1. ポイエティークRADIO
  2. 第百五十三回 書いてあること..
2023-06-05 1:14:33

第百五十三回 書いてあることを書いてある通りに読むのは難しい

稲垣さんとの録音やカハタレの感想、「非哲学者による非哲学者のための哲学入門読書会」のたのしさ、そしてカットレタス事件について。

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
なんか久々な気がするけど、文振り…
あ、でもあれだ、稲垣さんとのね、おしゃべりを文振り前に撮ってるから
だから文振りの後に喋って、で、そっからだから一週間…
とはいえ、まあそんなにですわ。
文振りの時はなんかもう…
まあね、ヘロヘロだし
胴頭であくびしてたし
ある程度意識を発揮している中での録音としては半月ぶりぐらいかもしれないですね。
はい、というわけで、あなたもね、見に行ったカハタレの稲垣さんと録音させてもらって
大変楽しかったんですが、何か稲垣さんやカハタレの講演の感想などで
いや、これは言わんかったんかいとか、なんか感想がもしあったら
言わんかったんかいは特にないけど…
なんか…面白い人だね。
面白い人だよね。なんかすごい…ねえ
なんか多分ゴリゴリとがっているはずなんだが、そういう感じさせない
なんかね、それこそ柔術的な、なんか柔らかさがある方でしたね。
経歴謎すぎない…っていう
ちょっとね、またいろいろと聞いてみたいなという
なんか割と演劇が魚大学にいたじゃないですか。
で、なんかこうハチローしてなんぼみたいなさ
ハチロー?ハチリュー?8年生
演劇を優先して学業をロソカンにして8年生になるまでやって1人前みたいなさ
流派のところもある中でさ
もう大学生やりながら演劇してる時点で
みんな稲垣さんよりさ、ぬるいじゃんみたいなさ
気持ちがちょっとなった
まあでも本当に面白くて
まだ多分ふわっとしか告知はできないけれども
またね、何かご一緒できそうな雰囲気も
直接というよりは間接的にかもしれないけれども
03:02
あったりもしますので、楽しみだなという感じですね
すごいマジシャンの人が日文やってたって聞いて
すごい納得した、すり足の重心移動な、みたいなね
あれを可能にする体感な、みたいな感じがありましたね
一本目はこういう感じか
でもなんかやっぱり、実話階段のフォーマットの
カバディ、灼熱カバディのさ、オープニングのさ
佐藤の演出の舞台版の灼熱カバディね
舞台版で役者が、素の役者の状態で立っているところから
カバディを始めていく途中で
最初は本当にお遊びみたいに素の状態の役者が
カバディをしている中で
突然役に入るみたいなさ
あれかっこいいんだよな
あれに近い
あれをさ、カバディの舞台じゃなかったら
カバディであれをやらないわけじゃん
でも実話階段、階段を語りますという手でやると
カバディよりもシームレスに
役者のスイッチが今入ってますが
できるんだっていうのは
何か補足しますか
灼熱カバディのオープニングの魅力について
もうちょっと語らせてほしい
何が起こっているか、もうちょっとちゃんと説明させてほしい
灼熱カバディってもともと漫画があって
アニメにもなっているんですが
これが西田尺奈さん演出で
弱虫ペタルの舞台化などで有名な
もっと言うと惑星ピスタチオで有名な
西田尺奈さんが演出で
監督って言いそうにして
舞台化してたんですけど
それのオープニングがすごくて
まだ客席も明るいぐらいの状態で
劇場がまだ激空間になりきってない中で
急に役者たちがわらわら出てきて
そこでカバディのゲーム競技をちょっと遊び始める
説明をしてくれるんですよ
カバディってこういうゲームなんだよって言いながら
ちょっとやってみようみたいな感じでわちゃわちゃしてて
主役の子が普通に吹っ飛ばされて
俺主役なのにとか言うメタ発言もありつつ
わちゃわちゃやってると
わちゃわちゃやってひぃーみたいな感じで
こういうゲームなんですって説明を一通り終わった瞬間に
客席が降って落ちてスポットがパッと当たって
主演の人がそこから急に役の発生で
カバディって言って
こう舞台が始まっていくっていう
このねぬるっと舞台上で
ほとんど日常からちょっと毛が生えたぐらいの
本当に舞台の上に人がいるっていうだけの状態から
いきなりそこに舞台の上でドラマが始まったっていう
そこの切り替えがスンとある
それ別にぬるっと始まるわけでもなく
きちんと切り分けるんだけど
この切り替えの段差が2段ついてるっていう
めちゃめちゃかっこいいことをやってたんですけれども
06:00
かはたれんの実話会談のフォーマットっていうのも
特に僕らが見た回は最前列にね
なんかねちっちゃい女の子がいて
でその
役者の人がねぬるっと始めながら
ちょっと怖い話とかもしてもいいですかみたいなこと聞いたら
すごいそのね最前のねちびっ子が
うんうんうんうんってうなずいてて
怖い話好きな人って言ったら
好きって言ってたよね
そうだからそういうのもあってすごいこうね
なんかいい感じのお客席とのやり取りもありながら
そこから語りが始まると劇になっていくっていう
作りだったんだけど
なんかああいうのはいいですよねっていう
お話でちょっとカバディの話を補足させていただきました
ありがとうございます
なんかこう割とお客さんも
えっとなんか始まったんだと思うんだけど
めっちゃぬるっと始まってどうやって見たらいいんだろう
っていうので結構ハラハラしたところから
ちゃんと集中力が
どっちかというと客席のね
そうだね
客席が集中できてる感じになった
もう稽古場から劇場にちゃんと
そうそうそう
なったっていうのが
1本目は一番おおってなったところで
2本目は普通に話が面白かったのと
稲垣さんのテンパリゲーは
マジで面白いよね
みんな好きでしょみたいな
マジで面白かった
気持ちになるやつで
で3本目のマジシャンの人の体感に
ドギも抜かれて終わるみたいな
3本目ちょっとマジシャンの人がすごすぎてね
ちょっと今のやつあの
逆再生を3回ぐらいやりたいみたいな
すごかった
感じだったね
っていう感じでございましてね
いやー面白かったなと
なんかね
本当にさ
前回のポッドキャストの時に濁してたから
深くは追及しないけどさ
演劇をさ
10年やってみようみたいなさ
ことをさ
かつて若かったあなたはさ
言ってた
というか演劇をやるみたいな
たいそうな旗を掲げなくても
できるべきだみたいな
活動として演劇というのは
別に本を読んだりするのと
変わらないはずなんだと
物理的時間的な制約をね
クリアできれば
別にできるべき文化的活動のはず
みたいな思想がかつてあったじゃないですか
今はそこは思ってるけど
修正するとすると
時間的制約というものは
何も一つ無視できないということだね
そうだね
だからあの
09:00
摩擦は考えないものとするみたいな話なんです
そもそもの全体が間違っていた
いやでもだから
永木さんにその日記を書くというか
とか
イベントで喋ってるのは
かけなえさんはめちゃめちゃ役者ですねって
多分というかそこの事情を何も知らない
永木さんに言ってもらえたことが
あなた個人はこうちょっと
成仏するというか
いや成仏はしないけど
しないけど多分どちらかというと
でも思ったのは
やってることしか変わんないんだよなと
自分が演劇で人とやってた頃と
今やってることとだと
質は違う
違うことではあるんだけどもちろん
そもそも嘘の名前だしっていうのも含めてね
役は演じるわけじゃないですか
みたいなことを考えると
もう全部一人芝居で
この前とかは普通に分裂したし
そうだね
そういうような意味では
何かしらその時のやってたことっていうのは
残ってはいるでしょうねとは思うけど
でもまあやっぱりやってはいないからね
でもなんかその中
それでさだから
なんだろう
それをマジでやってる人がいるんだ
そうなんだよ
10年やってる人がいるんだよ
すごいよ
しかもなんかその
結構
ちゃんとというか
だってなんか
普通に基礎がある
役者たちだっていう
そうめっちゃ基礎がしっかりしてる
うん
ちょっとね
なんかさ
私はエースって好きだけど
好きだけど基礎があるか
っていうのは全然別の話じゃん
別の話だね
だから衝撃状で耐えうる身体じゃないじゃん
そうじゃないじゃない
子たちは
いや耐えうるって
そうなんだよ
そうなんかねそこね結構ねみんな間違えるんだけど
大きい劇場と小さい劇場だったら
小さい劇場のほうはごまかしは聞かない分
役者の技量っていうのがめちゃくちゃ求められるんですよね
いや本当に
そうなんか俺よくさ
あれじゃない
そういうの
大きいほうが偉いみたいな
大きいほうが偉いとか大きいほうが技術が高いみたいな
うーん
全然別だからね
そう
衝撃状と池袋ショップは別だからねみたいな話じゃん
うーん
今なぜか急に
ん?
