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2024-04-06 35:06

第8回 自閉症スペクトラムの本音 高校生編(前編) 過敏性大腸炎発症

進学校での苦悩、宗教2世としての苦悩、進路を悩み続け泥沼から抜け出せなくなった話。勉強法で悩み続け、うつ病、強迫性障害になった話。グルメな話も。#大谷翔平



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第8回目、ポンスダチの発達障害方太郎が始まりました。
7回目、8回目まで撮ってきましたが、どうやら効かれているようなので、とても嬉しく思っています。
昨日はあまり眠れませんでした。
ここ最近、いろいろ考えてしまい、寝れない日が続いています。
ただ、自分は夜7時半には布団に入り、朝5時半まで横になっているので、睡眠時間自体にはさほど問題はありません。
昨日は何を考えていたかというと、自分の部屋のストーブの位置をずらして、その他窓りや部屋の配置を変えるということが今の状態ではできるとわかり、
そうしたいけど、でも今のままでいたいということで、今のままでほうがいいという理由づけをしたくて、それに時間がかかっていました。
なるべく歩く距離を短くしたかったんです。そのほうがホコリの量が少なくなるので、ちょっとしたことなので、多分ほとんどの人にとってみればどうでもいいことに感じるかもしれませんが、自分にとってはそれが大きく感じてしまいます。
あと最近は、1ヶ月以上前から足の甲に傷ができてしまい、それを治療しているのですが、なかなか治らずにいて、毎日軟膏を塗りサビを貼ってというのを繰り返していました。
自分は脅迫性障害のようなこだわりがあり、単に潔癖症みたいなものなんだろうけど、うち病も相まって、なかなか自分で治療することもできないので、親に手伝ってもらって治療していました。
最近ふと思ったのですが、これは脅迫性障害だからなのか、これは病名を付けるとしたら何なのか、単に潔癖症なのか、何とも自分の中では見え切らない思いです。
ただ、うち病が一番の原因ではないかと考えています。
今思ったのですが、何より家から出られないというのが一番の大きな原因かもしれません。
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かさぶたになり、治ったと思い、毎日サビを替えるとのはやめていて、一週間たち昨日サビを剥がしてみると、かさぶたが取れてしまい、また一から治すという状態になっていました。
本当に絶望しました。
以前も足の甲に傷ができて、その時はかなり大きい傷になってしまい、足もかなり腫れて、毎朝立つと激痛で、昼間も寝ている時も痛く、あの時は本当に家から出られないので、
家から出られないが治りもしない、治す方法もわからない、あの時は本当に絶望していました。
今回はサビを張ればすぐ治ると思っていたのですが、前回以上に長い時間がかかっています。
話は変わります。
ドジャースの大谷が通訳の窃盗に遭い、しかも嘘をつかれ、ニッチャムからのこそがなツアーストに裏切られたという形になりました。
ニッチャムの親情なんかも何十億を盗まれ、手元には何千万かしか残らないという親しくしていた人に裏切られたということがありましたが、
その親情なんかの話を聞いていると、人生何が起こるかわからないし、自分なんかは、もし絶望に当てになかったら何とか仕事をできていたかもしれないと考えることがあるのですが、
しかもそれと今の引きこもりの現実とは大変距離があるように感じてしまいましたが、その二つの事実は単純に距離で、遠い近いで表せるものではないと思い始めました。
簡単に言ってしまうと、ちょっとしたうつ病になるかならないかで、ちょっとしたことで仕事ができていたかもしれないという全く別の現実になっていたと考えていますが、
例えば道路で歩いていて風が吹いたので右にまかったということと同じだと思います。つまり、今の話のどこを切り取ってもだからなんだといった感じなのです。
今日は高校生編です。高校生時代のトラウマや事件を話していきたいと思います。
さあということで、まずは勉強の話ですが、家庭科は相変わらず高校でもダメでしたね。集団で何かを作るというのは自分には不可能なようです。
