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2024-04-02 30:10

第5回 アスペルガー症候群体験談 中学生編 躁うつ病との闘い

部長をやったら皆ボイコット 。数学の偏差値40上がった話。教室での生き地獄。#受験 #部活 #教師



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第5回目
ポンスダチの発達を愛語たったろ、始まりました。どうもポンスダチです。 前回の小学生編どうでしたでしょうか?思ったより長くなってしまいました。
やはり野球の思い出が一番強く残ってますね。 あまり先生との関わりは少なかったということに気づかされました。
今回は中学生編です。中学生の時もだいぶ色濃い出来事が多いです。
小学生の時とはまた違う辛い毎日、辛い現実でしたね。
さあ、ということで、中学生編話していきたいと思います。 まず学校の先生との関わりですね。
1年の時は教科担任が理科の先生で、とても綺麗な女の先生でした。
小学校5、6年の時の担任の先生や、その他、小学校の先生は割と生徒に、児童に厳しかったので、とても優しく感じました。
中学校の先生で、割と国語の先生なんかも、丁寧間近ですごい優しかった、優しいおじいちゃんまではいかないまでも、そんな先生でした。
野球も辞め、精神的にすごく安定していたのを覚えています。 その時の数学の先生で、後に大変トラマになる出来事を作られた、そういった先生がいました。
自分が図書院だったのですが、会が始まり、卓球のボールに落書きをしていて、
会が始まる前に卓球のボールに落書きをしていて、リーダーの人が、それでは始めますと言ったのですが、なぜか先生が止めたのです、それを。
なので自分は落書きを続けていました。すると気づいたら先生に頭を叩く、何分後かに叩かれていました。
もう会が始まっていたようです。でも先生はリーダーに、そろそろ始めるかといったことも言っていないし、何か手で合図をしたのか分かりませんが、
実は父親が教育委員会にいて、この先生が部活に来ないというのを
注意しに、その以前なのか、多分
職員室に行っていて、
それで身容字が同じなので、
自分に圧当たりをしてきた可能性が
かなりあります。 もしそうだとしたら、
こんなことがあっていいのかと思いますね。あっていいも何も、まあそういう先生がいるというだけなのですが、
自分の後ろの席に1年の頃、いた生徒が
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ネクタイをしてこなくて、自分の机をどけて、その生徒のカバンを蹴ったのか机を蹴ったのか、そんな先生でした。
好きな数学を教え、嫌いなことはしないで、腹が立ったらやつ当たりをする、怒りをぶつける、こういう人が世の中にいて成り立つんだなぁと不思議に思います。
中学2年の時の、2、3年の時の国語の先生はかなり変わっていて、
尾崎豊の15の夜を文化祭で歌っていました。 あれはよく歌詞からして問題になるギリギリなんではないかと思っています。
スポーツカーに乗って毎朝かなり飛ばして学校に、大音量でのロックだと思うんですが、かけて学校に来ていました。
子文の暗証をしなければいけないという課題があり、それを練習していた生徒がいて、
授業中に練習していた生徒がいて、 1回目は口で注意をして、2回目その生徒がまだやめないのを知り、その生徒の椅子を倒して注意されているのが分かるのかと言って自分はどんな状況か見ていませんが、
相当な怒られ方をしている生徒がいました。 今でもその先生が悪夢に出てきます。非常にトラウマになっています。
ある以外でああいう怒り方をする先生はいませんでしたね。 その先生がなぜか自分が
自分に廊下とかで会うと、よく廊下や何か行事があった時とか、修学旅行でもよく話しかけてくれました。
何か印象に残ったのでしょうか。
ある係決めで、今はあまり覚えていないのですが、別の生徒と自分が間違って入れ替わりになってしまっていて、
その先生のところに自分が行くはずだったのに、別の生徒がその先生の係の時は行くということになってしまい、
先生はそれを不快に思ったのでしょうが、自分にあれはどうしてなのか聞いてきました。
自分でもなぜなのか不思議に思っていたので、分かりませんと言ったら、特にそれ以来は何もなく過ごしていました。
そんな辛い出来事というわけではないのですが、なんとなくトラウマとして残っていますね。
申し訳ない思いをさせたという思いも少しはあったり、複雑な感情なのでしょう。
自分は卓球部だったのですが、部活の練習場の近くを走っていて、体育館で下を見下ろしていて、女子バスケの方に目が行ったら、その監督がこっちを睨んでいるということがありました。
