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ポイエティーク
こんにちは、ポイエティークRADIOです。本日も引き続き、オムラ寺との合同企画、二人のデカメロンということで、お相手は、私柿内正午とこの方です。
オムラ寺の革命児、青木です。どうもです。
どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回、前回っていうか、第1回、第1夜か。第1夜、やっぱりなんていうのかな、すげえ硬いなって自分でも思ったっていうのと、硬いのか、それともその単にやっぱり寝起きで頭回ってなかったなっていうのがすげえあって、とはいえ。
寝起きでしたからね、仕事終わりに疲れて寝ちゃって。
そうそう、そうそう。っていうんでね、今日も仕事終わりで疲れてはいるんですが。
でもこの万全の体勢じゃないっていうのがいいですよね。
今日の録音も30分、もともとの予定の時間より30分遅く始まってて、青木さんがギリギリまでお仕事をされてたっていう。
そうなんですよ。
いや、だから万全の状態とは何かっていうことですよ。
そうですね。
ほんとに、なんか、まあね、よく言うことだけど、ほら、スポーツとかでも、なんか本番の前にちょっとアップとかするじゃないですか。
はいはいはい。
アップって、なんていうんだろう、その数値的に見たら、数値的にって何の数値かわかんないけど、その体力ゲージから見たら、
はいはい。
その体力ゲージが100の状態で本番を迎えた方がいい気はするけども、このアップって何っていうか、ちょっとよくわかんなくなんないですか。
うんうん。
なんで本番の前に動いて体力ゲージを減らしちゃうのっていう。
はいはいはい。
そう思った時も、僕は中学生ぐらいの時にあって、だからアップとか準備体操とかしない方がいいんだと。
そうですね。
そうそうって思ってたけど、でもなんていうのかな、体を適度に温めておく方が本来のポテンシャルが出るんだとかね。
あとその、なんていうかな、硬さが取れるんだとか、なんかいろんな言い方があるんだと思うんだけど。
そうですね。
結構あれですよ、お芝居も僕がやってた時とかは、本番始まる前、お客さん入れる前に舞台上で、それこそアップだって言って、
ガンガンにこう大きい音で音楽をかけて、みんなでリアルな大きい声を出したり、大きく動いたりして体を温めてテンション上げてから本番に挑むみたいなことをそういえばしてたので、
実はそうやって温めるのが温めるので大事なのかもなっていう気も確かに分かりつつも、
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なんかそれとは別で、そもそも体力がないから、ない体力をなるべく節約したいなとか、
あとそもそもどっちにせよその100%の力を出し切れるみたいなパフォーマンスすることそんなにないし、
どっちかというと100%じゃない中でどれだけやれるかを工夫していくのが、それこそスポーツとかではない世界でのやり方だなぁみたいなのは思いますよね。
でもやっぱり基本的に、たぶん我々のスタンスというか立ち位置としては、有限性っていうのがポイントだと思うんですよ。
そうですね。
限りがあるぞっていう。
で、僕はもう本当に特になんて言ったらいいのかな、やっぱりいわゆる元気であるっていう、これは結構クセモノで、
元気だと思ってるんだけど、これってなんか分かんないけど疲れていたりして、揚げ物が食べたくなっているだけであったりとか、
分かんないんですよ、この元気とか万全っていうのが。
一つだけ言えるのは、元気とか万全っていうのはいわゆる無限なんじゃないかっていう、自分に無限の何かを感じてしまうと、
脳内物質的に何か出てたりして、高揚感があるんだけども、
でも多分僕ら的にはそれってあんまり良くないことで、有限性をベースにしている、僕らとしては。
っていうことを思った時に、やっぱり適度に疲れていたりとか、なんかどっか不調を感じているぐらいの方が、
僕らなりのちょうどいい感じにはなるのかなっていう。
そうですね、それはあるかもしれないですね。
あと、なかなか喋ってると喋れちゃうっていうのもありますからね。
元気いっぱいで喋る時より、むしろちょっと落ち着いて無意識にブレーキかかってた方が、
なんとなく話としてはまとまりやすいみたいなところもあるかもしれない。
そうなんですよ。
いやー、気はしますが。
気はします。
第1夜、第2夜を、それぞれポエティフとオムラジとで配信をして、
早速ですね、お便りが来てまして。
これがポエティフとしてはかなり異様なペースで来てますね、これは。
ほんと、もうオムラジとしては通常運行ですよ。
なんでポエティフばっかり来るのかね。
でも多分それお便り読むと分かると思いますよ。
そういうことかっていうの。
いや、1通は知ってます。
そうですよね。
今回3通お便り来てて、1通はちょっと、
多分1通はでも、僕が多分1ヶ月ぐらいもしかしたら気づかないでいたやつで、
