1. 終わりかけのRadio ・今夜も最終回
  2. 第148回 親ガチャ論争の本質と..
2021-10-11 35:06

第148回 親ガチャ論争の本質とは?

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads
spotify apple_podcasts youtube

最近話題になった「親ガチャ」について思うことをいつもより熱量高めで話し合いました。

▼ 目次
時事呆談のスピンオフ企画
「45歳定年制」とは
「親ガチャ」について

▼ 関連リンク
ひろゆき氏、「親ガチャ」不謹慎に疑問「子どもが虐待されていると言ってはいけないと思ってしまう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5e64e8d1f99feee50ec81c8b843c555d1e781264

#親ガチャ

▼ お便りはこちら
https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9

00:04
どうも、TAZAWAです。
どうも、WATAです。
今回は、時事放談のスピンオフ的な感じでやろうかなと思って。
はいはいはいはい。
時事放談でやってもよかったんですけど、その月にね、世間で話題になったテーマを喋ってみようかなということで。
結果、どういうふうに着地するかわかんないんですけど、今回はじゃあ、今世間で話題になってたかな、ちょっとこの間まで。
45歳定年制っていうのと、親ガチャという表現について。
これどっちもすごい刺激的な言葉ですよね。
言葉の印象以上に、結構言葉の意味がすごい強烈な感じはしますよ。
ちなみにこれ、わからない方もいらっしゃるかと思うので、一応説明しましょうか。
45歳定年制っていうのは、あれサントリーの社長でしたっけ?
はい、そうそうそうそう。
僕、実は経緯あんまりよくわからないんですけど、そういうのもいいんじゃないかっていうことを軽く言ったんです。
まあ、なんか結構ね、いろいろあれなんですよ、今そういう日本のグローバルカンパニーみたいなところが早期退職とかをすごい募ってて。
昨日はパナソニックが2002年の早期退職とか募ってて。
そういう流れで、ある種その45歳定年っていう、それとは別の切り口でそういうのを促すっていうのは方向性としてありなんじゃないかみたいな議論の中で起きたことを聞いてますね。
まあ、それでもう本当にもう賛否両論って感じですね、これはね。
そうですね、まあちょっと言葉で捉えるとね、なかなかうってくる部分はありますよね。
あと親ガチャですね。親ガチャっていうのは、要するに子は親を選べないっていうことですかね。
まあ、だから家庭環境とかによっていろいろあるから、親ガチャ失敗したよみたいなことでそういう使い方をしてるってことですかね。
それで、若者の間でそういう表現が流行ってるっていう。で、これに関してもいろんな人がいろんな意見を言ってて。
あれはね、難しいよね。
ここ、田沢さんが今ね、ひろゆきの、ひろゆきのあれですよね。
参考資料ね。
参考資料としてね、りょうゆきの記事をつけてくれてるんですけど。
だいたいこういう時にひろゆきの意見を言ってるんで、なんか問題的としては彼の意見もすごく扱いやすいんで。
特にね、ひろゆきを自するつもりは今回は別にないですけど。
実はでもあんま僕読んでないですよ、ひろゆきの。
一応参考資料としてあげただけなんですけど。
どうですか?
そうですね。
まあでもなんかやっぱ僕はちょっと極論言ってんなっていう風な。
どれがですか?
例えばその親ガチャの不謹慎について。
親ガチャっていうのが不謹慎だと言われてることについて疑問を呈してるっていう記事ですよね。
これ多分サンジャポカなんかで。
子供が虐待されてると言ってはいけないと思ってしまうんじゃないかと。
親ガチャって表現が許されないのであれば、
子供自身が虐待を訴えたことが難しくならないっていう解釈なのかなという風に。
親に虐待されてることを言えない子供っていうのはまあいっぱいいるんですよと。
それをなんか親ガチャって言ったらちょっと緩い言葉で。
03:00
まあそういう言葉ですら禁止するっていうのは、
そういう発信をする機会を失っちゃうんじゃないかみたいな。
言わんとしてることはわからなくはないんですけども、
捉え方がちょっと極端だなっていう風には思うんですよね。
親ガチャっていう言葉を許容するかどうかで、
子供が危機的な状況を発信できるかどうかってイコールではない気はしていて。
言葉だけを抽出して社会問題と結びつけてる気がするんですけど、
そんな単純な問題じゃない気はしていますね。
だからこの言葉と子供の虐待っていうのを率直につなげちゃうと、
そのものをすっ飛ばしちゃうような気がするっていう意味でちょっと極端かなとは思いましたけどね。
まあでも一方で難しいのは、
親を選べないっていうのはすごいあるなというか、
あるなって僕なんかが言っちゃいけないんですけど、
そういう構造の中で親を選べない状態で、
すごい虐待であったりとかネグレクトを受けてる人って、
見たこと僕はやっぱあって。
どういう状態になってるかっていうのはなんとなくわかるんで、
表現としてこれがすごい適切かどうかはあれなんですけど、
ただ概念としてはあるよねっていうのはわかるんですよね。
タダさんはこの辺はどうですか?