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パソコンもダメでした。情報の時間、キーボードを打つのもクラスの中でだいぶ遅い方ですし、あれは不思議ですね。自分はパソコンを持っているしパソコンをあまり使わないという人もいるはずなのに、なぜか自分が遅いのです。
あと苦手意識も強かったですね。離れる意識の問題だけないのですが、持てるはずもありません。何かしら苦手だと感じる大きな要因があるはずです。
書道の時間は褒められて、以前も話しましたが、教室に語られることが何度もありました。書道家に褒められていたので、これは少し誇りに思っています。
君、間密を知っているか?と言われました。少し知っています。影響は全く受けていないとも言い切れません。とその時言えばよかったなぁと思っています。何か味があったんじゃないかと思っています。それでそうやって先生が言ってきたのではないかと思っています。
バカ旦先生は表裏一体と言いますが、学生時代、五行科全ての先生から自画自賛と言われてきました。ただ、書道の才能はあるはずもないので、今考えてみるとなぜ褒められていたのかと不思議に思います。体育は相変わらず、できるものとできないものの差が激しかったです。サッカーなんかは全くダメといった感じですね。
よく二十歳以上の方に、コートでやるような競技は空間能力がないのでできないと言われていますが、バスケットなんかも難しかったです。ドリブルシュートなんかは得意な方なのですが、パスを渡してもらったり、上手いところに走っていったり、それが他の人は感覚で素人でもできるのですが、自分はできません。
ただ、バスケットは見るのは好きでした。ヒップホップが好きだったので、NBAに興味があったからです。バスケットは見るのは好きでよく見てたまに見ていたのですが、やるとなると全然ダメでした。バレーなんかもダメですね。バレーボールも苦手でした。
以前も話しましたが、スキーは得意でした。空いた反復作業なんかは、反復するようなものは得意なのかもしれません。ただ、水泳はダメでした。
次に部活動の話です。自分は卓球部だったのですが、中学校に引き続き、卓球部は地味なイメージがあるかもしれませんが、先輩はスタイルも良く2枚目という人が多かったです。同級生は皆2枚目ばかりでした。今考えても不思議です。
部活動紹介の時に憧れるような先輩たちばかりで、全く中学校の時の卓球部とは別次元といった感じで、それで引かれていくと、そこにとても美人な女性の先輩がいて、もうその時には入ろうと決断していました。
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ただ、その先輩はとても怖い先輩で、3年生がいなくなって、次の日に自分が柔道部が練習終わった後に片付けていて、もう終わったと思っていると、自分の名前を覚えられ、まだ終わっても自分の名前ともう一人の名前を覚えられ、かなり皆の前で酷い怒られ方をしました。
その日、親と一緒に久しぶりに外食をしたのですが、完全にうつ病みたいな落ち込み方をしていた記憶があります。その日以来何週間かずっとそんな状態でした。
中学生の時もそうですが、生意気だと思われていたのか何なのか、最初先輩たちからあまり良い印象を持ってもらえていないなという感じでした。
ところがなぜか、その先輩に怒られたタイミングあたりから、なぜか先輩たち皆がとても優しくしてくれて、同級生は自分によく話しかけてくれ、中心人物のような状態でした。
中心人物と言うとフロントで引っ張っていくというイメージがありますが、もっと良い雰囲気で接してくれました。好印象をとにかく持ってくれているという感じです。
ところが順調に見えたものの、ダブルスで組んでいる部員がだいぶ性格に問題のある人で、自分がミスをするためにいつもおかしな怒り方をしてきます。
ダブルスの相手というかスポーツシップのだいぶ欠落した人で、相手に腹が立った時も相手にボールをぶつけたり、これは後輩に対してもそうします。後輩の女子に対してボールをぶつけたり、
一度その人が部活の着替える部屋から出て、それが試合後で怒っていたせいか、自分にぶつかってきても、ぶつかったのに虫さえ余らないで、部室を出ていったということがありました。本当に人として問題のある人でした。
いろいろとらえまいもあります。自分が先輩を応援していた時に、ちゃんと声を出して応援していたのだけれども、拍手をしていなくて、拍手をちゃんとしろと怒ってきました。ちゃんと応援しろなら理解できますが、なぜかどうでもいい細かいところにこだわるわけのわからない怒り方をしてきました。理不尽な怒り方をしてきました。何か他の人たちが応援の仕方をしているのが気に食わなかったのでしょう。