特にこの2人のデカメロイン始める前に来てたやつが、
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そっかそっか。
もしかしたらっていうのがあるんですけど、
もう2通は、青木さんもご存じのやつも含めて、
この2人のデカメロインに対してのお便りをいただいて。
あら、まあありがたいですね。
そうですね、まずなんでそれを紹介しつつでやっていけたらなと思うんですけど、
まずちょっと1通目は2人のデカメロインの関係がないという、
ポエティクラジオには今週の不定周測っていうコーナーがあると、
今週どんなふうに具合が悪かったかっていうのを教えてもらうコーナーに1個いただいていて、
ラジオネームまめさんからのお便りで、
これ本当にもう一言だけこの今週の不定周測のコーナーに書いていただいてるんですけど、
どこまでが副反応なの?っていう一言だけお便りをいただいていて、
ちょうど僕も、その前の先週末かな、
やっとワクチンの1回目が打てたんですけど、
なんかその具合悪くなるぞっていうのをいろいろ聞いてたから怖かったんですけど、
それこそやっぱり普段から具合が悪いから、
どこまで副反応かあんまりわからなかったんですよね。
なんかいつもこのぐらいの天気の悪さだと頭痛くなるんだけど、
なんかこの頭の痛さはどっちなんだろうなみたいなのも結構わかんなくて、
なので確かに普段元気な人の方がそういうギャップに結構わかりやすさがあるのかなっていうの。
いやだからそうだと思うよ、今回の若干話を大きくしますけど、
今回のコロナに関していかにやっぱり世の中が元気な人ベースでできてるかっていうのがすごいわかったよね。
そうですね。
知ってたけどさ、知ってたけどやっぱねっていうか、
だからその経済の在り方っていうのもいかに人が集中して、
そのキャパオーバーでしょ。
いわゆるキャパオーバーを起こすことによってお金が儲かったりとか、
トレンドが生まれたりとかしてるわけで、
やっぱりちょうど良さを求めるっていう世の中じゃないわけですよね。
だからやっぱり主反応、副反応っていうことなのかわかんないけど、
普段元気であって、その人は今回の場合はワクチンを打つことによって、
副反応という何か反応が起きて具合が悪くなるというのがやっぱり定石っていうかだったわけで、
最初から具合の悪い人っていうのは、いかにこの世の中において想定されてないかっていうことがわかりましたね。
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本当に。だから体は大事にしようみたいなことを、やっぱり元気な人たちだけが言ってもあまり変わらなくて、
元気な人たちも含めて元気じゃなくなるっていう可能性が生まれたときに、
ようやく基本設定があんまり元気ないっていう人たちにも生きやすいあり方っていうのが、
ちょっと考えられるような素地が整ってきてるのかなっていうのは思うところでありますよね。
本当ね、良くも悪くも、良くも悪くもっていうか、僕はいいと思ってるんだけど、
例えばその前にね、ポイエティックで奥さんかな、が言ってたのがやっぱりそのほら、
こういう口頭のコミュニケーションじゃなくて、チャットとかそういう文字ベースのコミュニケーションの方がコミュニケーションしやすいんだっていう話があったと思うんだけど、
それって今までの対面を、対面というか直接会うっていうことを前提にしたコミュニケーションって、
やっぱり必然的にその口頭のコミュニケーションが常識というか当たり前だったと思うんだけど、
今回のようにこういうオンラインとかっていうのがコミュニケーションの方法として認められてきたら、
ここでも口頭ってもそうだけど、チャットでもね、文字ベースのこともできるし、あとはリアルタイムで音声認識で下に文字出すっていうね、
そういうのも今テレビってね、結構なんだろうな、耳が、もともとは耳が聞こえない方のために、
テロップを出してたんだろうけど、字幕で出してたんだけど、あれだって、僕はそうだけど字幕出た方がやっぱり見やすいもんね、
そうですね、 って思うし、
っていうのがあったりするので、そういうコミュニケーションのあり方がなんかまあ多様になったというか、今まであった、今まではあって、
それがさっきの元気とか、元気じゃないっていうのもあるんだけど、なんかメインがあってサブがあったっていう世の中だったのが、
これがまあメインとサブっていうのはちょっと同列になってきて、
っていう感じかな、
どっちが偉いとか、どっちの方が効果があるみたいなのがなくなってきたから、
元から何か困ってた人たちにとっては、多少過ごしやすくなった部分っていうのも、少なくはないんだろうなっていうのは、
実際それは感じます。
と思いますね。
ところで、まめさんありがとうございます。
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ありがとうございます。不定収束について僕ちょっと言いたかったことがあっていいですか?