僕結構この件に関していろんな人がいろいろ言ってるのを結構見てきたんですけど、
僕の感覚だとね、もうみんながずれてる感じがする意見。
正直自分と同じ視点でこれを喋ってる人一人も見つからなかったんですよ。
ほとんどの人がやっぱりその親ガチャと、
僕ね実は最初に言っておくと親ガチャという表現が結構抵抗あって、
言いたくないんですけど、
親ガチャという表現が表してる状態のこと、いわゆる
家庭環境によってなんとなく決まってしまうみたいなね、
それがあるかないかみたいな、要は親ガチャという状態が現実にあるないみたいな、
そういう話をしてる人結構多いんですよ。
それはあるよ、当たり前じゃんと思ってて、
だから僕ねこの親ガチャの理論ってどこが実際論点になってるのか
僕よく分かってなくて、なんか僕ねこの親ガチャに関しては
親ガチャという表現とその親ガチャが示してる状態のこと
親ガチャというラベルをつけるっていうことと、それを自分で
言うっていうこと、この2点だと思ってて、ほとんどの人が結構
社会学の人とか心理学者とか出てきて、親は選べないとかね
真面目に喋ってるんですけど、いやそういう話なのかなというか
いや、だって当たり前じゃないですか、だって。
状況自体は。そうそう。昔からみんなが知ってる
その状況、それに対して親ガチャっていう表現を使う
っていうこととか、それを気軽に若者が使ってるっていうことが
問題なんじゃないかなと思ってて。確かに。
ちょっとでも僕もちゃんと詳しく分からないのが、この親ガチャ
06:01
っていうのはどういった寛容句で使われてるのかっていうのを全然僕は
背景が知らないですよ。なんかだから、その若者が親ガチャ失敗したわ
みたいな感じで、日常で使ってるらしいですよね。それぐらいライトな感じ。そうそうそうそう
それをやっぱりこう、いやとはいえね、といえばネグレクトとかね
そういう不幸な過程もあったりするから
しょうがないんじゃないかとか言う人も多くて、そういう話なのかな
というか僕。まあ確かに。それは昔から
伝わってる話だよね。確かに。まあそうだよね。だからそれで言うと
僕がその寛容句に感じた違和感とちょっと結構
近いのかなと思って。寛容句が言ってることって、いやそうだよって
言うんですよ。いやそうなんだよね。だからそうなんだよね
あと虐待されてるような子供は、親ガチャ失敗したわとは言わないと思う
いやそれほんとそうなんだよね。本当にそうで
僕がさっきすごいすっとばしてるなって思ってたのは
そういう情緒のとこで、そんな軽いことじゃないんですよ
本当に親ガチャなんていう言葉で表現できるほど軽いこと
じゃなくて本当にこれは。ネグレクトが言ってるような話って親ガチャの話とは関係ないと思う
関係ないんだよ。それは社会の構造問題として
しっかり考えたほうが良くて。本当そう。だからこれをね、例えばその親ガチャ
っていう言葉で片付けちゃうとしたらだいぶ置き去りになるんですよ
いろんな人の、本当にそういうトラウマを持っている人に対して
とか、そんなことさ、親ガチャなんてさ、簡単な言葉で
済ませられないような体験をしている人がいるわけで
それを丸めちゃう気がしたんだよね。親ガチャ外れたからだ
っていう感覚だけで。僕が一番ずれてると思う意見は
親ガチャは存在しますっていう意見が一番くだらない。ああまあね
そうね、確かに。あるかあるかしてて
それを親ガチャとは言わないから。ラベルを新たにつくんじゃねえよって
そう思うとほとんどの人がね、僕は意見ずれてる気がするんですよ
まあね。実際親ガチャ外れたわーとか言ってる人って
割と普通の環境で育った人が使ってるんだと思うんですよ
まあね、そうだよね。それをどうかって考えるのはこの親ガチャの話だと
僕は思ってて。そうなんですよね。そうね、だからそのやっぱ
これ本当でも最近ずっと僕らが話している広行議論に結構
結びついてる話だなと思ってて、なんかやっぱりこういう
その代弁者たちがこういう風な語り口をしちゃうことで
なんかこれに共鳴する人って出てくるじゃないですか。でもこれに共鳴してる人って
おそらく本当にこの彼が言ってる虐待を受けてる人とか
ネグレットを受けてる人ってないじゃないですか。これに共鳴する
全然違う上積みの層の人たちが、おい本当親ガチャマジ親ガチャだよ
つって。もう親ガチャ俺外れてっからさーみたいな
だからすごい、これちょっと僕ら最近ね、あの打ち合わせとか
