はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
5月5日、日曜日、現在午前9時半を過ぎたところです。
はじらぢさんでぃ、今日もお送りして参りたいと思います。
シーズン4、18個目のエピソードになります。
今日を入れてあと3回、今日が終わると、あと残り2回のシーズン4ということになります。
シーズン5どうするかについては、エンディングで少しお話ししようかなというふうに思ってます。
今日も最後までお聞きいただければと思います。
ゴールデンウィークも明日で終わりですね。
今日が子どもの日で、明日が子どもの日の振替休日ということで、5月6日でゴールデンウィークも終わりということですが、
私のゴールデンウィークは、民泊のお客さんが2組ですね。
2組と言っても1人、2人なんですけれども。
ゴールデンウィークの頭に1泊、そして昨日、今日と、
今日、先ほどチェックアウトされましたが、2泊のお客様が帰られました。
どちらもいい方でしたね。よかったです。
冬一郎君とも仲良くしていただきました。
ということで、ゴールデンウィーク最終盤ど真ん中ですね。
最終盤ど真ん中、5月5日のはじらぢさんでぃお送りしてまいりたいと思います。
今日も最後までお聞きください。
第1コーナー、人生いろいろ。
第2コーナー、思い出の1曲。
第3コーナー、SNSあれこれ。
そして第4コーナー、ザ・冬一郎さんぽでお送りしてまいります。
はじめるラジオキャンパス。シーズン4。
プレゼンテッド・バイ・キャンパス。
ということで、5月5日はじらぢさんでぃシーズン4、18回目のエピソードを配信していきたいと思います。
第1コーナー、人生いろいろですね。
今日の人生いろいろは、ちょっと昨日NHKのBSを見たんですね。
私の教え子がなんとスペインのマジックフェスティバルを案内人を務めて。本当に立派になりましたね。
私が言うのもなんですけれども。
彼のそんな人生を見ていて私の人生をちょっといろいろ反省したので、
そんなことも絡めながらね、お話ししていこうかなと思ったりしています。
人生いろいろ。
まずは昨日見たテレビですけれども、NHKの4Kで放送されたのが再放送、BSでされたということなんですが、
スペインはとてもマジックが、手品ですね、盛んだということで、
その歴史も多少紐解きながら、スペインの街並みもおいしいものも少し紹介しながら、
スペインの有名なマジシャンと非常に仲良くしているということで、
その彼がね、紹介してまわるという。
もちろん彼もマジシャンとしてスペインに招待されてたと、フェスティバルにね、
いうことなんですが、そのマジックも見させていただきました。
彼のカードマジックは私も間近で見させてもらって、
プライベートでも見させてもらって、
一人お客さんでも見させてもらい、
あと大学に呼んでね、そこでも見させてもらい、
もう何度も見させてもらって、その度に感動するんですけれども、
一つカードマジック作るって、結構大変なことみたいですね。
何年かかったって言ってたかな。
最初、学校の先生になったんですね。中学校だったかな。
辞めて30代後半で辞めたのかな。
アバウトな話で申し訳ないんですけど。
それでマジシャンの道に進んで、
彼は音楽、バイオリンが専門だったので、
そこで音楽とカードマジック、手品っていう、
そういうコラボレーションというか、
ハイブリッドというかミックスというかね、
誰もやっていない、他の人がやっていないことをやろうと
いうふうにどっかでやっぱり思ったんですよね。
自分の強みを活かすということを、
そういう言い方もできると思うんですけれども、
誰かがやってることの後追いじゃやっぱりダメで、
誰もやってないことをやるってのは、とても面白い。
ただこれはすごく勇気がいる。
誰もやってないわけですから。
うまくいくかどうかは誰も保証してくれない。
しかも孤独ですよね。
悩むし、自信もなくなるし、
本当に時間もかかるから、何年もね。
本当にこの道歩んでていいんだろうかっていうことを思いながら、
それでもやっぱり何かを信じて、
時に誰かに勇気づけられたりしながら、
泣いたり笑ったりしながらね、
そういう人生を何年もかけて歩んできて、
それでしっかりと人にも評価されるようになり、
そこでそういう手品という世界で、
マジシャンという専門性で、
友達ができる、つながりができる、親友ができる、
さらには今度は自分の後に続く人が出てくるという、
この専門性、スペシャリティのつながりってことは、
とても重要なんじゃないかなって思うんですよね。
彼の場合にはやっぱり音楽、アートということ、
芸術ですよね、というところでもやっぱりつながりができるので、
そういう意味では、やっぱりそういうものを
自分なりにある程度極めないとね、
そこでのつながりってやっぱりできないんだろうなっていうのは、
