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2025-01-19 34:47

第12話「レジェンド声優の思い出よあなたは強く優しかった」2024/12/19 #Radio23club

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サマリー

第12話では、平野文さんが多くのレジェンド声優との思い出を語り、その影響を受けた経験を振り返ります。特に、増山恵子さんや小原紀子さんに対する憧れや感謝の気持ちが表現されています。この回では、レジェンド声優たちとの出会いや影響を振り返り、NHKでの経験や地下石信介さんとの会話の流れについても共有されます。また、声優としての仕事の変遷や、尊敬する先輩方から学んだことについても話されます。

レジェンド声優への想い
さあ始めましょう。平野文のRadio23club、第12話です。
時刻は23時を回りました。こんばんは、ラジオDJの平野文です。今日はどんな1日だった?
誰かにありがとうって言ったかな?いろいろあった人も、そうでなかった人も、これからのひと時は一緒にのんびりゆったり、深夜のラジオトークいたしましょう。
さあ、始めましょう。時刻は23時を回りました。23は日本語でフーミーと呼ばれるので、この番組は平野文のラジオ23と呼ばれる、違う、フーミーラジオクラブと呼ばれる番組です。
こんばんは、フーミー平野はラジオDJです。今日はどうだった?誰かにありがとうって言ったかな?
今から、深夜のラジオトークをしましょう。
平野文のRadio23club、この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤンアンさん、お二人のサポートでお送りします。
この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤンアンさん、お二人のサポートでお送りします。
この頃というか、以前からですけれど、この間ねって言っても、その話って2、3年前のことだったり、つい半年前のことなのに、遠い昔のことのように感じたり、私だけですかね、この時の捉え方が大雑把というか、
もともと先のことしか考えていないので、そのせいなのかもしれませんけれど、2024年、今年もシワスの後半に入りましたので、私なりのこの間ねというようなことを振り返ってみると、
やっぱり今年もですかね、彼岸を渡ってしまったレジェンドの声優さん方が多かったです。
近井しんすけさんもいらっしゃらないのですが、私がNHKのおしゃべり歌謡局をずっとご一緒に生放送、夜ラジオしていたとき、お父様がちょうどお亡くなりになって、
番組の中で、あの世に行った人が戻ってくるのは、この世でその人を思い出しているときなんだとおっしゃって、
お父様のことを好きだったんだなあというふうに、私もそのとき感じていましたが、いい言葉なのですごく覚えているんですよね。
なのでちょっと機会があるごとに、私この言葉をよく言っているんですが、
今はね、映像や画像も気軽に見て思いを寄せる機会が増えたので、
なんかこう皆様が本当にいなくなっちゃったんだなっていうより、なんかまだいらしてくださってますよねという思いの方が、私は強いかな。
もちろん寂しいですけれど、ありがたいことに本当に一緒に仕事をする機会が20年以上できたので、
一世代上の方々とですね、いろんなことを言葉じゃなく、そのちょっとした仕草であったり、その生き様から教えていただきましたね。
いわゆるそれが私の財産というか、本当にありがとうございますと、ありがとうの気持ちがいっぱいなんです。
増山恵子さんの影響
今夜はね、私がいつもより思い出して、その方々にずっと寄り添っていただこうかと思っています。
さて、まあね、それぞれ皆様も。
思いのある声優さんたちがいらっしゃると思いますけど、私はまずその声優としては、一番はやっぱり増山恵子さんですね。
6月にお亡くなりになりましたが、つい最近増山さんが最初にお出しになったアルバムの栄子賞、いわゆる知恵子賞みたいな、栄子賞というタイトルのアルバムがCDで再発売されるメモリー版というようなことで発売されたので、
ありがたくも恐れ多くもですけど、私そのCDに関しての嬉しいコメントというのを書かせていただきました。
まあだからその時に書いたのは、とにかく増山さんの、なんといってももう私はもう峰藤子一択なんですよ、増山恵子さんといえば。