はいはいはい、どうぞどうぞ。不定収束についてね。またちょっと大きいですね。
いやそうそう、不定収束って聞いたことあるけど、
ポイエティックで今週の不定収束ってコーナーやってたから、
不定収束、不定収束と思って、そしたらなんか不定収束ってあんまり明確な原因がわかんないけど、
なんか具合悪いなみたいなことよね。
だからやっぱり何でしょうね、
これもまた語弊がある言い方になるかもしれないけど、
女性が30代になると、スピリチュアルにハマりがちっていう話をちょっと聞いたことがあって、
それってやっぱり一種の不定収束が原因なんじゃないかなっていうね。
それこそだからおじさんとかも高年期あたりでスピリチュアルというか、
首に、手首にじゅずまいたりするじゃないですか。
あれもだからそういう不定収束もありますよ。
そうだよね。で、ネトウヨとかも不定収束じゃないかと思って。
それはすごい思います。
症状がつかないと本来人は不安なんですよ。
なんでこんなに具合悪いのかなっていうことに対して、
はっきりと何かこれが原因なんじゃないかっていうのを見つけたくなっちゃうっていうところで、
そういういろんな良くない在り方も含めて受け皿になっちゃってるんだと思うんですけど、
それは分かんないものなんだっていうところで、
10歳の人から不定収束って言ってしまった方が、
ある程度分かんないんだっていうままで括弧に入れちゃった方が、
割とヘルシーなんじゃないのかなっていうのは結構常々思いますね。
だから、僕らもそうだし、
町から村に引っ越したんですよね。
移住したんですとかって言うと、
なんていうのかな、そんな不便なところに行ったんですね。
そう言われてしまう時点で、町から村に引っ越すっていうことが、
マイナスの価値として語られているわけですよね。
不定収束も、原因はよくわかんないんですけど不調でとかって言うと、
それイコールマイナスであることとかね。
あとちょっと体が弱くて、それイコールマイナスであるっていう。
でも僕らってちょっとそこはイコールマイナスじゃなくて、
もうちょっと価値中立的にっていうかな。
それって文脈によってプラスにもなるしマイナスにもなるよっていうこととして、
言葉使ってるじゃないですか。
そうですね。
だから僕はそれがすごく面白いというか、不定収束だけど、
こういうのあるよねみたいなことを言うことによって、
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一人で抱え込んでたらマイナスにしかならないものを、
ちょっとその文脈を変えるというか場所を変えることによって、
不定収束っていうのが人と人を結びつけたりとか、
安心材料に、不定収束が安心材料になるなんてことはありえないわけじゃなくて。
はいはい。
そうです。
っていうので、僕ら不定収束っていうのを聞いて、
不定収束ってすげえなっていうのもあるし、
今週の不定収束のコーナー、面白いななっていうのは思ったっていう話でございました。
嬉しいですね。
ありがとうございます。それすごい嬉しいです。
不定収束のコーナーってそういう、もちろん具合悪くて嫌だねっていうのが元にはあるんですけど、
それだけで終わらずにというか、
今週はこんな風に具合が悪かったっていうのを言う場所があって、
そこで言った時にそれに過度に同情するでも同情するでもなく、
うちはこんな感じでしたよって言い合えるっていう、
ある意味ちゃんと成り立ってないコミュニケーションであっても、
そういうちょっと困ったこととかちょっとおかしかったことを、
ポンと置いておける場所みたいなのがあったら、
結構それだけで気楽になるんだよなみたいなのが、
始めるときに思ってたところなので、
結構だからその不定収束についての今のお話はすごい狙いがちゃんと伝わってて、
嬉しいなって感じです。
ラジオ自体がね、僕は病院の待合室みたいなもんだと思ってるので、
そうですね、そう思います。
そういう意味では今週の不定収束のコーナーはもうバッチリラジオの本質だなって。
やっぱり病院の待合室は基本的にどっちかというとやっぱり年取ってからの方が楽しくなるじゃないですか、
同年代の人たちと私こんな風に具合悪いのよってできるんですけど、
ラジオだったらそういう病院に普段は用がない、
それこそ病院に行くほどではない不定収束を抱えた人たちが、
そういう病院の待合室もおじいちゃんおばあちゃんみたいな話ができるっていう可能性を秘めてるなと思っているので、
そういう風になれたらいいですね。
そう、なんかね、僕がそういう風に思ったのは、
国丸ジャパンっていう文化放送のラジオをチラッと聞いたときに、
国丸さんっていう人がいて、
国丸さんがね、最初のところに、
病気ご療養中の方、こんにちはみたいなこと言うんですよ。
ラジオの前のっていうね。
確かにラジオを聞く人って、
なんて言うんだろうな、
ちょっと病気ご療養中の方の要素あるよなって。
確かに、本読んだりとか何か別のことができないで、
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他のことしながら耳だけは何とか開いてるみたいな状況になると、
確かに療養中とか作業中とかっていうのはよくありそうですね。
そうなんですよ。
だからなんかね、ラジオの本質って療養っていうのとすごいなんか、
密接なんじゃないかなっていうところが、
それは思ってますね。
なるほど。
はい、というわけでちょっとお便りを。
モーニング2がですね、それこそ今回の2人のデカメロンのために当ててのお便りですので、
まず1個目から紹介していきたいと思います。
ラジオネームマスクさんから。
あれ?
ちょっとどっかで聞いたような。
このボケをね、分かる人っていうのはどれだけいるのかっていう話ですが。
ありがとうございます。
ありがとうございます、マスクさん。
2人のデカメロン第1回楽しく聞きました。
打ち合わせなしでもポンポン話題が飛び出す感じで、
2人ともスマートやなぁと感じました。
何かを話すことは他方の何かを話さないことでもあるんじゃないかと思います。
お2人は話さないことで何か意識している部分はありますか?
ラジオに限らず広くおしゃべりの中のことでも大丈夫です。
というので、もう1つ、暑いせいか眠るのがすごく難しいです。
おすすめの解眠法などあればぜひ教えてください。
っていうご質問も含めてお便りをいただいております。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、どうですか?
どっちから行こうかな。
暑い時の解眠法に関しては。
かけがえさんは眠れないとかってあるんですか?
僕、のび太くん並みに寝れると思ってたんですけど、
この2年くらいちょっと寝るの下手になりました。
寝つきが悪くなって。
どうしちゃったんだろう?
どうしちゃったんだろうなって思ってるんですけど。
この2年くらい本気でどうやったら寝れるか考えて。
あらま。
それまではほんと、気絶状態?
