改めまして、今晩のゲストは、株式会社カジテックの代表取締役社長、梶浦昇さんです。
梶浦さん、こんばんは。
こんばんは。
来週よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
いろいろと聞きたいことや思いなんですが、新聞等の切り抜きを見てますと、昨年の11月にちょうど創業100年をお迎えになったんですよね。
そうですね。詳しくは昨年の5月が創業日ですので、5月に100年を迎えたということになります。
11月は式典を行われたということですね。
もともとはシューズ用品などを扱っていたというふうに伺っているんですが。
もともとの発足は、主に軍の靴だと思うんですけど、
軍足に向けての、例えば靴紐であったり、あるいは靴紐を通すところに小さい輪っかがあるんですけど、丸い金属の輪なんですけど、
ハトメっていうんですが、そういうものを製造しているメーカーでした。
なるほど。これ軍足ですから戦前というぐらいになるわけですね。
そうですね。1922年のことですね。
戦後で大きく社業を変えざるを得なかったということが想像できるんですが、どうでしょう。
そうですね。戦前は、うちの祖父が創業したんですけども、
海外、特に今でいう朝鮮ですとか、満州にそういった副資材、ハトメとか靴紐を作る工場を持ってたんですね。
ところが第二次世界大戦で日本敗戦国になりましたので、海外資産が全部没収されてしまいまして、
日本に引き上げていって、そこで事業転換をして、メーカーという立場から卸売、出入業という方に方向転換をしたということになります。
そのときにやはりシューズというところはずっと続けておられるということですね。
まだ戦前戦後というのは、まだシューズの需要も結構多くて、需要はもちろん多いんですけど、
日本で作ってても再産があったんですよね。ですからまだ日本でたくさんの企業がシューズを生産されていた。
それに向けてパーツ、副資材を販売供給させていただいてたという形です。
今はプラスチック製ホックのカジテックというのが題名詞になっているんですが、
これはどこかで大きく、社業を転換しなきゃいけないような状況に陥ったときがあるわけですね。
それはいつ頃でどういうことだったかというのを教えてもらえますか。
1980年代ぐらいからだんだん円高が進みまして、
我々のお客様も日本の生産からだんだん拠点、生産基地を海外に移していったんですね。
ですので国内のパーツとか副資材の需要がもともと減っていきました。
そういう事例が年に何回かありました。
それから金属ですので、どうしてもお肌の弱い赤ちゃん、
アトピーとか金属アレルギーのお子さん、赤ちゃんいますので、
やっぱりその金属よりプラスチックの方がいいだろうということ。
なおこれが服からピョイッと取れて、赤ちゃん何でも口に入れるので、
飲み込んで重大事故になった事例とかもあったので、
そこは変えたいなと。プラスチック製のホッグに変えることによって
そういった問題でも解消できるだろうということで、
このプラスチック製のホッグをPB服に販促始めたわけです。
なるほどね。これ大転換ですよね。
扱う商品も変えれば売り込み先と言いますか、顧客もガラッと変えるわけですから、
大変な苦労があったんじゃないかと思いますが、
その苦労をこれから順次聞いていきたいんですけど、
まず商品を確保するところの苦労ってのはどれくらいありましたか。
当社は販売会社ですので、物を作る会社が別にございますが、
作ってそこの独占と言いますか代理店で、うちは販売させていただいているんですけども、
もともとその会社もどちらかというと雑貨とか、
あるいは例えばですね、傘の折りたたみ傘とか、
クルッと最後回してパチッと止める。
ありますね。そういえばプラスチックですね。
開いたものですとか、あるいは本当の雨がっぱとか、
あるいは文具の筆箱とか、そういったところには使われてたんですけど、
アパレル向けっていうのはあまり生産してなかったんですね。
ですから、そういった雑貨向けのプラスチックフォックと、
アパレル向けのプラスチックフォックってやっぱりちょっと違うので、やっぱり繊細。
アパレルの方がどちらかというとオシャレに見えて、
そして手触りもいいよね。
そんな感じですよね。
ですからその辺で生産する時の苦労っていうのはありましたし、
後で申し上げますけど、赤ちゃんの服なので一番品質の基準が高いんですよね。
普通のプラスチックフォックよりも取らないといけないテストとか、
受からないといけないものっていうのがたくさんありまして、
それをクリアするのがやっぱり苦労したところはありますね。
じゃあそういったものをまず作ってくださいとお願いに行って、
一緒に商品開発をしていくということも結構あったわけですね。
実際にそこの製造されるところが、
新しいアパレル向けの小さなフォックを作られたっていうタイミングもあったんです。
ちょうどそのタイミングがあって、
なおかつ我々がベビー服の方にターゲットを絞っていこうと。
それは社長が探してこられたんですか?
なるほど。反応はどんなもんですか?
最初はなかなかうまくいかなくてですね、もともと金属のホックがついてた。
金属のホックを使ってるわけですよね。
もうそれがほぼ100%ですので、プラスチックのを持っていくと、いや、割れるんじゃないかとか、安っぽいとか。
工場にはですね、すでに金属製を取り付ける機械が設置されてるんですね。
ですからもうすでにラインで取り付けの機械が設置されてるから、もう今から変えるのめんどくさいとか、否定的な意見のオンパレードでした。
ということは、ベビー服を作ってる方としては、今でそんなに不都合を感じてないということでしょうね。
そうですね。逆にプラスチックホックに変えたことで、何か問題が起きたら、多分大変っていう風な感じを受けたんだろうと思います。
ああ、なるほどね。新しく設備を変えるのもお金もいいでしょうから、今で不都合がなければそのままいきたいというのが人情かなと思いますよね。
それを変えなきゃいけないわけですから、どういう努力をされました?
そうですね、本当に心が折れそうになっていくぐらい否定的だったんですよ。
ある時に、申し上げていいと思うんですけど、レナウンさんって誰もが知ってもらいますよね。大手さんなんですけど、
その当時、今はやってないんですけど、赤ちゃんの服やられてたんですね。
そこに紹介、反則に行った時に、今でも覚えてるんですけど、品質管理部の小林課長さんという方がおられまして、
その方が、これからは絶対プラスチックになるって断言していただいたんですよ。
お母さん10人に、赤ちゃんをお持ちのお母さんに、片方がプラスチックをつけたBB服、もう一個が金属つけたプラスチック。
モニターをやっていただいたんです。
その結果が、8人のお母さんがプラスチックを選んで、2人がどちらでもいいっていう結果を得られたんですよ。
それがものすごく我々を勇気づけてくれて、
お母さんたちはこっちの方がいいと思ってるんだっていうことをわかったわけですから、
それで改めて力を入れて、今まで本当に否定的に言われてたところも、お話ししに再度行った。
自信を持って今度は売り込みにかかれるという状況になったわけですね。
なりました。
という意味ではレナンさん、結構恩人ですね。
本当に恩人です。
そこも、ただいいと思った課長さんの考えじゃなくて、きちっと調査をされているところは、こちらにとっても心強いところですよね。
1人がただいいって言ってるわけじゃないわけですから。
そうです。
じゃあその自信を持って今度どのあたりに開拓に行かれましたか。
西日本ではやはり大手のチェーンの量販店さんとか、
あるいは東日本ですと、SPAの誰もが知っている日本を代表するアパレルさんとかいうところに行きました。