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少し走っている時にそちらを見ただけなのに、なんでこっちを見てくるんだといった様子で睨んでくるのです。
何か失礼なことをしましたかと強く言ってやりたかったです。
先ほど話した国語の先生のことなのですが、ある昼休みの時、黒板に漢文で習ったことを利用して、ふざけて黒板に書いていたら、誰もそれを消せずにいたということがありました。
次の授業は英語の授業で問題ありませんでしたが、もし国語の授業と入れ替わりになっていたなんてことがあったらと思うとゾッとしています。よくそれを思い出してしまいます。
先ほど悪夢にその先生が出てくると言いましたが、自分はやはり先生に怒られるという恐怖心が強かったようで、よく先生に怒られるという夢を見ます。
全身汗だくになり、心拍数もかなり高くなり、そんな状態で起きてしまいます。ほとんどの悪夢が先生に怒られる夢です。
ここに中二の社会の女の先生の一つトラウマがあります。修学旅行で、なぜか自分の部屋に夜入ってきて、窓を寒いからといって閉めていきました。
その時に、こいつ誰?というようなことを言ってきました。そもそも女性の先生が男子生徒の部屋に夜中入ってきていいのでしょうか。
多分名簿を見て、自分の部屋がサッカー部で、他の人がみんなサッカー部で何か会いに行きたいと思ったのではないかと推測しています。
だとしたら、自分の名前も見ているはずなので誰かは知っているはずです。
自分が部長をしていた時、その先生が顧問を、副顧問で、部活中よく自分が大声で怒っていたので、先生としてはそれを不快に感じていたのでしょうか。
授業中も一回怒られたことがありました。
今振り返ると、自分の好きな先生の教科は割と点数が高く、嫌いな先生の教科は点数が低かったです。
教科担任でそんな点数が変わるぐらい普段が勉強していないのかという話になってしまうかもしれませんが、いずれにせよ。
勉強できるかどうかに、どんな先生かというのは割と大きく影響しているように思い出していて気づきました。
数学は中学2年から伸びたのですが、だいぶ伸びました。90点以上取ることがほとんどになりましたが、1年の時は平均以下か平均ぐらいでした。
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やはりそれも先生が変わったのも少し影響しているように思います。
続いて勉強はどうだったかですが、5教科全て1年の時はオール3でテストも看板少ないという感じです。
しっかり勉強したのに、勉強しても後期になっても全く伸びません。
小学校6年の時に真剣済みを始め、6年の時にはどんどん成績伸びていったのに中学生になり、いくら勉強しても伸びなくなりました。
それに焦ったのか、親友が行っている塾に自分も行きたいと親友に相談し、塾に行き始めたがそれでも成績は伸びませんでした。
その塾の先生の一人が辞めることになり、別の塾に通ったのですが、そこの先生との相性が良く、自分はやる気があったのでそれをどんどん吸い上げてくれる形で成績は伸ばしてくれました。
スピリチュアルが好きな先生で、よく精神論を話していました。
ある女の先輩、年上の塾に通っている人に、どこの高校行くのって言われ、ここに行きたいけど多分受からないですと謙遜して言ったら、謙遜していたわけなのに、受からないとか言うなと怒られたことがあります。
かなりスピリチュアルに染まっていました。
そういえばその先生に、宗教の勧誘をしたことがメールであるのですが、自分はたくさん精神世界の本を読んできて、この世界のことはもう十分わかってるんだよと言ってきました。
宗教を勧誘している人に対して、自分は本をたくさん読んできたから正しいことはわかってるって、すごい論理だと、論理というか、それこそ宗教について何もわかっていないなと感じました。
宗教なんて自分は信じないよというならまだ常識的な考えができています。
自分はたくさん本を読んできたから、この世界について熟知しているからという根拠でそうやって言ってきたのが、非常に何もわかっていないなと子供ながらに思っていました。
国語は、古教科の中でも一番苦手科目です。
これは3年まで全く伸びませんでした。
勉強もどうしていいかわかりませんでした。
読書も全くする子供ではありませんでした。
文章を読むの能力がだいぶ欠落しているようです。
本を読むスピードも遅く、高校生の時はある女子に本を読むの遅いねと言われたことがありました。
その女子は一軍女子といった雰囲気ですが、非常にクラス全員に対して優しく、特に自分もそうやって言われても嫌な思いはしませんでした。
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ただ本を読むのは確かに遅い、そうやって言ってくれる間から相当遅いんだろうなと思いました。