峰藤子君の色っぽいんだけど、悲意のあるお声ですね。それはもう今までの暮らしぶりなり生き様が全部反映されているという、真似のできない唯一無二のお声であって、
私がだから思いがけなくも初めてそのルパン三世に出していただいた時の、もう生でそのお声を聞いた時のときめき以上の震えですかね、もう忘れることできないですね。
マイクを通しているのとまた違うんですよ。同じ声ですよ同じ声ですけども、やっぱり生声の威力ってもうたまらないですよね。
ルパン先生の収録ってほとんど死後がないんですよ。もう皆さん大人の方々なので。演出の加藤敏さん、キャッツアイなども演出なさっていた、私の大好きな演出の音響監督さんですけど、
穏やかにここはね、みたいなふーっとスタジオにテストの時に戻ったのをいらして、でもレギュラーの方にはほとんど何もお話なさらず、ただそのスタジオの、私なんかもちろん緊張はしてますけれど、
どんなお顔していらっしゃるのかってやっぱり覗きたいじゃないですか。だからなんとなく見るともなく、安倍さんとか清さんとか、安倍さんはおしゃべり歌謡曲の後に、近井さんの後に私一緒にやってたので、親しいというか死後をかわす機会もあったし、
清さんは清さんと同じ事務所だったから、清さんなんですよね。松山さんは事務所も違ったから、しかも私の一番の憧れだったから、もうど緊張でしたけれど、そのお二人の、安倍さんや清さんの雰囲気から醸し出すものは、もう松山さんはルパンのマドンナ。
本当に大事にされてて、可愛がられてという言葉はちょっとおかしいかもしれないですけれども、すごいやっぱりマドンナなんだなって憧れてるっていうか大事にされてる。だからそのお声がアニメそのものにやっぱり出てらしたなと思いますね。
いやー、あのマドンナ堂はすごかったです。
清さんたちの世代ではもう一方、木宮良子さん、女性でいらして、木宮さんも同じ事務所だったので、私もすごくお話しする機会があって、もう松山さんとは葬壁の低音のアルトのお声で、宴下の花道のナレーションをずっとなさってらした。
あの方で、はしゃぐとか笑うとか、そういうお顔を普段も見たことがないぐらいの方だったんですけど。
事務所に行くともう、狭見町さんとか上達屋さんとか中村翔さんなんかも、もう良子良子って言って、木宮さんのことを、松山栄子さんがマドンナであれば、木宮さんはもう姫。
いやー、でも素敵でしたね。そういう方々がいることによって、男性陣がテンション上がっているというか、それに値するだけの、やっぱりマドンナと姫だったかな。
私の憧れでもありましたね。大人の可愛さとか、品がいいんですよね。その品位というのを松山さんに教えていただいたかな。
今年は答えたのは、6月に松山さんがいなくなって、7月に小原紀子さんがいなくなって、いやいや、どうしようかなと思いました。
小原さんの声もすごいでしょう。松山さんとまた違う色っぽさが。こっちはやっぱり、いろんな役をやっていらっしゃいますけどね。少年役もやっていらっしゃるけれど、アニメではもう、私の中ではうる星やつらの小雪さんしかないんですよ。アニメでは一択。
とにかく、クールビューティーでしょ。小雪さん、フーじゃない。スーッとした、なんとも透き通っている、冷たいんだけど、色気があるっていう。
これまた、小雪さんの声を生で聞いたときは、しかもいつも小原さんは私の隣にいてくださったので、普通の話の声もあのままなんですよ。
いや、もう参っちゃいますよね。やっぱりだから、松山さんと同じように、暮らしぶりのたたずまいの中に品のある、それがふっとお声に出ているという方で。
小原紀子さんとの思い出
ただ、私が小原のりこさんを初めて知ったのはアニメじゃなくて、ラジオなんですよ。
私、高校、大学の頃だったかな。FM東京で、ワールドオブエレガンスという30分の昼の番組があって。
それは、グランドファッションのワールドがお送りする、ワールドオブエレガンスというタイトルも小原のりこさんが読んでいらして。
本編では、細川俊幸さんが、声優さんではないけれども、いけぼの、本当に典型的な、でも全然キザじゃなくて全然わざとらしくない、普通にしゃべっていたらそのお声という、全然お作りになっていらっしゃらないお声なんです。
その方が音楽をかかって、いわゆるポエムを読んで、ちょっとしたシャレたエピソードを。
ワールドというのが服飾メーカーなので、タイトルと間に入るCMがお洋服のお話をして、こうやって着飾ってパリの街を歩いたら素敵だったとかそういうナレーションがCMなんですけど。
