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おはようございます。本日の放送は2022年5月19日、木曜日です。
本日は第81回目のお話となります。
このチャンネルは福島県小山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が
日々気になったことを伝えたらと話をしていくという番組です。
そんな話の一言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったらごめんなさい。
悪い言はなかったんです。
ここにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
3日前の5月16日の福島民報という地方誌を読んでいましたら
市内の中高生を対象にした塚川特撮塾を開設するというニュースがなっていました。
第2の津村英二を排出するのが目的らしいんですね。
というわけで特撮文化の魅力の発信や特撮にかかる人材の育成を進めるらしいんですね。
年に10回ですね、講義を行って特撮技術を使った撮影とか編集の経験させるらしいんですね。
というわけで田口清高監督や三池俊夫さんを真似てやるというんですね。
NPO法人とアニメ特撮アーカイブ機構エイタックも協力するというんですよ。
というわけで市内の中高生を対象に行うというんですね。
残念ながら塚川氏に関係する中高生だけなんで、親父はダメらしいんですね。
もちろん私も塚川氏に勤めてるわけじゃないんでね。残念ながら対象外なんですね。
でもこれからの活動は非常に期待しております。
すっかりですね、自主制作映画という世界が遠慮多くなっております。
もう30年くらい前ですね、郡山市でインディーズフィルムフェスティバルという名を打ってですね、
高校、大学、一般の方々から自主制作映画を募ってきまして、
そしてコンテスト形式で上映会などもやってたんですよ。
ですがね、その頃適齢期になりましてね、結婚しなきゃいけないということになりまして、
そういう世界から足を洗っちゃったんですね、私ね。
その後はですね、結婚して子育てとかしてたんで、すっかりともう遠慮多くなっちゃってます。
その当時ですね、特撮っぽい自主制作映画っていうとですね、
新潟県、大人の新潟県が結構活発だったんですね。
というわけで、今はどうなってるのかなと思って検索したんですね。
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そしたらですね、今年の7月17日にね、新潟で第4回特撮上映会っていうのをやるみたいなんですね。
相変わらず新潟の方は熱心だなと思って見てたんですね。
そこにですね、今回ゴジラ対デストロイヤーの上映会をするっていうんで、
富山昌吾プロデューサーをお呼びしてトークショーするらしいんですよ。
実はこの富山さんですが、ゴジラ対ビオランテからですね、ゴジラファイナルウォーズまでの15年間にですね、
12作品のゴジラ作品を制作された方なんです。
ゴジラ映画の中の15作品ですよ。すごい量ですよね。
あとゴジラだけじゃなくてね、怪獣が出る映画っていうとモンスター三部作だとか、
こういったものもありますからね。
しかもですね、映画の制作っていった場合ですね、直接作品に関わらないこともありますから、
ビオランテからですね、デストロイヤーまでのVSゴジラシリーズの6作品はプロデューサーもされているんですね。
ということで、実質当時のゴジラ映画を切り盛りされてた方なんですよ。
ゴジラだけじゃなくてね、小松作業さんの復活の日だとかね、
ジブリンのね、高畑勲監督の劇場用アニメのジャリンク知恵、
こういった作品の中の宣伝活動なども長年されてきた方なんですよね。
ファイナルウォーズを終えてからですね、6年間はですね、東宝映画の代表取締役として、
社長されてたんですよ。
そして現在は神奈川県にある日本映画大学の理事長されてるんですね。
今村昇平監督が作った映画の大学です。
この富山昇吾さんが2015年にですね、出した本があるんですね。
ゴジラのマネジメント、プロデューサーとスタッフ25人、
この本を読みますとね、ゴジラの映画についてのマネジメント、
ということについて語っている本なんですね。
よくある監督とか客観家とかそういった方からじゃなくて、
いかにマネジメントをするか、いかに映画を盛り上げるか、
ということについては変わってくるんですね。
この本を読みますとね、ゴジラの映画についてのマネジメント、
いかにマネジメントをするか、いかに映画を盛り上げるか、
これについては変わった視点で書かれた本なんですね。
この富山さんなんですが、実は福島県とも深いつながりがあるんです。
2011年ですね、3月11日、福島県の原発事故の避難がありましたけども、
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その後ですね、南相馬の仮設住宅でですね、
そこの団長を訪問して毎月ですね、
中国気候によるマッサージをね、ボランティアを行っていたんですよ。
一体なんでね、ゴジラ映画のプロデューサーが
南相馬市の仮設住宅に来てね、
そして一般人の方にね、混じってですね、
ボランティアをしていたのかということなんですが、
やはりこの水を覆うの自体、原発事故って水を覆うの自体をね、
なるべく近くでね、感で感じたいと思いでね、それで来たらしいんですね。
そして、避難された方々のストレスが溜まっていることを感じてね、
どうにかこれをしなきゃいけないというふうな気持ちになったらしいんです。
マッサージのボランティアを受け入れていたのは当時ですね、
福島県内でも南相馬市だけだったんですね。
というわけで南相馬市に来るようになったんですが、
ところがですね、富山さんがやっているね、
中国気候のマッサージっていうのは国家近くではないんでね、
というわけで南相馬市の方から拒否されちゃったんですね。
そしたらですね、南相馬市のボランティアを受け入れなどする係の方がですね、
たまたま怪獣映画の撮影の使える品物のレプリカっていうかね、
それともコレクションをしている方だったんですよ。
というわけでね、富山さんの顔を知ってたんで、それでバレちゃったらしいんですね。
で、富山さんのマッサージはね、気候を使ったものなので、
直接体を押したりとかするわけじゃないんで、痛めることは絶対ないってことでね、
ということで特別に許可を受けて、その後ボランティアするようになったらしいんですね。
というわけで、ゴジラが縁でね、南相馬市でボランティアしに来るようになったってことですよね。
で、ずっと単なるマッサージの先生としてね、南相馬市に関わってきたんです。
えっと、南相馬市の方にはね、朝日座っていうですね、古い映画館があるんですよね。
というわけで、えっと2017年頃からですね、マッサージするだけじゃなくてね、
そこでもですね、市民に向けてね、娯楽を提供しようというね、映画上映会などを行うようになったんですね。
最近でもですね、南相馬市に舞台、演劇の舞台を作りましょうっていうのをね、応援したりとかしています。
というわけで、えっと実際にね、ゴジラ映画をね、たくさん作った方がね、
津村英二が生まれた福島県の人たちを助けようとして活動されていたという話なんですね。
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こういうことは是非ともね、福島県の特撮系のイベントをね、お呼びしてね、お話とか聞きたいなと思うんですがね、
なぜしないのかなーなんて思っちゃうんですけどね。
はい、というわけでね、それではまた次回ですね。よろしくはペンキシのオタクの話をお付き合いくださいね。
本日もお聞き下さいまして、誠にありがとうございました。