話してる時にちょっと僕が言ったやつなんですけど
こういう行動をなんか僕、いわゆる犬笛っていう
これなんかアメリカの大統領選でトランプの時の
09:02
時とかにトランプがよく使ってた手法で犬笛戦略って言って
そういう答弁のやり方があるらしいんですけど、結構
ヒロイキのやってること近くて、要は犬笛って要はあれなんですよ
犬にしか聞こえない周波数、波長で鳴る笛なんですね
だからそれを鳴らすことで、人間は聞こえないんだけど犬だけ聞こえるから
犬だけ寄ってくるっていう。彼のやってることって本当に本来届ける
べき人たちじゃなくて、そうじゃない謎のルサンチマンたちを
引き寄せるための笛を吹いてる風に僕は見えるんですよ
要は本質的な問題には向き合わずに、彼の支持者を集めるために
そういった笛を吹いてるように見えるというか
だから全然本質的な議論を置き去りにしちゃって
自分だけ支持を集めるっていう、すごい拘束だなって思ってるんですよ
そうですよね
たださんがおっしゃると思うんですけど
議論的にはナンセンスで、結局だから
全部置き去りにしてる気がする、本題というのは
だから僕親がちゃがどうじゃなくてって話って、めちゃくちゃ簡単なしょうもない話だと思うんですよ
そんな社会の構造だとか
ネグレクトとかそういうことじゃなくて
もっとしょうもない話だから、と思いますよ僕は
そうね、これなんか
たぶんだから発端としては若者の間で気軽な感じで親がちゃ失敗したわとかって
言ってるって早くて、それをどう思うかって始まったと思うんですよ
だからその前提で僕は議論するべきだと思うんですよ
そこの前提にネグレクトとかって入ってこないから
そこにネグレクトとかそういうのを結びつけて
社会の構造の話をしたりとか、論点ずらしてもいいとかと思っていて
だから僕は、僕が思ってるこの話の論点で言えば
親がちゃなんて表現は論外ですよ、もう言語道だなんて
だって要は、これはあくまで
若者が気軽に親がちゃ失敗したわって言ってる状況に対してですよ
対しての意見ですよ、僕が言う話はね、それはやっぱり
言ってる感覚が表に出てる話だからね
っていうのと、あとさやっぱり親がちゃって表現はちょっともう
道徳的にちょっともうありやないかなと思ってますけど
言葉が汚いもんね、本当に
親がちゃという道徳心の欠片もない倫理的にもどうかしている
この表現をスルーして社会の問題を語っている世の中は怖いんですよ
いやーまあ、でも本当に
そうですよ、だから多分格好のネタ来たと思ってると思うよ
でも親がちゃなんていうファンシーなもうキャッチーすぎるよさ、言葉として
あの前のなんか、いろいろこういう問題って定期的に起きるけどさ
なんか保育園しねとか、いろんなこのパワーワードって形で
問題提起して何かとこじつけてくるみたいな、いや親がちゃってね
言葉だと思うんだよやっぱ、言葉の威力だよね
12:02
僕だってこの説明のためにですら
言いたくないですもん親がちゃんというか
でもなんかこのさ、やっぱりいずれにしてもね
例えば論点としてね、あえてヒロユキの話の方に踏み込むとして
それでも弱者を守るというスタンスを取りつつ
そうじゃない反対の勢力に対してこういった汚い言葉を
投げつけていいのかって、それ自体もどうかしている
って思いません?だから論点はずれているのは承知の上で
それを汲み取ったとしても、だとして
攻撃するつもりがあるのかわからないけど、なんかそのさ
自分たちのマイノリティ以外の人たちを揶揄するためにこういう汚い言葉を
そもそも使っていいのかみたいな、そこもなんかだったら言っていいのかよ
みたいな感じにも聞こえるし だからね、この時点に関してはね
一言で言いたいのはね、今の世の中に足りないのはキンパチ先生ですよ
思うんと思うんですよ、こういうのってね、キンパチ先生だって
なんていうのかなと思って、要はあの時代に僕らがね、あの時代というか
僕らが道徳として身につけていなければいけない価値観だと思うんですよ
そうですね、まあそうだよね それがあったら親がちゃなんて表現が出てこないから
まあそうだよね、まあね、これだから
いろんな人を傷つける勘よくあるけどさ、だから結構ワードセンスが
だいぶどんどん悪化している感じはするよね
だからなんかすごい そうですね、だから僕ね、あと最初に言った
その中での論点2つあるって言った1個がそれなんですよ、親がちゃという表現
