はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
はじらぢさんでぃ、今日は3月3日、日曜日、ひな祭りの日です。
シーズン4に入って、9個目のエピソードになります。
今日も最後までお聴きください。
第一コーナー、人生いろいろ。
第二コーナー、思い出の一曲。
第三コーナー、SNSあれこれ。
第四コーナー、ザ・冬一郎散歩でお送りしてまいります。
今朝の札幌は気温はちょっと下がってますが、マイナス6度ぐらいですけれども、
天気は良くて、きりりと、しまった。
気持ちのいい朝ですね。
路面は凍ってます。
雪は、キュッキュッとなる感じの、締まった朝っていう、そんな感じですね。
早めにお散歩を得て、今8時20分なんですけれども、日曜日の朝の。
冬一郎くんはお散歩を終えて、ぐっすりお休み中なので、
この間にはじらぢさんでぃ、収録したいと思います。
ということで、最後までお聴きください。
はじめるラジオキャンパスシーズン4
プレゼンテッドバイキャンパス
人生いろいろのコーナーです。
今日は3月3日、日曜日ひな祭り、現在朝の8時38分ですね。
もうすぐ東京マラソンが始まります。
オリンピック、パリオリンピックへの代表選考を兼ねた東京マラソンが始まるということで、
テレビでは小音、音を消した状態でテレビをつけながらこの収録をしていくんですが、
そんなはじらぢさんでぃ9回目の収録・配信ですけれども、
今日は人生いろいろ何を話そうかと思ったんですが、
最近やっぱりちょっと一個は日本の政治、それからもう一つは日本の大学業界の話がちらほらと耳に入ってきたり目についたりするんですけど、
何というかな、面白くないというか、面白くないわけじゃないな、情けないというか、
そんな思いがいろいろ出てくるんですけども、その辺つらつらとしゃべろうかなと思ってます。
大学の話で言うと、別の「公開ダラダライブ」っていうのを土曜日の朝にやってるんですけど、
それで昨日ちょっとしゃべってたんですが、短期大学が募集停止、それから女子大学が共学に踏み切るというニュースが入ってくるわけですね、
ここのところ、ボコボコと入ってくる。これは本当はもう20年前に分かってたことなので、今さら共学に踏み切るとかいう決断をしてる場合じゃないんですが、
しかもそれはどうも、ある大学ではいきなり理事会かなんかが共学化の方針を決めて、現場は混乱していて、
オープンキャンパスは、今回は男子は受け入れませんとか言ってみたりとかね、こういうぐちゃぐちゃが起きるわけですよね。
これはそもそも非営利組織の組織運営のイロハを全く踏まえてないんですが、とにかく今、日本の私立大学、特に弱小私学、特に短期大学、女子大、
かなり少子化の波の中で、もう断末魔なんですけども、結局、余儀なくされて、つまり本来もう10年前に決断しとかなきゃいけないのを全部、先延ばしにしてきたツケがここに出てきてるというね。
こういうことが起きるわけですよね。その時に言っても伝わらない。理解しない。
いや、女子大でいくんだ、短大でいくんだって言い続けるわけですよね。
それで、今さらこういうことが起きるという。熟慮の欠如。思考が及ばない。未来にね。そして決断を先延ばしにする。
そして、最後もうどうにもならなくなって決断するけども、それはすでに終わっているという。そんな話が結構あっちこっちであるわけですよね。
まあそんなこともあって、ちょっと「私立大学の運営と経営を考える」とかね。そもそも「非営利組織の経営」とは何かとか、そんなシリーズものも喋ったりしてるんですけども。
本当に、だけど現場の人はそれを学ぼうとしないわけね。学生には高い学費払わせて、旧態依然たる教育を提供してるわけですが、自分たちは学ぼうとしないっていうね、大学関係者ね。
まあ困ったもんだなと思いながら、私はもう外に身を置いちゃったんでいいんですけども、そこで政治の話もあるんですが、それ話すとくどくなるんでやめといて。ちょっと大学絡みで。
私も大学に長いこと籍を置いて、しかも私立大学にね、籍を置くことになって、そこで私大の現状をまざまざと見るわけですよね。1996年です。
1996年に初めて私立大学っていう世界を知って、それまでは国公立の世界しか知らなかったんですよね。私立大学の世界を知って、これは既に終わっていると。
2000年以降、少子化の波も来るので、このままでは立ち行かないなっていうのを非常に思ったんですね。
これは私学、なんとかしないとと思って、まあいろいろやっちゃった結果、私立大学に就職して14年経ったら学長になっちゃってね。
12年、あしかけ12年、2つの大学で学長を務めるなんて話になっちゃったんですが、それで辞めちゃったんですが、いろいろそこにはいろんな思いやいろんな理由があるんですけど、