知能検査のウェイスで長い文章を読むのが苦手というふうに書いてあったのがありましたが、それで我転が行きました。
英語はとても好きでした。
なぜかというとヒップホップを小学生で聴くようになり、中学生の頃は洋楽のヒップホップを聴いていて、その時はエミネム、フィフティセント、JGですね。
いとこがカニエベストのレコードを買ってくれて、それなんかを聴いていました。
当時はレンタル屋でCD、アルバムを借りて、MDに入れてよく聴いていましたね。
小学生の頃はあまり音楽に熱中しているという感じではありませんでしたが、本当に小学生の時は音楽が好きでした。
自分の人生で振り返ってみて一番の趣味は音楽でしたね。
特に他の趣味は小学生以降ありません。
小学生の頃はヒップホップがほぼ全てのジャンルの中で、ほぼ全てがそれでした。
自分が通っていた利用室の人がヒップホップが音楽好きで、よくそういう話をしていました。
いつも最初は世間話をしてくるのですが、途中からルーティンのようにヒップホップの話をするので、多分不思議がっていたのではないかなと思います。
その人が後に自分にすごい生き方というか影響を与えるドラゴンアッシュを教えてくれました。
まだ中学生の時はレンタル屋に行くとロックのコーナーにあり、自分とは畑違いというか全く興味はそそられませんでした。
中学生の時はドラゴンアッシュの曲はどの程度聴いていたかは、今では思い出そうとするのですが思い出せません。
高2あたりから相当熱中していました。
エミネムなんかは特にヒップホップで好きなアーティストで、エミネムはヒップホップに出会い人生が変わったという作文を書いたことがあったのを記憶しています。
中学生で音楽が好きになり、それ以降ある年まではずっと音楽が近くにいるという感じでした。
一時期精神病になり聴かなくなった時がありました。音楽に対してすごい恐怖心が出てきたのです。
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何か音、ある特定の音を聴くことで何か体に害があるんじゃないかと考えていた時期がありました。
実際に脳科学的にこの音楽を聴くと体にこういう作用をするとか、先端の研究をしているという人の話を聞いたことがあります。
そういうことはあるようです。
例えばこの音を聴くとこういう匂いを感じるとか。
その人の話を聞いてもあすます不安になり音楽から離れたことがあるのですが、やはり音楽を聴かない禁断症状が出てきて、
頭の中にずっと昔の聴いていた音楽をループされ、やはりまた音楽を聴くようになりました。
それがある頃までずっと続きます。
ただ英語は好きだったのですが、高校入試では数学ほどはできなく、偏差的に50以上はあったのですが、英語は得意だったのかどうかは少し微妙なところです。
高校時代、英語の勉強法が一番国境下の中で悩んだので、やはり英語はある意味苦手だったのではないかと思っています。
英語の先生は2年の時も3年の時もとても好きだったので、楽しく勉強できました。
そういえば、自分は学習障害はあったのかなと考えるのですが、小学生の時は特に自由はなく、中学生の時はやはり国語や英語の小文で苦労していて、あと漢字を覚えるのが苦手ということもなく、書くのは語教科全ての先生から字が汚いとはいさん言われていたので、当時はただ汚いだけだと思っていましたが、書く能力にも問題があったかもしれません。
ちなみにWAISの処理速度は遅いです。処理速度というのは書く能力にも影響してくる。それが遅くなると書くのが遅いという専門家もいます。やはりそれも何か影響しているのではないかと思います。
ただ不思議なことに、高校時代、書道でよく誉められて飾られていました。教室に一度飾られたことがあります。苦手なことと長所というのは表裏一体なんじゃないかなと思います。よくバカット先生は紙一重と言いますが、もちろん何か書道の才能があるわけではありませんが、何かそれに共通するものを感じます。
理科はとても苦手でした。国語ほどではないにしてもかなり伸び悩みました。三者進路を決める面談で、理科が今のままではまずいと言われました。自分ではその時はあまり問題には感じていませんでした。勉強すればなんとかなるでしょうと思っていましたが、やはり理科はいくら勉強しても自分は能力がだいぶ欠けていたようです。
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社会も理科と同じように苦手でした。歴史など、歴史を覚えるのも苦手。知理なんかは小学生の時からダメでした。どこどこで何が取れる、何の生産地だという、全く興味がありませんでした。ただ最近、ここ何年か5年ぐらいで、知理に関してすごい興味を持つようになりました。