もう1個はそれを自分で言うってことなんですよ
要するに親がちゃが表現を表しているところって、その家庭環境は選べないってことで
恵まれた家に生まれたら、それこそ
恵まれた人生を歩める可能性が高いじゃないですか、それはもう東京で出てるしね
親が学歴が高かったら、子供も高くなりがちだしね
だけどやっぱり
生まれてない環境に生まれ落ちてもね、それはそれとして受け入れて
育ててくれた親に感謝しながら受け入れて、自分らしさをどう磨いて
社会的に成功していこうって頑張るっていう、それが立派な人間の姿なんじゃないのって僕は思うわけですよ
それを置いといて、親がちゃ失敗したわっていう
その姿勢はどうなのかって、僕はそっちもあると思ってるから
僕ね、あの、自己責任論っていうのあるじゃないですか、それと僕結構近い気がしてて
自己責任論って、自分の身に降りかかったことに対して
自己責任だと思うことはすごく大事だと思うんですけど、社会に対して
自己責任を求めるのはずれてると思ってるんですよ、だから僕はある種
自己責任で考えたい人なんですけど、それはあくまで自分なんですよ、自分の状況ってのは
全部自分が悪いんだっていう風に考えるんですよね、それが自己責任の正しい
考え方だと思ってるんですけど、その意味で言うとね、やっぱり自己責任だと
考えられない人たちが逆に増えてるっていうことでもあると思うから
だからそこをもう少し色んな人にもっと色々言った方がいいと思うんですけどね
みんなどうしても現実を説明する方向に回っちゃうんですけど
まあこれね、本当に
15:02
親ガチャの話だけじゃなく、もしかしたら前回の
第5の話とかにも繋がっていくと思うんですけど、やっぱり
あれですよね、結構その、いわゆるネット論客
みたいなやつら、まあヒロイキもそうの一面なんですけど
なんかね、彼らは結構意図的に
ルサンチマを生み出そうとしてるんじゃないかなっていうのを
すごく感じるんですね、本当に。だからそのルサンチマっていうのは
さっき言ってた、全然当事者とは関係ないところでの人たち
本質的に問題とされてないところでの共鳴共感者
っていうのをルサンチマという形で獲得するみたいなアクションを
してる気はしていて、だからこういう親ガチャとか
っていう言葉をフィーチャーして、あえてこういう論争に
入っていって、でなんか不毛な議論として話して
その先にはあるのは言い分けしやすい世の中になってるんですよ
だからそうなんですよ だってもうこれは自分のせいじゃない
っていう言いやすい世の中に今なってるから、親ガチャもそうじゃないですか
親ガチャもそうですね、であとはもう一つ、だから
代弁してくれてる人がいるっていう事実っていうのが
親ガチャ論争に関して多分共鳴してる人がいるとしたら
結構それにある種優越感を感じるところもあるのかな
と思ってて、だから僕は結構最近ずっと
このテーマで話してる気がするんですけど、代弁者の問題っていうのは
世の中に影響を与えてる気がしていて、要はこの代弁者たちが
そういう風に言っちゃうんで、こういうラベル付けがそういう論争だ
っていう感じに世の中に波及していって、でなんかさっき言った
本来話すべき議論とはずれたところで議論が始まり
一人歩きし、でそれに対してルサンチマが増え、で全然関係ないところの
共鳴者たちが増えみたいな構図が出来上がってて、それを
旨味として感じ始めてるっていうか、多分それをだいぶ戦略的にやってるところも
ある気がするから、僕の怖さ的にはそこにすごい怖さを
感じる 実際のことの発端というか、実際に使ってる人たちは
そんな話してないから 数行の話してないから
まあそれはだって僕らの時代でもさ、僕らの時代で言っちゃうとあれだけど
あの僕らの友達とか、僕もさ、みたいな
クソ親がよーみたいな、といえば悪態ついちゃうことってあるじゃん
きっとその、なんかね子供の時にお前んちに俺も生まれたかったとか
そういう話ってみんなするじゃないですか そうしますよね 多分そういう意味だと思うんですよ
それを僕は親ガチャという表現を使って、気軽に自分で言っていく
っていう風潮はちょっと人として未成熟だな
って思う、そういう話、それに尽きるんですよ、この話は
そのこういう風にさ、いや親ガチャだって確かにな
みたいな、いいよね確かに親ガチャだと思うよっていう
共鳴者が明らかに出てくるっていう、なんかね
