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鉄骨式津波避難タワーの「タスカルタワー」など、ユニークな防災製品が目を引くフジワラ産業株式会社(大阪市)。もともとは水処理機械を考案し製品化してきた。「フジフロート自動スカム除去装置」は、水処理施設の沈殿池に浮かび上がる汚泥を取り除くための設備、仕組み。社長が発明家で、様々な製品を世に出し実用新案を取得し続けてきた。

【ゲスト】藤原秀彦氏(フジワラ産業株式会社)
【聞き手】安本寿久(産経新聞大阪本社・編集委員)

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00:00
今晩のゲスト、藤原産業株式会社の政務取締役、藤原秀彦さんです。藤原さん、こんばんは。
こんばんは。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
藤原さん、よろしくお願いします。
藤原産業という会社の紹介文をいろいろ読ませていただきまして、いろんな新製品を作られているので、非常に関心したということで、今日はそのアイデアの数々を伺おうと思っていますが、
まずですね、盆栽製品の会社とは紹介をしたんですが、水処理機器にも強みを持っている会社だということを伺いましたので、会社の概要を簡単に伺いますか。
はい、わかりました。藤原産業はですね、もともとミュー処理機械ですね、こちらをスタートしたんですが、このスタートというのはですね、仙台の社長がですね、各処理所の医療さんに入ってですね、グルッシュ配管なんかの修理ですね、これをやっていた時があるんです。
その当時、その役者の方がですね、このパイプ隙間用のスカムを取る機械があるんですが、これの変わるものが何かないかということで、うちの社長、仙台の社長がですね、それを頭にずっと置いておいて、どんなものがいいかということをずっと考えておって、それがスタートになったんですけどね。
それで、そのミュー処理機械で沈殿池がいっぱい処理所にあるんですが、その上に浮いているゴミ、スカムなんですけど、これを取り込む機械を作ってですね、それが私の当初の売れる機械になったんですけど。
なるほど。じゃあ、水処理からスタートしている会社ということになるわけですね。
それと、沈殿した大手ですね、それを滑興処理機械、この2つはミュー処理機械で、2つは発車としてですね、うちの会社が最初にスタートしたんですけど。
ただ、滑興処理機械そのものは、スカムスキーマーのあと10年くらいしてからですね、機械化したんですけど、それが当初の2つで、それからしばらくしてですね、防災関係。
これは社長がですね、社会貢献することで、人の命を助けるということが頭にずっとあってですね。
それで、1990年頃ですから、津波が結構国内とか海外であったんですけど、それで何とかできないかということで、津波が来れば高いところに逃げると。
つまり、垂直避難ですね。これになるものを最初、矢倉形式で鉄骨構造を作ったんですけどね。
それで、その時のミュー処理機械と防災関係ですね。防災関係というのは、津波避難タワーが最初の商品になったんですけど。
なるほど、わかりました。でも最初は災害の中でも津波という、または水に関係ある災害に着眼されたわけですね。
なるほど。創業は何年になるんでしょうか。
03:02
1980年です。
1980年。その時にも、社長さんのアイデアを実現するための会社としてスタートしたんですか。
そうですね。当初、田舎を出るときで、とにかく発明をすることで、何かしないと金儲けできないことで、とにかく発明をするんだということで田舎を出たんですよ。
それが20歳21歳の頃ですね。
なるほど。新種の気風に富んだ方だったと。何か作りたいと、新しいものを作りたい。それで社会貢献したいというところがスタートだったわけですね。
なるほど。起用家として非常に真っ当なスタートを生んだという。
その方が社長になられて、藤原専務はその方とは血縁関係ということになるんですか。
もちろん兄弟ですからね。
その方が社長に起用されたということですか。なるほど。最初から藤原専務もそこには参加されてたんですか。
全くしてません。
してなかった。何されてたんですか。
私は地元の企業ですね。そこで資源研究をやってたんですけど、私も転職が好きなもんで、いろいろ経験するのが好きなんでね。
転職しながら、60歳過ぎて65歳くらいの時にこちら行き、もうそろそろ兄貴の仕事を手伝ってもいいかなと思って。
じゃあもう一通りの起用人としての経験を積んだ後に、第二の仕事として選んだということなんですね。