そうなんですよ。
寝るぞって言ったらそのままスコーンと寝てたんで、
奥さんは結構寝つき悪かったんで、奥さんにすごい羨ましがられてたんですよ。
なんかすぐ寝れて、羨ましいねって。
寝れないからずっとその寝顔を恨めしそうに見てるみたいなこと言われたこともあるんですけど。
最近は僕は逆に恨めしそうに奥さんが寝てるのを見てるから。
そうなんだ。
いや、だからそれ僕がちょっとなんていうかな、恐れてる事態なんですよ。
はいはい。
僕はもう気絶状態で、よく言われるのがそれこそマスクさんとお休みみたいなことを言って、
なんかちょっとね、僕はそういえばとかって話しかけて、
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それってああだよって返答が来たら、もうその辺に対するアンサーは絶対来ないっていう。
あーなるほど、投げかけときながら寝ちゃってる。
っていうぐらいの感じなんですよ。
で、それがずっと続いてるんだけど、だからそれがね、そういう僕がふとこの寝れなくなった時にどうしたらいいかっていう。
だからこの今まで自然とできていたところがね、ふっとスキップとかもそうでしょ。
なんかスキップしようと思いすぎて、スキップまず右足とかって考えだしたらスキップできなくなっちゃう。
そうそう、その自然とやってたことができなくなるんじゃないかという恐怖を抱いているという感じで、現状はもうすぐ寝ちゃう。
なるほど、なるほど。
でも多分僕も同じような状況だったのが寝れなくなってるので、でもやっぱりそれってだから今スキップの話であったみたいに、
意識しちゃうから寝れなくなっちゃってるんですよね。
どうやって自然に寝てたんだろうかっていうのは分かんなくなって、
右足から出すんだっけ、左足から出すんだっけみたいなことを考えだしてると寝れないので、
なるべくそれを考えないで済むようにどうしたらできるかっていうのを工夫していて、
今みたいな暑い時期だととりあえず氷舐めるんですよ。
もう一回諦めて起きて冷凍庫に氷一個口の中に放り込んで、その氷に意識を集中させるんです。
氷が冷たいなとか、だんだんちっちゃくなっていくなとか、それだけを考えて、氷の感覚だけを考えて、
だんだんそれで体も冷えていくし、そこに意識を集中させて、だんだんその刺激も弱くなっていくから、
それによって意識が遠のく導入になったりして、
成功率で言うと3割くらいなんであんまり採用してないけど、今一個やってていいなと思ってる。
でも多分そういう一つのアプローチとしてはそういうことですよね。
そうですね。
だから考えちゃうと眠れなくなるっていう、
それをある種、氷を使うことによってシャットダウンするっていう。
そうですね。
そういうのでどうにかしていくしかないなって思っているので、
これはちょっと本当にいろいろお知恵をみんなに借りたいなっていうところですね。
いろんな人からどうやったらちゃんと寝れるのかっていうのを聞いてみたいな。
でも、確かに。
その研究成果が出たら、不安をどう断ち切るのかっていう。
それでも援養できそうな気がしますね。
不安って常に考えちゃうわけでしょ。
やっぱり自分の自意識というか、そういったものの濃度をどうコントロールしていくかみたいな話に近いと思うんですよ。
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寝るときに考え事をしてたりすると寝れなかったりするので、
頭の中での自分の割合を小さくしていくのかみたいなことを考えていくんだろうなっていうのを考えると、
やっぱり適量スピルのがありかもしれないですよね。
ちょっとその瞑想とかそういう感じで自分は今やってるんだって気持ちになってみたりとかっていうことだけでも、
寝るモードに入ってるんだろうなっていうのは。
僕はだから寝れないっていうのは今のところないから。
うん、羨ましいです。
いやーってみんなから言われるから、寝れなくなる日が来るのが怖いんですよ。
でもあれだ、僕が寝れなくなった理由って絶対に家にずっといるようになってからだと思うんですよ。
コロナ禍になってからってこと?
そうですそうです。だからこれは普通に今の状況が不安だからとかもあるだろうけれども、
単純に運動不足だっていうのが一番大きいと思います。
だからやっぱり家の中でちゃんと体をある程度動かしたりとか、めちゃくちゃ疲れてれば寝れるんだろうなって。
やっぱり体動かしてないと割と頭も動かないので、昼間の間に寝るまでの間になるべく自分のその日の考え事とかも含めて、
結構フル回転させておかないと夜眠くなるので、子どもの寝かしつけと一緒で自分を1日どれだけ遊ばせておけるか。
ちゃんとそこで疲れて、夜スポンと寝れるようにしておくかっていうのは、結構ずっと家にいると管理が大変なんだなっていうふうには思うかもしれません。
そのフル回転は、頭がフル回転でもいいんだ。
それがちょっと僕は、どっちなのかと思っているところで、
例えば僕の尊敬する井上ひかる師匠って書いてあるんですけど、
井上ひかる師はラジオでわーっと喋った。
ラジオで喋ると疲れるんだけど、それは脳の疲れである。
その脳の疲れと釣り合いをとるぐらい体が疲れないと寝れないっていうんで、
TBSラジオから2、3時間かけて歩いて帰るっていうのがあって、
僕それなんとなくわかる気がしてて、
頭をフル回転させて脳が疲れたら、イコール疲れかって言ったら、
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それなんかちょっと違うような気もする。
それは個人差があると思うんです。
やっぱり井上さんと違って僕痩せ型なので、