そのワールドのお洋服の宣伝を兼ねているおしゃべりで、それが最初はどのアナウンサーさんがお読みになっているのだろうかしら。
FM東京でシャレた方がいらっしゃる。でもこのおしゃべり方はアナウンサーさんじゃないな、どなただろうなってしばらく毎回聞くたびに憧れていて、それが小原さんって分かったときに、うわーなんて素敵なんだろうと思っていたので。
文字通りエレガントな番組ですね。アメリカではなくワールドオブエレガンスなので、それこそヨーロッパっぽいというかパリっぽいお話を。
シャレた感じの、機材一辺倒でも細川さん全然素敵みたいな。当時は昼のワールドオブエレガンスで、夜のジェットストリームというそれくらいのラジオで、覚えていらっしゃる方も多いと思うんですけど。
夜のジェットストリームはこれもジョー達也さん。ジョーさんも背景でずっと一緒だったので、憧れて憧れて大好きで、エレガンスじゃなくてジェントルマンですよね。
本当に昼のワールドオブエレガンスで、夜のジェットストリームで、これが当時私が好きだったラジオ番組の東西というか昼夜でしたね。
ジョーさんから教わったのは、僕は声のイメージを壊したくないから姿は出さないんだって当時ずっとおっしゃっていました。
すごいジェントルマンの本当に素敵な方で、やっぱりお声通りの立ち振る舞いをなさる方で、シャレた方でしたね。
だから若い時になんでこんな素敵なラジオ番組を作ってくださったんだろうと、それこそFM東京に感謝感謝くらいなんですけど、とにかくいい番組がありましたね。
おはらのりこさんのお話を戻すと、私が最後におはらさんにお目にかかったのは、あれはだから10年くらい前になるのかな、10年以上か。
中井さんのテレビの番組で私たちがゲストに出ることになって、楽屋がご一緒だったんですよね。
一緒に観光費でも買いに行きましょうか、あるいはお手洗いでも行きましょうかみたいな感じで楽屋を出て二人で歩いていたのね。
もちろんそれもうるさい奴らが終わってからの話です。
その時にポツッと、「私ね、いくつだと思う?もう76なのよ。」とおっしゃって、全然見えなかったです。
でも、その時に76という響きを聞いたときに、全然若いな、もうそれしかなかったですね。
自分が76歳になったらどうなるんだろうなというのも、もちろんふと思っていましたね。
ちょうど今だとどうなんだろう、歳ちゃんぐらいになっているのかな、そう思うとやっぱりすごく若いでしょうね。
声を使う方ってそうなのかな、もちろん私もそうなりたいと思っていますけれど。
それで3年ぐらい前に私はアンパンマンの黒原女王のお役をいただいたんです。
それを小原紀子さんがずっとなさっていらしたので、
監督さんにお役を継ぐにあたって、小原さんにご挨拶に伺ったほうがいいでしょうかと伺ったら、
いや構わないです、それ以上は語らなかったので、もうお目にかかれるような状態じゃないのかなとちょっとそのときに思っていて、
お手紙とかそういうのも一切必要ないですということだったので、そのままになってしまったので、
そのときの私も76なのよというときの会話が小原さんとの最後になりましたね。
すごくでもそのときのお声も澄んでいらして、ちょっとも変わらなかったですね。
まあ私のいつも及木さんとなりに、それがさ、すごいまだうるせえつりやりたての頃かな、
私ドラえもんに呼ばれたんですよ。
ドラえもんでさ、かまどに火をくべるのに竹筒で火を起こすっていうのを田舎の女の子の役だとかそれをやってたのね。
で、ふーっと本当に息吹くとさマイクに当たってボンとなっちゃうじゃない。
だから私なんかよくわかんなくてふーとかって声出してたのね。
そうしたらさテスト終わってから、ふみちゃん違うでしょ、火を起こすときにはふーって言わないでしょ。
ふー、ふーじゃないわよ、ふーって言うのよって言ってさ、その手を輪っかにして唇につけたらふーっていうね。
それをだからマイクからちょっと外してふー、こうでしょってね実演してくださって。
いやいやいやそうですね、本当にそうですねって言ってありがとうございますってね。
それが仕事場でのね、小原さんとの初めての出会いで。
もうその頃私ワールドオブエレガンスのことしか頭になかったからなんか全然さ演技も何も上の空だったのかもしれないですけど。
そんなことを教えていただいて、アニメの場合っていろんなそういう仕草が。