それだけお兄さんの仕事を助けてやりたいという気持ちがあったわけですね。
助けるというのがね、私も機械が好きなんでね。
こちら行きでもすぐ営業に行きましたから、当然商品知ってましたからね。
だからそれはもうカタログ持ってすぐ全国問い回ってまいりました。
内容も知っている、技術も知っている方が営業に参った方が一番強いってことですよね。
そうですよね。
そういった意味では社長は力強い援軍衛だとこういうことですか。
それはどうか本人に確認していませんけどね。
わかりました。
でしたら外から見られているときに、藤原産業という会社の活躍売りというんですか。
いろんな商品を生み出しているのは、どういう目で見られていたんですか。
人から見ればね、こんなものが売れるかというようなものを平気で世に出しているんですね。
自動資金とか特許をどんどん出してました。
実際、商品となって売れるものが本当に千三つぐらいな感じですね。
千三つぐらい。
それだけアイディアは多いということなんですね。
そうです。
タイズは毎日、新聞なんかスイムからスイム読んで、古代新聞全部読んで、
何かヒントはないかと、タイズは朝からずっと見てましたね。
単に技術が好き、ものづくりが好きだけじゃなくて、
06:01
社会の需要というものをいつもキャッチしようと目を配っていたという感じですね。
それは外から見られていて、なかなかやるなという感じですか。
それはすごいと思いますよ。
チェックして、情報をとにかく入れ込んで、
どういうものに作れば世のためになるかどうか一生懸命やっていましたし、
大規模とか世に出回っているものを作ってもものが売れないから、
隙間産業ですかね、そういうところを着眼してものを作ったのが今のスキマですね。
そういったことをある種尊敬の目で見られていたという感じがお話から伺いますね。
尊敬いうことはないですけど、確かに立派だと思いますね。
ゼロからスタートして、今現在60人おりますけどね、そこまで慣れましたからね。
ちょっとプライベートなことですけど、おじいさんとはおいくつ違うんですか、年齢的には。
6歳です。
6歳違うんですか。
6歳違えば子供の頃とか学生の頃は結構大人に見えたおじいさんでしょうね。
そうですね。言う分の話ですけどね。
先代社長は野球やってましたからね。
ピッチャーやってたんで、家で私がキャッチやらされてました。
だから6歳違ったらすごいスピードボールなんですよ。怖かったですよ。
手加減なしであげてたんですか。
なしです。怖いから目をつぶるとかね、足を引く仕組みだしたので、ものすごい叱られました。
結構お父さんの感じがしますね。厳しい父の感じがしますね。
本当です。それはすごかったですよ。だから私もキャッチ音楽上手かったですよ。
スパルタで鍛えられたんですか。
相手を差し上げましたからね。
ついでながらなんですけど、そのおじいさんから仕事も丁寧にしたんだったら、俺のところに来てくれと言われたようなサジェスチョンはあったんですか。
間接的には耳にしたことはありますけどね、直接はないです。
それはお兄さんの境地かもしれない。
やっぱり私ら兄弟でね、社長は長男ですから、私二乱歩ですからね。二乱いのは何事にもつけない。
田舎では特にね。
特にそうですからね。
それと6つ違いはさらにということでしょうね。
弟の方はしっかりとお兄ちゃんの仕事ぶりとか性格を見抜いていて、いつか助けてやろうと思ってたんではないかなと。
だいだい将来会ったかもしれませんけどね。
一応今専務取締役ということなんですが、補佐役のようにされてるという理解でいいですか。
いいです。
その二人が育ったですね、距離の話をちょっと聞きたいんですね。
そこで育まれた者が、世の中に役に立つものを作ってやろうとか、今は何なのかといったことまで考える素人になったと思うんですよね。
09:08
ご出身はどちらということになりますか。
岡山県和家郡、和家郡和家町、和家ですね。今は和家ですけど。
生まれたのは、今は岡山県備前市吉永町津井大間台とかです。
それは岡山県の地図で言うとどの辺りになるんですか。北の方ですか、南の方ですか。
東ですね、東の南ですから、海から言うと25キロくらい入ったところですけどね。
山間部という感じですか。
和田さんのところは中山間。
中山間みたいね、なるほど。そこに実は有名な歴史上の方がいて、その方が藤原政務にとっては一種影響を受けた人だという話も伺っていますので、
番組の後半でその辺をグッと伺った上で、新製品を生み出すアイデアの数々という本題に入ろうと思いますので、後半もよろしくお願いします。