でも僕その論点で喋ってる世の中、いやいや今どき
親切にそれを真面目に喋るって、今まで何を考えてきてきたのって思うしね
18:02
だからどれくらいマジで言ってるんだろうね
本当に、本当に論点を理解しないでそういう
僕が喋ってる論点はそこだからじゃないですか
僕はそこは論点じゃないと思ってるから、親ガチャが生まれた経緯から考えればね
だから論点ずらしたところで社会盛り上がってるんだと思う
だからその不気味さを感じますよねやっぱね
僕はね、自己啓発だと思ってる、ジャンルとしてはそういう人生訓
人生論、ビジネス書的な話かなと思ってるんで
要するに親ガチャとかそういうことじゃなくて、いかにどんな環境であっても
ポジティブに捉えて頑張っていくべきっていう
そういう考え方がするべきじゃないのっていう、そういうジャンルの話だと思ってるから
そうね 例えばね、自分が
自分の家庭が恵まれてないなとかって仮に思うことは全然いいと思うんですけど
それを人にね、俺親ガチャ失敗したからって
恥ずかしくないのって僕めちゃくちゃ思うんですよ、よくそんなことを
だって自分は他責ですって、自分で努力するつもりはありませんって言ってるようなもんじゃないですか
確かにね そうね そういう話だったと僕思ってて
ネグレクトとかね、そういう本当に大変な
家庭で育った方の話をするならまた別の話ですけど
それはさっき言ってた、自己責任ではどうにか
どうにもならない世界の話ではあるからね でも養護法はそこで持ってきて
本音ずらすんでしょ、そういうことじゃないからって
確かにそうだ、なんかやっぱこうグラデーションを考えないよね
その辺を本当さ、なんでも結びつけたがる
よね、本当 だから僕は気軽に親ガチャ失敗したわって
言えてしまう世の中がどうなのかって議論した方がいいと思う、むしろ
これってだからさ、醍醐の話でさ、ホームレスなんか死んじゃえばいいじゃんって話と
そんな変わんない気が僕正直してるんだけど、倫理観としては、言ってること的には
まあね、醍醐の話で言えば
僕は逆に醍醐を見習うべきだってことでいて、親ガチャって言ってる人はね、だって醍醐なんて
全部自分の努力だと思ってやってるわけでしょ、だから逆に親ガチャ親ガチャって
すぐ言うようなやつは醍醐見習った方がいいと思う、生き方としてね
まあそうだよね、確かに、でもこういう
世の中だからさ、本当こういうさ、もう
マガマガしい改造された言葉って多分どんどん出てくるとは思いますよね
なんかやっぱTwitterってさ、ルサンチマン製造機じゃないですか
その中にネット論客がいてみたいな仕組みがあると思うんですけど
なんかね、どんどん出てくると思うよ、だってバズワードなんだからこれが
いずれにしてもネガティブな感情、ポジティブな感情、いずれにしても
何かしらの感情を抱くってことがエネルギーにつながるんで、これはね
格好の材料になりますんで、自発的にやってくるやつはいると思うんですよ
こういう言葉をあえて生み出して 僕はでもこう、何だろうな
多席にするような言葉が流行るのは嫌だなと思います、普通にね、一人としては
そうですね、でも怖いよね、どれくらい共感する人がいるのかなっていうのは
普通に生徒としては怖いとこあるけどね 考えたことないけどな、親がちゃん
21:02
だから、いやもう僕は考えられない、親がちゃんって表現
まあね、まあまあまあ 言語どうなんすか、こんなのが
一回連れてこいと引っ叩いてやるから
いやでもね、言葉の重みがわからずに使うみたいなのはね
あるかもしれない、ほんとね、だからその重みをさ
これだから周りの人たちがちゃんと伝えなきゃいけないものだから
この番組が言ってるような内容がまさにそういう内容になると思うんだけど
やっぱさ、子供ってさ、ちょっとね、一回前のエピソードでも話したけど
親がやっぱ、親の心こしらずじゃないけど、なんか
親の思いと想像以上に子供が思ってることで違う
ことがあったりとか、すごいめちゃめちゃ斜め上というか全然違う方向
行っちゃってる時もあるんで、なんかそういう時に発する言葉って結構
なかなか刺激的なものが多かったりするし、それは僕の人生振り返っても
そういうことを言ってきた記憶があるんで でもこれ多分大人でしょ、言ってんの
親が 言ってんのは大人だろうね、バズにしてんのは大人だと思う
バズというか、若者が使ってるっていうらしいから、要は中高生が