急にその小さいライブハウス界隈はちょっとディスったけど
うん
でもそういうことじゃない
みたいなのをね
うん
思いますよ
うーん
っていうことで
うん
とてもね面白い回でした
いや本当に
そうそうなんかね
なんかたまにあの演劇を
舞台配信を見るディスコ
なんか集まりみたいなのさ私たまにやってるじゃないですか
12:01
うん
だから私以外はあんまり演劇見ない人
うん
でだからなんか
あっ
なんか私が言語化できるほど演劇のこと分かってるとは本当に美体値を持ってないわけ
うん
基本的なところを知らないし
でも分かんないって言われて初めてさ一生懸命説明するから
でこの間思ったというか話してて
そういうことかって思ったのは
そのスケールと芝居のサイズ感っていう
うん
ものにおいて
うん
単純なキャパの広さとか舞台上
舞台面の広さもあるけど
マイクのありなしと
うん
双眼鏡使われちゃっても仕方ない
うん
ぐらい客席から遠いか
うん
もう別にマジでいらん
うん
本当に3メートル先に役者がいるみたいな
うん
ので同じ芝居なわけがないっていう
そうだね
ので
でなんかそれは最初はその映画の話をしてて
うん
なんでこの人だけすっごい浮いてんのかっていう話の時に
他の人は
その衝撃状ぐらいのキャパサイズの演技体なのに
一人だけホールレベルの芝居をしてるから
すっごいなんかあの人ダダ滑ってるみたいになってる
うん
で逆に他のシーンでみんなが大きい演技してるところを想定して
あの演技をしてたらそんなに滑ってないはず
うん
みたいなことをなんか解説してて
うん
そうかもって自分で
うん
思ったんだけど
うん
だからそのスタジオとかギャラリーで芝居をしますっていうのがさ
なんか一個ハードルが低いものみたい
なあ
というかなんかギャラリー芝居がやたらほか閉じきってあるじゃない
それは別に僕らの界隈だけだから
僕らの界隈だけのか
いやでもそんなことねえな
マンブとジェクシー向きを見せるアカウントギャラリーってやつだしな
うん
でなんかそれなんだろう
普通にハードル高いじゃん
あの見せ物に足るものにするための
でも多分予算的なハードルがそれに低いから
ギャラリー公演から始めてみようみたいな
でもギャラリー公演ってそんなに知見もたまってないから
普通にトラブルシューティングを毎回毎回自分たちでやってかなきゃいけないし
当然小屋月さんとかもいないし
なんかいや全然大変なんだよなみたいな
うん
思ってでオーディオスタジオってギャラリーぐらい
ギャラリー
規模としてはギャラリー
15:00
規模としてはギャラリー
そもそも稽古場というかスタジオだけど
そもそも劇場じゃないところを
非劇場ということね
うん
でなんか普通に見れるものを久々に見たい
そうやな
思ってちょっと遠回りしちゃったけど
うんうんうん
そうなんだよ
そうだサイズ感とかねきちんととか
ちゃんと適正なコントロールがなされていましたね
うん
今後の活躍が楽しみですね
楽しみですね
また11月だっけ
公演もあるみたいですし楽しみですね
あとそのなんかやっぱり演劇の話にさ
まあ公演見た後だから寄ってたけどさ
普通に他のやってることがさ
いやそうだそうだ
稲垣さんね他の活動面白そうだからね
他の活動についてもね色々聞きたいし
あと本当にもうなんかね文学の話とかもね
非常に詳しそうですから
色々教えてほしいなという風に思っているので
またちょっとなんかのタイミングでね
お声掛けできればと思っておりますが
はい
という感じですね
はい
で今日のお話に行く前に
うん
一旦ここでCMを始めます
はい
この配信が6月の
5日月曜日にあるんですけれども
6月の10日土曜日には
大阪天王寺のスタンダードブックストアさんで
ライターの鈴木直さん
深夜高速バス200回ぐらい乗ってわかったことであったりね
ご自由にお持ちくださいを見つけるまで帰れない
1日かなちょっと全部タイトルが長くて
ちょっとこう
今合ってるかあれですけれども
ちょっとその鈴木直さんとお話をします
大阪天王寺のスタンダードブックストア19時から
ぜひぜひ皆さんこちらチェックしてみてください
鈴木直さんは本当になんか1人ずつの
なんか僕の中での
なんか
なんていうの
この年になるってさ
このさ閉塞感のある世でさ
なかなかそのさロールモデルとまでは行かなくても
なんかいいなって思う先輩ってそんなにいないというか
なんかこう年取っていけばいいかなみたいなのって
マジで見当たらないみたいな気がしていたんだけれども
鈴木直さんはね毎回すごいね
そのこう著作だったりね
その記事を読むとこういうのいいよなって思うというか
なんかやっぱりご機嫌なんだよね
なんかねでなんか
特に何か特別なことをしてるわけでもないわけ
本当になんか些細なところに
なんか喜びを見出す達人みたいな風に僕は思っていて
でもそれがただ単純になんか
なんていうの僕が結構ギリギリなところで
僕すごい貧乏臭いの嫌いなの
だからなんかそのこう
なんか貧乏臭くなんかその
こうやってることとしてね
なんかちょっとかなり似てるんだよ
18:00
なんかその醤油にプリンたぶんかけてうにんにするみたいなのと
なんだけどなんかそれを
本当に
本当にそれを楽しんでいる
っていうの
なんかそれでそのうにうにを食べたいけど
食べれないから
そのプリンに醤油かけてるとかじゃなくて
この例えば適正度とか分からないけどとかじゃなくて
なんかその探求自体なんか
この遊びこの制限の中で
こういううにっぽいものだったり
それを超えるものを何か体験を見出せないかみたいなことを
試行錯誤して遊んでる時間っていうのは
やっぱりなんかさ
えがたいものというかさ
いい時間じゃん
そのいい時間を作ることに対して
すごいこう
いくつもの
方法を持っている方だなって思っているので
なんかメインはね
鈴木直さんの会社員時代の話を聞きつつ
会社員にいた頃からそんな風でしたみたいなところも含めて
なんかこういろんな話ができたらなという風に
思っておりますので
なんかね
ちょっとお酒を飾って
ヘラヘラと話しながらっていう感じになると思いますが
会社員の哲学の話をさせていただきつつ
普通に僕が鈴木直さんの作品に対して
あれとかどうなんだとか
あとなんかたぶん小坂和志さんがお好きだから
そういう話とかもね
なんかいろいろこう本の話とかもできたらな
っていう風に思っているので
6月の10日土曜日
大阪天皇寺スタンダードブックストアに
ぜひというのが一つ
翌日6月の11日日曜日には
神戸元町の本野しおりさん
僕のサイト重複という日記本を
世界で一番売ってくださった神戸の本屋さんで
カニの親子さん
このポテガスでもおなじみ
もうすでに4回かな出ていただいている
カニの親子さんと日記についてのお話し会をやります
これもなんか基本的にカニの親子さんとお話しする
っていう形ですけど
なんか来てくださった方と
そんなに規模としては多分大きくないので
なんか一緒になって日記についてとか
なんかいろいろなことをお話しできたらな
っていう風に思っております
カニの親子さんは今度100万年初報から
新刊が出るということで
大変こう今これから
すごいこうグイグイいく感じの
書き手になっていくところですので
今のうちから
サインもらっとくと
自慢できる
自慢できるぞというのもあるし
このポテガス聞いてくださっている方も
知っている通り
僕とカニの親子さんとの日記の話は
尽きないので
毎回すごい面白いので
すでに今考えているところとして
僕はね日記は多分もう本にしないんだけど
それと関係なしに
日記とかエッセイとかに対して
ちょっとひねたところを持っていて
基本的にね
21:00
そういうのは恥ずかしいものだと思っている
これはさっきの演劇の話ともつながるんだけど
僕は何かするってことは
全て恥ずかしいことだと思っている
ギャラリー芝居の範囲が高いのはなぜかというと
ほぼ目の前でね
その舞台と客席のレベルが変わらない
フラットな状態で
目の前に素直なまま出てきて
演技を始めるって
すごい恥ずかしくない?