後半も引き続き、藤原産業株式会社の政務取締役、藤原英夫さんにお話を伺います。
藤原さん、距離が岡山だということを伺いましたが、ここで有名な歴史上の人物で、藤原さんの仕事にも今の仕事と関係がある方で、熊澤万山という方がいらっしゃいます。
この方にかなり影響を受けたというお話を伺っているんですが、どういう影響を受けたかというお話から伺いましょうか。
熊澤万山ですね、陽明学の専属者なんですけど、東樹さんもおられるんですけどね、第一の弟子というんですかね、そういう方ですけど、
知識を得れば、それを蓄えるだけではなく実行するんですから、それをやった方で、とにかく私もよく社長ともそういう話をいっぱいしていたんですけど、
とにかく、物をとにかくやり遂げる、最後までやるというですね、考えたらそれを物にしてみると、そういうことを徹底しようということで、色々やってきましたけどね。
それがあるから、どうですかね、私もチャレンジするのが好きなんですよ。失敗を襲いたら何もできませんからね。
もともとは熊澤万山ですね、地産地衰に力を入れて、1654年ですか、浅井河の大洪水、55年の大気金ですね。
これに合わせて、ちょうど池田水政公が、万山に任せるから何とかやれということで、浅井河の大改修、それから今でも役に立っている浅井河の支流の百犬川ですね。
これの築造、それから半田山とか辰野口なんかの植林ですね。
12:01
そうやって水を山に蓄えるということを、今では一番皆さん気になることだったと思うんですけど、それをその当時やり遂げた方ですね。
そういう方が、我々の地元ですね、地元で八十寺という村ですよね。そこで開婚して、遺材育成というときには武士になってですね、戦うという、そういうところで育ったものですから。
やっぱりその影響をかげながら受け取ると思いますね。
子どもの頃からそういうことは、実績はご存知だったんですか。
結構ね、私らの田舎ですね、そういう言葉情報が流されたときの座った石とかですね。
お屋敷ですね、お屋敷のがあるんですけど、そういう地名もいっぱい残ってましたね。
結構そういう歴史のようなものは、結構私も知事からですね、聞いてましたから、やっぱり影響は受け取ると思いますね。
なるほどね。これ非常に僕いい話だと思うんですね。
最近の子は偉人伝とかですね、伝記のようなものはあまり読まないんですけども、やっぱり一番いい教育というのは、
こんな人がいたんだからこんな人みたいになりたいとか、同じような仕事をしてみたいとか、
そういうことを知るのが子どものときの一番必要な、僕は教育だと思っているんですね。
それが身近にあって学べる環境にあったというのは非常に良かったんですね。
学校がある町よりも非常に生きた教材があることだと思いますけどね。
今でもですね、バンザーの資料館なんかですね、地元のビジネスなんかを今作ってですね、
市民の方にですね、もっとどんどん広めなきゃいけないことで今もやってますけどね。
地元の結構岡山県はですね、地元から出た人も結構おりますんでね、
そういうことをですね、今の教育の中にもっと異人ですかね、県の輩出の異人の方の話をですね、
もっと教育に入れてもいいんじゃないかと思いますけどね。
なるほどね。バンザーは陽明学者ですから知議を応援といってね、知ってるだけじゃ知識じゃないんで、
行動に移して実際に形にしないとというところがあって、
そのあたりも非常に藤原五兄弟の素養といいますか、土台になっているような気がしますね。
わかりました。
そういったこともあって、ものづくり、あるいは治水、あるいは防災という企業に行かれた、
そういう企業をされたということだと思います。
でしたらここからいよいよですね、ヒット商品どうやって向くかという本題に少しずつ入っていきたいんですが、
まず防災商品としてのヒット商品第1号は、フジフロート自動スカム除去装置でいいですか。
水です。
水ですか、水で掃除。これが最初のヒット商品ですね。
先ほど伺いましたけど、水に浮いているゴミとかそういうものを除去するということなんですね。
15:01
これを作った契機としてはやはりこのバンザーの考え方とか、
やっぱり今大事なものは何か、必要なものは何かというところがスタートということですね。
やっぱりお客さんがですね、これに変わるもの何かないかということですね。
ここでずっと考えていたらですね、私とか昔風呂ですね、入っていて、
まあ今日だか多いですから、上に人がかかってから汚れが浮きますが、
これは洗面器ですくうんですかね、ちょっと沈めてやったら表面が流れ込みます。
これも一つのヒントだったんですよ。
