、
一方ではもう生成AIを使うという流れはもう元に戻らないので、
ある種の文章作成作業というのはあんまり人間が手をかけなくなってくる。
スピーカー 2
間違いなくそうなるでしょうね。
スピーカー 1
そうですよね。
そうするとこういう話をする機会ってもう、
今が最後なんじゃないかなと。
もうちょっと続けるくらいかもしれないですけどね。
まあ確かにね。
スピーカー 2
早い遅いと言ってちょっと遅いかもしれないですね。
本当に人間が文章を書く終焉の時代がやってくる。
そもそも文章を書くって行為は、
人間のナチュラルな行為じゃないじゃないですか。
本性でもないしDNAに刻まれてるわけでもなく、
肯定的に学んだ明確なスキルなわけで、
やらなくて済むんやったら別にやりたくないことだと思うんですよね。
大抵の人にとって。
だからその業務的なある種の定型であっても良い、
定型であることが望まれるような生成の場合は、
もう人間が作ることは多分減っていくでしょうね。
作らないほうがええっていう場合のほうが多いかもしれませんけど。
スピーカー 1
そうですよね。
そうするとそれこそ文章エディターが発達するということも、
今まで以上にもしかしたらもうないかもしれない。
スピーカー 2
わざわざそんなことをしなくてもということはあるでしょうね。
スピーカー 1
でも文章を書く機会がゼロになるとは思えないので。
スピーカー 2
そうですね。
もしそのような世界環境にあって、
人が文章を書くとしたら、
それはその人の文章を書くということでしょうから、
だからますますツールの助けが必要ということになるかもしれませんね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
なのにたぶんこのままにしておくと、
逆にそっちのほうは衰退していくだけなんじゃないかと。
文章エディターの意義
スピーカー 2
確かに確かに。
スピーカー 1
そこに非常に危惧を感じますよね。
スピーカー 2
最後の最後に残るのはパーソナルライティングだけということですね、きっと。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
まあ難しい問題で。
そもそも文章エディターが何なのかが非常にまだ、
そもそも人によって輪郭線が違うという点はありつつも。
スピーカー 1
わからないですよ。
スピーカー 2
わからないでいいということですね、この場合。
わからないでいいということか。
うんうん、なるほどなるほど。
だから、行われる連載は一緒に考えていきましょうという感じなんですね、たぶん。
スピーカー 1
うーん、まあちょっと今考えてるというか、
今だいぶ書いてあるのは、
それこそ80年代から90年代にかけてこういうふうに、
文章エディター、文章エディターという言葉は使われてなかったですけど、
こういう文章エディターはこういうふうにあるべきだと。
うんうん、はいはいはい。
こんなふうに言われてましたよっていう話ですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
で、そうですね。
で、そういう流れというのが2000年頃を境にパタッとなくなっちゃったような気がしていて、
まあそれ学術研究じゃないんで、どっかでは言っていたかもしれないし、
それを網羅するのはもうちょっと無理ですけど。
スピーカー 2
はい。
まあ探さないと見つからないぐらいにはなくなってきたということですね、要するに。
スピーカー 1
そうですね。
で、それとともにツールの進化も止まった印象がありますね。
まあ具体的に言うとWindows95以降止まったんですけど。
スピーカー 2
まあそうでしょうね、きっと。なんかそんな感じがします。
時代による変化
スピーカー 1
要するにパソコンが世の中に普及してから止まったんですよね。
スピーカー 2
あー、そうか。
スピーカー 1
それ以前は要するにそういうことに興味があって、
それを強く必要としている人だけが使っていたから、
議論も活発だし、そういう人たちに向けてツールも作られるしっていうのが、
結局その劇的に世の中に普及した以降は、
メインのユーザー層がそうじゃない人たちになったわけで。
そういうことよりもいかに使いやすく、
スピーカー 2
基本的な機能をいかに使いやすく見せるかとか。
スピーカー 1
基本的に会社で使っているのと同じものを言える人たち。
スピーカー 2
あと思考のエンジンで言うと、見栄えの良い文章を作るのか
ワープロの機能みたいなことが日本は独特だっていう発言がありましたけど、
ワープロって基本的にそういうツールとして認識されますよね、一般的には。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
論理的構造を整えるためのツールじゃなくて、
綺麗な字を書いて美しく見せるための道具として一般的には認識されますね。
そうですね。
ある種、最初の頃は物書きとか熱心な人たちのための道具だったのが開かれたことによって、
変質というと変わってきた。
ツイッターが普及したら空気が変わったっていうのとちょっと似てる感じはしますが。
似てるでしょうね。それがだから普及するっていうことなんですよね。
スピーカー 1
そのときに本当は枝が分かれていくべきだったんですけれども、
ただやっぱりこの間ツイッターの件もそうですけど、
みんながわかったのはそうはならないってことですよね。
そうですね。
未来の文章エディター
スピーカー 1
当然ですけどビジネス判断として一番まずのところを向いて作るわけです。
スピーカー 2
当然ね。
スピーカー 1