って思うわけ
エッセイとか日記っていうのは
同じぐらいの恥ずかしさがあると思う
小説はちょっと上がってるレベル
劇風間の客席が分かれてるから
舞台面がある?
あるけども
僕はなぜか小説なんか恥ずかしいと思ってるんだけど
それはちょっとまた別の理由なんだけど
そういうのはとにかく恥ずかしいものなんだけど
でもその恥ずかしさを
なぜ乗り越えたり乗り越えなかったりしつつ
書くのかみたいなところを
蟹の親子さんに聞いてみたいなと思ってるところがあって
一つあるとすると
蟹の親子さんは基本的にどちらかというと
描写の人なので
自分のことよりも風景だったり
外の猫とかね
外道歩いてる人の運動みたいなものを
描写するみたいなところがあるので
僕のように何か本当にツイッターのような
日記ではないっていうところが
一つポイントなのかなと思いつつ
でも僕は描写も恥ずかしいんだ
みたいなところがあるので
あんまり他のところで話したことがない
割と書くの恥ずかしいんですが
皆さんどうですかみたいな話を
かなり配信とかもないイベントなので
そこではちょっとしたいなと思っています
打ち明け話をしたいと思っていますので
そういう話がお好みの方はぜひ
神戸までいらしてください
日曜日の13時からお昼ですね
お昼の時間帯にやりますので
どうぞよろしくお願いします
前日鈴木直さんと楽しくなって
飲みすぎないように気をつけてね
本当にね
逆にちょっと2日酔いとかで
いい加減になってた方が
酒臭い人と喋りたくない
難しい話ができる
そうだね
そこは気をつけないと
昼だからね
前日夜開始で
翌日昼開始
なかなか
ということで
10日11日は
大阪や神戸で
あれこれとやっておりますので
ぜひと
イベント以外にも
京都奈良とかも含め
関西の本屋さんを
案外したいなと思っておりますので
お近くの方で
イベントはいけないんだけど
お茶でもいかがみたいなのがあれば
お気軽にDMなりいただければ
結構忙しく
どうかわかんないけど
タイミングが合えばね
期間限定出会い中として
フッカルを発揮してもらえば
いければいいかなという風に
思っております
24:00
あともう一個は軽くですが
6月23日から25日まで
文化系ポッドキャストライフ
派生番組
山本ポテトのポトフでも
話題であった
円盤に乗る場という
シェアアトリエがありまして
そこのシェアアトリエのメンバーが
日同に関するお祭り
ネオ表現祭りというお祭りが
これは東京のオグ
えっと
オク
え?オグじゃないの?
お台か
都電荒川線のお台だったり
JRの田端
オク駅の
田端やオク駅のあたりで
行われる演劇祭がありまして
オクなの?
駅名はね
氏名はオグなんだけど
そうだよね
それは置いといてですね
やりますと
僕はそんなにちゃんと
あれは関わってないんですけど
辻村佑子さんという俳優の方が
常に
友田敦さんの
読めば肩こりが治る小説のような形で
見ると揉みほぐされる
見るとほぐされるような演劇というものを
いま色々試行錯誤しておりまして
今回は
実は書いたってほぐれるんじゃないか
っていうね
一つの仮説のもと
僕が
乗る場
円盤に乗る場の
シェアアトリエを借りている
いろんなアーティストの方々の体験談を
辻子さんが聞いた話を
辻子さんからまた聞きで聞いて
それを僕が
実は怪談テイストでテキストに起こす
そのテキストを当日は
俳優たちが朗読をして
パフォーマンスにする
っていうことをやりますので
これ6月の23と20
ん?
9月の23と25かな
の2日間に
上演される予定ですので
もし
ご興味のある方がいましたら
是非
面白いんじゃないかしら
と思っております
これはまた近くなったら
詳しくちゃんと言おうと思いますので
今のところは
今週末の10日、11日
大阪と神戸でお待ちしております
というところを
覚えていただければなと
いうところで
CMおしまいでございます
はい
CMあけまして
改めまして
こちらはポイエディグラジオです
お相手は引き続き
私が来たでしょうこと
パクさんです
はいよろしくお願いします
よろしくお願いします
ということで
本日も
テーマ
はい
こんな風にしっかりとやったことないですか?
