2024-11-05 22:12

#7-1 芥川龍之介をはじめとする文豪はなぜ「#田端」に集まった?|ゲスト: 石川士朗さん

【今月のゲスト】

田端文士村記念館の館長補佐、学芸員の石川士朗さん


【今回のトークテーマ】 

・学生時代に政治学を学び、現在は美術業界で活躍する石川さんのこれまで

・芥川龍之介をはじめとする文豪はなぜ「#田端」に集まった?


北区初の女性区長である、やまだ加奈子さんによる冠番組。彼女の抱く展望や、北区の未来を描くゲストをお迎えし、様々なテーマをもとに、北区の未来予想図を語り合います。


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東京都北区初の女性区長、山田カナコ。
彼女の描く展望や、未来を描くゲストとの対談など、
北区の新たなビジョンを語るこの番組。
今日は、どんな北区未来予想図が描かれるのでしょうか。
おはようございます。北区長の山田カナコです。
本日11月5日火曜日、今月も元気にお届けいたします。
みなさん、この3連休はいかがでしたか。
連休明けの火曜日、気持ちの切り替えって本当に大切ですよね。
私のですね、リフレッシュ法は、やっぱり音楽を聞いたりすること、
本読むのも好きですし、連休、ちょっと前になりますけども、
大好きなアーティストのコンサートにも行ってきました。
そんなで、切り替えて私も頑張っていきたいなと思っております。
皆様も頑張っていきましょう。
寒くなってきましたので、暖かくして、
11月も自分自身を大切に過ごしてまいりましょうね。
さて、今月のトークテーマは、
芥川龍之介が暮らした文化のまちづくりをもう一度、です。
北区田畑は、田畑文史芸術家村といって、
芥川龍之介を筆頭に文豪が多く住んでいた町です。
活躍した文史芸術家の功績など大切な田畑の歴史を継承し続けている
田畑文史村記念館について、
そしてその当時の文化のまちづくりを再現するためには、
そんなお話を今月はしていこうと思います。
そして、ゲストをご紹介させていただきます。
田畑文史村記念館の館長補佐であります、
学芸員の石川志郎さんをお迎えいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
石川志郎です。よろしくお願いします。
まずは、石川さんのプロフィールをお伺いしてもよろしいでしょうか。
はい。田畑生まれ、田畑育ち、現在は西ヶ原在住の石川です。
学生時代は政治学を学んでいましたが、ひょんなことから美術業界に入りまして、
日暮里のギャラリーの立ち上げなどで県産を積みました。
20代半ばまで現在の北区文化振興財団に拾っていただきまして、
田畑文史村記念館、大路にある劇場、北都ピアでの落語会、音楽ライブの企画をしていました。
はい。もともと学生時代は政治学を学ばれていて、先ほどひょんなことからという話だったのですが、
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政治学を学ばれてから美術業界に転身されて、そして現在に至ると、とても珍しいなと思って、
逆に言うと、そういったご経歴が今のさまざまな幅広い視野からの学芸員としての活動につながっているのかなと思っているのですが、
その辺、伺ってもいいですか。
そうですね。おっしゃる通り、文学、美術を専門にずっと勉強してきて、それから学芸員になったというよりも、
幅広い視野から、俯瞰的に街づくり、そういった大きな目で学んできましたので、
そういったことを今の仕事に役立てられればなと思っています。
本当に田畑文子村のさまざまな企画展ですとか、展覧会、街歩きとか講演会、いろんな企画をご先頭していただいていて、
取材もすごい数受けられていますよね。
いろんな田畑文子村やそれぞれの文豪の記事なんか見ると、志川さんがちょくちょく実は拝見しておりまして、見ています。
ありがとうございます。
その辺も本当にお仕事の幅が広いですよね。
また今、2026年度完成予定の歌唱芥川龍之介記念館区として開設に向けて頑張っているのですが、
ここにおいても区の職員と一緒に大変重要な役割を担っていただいて、お手伝いというよりも中心役として牽引していただいていると思っています。
幅広いお仕事をされている学芸員の石川さんですが、この文子村記念館をずっとお務めいただいていて、
昨年が30周年、そして今年が11月4日で31周年を迎えたということです。本当におめでとうございます。