頭に向けてカロリー消費していくと体にもう残ってないんですよ、エネルギーが。
そういうことか。
そういうのはあるかもしれないですね。
だから痩せて、栄養にあんまり豊富でない体になって、
頭をフル回転させるともうそれだけで体の中のエネルギー量が枯渇して寝れちゃうっていうのはあるかもしれない。
個人差がありすぎる感じですけどね。
なんかいわゆるホワイトカラーとブルーカラーとかいう言い方があるじゃないですか。
頭脳労働をする人、肉体労働をする人。
ありますね。
そんなに心身二元論じゃないんだから、
そうですね。
頭と体ってそんなにパキッと分けられないけど、
でもやっぱり頭を使った仕事をしても疲れないっていうか、
人と、あとやっぱり肉体を使ってた方がいいんだっていう人がいて、
僕らは明らかに頭を使った方が楽だなって思うタイプの人間だと思うんですよ。
だから職業としては、肉体労働はそもそも今の社会のあり方としてホワイトカラー、ほとんどホワイトカラーになっちゃってるっていうところはあるけども、
そもそもやっぱり肉体労働っていうのは選ばないと思うんですよ、僕と加計谷さんは。
そうですね。
だけど、これは前回の話もあるけど、演劇とか、あと僕だったら合気道であるとか、
ちょいちょいやっぱり身体っていうか、肉体っていうか、そこが関わってくることがあるじゃないですか。
そうですね。
たぶんそれって、さっきの寝るっていうことと対照されて考えると、無意識っていうところな気がするんですよ。
だから頭で考えると意識であって、体を動かすってやるとか、寝るっていうのとかって無意識っていうので、
僕は意識を使うのがすごく得意ではあるんだけど、無意識との向き合い方っていうのが、少なくとも僕は合気道するまですげー下手で、
合気道をすることによって、ちょっと無意識との向き合い方っていうのかな、それが少しコントロールできるようになってきて、
ちょっと無意識の部分を必要以上に恐れなくなったというか、それまでは結構自分の体のこととか、いわゆる無意識的な部分のことって、
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もう完全に考えてなかったんですよ。
考えてないうちって、それこそ不定収束的なことが、逆に怖い、すごく怖くて、不定収束がマイナスにしか受け取れないような状態だったんだけど、
僕は合気道を始めて、分かんないことでも自分の中にはあるし、
自分の中だけじゃなくてもそうだけど、寝るとか無意識とかって、無意識っていうものが世の中にはたくさんあるし、自分の中にもたくさんあるし、
だから説明つかないものって世の中にたくさんあるんだなとかっていうのが、合気道をすることによって、
腑に落ちてきたっていう、だからそういう意味で不定収束が怖くなくなった、不定収束的なものが自分にとって怖くなくなったっていうのがあるんですけど、
それは面白いですね。
それはどうでしょう。
でもなんだろう、それその、まさかのメインの質問である、話さないことって何があるかみたいな話と、
ちょっと通ずるところもあるのかなって思ってるんですけど、
なんだろうな、僕はその、僕もやっぱりもともとの自分の持ってる体感って、
その結構バリバリの心身二元論というか、自分の体っていうのは割とロボットみたいな、鉄人28号みたいなもので、
自分っていうのはどっちかというとリモコンで操作している操作者ぐらいの気持ちだったんですよ。
だからその体の不調っていうのはそのまま、そういうロボットの不調だから、
自分とは関係ないけれどもメンテナンスが必要なものみたいな考え方をしてたんですけど、
なんかどうやらそうじゃなくて、僕の体の状態によって考えていることも割と変わってるぞみたいなところに、
でかくしてから、なんていうのか、やっぱりその、物事は全部が全部言語化できるわけじゃないとか、
それは単純に日本語とか英語とかっていうだけじゃなくて、
数式とかも含めた何か記号で定式化できるものだけが物事ではないっていうことを認めざるを得ないなみたいな状況があったときに、
そこでやっぱり話せることって言語化できることだけなので、
どうしてもその話せていることって言語内での整合性っていうのはもちろん立ってくるんですけど、
なんか結構なんだかんだ言いながら、実際困ったりするときとか物事決まったりするときって、
それこそフィーリングじゃないですけど、なんか仲良くなれそうとか、
なんかこのお店は美味しくなさそうとかっていうところで感じる、
そういう体側が先に反応していることに後から無理やり理屈つけてるだけだったりすることが多いなみたいなことはすごい感じていて、
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そこの話さないことは実はあんまりないんですけど、僕の場合。
なんでないかっていうと、ちょっとこれもこの前の話に近いかもしれないですけど、
どんだけ話し尽くそうと思っても全部話せるわけじゃないからというか、
話しているとき、その話している内容の下差になっている根拠って、
実は言葉にできないものでしかないみたいなところを、
なんか割とちゃんと意識しているというかせざるを得ないみたいなところがあるからこそ、
言葉にできる部分に関しては別に全部言葉にしちゃえばいいし、
とはいえそこで無理に言葉にできないところまで言葉にしようとすると、
それこそ不定収束にいちいちその診断名をつけたがったりとか、
それなんかちょっと過度にスピリチュアルにいっちゃったりとか、
っていうような方向に行ってしまうので、
言葉にできるところまではするけれども、できないところを無理やり言葉にしようとすると、