ここまで
結構喋っちゃった
ここまで結構喋っちゃったから
もういいか
でもまずはちょっと
まあいいでしょう
今日はね
何話そうかっていうところで
考えていて
今日が今
撮っているのが
4日日曜日なんですけど
僕はね
午前中に
目指すと午前中から
町に出て
タイトルが
非哲学者による
非哲学者のための
哲学入門読書会
27:00
というものに
参加してきまして
楽しかったな
という
まあちょっとその読書会の話は
詳しく
およいどっかでするかしないかは
分かりませんが
あの
まあ
あれかな
哲学の劇場っていう
その
編集者の
よし
えーと
あれっと下に名前が出てこない
吉川
吉川
あれ吉川だっけ
吉川さん
吉川さん
吉川
何さんだっけ
ちゃんと
ちゃんと
ちゃんと確認しないと
よろくないですか
そうですね
えーっとね
ちょっとちゃんと調べるね
えーっと
まあいいや
とりあえずそのね
読書会に参加
してきまして
大変楽しかったんですが
吉川ひろみつさん
吉川ひろみつさんと
えーと
坂井太刀さんという
お二人が講師になって
そのこう
哲学入門書を
しっかり読む
しっかり読む
それはどういうことかというと
哲学とは何か
っていうことを
哲学者の人は
一般の人に向けて
どういうふうに説明しているのか
っていうことを
まあ一つ
えー問いとしながら
まあいろいろな本
入門書を読み解いていく
っていうような
読書会なんですが
まあちょっと詳しくは
その吉川さんがやられている
哲学の劇場という
youtubeで
そのこう
宣伝動画みたいなのが
上がっていて
それを見ると
すごい参加したくなる子と
向き合いなので
まあそちらを参考に
していただければ
と思うんですけれども
まあ面白かったね
でね
ちょっとテーマの発表まで
ちょっとだいぶ
前置きが長いですけど
とにかく
何をやるかっていうと
何が書いてあるかを
読むっていうことを
やるんですよ
この読書会では
でこれ実は
とても難しいこと
いやというか
まあ当たり前のことでは
あるんだが
実は訓練が必要なこと
なんだと
そういうのを
読書会でやるんですよ
これ実は
とても難しいこと
いやというか
当たり前のことでは
あるんだが
実は訓練が必要なこと
なんだと
いうことを
何度も何度も繰り返し
指摘していくような
読書会なんですが
とりあえずね
今日まだ第一回だから
僕が参加したの
一回一回目だから
参加したのがね
まだちょっと
まだ分かりませんが
僕も
組み尽くせていない部分が
あるとは思いますが
とりあえずね
その第一回までの間に
事前課題のやりとりだったり
拝見したりとかね
競合を受講してみての
感想というか
痛感したこととして
人は読めないし
人が読めないって
どういうことかっていうと
要するにね
人はね
人の話聞かないんだ
人の話を聞くことが
できないんだ
っていうこと
だったんだよ
つまり
人はね
書いてあること
書いてある通りに読む
30:00
言われたこと
言われた通りに聞く
っていうことが
非常に難しい
だと
いうことを
再確認するような
場所だったわけ
だから今日は
このポテキャストの中でも
人の話の聞けなさとか
逆に
本の読めなさみたいな
ところについて
あれこれ話せたら
いいんじゃなかろうか
というふうに
考えていたわけなんです
そうなんだね
そうなんですよ
でね
人の話
って聞けないじゃん
いや聞けないじゃん
ここで
読書界の中で
何が面白かったかっていうと
要するに
聞けない
読めない
っていうと
どういうものをイメージするかっていうと
例えば
十のことが書いてあるとするじゃん
その本の中に
十に読んじゃん
そしてその十一と十二に
何か
引っかかり覚えちゃう
もしくは
ABCで数えちゃう
っていうことが
多い
だから
むしろ過剰に読み取ってしまっている
っていうことが非常に多い
もしくは
本当にだからなんか
ただ
そこに書いてあることを読む
だけのはずなのに
なぜかそこに
自分で勝手に埋めてしまうもの
っていうものが
あってしまう
でこれ人と話すときとかも
同じよね
それはだからその語彙が違うとかもあるけど
なんか例えば
あなたと話してて面白かったところで言うと
例えばショックという言葉がありますね
やっぱそれ
そう例えばね
で例えば僕が
わーショックみたいなことを言うときって
これ僕の話じゃないな
僕の話じゃないけど
僕の話だっけ
私とあなた以外の
人の話なんだよね
だからとりあえず僕がわーショック
仮に僕とあなたの話ということにして
脚色して話すと
僕がなんか軽い気持ちでわーショックって言うと
あなたがすごいそれを深刻に受け止める
みたいなことが
たまにこう起きていた
こちらこれフィクションだけど
いるわけですよ
でなんか僕はだからなんとなく
そのちょっとびっくりぐらいの気持ちで
わーなんかショック
みたいなことを言うと
あなたがえ
ってなる
でなんかそこですごいこうなんか
だんだん会話がギクシャクしていく
この時何が起きているかっていうと
ある意味どちらもだから
そのショックという言葉に対して
僕はただ軽くびっくりぐらいの気持ちで使ってるけど
あなたに言ったらそこにすごいネガティブなというか
なんかマイナスの価値判断が
付与されている
だからもう
なんかがっかりとかね
33:01
なんか残念とかね
なんかそういうような気持ちが
そのショックという言葉に
入っている
という文脈が
の中で
あなたはそのショックという言葉を聞くから
なんかすごいこう
僕が想定していたよりも深刻な
形で
聞いてしまう
っていうことが
あるわけじゃん
あったわけじゃん
でこの時何が起こっているかっていうと
あなたが読み手として
僕が書き手だとすると
僕がショックって書いて
このショックっていう言葉に対して
すごい過剰に
何かを読み取ってしまっている
という面もあるし
とはいえショックっていう言葉には確かにどちらかというと
一般の通念的に
どちらかというとネガティブな響きを
する言葉でもあるかもしれないという意味で言うと
僕のが間違ってはいる
かもしれない
でもだけどその
ご用しているそのショックっていう言葉を
書き手がどういう
文脈でどう書いて
発したかっていうことを
まあきちんとその
踏まえていれば
そんなに
この人にとっては
このことがそんな重たくないんだろうなって
判断すること自体はできる
みたいなことは
あるわけじゃん
それはそれで
こういうこう見方が
でもできないと言うと
なんかすごいむわっとする
やめてくんない?
ショックっていうのみたいな
それは驚いたとかびっくりで良くない?
っていう提案
例えばあなたはして
くるわけじゃん
それに対して
もうこれはもうフィクションだけど
ショックをそんなに
重たいことだと思ってね
側からすると
なんか急に
なんか何のことない
ショックって言葉に
すごい邪魔をつけられた
って思って
なに急に
みたいになる
でもこの時に僕は
読み損ねてるのは
あなたが持っている
そのショックという
言葉が持つ
重ための文脈
っていうものを
僕は何も
こう
おもんぱからないままに
なんか急に
邪魔をつけられただけを
思って
なんかすごいこう
いろんなこと
チクチク言ってくる人だ
みたいなことで
こうなんかこう
軽悪になっていく
みたいなことが
まぁ起こり得る
でもここで起こってることってのは
基本的に
お互いのその
意図だったり
文脈みたいなものを
全くこう
ないところに
ポンとこう
一つ語彙だけ置かれ
その語彙の
多義的な解釈を前に
自分側からの
見方しか
こう
見えなかった時に
祖語が生まれるわけじゃないですか
みたいなことが
割と
本の場合は
相手が
カチンとして
言い返してくることを
しないので
一方的に
なんか
え、なんかここで
ショックって言ってる
ってことは
すごいんだ
ってことなんだ
みたいに
間違え
一個ボタンを
掛け違えてしまって
そのままどんどん
何かこう
誤解が膨らんでいって
その
想定していた
読まれ方とは
全然違う読み方で
自分は最後に
読み終わってしまう
ってことが
まぁ往々にして
あり得るんだ
っていうようなことを
まぁすごいこう
思ったわけですよ
大丈夫?
この撮影
伝わりやすいかな
一応補足すると
えっと
一般的には
まぁ
36:00
まぁ
なんだろう
ついこの間
結婚したはずの
友達が
おめでた
報告を
したことに
対して
共通のね
友人がね
ショックって言ったの
いやまぁ
まぁ
まぁそこまで
言わなくても
って私は思って
はいはいはいはい
なんとなく
フォローするみたいな
ことを言ったら
なんか
会話が
通じてない感じがして
あれ?
って思って
後からあなたに
ショックって
ネガティブ
フラットに
ショックって
言うの?
って聞いたら
もう言うんじゃない?