ありがとうございます。
昨年の30周年が一つの分岐点となって、そして1年間、これまでの田畑文子村記念館の取り組まれてきた思いだとか、そういったこともちょっと伺っていいですか。
そうですね。今私が現在行っている業務として、田畑文子村記念館で芥川龍之介をはじめとする田畑文子芸術家の展覧会、街歩きのイベント、講演会の企画などをしています。
他にも、飛鳥山博物館のアートギャラリーで、短近課で人間国宝の奥山宝石先生の常設展示スペースも担当しているところです。
今お話もあったとおり、それと並行しまして、2026年度に完成予定の芥川芥川龍之介記念館の開館に向けて、帰宅の職員の皆様とともに準備、お手伝いをさせていただいているところです。
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ありがとうございます。芥川龍之介記念館については、また後ほど伺っていきたいと思いますので、
まず開館から31周年、現在の田畑文子村に至るまでの長い歴史の中で専門家のお立場から、これまで1993年に開館してから様々な取り組みをされてきて、リピーターが多く、本当に先ほどもお話しましたが、取材も多く受けられていて、コロナを乗り越えてまいりました。
この辺の記憶に残る企画ですとか、ご苦労されてきたところとか、そんなところもちょっと伺っていいですか。
今おっしゃったとおり、1993年に田畑文子村記念館は、田畑の駅前に開館しています。
当初は作家のご子息からご寄贈いただいた資料の展示ですとか、そのご子息、ご自身の講演会などを行ってきました。
初代の館長も中勤科の内藤春次のご長男であられる順一郎先生でした。
内藤初代館長、それとその当時にいた学芸員の皆様が、現在の文子村記念館の礎を築いてきたということになります。
展記としましては、30周年もそうだったんですが、2015年にリニューアルオープンしまして、展示スペースが非常に大きくなりました。
それまでいただいてきた資料と、先輩の学芸員さんたちが培ってきた調査研究、そういったものを展示として再構築しまして、企画展を行うようになりました。
その企画展を行うことで、リピーターさんが増えたり、あとは取材がたくさん出てきたということで、年々入館者も増えてきております。
特に今は、若い女性の方が多くお見えになっています。
そうですか。これは素晴らしいですね。
そうですね。
口っこ魅力の高い若い女性の皆さんが来てくださって嬉しいなと思いますが、開館以来様々な変化というか、進化を遂げて今に至るというのを今のお話でもすごく感じておりますし、
北区としても、赤羽大路、そして田畑、区内を大きく分けたときに、田畑の一番のメインは、この田畑分子村記念館。
ここが田畑の中心となって、様々な区外からお見えいただく方々だったり、区内の方々も北区を楽しんでいただく、その一番中心の場所になるのが、田畑分子村記念館だと思うんですね。
そこがさらに発展していくということが、すごくこれからの北区の街づくりだとか、発展に期待されるところだと思います。
そういった意味で、田畑分子村記念館が北区にもたらすものということでいくと、石川さんからご覧になって、どんなふうに感じられますか。
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分子村記念館は、日本全国からそれぞれの作家のファンの方たちが集まります。
特に芥川龍之介は知名度が抜群ですし、
知らない人いないですもんね。
現在もたくさんの方に読者がいらっしゃいます。
分子村記念館では、2017年に芥川龍之介の没後90年を契機に、明日である7月24日、かっぱ期というんですが、
ご遺族のご協力をいただきまして、当館が世話人として篠深いかっぱ期を実施するようになりました。
昨年は、区長もご参加いただきましたが、
邪魔させていただきました。
滝野川会館で芥川諸作家をお招きしまして講演をしたのと、
あとは芥川研究者のシンポジウム、非常に大盛況でありがとうございました。
本当に盛り上がっておりましたし、やっぱりこのかっぱ期をもう一度やろうというふうになって、
亡くなられた当時、忍ぶ皆様がかっぱ期をずっとやられていて、
一時亡くなって、また忍ぶ会として世話人の皆様がかっぱ期をもう一度やろうよというふうに盛り上がった。
ここの部分も非常に文化振興祭壇の皆さんを中心として、
帰宅も関わってこれているというのはすごく私、嬉しいなと思いますし、
こういった一個一個が、一つ一つがですね、