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その人とダブル組んでいて、ストレスがたまってしまい、うつ病になる原因になりました。
自分は11月頃だと記憶しているのですが、そのあたりからうつ病がひどくなり、それ以前からうつ病の傾向がありました。
ひこもりになった原因ではありませんが、大きな火事を切ってしまったのがその頃だと考えています。
進路に悩んだり、勉強もうまくいかず、宗教と部活で学校に通う距離も長く、それで忙しくうつ病になったのかなと思っていました。
ただ最近、思ってもいなかった事実が発覚しました。
母親から、自分が高校生時代は腹痛がひどいと言っていて、元安倍首相がかようせい大腸炎という難病で、それだったらしいがそれなんじゃないかと言われていて、
最近調べてみると、自分は完全にその病気である可能性があるのだと今は確信しています。
一つの症状として、倦怠感というのがあるのですが、この倦怠感が高1の時に出てきたのと、腹痛になり始めた時期が重なるのです。
今までは、うつ病がきっかけで引きこもりになったと考えていましたが、難病が原因で勉強も回らなくなり、引きこもりになってしまったという人生の見え方が全く変わってしまったのです。
高校でもお世話になった先輩に、練習もっとちゃんとやるように強く当たってしまったことがあり、本当に後悔しています。
なぜか自分はお世話になった人や、よくしてくれた人に嫌な思いをさせてしまうという、何とも自分の人生はバランスの取れない人生です。
同級生とはもう一つ今に似たトラウマがありました。
同級生の部員と、球場に野球に見に行くことなり、吉野家の割るべき剣をくれたり、球場の剣を取ってくれたりしたのですが、自分は方向音痴なので球場まで行けたのもその人のおかげです。
自分はJRの剣を取ったりするのもかなり苦手です。空間能力以外にもかなり問題があります。
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そんな感じで、その人のおかげで球場まで行けました。
ある男性二人組が球場の中に入るところで、職員の人と話していて、A席と交換して、僕らの他の内野席より格上の高い席なんですが、そこと交換しないかと言ってきました。
A席に行くとバックネット裏なのですが、誰も応援している人がいなく、自分は球場で応援するのが好きだったので、一人で応援していたり周りが応援していないのに応援に混じりたくて外野席まで行ったりして、その人を怒らせてしまいました。
あれは本当にトラウマになっています。
高1から宗教の会員になり、毎週宗教の集いに通うようになりました。
自分の地元に派遣されてきていた職員の人が、これはトラウマとなる事件の一つなのですが、自分に対して、大学で何を学びたいんだと言ってきたので、文学部で言語学に関して興味があります。
それに似たようなことを言ったのですが、目的意識を持つことが大事だというような、あまり覚えていないのですが、そのようなアドバイスをしてきました。
勘のいい人なら今の会話はおかしいのがわかるはずです。
あくまでもどのような学びをしたいかと言ってきたので、そのまんま文学部に行き言語学をこういう理由で学びたいと言っただけです。
的確に質問されたことに対して答えただけの話です。
確かに自分よりだいぶ年下の若い人が何を学びたいと自分が質問したときに、数学科に行き、フルヘルマの最終定理の前半部分が自分は非常に関心が惹かれてとか話し出したら、何か生意気な感じがして、とは思いますが、
このとき相手は何を学びたいかと聞いてきたから、こういうことを学びたいとそのまま答えただけです。
それに対してそれも大事だが、こうだというのは、これも大事だというのはおかしな話です。
ジュースを買ってきてくれと言われ、ジュースを買って行ったら、ジュースを買うときは普通ジュースとパンを買うだろうという、へんてこりんな会話をしているようなものです。
続いてクラスメイトとはどうだったかという話ですが、まず一番初めの授業の前に入学してすぐ、自分のいとこの子供と似ている女子がいて、後ろを見てくるたんびに、何でこんなに似ているかと思い、不思議で不思議で、しばらく見ていたら、女子二人でちらちらこっちを見ながら、何か話をしていました。