最近、まあ最近というか、やっぱり一番思っているのは保身ですね。保身。身を保つっていうふうに書いて保身。結局、保身で動くんですよね。
保身で動くから決断ができない。決断を先延ばしにするということですね、私の中での結論は。
結局なんだかんだ、身が、自分の身が大事だからそちらを取っちゃうことで、本来下すべき決断を下せない。
その結果、問題はどんどん深刻化するわけだから、最後は保身のために、それこそ保身のために余儀なくされた決断ではない、余儀なくされた判断をするという。
でもそれはすでに手遅れっていうね。保身にもならない。だから、目先の保身を優先することで、結果として保身につながらないっていう、まあバカみたいな話が起きてるわけですけども。
ちょっと考えたのが、その保身にまみれた人たちしかいないので、日本の私立大学の多くにはね、保身にまみれた人たちばかりなので、大学教員も職員もね、結局。
それが嫌で辞めちゃったんですが。保身の対義語、保身じゃないあり方って何だろうと思って考えたんですけど、これはね、身を投げる。身を投げるですね。
身を投げるって言うとその、投身。投身自殺とかにつながっちゃうんで、リスクが高いんですよね。身を投げるのはリスクが高い死ぬかもしれない。
それこそバンジージャンプで紐を付けずに飛ぶみたいなね。そんな話になるので、身を投げるという。
昔、ハイデガーだったかな。投企、プロジェって言葉ですけど、投企。
投げるに、企画の企ですよね。プロジェ、プロジェクトですね。
未来に向かって身を投げるという意味で、自分を賭けるという意味で、投企なんて言葉も哲学の世界ではあったんですけども、そういう志向ですよね。
結局、私学の運営とか経営に関わるってことは、ある程度、身を投げる覚悟でやらないとできないと私は思ってるわけね。
そもそも私立大学を作るってことは、そこに自分の人生だけじゃなくて財産も含めて、そこに寄付をする、提供する。
それで将来世代の、未来世代のために何かプロジェクトをするというのが、そもそも私立大学を作った動機だと思うんですが、
それをいつしか守っていこうとする、身を投げることをやめちゃうという、
リスクを回避することで判断を先延ばしして、結局、立ち行かなくなるみたいなことがいっぱい起きてるわけですよね。
これがもう本当に困ったものだなと思ってて。今日は何の人生いろいろかわかんなくなりましたが。そんなこともあって。
ちょっともう一個思い出したのが、昔私が大学に入ったとき、これが1982年ですかね。
大学に入った頃に、ある先輩が、庄司薫って読んだことあるかっていう話で、私は世代的にはちょっとずれてるんですよね、ちょっと後なんですが。
庄司薫を読めと言われて庄司薫を熱く語るわけですよね。
庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」っていう。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をパクってんじゃないかなっていう話も当時あったんですが、
それはさておき、「赤ずきんちゃん気をつけて」って、これ結構、読まれたんですね。
高校生が1969年に、学生運動を目のあたりにしていろんなことを考えたという、そんな話なんですけども、
庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」とかね、「白鳥の歌なんか聞こえない」とかいろんな本があって、
その意味ではちょっと村上春樹とかにつながるような作風の走りだったと思うんですが、
それはさておき。庄司薫がね、その赤ずきんちゃん気をつけての中で、知性とは何かと。
庄司薫、本名で薫くんって出てくるんですけども、薫くんはそこそこエリートなわけですよね。
東大を目指してるんだけど、東大受験がなくなっちゃったと、学生紛争の影響でね。
そんな話なんですが、そこで知性とは何かって考えるわけね。知性ね、インテリジェンス。知性とは何か。
それで結局、彼の結論が、「大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものをめざしていくもの」、
それが知性なんじゃないかなんてね、漠然と考えたわけですね。
それで目の前が明るくなるような思いがした。
これ結構、私18歳だったんですが、これ読んだとき。
大きな大きな知性ね。知性ってやっぱりちょっと冷たい感じするじゃないですか、インテリジェンスって。
でも冷たい知性じゃダメで、やっぱり温かい知性、優しさを持った知性。
大きな大きな優しさみたいな。そして優しさだけじゃ生きていけないのね。