って言われて
あぁ
なんかショック
てか
でもそれは
私が
驚くことに対して
すごい体勢が低いから
ショッキング
イコール
ものすごく
強硬状態に
落ちるっていう
身体的な
感覚が強すぎる
っていう
のがあって
ネガティブに
捉えすぎる
みたいな
うん
面があるんだな
と思って
だから
その
なんだろうな
そこでそれ
使うっていう場面に
遭遇できたからこそ
うんうん
別に
ニュートラルな
うん
本当に
なんだろう
感情としては
別に
どっちにも
振ってない状態で
人は
ショック
を受けるんだって
うん
いうことが
確認できた
というエピソードなんだけど
うん
まあでも
まあそうそうそうそう
はい
まあでも
でした
だからそれが
元になるエピソードだけど
今はちょっと
うん
今あれだった
今痛かった
椅子に
手ぶつけちゃったんだけど
なんかだから
そういう
ような
とにかくね
そうやってね
人が何か
なんかこれ変じゃないかなとか
なんか
なんでこんなことになっちゃうの
って思ってる時っていうのは
読めてない
それは
あまり
読み取ることは
あまり読み取ることは
なく
何か別の
相手の
想定してない文脈で
何か受け取って
受け取りすぎて
しまってる
時なんだ
っていうことを
すごいこうね
読書会を通じてね
改めて
いろいろ確認させられる
機会やな
というふうに
思っていて
うん
まあとはいえね
うん
その
読み取って
しまう
いがちをね
うん
だから私のさ
あの
このジェットコースターが嫌いだからショックというのはとても恐怖体験であるっていうさ
私の中の文脈でしかないわけじゃない?
それを持ち出してショックという言葉を聞き取ってるっていうそれ自体が読み取りすぎというか
自分の文脈を乗っけすぎみたいな話だよね
あともっと言うと多分ショックって言葉自体はどちらかというと本当にネガティブな意味だと思うんだよ
テレビとかでもこれからショッキングの映像が流れます注意くださいみたいに言うじゃん
39:01
言うから多分本来ネガティブな意味なの
なんだけど今あえてこの例えを出してる理由としてここまで聞いた人が
いやでもショックって普通にネガティブな意味だよねみたいなところで立ち止まっていたら
ここまでの例え話多分頭に入ってきてない
なぜならもうそこに反省か反対かだけで
もうなんかショックはフラットな言葉じゃないでしょっていうことしかもう考えられなくなってる
もうこれは人の話聞けてない状態なの
僕も正直どちらかというとそのショックという言葉にはそうなんじゃないとは思う
フラットではないんじゃないフラットに使う人もいるかもしれないけどぐらいのスタンスなんだけど
今あえてその微妙な塩梅のショックという言葉をまるでフラットな言葉なのかのように例え話に使って
それでちょっと対立を煽ってみたのはまさに何かそういう
どっちの使い方が正しいかの話をする
したいわけじゃない
例えばこのショック今のショックという言葉の使い方は
単純にショックということ自体をどうかしたいわけじゃなくて
単純に何かしらフラットなもしくはその解釈が割れるような
何か一つの概念だったり何かがあったときに
それをどう使っているかっていうのは
その相手の目的意識次第でしょっていう話なわけで
今のこの僕が使ってるショックはただの例え話の道具に過ぎないじゃん
本当にこの言葉がどうかみたいな議論は全くしたいわけではない
そうじゃなくて一つの言葉でもそれは
人の使う文脈だったり目的意識によって意味がどんどん変わってきうるし
その相手の文脈を重んばかるっていう操作なしに
その言葉の意味作用だけをとにかくああだこうだって言っても
特段何も相手の話を聞いたことにならないし
相手の書かれたものを読んだことにならないよね
読むっていうのはむしろその言葉がちくいってどういう意味かとか
書的には何が正しいかみたいなそういうことではなくて
相手がどういう目的に向かってどういう手段で向かおうとしているのかっていう
そこを読み取るっていうことじゃない?
てか実際そうだよねっていうことなんだよ
もう一個例え話してもいいかどうか聞いていい?
いいよ
カトレタスの話していい?
それすごいいい話だからしよう
私たち仲良しじゃないですか
仲良しなことの一番大きな理由は
二人とも言語化は最高だと思ってるからじゃない?
だから何かうまくいかなかった時に
私はこういうことでこういう行動をしたんだけど
あなたはどういうつもりだったの?っていうのを
ちゃんと付き合わせをするっていうところに
私たちの仲良しの秘訣があるじゃないですか
まさにさっきのショックの話とも繋がるんですか
そんな理事的な私たちが
すごい決裂したカトレタス事件っていうのがあって
42:03
私は多分その時PMSがめちゃめちゃ重くて
本当はご飯も作らないで寝ちゃいたかったのに
あなたが帰り遅いから
限界を迎えつつご飯を作ってて
家にレタスがあるの
洗ってちぎって水気を取るの
ことを考えただけでめんどくさい
もう嫌だって思って
あなたにカトレタス買ってきてってLINEした
だから私はちぎるのがめんどくさいから
あなたは一口大にカットされたものをカットレタスとして
それを買ってきて欲しかったの
私の時短というかコスト削減のために
そしたらあなたはハーフカットのレタスを買ってきた
半分にねただ割っただけのレタスをね
結局洗ってちぎって水気取るやんみたいなさ
カットレタスだね
ホルモンバランスによって人格が変わる方々はよくわかると思うんですけど
一瞬でね頭に血が昇るわけ
で一旦
このままだとやばい
私今包丁持ってると思って
全部一回作業をやめて
寝室に引きこもったんですけど
っていうカットレタス
カットレタスだけど
タイミングでカットレタス買ってきての文脈を読み取ってもらえなかったってことなんだなっていう
そうなんですよ
だからカットレタス事件はすごい象徴的でいい事件で
僕は僕すごい疲れててとりあえずだから
カットしたレタスがあるっていうそのさ
カット済みレタス
知識がそもそもないわけカット済みレタス
だからあれか半分に割ったやつがあったからこれのことか
全部丸はいらないってことなんだなって思って
買って帰ってくるわけですよ
買って帰ってくる時にね
僕はだからすごい疲れてて
フラフラになって帰ってきて
買ってきたよって言って
台所のシンクのとこに置くわけだよ
トンって
置いた瞬間にあなたがバンって
全てを投げ打って寝室に行くわけ
行くわけでここでね
これどちらかというとだから
あなたは面白いのは
PMSって瞬間弱化式になっていて
だいたいそもそも
そもそもイチャモンであるってことは前提ね
前提としてあるんだけど
それでもね
リズメなんだよ
だから言われたこと確かにその通りって思うような
詰めしかしてこないわけ
だから寝室に行ってしまった後に
僕がオロオロしながらね
どうしたのって聞きに行くと
まずあなたは何を言ったかっていうと
あのさ
人はねご飯作ってさ
忙しいのはわかるけど
人があなたのためにわざわざご飯作って待ってるのに
45:03
帰ってきた瞬間にぶあいそうに
ちゃんとただいまも言わずに
カットレターではいみたいな感じで
ドンってシンクに置くの感じ悪すぎない?