使ってるってことかな、だったらしょうがないかもしれない でもそれをフィーチャー
してるのが大人なんでしょ、要は どうなんですかね、僕はまあフィーチャー
してるならそれはそれでどうでもいいんですけど、実際使ってる人たちがどこなのかなって思って
それがまあ中高生ならまあまあしょうがないかなって感じです
クソ親がとか、まあ同じではないかもしれないけど
それは大人になってからもう親がじゃって言い続ける人生はどうかと思うけど
中高生が言うならまあしょうがないかなと思いますね でもヒロイキの論だと擁護してるからって
そういう形で親がじゃって言葉を大人が許容していくから、このパターンだと
なるほどね だからそうすると子供は使っていいものだって思うわけですよ
だってヒロイキが言い捨てるんだからっつって
だから結構サイクルが回っちゃってるの今、そういう
ヒロイキもそうだと思うよ、ホームレス死んじゃえばいいっていうやつが出てきたんですって
みんな実際そう思ってるよねみたいな共鳴の仕方を知ってる奴が裏にはいて
なんかでも僕そう思うとね、なんか今回
ほとんどの人が僕にとってはずれてると思ったんですよ、ってことは僕も
古い人間なのかなって思ったぐらいです、要するにそういう道徳心とかね
人としてどうあるべきかとかっていう考えること自体が
もう古いのかなと思ったぐらいですね、合理的に正しい正しくないを
考えていくのが今の世の中なのかなって思ったぐらいで、ちょっと寂しい気持ちはあったんですけど
いやそれは寂しいですよ さらに僕はね、今分かっていて
強くこういう発信すべきかなと思って当ててきたんですけど、ここで僕は擁護する
わけには僕はいかないかなと思って そうそうそう、それはね間違いないと思う
でもどうなんだろう、古さなのかな
でもなんて言うんだろう、なんかそれってでもさ
絶対的な感覚じゃん、そこの親がちゃなんていうものが汚い言葉じゃん
それはなんか時代感とは劣化しない感じはしてて
普通にシンプルに倫理的にダメじゃんっていう
でもそれが時代的にもう通用しなくなってきて 通用しないんじゃないかなと思ってたんですよ
いやディストピアだね、そう考えると そのなんだろうな、人のせいにする
24:02
っていうことがカッコ悪いことじゃない世の中なんじゃないかなって思って
あーまあそれはあるかもね、さらけ出してそれすら
もう許容してくれていいじゃんっていう感覚で
正しいじゃんみたいな まあ正しいじゃんみたいなね、正しさ論ね
僕の価値観では口が下げてもそのこと言えないですよ、カッコ悪いから
まあね 思っていてもね それはあるかもね
もういい加減こんな新しい時代なんだから
許容しやがれみたいな感じで確かに言うやつはいると思うから
それは確かに時代はあるかもなと思いつつ、でも逆に言うと
そうじゃないよって言わなきゃいけない人たちもたくさんいなきゃいけないわけで
なんかそれは多様性とは全然違う意味の世界じゃないですか
だから多様性のさ、ディストピア感というかさ
そうじゃないよっていう考えも一つの価値観だから、僕もね喋ってると思うんですけど
これはあくまで僕の人間として立派な姿がこうだって僕の価値観なんですけど
それも一つの価値観だから だからそれはもうなんか
もはや時代なんじゃないかなと思っちゃうんですよね いやでもこれ
だからこれを多分ちゃんと思考停止しないで議論できないと
ダメになっていっちゃうと思う、だからそれで言うと
だってこれがいいなら、だってそれ本当もう極端な話
どんどんネットいじめも正当化されるし、なんなら人殺しだって
オッケーって話になっちゃうわけですよ、このグラデーションのない世界で言ったら
だからそれはじゃあLINEで言うとどこなのよと、どこまで許容できるのよ
みたいなことがちゃんとわかってなくて話してるんであれば
すごい危険なことですよね、なんかだってさ、ニュアンスでわかることもあるじゃん
フィーリングでさ、言っちゃダメなことってあるでしょ、だってそれがもうわかんなくなってきてるっていう話だから
でも周りがみんなそうだと、それいいんじゃないですか
それヤバいよね、そうっすね だから僕はそんな感じなのかなと思って寂しくなったんですよね
やっぱり僕らの世代ってやっぱりその努力根性って
やっぱ好きな世代じゃないですか、言っても まあそういうの、そういうのに影響を受けてるしね
そうそうそう、だしやっぱり母婚とかさ、やっぱりその努力次第で自分次第でどうにもなっていけるって