最近だとポッドキャストで、兄弟でやっている番組なのですが、食に関する番組で、食に興味があるのでその番組を聞いていたのですが、ゴマがある大航海時代にそれをめがけて争っていて大変高価なものだったという話はとても興味深かったです。
人類史的なことにも興味があり、レアンデルタール人のDNAが混ざっているとか、この頃こういった人種がここからここにたどり着いてとか、最近はかなり興味があります。ただ中学生の時、学生時代は全く興味がありませんでした。
こんなことを知ってどうなるのかまでも考えませんが、とにかくそれ以前に、そもそも全く興味がないといった感じでした。
WACEで知識が8位、当時WACE3ですね。多分平均以下の点数なんじゃないかと思いますが、やはり知識を覚えるのが苦手なようで、歴史なんかはとても苦労しました。理科も同じような理由で苦労しました。
ちなみに社会は1年から3年まで好きな先生じゃありませんでした。理科もです。やはりそういう悩みもあって、とても伸び悩みました。塾でもそんなに勉強させられなかったというのも理由としてはあります。
とにかく勉強時間は偏りがありましたので、数学をひたすら勉強していました。先ほど言った、数学が伸び始めた原因となったある塾の先生は、かなり難しい問題を解かせるというやり方でした。
後に宗教の友達のお医者さんの子供で、1回泊まりに行った時に自分と同じものを使っていて、その人は私立の新学校に通っているので、同じ問題紙を使っていて驚きました。
今振り返ってみても、かなり難しい問題を使っていたのではないかと思います。多分地方の公立の生徒ではあれだけ難しい問題をわざわざ公立入試のためにやる人はいないんじゃないかと思います。ただそれが自分に合っていたようで、すごい成績を伸びました。
英語も同じように、発展編の問題紙なんですが、同じように難しいものを使っていました。自分がもし家庭教授をやるとなったら、そういったかなり難しい問題を一問にすごい時間をかけさせてやらせるか、ひたすら問題を解かせるかのどちらかだと思います。
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そういった方法でも高校のとき良かったのではないかと今振り返って思っています。一つの問題集を何週もするのではなく、いくつもの問題集を一週だけやらせるというのは、自分ではそういった方法でやっていればなと思っています。自分はどの問題集にするか考えるのに非常に苦労したので、そういう風に勉強していればよかったなと思っています。
部活動ですが、先輩が一人とても優しい先輩がいて、練習にも付き合ってくれ、それはよかったのですが、他の先輩はあまり自分が強かったので、それを心よく思っていなかったのか、あまり良い感じで接してこないという先輩が何人もいました。
ある先輩が自分を褒めてくれたら、謙遜するんじゃないと言って、何か含みのある嫌味なことを言ってきたり、他の先輩とのトラウマも多いです。
部活が同じこともあり、一番仲良くしていた友人とは、友人は悪いことをするのがかっこいいと思っている性格で、部活中自分にきしり通るようなものだったと思うのですが、一緒に食べるように言ってきて、それを食べてしまい、先生に怒られることがありました。
先生に怒られたのはそれしか記憶がありませんが、何度か怒られたような記憶があります。
自分一人が悪いことをするのはいいのですが、そうやって他の人にも悪いことをさせることを快感に感じる人が自分には全く理解ができません。
ある休み時間、その人と野球少年団で同じメンバーだった部員の人も一人で、その野球少年団で一緒だった部員の人が、用務係の人が変わった名前をしていて、それをバカにした感じで呼んでいて、自分とその卓球部の部員も近くに一緒にいたので、巻き添えをくらい一緒に怒られるということがありました。
その時にその卓球部の部員と自分は、「ただ近くにいただけだからいいよ。まだ許すよ。」とその用務方さんが言ってくれた時に、その人は、「ああ良かった。」と言った感じで後ろに一歩下がりました。
近くにいただけだけれども、失礼なことをしてしまい申し訳ないと考えるか、もしくは申し訳なさそうにしていなければいけないだろうと考えるのが常識的な感覚です。
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どうしてそういった行動に出れたのか不思議でしょうがありません。常識がなさすぎるんじゃないかと思いました。
非常にその友達と一緒にいて、巻き添えをくらい嫌な思いをしたことがありました。
友達というのは選ぶ必要があると思います。社会人でも、悪いことやグレーゾーンのことをしている人と一緒にいたら、「何悪いことをしているんだよ。」ぐらいに済ませないで、さっさと関わるのをやめた方がいいと思います。