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何か嫌そうにしているのを見てきているよというような感じで多分話していたと思うのですが、言われたのを思い出しました。入学して早々です。
父親もそうなのですが、一番目線の行くところが何かおかしいようです。
他にもバスで乗っていると、こちらをちらちら見てくる人がいて、何だろうと思い、見てくるたんびにその人を見ていたら、バスで降りるときに、多分自分のことを指して言っているのですが、
何か悪い噂をしている、何人かでしているということがありました。
ただ一つ言えるのは、目線が合うということは、そちらもこちらを見ているのだから合うわけであって、と言えます。
それを言ってやりたかったです。ただ父親はもっと自分よりもその傾向はひどいです。
あるとき、自分の女子の先輩を出し合い中、逆席からずっと見ていたということがあり、先輩がすごい嫌そうにしていたことがありました。
しかし嫌そうにしているにも関わらずずっと見ていて、多分嫌そうにしているという人の感情がわからないのでしょう。
これは目線の問題ではないですね。その目を見られていたら気になるということがわからないのでしょう。
自分の学校は、新学校なんですが、講習が、受験生はみんな講習を受けていました。
普通そんなことはないですよね、新学校で。自分で参考書で勉強するのが普通だと思います。
講習をわざわざ受けるなんてことは、多少はあっても、ひたすら講習ばかり受けているというような受験生はいないと思います。
自分は勉強本の本を読んでいて、そんなことは後編さちの受験生はしないとわかっていたので、
講習を2年のあたりから受けなくなると、自分のやっていることを否定されたように感じたのか、
クラスメイトから嫌っているような態度を示すようになっていることに気づきました。
勝手に被害者意識を持って、勝手にそのようにしているのです。
自分は授業を受けるのも嫌でした。主体的に勉強するわけじゃないから眠くなるし、
効率も悪いし、自分一人で勉強している方がずっと効率も良いですし、主体的に勉強ができます。
こんな講習を何回受けても、偏差値が上がるわけがないということがわからないのがどうも不思議で不思議で、
馬鹿な奴らだなと思っていました。
自称新学校なのでしょうがありませんが、本当の新学校はこんなことしていないぞと言ってやりたかったです。
クラスメイトで印象に残っている一人目は、自分の後ろの席の人です。
野球部を1年の最初の頃にすぐ辞めてしまった人です。
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その人にはノートを貸してあげたり、音楽の趣味があったのでダンスのDVDを貸してあげたりしていました。
しかしある時筋トレについて話をしていると、不快に感じたのかスタスタと先に歩いていってしまったことがありました。
確かに少し上から目線になって気分を損ねたのはわかりますが、ちなみにそれは卒業間近の話です。
卒業式の後に自分が話している声が聞こえたのか、その直後に急にすごい勢いで横に曲がるということがありました。
これは説明が難しいのですが、こういったことは過去にはない他にありません。
自分の入学してすぐの前に座っていた男子はバスケ部でチャラチャラした感じで見えますが、自分に話しかけてくれてすごい優しい人でした。
なぜか自分によく話しかけてくれていました。
それなのにその人に対して不快な思いをさせてしまったことが何度かあります。
お前も文系にしたらと言われたことがあります。
それが不思議なことで、進路で悩んでいることを知っていたのかと思いますが、ただそれは誰に聞いたのか、察してくれたのか、
担任が自分が休んでいる時にみんなにそれを説明したのか、でもそんなことはないと思うし、
実に不思議ですがそうやって言ってくれたり、もしかしたら別に進路に悩んでいるからということではなく、
なんとなく言ったのかもしれませんが、
あと卒業式の前に廊下で並んでいると、
アパートも決めたんだと言っていて、早いねと自分が言ってしまい、別にいいじゃんと言ってきました。
多分不快にさせてしまったのでしょう。
そこまで不快にさせるような、相手の感情を読めないような発言とも思えないのですが、とはいえすごいトラウマになっています。
今までの会でも話してきたように、お世話になった人やよくしてくれた人に対しては不快な思いをさせてしまい、