芥川龍之介ファンをはじめ、さまざまな文豪、こういったものの取り組みに角を広げていく意味では、
なかなか行政だけでは思いつかないところを、本当に素晴らしいなっていつも感じているんですけど、
その辺工夫されているところとかっていうのはどうですかね。
そうですね、やはりサッカーそれぞれの特徴に合わせて、
お客様、ファンの方が好きなところを抽出してあげることっていうのは大事にしています。
それとやっぱり区民の皆様にもぜひ来てもらいたいと思ってますので、
芥川龍之介を忍び、田畑に住んでいたってことを街の特徴として捉えていただきたいなというふうに、
それで自分の街に芥川が住んでいたんだ。
すごいですよね。
芥川龍之介の名前を知らない日本人は絶対いないと。
思うぐらい必ず学校で習う、言いますし読みますし、
その芥川龍之介が北区田畑に住んでいたってことを知らない区民の方々も多くいらっしゃるんじゃないかというふうに思ってますので、
そこはやっぱり誇りに思ってどんどん発信していけるようなことをしたいなと思っております。
また北区文化振興財団が様々な視点を捉えて、
個性豊かな文化都市北区としての実現ですね、文化芸術事業を行っていただいております。
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文化芸術といえば活動拠点のここ北を運営しておりますが、
こういった文化や芸術活動拠点やそういった集積をされている田畑文子村記念館とか、
株となってさまざまなもうちょっと身近に区民の方々や他の方々が、
区内で文化とか芸術に触れられるようなものを広げていきたいなっていうのを本当に感じています。
改めてですね、この田畑についてもちょっと伺いたいなと思うんですけども、文豪が集まる町田畑、
そもそも田畑文子村記念館ができる元となったのが、文豪が集まる町田畑があったからだと思うんですけども、
その辺の文豪が集まった田畑の魅力って何だったのか、こういったこともですね、ちょっと伺いたいと思いますが、よろしいでしょうか。
田畑に文子芸術家たちが集まった理由というのは大きく3つあります。
1つ目が、寛静な土地だったことというのがあります。
明治中頃までは田畑は寛静な農村地帯でしたので、小川も流れていましたし、農家がたくさんあったと。
そんなところでしたので、都心部に比べて家賃が安かったんだろうなというふうに思います。
これは若き芸術家にとってはとてもいい条件だったのかなという。
魅力ですね。
また高台だったんです。今もそうですが、高台でしたから、そこからの眺望というのはすごくよかった。
それと水はけがよかったり、風通しがよかったり、そんなことも創作の場に適してたんじゃないかなというふうに思います。
やっぱりそういった眺望とか、そういったのは選ばれる一つになるんですね。
もう1つ目が利便性です。
これは帰宅は駅が多いということで特徴の一つですが、
同じように田畑は明治29年から、今でいうと山手線の田畑駅が開業しました。
これで利便性が格段に上がるわけですね。
農家が多かったんですが、そこに近代文明というのが入ってきます。
上野から近い田畑には東京芸大が上野にありましたので、そういった芸大関係者、あるいは卒業生、
そこを目指す若者、そういった人たちが暮らし始めました。
駅周辺には芸術家以外の転入者も町として増えてきましたので、
次第に村から町へと明治の末から大正にかけて変わっていきました。
なので利便性というのが2つ目になります。
3つ目がキーマンがいたというふうに紹介しています。
なるほど。
僕もそうだと思いますが、田畑には当時、画家の小杉保安、陶芸家の板谷羽山、こういった美術界、工芸界を牽引する人たちが定住していました。
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なので彼らを慕った友人、あるいは後輩、そういった人たちが集まり始めます。
文史で言うと、当時東京大学に通っていた芥川龍之介、あるいは詩人の室尾歳生、厚労時代から田畑に移ってきたんですが、
なのでまだまだ売れない時代だったわけです。
ただそこで田畑時代にお互いに羅小門という単行本を発表したりですとか、
室尾歳生も第一詩集を田畑から出したりしまして、大正するようになりまして文壇に登場したことで、
同時代の作家、あるいは作家を慕う、作家志望の若者だとか、後進ですね。
そういった人たちがたくさん住むようになったということになります。