部活にいじられキャラの人がいて、仲良い子たちにいじられていて、自分は特にその集団とは仲良くないのですが、やはり同じ部員ということもあり、いじるようなことを言っていたのか、ある時に首を思いっきり掴まれて、あれは相当な強さでした。
自分を守りたいというよりも、お前にそんなこと言われたくないという思いがほとんどで、ああいう行動をしてきたのだと思っています。
なぜかというと、他のその仲良い友達には何も起こったりしていないのに、全く同じことを言っているだけの自分にはそういったことをしてきたからです。
ちなみにその人は自分が幼稚園の時から同じ幼稚園で、幼なじみなのですが、自分の家に来た時に他の友人と喧嘩をして、自分とその時家に来ていた友達は塔を強く閉め、こちらに来ないようにしていたこともあります。
しかしそっちの部屋には母親がいて、それを止めようとしていました。
本当に自分の母親に嫌な思いをさせていると子供ながらに感じていました。
その人は部活中、元バスケ部で体が大きい人に対しても怒っていたことがあります。
非常に感情的になりやすいようで、その感情のぶつけ方がどうも未だに理解できません。
なんとかならないものなのかと思います。
副部長に対して悪い友人がよくバカにしていて、自分は巻き添えを食らってしまい、その友人の方が先輩にいろいろ言っていたのに、バカにするようなことを言っていたのに、
その人を怖がっていたのか、その人がいない時に限って自分に対してその先輩も首を絞めてきてということがありました。
そうやって弱いものにあたるというのが人間のさがなのかもしれませんが、非常に嫌な感じですね。
先ほど話したお世話になっていた人は部長なのですが、部活に不満を感じていたこともあり、その先輩が退部する直前になって、
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こんな風になってしまったのは先輩のせいですよと言わんばかりに何度も注意というかしてしまいました。
そうやってお世話になった人に対して嫌な思いをさせてしまうということは、これまでの人生に何度もあります。それもトラウマになっています。
野球初年の時は周りの人と仲良くいきませんでした。卓球部でも別の意味でうまくいかないというか、全く違った感じの性格で、
野球の時と違い自分をバカにしてきたりはしませんが、全く合いませんでした。仲良くするなんてことは全くできませんでした。
先輩からは割と可愛がられていたと思います。自分の父親も先輩に可愛がられていたのですが、そういったところは似たのかもしれません。
何か先輩に可愛がられる素養が少しあるのかもしれません。手前みそですが。
自分の二つ上の学年の先輩も、最初はなぜか自分にきつく当たっていたので、それ以来スーパーで会ったりなんかしても、
すごい好意的に優しく、最近どうだと話しかけてくれる先輩なんかもいたり、
一つ上の学年でも何人か優しくしてくれる先輩がいました。
星下は自分は関わるのが苦手ですが、後輩ともうまくいきませんでした。
自分が部長をしていた時に、強く怒りすぎてボイコットされるということがありました。
それでも自分はめげずに怒り続けていたので、悪い意味で何か精神的な強さが当時はあったのだと思います。
部長をしていた時、先生は非常に味方になってくれていました、と当時は最初はそう思っていました。
いつも部活が終わった後、親身になっていろいろ話をしてくれたり、相談に乗ってくれたり、いろいろ話し相手になってくれました。
しかし部活を紹介をする時、今の現状を見せつけてやりましょうと言ってきました。
それまで部活のやり方に対して何も特に言ってくることがなかったのに、急にそれを言ってきたのです。
自分は何も関係ない、責任はないといった感じののも非常に嫌でした。
自分に厳しく人に優しくということをよく言っていて、当時は何にも思ってませんでしたが、
これは部長として厳しすぎるから、それをただ単純にやめろと言っていたのかなと今では推測しています。
こういう風に言ってやればよかったと今では振り返っています。
いや、今日の話は非常に耳に痛かったです。
ただ部長というのは、こうやって怒るというのは、割と常識的なことではないかと、普通のことではないかと思うのですが、
と言ってやればよかったと後悔しています。
さあ、エンディングです。
ということで、録音機器の電源が切れてしまいそうなので、
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とりあえず今回はこれを前編として、次回後編にして話を続けたいと思います。
では、ありがとうございました。
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