どうとつけると流れませんけど、少し沈めてやると勢いよく流れますね。
それとですね、もう一つは社長がこちら大阪に出てきてですね、川に浮いている材木ですね。
これを見とって、この材木を上下にさせればね、上の表面の水が流れ込むと。
それから考え続けたのが今のフジフロート、自動つかむ除去装置というのです。
池の石板をですね、上下さすことによってスカムを取り込むと、
これを図面化したのが今の商品の始まりですね。
沈めている瞬間にゴミの部分を外に出すという、こういう発想ですね。
それが風呂から生まれたというのは非常に面白いですね。
最近までですね、とにかく水槽の代わりに風呂の中に入ってですね。
風呂に入っていろいろやってた他のもいっぱいあるんですけどね。
それが最初の発案のヒントです。
じゃああれですね、風呂に入ってぼやっとしててもいけないわけ。
とにかくいろいろなおもちゃ、今でいうおもちゃですね。
いっぱい風呂にあったという話を聞きましたよ。
そこでまた兄弟が多くてという話も非常に心を打たれるようなものがありますけども。
何人子兄弟だったんですか。
6人兄弟です。
5長男と5児男ということですね。
下もおります。
下もいらっしゃるし。
家庭環境が大事だと改めて思いました。
田舎の百姓の家ですからね、ほとんど。
もう1つ防災製品のほうも伺おうと思いますが、こちらのほうの第1号はタスカルタワーでよろしいんでしょうか。
これはどんなものですか。
これは津波とか洪水が来たときに逃げるところですね。
上に逃げる、2階、3階に逃げればいいんですけど。
普通の家だったら1階が多かったんで。
とにかく構造物で上に逃げるものを作ることで、商品名タスカルタワーになったんですけど。
タスカルタワーですね。
これは最初、実験ですが、模型の大きいものを作って工場の宿に建ったんですよ。
18:02
それがテレビに放映されたんです。
それを岡山ウルク会社の時のお客さんが、大阪に面白い人が襲われて。
お兄さんが作られたんですもんね。
その時、そうかなって聞いとったんですけどね。
後で私が、あれは実は私の愛ですよって言ったんですよ。
すごいびっくりされたことを覚えています。
それだけ全国的に注目されたアイデア。
面白いアイデアですね。
やっぱり注目を集めるんですかね。
なおかつ役に立つものですね。
それがタスカルタワー、津波避難タワーですね。
ネーミングもいいですよね。
とにかく高いところに行けるというタワーなんですね。
これは今も販売はされてるんですか。
してますし、今48基お客さんに提供してます。
なるほど。
地方地方に行けばそのタワーが見えるところもあるわけですね。
ちなみにこれを買おうと思うと、だいたいどういう方が買われるんですか。
自治体さんですね。
それと民間企業さんで、やっぱり従業員を何とかしなきゃという。
そういう会社で私はもう民間企業さんに3社してますね。
なるほどね。
いざという時に社員をどう逃がすかって一生懸命考えてる会社ということに
取りも直さずになるんじゃないかなと思いますけど。
それと従業員だけなしに近隣の方ですね、避難に一生懸命使ってもらえることで
社会貢献の意味も含めて作っておられるところもあります。
なるほどね。
それ結構社内、会社のイメージアプリもいいですよね。
そうです。
周囲の住民のことも考えてこういうものを設置しましたということが、
それこそ四六時中見えるわけですよね。
見えますからね。
ある意味アピールをしてるようなもんですね、会社の方針ということ。
これはもっともっと増えてほしいですね。
去年、一昨年になりますけどね、北海道地区ですね、北海道とか東北ですね、
千島海溝、日本海溝による地震が発生したときですね、相当大きな津波が来ることで
今、力を入れてですね、北海道町さんとか東北間の各県ですね、国もですけど、
東北地方下地域に108カ所ですか、市町村指定してですね、
何とかやるようにいうことで今、計画を練っている段階です。
なるほど。震災の備えっていうのはね、いつも普段にしておかなければいけないもんですから、
こういうものがいつでも供給できるよという体制があるっていうのは非常に心丈夫なことだと思いますね。
わかりました。もう少し聞きたいのですが、そろそろ時間ですので、
21:01
来週はですね、本当に商品これもある、これもある、これもあるという話で、
アイデアの数々を披露していただきたいと思いますので、来週も引き続き来ていただいてよろしくお願いします。
はい、こちらこそ。
21:15

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