例えばこうマスクなんかしてるような時なんていうのは手でマスク代わりに覆って喋ったりとか。
あとなんか鎧かなんか被ってる時は誰かさんがね紙コップを口にして喋ってたとかね。
あとは葉巻きを加えながらっていうのはね、自分の持ってるペンをね口に加えておしゃべりしたりとかね。
なんかいろいろね、声優さんってそういう工夫をなさってて。
そういうのは私たちは先輩のを見て、こうするんだっていうのを覚えて教わったっていうそんなのですよね。
でね、私ね、さっきお話ししたね、近井志鑫介さんはねすごくもう忘れられないというかもうこの方はね恩人というかさ。
あの私、これアニメをやりやったらどうですかって走れ海洋局のその新放送の時に葉書いただいた。
できるかもしれないと思ってアニメやりたいんですって事務所に行ったら。
うちはそういうテリトリーがないから他に行くんだなって言われたのね。
レジェンド声優との出会い
で、私はだからさなんか葉書でそういうふうに言われたからできると思い込んでるみたいななんか。
あれってずずしいと思うね根拠のない自信って本当ずずしいと思うんだけどあそうですかって言った。
私その事務所辞めたのよね。
あの1年更新だったので。
でそうしたら3月で辞めたらその時に走れ海洋局の方も辞めさせられちゃったわけ。
私はだからアニメもやりながら深夜放送も一緒にやりたいと思ってたら。
えっなんで辞めさせられるんだろうって理由もなく辞めさせられちゃってさ。
ただ考えてみればそれはさ事務所その事務所が持ってきた仕事なわけだから契約を切れたタレントにそれをやらせるっていうのは筋じゃないわけじゃない事務所から言わせればだからバッサリっていうさ。
私そんなことも分からないで辞めちゃったから辞めさせられちゃったらどうしましょうみたいなさ。
でそうしたらなんかいわゆるフリーね。
であの当時はね事務所を辞めたら半年ぐらいは少なくともフリーじゃなきゃいけないみたいな不分立というか暗黙のルールがあって。
だから次の事務所も探さないで行ってその間はねなんだかんだねなんか皆さん助けて行ってこの海ちゃんこの仕事するって言って助けてくださったり。
あとそのNHKのおしゃべり歌謡曲のラジオの方はずっと続けてさせていただいたのでその当時はね。
確かね走り歌謡曲やってる当時はねそのおしゃべり歌謡曲はね私浜村潤さんとやってたんですよ大阪の。
浜村潤さんが大阪の大レジェンドのおしゃべり手の方でその方がね映画のお話がすごい詳しいのでなんか邦楽の話をずっとするので私はもう本当に劇役のアシスタントみたいな感じで。
で浜村さんが東京通いきれないっていう感じだったのかな。それで今度地下石信介さんと私と一緒にやりますよっていうことでNHKにそういう風に言われて。
で私地下石信介さんはあの佐々木さんのマスオさんよりもこんにちは地下石信介ですっていうあのTBSの関東ローカルだったんだけど朝ワイドをずっと地下石さんなさってらして私それが大好きだったのね。
あのドクモムシさんだゆうさんが外の中継に行っててでも独舌吐くんだけどそれをうまくこうねや笑いであしらってくださって二人のコンビがすごい素敵だったりそのラジオのリスナーの方にすごい寄り添っているはいじゃあ次行きましょうみたいなさ。
なんかねこう親しみのあるあだから最後に地下石さんがほら初めてのお使いなさってたでしょあのテレビのナレーションであの感じのものすごい砕けたまあ言ってみればこう庶民的なっていうねラジオの朝ワイドらしいおしゃべりをなさってもうそれが大好きで大好きで
でそしたらもうおしゃべり歌謡曲でもそのような感じでやってくださってたんですけど初めてその地下石さんにお目にかかったときに
あのねスタジオに行ったらさラジオのスタジオってミキサーさんの部屋があってそんな広くないのねで向こうにガラス越しにお部屋があってそこで二人がまあ迎え合ってしゃべってるっていうのはねそういう絵なんですけどそのしゃべる方の録音室の方で地下石さんさ一人でお弁当を召し上がっててさ
でマネージャーが入ってらしていやちょっと昼を食べてなかったんで今地下石さんの食べさしてるんでとかとねで行ってみて振り向いたらそのマネージャーがなんと私が劇団こまどりでお世話になってたときのもう保護者みたいなね園部ちゃんね園部ちゃんがねその地下石さんのマネージャーさんだったわけ
でお前今何してんだっていうからアニメやりたいんだけど深夜放送をやめさせられちゃって今事務所いなくてフリーなのっていう話をしたらさそれじゃあうちに来いよって言われたのよそれが廃墟だったの地下石さん廃墟にいらして