そしてその優しさを支える限りない強さみたいなもの。
これ結構いい言葉だと思うんですよね。大きな大きな優しさって大きなを2回繰り返してる。
優しさを支える限りない強さ、限りないがついているっていうね。
ここは結構ね、響いたんですね、私にはね。そういうのを目指すのが知性なんだと。
ということで人生いろいろでした。第2コーナー思い出の一曲。
はじらぢさんでぃ、シーズン4に入って9つ目のエピソードです。
今日は3月3日。ただいま9時8分ですね、朝のね。
思い出の一曲。第2コーナーですが、何にしようかなと。
第1コーナーの人生いろいろ語り終わった後に何にしようかなって、そこで考えてるんですけれども。
ちょっと1981年ぐらいのヒットソングを見てたら、この曲を思い出したんですね。
雅夢、愛はかげろう、知ってますかね。
なぜかこれがちょうど私が高校2年3年の頃にヒットして、大学入った頃にちょうどヒットした曲ですね。
だから耳についてるし、歌詞もよく知っている曲なんですが。
これちょっと調べたら、この2人は、雅夢の2人ね、男性のデュオなんですが。
この2人は実は名古屋の中京大学の商学部の学生だったんですね。
キャンパスからの生中継もあったという。ザ・ベストテンで、1980年12月。
私たぶんリアルタイムで見てたんだと思うんですよね。
まさか自分がその後、名古屋大学に行ったんですけど、
名古屋大学に進学して、その後大学院生になったときには中京大学で非常勤講師もやって、結局14年ぐらい中京大学では教えてましたね。
それこそ室伏幸治さんが学生のときに体育学部でも教えたし、
浅田真央ちゃんが大学入ったときも中京大学の体育学部で教えてたし。
それはいいんですが、その中京大学の現役の学生で、大人気で大ヒットしたというね。
そのときの最初の曲がやっぱり愛はかけろう。
これヤマハのポプコンですね。ポピュラーソングコンテスト。
ヤマハのポプコンで、もうヒットした。最優秀曲賞、2位に選ばれてレコードデビューした。
これが1980年の9月だそうですね。
だからちょうど私高校2年生ぐらいのときかな。
ザ・ベストテンも見て、中京大学のキャンパスから生中継っていう。現役の学生だったわけですよね。
この頃、意外と名古屋の学生がデビューっていうのは結構あったんですよね。
あみんもそうでしたね。
この話はまたいずれしますけども。
そんな中でなんとなく調べてたらちょっとこの雅夢の愛はかげろうを思い出しました。
今思い出したんですけどね。
LISTENの方にはリンクも貼っておこうかなと思うんですけど。
ノーミュージックバージョンの方にはリンクも貼っておこうと思いますが。
中京大学の学校法人梅村学園のホームページにもインタビュー記事がありましたね。
その当時の様子。
40年前の中京大学の、夜の名古屋キャンパスが、ギターの音色にのった甘い歌声に包まれた。
歌うのはフォーク・ディオの雅夢の2人。
現職の商学部学生で作る2人組が音楽番組のベストテン、ザ・ベストテン、当時の花形番組ですけど。
中京大学のキャンパスから全国に生中継されたという話ですね。
大学3年生でバンドを組んでザ・ベストテンに出ちゃったと。
しかも大学の、私立大学ね。中京大学は、中京大学の話はまたいずれしよう。
結構、私、深く関わったんですけどね。
これはこれでまたいずれ話しましょう。
ということで、思い出の1曲はなぜか雅夢の愛はかげろう1980年9月に発売ということですね。
ちょうど私の高校生から大学受験の頃に聞いてた曲ですね。
この曲は結構ラジオでも流れてたんじゃないですかね。
だから、私ラジオの深夜放送とかも受験勉強しながら聞いてたんですが、
たぶんその時に、結構何度も何度も流れてたんでしょうね。
この愛はかげろう。
愛はかげろうを聞きながら受験勉強してたということで思い出したのかもしれません。
いい曲だと思いますね。
当時本当に熱狂的に、大学3年生がヒットしたっていうね。
そんな曲です。お聴きください。雅夢、愛はかげろう。
はじらぢさんでぃ。プレゼンテッドバイキャンパス。
はじらぢさんでぃシーズン4。9つ目のエピソード。
今日は3月3日日曜日。ひな祭りの日。
現在、時刻は朝の9時19分になりました。
SNSあれこれですね。第三コーナーはSNSあれこれですけれども。
SNSっていうのが始まったというか、
実はインターネットが一般的に誰もが使えるようになってきて
まだ30年しか経ってないんですよね、たかだかね。
しかもSNSと言われるような世界が、
生まれてからまだ20年ぐらいしか実は経ってないんですよね。
パソコン通信の時代入れてもやっぱり30年。
たかだか30年ぐらいの歴史なんですが、