テレビ見ながらね、しみじみと感じたということなんですよね。
それでちょっと自分の人生に引き戻すんですけども、
私は、私はって変な言い方ですけど、
いわゆるスペシャリスト、ジェネラリストなんて言い方あるじゃないですか。
あと昔、これドリフターズが歌ってたんですかね、
平均点の子供ですという歌があったんですけど、
私は一芸に秀でてるタイプでは全くなくて、
そこそこ何でも器用にこなす方だったというね。
八方美人でもあり、だいたい何でもこなしちゃうという。
一つのことを突き詰めるっていうタイプじゃないんですよね。
すぐ飽きちゃう、飽きっぽいというね、
こともあって、だからそれこそカードマジックを何年もやり続けるなんて、
僕にはできないなと
改めて思うし、例えばバイオリンとかピアノとかね、
ああいうのも毎日練習しないと上手にならないじゃないですか。
私は繰り返し練習が嫌いなんですね。
これどっかで喋りましたね、昔ね。
自分の人生を振り返った時に、note記事にも書いたんだ、そういえば。
こんな人生もあるっていうことで、記事書いた時にやっぱり振り返って。
これよく言うんですけど、漢字ドリルと計算ドリルが大嫌いだったと。
なんで同じ漢字を何回も書かなきゃいけないんだ。
なんで同じ計算を何回もさせられるんだと。
こんなのただの労働、労働っていうか、労働にもならないっていう。
なんでこんな単純作業やらされるんだと思って。
すごく漢字ドリルと計算ドリル嫌いだった。
それからピアニカとかあるじゃないですか、ハーモニカとかね。
あれ練習しないと上手にならないでしょ、縦笛とかね。
もうそれが嫌なんです。同じこと繰り返すのが嫌なんです。
あと楽譜通りに弾くっていうのも嫌なんです。
なんで決められた通りに弾かなきゃいけないんだって思っちゃう。
だから、なんていうのかな。
それはもうしょうがない。本当はね型に一回はまらないと何も上達しないんですよね。
一芸に秀でる人ってやっぱりいろんな過去の型を全てマスターして、
その上で自分のオリジナリティを出す。これ、学者にもつながるんですけどね。
私はもうそういうのが嫌いなんですね。
苦手でもあり嫌いでもありっていうことで、
もうとにかく計算ドリルと漢字ドリルと楽器演奏が嫌いだったように、
繰り返し練習が大っ嫌いですね。
もう1回やったら、2、3回やったら飽きちゃう。
よく謎々の本とかクイズの本って昔、子供時代によく読んだと思うんですけど、
そういうの大好きだったんですが、もう大体1回2回で全部覚えちゃうわけですよね。
そうすると、もうそれ面白くない。面白くない。
そんな話になって、とにかく繰り返し練習できない人は、
一芸に秀でることはできないんだろうなというふうに思いますね。
もう1回やったらいいじゃないかと、そこそこのところでやったんだからというふうに思ってしまう。
そうすると結局、飽きっぽいというか、次へ次へ行くわけですよね。
新しいこと、新しいことの方に好奇心が向いていくと。
これ人間関係でもそういうとこがあって、
もう大体あなたのこと分かったからもう次行きますみたいなところもあったりして、
優しそうで冷たいとか言われたりすることにもつながってるんですが、もうこれはしょうがない。
とにかくそんなことも含めて、そんな性格も含めて平均点の子どもで、
一芸に秀でたスペシャリストにはなれないということは、やっぱりどこかで思ったんですね。自分なりにね。
だからそういう道は歩めないなと。むしろやっぱり何でも器用にやるという。
新しいことも結構、自分で学んで取り入れて、
いろんなものを混ぜこぜにして新しいものを作っていくという方がやっぱり好きなんですね。向いてるんですね。
ただそれを自分で一人でやってても面白くないというところもあって、
そうするとこれも一個、いろいろ自分なりにそう思ったことなんだけども、
やっぱり何かの周りの期待というか、社会的な期待に応えるっていう中で自分の力を発揮するっていうことは、やっぱり快感だったし嬉しかったし喜びもあったし、
そのことで他の人がなんか幸せだったり笑顔になったりするのは嬉しいなという気持ちもあるんだけど、
それもなんか、人のためにやるっていうのも嫌だなと思った時があって、
今日は何の話してんだかよくわかんないかもしれませんけどね。
それで結局、自分を失っていくような、つまり自分は結局使われて終わっちゃうみたいなね。
自分には結局何にも残んないんじゃないかと。
人のいろんなものに応えていく。それを全部だいたい無難にきれいに上手にこなしていってしまって、
だから期待値も高まるし。
でもそれやってるうちに、なんかどんどん自分の中身がなくなっていくような気がしていった時期もあってね。
それでこれ、どっかでこれも喋りましたが、わがまま宣言っていうのを
20歳ぐらい前後のときですね、わがまま宣言。