すぐにそういう危うい世界に行ってしまうよっていうところは、
割と意識をして分けているのかなっていうふうに思っていて、
だからなんだろうな、最初の青木さんの質問をだんだん忘れてきましたけど、
僕としては無意識の領域っていうのは、そんなに最初から怖いものとかっていうよりは、
前提としてそれはあるでしょうねっていう感じだったのかなっていう。
でもそのほら、自分が自分の体は鉄人28号的なことで、
っていうそことはそういう考えでは今はないわけじゃないですか。
そうですね。
それはなんでそこで切り替わったかっていうと、
たぶん青木さんにとっての合気道みたいな存在に演劇があったからだと思う。
演劇ってやっぱり僕が理屈こねてても、役者の体が動かなきゃどうにもならないので、
あ、体あるなーみたいな、これは無視できないなーみたいな、そこで分かった感じですかね。
うーん。
やっぱ演じるって、頭だけじゃダメじゃないですか。
どんだけ演技の理屈みたいなのをこねて、これが一番いい演技なんだっていうのは、
自分の頭の中に理論武装できたとしても、
僕がそれ、この体で表現できなかったら、ただの下手くそじゃないですか。
うん。
なんかそこで頭でっかちであることの無意味さみたいなのを、すごい痛感したっていう。
まあねー。
いやー、結構でも残酷ですよね。
あの演劇にしたってそうだし、なんていうんだろうなー。
うーん。
言葉、言葉って、ある種の実質を伴ってなくても、
何度でも言えちゃったりもするし、
何でもできるんじゃないですか。
そうですね。
36:01
書きない称号は、日曜日に空を飛ぶ予定を立てました。
空を飛ぶって、なんか飛行機で飛ぶのかなとか、
まあいろいろ想像はするわけですけど、
でね、いやそうじゃなくて空飛ぶんですって言ったら、
あ、そうなんだって。
まあその空を飛ぶということが、もうそこに出現させられちゃうわけじゃないか。
そうですね。
文字だったらね。
だけど実際にそれをやってみせてくださいよってなったら、
そうならなかったっていう。
ならないかったというか、ならないわけじゃないか。
そうなんですよね。
だから、これはまあ誰だっけな、なんか映画、
それこそライムスター宇多丸さんとかかなとか、
まあ他の人も言ってるんだろうけど、
その小説とか漫画もそうだけどで、
バンドのシーンが出てきたときに、
すごい良い音楽だっていうのが、
まあその文面とか絵から伝わってくるんだけど、
それを実写化したときに、すげえそこで一番がっかりするみたいな。
まあでもそうですね。
実際やらなきゃいけないですからね、それを。
そうそう。
概念としての美しいものは、美しいものって書けば美しいけど。
で、それを具現化したときに、
その美しいものって、いや俺の思ってた美しいものこれじゃないって、
思っちゃうわけじゃない。
そうですね。
思う人が多いから、
だから演劇をね、
どうなんだろう、演劇の批評家っていう人はいるわけで、
その批評家が悪いのかいいのか知らないけど、
いやそれ批評は別にできんだろうとか思う人がいても全然おかしくないというか、
実際にやっぱり演じることと批評することは違うし、
批評は批評でね、誰でもできるかって言ったら全然そんなこともないから、
それはそれとしてもあるんだけど、やっぱり実際にやるって言って、
僕はなんかやっぱりちょっとそこが怖かったですね。
それはすっごく不定習素とか無意識がとかって言うんじゃなくて、
やっぱり自分の力量がもう出ちゃうんでしょ。
そうですね、大したことねえなっていうのが分かっちゃう。
だからやっぱりそこも怖いっていうこともあったんじゃないかな。
そうですね、それで言うとやっぱり今この冒頭で僕らは、
今有限性を大事にしてるっていう話をしてる理由も割とその同じようなところにあると思っていて、
言葉だったらいくらだってどんなことだってできるんだけど、
じゃあ実際自分のこの体でどこまでやれんのっていうところにやっぱり有限性って出てくると思っていて、
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やっぱり言葉だけで使おうと思ったら、
割と無限に近い可能性を誰だって持ってるわけじゃないですか。
そこの言葉上の可能性の無再現な広がりみたいな方ではなくて、
口ではどんだけ立派なことを言っても、
実際やれんのこの程度だよねみたいなところを、
どれだけちゃんと嘘をつかないかみたいなのが大事なとこなのかなみたいなのを思っていて、
だから口先だけで言えることはなるべく言わないでおこうって、
特に文字では書いちゃいますけど、
口で喋るときは自分のこの体から出ているっていう意識が多少文字よりは意識されるので、
ラジオで喋るときとか普通に喋るときはなるべく自分でできないことは言わんとこっていうのは、
やっぱり自分の中では線引きがある気がしますね。
うん、だからそこが結構、
なんで我々は文章を書くだけじゃなくて、
わざわざ音声を配信してるのかとか、
そうですね、まさにそこに繋がってくるんですよね。
なんでね、だって文章だけ書いてたら書いて、できるだけ素情を明かさずやってたら、
その方が多分無限の可能性があるわけですよ。
いやーそうですよ、何だってできちゃいますよね。
そう、にもかかわらずなんか我々は、
わざわざ文章は書いて、音声で配信して、
そしたらね、聞く人が聞いたり、本を読む人が読んだら、
いや、お前全然当たることと言ってること違えじゃねえかとかね、
そのリスクをなんでわざわざ上げてるんだ。
ある意味言ってみれば、なんでわざわざ有限性を自分で獲得しにいってんだっていうことでしょ。
そうですね。
だからなんだろうな、
マスクさんのお便りのことでもそうだけど、
