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はい、おはようございます。このチャンネルは福島県高山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が
響きになったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そんな話の一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったらごめんなさい。
我にはなかったんです。
ここにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、だらだらと言いかせていただきます。
改めまして、おはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の4月11日、月曜日です。
本日は第43回目のお話となります。
昨日ですがね、福島県の富岡町という町ですね。
桜のトンネルというのはね、見て歩くことができるので行って参りました。
福島第一原発の事故でね、そのため12年間ですね、見ることができなかったんですね。
そこのところでね、実際に歩いて見ることができるようになったというので行ってきたんですね。
いや本当に素晴らしい眺めでしたね。
というわけで今回疲れてますんでね、今回の話はちょっと短めって感じにしたいと思っております。
おととい昨日とですね、藤子藤代栄氏、浴び込むお父さんが亡くなったというニュースについてのお話をいたしました。
今回もね、それに関連した話の続きとなります。
藤子藤代栄さんの作品ですが、その作品のアニメ化された作品の中ですね、
忍者ハトリ君、ウルトラB、ビリケンと、あとビリケンなんでも紹介のね、アニメーションを監督されたのが、
笹川ひろしさんという方なんですよ。
他にもね、藤子F藤代さんとの協調であります、おばけのキュウタロウだとかね、また藤子F藤代さんのパーマンだとか、これなんかもね、やったのが笹川ひろしさんなんですね。
というわけでですね、この藤子藤代さんという形になりますと、結構笹川ひろしさんの貢献もあるのかなと思っております。
笹川ひろしさんは藍津若松出身のアニメ監督さんです。
笹川ひろしさんという名だとね、ついタツノコプロの人と思われがちなんですが、
最初はですね、手塚治虫さんの専属アシスタント第1号であるんですよね。
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今はですね、漫画家さんにアシスタントがついてね、そして作品を仕上げるっていうのが当たり前の時代になってますけども、
これを作ったのが実を言うと、笹川ひろしさんなんですね。
それまではちょっと他の漫画家さんがお手伝いするとかいうのがあったんですが、
漫画家が一人で作品を作るのが普通だったんですね。
専門のアシスタントというのが作るようになったんですね。
その最初が笹川ひろしさんと言われてます。
残念ながらね、手塚さんが時和荘を離れた後にアシスタントになったもんで、
時和荘についてはほとんど知らないらしいんですね。
またその時和荘のメンバーの漫画家さんとの付き合いもほとんどなかったみたいです。
手塚治虫さんのアシスタントにしつつ漫画家を目指してるんですが、
本能になったのはね、一作のみで宇宙のみだという作品のみなんですよね。
そして手塚治虫さんのところにいる時にですね、鉄腕アトムがアニメ化されて、
その絵コンテをですね、2本描いたっていうことで、非常にアニメーションっていうのに取り憑かれてしまいまして、
それで興味を持ってですね、たまたま友人で、兄弟で漫画を制作していた吉田達夫さん達のところに行きまして、
このアニメ制作の計画を参加するんですね。
そして東映動画の方に3ヶ月間だけアニメーションを勉強した後に、
手塚プロとしてアニメーションを手がけます。
でも監督として1965年に宇宙エースっていう作品を作ってしまうんですよ。
それが大ヒットいたしまして、1967年にはですね、
塚治虫さんの原作でオラ・グズラダ・ドという作品をですね、発表するんですね。
これもまたヒットいたします。
この1967年という年がちょうどいいんですね。
というのはその前年にね、ウルトラQが放映されて、カネゴンだとかね、M1号だとかね、
あんな風に怖くない怪獣が登場してますし、また怪獣ブースか、
それはちょうどヒットしている最中なんですよ。
その時にちょうどアニメーションで手がけたというので、大ヒットして。
というので子供の日常の中にですね、怪獣が一緒に存在するというのは当たり前っていうね。
それがね、ヒットになった要因でもあると思いますけどね。
というので、それ以来ですね、タツノコプロではですね、
笹川ひろしさんを中心としたギャグ路線の作品が作られていく形になります。
ドカチン、ハクション大魔王、カバトット、解決卵という形でやってきまして、
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あと1975年からタイムボカンシリーズみたいな作品のシリーズが出てきます。
タイムボカンシリーズの途中でね、笹川ひろしさんはタツノコプロを一旦辞めるんですね。
そして、改めてシンエイ動画という会社がありまして、そちらの方でね、
今度フジコフジオAさんのアニメーションをやるよという話になったのが1981年です。
というので、その時にですね、笹川ひろしさんが総監督として参加するんですね。
ハトリックは1964年から制作されていた漫画なんですが、
1967年に実写化されて、それなりに人気があった作品です。
ですがその今回アニメ化するってやった後ですね、笹川ひろしさんなりのアレンジをいろいろと入れるんですね。
その最大のものが、あのズッコケた時の音なんですよね。
ここはズッコケたよっていうのはすっかりとね、子供にわかるようにですね、ズコーっていう声をですね、みんなで言うんですね。
これというのは実を言うと、さっき言ったタイム補完シリーズのところでやったことなんですね。
お助けマンの時ブレーってね、やっと言ってたマンでコケーってね、っていう風にやってたんですよ。
というので、ハトリックンでズコーってやったらですね、非常にウケたというので、次にやったパーマンではヘコーってね。
あとおばけのキュウタロウ、3回目の作られたリメイク版ですが、3代目のおばけのキュウタロウではオターって言って、ズッコケると。
子供に非常にわかりやすくてね、というのでウケた形になります。
それからあともうひとつですね、タイム補完シリーズの時にね、豚猛奪や木を登るっていうメカが突然登場してきたりします。
白昇大魔王の時にですね、それかおじさんっていうのがいたんですよ。
それからそれからっていう風なキャラクターですね。それが突然出て場面転換するっていうんですが。
それがちょうどタイム補完シリーズの時にはですね、その形でメカとして登場してきました。
それからハトユ君の時にも登場してきまして、特別説明はないんですが忍者姿のカラスが登場して、
それカラスっていうキャラクターが現れて、ここで場面切り替えなんだよってわかるようになったんですね。
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いろいろテクニックを使ったことによって、ハトユ君、ファーマンといった作品が非常に人気出たんですね。
というわけでですね、笹原氷司さん自身が作ったものはないですけどね、日本のアニメーションにですね、いろいろ影響を与えたのが笹原氷司さんなんで。
もう少しですね、評価高くてもいいのになと思うんですよ。
せめてね、藍津若松氏に笹原氷司さんの記念館を作ってほしいなと思うんですよね。
それではですね、また次回よろしく。ペンキシのオタク話にお付き合いくださいね。
今日も一日頑張りましょう。