バーケティングもするわけだし。
それ以外に、そうじゃない皆さんのためにはこれがありますよというふうにはやらないですね。
スピーカー 2
やらないですね。まあ確かにそりゃそうだ。
スピーカー 1
だから当然なんですよね。
スピーカー 2
そうか。市場が広がったらハッピーになるとは限らないのか。
ある種の人たちにとってもともと存在したものが市場原理によって失われていくことが非常にクリアに起こるわけですね。
スピーカー 1
そうだと思うんですね。
だからこういう昔のパソコン本を読んでて、
90年代の後半ぐらいの本を読んでるときに、みんな電子メールをライサンするわけですよね。
みんながこれを使うようになったら、どんなに仕事が楽になるかってみんな書いてるでしょね、90年代の割で。
スピーカー 2
いやわかりますよ。僕も野口さんとかの著作を見る頃、その頃はまだ電話が嫌われてメールはライサンされるじゃないですか。
スピーカー 1
そうなんですよ。
それはそう見えたのは、一部の人しか作ってなかったからなんですよっていうのが、本当に痛感したわけですよね。
スピーカー 2
確かにね。そりゃそうだ。
スピーカー 1
2000年代に入ってから。
スピーカー 2
そうか。霊名機ならではの楽園があるということですね。
そうですね。
スピーカー 1
あの頃は幸せだったなと。
スピーカー 2
避けがたい。その変化は、それが便利であればあるほど必ず大衆化は避けられないわけで。
ある年代で文章エリータはこう語られてきたっていうことがあって、今は使われていない。
そもそも語られていないという。文章エリータはどう語られてきたかということがそこら辺の話のテーマだと思うんですけど。
スピーカー 1
そうですね。その言い方いいですね。
スピーカー 2
そうなると、どう語られるべきかっていう未来方向に向かって議論が伸ばせそうですね。
スピーカー 1
ちょっとメモしていいですか。
スピーカー 2
こういうことですよ。文章エリータはどう語られてきたかですね。
その語りの中でそれぞれの持ってるイメージっていうのが把握されるということで。
文章エリータとは何かっていう定義の話があるんかなと思ったけど、むしろその語られ方の話だなと思って。
スピーカー 1
それはそれで歴史的に意味のある貴重な技術になりそうだなという感じがありますね。
これもモーラー的な調査をしたら、とんでもないことになるし。
いいでしょうね。
やってた人がいるんですよね。今でももしかしたらいるのかもしれないし。
そこはもう本に目を配ることはできないですね。
スピーカー 1
そういう論文を集めたことあるんですよ、90年代に。
それが実家のカオスに飲み込まれて見つからないんですよね。
スピーカー 2
なぜ実家はカオスになるのかっていう論文があるみたいですね。
もしかしたら実家の南道が解体されたときに壁に葬られてしまったかもしれないですね。
奥さんの実家に蔵があるんですけど、カオスはこの上ないですね。
歩けないですもん、なんか。
人は物を置くスペースがあると物を突っ込むんだなって思いますね。
それはたぶんリアルでもデジタルでも同じなんでしょうけど。
そうですよね。
スピーカー 1
整理整頓の話は面白いなと思って。
その中に本当は宝があったかもしれない。
スピーカー 2
そうですね、確かに。
まあ仕方がない。研究者じゃないから仕方がないですね。
スピーカー 1
ただね、もしかしたらそれを専門的にやっている人が出てきてくれるかもしれない。
スピーカー 2
そうですね。
でも現在、大学に所属してその研究で研究費が取れるかっていうと、だいぶ安心しそうから。
スピーカー 1
それはないと思いますけど。
スピーカー 2
いわゆる個人の資生の研究者、一位の研究者みたいな人やったらあり得るでしょうけどね。
スピーカー 1
そうですね。それが専門にはなり得ないとしても、
僕のタイムラインの中にも何人かそういう人がいらっしゃいますから。
なるほど。
文章エディターとかじゃないけれども、
スピーカー 2
それこそスモールトークの話を聞いている人もいるわけじゃないですか。
確かに確かに。
スピーカー 1
だから聞いたこともないすごい話を知っている人がきっといるはずなんですよ。
スピーカー 2
そうでしょうね、きっとね。
まあそうだな。でもやっぱりその時代の空気を再現じゃないですけど、
なんか包丁させるような文章の価値は、
たぶん時代が今進むにつれて重要になってきていますね、なんとなく。
スピーカー 1
そうだと思いますね。
スピーカー 2
各時代の情報にアクセスすることは簡単ですけど、
それは雰囲気を再現するのではないので、
どんだけウィキペディアの1980年のページを読んだとこで、
その時代がどういう時代だかというのはわからないわけですから。
わからないですね。
ある種だからそのエッセイ的な雰囲気の再現っていうのは、
コンテンツ的に何かバリューがありますね、きっと。
スピーカー 1
思いますね。
スピーカー 2
というところで、今後どんな文章が出てくるか楽しみなんですが、
えーっと、
たくさん何かお知らせしたいこととかあれば。
スピーカー 1
お知らせはもうたくさんさせたかったですね。
スピーカー 2
そうですか。
では、
自分は文章を書くときにこういうエディターを求めている、
あるいはこういうエディターを現在使っていて、
この機能がいいみたいな話があれば、
ハッシュタグ打ち合わせ、キャストひらがねで打ち合わせ、
アルファフェイトキャストまでいただければと思います。
では今回はこれまでにしたいと思います。
お疲れ様でした。
スピーカー 1
お疲れ様でした。
01:39:44

コメント

スクロール