言わないことでしたっけ、言わないこと。
あえて話さないことって何か意識してることありますかって。
話さないことを意識するっていうのは、
なんか僕の中では有限性っていうのにつながってくるのかなと思っていて、
僕は結構話さないことっていうのも、
ちょっともしかしたら解釈というか理解が違うのかもしれないけど、
例えば、トークイベントだったら60分でしょ。
とかね、例えば60分でとか、
オムラジとかポエティックとかもそうかもしれないけど、60分でとか、
僕はやっぱりまずその枠から決めるんですよね。
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枠から決めて、大体枠を意識して、そこから話していくと、
この話題を、
例えば3つの話題を話したいなとかって、
思ってても全然違う風になるんだけど、
でもやっぱりこれをこのまま言っちゃったら、
これで終わっちゃうかもしれないし、
いっぱいふっと思った時に、じゃあこれ話さないでおこう。
それはめっちゃある。
だから文章も、僕は文字数決まってた方がいいんですよ。
そういう意味でツイッターとかにすごくやりやすい。
だけど原稿依頼とかで、好きなだけ書いてくださいとかって言われると、
ちょっとやりにくい。
8000字でとか、8600字でお願いしますとかって言われて、
テーマもある程度決まったりした方が、
やっぱり書きやすいですよね。
その時にやっぱり文章を書いているうちに、
何でしょうね、これもしかしたら、
さっきの意識と無意識の話かもしれないし、
最初のウォーミングアップの話でも繋がるかもしれないけど、
いつの間にか文章が一人歩きする感じがあるじゃないですか。
ありますね。
やっぱりそうなりたくて、
最初のうちは色考えてパパパパって打ってるけど、
だんだんとフワフワフワフワーと、
自分の意識の部分から離れていって、
無意識の部分が出てくる感じがあるじゃないですか。
だけどそこに、
全部無意識の部分に委ねるんじゃなくて、
そこはやめとこうかなとかって、
やっぱり手綱を引くじゃないけど、
そういうのをちょいちょいやってたりするから、
僕それが言わないこととかに繋がってくるなとは思ってます。
面白い。だからやっぱり文字数とか尺の中で、
この制限に収まるものかどうかっていうところで、
収算・選択が入ってくっていう。
僕はそうですね。
それは面白いですね。
そういうのはないですか?
僕その辺なんか思いついたこと全部喋っちゃうので、
こういうテイクとかも、
それこそ40分ぐらいで終わらせるつもりなのにいつも。
そうなんだ。
気づいたらだらだら1時間半とかにしたりするので。
僕はこの歯止め聞いてないです。
確かにだって日記とかも結構、
思いついたこととか、
アウトプットが早いよね、やっぱり。
それはあると思います。
多分オンリーニングさんで前に話したときも話してましたけど、
やっぱりお腹緩いんですよね。
45:00
だからすぐ出てきちゃうんですよね。
そういうところがあるだろうな。
でもそれは一種の特技っていうか。
そうですね。
僕はアウトプットが、
特に文章はすごく遅い。
話すのはどっちかというと早いかな。
早いし楽なので、
だから僕ブログは全然続かないんですよ。
ブログは本当に1週間も続かなくて。
で、オムラジンは8年間くらい続いてる。
すごい続いてる。
続いてるっていう感じですね。
なるほど、なるほど。
あんまり言わないこととか、
あんまり気にしてないですね。
あんまりそれは僕も気にしてないのかな。
言えない、なんていうのかな。
やっぱり今言葉にできてないこととか、
自分の言葉になってないなみたいなことは話さないようにしようとは思いますけど、
それも特に意識的にそうしてるっていうよりは、
それはまだわかんないから話せないんだよなみたいな感じだったりもするので、
意識的にこれは話さないでおこうみたいなセーブをしてる感じは今のところあまりないかなっていう気はしてますね。
そうか。
はい。
面白いですね。
どうしましょう、もう1つあるっちゃあるんですけど、
多分尺収まらないので、
2人のデカメロン当てのお便りだから、
第4夜の方にちょっと繰り越しておきますか。
そうですね。
第4夜でもいいし、第5夜でもいいですよ。
第5夜でもいい。
でもこれ第4夜のうちになんかやっておけた方が面白いですよなっていう感じもするので、
今日のまず第3夜としては、
この無意識と身体性の話みたいなところができたかなと。
本当ですよね。
全然関係ない話やりしていいですか。
しましょう。尺積まだあと10分くらいあるんで。
この前新潟に行ってきましてね、
今ね、今というか今度ね、
オンリーディングさんで、
9月の15日に、
15ですね。
15です、水曜日ね、
の夜7時からですね、
いきなり告知を始める。
いきなり始まったか。
オンリーディングさんでね、
この2人のデカメロンの
第9夜と10夜というのをね、公開収録で収録するよということなので、
48:00
トークイベントとしてあるので、
ぜひ皆さん来てくださいということではあるんですけど、
これって山岳ノート2のですね、
一応観光記念イベントということでさせていただいておりまして、
この山岳ノート2、
日常を取り戻したいツアーというのをですね、
企画しまして、
それの第0回、第1回がオンリーディングさんでね、
我々がやるやつなんだけど、第0回っていうのが新潟でね、
ちょっとうちの食堂さんっていう、
オムライズに今。
そうそう、
出てくれてたね、
野郎さんっていう人がいて、
野郎さんのところに行ってきて、
2人で話そうって言ってたんだけど、
結果的にですね、このスタッフの人で、
コロナの陽性者の方が出てしまいまして、