って言ったわけあなたは
それは確かにその通りだと思うわけ
その通りだと思うから
もうなんかそうだよねって
ごめん僕もなんか自分の余裕の無さにかまけて
ちょっとあなたに甘えした部分があるみたいな
反省をまず始めるわけ
それはいつもの言語のやり取りなわけ
なんだけど全然あなたの怒りが収まらないわけ
収まらないんだけど
全然あなたはそのままずっとなんかさ
本当にだからなんか
最近のあなたそういうとこあるみたいな
なんか帰ってきた時に足跡ドタドタドタうるさくて
なんか全然ちゃんとただいまって言ってくれないし
全然可愛くないし
なんかあいそうも振りまかないし
ご飯食べるまで本当に虚無だから
私もすごいこう焦ってご飯を作んなきゃいけなくなって
すごい嫌だみたいな
そういうのが続くわけ
それはそれで合ってるの
それはそれで合ってるというか
僕がそれまでの半月ぐらいの間に
ヘロヘロになりながら
家に帰ってからのお互いのケアを怠っていた
積もり積もったものが
BMSのあれは一つの祝祭だからさ
ポトラッチだからさ
そこで全てが生産される時間という意味ではあるし
言ってることは全部合理的にも正なわけ
だから僕は全部それに対してそうだねって言い続けるんだけど
いつまでもそこが見えないわけ
そこで最後の最後に
いろいろ話した挙句に
一番最後にそもそもカットレタスがねって
言ってカットレタスという言葉の
合意の取れていなさに突き当たった瞬間に
なんかちょっとさ
すごいなんかこう
そこなんだってなるわけ
そこだからつまり
お互いにそれまでディスコミュニケーションが
いろいろあったっていう前提はあるし
なんかそこで今今回ここで
一つコップが溢れちゃったんだなっていうのも
共通理解としてあるから
お互いにすごい合意に向けて
言葉重ねていくんだけど
どうにも何か確信を得てる感じがしない
って思ってる時に
あなたがカットレタス買ってさ
ってあなたが急に言い出した時には
僕だから何もわかんないわけ
だからもう買ってきたよねみたいな
でさっきそのレタスどんって置いちゃったみたいなことに関しては
ちょっと1回終わったと思ったんだけどみたいなことを言うと
違う
カットレタスっていうのを言って
今の話をしてくれたわけじゃん
これはでも非常にね
本を読む時の正しい読み方と近いものがあると思うわけ
要するに表面上で何が言われてるかだけを追っていると
そもそもなぜこの問答に陥ってしまったのか
っていうことがわからない
で一番根っこにあったのは
一番根っこにあったつって
無意識とかね
何かしらの疲れてくたびれた心理とか
そういうところまでいかずに
一番表層にあるんだけど
一番この発端にあるのは
48:01
カットレタスを買ってきて欲しかったのに
半分ハーフカットのレタスを買ってきたっていうことなわけじゃん
みたいなここにたどり着くのですら
すごい大変なわけ
それまでの間にすごいこういろんな
めちゃめちゃそもそも論とか
それ中長期的なストレスであって
今この瞬間爆発したわけじゃないよなっていう
あとなんか一回そのことに
剣に関しては一回なんか終わりにしようと
してた話まで蒸し返されたなみたいなのとかも
いろいろこうあったりする中で
どうしたらいいんだろうって思いながらも
諦めずに一個一個聞いていくと
カットレタスとハーフカットのレタスは違う
っていうところに行き当たる
でそれがその場合その夜のローンチなわけだよ
みたいな
だから渡された瞬間に
えーって
カット済みのレタスがあって
言いたかったのに
もうあなたは置いてさっさと着替えようかなんかで
目の前にいないの
でハーフカットレタスがゴロンっているの
そのねその状況すべてが
だからただいま買ってきたよで中身見て
あーまであなたがいたら
あそこまで着れなかった
そうだよね
だから僕がもうさっさと着替え
楽な部屋着に着替えたいがためにね
バラって置いてそのまま行っちゃったからね
それがねなんか全て凝縮されちゃったんだよね
そうそうそう
ていう
なんかそこがね
なんかあるわけじゃない
今も僕はあえてカットレタスと
ハーフカットのレタスの話だけに
フォーカスを当てて話したけど
本当に重要なのはそこですらなくて
いまあなたが言ったような
そもそも
そもそもの積み重なった文明の中で
帰ってきた瞬間に
いきなりコミュニケーションが切断されるというか
帰ってきた瞬間すぐに
一回着替えに行ったりとかで
まだその
こう
なんていうの
あなたは投げっぱなしで
いなくなっちゃった
そうそう
ていうさ
そのなんていうの
一回ちゃんと帰ってこいよ
っていうところなわけじゃん
ていうのもあるんだけど
でもそことかもね
含めていろんなレイヤーがある中で
どこが本当に重要なのか
ていうので言うと
どちらかというとそっちになるわけですよ
すぐにいなくなる方なんだけど
でもその
なんていうの
象徴としてあるのはカットレタスなわけじゃん
どうしても僕らはカットレタスの話を
面白おかしくしちゃうけど
例えばね
これを真則本気で
カットレタスでぶち切れられたんだって
思ってたら
また間違えるわけだよ
そうだよね
僕と読み手は
そうだね
そうか
レタス
わあ
カットレタスって言われたら
次ってある方の買ってくればいいんだ
ってだけ思って
また次帰ってきた時に
はい
って言って渡して
そのまま部屋着に着替えだしたら
また同じことが起きる
51:00
けど
例えばそこでも僕は信念として
カットレタスとハーフカットレタス
間違えたから
あなたがぶち切れたんだって
もう
そこで一つ解決をしたと思っていたら
あなたがそこでぶち切れたら
不可解で仕方がないわけ
カット済レタス買ってきたじゃん
ってなるよね
だって語彙的にも合ってる
そこを確認しましたよね
語彙は取れてると思って
今回はハーフカットだったのかな
みたいなことを言い出した瞬間に
もうああ
こいつってなるわけじゃん
うん
だからねとにかく
読むってすごい大変な
すっごいよく聞く話だよね
そういう
そうそう
これはすごいよくある話なの
すごいよくある話だし
なんかだから上手な人でさえ
それこそカットレタスの次元で
その
安心してしまうことによって
そのカットレタス事件に
象徴される一番大事なところである
そのちゃんと
ちゃんと向け渡しをして
ちゃんとそこでやり取りをする
っていうところまで時間を使いましょう
ないしは
僕はもうどうしても疲れてるから
一回そのこう着替える
着替えるところまで
まだ僕はこの家に帰ってきてません
まだこの外のね
いろんなこう疲れを全てこう
淀みをね
淀みを持ってしまってるから
それを切るために
着替えるところまで
ちょっとまだあなたとコミュニケーション取れないから
帰って
体は帰ってきてるけど
その全身全霊で帰ってくるのは
着替え終わった後なんです
っていうのを
ちゃんと伝えておくとかね
何かそういうことを
した上で
合意形成をした上でじゃないと
ただ単に
なんか
ぷいってされただけになっちゃうよ
っていうことが
大事なんだよ
っていうところに
思い至るまでのね
道のりの
一番の突破口がレタスだった
カットレタスだった
カットレタスを介して
そこに今でたどり着くっていうことが大事だから
カットレタスが
カットレタス事件
カットレタス事件っていう名前になってるわけであって
このカットレタスを間違えたから
全部が違うってわけではないっていうのも
すごい大事なことなわけですよ
めちゃめちゃ教訓を
収穫してるじゃん
いやそうだよ
すごい
カットレタス事件は非常に
大事な
エポックメイキングな
エピソードだよね
最近は本当に面白いお菓子