もう人の期待に応えるのはやめたと、これから自分の生きたいように生きるっていう、わがまま宣言っていうのをやって、
19ぐらいだったかな。
だけどかといって自分のやりたいことってなんだろうって話に今度なってくるわけですよね。
飽きっぽいわけだし、一つのこと究められるわけでもないし、あっちフラフラこっちフラフラして、刺激を求めてね。
そうすると結局やっぱり人との関わりの中で生きていくしかないんだなぁと思ったんだけど、
その人との関わり方が変わったんですよね。
単純に、ある意味、自分を殺して人に貢献するみたいなことではなくて、
滅私奉公ではなくて、そうじゃない、自分を生かすことが周りの期待に応えること、周りの人にもプラスになる。
それは単純に他人の期待に応えるっていう形じゃなくなったわけね。
ちょっとひねくれるわけですよね。
相手は面白いと思わないだろうけれども、自分はこう関わった方が相手のためにもなるし自分のためにもなるっていう、そういう。わかりますかね。
そんな関わり方をするようになっちゃった人生ということで、わかったようなわかんないような話ですけれども、
こんな人生もあってもいいのかなということで、人生いろいろ、結局自分は何のスペシャリストにもなれずに、
何をやっているのかわかんない人生だけど、それはそれでね、いろんなことがあって、それなりに自分なりに何か得たものがあったのかなという気はしているので、
こんな人生もあっていいのかな、よくわかんないですね。
次回と次の回で、人生いろいろまとめに入りたいと思います。
ということで、今週の人生いろいろでした。
第2コーナー、思い出の一曲です。
第2コーナー、思い出の一曲。
5月5日、時刻は9時50分を回りました。
思い出の一曲ですけれども、少し人生いろいろでよくわけのわからない話をしたんですけれども、
自分はなんとなくやっぱり優等生になりたかったとかね。
あるいは人より上に行きたいみたいな気持ちはどこかで持ってたんですよね。
これよくわかんないですけど、一芸に秀でたり自分の好きなことをやれる人って、あんまり人と比較せずに自分が好きだからやれるんだと思うんです。
私はやっぱり他人依存型だったと思うんです。小さい頃ね。
子供の頃はやっぱり他人の目とか、他人からどう思われるかっていうのをすごく気にしてたし、ビクビクしてたところもあった。これ幼少期ですね。
だけど他人の視線ばっかり気にしててもしょうがないんだってことに気づいて、自分作りが始まった部分があるんだけども、
そういう意味では、今はほとんどないんですけど、いわゆる嫉妬心ですよね。嫉妬、ジェラシー。
嫉妬心っていうのはやっぱり強かったんだと思うんですよね。妬みとか嫉妬とか、羨ましいとかっていう気持ちが結構あったと思うんですよね。
一方で自己嫌悪、自分にはそれがないみたいな部分が、やっぱり子供の頃は強かったような気がするんですよね。
だから他人の視線を気にせずに、もう自分のやりたいこと好きなことをこうやるという、そういう強さあんまり持ってなかったと思うんです。
だからそれが八方美人なんていうことにもつながってたと思うんですが、今は全然違うんですよ。
わがまま宣言してからは、全然八方美人じゃなくなっていって、ある意味、敵作ったりするタイプになっちゃったんですが。
喧嘩もするようになったし、自分のやりたくないことはやらないっていうふうにもなっちゃったんで。
それはもうだいぶ、そういう意味ではだいぶ変わったと思うんですよね。
若い頃は、真面目ちゃんって呼ばれてたのに、二十歳過ぎから不真面目ちゃんになっちゃったみたいなね。
私、名前はじめって言うんですけど、よく真面目ちゃん真面目ちゃんって呼ばれてたんですけど。
それはやっぱり、他人依存型、他人指向型のパーソナリティだったんだと思うんですが、そこから脱却しないと生き苦しかったわけですね。
生きにくかった。それで自分作りというか、自分探しって言葉が流行ったんですよ、1980年代、私の学生時代ね。
それはある意味、多くの人が軒並み、他人依存型のパーソナリティとして形成されてた時代だったんだと思うんですよね。
そんな中で自分、日本でも個人主義がある程度強まってきて、自分の好き嫌いをはっきり言っていいという時代に入ってきた中で自分探し、自分作りみたいなことをやってったんですが、
それとセットでいわゆる嫉妬心、ジェラシーっていうのをどう克服するかという、乗り越えるかみたいな。
あんまりそれに囚われないようにするという。他人は他人、自分は自分でいいじゃないかってね。
もちろん全く他人を意識しないでいいって意味じゃなくて、やっぱり他人は他人でこういうふうに頑張ってて、
これはこれでその人の個性として、その人の専門性として、スペシャリティとしていいなと。
嫉妬じゃなく素直に喜べるようになりたかったんですよね。
自分もだからそうなりたいと思って、そうすると自分は人と違うもので、人と違う形で何ができるのかっていうふうにようやく考えるようになったのは、