そういうふうな価値観で自然と入ってくる世代だと思うんですよ、僕らより上ってね
でもそれがもしそういう感覚がない世代からしたら
もしね、なんだとしたらしょうがないかなと思っちゃって
だけどそうするともうなんかそんな世の中
日本やだなってちょっと寂しいなって
これでもね、これはだから実体どうなのかっていうのはね、わかんないけど
そこまで来てるんですかね、なんか社会的にもね
僕は何か自分がうまくいかなかったりすることを親ガチャとか
言ってるような人とは関わりたくないし
そうね、いやだから難しいよね、考え方の多様性っていうのが
これがだから倫理観と良天秤じゃん、やっぱりここって
だからこれが崩れた時にすごいガタつくというか、この議論って多分その議論だと思うんだけど
なんかさ、でも
金髪に言われなくてもわかることはあるわけじゃないですか
普通に生きてて だからね、ほんとね、だからやっぱり金髪先生なんですよ
27:02
金髪先生の前で親ガチャなんて表現したらマジで泣きながら殴ってくると思いますよ、金髪先生
まあそうだよね、まあそうか、金髪シリーズには
こんなこと言いそうなやつ一人ぐらい居そうで いやいや全然居ますよ
居るのか そういうシーンっていうか人の尊厳とかね、リスペクトとか
ないような発言をして金髪先生に怒られるシーンっていうのは
よく見てた気がするし、あとちょっと論点あえてずらして喋るとね
親は選べないとか子は選べないって話をしてるんだと思うんですけど
その時点でちょっとその感覚が間違ってると僕は思っていて
みんな言っても親は選べないとか子は選べない、それは事実だよねって思ってるかもしれないけど
なんか僕の感覚からしたら一緒だけどなって感じなんですよね
自分が生まれてる時点で自分と親は一緒だし、そのなんか選ぶ選べないって
組み合わせの問題じゃないと思ってるんですよ、だって
これは、いやガチャって言ってるってことは親と子は組み合わせだと思ってるってことじゃないですか
そうだね 組み合わせじゃないからって
なんて言うんだろうな、それを組み合わせと言えば組み合わせなのか
推移の関係ではないってことね、そのお互い それはもう繋がってる運命なんだから
運命というかそこで組み合わせという可能性を
考えてはいけない気がするんですよね、なんとなく あーなるほど
逆に言うと親からしたら子ガチャっていう言い方もあるらしいんですけど
まああるでしょうね、逆説的なところで言う
あなたから生まれる子は絶対にその子になるんじゃないのと思うんですよ
いやガチャであんな子が生まれたりこんな子が生まれたりするわけじゃなくて
あなたから生まれる子供はそうだからってしか
僕は思えないんですよ、なんで組み合わせのせいにしてるのか
あーわかった、確かに
なんで自分次第という感覚がないのというか
どういうことなのかはガチャガチャじゃないから
って思うんですよ、なんて言うんだろうなこれ
仮にもう一回ガチャ引いても同じになるんじゃないのって
カエルの子をカエル
仮にね
親からしたらどうしようもない子供が生まれたんだとしたらガチャ失敗したわじゃなくて
いやなんで自分に問題があるのって思わないってことなんですよ
ガチャっていう考え方自体が僕はどうかと思うんですよね
これはたださん論に乗っかる形になるかもしれないですけど
半面教師っていう言葉があるじゃないですか
僕は半面教師って言葉結構好きなんですよ
これは良くも悪くもちょっと親をディスっちゃう形なんだけど
親から受けてる影響ってポジもネガもどっちもあるじゃないですか
僕結構ネガの方が重要なところがあると思って
親がやってて自分が嫌だと思ったことは人にはしないっていう感情って
僕結構重要にしてるんですよ大事にしてるというか
必ずしもポジだけがあればいい話でネガを見ることで自分の人格形成に
関わってくるみたいなところもあると思ってて
だからそれってガチャ云々っていうよりもそういう状況であるっていうのは
30:03
別にだってどんな親子関係でもそれは必ずあるわけでしょその感覚って
だからそれはその状態を受け入れるべきじゃん完全に
だから僕が言ってるのはまさにそれで親に対するネガティブな感情を
言葉を使って思考停止するじゃなくて
やっぱりどんな環境であっても自分次第で変われるんだって思い込んで前に進む
ってことが正しい姿なんじゃないのってあるじゃないですか そうそうそうそう