でその廃墟に行ってのすぐのオーディションがうる星やつらのラムちゃんだったから地下石さんとのおしゃべり歌謡曲がなかったらかつ園部ちゃんが劇団こまどりまあそれはね定年度お辞めになって廃墟のマネージャーにお入りになってたんだけどそこでの出会いがなかったら私今うる星やつらもこの仕事もやってないっていう
もうそれくらいの地下石さんどうもありがとうっていうのなんですよもうねとにかくもうこのことは私本当にもう忘れられそこのね入ってた時のスタジオのその向こうでお弁当をねあのあれよ本当コンビニ弁当みたいなそうなんだのよそれをね一人でね召し上がってたそのなんか横顔が忘れられなくて
学びと成長の過程
だからなんかそういうこう奇策な感じのでかつその
やっぱりだから私はそのマスオさんというよりもおしゃべりのこんにちは地下石新宿ですっていうそのラジオのこう親しみのあるしゃべり方はもう絶対威張らない
でかつその嬢さんとの草壁な感じじゃない夜のダンディーな語りと昼の庶民的な同じ同じ両方ともリスナーさんに寄り添ってるんですよね
なのでそのなんかラジオの基本でやっぱり両方両面を持っていなくてはいけないと思ってるので
嬢さんと地下石さんにも教えていただいたし増山さんにはもう大人のキュートさとかかわいそうもうみんな藤子一択でバーンと見せつけられてるし
小原のりこさんのはもうエレガンスが漂う話し方ねあのクールクールなもう増山さんとまた違う感じ
で嬢さんのはその声のイメージを裏切らない生活をしなさいみたいなところだし
地下石さんはもう人として気取らない思い寄りのある正直な話っぷりですよねもう2人でやってて本当に楽しかったんだけど
皆さんやっぱり誰に対しても平等な対応であっても絶対威張らない
なんかそういうことを皆様方に教えていただいての私やっぱり今があるかなと思うのでそれはもう幸せですよね
あの尊敬できる方々がいるってそれはだからねご自身にとってもご両親であるかもしれないし
私はだから仕事場でのその保護者みたいなその激難小戻りからずっとキスを教えてくれたそのばちゃんというそのマネージャー
もう今もお付き合い続いてるんですけどその方からの地下石さんで地下石さんだからうちに来いよって言って廃墟に入ったら全部いらした
沖宮さんも嬢さんも狭間さんも地下石さんも中村翔さんも小林教授さんもそのとにかく
あの昔のテレビ映画を録音の付き換えをなさっていた方がユニオンを作ろうって言って声優の事務所みたいなことでの一番最初の大元の大幹が廃墟東京俳優生活協同組合なんですね
だからそこから皆さんマネージャーさんがその協同組合だからまあ自由にできないことがいろいろあるのでそこから出て青鬼が最初出てってそこからまたバオバブあったり
81あったりっていう風にしてどんどんどんどん枝葉があって事務所ができてたっていうその声優の中の事務所の構図みたいになるんですけど
その根幹である廃墟にそういう良い時代にレジェンドの皆様がたくさんいらしていた時代に私はその一瞬することができたので感謝しかないですね
本当にありがたかったなと思いますしその教えていただいたことっていうのはこれからも伝えていかなくてはなぁと
お別れと次回への期待
まああんまり私昔振り返ることしないんですけどでもちょっとこの番組では色々と思い出しを思い出して何かお伝えというか残していこうかなと思っています
思い出話などなんか私の今の話からそういえばこの子だったなっていうようなことがあれば是非ともお知らせくださいメールお待ちしてます
平野文のRadio23club第12話そろそろお別れです次回が待ち遠しいですね
お相手は平野文でしたそしてサポートはスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさんそしてウェブエンジニアの八川さんのお二人でした
この続きは次週の木曜日また23時からねー
ではまた
Thank you for listening. Next time on Thursday at 4 o'clock. See you soon again. Have a nice day and dream.
And stay warm, especially since Oyuki-san is visiting. Bye-bye.
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