やっぱり20歳前後からですね、私の場合はね。それまでやっぱり世間的な評価とか、世間的な優等生みたいなところで安心感を得ていたのが、それが嫌になっちゃったんだよね。
それでもうこの先、生きていきたくないと思ってわがまま宣言した。そんな話なんですが。
そんなことで、今日のテーマは嫉妬心、ジェラシーといえばいろんな曲があるんですが、やっぱり私の中の思い出の1曲ジェラシーといえばこの人しかいないんですね。
またかと思われるかもしれませんが、井上陽水さんのジェラシー。いい曲ですので聴いてください。
はじらぢさんでぃ プレゼンテッドバイキャンパス
第3コーナー、SNSあれこれ。5月5日午前10時を回りました。
SNSあれこれなんですが、ちょっと私のこの30年のSNS遍歴も振り返りながら、
SNSっていうのは、いわゆるインターネットをベースにしたソーシャルネットワーキングサービス。
そういう言い方するのは実は日本だけなんですけれども。
インターネット上のソーシャルメディアっていうのがグローバルスタンダードな言い方なんですが、それはさておき。
そもそも30年以上前、私が初めてパソコンを買って、つないだのがニフティサーブ。パソコン通信。
これお金かかったんですよね。ニフティサーブにも月額でお金かかったし、さらにバカにならなかったのが通信料ですね。
当時、テレホーダイとかなかったんで、電話回線でつなぐしかなかったんですが、電話回線が従量制で、つまり使った分だけお金がかかるということで、固定料金っていうのがなかった時代なんですね。
今はスマホもすべて固定料金制じゃないですか、基本的にね。
インターネットが発達したことで、やっぱりかなり無料で使えるっていうイメージができてるんですけれども、
昔、パソコン通信時代のソーシャルネットワーキングサービスね、電話回線とか使ったやつは電話料金も含めて相当、金がかかってたんですよね。
月何万とかかってたわけですが、電話代入れると。
それでもやってたということをふと思い出して、いつからSNSは無料で使えると思い込むように我々はなってしまったのかというね。
これも実は無料じゃなくて、たまたまスマホとか、パソコンをつなぐ家庭のインターネットのネットワークが固定料金になってるから、その分はインフラとして整備されたから、あんまり意識しなくなったと。
いわゆるある意味、必要経費みたいなふうになってるから、そこは要するにSNSを使ってる時の料金だと思ってないわけですね、我々はね。
スマホを使ってるだけ、自宅でインターネットを使ってるだけと。電気代みたいなふうに思ってるわけですよね。
だから個別にSNSのサービスにお金がかかるっていう意識がだいぶなくなっちゃってるわけですね。
ところが本当に個別のSNSサービスにはお金がかかんないのかっていうと、実はかかってるわけですね。
今、世間を席巻してるのが広告モデルなんですが、その話はちょっと置いといて。
そもそもなんで、パソコン通信の時代からいわゆるインターネットの時代に移行したときに、やっぱり無料化の流れっていうのは来たんですよね。
やっぱりインターネットって基本無料で使えるっていうのがコンセプトだったんですよ。
パソコン通信はホストコンピューターにつなげてお金を払わないとそこに参加できない。
でもインターネットは基本、通信料は別にインフラとして自分で持たないとつなげないけど、つないじゃえばもうあとはフリーでいろんなコンテンツにアクセスできると。
フリーのコンテンツ、無料のコンテンツをもうみんなが提供するという時代が始まったんですね。
これインターネットの時代から、そこから始まったわけです。
コンテンツフリーってやつがどんどん広がっていったわけですね。
それがずっと基本的にはあんまり広告まみれになることもなく、コンテンツフリーでいけたのはなぜかっていう。
これ全く根拠ない話で、調べてもいないんですが、印象だけで言うと、結局まだまだインターネットを使う人が拡大基調にあった。
つまりパソコンを買い、インターネット接続をし、そしてそのサービスを使いっていう人がどんどんどんどん増えていくわけですね、グローバルな規模で。
だから拡大市場だったという。
そうするとパソコン売れる、インターネットのプロバイダーもユーザーがどんどん増える、プロバイダー契約がどんどん増えていくと。
携帯使う人、スマホ使う人もどんどん増えていくと。端末も売れると。
結局、じゃあ誰がSNSサービス提供してたかっていうと、結構多かったのはやっぱりプロバイダーですよね。
今さらプロバイダーって言い方もちょっとわかんないかもしれないですが、プロバイダーがSNSサービスを提供してるっていうパターンが多かったんですよね。
あとはパソコンメーカーとかね。
これがやっぱりSNSを提供してるという。
それはやっぱり市場が拡大してたから。