これなんか前るっきつぶかなんかの回で言ったような気がするんだけど
話の気がするんだけどどんな状況に生まれたとて
その人独自の地獄があるみたいな話を
うがきみさとがしてていいこと言うなと思ったんだけど美人に生まれようが
ブーちゃんに生まれようがどっちにもやっぱり地獄はあって
それはカルマとして受け取らなきゃいけないわけじゃん親の話も結構それに近いのかもしれない
と思ってどんないい親に生まれてもやっぱり地獄って
あるんじゃないかなと思って そんな人それぞれあるからね
それを確かにガチャっていう平たい表現で言ったときにそれはもはや
ガチャなのかみたいな話もあるし結局それって誰もが受け入れなきゃいけないんじゃない
ガチャっていう言葉で話が終わっちゃうんですよ そうだね
やっぱりその人にしか使えない自分の価値観があって
やっぱり義乳は悟空の体手に入れても強くなれなかったじゃないですか
なれなかったよそう、その表現だと思うよ
わかんないけど でもそうなのよ
でも結局授かり物って結局もう一点物でしかないからさ
そうなんですよ なんかそこを否定しちゃうと
もう生まれてきたこと自体も否定することになる可能性あるよね
組み合わせの可能性を考えるってことがいかに安いことかってことをもっと分かってほしいと思うのよ
確かにね 確かにね それで言うと人間を否定しちゃうってことになるんですね最終的に
まあだから親ガチャって言うんだったら別に親だって
何らかの運命でそうなってるわけだから そうだね
それは自分だって親だって一心同体としてそれを許容してね
なんかそれを親ガチャって親のせいにして終わってるでしょ
親だって何らかの運命を抱えてやってるわけだから まあそうね立ち向かってきたわけだからね
あとさっきの話で運命に立ち向かうみたいなところから
逃げちゃう前提の思考性っていうのは
もはや全てにおいて諦めることを選択することに
繋がっちゃうかなっていうのは思った
人それぞれ非運な状況はあると思うからそれ自体はどうにもフォローできないし
何も差し伸べて何かしてあげることもできないんだけど
自分の運命に向き合うっていう状況が
やっぱさっきたださんがおっしゃった通り
誰かのせいなんであれば基本的に全てそうなっちゃうというか
成り立ちが運命論で言っちゃうんだったらさ
なんか別に親ガチャって言ってる人に言いたいのは
世の中であなたより過酷な環境で生まれた人が
努力してそんなことも口にせず不満を言わずに努力して
社会的成功を収めてる人がたくさんいるわけだから
33:03
思うんですよ まあまあそうか確かにね だから僕ねこれはやっぱりね
教育とかそういう道徳とかねそういう自己啓発とかねそういう問題の
話かなと思っていて まあ確かに 事実どうかとかって話がすごいずれていて
どういう考え方で生きていくべきなのかっていう
そういう人間論みたいなそういうところの話かなとは
思っていてね この視点で喋ってる人がいないんですよね
まあだからそこの不気味さでもあるよね
そこってそんな触れられない何かがあるってわけじゃなくて
みんなやっぱりほとんど議論してる人たちはそもそもそこにたどり着いて
思考停止しちゃってるって 家庭環境によって変わっちゃうよねとか
ネグレクトとかあるよねとかそういうところになっちゃう範囲になっちゃうんじゃないですか
すごいねなんかそれまあね
だからちょっとね違う切り口で話してる一つの番組としてね
なんかお役に立てればこの発信がねなんかいいですよね
例えば話すほど確かにヤバさがちょっと伝わってきたなんかそれで言うと
確かに異様だわっていうふうに思い始めてきた
いろんな何か学者さん森さんとか森転生さんとかも言ってたけど
やっぱり普通に生まれ落ちる家庭環境によってどう変わるとか
そういう話をやっぱりするんですよ それはわかるけど
それはまた親がじゃなくてまた違う話だけどなと思って
それわかるよその話は深刻な話だのはわかるけど
うんこれはでもね良い議論ですよこの話が本当に
でもこういう議論になって良かったです
良かっただいぶオッドな いやそうかでもなんか
ちょっと確かにちょっとこの談話に入る前の
感覚とちょっと違ったんでなんか良かったなと思って
気づけた自分がなんかこれは確かにヤバいことだっていう
僕の視点ですけど 素晴らしい
ありがとうございました ありがとうございます
35:06

コメント

スクロール