なのでそういったことで、同じ道を志す若者たちが揃えば、文学談議、美術談議、時には飲み会みたいな感じで暴れてたこともあるかもしれませんが、
そういった時っていうのは楽しいですし、近所に住みたいよねっていうような、そういったことがあったかと思います。
なるほど。コミュニティができてたってことですね。
やっぱり昔はインターネットもテレビもないですから、ちょうどその時代のあった芸術の潮流って言いますか、春は何かっていう話が飲み会でできたんです。
それが田畑だったと。
そうですね。
あとはお互いに雑誌を出したりだとか、何か一緒の仕事をしようってなると、やっぱり膝をつき合わせて顔を合わせてお話した方が建設的だということで近くに住んだということですので、
仲間が近くにいて、人が人を呼んで芸術カメラができあがったということになります。
田畑から日本を代表する作品がたくさん生まれてるっていうのが感動ですね。
そうですね。
もうぜひ多くの方に知っていただきたいですし、来ていただきたいなって改めて感じます。
この人が人を呼ぶというコミュニティができていく、これはもう芸術や文化だけではなく様々なところでそうだと思うんですが、
この芸術村が出来上がってきて、今もそういったことは今の田畑や北区の中でもまだ生きているっていうのを伺ったことあるんですけど、
この辺についても教えてください。
そうですね。現在は個人情報の関係で住所が出せないというのはあるんですが、
分かっているだけでも、例えば絵地図を描いている高橋恵美さん、
あるいは劇団文化座の代表であり俳優の佐々木愛さん、
落語家の五代目ミッキス決勝、勝田ミッキス決勝ですね。
あとは洋画家、沢田翔太郎のお嬢様も画家でおられると。
そういったことで田畑に今も暮らしているというのが分かっています。
他にもですね、田畑に文子村記念館の隣に駐輪場があるんですが、
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その駐輪場をよく利用されているのが詩人の四つ本安博さん。
すごいですね。やっぱりこれはですね、他にない魅力ですよね。
そうですね。
なので当時からの文子村としての田畑が今もしっかりと息づいて受け継がれて発展している。
記念館だけではなくて周辺の田畑の町や帰宅の町の文化芸術というのが
今もなお生き続けているんだなと思うと、
さらにそれを後世に引き継いでいかなきゃいけないなというふうに本当に感じますし、
これからの取り組みがプレッシャーかかりますね。
そうですね。私は田畑に生まれて、移り変わりを40年以上見てきましたので、
町がですね、大きく変わりました。
駅前には大きなビルが、文子村記念館の飛鳥タワーもそうですが、大きく変わりました。
どんどん便利になってきています。
ただ一方で特徴がちょっと薄れてきてしまっているかな。
どの町も均一化合理化されてきていますので、
田畑文子村文子芸術家村があったんだよという、
そういう文化的な歴史的事実というのを、町の特徴や個性に生かして、
これからの未来の町づくりに生かしてもらいたいなというふうに思っているところです。
本当に田畑文子村記念館に来られた方々が、記念館だけではなくて、
そこから町を歩いていただく。
司会さんも様々な町歩きのコーディネートとかもされていますので、
そういう意味ではそういった町づくりを目指して広げていきたいなというふうにも思っております。
これまで田畑文子村があったという文化的な歴史的事実を、
町の特徴ということでこれから引き継いでいく、
そういったお話を石川さんからもいただきました。
私たち北区としてもその考えを石川さんをはじめ、
文化振興財団の皆様や関係者の皆さんと一緒に追求していきたいなというふうに思っております。
文子が愛した田畑の魅力について迫ってきましたが、
その文子の一人であり、今後記念館を北区に構える芥川龍之介について、
次回じっくりとお話を伺っていきたいと思います。
本日は文子が愛した田畑の魅力について、石川さんにお話を伺ってまいりました。
石川さん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
次回はですね、その文子の一人で、今後記念館を北区に構える芥川龍之介について、
じっくりとお話を伺っていけたらと思っています。
皆様、次回もお楽しみに。素敵な一日をお過ごしくださいね。
パーソナリティ山田花子でした。
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