自分に嫌がらせをさせてきた人や理不尽なことを言ってきた人に対してはそのようなことはないという、本当にバランスの取れない人生です。
単に運が悪かっただけか、自分の性格に偏りがあってそうなってしまうのかは分かりません。
同じ卓球部の部員が一人いましたが、同じ部員なので、移動教師の時とか一緒に行ったり、修学旅行や行事で一緒にいましたが、自分は嫌いでした。
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中学生の時も同じ部員の人がクラスにいて、しょうがなく仲良くしていましたが、嫌いでした。
中学の時とはまた違う嫌な感じの奴でした。相手の感情が分からないというか、変な奴でしたね。
何か嫌な思いをさせてしまったのか、急に爪を立てて手に押し付けてきたり、
クラスで嫌われてる人がいて、お前隣になれと自分のとこに押し合ってきたり、
自分の高校の野球部の応援の日だったのですが、その時は本当に腹が立ち、
自分と隣の人がスタンドで前に移動することになり、前にその部員がいたのですが、
押し抜けて座ったり、帰りにそれまで嫌がらせしてきたのに、
多分はほぼ無意識だと思いますが、それなのに帰りは自転車で帰っていると自分についてきました。
それまで嫌がらせしていたくせに、いい顔してついてきて、腹が立ち、大声で怒鳴りました。
何て言ったのかは覚えていません。
一人すごい幼稚な奴がいました。これが印象に残っている3人目ですが、
ホテルで夕食、たくさんチーズだったか、バターを包んだもの、紙で包んだものだったかを大量に持ってきたり、
そういった子供みたいな奴なのですが、何とも言い難いのですが、
そういった奴がクラスでまかり通っているというか、嫌われるのでもなく、
その奴と一緒の環境にいなきゃいけない事実というか、何ともそれが嫌でした。
クラスに一人発達障害だと思うのですが、一人変わっている人がいて、付属の小学校から上がっていて、
付属の小学校に入った理由はおむつが取れないからだと言っていましたが、
そういう話からも分かるように多分発達障害だと思いますが、
一度学校に来れなくなり、先生は全員を卒業させたいと思っているという先生の熱意もあり、
何とかその人は卒業できましたが、常に男子からも女子からも嫌われていました。
修学旅行で同じ班だったのですが、
お前の部屋で今日はあいつお前の部屋に連れてってくれないかと言われましたが、
特に何も言わず断りました。
ただ、頭はすごい良かったです。
家庭科の時間、春の七草がゆうを聞かれ、突然、ぺらぺらと一瞬で答えてしまいました。
多分、記憶力はかなりあると思います。
ある信仰宗教に入っていて、部活や体育の柔道をできないという人がしておりました。
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本当にそれ、雰囲気も性格もいい奴なのですが、
自分に対して不満が少しあったようで、少しかは分かりませんが、
学校祭の時に廊下で遠くにいたのですが、自分を睨んできたり、
部活動紹介の時に自分が部活に入れないので不快な思いをしているのは分かりますが、
自分が部活動紹介が終わると、もう帰ってきていいの?という、
論理的にはちょっと意味が通じないですが、多分、何か腹痛をした方のでしょう。
いい気になっているという思いや、自分が部活に入れないという思いや、
まあ、いろんな複雑な思いがあったのだと思います。
一人、ある時期から自分にすごいよく話しかけてくれる人がいて、
ただ1年の時にソフトボールの時に、ソフトボール大会で、
ずいぶん自分にあいつ調子悪いなとか、悪く言ってくる人がいたのですが、
何がきっかけで変わったのかというと、
自分は医療系の進路を目指しているのですが、その人も臨床検査実施を目指すということで、
そういうこともあり、よく話していました。
今話したソフトボール大会で、なぜそのように嫌なことを言ってきたのか、
はっきり思い出せないのですが、多分その人がセカンドを守っていて、
自分がそれに気づかずというか、無神経だったというか、
自分がセカンドに行ってしまい、多分それで、
不快にさせたんじゃないかなとか、いろいろ思い出しているのですが、
いまいちピンとした答えは出てきません。
自分の前の前の席の人は、
親が勉強に対して厳しいという人がいました。
どこの大学にいたのか知りませんでしたが、かなり頭良かったです。
1年の頃、大学に行って、