トークイベント自体中止になりまして、
でもうちの食堂さんでね、
ルチャリブロテンっていうのをやってもらうっていう、
その設営をしに行くっていうこともあったりして、
新潟に僕は行ってきたりしましてですね、
結局設営をして、
うちの食堂さんでカレーを食べて帰ってくるという、
素晴らしいバケーションをね、
過ごせたんですけど、
その時にやっぱりちょっと思ったのが、
あれですね、
なんか今までって、
それこそ鉄字28号のあれじゃないけど、
まっすぐ走れ、走れとかまっすぐ行けって言ったら、
まっすぐ行ってたわけですよ。
予定どおりに進んでたわけですよね。
都市文明っていうのがね。
そうですね。
ただ、やっぱり今回のコロナ禍っていうので、
予定どおりにいかないことって出てくるんだなっていうのに、
そうですね。
やっぱり気づき、
まだ全体的には気づいていないのかもしれないんだけど、
やっぱりっていう、
今までの社会っていうのは、
予定どおり、
予定調和を求めすぎていたし、
予定調和に行くことこそが一番いいというか、
普通でしょっていうことだったんだけど、
そうではないんじゃないかな。
だから僕ら言ってる日常を取り戻すっていうのは、
その予定調和の日常を取り戻すわけじゃなくて、
本来やっぱり、
人間よりも自然の方が大きな存在だし、
だから不定収束の原因は分かんないわけですよ。
人間にとっては、はっきり言っちゃったら。
でも分かんない分かんない、分かるはずなのにって言って、
その不定収束を不安に思うというよりは、
それは人間には分かんないことあるよねっていうぐらいのスタンスを、
51:04
そもそも人間は日常的に持ってたんじゃないかなっていう。
そうですね。
そういう日常を取り戻したいっていう、
ツアータイトルでございます。
素晴らしい。
急にね。
関係ない話かなと思ったけど、
関係ありますね。
関係ある話になったわ。
やっぱりそれがさっき宇多丸さんの話で出てきてましたけど、
ライムスターのアルバムには予定は未定でっていうタイトルのアルバムがあったりもするので、
やっぱり予定っていうのはまだ未定なわけですよね。
定まってないわけですよ。
っていうところを、
割とみんな予定したらそれほぼ確定じゃんみたいなところで、
ちょっと考えていたけれども、
ちょっとこの1年半ぐらい、
いつその予定がひっくり返るか分からないっていう状況の中で、
やっていくっていう。
でもそれはだからある意味本来自然なあり方ではあるよねっていうところを、
どうこれから持っていけるかっていうのが、
今はまだちょっと試行錯誤の時期だなとは思うんですけど、
あるなっていう感じがしますね。
そうなんですよ。
でもそこでまた1個難しいというか、
これちょっと大きな問いだけドンと出して時間かなって感じなんですけど、
自然、そっちの方が自然じゃんっていうのは結構よく僕も使うんですけど、
果たしてその自然であることがいいことなのかっていうと、
あんまりそれはそれでこう、
自然だからいいっていうわけでもないんだよなっていうところは、
結構考え込んでしまうところだなと思っていて。
それこそ関小坊さんの、
失われたものを求めてって大変面白い本がありますが、
何でも確かアーレントの話が出てくる時に、
物というものがなぜ重要かというと、
それは自然というものの凶暴さというか野蛮さみたいなものから、
人間というものを守るためには、
人間の周りには人工的なものっていうもので、
守っていかなきゃいけないんだみたいな話が確か出てきてたと思うんですけど、
今話しててもしかしたらバクさんの、
アーレントのマルクスの方だったかもしれないなってちょっと思っていましたが、
どっちかにそういうことが書いてあったんですけど。
両方アーレントが出てくるからね。
両方に書いてあったのかな。
だからアーレントにとっての自然というものは決して全然いいものではなくて、
むしろ人のあり方を脅かす怖いものとして書かれているんだっていうことだと思うんですけど、
割と僕は自然観みたいなものの方に割と素朴な共鳴を覚えていて、
果たしてその自然にあるってことが人間にとって本当に良いものなのかみたいなところは、
ちょっとこれからの話の中だったりで、
54:01
もう一度問うていきたいところだなっていうのをちょっと今思っています。
いやめちゃくちゃ大事ですね。
僕はその自然ももとより、
今すごくいいとされている、
共有する、シェアする。
あとはコモンズっていう。
そういうものもやっぱり、
僕は自然、コモンズもそうだし、あらゆることもそうかもしれないけど、
やっぱり一面的に見ちゃ、
一面的に見たらいけないってなると結局両論閉域かよみたいなことになると。
それは全然違くて。
両方の側面を見た上で、やっぱり
現代っていう時代とか、僕らが生きている環境の中でどっちを選ぶの?
どっちの意味で使うの?
言葉を使うの?っていうことだと思うので、
そういう意味でやっぱりまずは一面的に見ないっていうのは、それはもう前提としてあるんだけど、
じゃあ一面的じゃなくて両方だよね、で終わらせるかって言ったらそうじゃないっていう。
この二段論法にしているような話になるけどね。
そういう話をしていきたいですよね。
そうですね、していきたいですね。
というところで、特に今回は答えを出さないままではあるんですけど、
というか、そもそも答えを出すこと自体が本当にいいことなのかみたいなところまで
混ぜ替えしたくなってきますけれども、一旦ちょっと時間で過ぎていきましょう。
第3弾はここまでといたします。
ポイエティックラジオ、お相手は私、柿内翔吾と
オムライスの革命児、青木でした。
どうもありがとうございました。
どうもです。