カットレタスの部分に
フォーカスを当てて話があってたけれども
実はすごい大事な話なの
そうだね
っていうのとかも
本当にこれは
これは今となってもね
可愛らしい話というかさ
題材が題材のときに非常にちょっと
間抜けな話でもあるんだけど
でもこれは多分
結構
深刻な話なんだよ
カットレタスでやれてよかった
いやそうなんだよ
もっと決定的な何か
54:00
お互いの信頼をね
損ねてしまうような
掛け違いじゃなくてよかったよ
そうなんだよ
それはもうありふれているんだよ
ありふれてると思う
ありふれているし
裸から見たらカットレタスぐらいのことで
いくらでも破綻し得るんだよ
でもそこは
例えばね
しかもこれは
カットレタスで破綻し得るパターンとして
例えばあなたがバーンってなって
ピュって行って
行ったときに僕が
根気強く話に付き合わない
でも私は来んなって言ったけどね
言った
言ったけど
でもそこは僕のそもそもの
なんていうの
しょうがない特性だから
それは全部そうなんだ
全部僕があなたと喧嘩するときに
あなたに一回今は
あなたが理性的に
一回頭を冷やさせて欲しい
残ってる理性で
ちょっと今はもう
とりあえず
今日コミュニケーションしないっていうのが正解だから
って言うんだけど
僕はそこにのこのこ現れて
何がいけなかったんだろう
って言うと
あなたから全ての
不満が出てくるわけ
でもそれを全部僕は
うん
とか聞きながら
たまに納得いかないと
それはって言って
ボコボコにされるみたいなのをやりながら
とにかくこっちが
フラフラにならないまで話を聞いていると
なんか最終的にその
カットレタスだったり
なんかその
本当にその時の
発端にたどり着いて
一旦じゃあそれに対して
こうしようっていうところから
いもぞれ式に
問題を一個一個
検討していって
なんかお互い
すごい疲れるっていうのを
やりがちなんですが
でもなんかね
僕はでもやっぱり
結構本気で
それしかないんじゃないかと思うんだよな
うーん
タイミングはね
あるよ
だから
なんていうの
なんだろう
今喋ると泣いちゃう
で泣きながら喋っている自分自身が
かなり屈辱的であるから
今来ないでほしいみたいな
いう時に来られると
その素直さが
今一番憎いみたいな
で今そうやって来られると
思ってない言葉で言っちゃう
別にそんなに
ムカついてないけど
取れそうな挙手を
全部取っちゃって
後からすごいなんか
マジ余計なこと言ったな
ってなるから
来ないでほしいっていう時も
めっちゃあるけど
まあでも
基本的にやらないよりやったほうが
そういいと思うんだよね
まあてかあと僕の場合
そもそも
割とあなたの知性だったりさ
信じてるから
いちゃもう
いちゃもうとして
聞き流せるとか
レトリックは聞き流して
本当に何を言っているかだけを聞ける
でもこれも一つの技術なわけだよね
57:01
お互いにさ
お互いに関してだけはさ
今こいつ思ってないこと言ったって
わかるじゃん
とりあえず
ダダこねたくて言ってることと
これはなんか
本当のことを少しでも含んでるから
それをより集めていくと
なんかヒントになるっていうことが
なんかわかるから
まあ
なんていうの
いろいろ言われても
今普通にサンドバックとして殴られた
SOSだなっていう
だってさっきの僕のカットレーター戦のさ
あなたに言われたことのサマリーとかさ
だってあんなもんじゃないからね
もっと膨大なテキストがあるからね
っていうことなんだけど
だからある程度冷静に
より分けていく
っていうのはちょっとまた一つの
技術かもしれないけど
カットレーター戦の話
そうやって楽しくなっちゃって
その話ばっかりしちゃうんだけど
これ本題じゃないんだよね
でもこれが本題
これが本題
要するに人は
人は聞けないし
人は何かを読めないっていうのは
本当にそのカットレター戦のように
とにかく
とにかく相手の文脈で聞いていかないと
たどり着けない
要するに僕がその
もうハーフカットのレター戦のことしか
思ってなかった場合
そもそもその問題の発端に
どうやったって気づけないまま
とにかくなんかあなたは
なんかいろいろ不満だったんだな
正直そっちが合ってるっちゃ合ってるんだけど
そのカットレター戦が
なぜきっかけになったのかってことの
本当のところは何もわからないまま
なんか
いろいろな
これまでの反省をするねっていう
ところにしかいかない
表面上はもしかしたら
それで振る舞い自体は成功するかもしれないんだよ
だってさっきも言ったように
カットレター戦じゃないから本当に
ケアするべき場所っていうのなんだけど
でもそこには決定的なそこがあるわけじゃん
最初の間違えたところとして
っていうのが
すごい結構ね
いろんなところで起きているし
なんかそこの
なんかね
表面上ちょっとうまくいってるかもしれないけど
それによってまた
カットレター戦を
ハーフカットレター戦を買ってきてしまう
っていうのが起き続けるわけですよ
何だったら多分結構多くの人はね
その前にカットレター戦のこと
ハーフカットレター戦だと思い続けたまま
何冊もの本を読み
何人もの人と話している
っていうことがあり得ているわけだよね
これはなんか非常にね
それで別にうまく回ってるんだったら
いいんじゃないかと
いうようなことも一面ではありつつ
でもやっぱりそこは徹底的に
ちゃんと一回
1:00:00
文字通りの意味としてどういう意味だったの
っていうのを確認するように
しっかり聞いたり読むっていうことを
しておいた方が
長期的にはヘルシーなんじゃない
っていう風にね
思うし
多分その方が楽なんだよ
あの
例えば100個ぐらい言われるとするじゃん
あなたのいけないところって言って聞いたとき
100個100個全部1個1個直していく
コストって非常に高い
けどそもそも今回のほったんになって
レタスの定義のすり合わせだけを
先にしておいてしまえば
そこからそのすり合わせを
ただしたかっただけなのに
すぐになくなっちゃうことの不満とか
なんかその
そもそもこんなに
限界を迎えている中で
自分がご飯作らなきゃいけない
この状況への不満とかさ
割となんかそのコアの部分
一気に抽出して
なんかその
コマゴマとして100個の問題を
大きな3つぐらいの問題のカテゴリーに
ふわけすることができるわけだよね
買ったレタスを先に掴んでおけば
これは全然違うんだよ
楽チンさん
だからね
とことんちゃんとこう
結局何がきっかけで
何を求めていて
どういう意味で
愛でこの言葉を使っていて
どういうことをやろうとしてたんだっけ
ちゃんと聞く
ちゃんと読むっていうことを
っていう面倒を
一回かけた方が
後々の面倒は絶対に減るんだっていう
ことをね
言いたかったのかわからないが
ちょっと買ったレタスの話をしてると
どうしても好きな話だから
その話をメインに
まとめたくなってしまうね
そんな感じ
すごい打線書的
すごい打線書的
これもやっぱり人はね
話したいことをきちんと話すことができず
聞くこともできない
自分が楽しい話をしてる
楽しい話をしてる
でも本当に今日最終的に話したかったのは
なぜ僕たちは仲良しなのかって話だと思うんだよ
なぜ仲良しなのかっていうと
ちゃんと読む労力を厭わない体っていうのが
1個言いたかったことなんじゃないかとは
元々思っていて
割とだから爆速で買ったレタスの話につなげて
そこから結論まで持っていけたということでも
いいかっていう気がするけどね
買ったレタスなぁ
びっくりした
本人もびっくりするよね
本人っていうのはどっち?
あなた
私?