自分は学校祭で特に何かの班に入らなかったので、
その人と一緒に放課後一緒にいたりしました。
が、ある時から自分に対してひどく当たるようになりました。
ある時、物理の時間で、物理2を当時やっていたのですが、
先生から物理2をやらない人に対してプリントが出てきていて、
自分が物理2をやらない人に対して、
物理2の授業を受けていないことがわかったのでしょう。
別に自分に対してではないのですが、
ある物理2をやっていない人に対して探求心がないのかと言っていました。
話は省略しますが、自分に対して言っていたのは間違いありません。
さすがの自分でもそれはわかります。
思い当たるところははっきりあり、
その人以外も自分はあまりよく思われていませんでした。
なぜかというと、受験生はみんな講習を受けるのですが、
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自分はそれは効率的に悪いし、
高い偏差値の受験生はそんなことするわけがない、
そんな学校を聞いたことがない、というふうに思っていたからです。
実際そうだと思います。
人と違うことをするのが嫌いな日本人ですが、
それも典型的な例でしょう。
とにかく言われる筋合いはありません。
しかもこの場合は、明らかに世間の受験生と比較すると、
常識的に言ってあちらのことはだいぶ偏ったやり方をしています。
薬学部に行こうとしましたが、
旧邸大の薬学部に行き、薬剤師になるという人は
いなく研究者になる人が多いようなので、
わざわざ薬学部に行く必要もないなと思い、
薬学部自体は辞めました。
理学療法士は私学部よりも旧邸大なんかだと偏差値が高いところがあり、
普通はそれを避けるはずですが、
自分はより難しいことをしたいので、
そういうのに対しては逆にやる気がみなぎってきます。
というか、理学療法士の進路に進もうという思いが
より一層強くなりました。
文系の方も考えていました。
英語を高校で勉強しているうちに、
言語学に対して興味が出てきて、
言語について深く考えたいなと思い、
文学部も考えていました。
大学のホームページを見ていて、
法学部なんかも魅力的だなという思いになったり、
もちろん大学に行かないという選択肢もありました。
非常に進路についた高校時代を悩んでいました。
今日この1回ではとても話せる内容ではありません。
とても長くなると思うので、またいつか話したいと思います。
さあ始まりました。皿飯のコーナーです。
あ、間違えました。ひき飯のコーナーです。
ひきこもり経験者はわかるかと思いますが、
家から出ないと日々の生活の中で変化するのは
食事のみです。
なので食事、今日食べたものを紹介して
1コーナーを作りました。
今朝の朝食はお好み焼きみたいなものなんですが、
澱粉と大根おろしとちくわとネギとハンペンを焼いたものです。
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これが大根おろしが入っていることによって非常に美味しいんです。
ハンペンを最近入れてくれているので、これで劇的に美味しくなりました。
ちくわもすごく美味しいし、ぜひ試してほしいです。
あとレーバーですね。牛乳につけておいて出してくるのですが、
レーバーは昔から好きです。
澱粉をつけて焼いたのも好きだし、
外でバーベキューをして口に刺さったレーバーを食べるのも好きでした。
レバリニャンなんかも好きです。
エンディングです。
小中高と振り返ってきましたが、
家族関係のことで一つやはり心に強く残っているのが、
自分は父親に対してあまり話しかけたり遊んでほしいと要求することがなかったんですよね。
かといって母親に対してよく話しかけていたという記憶もありません。
自分は人に対して愛着がないです。
親に対してもここまでかというほど愛着は振り返ってみてもないんですよね。
ただ愛着を生むの以前に父親は自分にとって宇宙人のような存在で、
どう話しかけていいのかわからないというか、
そもそも関わらうという気がなかったんじゃないかと思います。
そんな嫌いなわけでもなかったと記憶しています。
他にも宗教での高校時代の話や、
他のクラスの同じ部員だった人の話や、
他にも話すことがいろいろありましたが、
後日話そうと思います。
ではありがとうございました。
35:06

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