そんな中でやっぱりSNSの世界に大変動が今起きているというふうに思ってまして、
これからの10年。40年目、50年目に向けてのSNSっていうのは、
まだまだ変化するという気がしてるんですね。
これはあまり詳しくここでは語りませんけど、
軽く語っていこうと思うんですけど、
最近、ちょうど私は本当に30年前にインターネットが一般公開されて、
ちょうどその頃パソコンも買って、最初のウェブブラウザ。
ウェブですね、ワールドワイドウェブという思想がやっぱり非常にいいなと。
インターネットという思想もいいなと、オープン。
最初はインターネットは巨大な空洞だと言われたんですが、
何を言ってるんだと私はその時に思ってましたけど、
もうインターネットメインの社会になっていくんだなんて思ってやってたんですけども、
その時に、結局ワールドワイドウェブの世界がこれだけ生活の中心になり、
みんながSNSをやる時代になったという中で、
しかも今起きてるのはやっぱりそこに音声配信がね、
やっぱりメインになる時代がやってきたということで、
楽しくてしょうがないんですよね。
私にとってはもう本当30年ぶりの、最初にインターネット始めた時のワクワク感があるし、
さらに20年前のインターネットラジオとかやってた時代、
音声チャットやってた時代のワクワク感があるし、
しばらくはちょっとね、やっぱり学長やってたせいもあるんですけど仕事になっちゃってたんでSNSがね。
これやっぱりあまり面白くなかったんですね。
仕事の中にも自分の楽しみは混ぜ込みながらやってたんですけども。
最近はもう完全フリーなので、フリーな立場で自由に楽しくやってるんですが、
ただやっぱりあまり面白くなかったんです。
発信してもリアクションはないしコミュニケーションはないし、
SNS自体が日常風景になっちゃって、ワクワク感が枯渇してたんですが、
ここに来て、LISTENとの出会い、ポッドキャストとの出会いの中で、
ワクワク感を感じながら日々楽しくやってるんですけども。
その流れの中でこういったはじらぢさんでぃなんて、わけのわからない還暦オヤジが何をたわけたラジオ番組やってんだと思うかもしれないですが、
これもう本人が楽しくてしょうがないんで、やってるんですけど。
ある意味何人聞くかはどうでもいい話になってるんですが、
それはさておき。聞いてくださる方もいるのでありがたいなと思って、
自由にいろんなことをね、自由ラジオっていうのが昔ありましたけど、自由に喋ってると。
だからこれラジオもできるというね。
昔はラジオ局を持つのが大変だったんですよね。
コミュニティFM立ち上げるのも大変だった。お金もいったし、いろんな許可も必要だったしね。
1つFMラジオ立ち上げるのに苦労話がいっぱいあったわけですが、
今はスマホ1個あれば、自分でFMラジオどころじゃない全世界に発信できるラジオ番組配信できるっていうね、
そんな時代になっちゃったわけですが、30年で。
それはさておき、最近どんなことやってるかっていう。SNSね。
昔はそれこそ学長時代、2010年から大学の学長やったんですが、
その時に使い始めたのはTwitter、Facebook、Instagramですね。
Instagramは2011年から。
Twitter、Facebookの時代が始まったんですね、ようやくね。
それを楽しくてやってたんですが。
Twitter、Facebookの時代はもう終わっていて、今はやっぱり音声配信の時代ですね。
そしてブログ。
ブログは実は2003年がブログ元年ですね。
日本のブログ元年は2003年。
それからブログっていう世界が非常に広がってWeb2.0っていう言葉が出てきて、
それでもう誰もが発信できて、ブロガーなんて言葉が出てきたわけね。
さらにその後、出てきたのがYouTuberっていうものが出てきたわけです。
つまり文字配信によるSNSからオンデマンド型のね、文字配信によるSNSから、
今度はオンデマンド型の映像配信によるSNSという時代が来て、
今、実はこれが、映像、・文字ではなく音声メインの、
しかもそこに文字と映像もくっつけられる形でね。
音声中心、つまり語る言葉ですよね。
これ、冷静に考えればわかるんですが、文字っていうのは書かれた言葉で、
そこに肉声はないわけですよね。肉声は届かない。
映像は実は、肉声も届くんだけども、言葉よりもやっぱり映像で見せるみたいなところが出ちゃって、
純粋に語る言葉で伝えるっていうのは結構大事なような気が、僕はしてるわけね。
それぐらい人間、ホモサピエンスにとっては言葉、映像よりも言葉の方が重要だと思ってるんですが、
その話はさておき。最近何やってるかってことなんですが、