1:03:00
カットレタスに切れることに
カットレタスを
なんかさあ
あなた食品を扱うところで働いてたじゃないですか
当時
食品部のやつがカットレタス知らないっていうのに
びっくりしたよ私は
なんなら
カットレタスって言ったら
こっちだからって言われたからね
言った
ほーん
御社ではそうなんですねみたいな
そう
なんかね
そういう感じでしたね
でもそこが僕は非常に余裕がない時期だったからね
今ここではとりあえずその冷静に話せているところだけ抽出したけれども
普通にめっちゃ叩こねてるからね
そう
なんか普段だったら
なんか私が切れてたら
いったん
全部イエスで返してくれる人が
なんか僕カットレタス間違えてないって
そう
言ったことによってなんか
はーってなっちゃったっていう
でもだから本当にだからやっぱり根本にはね
カットレタスの語義の定義があるんだよね
そう語義の定義とそのすれ違いに対して
なんか
私はぶち切れて
あなたには人のぶち切れをケアするまでの余裕はなかったけど
まあその中で頑張ったねっていう
そう
だからちょっと自画自賛すると偉いよね
一回さこじれるとこまでさこじれるだけさ
僕もさそのさ
いやこっちが合ってる
っていうさことをさ
一応主張してさ
一回突っ跳ねるわけじゃん
でもうさ最初の労力どうにか終わらせたいって思うわけじゃん
だからそれがさうまくいかなかったってなった時にさ
とにかくもう寝ちゃおうとかさ
もうなんか黙ってようじゃなくてさ
あー喋るかってなって
あなたにさ寄るなって言われても
ノコノコ寄ってってさ
ちゃんと喋ろうっていうところがさえらいよね
だってもうヒットポイントもNPMもギリギリってさ
の状態になってる時にさ
泣けなしのそれを削ってでもさ
長期的な楽を取ろうとするっていう
えらいよね
すごい本当の面倒ふさがりなんだろうね
トータルで考えたら今これよ
だってもう奥さん出てくるまでご飯もできないわけだしね
それあと何やったらいいのって聞かれたらはーって言われるしね
っていうのもあるからね
もう松屋でも行けばいいじゃんって言われちゃうもんね
っていうのもあったりして
でも本当にね
僕はそこでカットレタスといえば半分だったら4分寿司に割ってるレタスだろう
っていう信念のもとにあなたの話を聞いて
1:06:00
あなたの反応を見てそのあなたの反応を理不尽だと感じて
こう生きどるわけじゃん
だから私が引きこもった一番の理由は
カットレタスの定義がすれ違ってたことじゃなくて
それで引きこもったら怖い
ことじゃなくて
私なんだろうな
私が楽をしたいということを察して欲しかったんだっていう
察しを要求している自分が決定的になった時に
すごい自己嫌悪で沸騰したわけ
なるほどね
言語化が最高っていう主義だと何が起きるかって
察しを要求している人間は
なんて言うんですか
抱きすべきそうまだ言わないけど
それが許されるのは言語を獲得前の人間だけっていう
言語というものがありながらそれを使わないで
一方的に負荷を相手に押し付けようとする態度っていうのは良くない
言語の要を怠る人間は
全部強い表現になっちゃうから控えますけど
だから私は自分が思う通りに
カットレタス買ってきてくれなかったっていうことに
今この瞬間は切れてる
いろいろバックグラウンドあるけど
今この瞬間はカット済みのレタス
分かれよそのぐらい
分かれよって
そうなんだよね
私普段レタスなんか
しかない
今何言おうとしたんだろうね
でもこの話は本当に何としても
ある意味僕らにとっては神話とかしてきてるから
いくらでも話せちゃうんだけど
今の話面白くてさ
僕がカットレタスと言えばこっちみたいなこと言ってるのは
8割が僕が悪いというか
僕が単純にイコジになってるだけなんだけど
2割ぐらいはやっぱり
その言葉だと解釈が分かれうるところはあったよ
曖昧な表現だったよみたいな意味合いもあるわけじゃん
面白いよね
だから元気な時にそれが起きたらめっちゃ笑うと思う
確かにカットレタスだってなると思う
それもだから
なんでこの話を引っ張ってるかっていうと
1:09:01
本来人と違うっていうのは
特にただ面白いことなんだよ
カットしてあるねって
面白がれるねっていうことなわけだよ
でも結構そこで
普通に
何のつもりなのこれっていうさ
バカにしてんの?
お互いに余裕がなかったときにそれが発生したわけだけど
多分結構頻繁にそれは起き
それはそれこそ言語化に対して
何か言語を運用する仕様の熟練によって
割と頻繁に起こりうる時代なわけじゃん
そこで相手と自分と言葉の使い方だったり解釈が
全然違うっていうことに
面白がる余裕がない
何かすぐ苛立ってしまう
もしくは何か違った瞬間にはい押しまーす
みたいになっちゃうみたいなのがね
非常に多いんだな
多い中僕らはボロボロになりながらも
ちゃんとそこを釣り合わせて
その場で面白がれたかは知らないけど
こうやって長期的に何年に渡って語れた話を
面白がれるだけの
共通了解その場で一緒に作れたっていうのは
やっぱりすごいことだったなって思うし
それをやっぱりやれるっていうこと自体が
一つ非常に
僕が今回出席した
非哲学者による非哲学者のための
哲学入門読書会でやってることの
本当に基礎的な
本当に基礎の基礎の態度として
あったんだなというか
とにかくその
すぐには言葉通じない
誰も指してくれない
自分その書き手のことや読み手のこと
誰も指してくれないから
指してもらわない
指してもらわないでも
間違いなくこれはこうだって言えるところまで
徹底的にちゃんと確認を取っていこう
ねっていう
でもこれがどれだけ難しいことなのか
みたいなことを
今日はすごい僕は
読書会を通じて思っていて
僕もやっぱり
何よりカッタレタスのことを思い出してたんだ
そっか
そうああいうことだよなと思ってね
本当にあれは
だからあれは象徴的でカッタレタスという言葉の
意味するものが違う
っていうことで決裂仕掛け
それをどう
フラットなただの
取り違いだったっていうところまで
取り戻していくかっていう話だったなっていう
風にね
思いますよ
こんなもん結構喋ったね
結構喋ったね
今フッと疲れちゃった
1:12:01
一瞬無言の時間作っちゃったね
ということで
今後もね
仲良くやっていこう
でもさ
稲垣さんは新級だけどさ
手術医学というか
なんか別に
なんだろうね
東洋医学的思想
という意味ではさ
漢方もお友達じゃない
マジで漢方はPMSに効くから
PMSで沸騰してる人たちは
一回薬局に行ったほうがいいよ
僕もだってその頃まだ漢方飲んでないもんね
飲んでたか
すごいだから体調悪かったのがね
ちょっと体調悪いぐらいまで持ち合わせ直してた
私だって全然切れないじゃん最近
そうだね
え?そんなことない?
いや切れない
切れないね
うだうだしてたりもするけど
うーん
そうね
切れないでも
不服なところを
小出しにちゃんとしてくれるようになったよね
だからあなたは最近すごい細かい
ばっかりだよねって言うじゃん
あれはむしろ進歩だと思っていて
小言レベルで気づいたら
犬のしつけときにはすごい正しくて
僕がちゃんとやらかしたときにめって言える
後から怒られても分かんないから
その場でちゃんとピッとして
5分以内に
それだめって言うっていうことを
あなたがしてくれてるんだなって思って
できる範囲で直そうと思ってるよ
あなたも私の話を聞けないほどぐったりしてる
まあね
それはだいぶね
大きいわよね
結局は
結局身も伝わらない話で
最終的に余裕が大事っていう
余裕は大事
ところなんですが
それはね
また別の話ですので
はいということで
ズルズル喋っちゃった
ズルズル喋っちゃいますが
録音としてはここまでにしましょう
お家で行くラジオ
お相手は私、垣根翔子と
奥さんでした
どうもありがとうございました
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